表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
226/372

ジェイダイト

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 結論から言うと、ジェイダイトに(まじな)()はいた。それも運が良い事に二人もいた。

 なんでかえらく驚いたような顔で迎えられたが……グラミィ、あたしフードはずれてないよね?仮面も大丈夫だよね?


〔ディシーに驚いてるんじゃないんですかね〕


 なるほど、そっちか。

 だったら、あたしたちに対する敵意がなさげというのは運がいい。これが敵意ばりばりだったら、同行してるディシーたちを、あたしたちが拉致ったとか人質にしてるとかって解釈されてそうだし。

 星屑(異世界人格者)たち、特に工作員ってば、またそういう煽動が得意だし。


 ……つーことは、彼らに会えたのはあたしたちの方が星屑たちより先と。じつに好都合だ。

 そんじゃグラミィ。状況説明も兼ねて、挨拶をよろしく。

 

〔りょーかいでーす〕

「『ミーディムマレウスが呪い師の方々とお見受けいたします。我らはカプットの危機を急ぎお知らせに参りました者』」

「カプットの?いや、しかし」


 途端に彼らは混乱したようだった。


「……失礼ながら、少々お訊ねいたします。その樹杖を拝見するに、みなさまはアルヴィタージガベルに霊樹をお授けになった方々に所縁がおありではございませんか?」


 霊樹?


〔樹杖の枝のことですかね〕


 なるほど。


「『テナーチにて、アルヴィタージガベルの呪い師、パッルスどのに、星詠みの旅人の方から授かりました枝の一本をお預けしましたことにございましょうか』」

「いかにも」

「『ならば、確かにわたくしどもにございます』」

「おお、やはりそうでしたか!……ああこれは御無礼を。わたくしはエレクティ、この者はフィディリスと申します」


 年かさな方が礼を取り、それを見てもう一人も慌てたように礼をした。

 当然礼には礼を返しますとも。主にグラミィが。

 

「呪い師の方々よりお名乗りいただくとは、ありがたき次第。わたくしはこちらのシルウェステル・ランシピウスさまにお仕えする舌人、グラミィと申します。そちらのトルクプッパどのともろともに、ランシアインペトゥルス王国より参りました者にございます。また、そちらの幻惑狐(アパトウルペース)の方々は、わたくしたちどもの道案内を願うております、クラーワヴェラーレのククムどのとカプットのウクソラどの。してまた彼らと同道されておりましたハルスペックスのディシプルスどのにございます」

「ハルスペックスの!」

「シビュラ見習いのディシプルスにございます」


 ディシーがぺこりと頭を下げると、本当のことだとわかったのだろう。彼らは気がかりそうな目をした。


「背負われていたのは怪我をした……わけではないのですな?」

「『道中、少々魔力(マナ)を消耗しましたので』」

「獣にでも襲われましたか?」

「『いえ、魔術暴発を起こしましてね』」

「それはまた……」

「どなたかがその子に教えを下されたのでしょうか」


 ディシーのことは少々……いや、かなりの問題がある。

 それもこれも、プロフェソーラとかいう彼女のお師匠さんがサルウェワレーで火蜥蜴(イグニアスラケルタ)に喰われているからだ。

 そのせいでディシーのお師匠枠は現在空いてる状態なのだろう。彼女があたしたちに教えを請うてきたのは、教導者がいなくなってしまったというせいもあるんじゃなかろうか。

 

 だけど、トルクプッパさんが拒否った理由のとおり、彼女はクラーワの、ミーディムマレウスの呪い師の子なのだ。

 あたしたちがディシーの望み通り指導をするということは、ランシアインペトゥルス王国の魔術師であるあたしたちの誰かが彼女を弟子にとってしまう、ということになってしまう。

 これはまずい。

 何がまずいかっていうと、あたしたちがお子さまをたぶらかしたと見られるのが一番まずい。

 おまけに、ディシーが呪い師よりもあたしたち魔術師の指導を願ったということは、間接的に呪い師より魔術師の方が優れていると彼女が認めたことになる、と解釈されかねないのもまずい。

 どちらも呪い師たちの激しい反発を招く事間違いなしですよ。

 

 が、今のところ、彼らの反応は、あたしたちに否定的なものではない。

 それはありがたいんだが、なんでかね。呪い師たちってば魔術師レベルにプライドめちゃめちゃ高い連中なんだけど。

 

「今ひとつ。たびたび不躾(ぶしつけ)ではありますが。そちらの黒髪の方は」

 

 うん、メリリーニャのことはちょっと紹介に困ったんだけどねー。ほんとの事を言うしかないか。

 

「こちらの方は、北の緑濃き森(闇森)よりおいでの、星詠みの旅者(森精)にございます」

「なんと、いと高き梢の御方とは!」


 グラミィがへりくだってみせれば、呪い師たちは先を争うように跪いた。

 ぷるぷる震えているのは、感動してるのかね?

 だけど、いつまでもこうはしてらんない。


「ともあれ、我々の話に少々耳をお貸し願えませぬかな?」

 

 星屑たちに先行してるなら、そのアドバンテージを存分に活かさねば、ジェイダイトまで急行してきた意味がない。


 場を移して、ジェイダイトの里長も交えたところで、舌をぶんまわしてくれたのは、ウクソラさんとククムさんだった。

 カプットでのことだけでなく、サルウェワレーであったこと――火蜥蜴(ヴェス)の錯乱と鎮静や、ディシーについて、彼らが要領よく説明してくれた後は、グラミィの出番だ。

 あたしたちが、サルウェワレーから一度はミーディムマレウスに出たところで、幻惑狐(アパトウルペース)たちを手懐(てなづ)けたこと、クラーワヴェラーレの幻惑狐のラテルさんと呪い師のシクルスと出会った話、パッルスさんに枝を預けた話とか、カプットであたしたちが見た事、襲撃をどう撃退したかってなことをざっくりとね。

 意外だったのは、里長のボカトゥスさんだけじゃなく、エレクティさんとフィディリスさんも、驚きの表情を浮かべながらも、あたしたちの説明をまるっと全部素直に受け入れたことだった。

 いや、うん、全部本当にあったことなんですけど。

 普通の人――いや、魔術師や呪い師にも信じがたいだろう内容だってのは、さすがにわかってますから。


 まあ、アルヴィタージガベルでのことを知ってたってことは、それなりに事情には通じてるってことなのかもしれない。

 ひょっとしたら、パッルスさんが関所をテナーチにちゃんともう設置してくれたのかな。

 そのへんのことはご存じで?


「あ、いや、我々が直接関所を目にしたわけではございません」

「ですが、アルヴィタージガベルが、テナーチなどという集落に霊樹を置いたという話は聞いておりました」

「霊樹に咎人(とがびと)と裁定された者の話も。なんでも、額に不気味な紋様がくっきりと浮かび上がったとか」

 

〔やっぱり、ミーディムマレウスから出て行ってた星屑(異世界人格者)たちもいたんですね〕


 だね。

 ひっかかった星屑がクラーワ地方への拡散第一号ならいいんだけど、そんな希望混じりの予測は立てるだけむなしかろう。

 つーことは。

 ……アルヴィタージガベルより高地の国々にも、とうに星屑たちが散っていてもおかしくは、ない?


〔うわそれ、他の国にも警告したげた方がいいんじゃないんですか?!〕


 つかね、あたしたちが危険かもしんない。

 下手するとクラーワヴェラーレへ、そして天空の円環通ってランシアインペトゥルスへ戻ることができなくなっているって可能性も出てきたかな。

 それはともかくとして、今はミーディムマレウス国内の地固めの方が重要か。


 そこからはわりと話がスムーズに進んだ。というか、彼らはびっくりするほど協力的だった。

 自国の首都がもはやスクトゥム帝国に食い荒らされた朽木も当然とか、思いも寄らなかった国の危機に血の気が引いたってこともあるんだろうけれども。

 いずれにしても、すぐさま星屑たちへの対応を固めてくれることになったのは有難い。必要とあらばテナーチに集まりつつある呪い師たちとも協力します……てねえ。国境の意味、あんまないじゃん。

 まあいい。

 おそらく、ジェイダイトはミーディムマレウスにおける、星屑たちに対する強固な堡塁となるのだろう。

 たとえジェイダイトがカプットよりはるかに小さな集落であっても、これが大きな一歩となるのは間違いがない。

 

 深夜になって、あたしは泊まらせてもらった小さな石造りの小屋からふらりと出た。

 いっしょに小屋を出てきた幻惑狐たちは、あっという間にすごい勢いで駆けていった。彼らにとっては狩りの時間なんだろう。

 あたしはそのままぷらぷらと、手近な垣根のあたりへと足の骨を向けた。

 

 同じような小屋が、手近にぎゅっと固めたようにいくつか並んでいるのは、集落共用の納屋兼呪い師たちの宿泊施設、ということらしい。

 集落を巡回してる呪い師たちが、頼めば簡単に宿を借りられるってのはパッルスさんも言ってたが、そこの長の家が狭い場合には、こういうこともあるようだ。

 えらい勢いでボカトゥスさんには謝られたけれど、あたしたちの中に気にした様子を見せる者はいなかった。納屋とはいえ、そのまま住めそうなくらい綺麗で手入れの行き届いたものだったってこともあるが、昨日は野宿だったってことがよほどこたえているのだろう。

 ディシーはというと、しばらく呪い師たちと同じ小屋にいたが、日が落ちると、今夜はそちらにお預かりくださいという口上といっしょに戻ってきた。

 そらまあこっちは女性が多いし、問題はないけどな。

 

 いずれにせよ、ディシーを含め、生身組には休養が必要だ。そうグラミィに伝えてもらうと、睡眠不足気味の彼らは素直に早々と寝た。

 幸いと言うべきか、ご自由にお使いくださいと言われた小屋の一つに干し草が置いてあったので、グラミィたちはそれをちょっとお借りしている。

 硬い繊維質のものをクッションにしたり、高熱で殺菌殺虫したりするスキルはサルウェワレーで身につけました。そんな作業もお手の物ですよ。


 クラーワの呪い師は、水の顕界こそ頻繁に行ってはいるようだが、ランシアインペトゥルス王国の魔術師たちのように石を顕界して、彼らが首都や王都を整備しているところを、あたしはまだ見た事がない。

 というか、カプットやソヌスタブラムのような首都レベルの拠点すら、顕界された石材で舗装されるところをあたしは知らない。

 これが地域差というやつなのかもしれないが、衝撃的だったのは、ソヌスタブラムで見かけたものだったか。天然石を切り出した石畳で舗装されてるのかなと思った一帯が単に巨大な岩盤が露出してただけというね。

 岩盤の大きさにも驚いたが、もっと驚いたのは、その表面に滑り止めの溝といった、なにかしらの加工を施した痕がほとんどなかったことだ。

 ……ひょっとしたら、クラーワって石材の加工技術があんまりよく発達してないのかもしんない。

 いや、クラーワヴェラーレ……というか、カルクス周辺に高い技術があるのはわかってる。地方は離れるが、グラディウスファーリーはドルスムの抜け穴の規模はすごかった。

 それに、ククムさんから前に聞いた、スクトゥム帝国に続く抜け道の話もあるし。

 

 それはさておき。

 ミーディムマレウスの建物全般に言えることだが、あたしたちが借りてる小屋も、石造りといったって、そんなに頑丈そうなものじゃない。加工した石を組んで造られているというよりも、天然石を積み重ねただけのような外観だ。この垣根も似たような積み石。

 まあ、小屋はまだ何かしてあるようなんだけど。垣根なんざ、ちょいとつつけばそのまま崩れそうなアンバランスさがなんともたまらん。なんという賽の河原状態。


 しかし、それは、つまり、この集落の防御力が低いということに直結する。

 ぶっちゃけ、ジェイダイトを星屑たちへの反撃の烽火を挙げる拠点にするというのなら、けっして笑い事じゃない。てか石を顕界できる呪い師が率先して取り組むべきこったろうに。

 あ、いや、集落サイドから依頼がないと動けないのかもしれないが。ひょっとしたら呪い師たち自身の里は、石を顕界してがっちがっちに固めてあるんじゃなかろうか。見た事ないからわからないけどね。

 

 いずれにしても、この現状をなんとかするにはせめてセメント、いや三和土(たたき)ぐらいは欲しいものだ。

 特に、三和土なんてもんは、たしか塩と石灰と赤土があればできるとか聞いたことがある。雨が少なく乾燥しきったクラーワの土地なら、だいぶ持ちそうなものだが。

 ひょっとして、そういったものを混ぜて塗るのにも水がいるからなのかな。

 いや、そもそもつなぎがあっても骨芯というか、鉄骨代わりになりそうなものがないと強度も意味も弱い、か。

 ……ふむ。


 あたしは小さな魔術陣を石で顕界すると、それを集落の城壁――というにはあまりにもささやかにすぎる、石積みの奥へと転がしこんだ。

 ついで、外側からは見えにくいところに石を顕界して、隙間を充填してやる。セメントの要領だ。

  

「眠れないのか」


 ついつい作業に熱中していると、背後から声がかかった。ふりむけば黒髪の森精がいた。


(あいにく、この世界に来てからこのかた、わたしは眠ったことがなくてね)

「そうなのか」


 メリリーニャは淡々と頷いた。

 ジェイダイトに入ってからは空気を読んでか、彼はずっと森精らしい淡い表情のままだ。

 けれどもこの様子を見ると、やはりこれが彼の素でもあるのかもしれない。


(そちらこそ、眠れないのか)


 ラームスたち、樹の魔物たちに頼めば眠りに誘ってくれそうなものだが。あの葉擦れのような彼らの心話、魔力のさざめきときたら、下手なヒーリングミュージックよりリラックス効果があるからなあ。

 だが、メリリーニャは首を振った。


「双極の星。強い光を放つ方と話がしたい」

(わたしでいいのかい?)


 強い光ねえ。確かにグラミィはあたしより弱いところも多い。が、あたしゃ一方的に彼女を庇護してるわけじゃない。基本的には対等だし、むしろ彼女の強みもたくさんあると思うんだけど?

 まあいいや。


(わたしも話したいことがあった。……おそらく、このミーディムマレウスどころかクラーワ全体にも星屑は散っているのだろう。あなたがたは、何か手を打っているのかな?)


 あたしやグラミィにできることといったら、たぶんランシアインペトゥルスに帰る道すがら、その国々に星屑注意報を飛ばすぐらいなものだろうけど。


「それだけではないだろうに」

 

 あたしに並んで立つと、メリリーニャはちらと石積みを見やった。魔術陣の存在に気づいたのだろう。

 あたしが仕込んだ魔術陣は、石積みを崩されて間隙が潰れ、陣の一番外側が破損した瞬間に発動するようにしてある。

 効果はというと、石積みを飲み込んで、そこそこしっかりした土壁を生じるというもの。

 たいして長持ちするもんじゃないが、一日程度の攻撃には耐えられるんじゃなかろうか。

 なにせ、いちいち鉄骨埋めて、元通りに石垣を積み直すなんて土木工事なぞ、やってられません。

 うっかり誰かが蹴飛ばしたりして、石積みを崩してしまいでもしない限り、誤作動することもないだろうという判断ですよ。

 逆に、石垣を移築したかったのにうっかり発動させちゃった、という時にもリカバリーは効くだろうし。

 だけどあたしは肩胛骨をすくめた。


(こんなものは小域的な、ただの小細工にすぎないさ。……そう、あなたがたに比べたら)

 

 ヴィーリの要請に応じ、闇森から出てきた森精たちは、たぶんかなり広域的に動いているんだろうとあたしは見ている。

 メリリーニャは出発時期もルートもバラバラだと言っていた。最終的には、ヴィーリが迷い森を構築しているサルウェワレーに全員が集まるのかもしれないが、メリリーニャがあたしたちに同行しているということは、おそらく予定外の行動でできた穴さえ埋められるように森精たちが動いているということになる。

 それがミーディムマレウスだけに限ったこととは思えない。なにせ彼らは播種範囲の広がりについて、たぶん人間の誰よりもよく知っている。星屑たちの危険性もだ。

 ということは、アルヴィタージガベルにも、いやそれ以外の国々にも、おそらく森精は派遣されているんだろう。

 違うかな?と眼窩を向けると、彼は一瞬苦々しげな表情になった。


(答えられないのなら、答えなくてもいい。ただ、わたしは、これ以上星屑たちがこの世界の人間へ害を及ぼそうとするのを防ぎたいと思っている。そのことはどうか理解してくれないだろうか)


 ええ、たぶん、彼らが諸国にどう働きかけようが――あるいは働きかけまいが、あたしのやることって基本的にそう変わんないんですよ。やれることをやれるだけの範囲でやるだけ。かなりの部分が自己満足だってのもわかってますが。


 ラームスはクラーワの乾燥がよほどいやだったのだろう。クラーワに入ってから新しく出る葉は、これまでのものとはまったく違った、多肉質のころころした緑色のビーズのようなものになっていた。

 それをラームス自身の指示に従って、あたしは石垣や草叢といった、露が降りそうなところへころころと蒔く。

 種のような扱いだが、実際そこから新しく根を生やすらしいそうなので、枝を折るよりラームスにはダメージが入らないのだろう。うまく根づいてくれればいいのだが。

 ゆっくりと夜闇を進みながら、あたしはちらっとメリリーニャに眼窩を向けた。


(メリリーニャ。もし、星屑たちを潰すのにためらいを感じているのなら、どうかわたしたちのことは気にしないでくれないか)


 そう心話を伝えると、彼はひどく驚いたようだった。

 

「なぜそう言える?それに、なぜためらいを持っていると?」

(心話があるから。そして、星屑たちには、この世界の人間同様に、言葉が通じるように感じているようだったから。かな)

 

 森精たちは、比較的温厚だ。

 闇森の中でも、彼らが狩りをする姿はほとんど見た事がない。彼らが口にするものといえば、茸や植物の葉、それも樹の魔物のような意志の存在を感知しないものが主で、それも命を断つような採り方などしない。

 ましてや他者を――たとえ、森精たち以外の存在、人間や魔物でもだ――自発的に攻撃する気はないように見える。

 それは、心話のせいもあるのではないかとあたしは考えている。


 あたしは、この世界の人間相手だけでなく、動物の一部や魔物たちとも心話ができる。彼らは意識を言語化するだけでなく、感覚共有をしてくることがある。

 ……あれは、自我の境界がじわじわと溶けていくほどの孤独の癒やし、飢えかつえていた何かが音立てて満たされていくような、そんな気にすらさせられるものだった。

 樹の魔物であるラームスに共有される世界はとてもやさしく、あたしも穏やかでいられるものだった。つながっていることが一人ではないことを教えてくれ、安心させてくれた。

 一角獣のコールナーを撫でた時は、感覚共有のせいで、撫でられている彼の感覚――触感だけでなく、撫でられて感じる気持ちよさまで自身の体感のように感じることができた。

 

 ……ま、まあ、通常好んで他人と脳味噌直結したり、骨を撫でまわそうという人はいないだろうし、あたしも自分自身を撫でくり回す趣味はない。

 だから、彼らの感覚とあたしの感覚はまったく同一なのかどうかというと、確認はできていない。

 だけど、あの気持ちよさを感じてしまったせいか、あたしからラームスやコールナーを害そうという気にはなれないのだ。彼らもまた、たぶんそうだろうという気がしている。

 それがある意味、自分自身を攻撃するようなものだからというわけではない。たとえ自分が能動的に動かなくても、ただあることを許される。そんな世界をいとおしく感じないわけがないだろう?

 心からくつろげる、気持ちのいいベッドから離れたくないのに似ている理屈かもしれないが。

 

 数種の魔物たちぐらいとのつながりしか知らないあたしでさえ、彼らを、そして彼らのいる世界を害そうという気にはなれないのだ。

 ましてや、樹の魔物たちと常時接続しているに等しい森精たちが、魔物たち、いやこの世界に向ける好意は、たぶんあたしよりはるかに広い。

 でも、それゆえに森精たちが他者への害意を積極的に持てないのなら、それは間違っていると思う。


 なぜなら、彼らはこの世界の存在を自分と同等以上の知性を持ち、共感し理解し合える存在だなんて思っちゃいない。生物どころか下手をすると動いて音を出す書割ぐらいにしか考えていないと思う。

 彼らは、この世界を蕩尽しかねない。


「世界を、蕩尽するとは?」

(わたしのいた世界はね、けっこうひどい状態だったんだ)


 あたしは苦くむこうの世界を思った。

 大雨、旱魃、猛暑に大雪。異常気象は起きているのが当然のごとく日常化し、大地も水も空気も汚れ、森は削られ、あるいは枯れ、それらすべてがお前らのせいと、小さな子どもが責め立てる。

 もちろん、被害をなんとかくいとめようと頑張ってた人もいた。だけど自分一人が何かやっても世界は救えないと諦めることは楽で、好き勝手してきたのは自分だけではないという理屈に逃げる事も簡単で。自分たちが享受してきた利益を抱えたまま、素知らぬふりをする人はあまりにも多かった。

 結果、永久凍土は溶け、希硫酸の雨は降り、渡り鳥は風車にぶつかり、蝗は緑の大地を土色の荒野に変えた。

 それに天変地異とパンデミックが拍車をかけた。


 そして人間はすさんだ。互いに敵意と悪意をぶつけ合い、平和を唱えつつも武器を構える。

 身近に戦乱を感じずにすむ国にいたところで、閉塞感と不満は内圧を高め、無力感は人を狂わせた。個人への敵意も殺意もなく他者を害そうとすることができるほどに。

 おまけに。

 

 あたしは手の骨の上に、数枚の板を組み合わせたものを顕界した。

 

「それは、なんだ?」

(ある意味わたしの世界の模型、かな)

 

 集団住宅の模型のようにも見えるそれを、あたしはメリリーニャに見せた。


(この世界の人間も身分階級という枠組の中で生活しているように、わたしたちの世界の人間も、それぞれ生まれ落ちた枠組の中で生活している。その枠組というやつは有形無形いろいろあった。常識とはこういうものという思い込みや、制度でも形作られていてね。枠組の中にきちんと収まれる人はわりと生きやすく、そうでないひとには普通に生きることすら大変になるというところだったんだ――そこはたぶんこっちの人間たちも同じだろう)

 

 あたしはいくつかの枠の中に、大きさや堅さの違う粘土玉を置いた。

 

(ただ、むこうの世界では、その枠組が大きくゆらいだ。かつてはうまく機能していたものでも、時勢に合わなければ軋むし壊れもするのは当然だろう)

 

 あたしはゆっくりと板を動かした。

 枠がねじれ、板が割れる。それとともに挟まれた粘土玉が潰れ、はみ出て、ちぎれていく様子を、メリリーニャは無言で見ていた。

 

(わたしも、どちらかといえば潰される側だった。――だからね、わからなくはないんだよ。星屑たちの気持ちは)

 

 クソッタレなお仕事(ブルシットジョブ)に潰される側でいるより、他者を潰す側に回りたいという思いも。

 枠組を動かす人間に潰されるくらいなら、その他人や枠組そのものを潰してしまいたいという願い。

 それをするには、力が足りない。どうすることもできないという嘆きも。

 親ガチャとか人生ガチャなんて言葉には反感を覚えたが、苦労が足りない、若い頃の苦労は買ってでもしろとかいう時代錯誤な説教をかましてくる後期高齢者がいたら、うるせえと面と向かって罵倒の一つは吐いてたかもしれない。


「だから、この世界を喰らい尽くす?――理解しがたい」

 

 メリリーニャは首を振ったが、理解なんてしなくていい。彼らがこの世界の害にしかならんだろうということがわかっていれば十分だ。


 星屑たちにとって、この世界は思い通りにできるゲームステージにしか思えない。ならば思い通りにしたくなるだろうさ。

 たとえば――

 自分を尊重してくれない身分制度なんて潰してしまおう。

 成り上がって、自分が一番偉い存在になるために、身分制度をそのままにしておこう。

 えらいと認めさせるために敵を倒そう。

 生活を便利にしたいからNAISEIチートしよう。

 

 だが、それはこの世界のあり方をねじ曲げることだ。

 この世界の事はこの世界の人間が決めるべきであって、あたしたち、望もうが望むまいが来てしまったとはいえ、在ることを望まれているわけでもない存在が関与してはならない。

 あたしたち異世界人は、この世界の主人公じゃない。あくまでもモブか、ネームドであっても脇役であるべきだろう。仮にこの世界の人間に、あたしたちが影響を与えたとしても、それはあくまで影響であり、直接世界を動かすのはこの世界の人間であるべきなのだ。

 だから、世界征服とか人類絶滅とか、領土拡大といった気宇壮大な四字熟語な目標なんてあたしにはない。

 いのちだいじに。たとえ骨でも。ついでに四字熟語目標を抱えた星屑たちの足元を掬ってやれたら言う事なしだ。

 仮に星屑たちがでっかい夢でこの世界を喰らい尽くそうというのなら、それを小さなことからコツコツと、嫌がらせでくじいてやるのがあたしのやるべきことだろう。

 

「節度があるのだな」


 というかね。

 あたしはちょっと考えた。


 今のあたしは精神だけ。シルウェステルさんのお骨に仮住まいさせてもらっているこの状態じゃあ、たしかに星屑たちから見たら外見モンスターレベルなんだろうさ。

 ――だけど、心までお骨になっちゃいないし、なりたくはない。と思っているんだよね。

 ゆえに、あたしはむこうの世界の良識にしがみつく。倫理とか道徳観を後生大事に抱えている間は、まだ人間でいられるんじゃないかと思いたくて。

 

 ……いや、責任を取りたくない小心者なだけなのかもしれないが。

 血に酔いくらって醒めたあと、絶望するのはこりごりだ。

石積みの小屋は、アルベロベッロのトゥルッリの円錐屋根ばっかりといった感じをイメージしています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ