陥穽はしかけるならば二重三重に
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
予定通りと言うべきか。
ジェイダイトは一見普通の集落のまんま、とんでもなく強固な砦となった。それも情報戦特化型の。
それは、ミーディムマレウスの、いや、クラーワの呪い師たちが、じつに足軽く動いてくれたおかげだろう。
ジェイダイトにいた呪い師、エレクティさんとフィディリスさんがどういう伝手や連絡手段を持っていたのかまでは知らない。けれどほんの数日後には、隣国であるアルヴィタージガベルやスブテラバクルスの呪い師すら、なぜかぞろぞろやってきたというね。
よくまあこんなにいたのかと思うほどの呪い師たちが、ジェイダイトを訪れ、そしてまた通りすがりのような顔をして去っていった手際の良さには、あたしも下顎骨あんぐりですよ。
いや、もともとミーディムマレウスの呪い師は、他国へもよく足を伸ばしていたのは知ってた。単氏族国家であるサルウェワレーとの関係なぞがいい例だ。
このへんは、おそらくミーディムマレウスの――いや、クラーワ地方全体に言えることかもしれないが――国における呪い師の位置づけと、ランシアインペトゥルスの魔術師のそれとの違いなんだろうな。
ランシアでは、わりと魔術師はがちがちに管理されてる。おそらくは、もともとが魔力暴発の危険性を制御するためにいろんな制度が確立されてきたんじゃないかと思われる背景、魔術という技術やそれを扱う人材が流出することで、何らかの問題が起きることへの懸念があるのだろう。ある意味危険物扱いだったわけだ。
愛しのマイボディこと、生前のシルウェステルさんがスクトゥム帝国まで出かけてったのは、かなり例外的な感じがする。糾問使団が魔術師で固められたのも、非魔術師だと危険だろうって推測がもとになってのことだったしなあ。
それに対し、ミーディムマレウスにとって呪い師は、なんというか、保護対象的な存在なのかもしれない。
未来視ができるという、ハルスペックスの呪い師たちについてはそれなりに特別待遇ではあるみたいだが、その見習いらしきディシーだって、修業の一環ぽいとはいえ、国外に出てたもんなあ。
ひょっとして、同行してたお師匠さんの自衛能力頼みだったのだろうか、あれ。
それとも、国境を壁にしてしまえば、呪い師たちの連帯を阻害してしまうから、そっちの方が危険だと考えたんだろうか?
今のあたしたちには、とってもありがたいことですけど。
大量にやってきた呪い師たちの相手は、基本的にククムさんとウクソラさんにしてもらった。呪い師たちは片っ端からメリリーニャやあたしたちに会いたがったが、あたしたちだっていろいろ忙しいし、同じ事を繰り返し説明するのって、かなりめんどくさいんですもの。
かわりと言ってはなんだが、幻惑狐二人に揮ってもらった弁舌は、すさまじい威力を発揮した。
星屑たちの存在が、ミーディムマレウス一国の問題というよりクラーワ地方の危機として、呪い師たちに印象づけられるほどに。
おかげで、半信半疑でジェイダイトを訪れた呪い師たちが、片っ端からやる気に満ち満ちて去ってくんですもの。
……ひょっとして、工作員として潜伏してた星屑たちの煽動能力の高さってば、ガワにされてた幻惑狐の人たちの能力でブーストされてるからじゃなかろうか?
ククムさんとウクソラさんがしでかしたのは、それだけではなかった。
彼らは呪い師たちから得た情報を利用し、ジェイダイトの人たちにも協力してもらって、近隣にじわじわと噂を蒔いてくれた。
よくまあ協力してくれるものだと思ったら、ウクソラさんが行商をして回った時に足で稼いだ人との繋がりを頼ったのだという。が、いやはや見事なものだった。
二人が中心となって撒いた噂は、星屑たちを動かすためのものだ。
といっても、ジェイダイトに星屑たちを寄せ付けない方向のものではない。ましてやおびき寄せて捕獲を繰り返すことで、じわじわ削るためのものでもない。
いや、どっちもできなくはないんですよ。特に後者は。なにせこっちには森精のメリリーニャがいる。だが、メリリーニャに隠し森を構築してもらい、昏倒した者をそこへ次々放り込んでったら、彼がジェイダイトから動けなくなってしまうのだ。
ヴィーリがサルウェワレーから動けなくなって、闇森に助力を頼んだのと同じ状況に陥ってしまう。
そんな愚行をあちこちで繰り返したら、弱体化するのはこっちの方が早い。
なにせこっちは少人数、星屑たちに人海戦術でこられたら、それでかなり不利になる。
そもそもジェイダイトってのはちっさな集落なんですよ。そんなところを全方位から包囲されたら、まずまちがいなく民人が死ぬ。
かといって、集めた星屑たちを片っ端から殺していくのも論外だ。
ガワの人たちをできるだけ助けたいというのは、あたしたちが星屑たちの存在を知った最初期からの行動方針の一つだ。何のためにネオ解放陣なんてものの開発を森精に頼んでいると思うのだ。
それに、うっかり地獄門なぞ開かれても迷惑だという理由もないではない。刻まれた者の血肉や精神を使い潰すあのド外道転移陣、今のところ自害で発動するところしか見てないが、他殺なら発動しないかというと、そんな保証なんてもんはないんですよ。
そんなわけで、ククムさんたちが撒いてくれた噂は、星屑たちをじわじわとミーディムマレウスの辺境某所――早い話が死の谷近くだったりする――へと移動させるためのものだった。
メリリーニャの話では、すでにその辺りには、死の谷から噴き上がる火山性ガスや地熱にも強い樹の魔物たちによって、森が構築されているという。
なので、そのあたりで星屑たちの対応に当たっている森精に、隠し森を構築してもらえば、自発的に移動してきてくれた星屑ホイホイになるというもの。
幻惑狐の二人が広めた噂は、あたしたちの存在を主な餌とした。一方、森精たちの存在に気づかれないよう、その目くらましとして呪い師が動いた。そしてククムさんたちは、呪い師の動きをネタに、噂をさらに錯綜させた。
加えて、樹の魔物たちのネットワークは限定的ではあるが、かなり広範囲に構築されている。
あたしやグラミィも、サルウェワレーからの道中ずっと、ラームスの枝や葉をあちこちにばらまきまくってきたんですよ。
その使用権限をメリリーニャにも与えれば、森精同士の情報伝達の速さと秘匿性といったら、星屑たちが及ぶところではないわけで。
……真面目な話、闇森を敵に回した時点で、星屑たちの勝ち目なんてもんは、欠片もなくなったと言ってもいいんじゃなかろうか。
メリリーニャ経由で、ホイホイと罠につっこんでった星屑たちの行動を教えてもらいながら、あたしはそう思った。
ククムさんたちを捕らえようとしたり、あたしたちが加わった後も追い回したりしてたのは、彼らに取っては、半ば娯楽。一方的な狩猟、もしくは逃げる獲物の争奪戦気分だったのかもしれない。
が、いくら人の流れが誘導されてたからって、その間にメンツが一人減り二人減りしても気がつかない、もしくは気にしない様子しかなかったってのは平和ぼけがすぎると思うの。
それとも、彼らにとって自分以外は――それが、パーティのメンツであっても――喋る書割でしかないんだろうか?
カプット近くまで偵察してくれた呪い師の報告によれば、四割はいたんじゃないかという星屑たちが三割になり、二割を切ったあたりで勘の良い連中がカプットを脱出しようとしたらしい。
だがそいつは遅い。逃げ出したはずの星屑たちも回り込まれてしまった、というやつだ。樹の魔物たちと連携がとれる森精だぜ相手は。
あたしたちを集めた手勢で包囲しようとしていたつもりでも、さらに包囲されてはどっちが袋の鼠かわからない。
森精の包囲網は、じわじわと構築されていく。ヴィーリとのコンタクトがとれるようになった時には、あらかたの趨勢はこちらに傾いていた。
そしてあたしたちは、残された星屑たちが一割五分ほどになったカプットに、三度足の骨を踏み入れることになったのだった。
先行していた呪い師たちが、うまく四脚鷲の氏族にコンタクトを取ってくれていたのが幸いして、あたしたちはククムさんとウクソラさんを厳重に守りながら、ずいぶんとスムーズに裁定の場に立つ事ができた。
そう、今回のミッションは彼ら二人が大きな役割を担っている。魔術師でも呪い師でもない、つまりは、魔術に対する抵抗力のない二人が、危険を省みず矢面に立ってくれたのは、二人が襲われた者として、星屑たちの告発者となるためだ。
裁定の場には、ミーディムマレウスを統べる主要氏族である囀り鷹の長老たちが、数人の幻惑狐の氏族を控えさせていた。その脇には同数近い呪い師がいた。
ミーディムマレウスの呪い師たちは行政関係に無関心な傾向にあると言うが、アルヴィタージガベルで会ったパッルスさんのように、有力者との太いパイプを持つ者も少なくはない。権力にすり寄り、利益を狙う者がいるのは当然のことなのだろう。
それは、通商や交易を担う幻惑狐の氏族ならばなおのこと。
ククムさんによれば、ミーディムマレウスはアルヴィタージガベルに似た合議制なのだそうだ。合議に参加する権限を持つのが、主要氏族の長老たちというところも似ている。
ただし、長老たち一人一人に、それぞれ別の呪い師や幻惑狐の氏族の人間が食い込んでいるのだとか。
担当制かというとそうではなく、むしろ長老の一人に接触している者が、他の長老に接近しようものなら、即座に裏切りと見なされ、両方から排斥されるのだという。
競争原理が働いているのかと思ったが、単純に囀り鷹の氏族は群れても同じないというか、調和の取れた団体行動を取っている割にこう、各自バラバラなところがあるせいだと聞いて、なんだそれとあたしは呆れた。
長老たちはどうでもいいじゃん、呪い師や幻惑狐の氏族の中で連携すれば、外国からの嗜好品の調達だの、諸産業品の流通だの、いろんな調整も楽にできるだろうにとね。
だが、それがかえって、あたしたちのメリットを産むことになった。
ククムさんの言ったとおり、星屑たちにのっとられたミーディムマレウスの幻惑狐たちの伝手は使えない。むしろ、ククムさんたちの接触を感知しようものなら、積極的に妨害にかかるどころか襲撃しにくるだろうってなもんですよ。
それを回避して、一から権力者に顔をつなぎ、妨害をはねのけて信頼を得なければならないとか。なんだこのハードを通り越したヘルモード。
一からやんなきゃならないのであれば、だが。
ククムさんとウクソラさんは、カプットを脱出する直前まで、彼らが独自に開拓していたルートを伝い、情報収集につとめていたというが、それだけではない。
なんと、最後っ屁代わりに、なんとか接触ができそうな長老の一人に、ウクソラさんがカプットから姿を消した後で書状が届くよう、細工をしていたのだという。
中身は、彼らの冤罪は、二人がいなくなって最も得をする幻惑狐の氏族の人間のしわざで、命に危険が及びそうなので逃げますというもの。
たとえ同じ一族が相手とはいえ、命に関わるような行為は違法なんですよ。さすがに主要氏族の長老としては、幻惑狐の氏族の中の諍いと見過ごすわけにはいかない。
なにせ、司法を司る四脚鷲の氏族のところにでもウクソラさんたちが駆け込めば、不法行為の実行犯はもとより、見過ごしていた人間まで罪に問われかねんのだ。
そんなわけで、蜥蜴でもないのに尻尾切りされた幻惑狐の人たちが放り出されたところに、今度は呪い師伝手で証拠を握ったので裁定を求めたいという書状を送ったというわけである。
なんというか、やることなすこと打つ手すべてがえげつない。
二人がしでかしたことは、もちろんそれだけじゃないんだが。
裁定の場にぞろぞろと入っていったあたしたちを見て、長老たちは困惑したような顔を見せた。
「カプットのウクソラよ。裁定を願い出たのは、幻惑狐の氏族の内紛ではないのか?」
「お言葉ですが、それだけではございません」
たしかに、ククムさんを引っかけ損ねたのは、幻惑狐の氏族――のガワの人に搭載された星屑たちだ。
外側から見れば、それだけに見えるかも知れない。
けれども、その疑問に対してはきっちり対抗策練ってきてますとも。
ウクソラさんとククムさんが口を揃えた。
「わたくしは我が夫、クラーワヴェラーレのククムが無辜の罪に問われていると知り、匿いました」
「我々はサルウェワレーから書状を預かってきた者であることを明言した上で、長老のみなさまへの取り次ぎを願ったのです。ですが、それを、茶に毒を入れられ、這々の体でその場を脱した次第。無事ですんだのはベネディクシームスの御加護でしかございません」
そう言うと囀り鷹の氏族の長老たちの顔色が悪くなった。
ククムさんたちは、非公式ではあるサルウェワレーを代表する使者としての立場を与えられていたと証言したのだ。
その彼らの身を害するようなことをするというのは、ある意味サルウェワレーへの宣戦布告に等しい。
氏族や国内の問題として、内々に収められるようなことじゃなくなったわけですよ。
「毒とは穏やかならぬご冗談を。わたしどもは、確かにククムどのに長老のみなさまへの取り次ぎを願われ、その際に薬草茶をお出ししました。ですがもてなしをお受けいただけなかったばかりか、でまかせでこのような場所を作り出そうとは」
薄笑いでほざく相手に、ククムさんは冷ややかな目を向けた。
「スクトゥム帝国に生えれば、どうやら薬草も変じて毒となるようですね」
「……毒も使いようによっては薬となります。それに、スクトゥム?なぜそのように?」
「我が妻を襲った者が喋っていた言葉ですよ」
ウクソラさんは進み出た。
「『まじヤバくねあの子?』……おわかりになりましたか?」
星屑たち以外はきょとんとした。それもそのはず、彼女が喋ったのは『日本語』だ。
といっても、ウクソラさんが日本語を理解しているわけではない。 彼女は、物真似の名人なのだ。
おそらくかなり耳がいいのだろう。ウクソラさんてば、ちょっとした鳥の鳴き声だったら本物そっくりに模写してしまうし、なによりけっこうなマルチリンガルだったりする。
「わたくしはクラーワの低地の言葉はいくつか喋ることができます。とりわけスブテラバクルスの方言、イークト大湿原あたりの言葉、アルヴィタージガベル訛りでしたら、その土地の人に間違えられる程度には。ですが、わたくしたちを襲った者の言葉は、どれでもない、わたくしが初めて耳にしたものです」
この世界の言葉は基本的にアルム語というものが地方を越えて使われているようだが、それでも地域ごとに発生した言語の影響はある。それに、人の往来が少ないところというのは古語が残りやすく、また集団特有のスラングというやつは、わりと簡単に成立する。それらの影響やその土地の気象状況によって、発音そのものに訛りが生じたりもするのだ。
それも行商の旅に出かける幻惑狐の氏族ならば、どれだけ変形し、かけ離れた言葉になっていようが、たいていの言葉は理解できて当然、ネイティブなみに喋ることができて、ようやく半人前だというのだが。
「……でたらめな音を並べられても、わかりませんよ」
無知を示してでも罪を逃れようという判断だろうか。あくまでもとぼけようとする星屑たちを見て、呪い師たちが素早く目を見交わした。
彼らだって放出魔力ぐらいは感知できる。精度は森精たちやあたしよりも甘いが、星屑たちが嘘をついたのをはっきり読み取ったのだろう。
じわりと空気が冷えた。
「待った、話がずれてはおらんか?」
星屑たちを庇おうとしたのか、つながりがあるらしい囀り鷹の氏族の長老たちが口を挟んできた。
「そもそも、クラーワヴェラーレのククムどのが、なぜ狙われた?サルウェワレーからの書状ゆえか?にしても、その書状とやらを我らは見てもおらぬのだ。未だに持っておられるならば、それを先に拝見し、しかるべき手を打ってから、また改めてこのような場を設けてはいかがかな?」
「その件につきましては、証人がございます」
「なに」
「高みより公平な裁きを下す四脚鷲の氏族の方々に申し上げます。証立てをなさる方をお迎えしてもよろしいでしょうか」
「ぜひに」
では、と、呪い師の男性姿に変装したトルクプッパさんが裁きの場を出ていき、戻ってきたときには数人を連れてきていた。
「サルウェワレーよりお越しの火蜥蜴の氏族長、サウラさまがわたくしどもの証立てをなさいます」
空気は激しく動揺した。
呪い師が国境を越えて繋がりがあるのならば、四脚鷲の氏族だって、アルヴィタージガベルとの繋がりがあって当然というものだ。
ジェイダイトへと来た呪い師さんの一人が、国境を越えてテナーチまで行くというので、パッルスさん宛てに現状説明と、改めて協力をお願いする書状を持っていってもらったところ、伝書鳥を使ったのだろうか、とんでもない速さで返事がやってきたのには驚いた。うっかりグリグんたちに襲われなくってよかったね、というべきか。
さらに驚いたのは、アルヴィタージガベルとサルウェワレーとが直接連絡ができるようになったと伝えられたことだった。
いや、そりゃまあ断崖の上と下なら、物品のやりとりとかもうまくやれば可能になるだろうけどさ!
サルウェワレーに向かったとかいう、森精がなんかしてくれたのかしらん。心服レベルにえっらいべた褒めだったんだけど。
だが、そんなわけで、ミーディムマレウスの四脚鷲の氏族との交渉も、そしてサウラさんたちとタイミングを合わせて行動することは、かなりうまくやれたと思う。
「まさか、サルウェワレーの国主たる火蜥蜴の氏族長どのが、ミーディムマレウスにおいでになるとは……」
思わぬ隠し球の存在に大慌てになった囀り鷹の長老たちの前で、サウラさんは四足鷲にかけて真実を述べると誓い、きっぱりと言い放った。
「ミーディムマレウスの方々の疑問にはわたくしが直接お答えしましょう。クラーワヴェラーレのククムどの、ハルスペックスのディシプルスどの、そしてランシアインペトゥルス王国のトルクプッパどのには、スクトゥム帝国の危険を知らせるため、サルウェワレーの使者としてミーディムマレウスへ発っていただきました。我らが氏族紋章たる火蜥蜴の方を害したのはあきらかにクラーワの外なる者。スクトゥム帝国の者であったと伝えるために」
「証拠は」
「ございます。こちらに」
タイミング良く囀り鷹の長老たちに差し出されたのは、一本の折れた剣だった。
火蜥蜴の討伐とかふざけたことをやらかして、彼の反撃で星屑たちが壊滅した痕に残されていたものだ。妙な術式なぞ組まれていないかは、当然サウラさんに同行してきたヴィーリに確認してもらっている。
「確かに、これは、クラーワの作りではないな」
剣だけではないが、炭と素材がなければ作れない金属刃物のたぐいは、クラーワ地方ではそこそこの高級品だ。なにせ森林限界を超えた高地は乾燥しまくり、中腹より下の土地も、森は基本的に人間のものではない。イークト大湿原の近くまで行って、ようやく木材が豊富になるという。
だのに、折れた剣は、その柄の部品以外は、ほぼすべてが鋼らしき金属からできていた。
「ということは……」
「まさか、スクトゥム帝国の者は、辻の街カプットを通らぬ道を見いだしたのか!」
そっちかい!
あたしは思わず内心つっこんだ。
いや、まあ、そりゃあ、上下左右東西南北、いろんな国と接しているから、ミーディムマレウスにとっては確かに関税というのは重要な収入源でしょうとも。
だけど金銭の損得に目がいきすぎてないですかね?
ついでに言うと、普通だったら考えもつかないんですよ。異国人が、よその国の中で、街道をそれて歩くなんてことは。
そこはしっかりククムさんに聞いてある。幻惑狐の氏族ですら、自らを道を通る者であって、道を切り開く者ではないと定義しているってことを。
なぜなら、街道周辺でしか、通行者の安全てのは基本的に保障されないものなのだ。
それは、狭い道ほど物理的に道の安全性を維持するのに、近くの集落や国の手が回りにくいてこともあるが、治安的な意味合いもある。
ついでに言うと、領地のすみずみまで見たがるような人間、密偵ならそれ相応の扱いがされて当然だってことにもなるわけだ。
「ならば、本当にそのような者がサルウェワレーを襲ったのだということですかな」
「いやいや、サルウェワレーが被害に遭っているというなら、ミーディムマレウスなぞはたまったものではないのでは」
「いかにもそのとおりにございます」
ようやく囀り鷹の長老たちが真剣になったところへ、ククムさんがさらに燃料を投下した。
「ゆえに告発をいたします。毒をもって我々を害さんとし、また我々を追い、サルウェワレーよりの書状をミーディムマレウスへ届けんとした我々を妨害したカプットの幻惑狐の氏族の者ら。これらは、二国の国交を悪化させ、ミーディムマレウスを侵略せんとするスクトゥム帝国の手先となった者であると」
「な……!」
「そんな、ばかな!」
四脚鷲の氏族の人たちも騒然となった。そこへウクソラさんが追い打ちをかけた。
「ご存じの方は少ないかと思いますが、スクトゥム帝国の手先となった者には見分け方がございます」
「そんな都合のいいものがあるものか」
「星詠みの旅人の方が見いだされた術の事ですか」
サウラさんが言うから、鼻で嗤った囀り鷹の長老は固まった。
この様子じゃあ、ヴィーリとメリリーニャがその森精だって知ったら、心臓止まっちゃうんじゃないかしらん?
硬直をよそに、ウクソラさんとサウラさんの会話は続いた。
「知っておられたのですか」
「ええ。我が国に滞在されておられた方、火蜥蜴とも友誼を結ばれたお方が教えてくださいました。――手先となった者の額には、あやしげな紋様が刻まれているのだと」
「それはまことですか!」
いやあ、さすがに一国の長の言葉は重みが違う。同じ真実を伝えても、ククムさんやウクソラさんじゃいまいち信じてもらえないかもしれないと思ったが、サウラさんに来てもらえて助かった。
おかげで、こっそりこの場に参加している、スブテラバクルスの呪い師さんたちも緊迫した表情になっている。
星屑たちも愕然とした表情になった。
あれは、これまでの演技じゃないな。本気で驚いてる。
もしかしたらという疑心がうっすら芽生えたのだろう。ミーディムマレウスの人たちも、互いをじろじろと見はじめた。あからさまではないがよくわかる。
クラーワ地方の風習として、基本的に老若男女を問わず彼らの額には、色鮮やかな帯が結ばれている。そのため、紋様があると言われてもその下に隠れていると言われたら納得してしまうだろう。
ま、今はあたしたち、ランシアインペトゥルス王国から来た者も、全員似たような色の帯を貸してもらって巻いた上、フードをかぶって顔を隠しているわけですが。
「なお、わたくしと妻はすでに証立てがすんでおります」
「われらサルウェワレーより参りし者も。額に紋様などないと証明がなされております」
うん、ククムさんとウクソラさんには、やり方を教えたメリリーニャの練習台代わりに、ちゃんと受けてもらった。ジェイダイトの人たちも、ジェイダイトを訪れた呪い師の人たちにもだけどね。
「それでもなお、我らをお疑いとあらば、検証を願います。――もちろん、我々が告発した方々にも。潔白と言い張られるのであれば、よもや否やはございませんでしょうが」
ちらとククムさんが冷笑気味に星屑たちを見た。
「では、場を改めて確認をするがよかろう」
「いえ、それには及びません」
じわじわとかけられる疑いと圧の高まりに耐えかねたのだろう。星屑の一人が決然と進み出た。
「今この場で潔白を証立ててみせましょう」
いやそいつは無理じゃ、という暇もなかった。言うつもりもなかったが。
星屑たちは、つぎつぎと自ら額帯をひっぺがしてみせたのだ。
「そんなものはないでしょう、ほら!」
空気が凍った。
――かかったな。
星屑たちには非常に残念なお知らせだろうが、存分に策は練ってきてんのだよ、あたしたちは。
森精たちも協力してくれたし、呪い師たちは国境を無視する勢いでミーディムマレウスへ押し込み、長老たちへの根回しに他国とのメッセンジャー、サウラさんだけでなく四脚鷲と囀り鷹のガードにと大活躍をしてくれた。
だが、決まり手はたぶんあたしたちの――あたしの、スクトゥム帝国に潜入し、直接見てきた星屑たちの実態への理解だろう。
あたしは、ククムさんやウクソラさんたちのように、クラーワの人を煽動して動かす力はない。
闇森の森精たちのように、地方一つをまるっと森で囲ってしまうような真似もできない。
だが、星屑たちの思考経路はある程度理解できる。それはある意味彼らと等しい異世界人という存在であるからだけではない。
スクトゥム帝国に潜入した経験によって培われたものでもある。
星屑たちはガワの人たちの知識や能力の一部を利用する事ができる。
より詳しくいうなら、身体能力と、身体的記憶に基づく学習成果、ということになるだろうか。
彼らが農耕、鍛金、武器の扱い方といった、むこうの世界ではたぶん未経験であるはずの動作をすんなりできるのも、ガワの人の腕力の強さや、その手続き記憶のせいだろうとあたしは推測している。
だが、あたしの見る限り、星屑たちの中に、ガワの人の記憶――いわゆるエピソード記憶に類するような記憶や知識を持っているものはいない。額の魔術陣に刻まれた記憶の利用制限条件にでもひっかかるのだろう。
まあ、下手にそんなもんを星屑たちが利用しようものなら、おそらく星屑たちの人格は、ガワの人の人格と体験に押し潰されるだろうけれども。
そのせいか、工作員のような潜入者は、ガワの人のお仲間からは距離を取るような行動をするようだ。なにせ人間関係なぞの細かい記憶はないのだ。それを怪しまれるのを避けるためなのだろう。
だが、知識の欠如というものが、かなり手続き記憶でごまかされるのも事実だ。
星屑たちにしてみれば、なーんにも考えずに身体が動くに任せれば、おそらくは勝手に衣服の着方すら知らなくても、他者に不信感を抱かれない程度には、ちゃんと身仕舞いができるわけだ。
逆にそのせいで、彼らの知識の習得、とりわけ風習といった、あって当然な空気に近い一般常識の理解は遅くなる節があるのだけれども。
宗教的意味のある事柄ならば、なおのことだろう。
フルーティング城砦でお茶会がてらククムさんから聞いた話だ。
実は額帯、特にその裏側には、着用者がどこの誰であるかということがわかる模様が織り込まれているのだという。つまり、ID機能付きなんだとか。
変じて額帯とは、着用者がどこの誰で在るのかを定義する機能を持つものとなった。
つまり、額に何も着けていない状態というのは、クラーワ地方の人間にとっては、どこの誰でもない、言ってみれば全裸をさらけだした状態に近いのだとか。
あたしは公式の場では、名誉導師の証である金属のバンドを頭蓋骨に巻いている。グラミィもそうだが魔術師はフードをかぶり、髪で額を隠しているし、騎士たちは髪留めの紐を額に結んでいる事もある。
ですがねえ、ついつい目をそらしたくなるんですよといわれて笑ったものだ。
そらそうだ、どんな騎士でも魔術士でも、正装でいかめしい顔をしていようが、ククムさんたちクラーワの人から見れば、下手すれば全裸かビキニアーマー、ないしは紐パンの上に外套スタイルなわけで。
そんな光景、あったら確かに面白いだろうさ。他人事ならば。
さて、ここで問題です。
ミーディムマレウスの人間が同国人だと認識している星屑たちが取った行動は、どのように見えたでしょうか?
答え:いい年こいた連中がぶちきれて、異性もいる公共の場で、集団で下着を脱いで地面に叩きつけた上。
まさかのどや顔フルチン仁王立ち。
目をそらしたウクソラさんをククムさんが庇い、ディシーは真っ赤になって手近にいたグラミィにすがりついた。サウラさんも嫌悪に顔を顰めた。
彼女たちにしてみれば、突然全裸になった露出狂集団が迫ってきた、くらいのインパクトがあったのだろう。
多大な精神的ダメージを与えるようなことをしたのは、マジすまんかった。
だが、攻め時を間違えるわけがない。
「なんと恥知らずな」
呪い師たちの渋面は、森精の前でなんということをしてくれたというところからきているらしい。
囀り鷹の氏族は……ありゃ思考停止してんじゃなかろうか。
まあそうか。自分に利益を運んでくるパイプがうんこまみれだったかと思ったら、放射性物質で作られてたことが突然発覚したようなもんだろうし。
え、何か間違えたのという感じできょろきょろしていた星屑たちが、ようやく青くなったが、もう遅い。
周囲を取り巻くのは憤激と恥辱に顔を赤く染めたお歴々だ。サルウェワレーの首長たるサウラさんの眼前でのこれは、国辱ものだろう。
そして、よくも恥を掻かせてくれたという恨みと、責任転嫁の行き先は決まっている。
裁きの場にいた星屑たちは、全員がその場で捕縛された。




