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EX.森の影

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

久しぶりの三人称になります。


 その日、森の影がアルヴィタージガベルを覆った。


 ミーディムマレウスとの国境に最も近いテナーチにて、異国の魔術師たちを見送った後も――いやその直後からずっと――、(まじな)い師のパッルスは多忙を極めていた。

 まず取りかかったのはテナーチでの造作だった。森の星詠み(森精)の庇護を受けているという、嘘かまことかいまだに信じがたい肩書きを持つ彼らから、ひどく無造作に預けられた霊樹の枝をどこに安置すればよいのか。辺境ともいえるテナーチに、しかもミーディムマレウスから来る者に必ず触れられるような場所に、安全に植えるにはどうしたらよいのか。パッルスは頭を痛めた。

 どのように関所を設けるかについては、クラーワヴェラーレの幻惑狐(アパトウルペース)の者の智恵も借り、ソヌスタブラムで素案をある程度は練ってきていた。

 しかし、実際に関所を設置するには、人手も資材も必要だ。テナーチのみならず、周辺の集落にも協力を仰ぐ必要がある。

 四脚鷲(クワトルグリュプス)の長老たちからはある程度の権限をもぎ取ってきているとはいえ、闇夜から梟に襲わ(寝耳に)れるような(水の)負担を押しつけられた集落の長が、そうそういい顔をするはずがない。

 そこを呪い師としての権威に幅を利かせて、パッルスはミーディムマレウスという隣にある危険を語った。協力をすれば、顕界した水を与えるという利もちらつかせながら、なんとか関所をそれがましい形にしたのだが、いや、なんとも骨が折れたものだ。

 

 関所を築くその一方で、ミーディムマレウスからやってきた人間を、必ず霊樹に触れさせねばならないという作業がパッルスを待っていた。

 あの異国の魔術師たちは、呪い師でない者が、スクトゥム帝国に洗脳された者に直接触れるのは危険だと警告を残していった。

 ゆえに、ミーディムマレウスから来た者が安全かどうかを確かめるのもパッルスの――途中でいいかげんうんざりして、弟子や近隣の呪い師に使いを出して呼びよせたおかげで、だいぶ手が増え、一息つけるようになったが――アルヴィタージガベルの呪い師たちの仕事となった。

 

 ミーディムマレウスから来る者の中には呪い師もいた。通常ならば同じ呪い師同士、それなりに穏便な交流もできるのだが、見慣れぬ関所に並ばされ、機嫌を損ねた者を宥めるのも、なかなかに容易なことではなかった。

 それも、彼らの目の前で、霊樹に触れて悶絶した者が出たことで、空気は一変した。

 ミーディムマレウスからやってきた人間が倒れ込み、苦悶するその額に、みるみる不気味な紋様が浮かび上がったのだ。

 そのさまにはパッルスもぞっとしたが、その場にいあわせた、異変を目にした者からは、異国の魔術師たちの言葉を、そしてそれを伝えるパッルスを疑う気持ちは、一切かき消えたようだった。

 それはまた、呪い師であろうとなかろうと、はたまた属する国がミーディムマレウスであろうとアルヴィタージガベルであろうと。スクトゥム帝国の、そしてスクトゥム帝国に洗脳された者への強い警戒という連帯で、彼らが結ばれた瞬間だった。


 昏倒した者を、長老たちの鉤爪であるベックスが尋問したいというのを、パッルスは必死に止めた。

 あの異国の魔術師たちの警告のすべてが真実であるならば、洗脳された者の血を流すことすら、時に多大な危険を伴うものとなるという。

 そして、額の紋様の一部は確かにあの魔術師たちの見せた魔術陣の、おそらくは完全なものであろうとパッルスは見た。初見でもわけのわからぬ複雑さに驚いたものだが、さらに他の魔術陣とも絡み合っているため、下手な手出しをしようものなら、何が起こるかわからないと彼は感じた。


 ベックスとパッルスはミーディムマレウスの呪い師たちとも話し合った。その結果、霊樹に罰せられた者は、その者の出自の国で、それぞれの呪い師が見張ることと話は決まった。

 とはいえ、あの異様な紋様の存在と、星詠みの旅者(森精)が与えたという霊樹に拒絶されたことを思えば、呪い師の身であろうと、いやそれだからこそ、昏倒者には触れることすらためらわれた。

 総毛立った表情でミーディムマレウスへと引き返していく呪い師たちが、板に縛り付けて運んでいった昏倒者を、そのまま死の谷(モルスワリス)に投げ込みに行ったのだとしても、パッルスは驚かない。むしろ、アルヴィタージガベルのうちにも死の谷のような場所があったらと、内心うらやんだくらいなものだ。

 

 さいわいにも、アルヴィタージガベルの者が霊樹に罰せられることは、パッルスがテナーチを離れるまでは出なかった。

 が、そのような幸運が続くとも思えぬ。

 数人の弟子と部下に関所の責任者という体裁をつけてテナーチに置き、パッルスとベックスは、ソヌスタブラムに急ぎ戻ることにした。それは長老たちだけにこの危機が火急のものであると知らせるためばかりではない。

 パッルスは、その道中も、ガベル街道近辺に住まう呪い師たちへと知らせを飛ばし続けた。

 ソヌスタブラムに着いてからは、街道沿いであろうとなかろうと、近隣には自ら足を運び、遠方へは四脚鷲の長老たちの伝手を辿って伝書鳥を使い、アルヴィタージガベルじゅうの呪い師たちに働きかけていたといっても過言ではない。

 しかし呪い師たちの反応は鈍かった。もともと自尊心の塊のような呪い師たちだ。懇請すら文書で見れば命令と捉えるへそ曲がりも多い。頭を抑えられては何かしら反発心が頭をもたげる。おまけに直接この目で見なければ信ぜぬ頑迷さを抱えた者ばかり。

 

 パッルスが直接顔を合わせ、言を尽くそうとも、半信半疑なままの呪い師たちも多かった。

 それも無理はないとパッルスも思う。

 あれは、直接見なければ理解も納得もできない不条理な恐怖だ。

 そしてこの青天の霹靂、警告を運んだ異国の魔術師たちですら、直接この目で見たパッルスであっても信じがたい者たちばかりだったのだから。

 仮面の魔術師ときたら、常人ならば数瞬でひからびるような、とんでもない量の魔力(マナ)を平然と噴出してみせただけではない。星詠みの森より呼びよせた四脚鷲を、飼い慣らした手乗りの小鳥のようになつかせ、しかも連れ歩いていた幻惑狐たちを襲わせずに抑えきったなど、パッルスも我が目で見なければ信じることはできなかっただろう。

 あれを見せられては、サルウェワレーから幻惑狐の棲まう断崖絶壁をよじ上って、アルヴィタージガベルに入ったとかいう与太もまことではないかと信じたくなるほどだ。

 

 しかし、あれほどの魔力と技量を持つ魔術師でさえ、一人では、いやサルウェワレー一国の力を借りても、ミーディムマレウスを抑えきるのは困難という。

 魔力を知覚しても視ても、彼らの言葉に虚偽はなかった。

 ということは、ミーディムマレウスの危険は確かに存在するのだろう。そして一人ではいかんともしがたいほど、それは巨大なものなのであるのだろう。

 ならばアルヴィタージガベルもまた、備えねばならぬ。

 パッルスは、疑わしげな目を向ける呪い師たちに、あたうかぎり説得を続けた。テナーチへ行けと。このパッルスの言が信じられぬというのなら、その自身の目を信じよと。

 だが、ソヌスタブラムの呪い師たちすら完全に説得しきれぬうちに、パッルスは伝説に巻き込まれた。 


 訪問者があると知らされたパッルスは、勢いよく戸口から飛び出した。

 あの異国の魔術師たち同様、枝葉のついたままの樹杖を持つ者がパッルスを――正しくは四脚鷲と会った呪い師を(おとの)うてきたのだという。

 四脚鷲を見たことのあるだけの者ならば、このアルヴィタージガベルにはたんといる。だが、ティリアの生い茂る丘近くで、人の肩に止まった四脚鷲と会ったことのある――少なくとも、そのようなものを間近く見たことのある者など、パッルスは自分自身しか思い当たらなかった。

 それに、ここのところずっとソヌスタブラムをうろうろしている、シクルスとかいうクラーワヴェラーレの木っ端呪い師が吹聴していたではないか。あの魔術師たちの樹杖は、彼らに加護を与えた森の星詠み(森精)より授かりしものだと。

 と、いうことは。彼らと同じ樹杖を持つ者とは。

 

 息せき切ったパッルスの目に飛び込んできたのは、見慣れぬ意匠の服に樹杖を携えた若者だった。

 パッルスが常人であれば、金琥珀めいた美しい髪に緑が幾筋か混じっているのに、はげしく目を奪われたことだろう。

 が、パッルスの血の気が音立てて引いたのは、あの霊樹と同じ気配を漂わせている樹枝と、その細身の全身から噴き出す森のような魔力のせいだ。


「いと高き梢の御方、よくぞアルヴィタージガベルが地においでくださいました」


 パッルスはうやうやしく礼を取った。つられて飛び出してきたらしいシクルスが後ろでおろおろとしているようだが、かまっている暇はない。


高潔なる魂の運び手(四脚鷲)のお姿を間近く拝見する栄に浴しましたる者をお探しと伺い、馳せ参じましてございます」


 ややあって、空気が動いた。間近く近づいてきた森の化身に凝視され、パッルスの額に汗が浮かんだ。

 じわじわと、周囲を緑の空気に塗り替えるような魔力に喉が渇く。

 ようやく声を掛けられたときには、むしろほっとしたものだ。


「名は、なんという」

「パッルスと申します。いと高き梢の御方」

「……四鉤爪を持つ翼が止まった者は?」

「は、聖笏の輪を通り北よりクラーワにおいでになりました、ランシアインペトゥルスのシルウェステルどのにございましょうか。かの方は、お連れのグラミィどのとともに、ミーディムマレウスへ向かわれましてございます」


 琥珀を溶かしたような髪を揺らし、精霊の美貌はうなずいた。

 

「四鉤爪を持つ翼が運びし風ゆえに、南へと森より葉は飛ぶ」

「……は」


 精霊の言葉は古語めいて聞こえ、言い回しは難解を極めた。わけがわからないままにパッルスは低頭した。


「この地の長たるもの、杖持つ者らに話がある。集う場を」

「ははーっっ!」

 

 理解できた言葉に大急ぎでパッルスは従った。

 

 そも、クラーワの呪い師は水の差配のためにのみはたらくものではない。祭祀、とりわけ葬礼を司るのは生と死の境を示し、時には繋ぎ、仲立ちとなるためである。

 それには見えざるものの存在を識るだけでは足らぬ。公平な立場に立って荒ぶるものを鎮め、悲しみに沈む者を慰撫する能力(ちから)なくして、いったいなんの呪い師か。

 それゆえ、呪い師は人同士の調停役にも駆り出されることも非常に多い。燃え広がった争いに裁定を下すのが四脚鷲の氏族であるならば、呪い師とは、その交渉や調整の能力をもって、争いが起こる前に火種を取り除き、地に水を注いで、燃え広がるようなことがないよう、事前に手だてを尽くす者と言えよう。

 とりわけ、アルヴィタージガベルの呪い師が中でも、パッルスは調整能力が高い。そのために長老たちにも重用されている、といえば聞こえが良いが、使い勝手よく使い回されていることは自覚している。

 その能力が最も発揮されるのが、長老たちの間でということもだ。

 なにせガンコ爺の集まりだ、なにかしら利権でも絡まぬ限り――いや、絡めばなおのことだろうか――一致団結してことに当たろうなどという、殊勝な心持ちになる者などいない。つねにいつも昔のことを蒸し返して、なんやかんやと内輪揉めのいざこざを撒き散らすのだからたまったものではない。パッルスの地位をうらやむ者も多いが、弟子にした途端に真っ先に逃げ出したのは、うまみのありそうな外面に寄ってきたものばかりだったか。

 それゆえ、パッルスが長老たちすべてと、つなぎのとれるかぎりの呪い師を呼びよせることができたのは、その日も暮れかけたころだった。


「いと高き梢の御方、北の森よりようおいでなされました」


 魔力を感じ取ることのできぬ長老たちが何を言い出すやらと、パッルスが気を揉みながら見守っていると、長老たちは順繰りに口を開いた。


「北のランシアインペトゥルスよりおいでなされた魔術師どのの懇望を受けてのおいでと伺っております。むろん、我らとて手をこまねいておりましたわけではございません」

「そこのパッルスに命じまして、ミーディムマレウスへの対策はいたしております」

「ですがのぉ」


 とりわけのんびりとした口調で、長老の一人が口を開いた。


「魔術師どのの言を容れるならば、サルウェワレーとも手を組み、ミーディムマレウスに対するにしくはなし。それは我らもわかっておるのですが。そのようなこと、われらのような只人にはいたしかねるのですよ」


 下座にパッルスとともに控えていたベックスがかすかに頷いた。

 たしかに、長老たちの言葉に熱はないが嘘もない。ミーディムマレウスを通らずにサルウェワレーと手を結ぼうにも、使いをどう送ってよいのやら。

 あっさりと幻惑狐たちまで手懐(てなづ)けて連れ歩いていた、あの異国の魔術師たちがよじ登ってきたという断崖なぞ、人間が通れるような所ではないのだ。


 むろん、断崖がどこまでも続いているわけではない。

 さらに南下し、ウングラ山脈の奥深くまで分け入れば、確かにさらに崩れた崖が緩やかな斜面を形作っているところもあるという。だがそのあたりは地盤が脆く、ときどき崖崩れも起きるとかで、立ち入らないような不文律があり、熟達した山の歩き手ですら分け入ることはないようだ。

 とはいえ、同様にウングラ山脈の懐だからと油断していたサルウェワレーに侵入者があり、そのため非常な危難が起きたことは、あの異国の魔術師たちからも訊いている。そこでパッルスはベックスともども山の歩き手たちにも声を掛け、アルヴィタージガベルに侵入してくるような者がいれば防ぎうるような罠を設置してもらうように頼んではおいた。

 それがどれだけの効果を上げるかは、見えぬものを見る呪い師の身とはいえ、パッルスにもまったくわからないことではあったが。

 

「断崖に近いところから、サルウェワレーに向けて矢文を打ち込むということも考えたのですがねえ。すでにミーディムマレウスからスクトゥム帝国の息のかかった者が入り込んでいたともなりますと。いつまたサルウェワレーへの知らせが漏れぬとも限りませぬし」


 ほとほと困り果てたような表情で長老はうんざりと手を広げてみせた。


「我らに打てる限りの手は打ちました。これ以上どうせよと?」

 

 これ以上礼を失するようなことを言えば、いつ森の怒りがふりかかるやもしれぬ。

 ひそかにパッルスが肝を冷やしている前で、琥珀髪の精霊は口を開いた。


『そちらの事情はわかった』


 声が、違う。

 パッルスは唖然とした。ベックスがびくりと硬直したのにも気づかなかった。


この地(アルヴィタージガベル)の者が、火蜥蜴の地(サルウェワレー)の者と合力したいというのなら、風を与え(力を貸し)てもよい。また、我らが流れ(動き)を妨げるな、そして森を害する者を敵とせよ。従うならば枝を与えてもよい』


 いつしか長老たちは平たくかしこまっていた。星詠みの旅人に対しても、それまでずいぶんと尊大な態度を取っていた彼らがだ。

 それは鳥葬の場の木々のざわめき、風の葉擦れ、抗いがたい自然の力。

 森の化身はたったの一声で、原始的な畏怖を、アルヴィタージガベルの者の心より掘り起こしたのだった。


 これは、違う。

 

 パッルスは強く感じた。

 あの遠い異国の魔術師――とりわけ、あの仮面をかぶった方の魔力操作の精密さ、放出魔力の大きさには、パッルスも度肝を抜かれた。張り合おうという気も失せた。

 隣国の者の中身が敵となっているという世迷い言を持ち込んだのが、余所者の魔術師であるということも気にならず、真実であろうと四脚鷲の長老たちともどもその場で納得してしまったほどにだ。

 あれはあれでたしかに並みの呪い師の及ばぬ技量であることは認めるものの、あくまで同じ人間の領域内にあるわざだった。


 しかし、この星詠みの旅人は、確かに違う。抗おうという気すらまるで起きぬ。

 これは人間ではない。人間のわざではない。

 

『この地に住まう者に告げる。東の低地(ミーディムマレウス)(すだ)ペスティス(害虫)は森を害す。この地の者よ、おのが宿り(領地)を守れ。この地を通り、(わたし)は南に風と流れる(行く)火蜥蜴の地(サルウェワレー)枝葉(知らせ)を届けたくば、はやばや託せ』


 いつの間にか、パッルスも長老たちのように平たくかしこまり、森の化身の声に耳を奪われていた。

 もはや難解な言い回しも理解の妨げではない。

 ミーディムマレウスを通ることは星詠みの旅人も敬遠するだろうとは思っていたが、まさかアルヴィタージガベルを通っただけで、サルウェワレーとの連携に手を貸してくれようとは。

 ここまで好意的に動いてくれるとは思わなかった。

 ならば、アルヴィタージガベルもまた、それに答えなければならない。

 いや、答えるのだ。


 どうしようもなく湧き上がる崇敬の念に、陶然とパッルスは酔った。

 戸口の影に見えたシクルスの顔も、またうっとりと上気していることをちらと疑問に思わなくもなかったが、盗みくらった酒にでも酔ったかとすぐに納得した。

 この森の化身がためならば。今のうちにミーディムマレウスを叩いておくべきだろう。

 多少の危険は承知の上だ。ミーディムマレウスを経由せねばならぬのが不安要素ではあるが、集落を避ければ死の谷を越え、スブテラバクルスにまで使いを行かせることも、使いが呪い師であれば、できなくはないだろう。

 惑いを忘れたパッルスの頭が忙しく回転しはじめた時だった。


『パッルス』

「ここにおります、いと高き梢の御方よ!」


 振り向いた森の化身の呼び声に、パッルスは叫んだ。満座でこの名を呼ばれたのはおのれ一人なのだという喜びが満面の笑みとなった。


風の起こる(わたしが出発する)前に、名を覚えるにたると思う者を(紹介)せよ』

「かしこまりました!いと高き梢の御方の御心のままに!」

『頼むぞ、パッルス』

「ああ、なんというありがたきお言葉!」


 その一言で、交渉ごとについてはアルヴィタージガベル一とも噂される百戦錬磨の呪い師は、じつにたわいなく法悦に打ち震えた。


 これでよしと、琥珀髪の森精は一人ただうなずいた。

 予定が実現したとて感情など動くこともない。かくあるべきものをかくあらしめただけのこと。森精という存在すべてにではなく、今、彼らの目の前にいる琥珀髪の森精という個体のみに執着されたような気配があるのに、多少ざわつくものは感じるが。

 

 声に心話を乗せることは、森に棲まう世界の守り手にとって、秘術の一つである。

 心話とは、端的に言うならば、放出する魔力に意志や感情を乗せたものだ。単なる威圧と異なるのは、感情や言葉が伝わるたび、互いの魔力は影響し合うということだ。

 魔力は時に色を変え、時に相手の心の壁を削る波ともなる。

 場合によっては心話を受けた者が相手に心服したり、恐怖したり、精神を病むことすらあるのもこのためだ。

 とりわけ、双方の魔力量に極端な差があるほどに顕著に発生することである。

 

 森精は、通常の動物たちよりも魔力量の多い魔物たちのおおかたを従え、あるいは友とすることができる。

 それは、森精たちの方が、たいていの魔物たちよりも、はるかに放出魔力も体内に保有する魔力も多いこと、そして心話を乗せる声をして、相手にどのような反応を引き起こすか――友好か、帰順か、それとも硬直かを定めることができるからだ。

 ならば、魔物たちよりはるかに脆弱な人間を森精たちが従え、使役できないわけがない。


 とはいえ、世界の守り手を自認する森精たちにとって、人間を一方的に恭順させることを行動の目的とすることはない。かつて森を離れしモノとはいえ、人間もまたかつての同胞の末裔であり、また守るべき世界の欠片であるのだから。

 森精たちがあえて森に留まり、よほどの事がなければ出ることすらほとんどないこと、人混じりをしないことは、隣人となればかならずや人間と森精との間に紛争が生じるだろうとの判断と、人間にただ服従を求めてはならないという自制の結果でもあるのだ。

 

 だが、禁は解かれた。

 双極の落ちし星を追い、枝変わりの果てに森を離れた(ヴィーリ)が助力を乞うたのだ。

 それも、じわじわと同胞の地(闇森)へと、毒苔のように広がり近づいてくるのは、南の森を焼き捨てし星々の欠片(星屑たち)であるという。 

 ならば、備えねばなるまい。

 森を離れたとても枝は枝、同胞の地より出でた者を、同胞の地の者は見捨てはしない。

 悶え狂っていた森の怨敵(火蜥蜴)も、正気に返ったとなれば、それは世界をむしばむ炎にあらず。世界を暖める光であり続けるというのならば、彼の者を狂気へ落としたという星屑の手から守らねばならぬ。

 そのためには、わずかなりとも星屑に抗う力を持つ人間を使役するという手段も取るべきなのだ。

 

 むろん、森精たちとて、声に心話を乗せても、ぴたりと狙い通りの結果が生じぬこともある。

 半身たる森の一部――樹の魔物たちの記録によれば、その妨げとなるものの一つは、異言語だったようだ。

 中でも、これまで落ちし星(異世界転移者)を拾い集め、この世界のために庇護してきた森精たちの記憶を探れば、この世界に落ちてきた直後の、心話でしか意思の疎通ができない状態の落ちし星たちには、たとえ秘術を尽くし、声に込める魔力量をいくら調整しても、せいぜいが言語理解と会話の反復で生じた親しみを強める程度にしか働かなかったという。

 これはおそらく、文字通りに生きてきた世界が異なるため、相似する概念が少ないゆえに起きることなのだろう。

 加えて、相手が真名を持つ者である場合もまた、服従の意志は薄くなるようだ。

 逆に、その真名を――真名でなくとも、相手の本名を――こちら側が知っている場合は、その名を呼ぶことで服従は絶対的なものとなり、何を命じたとしても心から喜んで従うまでになるという。

 また、森精同士の心話では、人間を相手に行った時のような絶対的な心服、相手の存在に対する依存ということも起こらない。

 これは相手が同種族であり、同程度の魔力量を保有しているからなのだろうと推測されているが、真相は不明だ。


 そのような意味でも、互いをボニーとグラミィと呼び合うあの双極の星は、同胞の地の者にとって興味深い存在だった。

 グラミィという星は、声に心話を乗せ、また相手の魔力を知覚する能力が高いために、ほぼ最初から人間相手の会話ですら不自由を感じていなかったらしい。

 ボニーというあの骨の星は――骨であるだけでも特異な存在であるのだが――いち早く心話を可能な限り使わない、使うとしても相手を限定することにしたという。

 これは驚くべきことだ。

 なぜなら、落ちし星たちというのは、自制なく自身の能力すべてを限界まで試そうという習性があるものだと、森精たちの記憶にはあったからだ。

 まあ、その一方で、心話で意思が通じるならと、アルム語を学ぶこともなく生涯を終えた者も少なくはなかったようだが。

 そのような者たちは、森の外を知る事なく森の土となった。

 万が一にでも、心話によって人間たちを使役されてはたまらない。

 世界の守護者たる森精たちにとっては、当然の判断だった。

 はい、森精たちが、けっこうなさわるな危険物だったというお話です。

 もともと森精たちが、骨っ子たちの完全な味方でも正義でもないというのは、何度か話の中で触れてましたけどね。

 書いてくうちにどんどん危険度が上がってきてますね……。どーすんだコレ。

 

 ちなみに、骨っ子が森精のヴィーリや火蜥蜴のヴェスと、喧嘩しないどこう/友好関係を結ぼうと最初に決意したのは、心話を交わして受けた魔力量による威圧のためです。

 また、心話は声を媒介としなくても、感情が伝播するため、骨っ子たちもその恩恵を受けてたりします。

 例えば、骨っ子が相手との友好関係を結ぼうと考えていれば、かなりの確率で相手との関係は友好に傾きます。

 

 さらに、骨っ子とグラミィが、言語の壁がないのに、なぜ互いの心話で共依存状態に陥らないかというと、……複数の理由があったりします。秘密ですが。ええ。

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