表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
229/372

得難きつながり

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 ちょっと想像してもらいたい。

 森から一枚の葉、一本の枝を持ち出したところを。


 たとえ葉や枝を持ち出されても、森は森のままである。

 そして、葉や枝は樹の一部――森の一部であった樹の、さらに部分的構成要素のままだ。

 しかし、たとえ同じように人の手に持ち出されたものであっても、樹の幹だったらどうだろう?

 伐採され、枝を落とし、皮を剥がし、板や角材に加工されたものは、それでも森の一部であるのだろうか?


 ヴィーリの説明によれば、メリリーニャはかつてスクトゥム地方からやってきた森の末裔なのだという。

 彼の祖が闇森へ差し向けられた後、祖の森との連絡が途絶えた。森が消滅したのだ。

 それが、樹の魔物たちがすべて焼き尽くされるような野火のせいか、それとも祖の森に属する森精が何者かに鏖殺(みなごろしに)されたためか、そこまではわからない。

 わかっているのは、森を喪ったメリリーニャの祖は闇森に留まり、その裔は闇森にわずかに残ったということだけだ。

 その祖の持つ役職のままに、外部との交流を行う存在として、森から半ば切り取られたものとして。

 

 メリリーニャの正式名称、メリディエースリーニャとは、『南から来た材木』を意味する。

 かつて南からやってきたもの、闇森に所属はしていても、生粋の闇森の同胞ではないもの。

 かつて森の一部ではあったが、人の手にかかり、森の一部ではなくなった、樹木としてはすでに死んでいるもの。彼の名にはそういう意味がある。

 

 名づけられ、同胞であるはずの森精たちから精神的に切り離された南の末裔に与えられたのは、闇森の外、特に人間との交流を保つ役割だった。

 基本的に、森精たちが人と交わることはめったにないといわれている。それこそ落ちし星(異世界人)が関わってもいない限りは。

 だが、たとえ半ば神話の中の存在として実在が疑われてはいても、人間が森精の存在を否定することはなく、森精の存在を否定的に捕らえることもない。少なくともあたしは見た事がない。

 それもメリリーニャのような存在によって、わずかながらも細々と人間の一部と森精のコンタクトが取られ続けていたからだと考えれば納得がいく。

 闇森の人的バックドアとして機能していた彼ら、メリリーニャの祖たちは、しかし、同族である森精から嫌忌される存在であった。


 その理由は理解できなくもない。異質な集団との接触というのは、さまざまな危険があるからだ。

 これ、単純に敵意を持った相手に害される可能性があるってだけじゃないのだよ。

 あたしも以前闇森で一席ぶったことがあるが、集団同士の接触というのは、まず病理的にも危険だ。

 たとえ健康な者同士の接触であっても、片方の生存地域になんらかの病原体が存在し、そこに住む集団が長年の病原体との共存により免疫を獲得していたから健康だって可能性もあるのだ。その場合、免疫のない集団と接触したことで病原体も感染してしまい、相手が壊滅的な打撃を受けるってことだってありうる。

 

 問題は、それと同じようなことが、森精と人間との間では、意識的な意味合いでもありうるということだったりする。

 集団自我を持つ森精たちと、あくまで個人単位でしかない自我の上に組織という枠組を置く人間たちというのは、たとえ、もとが同じサル系魔物から進化してきた近縁種であるといっても、やはりまったく異なる存在なのだ。

 森精にしてみれば、人間というのは、下手をすれば勝手に名づけによって、しかも悪気なくこちらの自我を切り分けにかかる相手と見えるだろうし、人間にしてみれば、森精というのは自分個人ではない、何か別のものを見ているとしか思えない相手だろう。

 だからこそ、森精は人間たちと深く接触すればするほど危険だと判断し、人間と接触するための門戸を決めて、その戸口を内側から名づけることで切り分けたんじゃなかろうか。たとえ精神的な汚染を受けたとしても、そこで食い止め、あるいは汚染された自身の一部を切り離せるようにするためだ。

 より多くの森精たちを守り、森を維持するための安全管理というなら、それはけして間違いとはいいきれないのだろう。

 ただ、ドアに使われた材木には血が通い、切り分けられたことに痛みを感じていたというだけのことで。


 ヴィーリもある意味ではメリリーニャと同じ存在といえる。

 森精であり、外界との接触者であり、行動をともとするほど、あたしたち、落ちし星というこの世界の異物と深く入り混じった者。そして交渉のための名を持つ者。

その彼だって言っていたじゃないか。『枝変わりはしてきた』と。

 つまり、いつでも切り捨てられることのできる存在となったからこそ、森の外に出てきたのだと。

 

 一方、闇森からクラーワ地方に飛んだ森精たちはというと、個人と個人という接触のしかたはしていないようにあたしには見えた。

 (まじな)()たちは、彼らをすべからく『いと高き梢の御方』と呼んだ。

 最初あたしはこの呼び方を、ランシアインペトゥルスなどでヴィーリに向けられていた『星詠みの旅人の方』『森の星詠みの方』というのと同じ、森精に対する尊称なのだと思っていた。

 たぶんそのとおりではあるのだろうが、それだけじゃない。


 複数の森精たちと同行することでようやく見えてきたことだが、彼らは、なんというか、相互互換可能な存在なのだ。

 例えば、ミーディムマレウスで星屑たちの残党を駆逐している森精AとBとC。彼らは、アルヴィタージガベルからサルウェワレーに飛んだ森精DとEとFと、誰がどのように入れ替わっても、問題なく行動するだろう。彼らがしていることは分業に見えるかもしれないが、すべて統一されている作業にすぎないのだ。

 そして、彼らが受け入れる尊称はどこまでいっても森精全体に対するものであり、だれか一人を特定個人として切り出すものではない。

 ……ひょっとして、闇森の森精たちの髪の色が似たような白金から金のグラデーションであり、しかも緑や茶の模様に染められていたのは、彼らの髪を木漏れ日に見せる迷彩ってだけでなく、個体差すら見分ける事ができないようにするためのものなんだろうか?

 

 そこまで考えて、あたしはほんのり怖くなった。

 闇森に入り込んだあたしやグラミィ(異物)に、森精たちがどんな目を向けてきたか思い出せば、メリリーニャがいかに必要不可欠な役割を担い――それが本人の意志によるものとは、どうしても思えないのだが――、どんなに努力をして最高の結果を出し続けていたとしても、いやむしろだからこそ、彼が彼であるというだけで、他の森精たちからどんな扱いを受けてきたのだろうかと。

 むこうの世界でもよくいたものだ。必要不可欠の職種であろうと、それに就いている人を意味もなく蔑み、偏見を持ち、無駄に攻撃する人間というやつは。


(わたしはかまわない。ともに行こう)


 同行を承諾すると、二人はほっとしたようだった。

 

 正直、メリリーニャの同行をあたしの独断で決めることに、迷いがなかったとはいえない。

 だけど、どうにもあたしはメリリーニャを放っておくことはできなかった。

 切り捨てられるものとして扱われることが、どんなに悲しいか。所属する集団に仲間意識や愛着が強ければ強いほど、それが憎悪に反転してしまうほど、ダメージがでかくなると知っていたから。

 それに、ヴィーリは森から離れてしまった森精を助けることが多い。あたしに同行するという任務を、半身たる樹の魔物たちに代行させてまで、ペルを助けに行ったように、メリリーニャを助けるためなら、何をするかわからないところがあるからなー。

 それに、たぶん、メリリーニャが同行しても、誰も何も言わないんじゃないかなという気がしている。

 なにせ、森精はこの世界の人間にとっては全肯定すべき存在なのだ。むしろランシアインペトゥルス王国的には味方してくれる森精が増えたととって、喜ぶ人さえ出てくる気がする。

 本当はまっっったくそんなことはないんだけど。誤解って幸せだね。誤解してる人の頭の中だけですが。

 

 もちろん、あたしにもメリリーニャを同行させるメリットがないわけじゃない。

 彼はかなりの凄腕だと思う。特に密偵として。

 おそらくは森精であると明かさずに、人間の中に入りこみ、情報を集めたりすることも多かったんじゃないかと思うのだが、彼の表情筋は森精とは思えぬくらいに柔軟だ。

 人間が森精と認識するような気配の静けさや淡い表情を保ったり、森精独特の言い回しをしたりすることはもちろん、人間くさい演技もうまい。口悪く人間の悪態をつくのもお手の物。

 道中トルクプッパさんとなんだかんだ会話していたせいで、古語めいて雅やかだった語彙も、あっという間に今風のものになっていた。

 これはトルクプッパさんも密偵であるからなんだろう。変装でいろんな層の老若男女に化けるならば、もちろん仕草や符牒といったものは仕込んであるはずだ。

 いや、男性恐怖症の気味のあるトルクプッパさんを警戒させないように、会話できてたってだけでも、メリリーニャの対人能力は十分すごいもんだと思う。

 まあ、微妙に表情と魔力の動きが合ってないこともあるんだが、それはよほど目のいい魔術師や呪い師でもないかぎり気づかない事だろう。

 いや、ほら、人間の知覚って視覚偏重型だから。

 

 しかし、名前か。


 ちょこちょこと足元に寄ってきたフームスを抱き上げ、あたしは考え込んだ。

 

何方より(何を)いかなる風の吹く(気にしている)?)

(名づけたものたちについて)

 

 あたしはヴィーリを始め森精の数人と、意思の通じる魔物には、名前を与えて結びつきを作ってきた。

 ヴィーリもそうだが基本的に、あたしが名前を与えたのは、求められた相手にだけだ。

 だけど、名前には力がある。名づけたあたしが相手に行動を強制し、誓約を強化する力もある。

 グリグんなんざは最初あたしたちを餌だと思って襲ってきてたからねー、服従させるために名づけたのは否定しない。

 もちろん、あたしが悪用する気は――今のところ、あんまり、という限定はつけるが――ない。むしろ彼らとのつながりとして捉えているし。

 とはいえ、あたしが名前を与えることが、彼らに悪影響を及ぼさないという保証はないわけで。

 そもそも、ヴィーリは、メリリーニャは、森精たちは魔物に名づけないんでしょう?


(火は火であり、水は水。とりたてて異名を与える意味をわたし/われわれは確かにもたない)


 だろうね。森精たちにとって、世界はかくあるものだ。個体であれ、群体であれ、相手のあり方をあるがままに受け止める。


(だが、星が名を与えることには意味がある。星と翼、星と樹、星と水、星と地、星と炎を互いにつなぎ止める力になる。止める力を得られた以上、それらは守りになるだろう)


 グリグんが、ラームスが、コールナーが、幻惑狐(アパトウルペース)たちが、ヴェスが、あたしたちの守り(抑止力)になってくれると?


(双極の星は昼夜の訪れ(均衡)を知る。無闇に濫用することはあるまい?)

 

 それはもちろん。

 ……そのくらいには、信用してもらえてるのか。ヴィーリは、信用するに足ると思ってくれてるのか。このあたしを。

 小さく丸い頭を撫でると、フームスはきゅうと鳴いて目を細めた。


 翌朝、あたしたちはクラーワヴェラーレへと向かった。

 赤毛熊(ルブルムルシ)の氏族の本拠地であるメテオラで、クラーワヴェラーレを通り抜けさせてもらったお礼をさくっと伝えた後、あたしたちはそのまま天空の円環を越えてフルーティング城砦へと戻る予定である。

 なにせ今回のサルウェワレー行き、もともとが非公式なものなので、これ以上おおごとにする気はない。


 ――そんな気はなかったんですよ、最初から!星屑たち大繁殖だったせいで、闇森の森精たちまで引っ張り出す羽目になったのは、想・定・外!なんですよ!

 ああそれなのに、フルーティング城砦に戻ったらいろいろお仕事が待ち構えてる予感。


〔おおむねボニーさんの自業自得、というか自作自演じゃないかと〕


 横目でグラミィがちゃちゃを入れてきた。

 やかましい、あたしが自作自演なら、あんたは助演女優兼助監督でしょうが。


〔助演女優兼助監督?!〕


 意訳:あんたも道連れ。


〔そんなー……〕


 がっくりしたグラミィの前から、笑顔のククムさんが振り返った。


「今後ともシルウェステル師には誠実なお取引をいたしたいものです」

「『こちらこそお願いいたそう、ククムどの』」

 

 うん、今回のことでククムさんの実力はよくわかった。

 幻惑狐の氏族つながりで、クラーワ地方全土でそれなりの影響力を持っているってことは、帰還しがてら各国に星屑たちへの警戒を呼びかけてたことでもよくわかった。しかもミーディムマレウスはウクソラさんの手中の物になりそうだしねえ。

 友好関係は維持どころか強化しておくべきでしょうよ。そのために、どっかで無理をしなければならないのなら、できる範囲ですが、しますとも。もちろん。

 幸いというか、幻惑狐の氏族の国是ならぬ族是のうち、血を流さず流させないという部分はあたしの行動方針とも似通っているし。

 血を混ぜること、というのはさすがにできませんが。あたしゃ骨ですから。


「カルクスには無事と伝わるよう、昨日のうちに鳥を願っておきました!」

 

 シクルスとラテルさんも上機嫌だ。

 あんたらそんなに故郷(じっか)が恋しいんかい。……恋しいんだろうな。


〔ボニーさん、伝書鳥って非常用ですよね?〕


 グラミィがこっそり心話で訊いてきたが、そのとおりだ。

 どうやらこの世界の伝書鳥というのは、むこうの世界の伝書鳩同様に帰巣本能を利用することで特定の場所に飛ばせるものらしい。

 つまり、一方通行なんですよ。

 送り先では戻ってきた伝書鳥を捕まえて、またえっちらおっちら預け先に持ってかないといけないというね。

 しかも、伝書鳥は一羽飛ばしてはい終わりというものではない。方向音痴だったり、飛ぶのが下手な伝書鳥というのもいる。しかもこのへんは闇森からかなり離れているとはいえ、グリグんみたいな猛禽類のたぐいだっている。伝書の重要性に見合うだけの数の鳥をその都度飛ばしてるとしたら、かなりのコストがかかってるはずだ。

 まあ、商売をなりわいとする幻惑狐の氏族にとって情報は武器だ。そういう意味では非常用の閾値が下がっていてもおかしかない。でもここまできて無事だったという知らせを送るって、逆に深読みされたらそこまでなにかあったと心配させることになるんじゃないかと思うんだけど。


 そのあたしの心配は、半分外れて、半分当たった。

 クラーワヴェラーレに入り、赤毛熊の氏族の本拠地、メテオラに近づいたあたりで、あたしたちの前に立ち塞がった者たちがいたのだ。

 呪い師たちである。

 

「シルウェステルさま、よくぞ御無事でお戻りになられましたこと、お慶び申し上げます」

「どけ」

 

 うだくだとさらに何かを言おうとしていた白髪の呪い師を押しのけて出てきた男の子が、あたしをじろりと睨み上げた。


「遅い。だが許してやる。俺にすべて教えろ」


 ……はァ?!


 あたしとグラミィは思わずシクルスを見た。

 頭がはずれて飛んでいきそうなほど、彼がぶんぶんと勢いよく首を振りだしたのは、自分の責任じゃないって言いたいらしいが……どういうことだこれ。


「クラーワヴェラーレの呪い師の皆様にお尋ねいたします。この無礼な子どもは、わたくしの記憶違いでなければシルウェステルさまの杖を盗もうとした罪人のはずですが。なぜこのようなところに連れてこられたのですか」


 トルクプッパさんが冷たい声で聞くと、呪い師たちは戸惑ったように顔を見合わせた。


「シクルスどのからは、寛大にもシルウェステルさまが罪人を咎めず、あえて育て直すようおっしゃったことを、方々がその罪人を弟子に取ると曲解なされたとうかがいました。が、それについてはすでに誤解は解け、またアルヴィタージガベルの四脚鷲(クワトルグリュプス)からも裁定が下っております。もしや、それもご存じないと?」


 その場にいた全員の視線がシクルスに集中した。


「……えーそのー、帰ってからゆっくりそのことについては誤解を解くつもりでしたので……伝えておりませんでした。申し訳ございません」

 

 いやそれ、一番伝えなきゃならんことでしょうが。

 てかつまり、この呪い師たちは、ラテルさんの鳥便での伝言をどっかからかっさらってきて、あたしたちが戻ってくるって情報を得て、この場に来ただけだってえの?

 アホか。


「納得がいかない」


 あたしたちが心底あきれかえっていると、口をへの字に曲げてまた男の子が前に出てきた。


「弟子に取る気がない?!この俺のどこが劣っているというのだ」


 知りたいと。

 ……へえ。


〔ボニーさん〕


 止めんなよ、グラミィ?


〔止めませんよ。あたしもだいぶこの子にはうんざりしてますから〕


 んじゃ、よろしく。


「『盗人をなぜ弟子に迎えねばならん?』」

「俺を盗人にしたのはお前だ!おとなしく杖をよこせばよかっただけだろう!」

「『杖に拒まれて、それでまだそのような世迷い言を申すか』」


 ぺちっとはねのけた上で、あたしはざっくり切り込んだ。


「『そもそも、納得がいかないというが、なぜわたしが、そなたを、納得させねばならんのだ?』」


 なんでか知らんが、クラーワヴェラーレの呪い師たちが、この子をやたらとちやほや持ち上げ、甘く扱ってるのは、なんとなくわかる、伝わってくるものがある。

 だけどさ。


「『そなたのどこに、見るべき価値があるとでも?他の呪い師よりいったいどこが優れているとでも?』」


 こんだけぺしゃんこに叩き潰すような言い方をすれば、さすがに潰れると思った。

 だが男の子は朱の差した顔であたしとグラミィを睨み上げた。


「俺はそこらへんの呪い師とは違う。価値ならある」


 へえ?


「詠唱せずとも火や水を召喚できる」


 無詠唱ねえ。それだけ?

 

「杖がなくても水を召び出すことができる」


 はいはい。それから?


「俺は、死を踏み越えてきた。命の果てを見てきた!こんな呪い師どもにはできないことだ、俺は特別なんだ!」


 その途端、トルクプッパさんがすごい勢いで横を向いて口を押さえ、ククムさんが小さく噴いた。

 一番反応がすごかったのはメリリーニャだ。けらけら笑うんだもん。妖精というより妖魔っぽいですよその感じ。


「なにがおかしい!」

「お前の戯言(たわごと)がだ」


 盗人の激昂を止めたのは、彼らの背後から聞こえた太い声だった。

 眼窩を向ければ、赤毛熊の氏族が若長、アエノバルバスが、そこに数人を従えて立っていた。

 

「シルウェステル・ランシピウスどの。またそのお連れの方々、無事のお戻り、祝着至極に存ずる」

「『これはご丁寧にありがとうございます、アエノバルバスどの。わざわざお出迎えいただくとはまこと恐縮に存じます。ご挨拶にも伺わず、さそくで申し訳ないのですが、アエノバルバスどのには、こちらの呪い師の方々との立ち会いを願えないでしょうか』」

「よろこんで。場をお変えになりましょうか?」


 ひーふーの……こんだけの人数となると、ちょいテントとかでも難しいか。


「『いや、それには及びませぬ』」


 あたしは結界を立てた。要は目隠しと中の音が聞こえなければいいんですよ。

 一瞬で周囲が磨りガラスのドームに入ったようになると、呪い師たちと随従たちは息を呑んで固まり、アエノバルバスはちょっと目を見開いた。


「さすがですな」


 動じないあたりはさすがクラーワヴェラーレの王の貫禄といったところか。


 では、改めてクソガキ叩きと参りましょうか。

 いい加減、あたしもバカにはうんざりだ。


「『では改めて訊こうか、そこの盗人』」

「俺はマルスだ!」

「『今の今まで名乗りもせぬ、愚か者の名なぞ必要はない。覚える価値もないからな』」

「なんだと」


 ばっさり切ったら今度は真っ赤になったが、相手になどしてやんない。


「『わたしは自らおごり高ぶる者が一番嫌いだ。杖がなくても、火や水を顕界することができる?』」

 

あたしはグラミィにラームスたちを預かってもらうと、ちょいと石でテーブルを顕界した。

 

「『無詠唱で火や水が呼べる?』」


 グラミィに頷いてみせれば、お茶会術式で茶の準備をしてみせた。茶器をうにうにと顕界し、虚空に炎で編み上げたパイプから熱湯を注いでみせれば、真っ赤になった顔がうっすら青くなった。

 遅いっつーの。あたしゃ結界の段階で無詠唱は見せてるんですよ。

 

「この程度はわたくしにもできますがの?」


 そううそぶいてグラミィがアエノバルバスとククムさんに茶をさしだせば、青くなっていた呪い師たちが、うろたえたように囁き合った。

 いや、あたしが彼らに目を付けられたのは、幻惑狐の氏族に水をたっぷり提供しちゃったからだったんだけどねえ?

 だったら、それ以上のことができても当然でしょうに。


「『そもそもが、クラーワヴェラーレの呪い師たちにそなたのような盗人を育て直すよう求めたのは、呪い師の方々に責を取っていただくためであって、そなたのためではない』」


 ええ、後腐れなくばっさりと殺っちまって、臭い物に蓋とばかりに問題解決終了、なんてさせないためですよ。ぶっちゃけ育て損なった呪い師たちへの罰なんです。

 あんたの素質がどうこうなんて、まったく、ぜんっぜん、欠片も、興味がないんです。

 御理解いただけましたかね、泥棒さん?

 

 尖らせた言葉に毒を塗りながら、あたしは呪い師たちの様子を見ていた。

 そう、あたしがざくざく言葉の棘を刺しまくっているのは、彼らに対する釘のつもりでもある。

 クラーワの呪い師たちは、時にランシアインペトゥルスの魔術師よりも傲慢だ。

 一度ひいたのは、無知ゆえ彼らの職権を侵したという引け目があったからのこと。

 けれど二度目は容赦しない。

 一度死んだことを誇りにするというならなおさらだ。

 

「『そなたのような幼子が命の果てを見てきただと?ならば、このわたしを見れば、いったいいかなる者かわからぬわけがあるまい?』」


 あたしは仮面を外した。剥き出しになった頭蓋骨に、泥棒が、そして呪い師たちが息を呑み、後ずさった。 


「『死を乗り越えてきただと?愚か者めが』」


 話の端々から判断するに、彼は臨死体験をしたことがあるのだろう。

 死にかけるというのは確かに特別な体験だろうさ。だけど特別な体験をしたからといって、その人間の価値が上がるかというと、そういうわけじゃない。

 自分の体験から何を得たのかこそが、その人間を形成し、価値を高めるものだと思うんだけどな。


「『わたしはこのような身になり果てた時から、詠唱などしたことはない。おのが力に誇りを持つのもよかろうが、虚勢は実をも滅する。ましてや他人の杖に執着して奪わんとし、おのがわざを磨くも忘れ、他者の知識に寄りかかっての増上慢などもってのほかだ』とのことにございます。師は寛容な方ではございますが敵には厳しく、味方の顔で近づく小人(しょうじん)の思い上がりを許すほど(あも)うはございませぬぞ」

〔人の威を借りるってた~のしぃ!〕

 

 ほどほどにね、グラミィ。

  

「『クラーワヴェラーレの呪い師たちよ。二度目はないと伝えた通りだ』」


 あたしは放出魔力(マナ)をずんと増やした。ただし、呪い師たちしか巻き込む気はない。

 とことん魔力で威圧し、これ以上すかぽんたんなことをやらかさないようにしばいておくのは、彼らだけで十分です。


「お、お待ちください!」


 だが、ひっくり返った声とともに、白目を剥きかけた男の子の前に滑り出てきた者がいた。なぜか髪の毛が一部ちりちりに焼けているんだけど。どしたのかしらん。


「何者だ」

絶壁(スコプルス)(オウィス)の者、サクスムのパストルと申しますです!どうか、どうか、この阿呆の命をお許しください、偉大な骸骨様!」

 

 が、骸骨様……。いやまあ骨だってことは自覚してますけど。


〔また新しい呼び名ができましたねー〕


 グラミィの心話が聞こえるわけもなく、牧者の恰好をした青年は必死の形相で這いつくばった。

 

「こんな愚かもんでも、岩崩れにも生き延びた(ルーペ)(サクニクル)(スレプス)の忘れ形見でございます。我が母の母の弟の娘の娘と、我が父の母の母の妹の息子の息子との子でございますです!どうかどうかお許しを、この身に免じましてなんとかお許しを!」


(ほね)


 フームスの伝えてくれたものに、あたしはしばらく固まっていた。傍から見れば青年を注視していたように見えたかもしれない。

 この牧人は、泥棒の子を抑えていて、火球をぶつけられていた。髪が焦げているのはその名残だった。

 それでも、泥棒の子を庇うのか。そこまでして、血のつながった者を守ろうとするのか。

 

〔……ボニーさん、どうします?〕


 どうするって、まずは訊いてみるしかないだろう。


「『サクスムのパストルとか申したな。場をわきまえもせず乱入せし者よ』」

「は、い、さようですます!」

「『この身に免じまして、か。勇敢ではあるが、時に勇者は無謀なる愚者の別名ともなる。そなたが代わりに罰を受けよ、と申したらどうする気だ』」

「そ、」


 近々と顔をのぞきこめば、震えながら牧人は二度三度と唾を飲み込んだ。


「それでもかまいますまい。このちびは、一家の生き残り、それも末子でございます。骸骨様の手にかかるはあまりに不憫でございますです。どうか、どうか、お慈悲を」

「『なるほど。……得難いものだな。血のつながりというものは』」

 

 あたしは放出魔力を元に戻した。

 なんだか、毒気が抜けきってしまった。これ以上悪役やんのもやーめた、って気分ですよ。


「『惜しいな。そうは思われませぬかな、アエノバルバスどの?』」

「何が、でございますかな」

「『この者に魔術師の素質がないのがですよ。あの慮外者などより、よほど見るべきところがありそうではないですかな?』」

「なるほど。ですがシルウェステルどのに、クラーワヴェラーレの者を連れて行かれるのは困ります」

「『そのつもりはございません。仮にわたしがこの勇気ある牧人を連れ去ったとしても、あの愚か者がその身を乞うとは思えませぬが』」


 おずおずと青年が目を上げた。泥棒の子は、目を開けたまま気絶していた。

 

「『パストルよ、勇気ある牧人よ。そなたに免じて、盗人の命を預けよう。ただし、二度はないと、わたしはクラーワヴェラーレの呪い師の方々に伝えた。すでにないところに三度目を望む事があらば、そなたの勇も無為となる。心するがいい』」

「あ、ありがとうございます!」


 また平蜘蛛のように這いつくばった青年から、ゆるりとあたしは眼窩を動かした。

  

「『また、クラーワヴェラーレの呪い師の方々にも願う。再三申し上げるが、わたしは弟子を取る気はない。クラーワの民人ならばなおのことだ』」

「このような不始末は犯さぬよう、教え込みます」

「『それができぬからこの始末なのでしょう?』」


 そういうと、さすがにむかっとしたのだろう、魔力が憤懣を帯びた。

 が、あたしゃ嫌みを言いっぱなしになんかしませんて。言葉も棘じゃきかないってんなら、ちゃんとぶっとい釘を刺したげますとも。


「『二度と、我々を、ランシアインペトゥルスを煩わせないでいただこう』」

「とは、具体的に、どのようなことをお求めになるのですか」

「『さよう』」

 

 アエノバルバスの問いに、あたしはしばらく考えた。


「『わたしに二度と顔を見せないでいただきましょう。その盗人の顔だけではない。そなたら、呪い師の方々も』」

「そんな!」

「それでは方々がクラーワヴェラーレにおいでの間、我々はろくに出歩くこともできなくなるではありませんか!」

「われらなくば、クラーワヴェラーレの水利はどうなるとお思いで?」

「む」


 アエノバルバスが銅色の顎髭を撫ぜたが、ちゃんとそのくらいのことは考えてありますとも。

 

「『他の国の呪い師の方々へ頼むが良かろうかと』」


 ええ。森精たちにくっついて、呪い師たちがクラーワ地方のあちこちに散ってるんですから。

 使える者はなんでも使うべきでしょうよ。

 それでクラーワヴェラーレの呪い師たちの権威が崩れる?どーぞどーぞ。むしろ喜んでーってなもんですよ。


「『此度の事で、各国の方々と知己をえましたゆえ、わたしも多少の力を貸しましょう。このことは、こちらのいと高き梢のお二方の前で誓約してもかまいませぬが、如何(いかん)?』」

 

 そういうと、青ざめた呪い師たちは、平たく岩苔のようにはいつくばった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ