トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
貴族には、爵位と組み合わせた呼び名があるが、爵位によってそれぞれその傾向というか、色合いは違うという。
前ルーチェットピラ魔術伯であるアーセノウスさんが、彩火伯と呼ばれているように、伯爵ではその特技からつけられることが多いそうな。
それに対し、ボヌスヴェルトゥム辺境伯を港湾伯というように、辺境伯はそれぞれが統べる領地の特色を端的に示すもので呼ばれるのだとか。
それは知ってた。
だけどさあ、異名が峻厳伯と訊けば、なんか、こう、しゅっと細身で表情は厳しく、厳格で人を寄せ付けないような人柄なのかなあって思うじゃない?
だけどトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯のフェネクス・ランシキャビアムと名乗った相手は、どうにもその異名にふさわしいようには見えなかった。
魔術師の力量を量る一つの目安は、放出魔力の大きさだ。魔術辺境伯のそれは、確かに少なくはなかった。が、きわめて大きいというほどのものでもない。
外見はというと、あたしやアーセノウスさんに喧嘩を売ってきたストゥルトゥスとは、あんまり似ていない。
白いものがいり交じった髪は、孫より暗い赤墨色だ。室内なら黒髪に見えなくもないだろうか。
まあ、この世界の窓は、猫扉の大きいサイズとしかいいようのないものなので、いくら壁を白く塗ろうと、部屋の中ってそれほど明るくはならないんだけども。
解き放したままの髪というのも、男性の髪型では一般的なものだろう。多少だらしなく見えるけれど、そこまではいい。
けれどその下の一重まぶたは、脂肪の重みに潰されたように細い。眉は空気で、これまた伸ばしっぱなしのような顎髭ばかりが目立つ。手入れしてんのかしらん。
でっぷりとした体格はおいといても、一度も日に当たったことのないようなその肌も、周囲の兵士と比べると異様に感じられた。
白っぽいのはまだしも、かなり黄色みが強い。
たとえて言うなら、……そーだなー、スクトゥム帝国の学術都市リトスで会った墜ちし星、マグヌス・オプスからうらぶれた雰囲気を抜いて太らせ、脂で顔をてからせたような感じと言ったら褒めすぎだろうか。
だが、それがおかしい。
いや、たしかにトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家が、それも直系の人たちは特に、墜ちし星の血を引いているだろうという予測はついていましたとも。
だけど子孫は子孫なのだ。
てゆーか、もともと生粋のこの世界の人間である魔術辺境伯家の、そのご先祖様の血はどこよと真顔で問いたくなるくらい、魔術辺境伯の外見がこの世界の人のものとは違っているのはどういうわけか。
どのくらい違うかというと、墜ちし星当人である、マグヌス・オプスと同じくらい、平たい顔族に見えるといったらわかるだろうか。
もちろんそれが、単純に異世界人の遺伝子が優性で、がんばって仕事しまくった結果だという可能性は否定しない。
けれど、これほど強く墜ちし星の特徴が出ているということには、やはり違和感を覚えずにはいられない。
あたしやグラミィ以前に、ランシア山周辺に墜ちし星が、それもランシアインペトゥルス王国に落ちたことがあったのは、いつのことだろう?
それを知っているはずのヴィーリですら、あたしとグラミィを『双極の星』と呼んだ。
特別な名称をつけるということは、それだけ珍しいということだ。一度に複数の異世界人が、狭い範囲内にまとめて落ちてくることが。
たまたまこの世界に紛れ込んできた異世界人が、この世界の人と子を成した場合、何が起こるか。
たかだか一人、いや数人ぶんの遺伝子なんてもんは、あっさりとこの世界に飲み込まれてしまうのだ。
たとえ異世界人の血が貴重だからって、ハーレムだか逆ハーレム状態だかで子作りを迫ろうとも、その血を受け継ぐ子の数は、いったいどれだけできることやら。
それに、高い死亡率を異世界知識でくぐり抜けたとしても、異世界人の子に受け継がれる墜ちし星の遺伝子は二分の一でしかない。成人した異世界人の子が、またこの世界の人と子をなしたとしても、その時点で異世界人の遺伝子は四分の一になる。
ほんの数世代で、血など、どんどんと薄まるのだよ。遺伝が鼻の形や目の色など、部分的にしか表現型に出ないくらいに。
食塩水を煮詰めれば、溶かした塩はほぼ回収できるだろうが、拡散した遺伝子を、一個体に凝集させることは難しい。
仮に、異世界人の子孫同士を集め、計画的な近親婚を繰り返したとしても、もとの異世界人の遺伝子を完全に一人の人間の身体に集めることは、まず不可能に近いだろう。
それなのに、このトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯が、生粋の異世界人と見分けがつかないほど、外見的特徴が異世界人よりな理由がわからない。
「そちたちを荷馬車で連れてきたことが不快だったか。あれはな、観察のためだ」
あたしの疑問に気づいていないのだろう。魔術辺境伯は子どもでもなだめるような口調になった。
「髪を隠していたのは、我々魔術辺境伯家が黒髪を好むという噂を聞いたのであろうな。悪くはないやりかただ。だが我らの目をごまかすには足りなかったというだけのこと。それに、我らとて黒髪の民すべてを好遇するわけではない。我らが掌中の珠となりうるのは、一握りの選ばれし者のみだ。そちたちのように美しい黒髪を持つだけなく、目端がきき、知識を持ち、それでいて身をわきまえておるような、賢い者をだ」
説得のつもりなんだろうが、口を開く間もメリリーニャから粘っこい視線を離そうとしないのは、いったいなんなんだ。
偉そうな連中がそろって森精の艶やかな漆黒の髪を、じっとりと見つめているのが、なんともうざい。
メリリーニャが気色悪そうなのは、絶対に演技だけじゃないと思う。
「かしこき者ならば、その身の処し方を存じておろう?我らに従う限り、この領内でそちたちが望み、かなわぬことはないぞ」
おまけに言ってる内容が酷い。
荷馬車は扱いの篩で、粗末な扱いに腹立てて噛みついてこなかったことを評価してやる。だから、しつけの行き届いた点がお眼鏡にかなったと感謝しろ、四の五の言わず首輪をつけてやることに伏して喜べ、こっちは領地の最高権力者やぞとか。
ふっざけんな。
人を怒らせて素の状態にするというやり方があるのは知ってる。てかあたしもやらかしたりする。
だけど、その後、長くおつきあいをする場合、いい関係を構築していくつもりの相手に、そんなことはやらないんですよ。普通は。
単純に悪手なんだもん。
人間は、自分の価値を評価してもらいたがる傾向がある。
が、それは肯定的な評価が得られる前提でのこと。
より細かく言うならば、幼児的万能感を充足してくれるような、存在の全肯定に近い、自分のセルフイメージを否定しないようなものである場合ということになる。
逆にそれらが否定される可能性が含まれる場合、セルフイメージにそぐわないものは、特に、評価材料を得るため観察されたり、試練を課されたりすることを嫌がるものなんである。
……そりゃ、自分のできがわるいなんて、誰も思いたくないもんなー……。
だからこそ、むこうの世界で一時流行った、行住坐臥すべてにおいて、どころか、息してるだけで褒められる系主人公がもてはやされたのって、同一視して感情移入するのにちょうどよかったんだろうな。
否定されるなんてぼくはいやだ、誰かぼくに優しくしてよってか。
話がそれたが、統治者というのは、民人の不満をそらし、側近たちを心服させ、周囲の領主や国王との友好関係を結ぶ能力がなくてはならない。
つまり、それぞれ領地や民を統治している領主――つまり貴族は――、コミュニケーション能力が高いだけじゃなくて、人間の感情を操作する技術を持っているのが当然なんである。
つまり、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯も、人間心理の読みあいぐらいは朝飯前のはず。
だのに、それでもやらかしたってことは、あたしとメリリーニャに対し、今後いい関係を築こうだなんて考えていないということになる。
警戒起こさせといて、懐かぬ相手を傘下に入れようとするとか。潜在的な獅子身中の虫を飼う趣味でもあるのか。そこまで気の回らない、平民に――それがたとえ自分が貴重だと価値を認めた者であっても――気を回す必要などないと考えているアホなのか。
それとも、さんざん神経逆撫でしでかした相手に、底の浅い懐柔策が効くと思っているのか。
いや。なにがなんでも効かせる気なのか。
「……うまい話じゃありますが、だからこそ裏を疑いたくなりまさね」
メリリーニャは慎重に踏み込んだ。どうでもいいが、口調がアルガに似てきてるぞ。
権力者におもねる系、厚顔な平民のお手本にちょうどいいのはわかるけど。
「どうしてそこまであたしたちを高くお買いになられるんで?」
「知れたこと」
魔術辺境伯を父上と呼んだ男性が、威丈高に種明かしをした。
「世界の外から来た者を、我らは取り込む。――その風貌、その魔力。お前たちはこの世界ではない者か、その血を引く者なのだろう?」
「はあ?!」
メリリーニャは素っ頓狂な声を上げてみせた。
きょっとーんとした、その顔だけ見たら、なかなか演技だとは思えまい。
「とぼけるのもほどほどにするがよい。我らに忠誠を誓え。衣食住、金も女も好きにできるぞ」
にんまりとトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯は、ただでさえ細い目をさらに細めた。
自分の申し出を断るような真似などするまいと確信しているようなのだが。
……なんかめちゃめちゃ腹立つわ。その顔。
だが断るとネタ台詞を声に出して言いたいくらいだよ。声帯ないから言えないけど。
そもそも女を提供するとか言っちゃうあたりが、もうアホかと。
メリリーニャだけでなく、あたしも生身の男と見ての条件提示なんだろうが、それは単にこちらの欲望を満たすことで忠誠心を引き出してやろう、てだけじゃないのがばればれじゃん。
黒髪の――彼ら視点では異世界人当人か、それともその血を引くものの――子種を採って、子どもを産ませて、自分たちの子孫にさらにその血を混ぜさせるつもりなんだろうと、推測が簡単にできる。
おそらくは、近親婚しまくってる彼らの血縁状況を改善させるために必要なんだろうけど。
薄め液じゃねーんだよ、人間は。
メリリーニャがどう反応を返すかも心配だ。
森精の彼にとって、世俗の財宝や名声、もちろん異性も基本的には無意味だ。魔術辺境伯に釣られることだけは心配してないのだが、逆にいつこのやらかしに激怒しないか心配だよ。
なにせこのトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯――とその子や配下たち――ってば、貴族独特の傲慢さというか、こちらの望みが通って当然という態度なんだもん。いつどこで不用意にざっくり森精の誇りを傷つけないともかぎらない。
下手したら森精とだと明かした後も、森を離れて仕えろとかとんでもないことを言いだしかねなさそうだしなあ……。
むかむかひやひやしていると、応接間の外から人が近づく足音が聞こえた。
反射的にあたしは身体強化をした。これをすると感覚もちょっとだけ鋭くなるんである。壊滅してる味覚と嗅覚の復活だけは無理だけど、盗み聞きにはうってつけだ。
「失礼をいたします、ポイニクスさま」
「ここへは近寄るなと申しておいたろうに」
魔術辺境伯の子が咎めた。男は低頭した。
「申し訳ようもございません。ですがこれを」
「む」
魔術辺境伯へと差し出しされたのは、なにかの書状のようだった。
……残念ながら、いくら感覚を強化したあたしでも、書状を書面の反対側から読むような芸当ができるわけではない。耳打ちぐらいだったら聞き取れたろうに。
そのあたりは腐っても魔術辺境伯家というわけか。
あたしたちが異世界人、あるいはその裔であると仮定した場合、その膨大な魔力をもって、魔術を使う可能性があると見たのだろう。
それを想定して、魔術師相手であってもそうそう情報が抜かれないような、ノウハウや体制を機能させているのかもしれん。
「……そちたちにはすまぬが、非常に残念なことに、急用ができてしまった」
書面から目を上げると、色の悪い唇を緩ませて魔術辺境伯はうっそりと笑った。
「いきなりのことで考える時間も欲しかろう。当家にゆっくりと滞在するがよい。――連れて行け。丁重にな」
倨傲な手の一振りで、あたしたちはまた兵士に囲まれた。
そのまま大人しく移動したのは、屋敷の表棟――ではあるのだけれど、その端も端――にある、小さな扉だった。
使用人用らしき梯子のように狭い階段を上れといわれたが、どうやらここは外からちらりと見えた、三つある尖塔の一つの中であるらしい。
二階になるのだろうか、それとも三階になるのだろうか。
がらんとした部屋にあたしたちを放り込むと、兵士たちはすぐに立ち去った。
荷物や幻惑狐たちを取り上げられなかったのは、不幸中の幸いだ。
「あー…、これからどう(しッ)
メリリーニャをあたしは制した。まだ喋らないほうがいい。
そのまま荷物を扉に立てかけると、中のラームスにあたしは呼びかけた。
円に近い多角形の一部を切り取ったような、いびつな形の部屋は、領主館の表棟にしては、狭い上にじつに簡素なものだった。
家具らしきものも、ほとんどなにもない。
それも当然だろう。
尖塔内部は通常の部屋より狭い。が、そのぶん強固なので、特別な用途に使われることがあるのだ。むしろ生活空間に使われる方が特殊らしいってのは、王都にあるルーチェットピラ魔術伯家の屋敷で知ったことだ。
おそらくはこの尖塔も、最上階が防衛の際に矢狭間代わりになるのはもちろん、地面から冷気と湿気が伝わる地階や一階は牢や貯蔵庫に、そして中階は魔術師の鍛錬用の部屋などにされてるんじゃなかろうか。
つまり、ここは生半可な魔術の暴発程度じゃびくともしないような、魔術師にも対応できる強固な座敷牢扱いなんだろう。ベッドすらないけど。
だがまあ、ベッドがないのはなんとでもなる。睡眠不要なあたしにはいらないものだし、メリリーニャも旅装用のマントを身体に巻きつけて、団子になった幻惑狐たちを貼り付け、自分は立ち木などに寄りかかって座るというスタイルで野宿したことも、この道中ではあったものだ。
野宿でできたことが室内にいてできないわけがない。それはいい。
だが、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯の思惑が読めなさすぎる。いったいどういうつもりなのだか。
魔術辺境伯たちは、あたしとメリリーニャを自分の膝下に置きたがってる。そこはわかる。
だけど、好遇の一端をちらつかせて懐柔しようというのか、それとも権威に押しひしぎ、心を折っとこうというつもりなのか。
どっちにしても、やり口が迂遠すぎる。
ぶっちゃけた話、普通の平民相手なら、その領内における生殺与奪の権を握る領主に、相手の意志は関係がない。有無を言わさず絡め取るだけの権力を持っている、それが封建領主というものなのだから。
だのに、魔術辺境伯たちは、ただの行商人としか見ていないはずのあたしたちの口から、諾と言わせたがっているように思えてならない。
ちぐはぐな扱い、奇妙な対応。そのせいで、むこうがどのようなロジックで行動しているのかがまったく読めないのだ。
おまけにあの魔術辺境伯ときたら、放出魔力すらあんまり揺らがないんだもの。
あの書状を得たときでさえ、じわじわと黒みがかった紫のグラデーションのイソギンチャクみたいな魔力が、ゆらゆらとわずかに赤みを帯びて外に広がった、ように見えた程度だった。
あれでは、あたしも嘘発見器の真似はできない。
……しかし、魔術辺境伯は、いったい何を優先したのだろう。
あたしたちをひきさがらせたのが、本当にあたしたちより優先すべき要件ができたからなのか、それとも何らかのブラフだったのかすら読み取れなかったのが、つくづく痛い。
おまけにあの平たい顔は、かなり表情が読みにくいのだ。
薄い笑みでマスキングされていると、むこうの世界で西洋人が東洋人の表情がわかりづらいと言ってた意味がわかった気分しかないというね。
いや表情がどうこうとか。表情筋なんてもんを持ち合わせてないあたしが言うこっちゃないかもしれないけど!
いずれにしても、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯フェネクス・ランシキャビアムという人物が、めちゃくちゃやりづらい相手であることだけは、間違いがない。
考え事をしながらも、あたしは幻惑狐たちといっしょに部屋の中をうろうろしていた。
ただ間取りを確かめているだけのように見せかけて、魔力知覚をソナー代わりに、ラームスと手分けして周囲の壁や天井を調べたのだ。
奥にあった小さな扉は、開けてみるとガードローブ……空中放出型のトイレだったりしたのはおいといて。
なるほど。やっぱりかってなもんだな。
(伝声管が仕込んである。人の気配がなくても、声に出したことは筒抜けになっていると思った方がいい。聴かれたらまずいことは心話で。できればこのように)
手に触れて伝えると、メリリーニャは小さくうなずいた。
もちろん、魔術師などの監視がさらにあたしたちの知覚外でされている可能性は捨てきれない。魔力の高まりから心話をやりとりしていることに気づかれないとも限らないし。
それでも物理的に接触して発した心話は、余所に漏れにくいからね。通信において有線は無線より安全性が高いというのは、心話でもどうやら当てはまることらしい。
ざっと見て回った感じ、魔術陣が仕掛けてある様子がなさげなのは、ありがたいことだった。
魔術辺境伯家が魔術陣の知識を持ってないのか、それともあたしたちに使うつもりがないだけなのかは知らないが、そのぶん物理的な破壊はやりやすい。じつにいいことだ。
出ていこうと思えばいつでも、領主館ごと、この座敷牢をぶち壊して出て行ける見通しができたのは、かなりの安心材料になる。逃げ出した時点で脱出がバレて追っ手がかけられることは覚悟しといた方がいいだろうけど。
だけど、まずは外部と連絡をつけるのが、最優先だろう。
あたしはラームスから一枚葉っぱをもらうと、わずかに開いたスリット状の明かり取り窓から、外へと飛ばした。
人間どころか幻惑狐たちすら通れないような、狭い隙間であっても、ラームスの一部ならば通すことができるのだ。
そして、通せばあたしたちの勝ちは、三分の一ほど決まったと言ってもいい。
兵士たちに従って、あたしたちがおとなしくドナドナされていた理由のもう一つは、幻惑狐にある。
あたしはフームスとカロル、フーゼの三匹を連れてきている。スクトゥム帝国でも帝都レジナや賢者都市リトスを歩き回った面々だ。
そしてメリリーニャはロース、ニクス、グランドー、ウェルテクスの四匹を、フルーティング城砦から連れてきている。
(ほねゑ……)
……ぷるぷる嫌がりなさんな、フームス。
今の段階で君らを連絡手段にするため、無理矢理明かり取りから外へ押し出す気はまったくないから。……いやいやトイレの排出口から外に出そうとも考えてないから!落ち着けって!
あたしは今も三匹を連れている。しかし、メリリーニャの連れてきた幻惑狐は、この部屋の中にはいない。
あたしとメリリーニャは、道中交互に幻惑狐たちを狩りに出していた。
そのおかげで、四匹はあたしたちが兵士たちに囲まれる前、そばを離れたままになったのだ。
彼らには、ラームス越しに、あたしたちに合流しないようにと伝えてある。
兵士たちには、あたしが三匹の幻惑狐を連れていることは見られたわけだが、四匹は認識から外れたわけだ。
隠し球となった彼らには、荷馬車の後を、隠れて追いかけてもらっている。
ラームスの種葉を手がかりにしても追いきれなくなったら、西へ移動し、街道沿いにグラミィたちを探せと伝えておいたのだ。どうやら荷馬車がのろかったせいもあって、うまくこのフェルウィーバスまで、無事に貼りついてこれたようだ。
そして、幻惑狐たちと樹杖のシナジーはとっくに体験済みだ。
飛ばしたフームスの葉っぱには、四匹への指示が込めてある。
この葉っぱを拾ったら毛の中に挿して、そのまま街道まで出るようにとだ。
幻惑狐たちには土を操る能力がある。そのくらいのことは簡単にできるだろう。
そして街道に出れば、そろそろグラミィたち、陽動兼本隊組がこちらに向かって移動を始めているはずだ。一匹や二匹ならうっかり見過ごされるおそれがあるかもしれないが、四匹もの幻惑狐は、さすがにその存在に馴染んだフルーティング城砦警備隊と、出張魔術士団には見落とされることはないはずだ。
彼らの存在は、それだけであたしたちに何かあったということを伝えるシグナルになる。
加えて、ヴィーリが闇森を発ったならば、おそらく最寄りのグラミィたちへの合流をめざしているはずだ。
ラームスの葉っぱには、樹杖を持つヴィーリかグラミィに読み取ってもらうことを想定して、あたしたちがトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領に入ってから、これまであったことも記録してもらっている。
当然、ヴィーリにとっては観察対象である双極の星の片割れと、森の同胞たるメリリーニャが緩い監禁状態になってるってこともだ。
……これ、ラームスが知ったら、絶対魔術辺境伯を許すことはないだろうなあ。下手したらフェルウィーバスに突撃してきかねん。
グラミィ、ヴィーリが過激な行動を起こさないよう、なんとか抑えてちょうだいよ?
丁重にと魔術辺境伯が指示したおかげだろう、食事や水はわりとふんだんに届けられたが、それを持ってきた兵士たちは、メリリーニャのおしゃべりにつきあってくれることはなかった。
……やっぱり、使用人に接触することは無理か。
情報を抜かれないようにする体制だけはやたらに整っているものだ。
ならば、この状態でできることをするしかない。
ヴィーリたち頼みだけでなく、あたしたちもできることをするべきだ。
メリリーニャは監視の目をくらますために、どうでもいいことをぽつりぽつりと喋ってくれている。その相手をしているふりで、あたしは構造的に最も強そうな場所に干渉を始めた。
ヴィーリやグラミィたちと合流すれば、たしかに交渉事は楽になるだろう。
けれどあのうさんくさいイソギンチャクだぬきこと、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯が、何を考えているのかわからない以上、やれることはとことんやっておくべきだろう。
だからこそのプランE――自力脱出の準備だ。
フルーティング城砦で魔喰ライになったあの裏切り者は、地下牢の中で魔力を周囲から吸いまくり、床石をぼこぼこに凹ませていた。
そう、魔力が減れば大地は荒れ、水は凍り、風は止まり、火は消える。
岩すら魔力を失いすぎれば、その形を失い、細かい埃のように崩れるのだ。
そこを応用すれば――さすがに障子紙に指で穴をぶすぶす開けるよりは面倒だが――、尖塔の壁に穴を開けることも、やってやれないことではない。
あたしはフームスたちを膝の骨に乗っけると、岩から抜いた魔力を与えた。
自分がそのまま吸収してもいいのだが、万が一にでも放出している魔力量に違和感を持たれないようにするためだ。
ひまつぶしと嫌がらせを兼ねて作る脱出口は、けれどあたしたちが使うのは、本当に最後の手段にするつもりなんである。
ま、状況によっちゃ、幻惑狐たちを逃がすのに結界なんかと併用して使うつもりではありますが。
なにせこんな逃げ方ができるような魔術師、そうそういないんですよ。
これを使うと言うことは、ある程度こっちの素性や能力がばれることも覚悟しなければならないのだ。
ああそうだ。
(メリリーニャ。感情を示す演技は抑えた方がいいと思う。あなたの演技はとても上手だ。人間と見分けがつかないくらいだ。けれど、魔力の揺れより大げさな動きは、演技だとばれかねない。そうでなくてもうさんくさくなる。本当に感情が動いてないのに無理はしない方がいい)
そう接触心話で伝えると、黒髪の森精は目を丸くしてあたしを見た。
……やーっぱ、気づいてなかったか。




