フェルウィーバス
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「きれいなおにいさん、ウィキア豆のパーパでよかったら食べていくかい?ついでにそっちの愛想のないおにいさんも」
「いいんですかい?いやあ、ありがたい」
「なに、おまけをしてくれたからお返しさ」
……メリリーニャは、道中めちゃめちゃモテた。
いや、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領内を移動する間、最初からそんなにあたしたちが大歓迎されたわけじゃないのよ。むしろ、不審人物でも見るような目を向けてこなかった人はいないくらいだ。
それも当然だろう。
いろいろな人が流動的に入り混じっているのが当然な都市部と違って、農村部の人間関係ってのは、完全固定制なんだもん。むこうの世界でもお嫁さんが別の村から来たというだけで、あそこの家の人間はやっぱりちょっと変わってる、って三代ぐらいは言われ続ける、ってのはわりとあるあるだったけれども。
どこの世界でも国でも、牧歌的風景とはうらはらに、田舎の空気が排他的だってのはよくあることなんだろう。見た目ののどかさにダマされちゃいけませんぜ旦那(誰だ)。
で、そういう人たちから見れば、見たことのない人間ってえのは、ただそれだけで忌避すべき、めちゃくちゃ異質な存在なんですよ。
だけど、そこにメリリーニャってばあっさりさっくり風穴を開けるんだもん。いや、ほんとすごいわ。
見慣れないってだけで白い目を向けてくる村人たちも、彼が顔を見せて笑顔で挨拶したとたん、ころりと態度が変わるというね。それが男性にも及ぶあたりがなんとも言えん。
いや、確かに森精のご多分に漏れず、メリリーニャの顔もじつはかなり整っている。多少三白眼なところを除けば、繊細な感じの美形なんである。
これまで見たこともない美形が愛想よく笑いかけてくるというのは、生まれてこの方、ほとんど同じメンツの顔しか見たことのない人たちにとっては、絶大なインパクトだったらしい。
老若男女を問わず次々即オチしていく村人たちを見ていると、つくづく美しさってのは、それだけで強い力なんだなあと思う。
そんな目立つメリリーニャと、ついでのあたしが、鄙びた田舎じゃ滅多に訪れることもない行商人のふりをしてるのだ。目をつけられても当然なのかもしれない。
やってきた兵士たちに、ついてこい、と言われたあたしたちは、手早く店仕舞いをすると、彼らに素直に従ったのだが。
その扱いたるや、なんともすごいものだった。
まずはあたしたちが乗れと言われたのが、ザ・荷馬車だったというね。
馬車というか、馬より小さい、プラナアシヌスという動物の牽く荷車なんですよ。これから出荷されんのかあたしらは。
これが俺tsuee系のよくあるお話なら、貴人から寄こされたお迎えの馬車の壮麗さに驚き、どれだけ貴人が主人公を重視しているかとか、車軸やサスペンションがどれだけ整っていないかを描写することで、その世界の技術レベルを示すところなんだろうけど、ねえ。荷車ってなにさ荷車って。
座れと言われたのは、むこうの世界でいうなら、軽トラの荷台より狭くて低い荷台である。
その周囲に、辛うじて粗末な柵がついてるのは、落ちないようにするためか、それとも逃走防止のためか。
当然、幌や屋根なんてものはない。
いや、それはまだいいんだけどさ。
なぜ二輪なのかとあたしは真剣につっこみたくなったよ。
二輪というのは当然のことだけど、四輪より安定がよろしくない。バランス崩せば前か後ろにひっくりかねないのよ。
平安時代の牛車なぞも、たしか轅といったか、動力源をつなぐ前方部分に、榻とかいう台をかませないと安定しないから、乗客が降りることも、牛をはずすこともできなかったはずだ。
ま、そのぶん軽い力で動かしやすいという特徴はあるんだけど。
だけどそれを活かすつもりならさー、車輪をもうちょっとなんとかしようよ。板を組み合わせて円にしたものの周囲に金属の輪を嵌め込んだ、ものすごい重そうなやつとかひどくね?あたしがこれまでこの世界で乗ったことのある馬車だって、スポークぐらいはあったんだけど?
言いたいことはいろいろとあったが、あたしとメリリーニャは、ただひたすら大人しくていた。
荷物を取り上げられそうになった時だけは、借金で揃えた荷なんでお許しをーっという演技で一騒ぎはしたけれど。
だってやたらと兵士のリーダーみたいな人の視線が刺さるんだもん。
腰に佩いた長剣もさることながら、黒っぽい槍――護拳がついてるから辛うじて馬上槍に見えなくもないが――の威圧感がけっこう強いんですよ、彼ら。
ただ黙って揺られていたのは、声帯のないあたしが喋れないのはもちろんのことだが、メリリーニャだって、うっかり口を開いたら舌を噛みそうだというのもあるのだろう。
だけど、あたしたちがこうもおとなしくドナドナされているのには、いくつか理由がある。
その一つは、こういう状況になることも、ある程度は予測していたことにある。
なにせ、この世界には伝書用の鳥がいる。いちおう第一村人発見――じゃないけど、魔術辺境伯領の人に接触し、あたしたちが徒歩で村々を回る行商人の二人連れと認識されてからは、不審がられないぎりぎりの速度を狙って移動し続けてきたし、そのルートだって、重要拠点じゃないっぽい寒村を選んで移動してきたつもりではある。
それでもトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯が、本気でランシアインペトゥルス王国そのものとことを構える気でいるならば、領内に密偵なぞが潜り込んでこないか、警戒しないわけがないのだ。
なので、こちらに目が向いた段階で、今度はあたしたちが囮になることになっている。
囮は、グラミィたち本隊組にあたしたちだけじゃない。ヴィーリも計算には入っている。
闇森にいったん戻ったヴィーリがあたしたちの後を追いかけてくるのは、単に合流するためなのだが、その動きがすでにいい陽動になるというね。
あたしとメリリーニャ、グラミィたち陽動兼本隊組、そしてヴィーリと放出魔力の多い連中がばらばらに動き回ればどうなるか。
答えは、魔術師の魔力感知能力に頼るところ大だという、魔術辺境伯ご自慢の警戒網が、引っかき回されてパンクする、だ。
少なくとも、この状態で、より放出魔力の少ない騎士たちの動きに反応することは難しくなる。
なので、フルーティング城砦からフランマランシア公爵領に送り込まれた人たちの一部が戻ってきた時点で――まあ、彼らがもたらした情報次第ではあるんだけど――、レガトゥスさんが指揮を執り、フルーティング城砦の騎士たちの中でも、斥候や密偵の技術に長けた人たちが、ひそかに魔術辺境伯領へ潜入する手筈になっている。
フルーティング城砦に詰めてる人たちって、一応国の中でも手練れ中の手練れなんですよ。その中でも選りすぐりの人たちが、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領に送り込まれるのだ。
彼らがそのままランシア街道の封鎖網をかいくぐりに行くのか、それともトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領の内情を探るのか、そこまであたしは知らない。てか知ったこっちゃない。
猛獣公ルートの開通はもちろん必要だけど、ランシア街道を魔術辺境伯の一族が封鎖しているのならば、どのような手段で、どこからどこまでの区域を封鎖しているのか、またその周囲の領主たちはその状態をどこまでどう把握し、どのように対応しているのか、情報を集めることももちろん必要なんだろうなーとは思ってるけどね。
そのへんについて詳しくなんて聞きませんとも。ええ。
ランシアインペトゥルス王国への背信の証拠を挙げてやる、いい機会だなんて聞いてませんから。
だけどできれば魔術辺境伯が何考えてるのか、推測できる材料を集めてもらえたらと考えている。
魔術士団の人たちには、ぼろくそに罵倒されていたけれども、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯は、けっして莫迦じゃないだろう。そう、あたしは考えている。
国の防衛機関であるフルーティング城砦に、一貴族でしかない自分の麾下に入れなんて無理難題をふっかけたら、まずまちがいなく王サマの不興を買うことぐらいわかっているはずだ。
それでもやらかしたということは、かなり本気で王都に喧嘩を売る気だということだろう。
しかも、ランシアインペトゥルス王国がスクトゥム帝国に宣戦布告をしたのも同然という、この状態でだ。
ここトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領は、ランシアインペトゥルス王国の最南端にあるんですよ。
つまり、南からスクトゥム帝国が侵攻してきたら、一番最初に先端が開かれるのはここなのだ。
王サマに喧嘩を売っている場合ではないはずなのに、なぜ魔術辺境伯はそんな自殺行為をやらかしたのか。
その理由がまったく読めない。
悩みながらもドナドナと、荷馬車に乗せられたまま、あたしとメリリーニャは領都フェルウィーバスの城門をくぐった。
フェルウィーバスは魔術辺境伯領を通る、ランシア街道に面している都市だ。
フルーティング城砦と王都を何度か行ったり来たりしている関係で、あたしやグラミィも馴染みがないわけではない。
……そういえば、きちんと城壁が、それも魔術で顕界された岩石で構築されたものが築かれた都市をこの世界で見たのは、このフェルウィーバスが最初だったかもしれない。
ま、あたしは馬車の中からしか見たことがないんだけど。
なにせ旅程のせいなのか、それとも何か理由があってのことなのか、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領内で宿泊したり、休息したりしたことがあるのは、フェーリアイという領の端っこにある小さな村だけだ。
グラミィのいた屋敷は、そのフェーリアイからも少し離れたところにあったんだけどね。
……今考えると、グラミィのお屋敷って、魔術辺境伯領の近くにありながらも、その支配を免れるような、ギリギリの場所にあったんだよね。
そんなところにあんな屋敷を建てられるあたり、やっぱりグラミィのガワの人とそのお相手の生活は、王族のかなり手厚い庇護があってのことだったんだろう。
荷馬車が向かったのは、フェルウィーバスの中でも中心部、それも、これまで馬車の中からすら見ることのなかったトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯爵家だった。
尖塔の数こそボヌスヴェルトゥム辺境伯家と同数だが、かなり高い石壁――これも魔術で顕界されたものだろう――が、ずいぶんと威圧的な感じを与える。港湾伯家は港町ということもあり、それほど高い壁はなかったもんな。やっぱり地域色ってあるものだ。
雰囲気が違って見えるのは、あたしたちを取り囲んでいる人たちの髪の毛のせいもあるのかもしれない。
港湾伯家の人たちは、白金から褐色まで個人差はあるものの、かなり明るい色の髪の人ばかりだったもんな。
それに対し、ここにいるのは暗い色の髪の人たちばかり。
とはいえ、メリリーニャのように艶のある漆黒の直毛の人は一人もいない。
一応、レガトゥスさんに調査をお願いをしておいた国内情報によれば、確かにトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯爵は――というか魔術辺境伯領では、国境の外から来る者、そして黒髪の者を好遇で迎えているらしい。
道中おばちゃんたちが教えてくれたように、貴族が、つまりこの領を統治する魔術辺境伯の一族が、相当に気合いの入った黒髪フェチであるなら、メリリーニャはその容貌の美しさだけでなく、髪の毛でも垂涎の的になるだろう。
裏門から荷馬車が入り、降ろされたあたしたちは、そのまま厩舎の側を抜けた。さらに奥にある小さな門を潜らされ、馬場から建物の中に入り、またえんえんと歩かされる。
……てゆーか、いくらなんでも歩きすぎだ。
廊下の天井や壁が、木材石材剥き出しだったり、いいとこざっと漆喰のようなものを塗っただけのものだったのが、いつの間にやら豪奢な装飾が施されたものに変わっている。
階段も上ったような気がするし。
どう考えても裏の、非公式ですませられる場所じゃない。
内心身構えていたあたしとメリリーニャが通されたのは、比較的小さな部屋だった。
といっても、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家にお邪魔した時のことを思えば、これはおそらくかなり上質な部屋だ。応接間扱いといってもいいだろう。
略式謁見の間扱いの大広間より、うちうちの相手を通すのに使われるはずのものだが、荷馬車であたしたちを運び入れといて、これ、か?!
あまりのちぐはぐさに混乱しつつも、あたしたちは入ってきた人たちに雑な、庶民が精一杯に礼儀を取り繕ったような礼をした。
……ええ、相手の出方がわからない以上は、二人連れの行商人という芝居を続けますとも。
「お前たちか。南からやってきた行商人っていうのは」
「さようでございますよ、だんなさまがた」
にっこりと笑みを作るメリリーニャの顔に、彼らはじろじろと目を向けた。
さすがに村のおっちゃんおばちゃんたちのように、メリリーニャの笑顔一発でとろけてくれそうにはない。
「それで、だんなさまがたは、いったい手前どもに何のご用なんでございましょう」
「『この地の者とは異なる色かたち』……ふむ」
言葉を無視して眺め回されれば、さすがのメリリーニャも居心地悪そうに身じろぎした。
森精全般に言えることだが、メリリーニャたちの顔立ちは、この世界の人に比べ、しごくあっさりとしている。
というか、こっちの世界の人たちというのは、顔までたくましいのだ。
肉体労働の割合が多いせいか、この世界の人というのは、エミサリウスさんのような文官タイプの非力な魔術師でさえ、むこうの世界でいう細マッチョにちょっと及ばないくらいの筋肉がついている。
身体同様彫りの深い顔にも筋肉がしっかりついているせいか、見るからに頑丈そうな顎や獅子っ鼻が、なんとも力強く存在を主張している。
しかも、そこにやたらと密生した眉と長い睫毛が乗るので、じつに濃ゆい顔になるんである。
濃いか薄いかというならば、名乗りもせずにひたすらこっちにガンをくれている人たちの顔は、確かにこれまで見てきたこの世界の人の中では、かなり薄い部類になるだろう。濃ゆい顔に平たい顔の造作が混じりきらない感じというか。
だけど、メリリーニャと比べるとはっきりわかるんだよね。あっさりと薄いってのは違うってことが。
「だが『顔で判断するな』ともある。おい」
「は」
「なにするんですかい!」
兵士たちがぐいと腕を伸ばしてきたのに、メリリーニャは、抗議の声を上げた。
「乱暴はなさらないでくださいよ。なにをせよとおっしゃっていただければ小間物なぞもお出ししますんで」
「ふむ。お前たちが持ってきたというものにも興味はあるが、まずは確かめるが先だ」
何をだよ。
「布を解け。髪を見せろ」
……なるほど。黒髪フェチの本領発揮ってわけか。
「はあ。見せろとおっしゃるならお見せしますがね」
ぶつぶついう演技でメリリーニャはしぶしぶと布を取ってみせた。あたしもだ。
とたんに、視線の湿度と温度が急上昇した。
「ほお。生粋の黒に見えるな。目も黒いのか」
穴が開きそうなほど粘っこい目で凝視されるのは、気持ちのいいもんじゃない。
メリリーニャも気色悪そうなのは演技ばっかりじゃないと思う。
「南から来たと言うが、スクトゥムにゆかりのものか?」
「祖先はそうらしいとは。詳しい事はよく知りませんで」
「そっちの方も黒髪だが、目はどうだ……うわ」
あたしにぶしつけに手を掛けてこようとした男に、幻惑狐たちが牙を剥いて唸った。
いいタイミングである。
できのいいナイガな仮面をかぶってるとはいえ、魔力知覚のある人間に近寄られるのはさすがにまずい。
「しつけのなっとらん獣だな!」
男は舌打ちをしたが、自己紹介ですかいそれは。
「あのですね、さっきっからなんなんですかい。だんなさまがた。目玉が青かろうが黒かろうが、アタシらの髪が黒かろうが白かろうが、染めてあろうがなかろうが、差し支えでもあるんですかね?!」
「非礼は承知。だが許せ」
軽くキレた演技のメリリーニャに、彼らの頭株らしい人物が前に出てきた。見るからに上等な布を使った衣服が……見事なくらい似合わねー顔だちだな……。
トルクプッパさんに教えてもらったことだけど、布地一つとっても織柄や刺繍で格というのが決まってくる。
もちろん、貴族というのはその身分に応じた格の布地で服を作る。
その伝でいうなら、これだけ手の込んだ織りに加え、全面に刺繍を散らした華やかな服である以上、目の前にいるのは、このトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家の中でもかなりの上位者ということになる。
が、いかんせん、濃ゆい顔なら似合いそうな服の上にてんとのっかっているのが、一重まぶたにぽやぽや眉の、どうにも薄い顔だちなせいで、なんとも借り着を無理矢理着せられているようにしか見えないというね。
「確かめるとおっしゃってましたが、何を確かめようと?」
「お前たちが空から落ちてきた者かどうかをだ」
「そ、空から?ご冗談を。アタシらは鳥ではござんせんよ?」
思いっきり驚いた表情を作ったメリリーニャが否定しても、じっとりした視線の湿度は変わらない。
「これはお前たちが持ち込んだものだと聞いている」
ぐいと突き出されたのは、確かに、あたしたちが行商人のふりをしているとき、小間物にサービスとしてつけたものだ。
小さな布のボタンである。
スクトゥム帝国でナイガと名乗ってうろうろしてた時にも、ボタンは意外と重宝がられた。なにより小さくてかさばらないのがいい。
とはいえ、今むこうが持ち出してきたのは、スクトゥムの時のように魔術でひねり出したやつじゃない。魔術師に目を付けられる要素を減らそうってこともあって、クラーワヴェラーレから買い込んだものだ。
クラーワ地方にもボタンはこれまでなかったそうなのだが、ククムさんにボタンについて説明したら、フルーティング城砦に持ち込んできたんだよね。
しかも、布でできたものを。
クラーワ地方では額帯のように、目の詰んだ幅の狭い織物を織る技術が高い。
そこで、短く切った細い織帯を真四角に縫い畳んだものを作り、実際に使ってみたんだそうな。
マントのように身につける、大きな毛織の布の端に、留めピンやブローチの代わりに縫いつけてみたらしい。
ボタンを着けたのと反対側の端に布や糸で作ったループを縫い付け、そこにボタンをかけると、ぴったりとずれず、まことにぐあいがいい。留めピンのように外れたり、力がかかって針が歪み、着用者を傷つける心配もない。
クラーワヴェラーレの王であるアエノバルバスに献上して使ってもらったところ、けっこうな勢いで広がり続けていると聞いて驚いたものだ。
もちろん、この世界の技術でむこうの世界基準のボタンを作ることも、けっして不可能ではないだろう。ただ量産不能ってだけのことで。
小さい木片などに、ホッチキスの針状に曲げた針金を打ち込むだけというタイプなら、比較的簡単に作れなくもないが、それだけ細く金属を加工するのはこれまたけっこうな手間になる。手間はお値段に直結するのだ。
動物の角とか貝とかで作ろうにも、まずは素材集めから始めなければならないし、なにより加工には手間がかかる。完全手作業なんですよこれ。
もちろん、織帯ボタンだって手間がかからないわけじゃない。
ただ、動物の角などに比べて素材が入手しやすく、加工もしやすく量産が容易という利点があるというだけで。
そんな諸事情を考え合わせて、あたしは織帯ボタンをありがたく使わせてもらうことにした。
なにより、こっちの世界由来成分が多い方が、星屑たちへの目くらましにもなるし!
……まさかこんなふうに、想定外の人間が釣れるたぁ思っちゃいなかったけれども。
「下手に隠さずともよいぞ」
声の方を振り向けば、白髪交じりの赤褐色の髪の老人が応接間に入ってくるところだった。
いや、あんただれよ。
「これは父上」
父上?!
……言われてみれば、さっきまであたしたちに対峙していた男性を白髪にして、でっぷり太らせたらよく似ているかもしれん。
座を譲られた老人は、腹を揺らしてあたしたちを見下した。メリリーニャより背丈が低いくせに。
「『ボタン』とか言ったか。あれは、これまでこの世にはなかったものだ。この世の外から来た者でなくば、作ることなど思いも及ぶまい」
それはたしかにそうなんだけど。
だから違いますってとメリリーニャが否定の身振りをしているのには目もくれないあたり、……こーれは欲で目が眩んでんな。
自分に都合の悪い現実は、都合のいい真実を覆い隠す嘘にしか見えていないのだろう。
「しかも黒髪だ」
「黒髪、黒髪って。……黒髪だったらどうだとおっしゃるんで?」
「わたしのもとへ来い。行商なぞとは比べものにならんくらしをさせてやる」
「あ~……」
メリリーニャはがしがしと頭をかき回してみせた。
「……失礼ですが、だんなさまはどのようなお方なのでございましょう?」
「わたしはフェネクス・ランシキャビアムという。――このトゥルポールトリデンタムを統べる魔術辺境伯だ」
……まさか、いきなり親玉が釣れるたぁ思ってなかったな。




