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怒濤の一夜、狂乱の朝

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 ようやくあたりが白んできた頃、あたしは道の上で正座していた。

 獣道に近いとはいえ道は道、クッションになりそうな草木が何も生えてないのは当然なのだが……、(すね)の骨に小石が当たって痛いんです。

 ほんとならいつも張ってる結界より分厚いやつもクッション代わりに重ねて顕界したいところなのだが、目の前で仁王立ちしてるトルクプッパさんの気配が無性に怖くて、できません。


 で、なんで彼女がそんなに激怒しているかというと。

 

「まさか、シルウェステルさまともあろうおかたが、ディシーのような幼子の純潔に興味がおありとは……」


 というとんでもない誤解のせいだ。

 いや、違うのよ、とグラミィが口を挟もうにも、

 

「ところでこの旅路では身分の上下は不問に処すとのお言葉、よもや御自分に都合が悪くなったからといって違えたりなさいませんよね?」

「……『むろんのこと』とおっしゃっておられる」


 ぎろりと目を向けられて、もしょもしょと朝食の支度に戻ってしまうというね。


〔いや、だって今のトルクプッパさんてば、あたしも本気で怖いんで。口元はいつものように穏やかーににっこりしてるのに、目がドライアイスですもの〕

 

 ククムさんたちも、昨晩の話を聞きたいと助け船を出してくれたんだけどねえ。

 これはランシアインペトゥルスの話ですのでと、トルクプッパさんてば、丁重にその助け船を轟沈してくれたもんなあ。

 ディシーを預けられたウクソラさんが、こっちの方をちらちら気にしてくれてるのだけれど、だんだんトルクプッパさんの呟きが薄暗くなってきてるせいで、どうにも背骨が薄ら寒いんですよ。

 あたしのお骨は地獄耳、耳殻がなくてもきっちり聞き取れてしまう高性能っぷりをこっそり恨みたくなるくらいだ。


「導師には珍しく清廉潔白でいらしたというシルウェステルさまだからこそ、信頼申し上げておりましたのに。よもや混乱に乗じて手をお出しになろうとは。骸骨となりながらもそのようなお気持ちがおありなのかと思うと男という男が(けが)らわしく感じられてなりませぬ。……潰してしまえればいいのに」


 ナニをですかーっ?!!

 最後の一言は小声だったが、本気で震えが来たよ。生身だったらちびってたかもしらん。

 てか、生前のシルウェステルさんはともかく、他の導師はなんかやらかしてたんかい。それが常態だったんかい。

 なら潰されてもしょうがないな!

 今のあたしにゃ二重の意味でナニもないですが。ええ。


 しっかし、魔術学院の風紀がそんだけ乱れまくってたと考えると、トルクプッパさんが男性――それも、魔術師姿の男性をだ――を避けたり、今みたいに男装したりすることが多い理由も、憶測から確信に変化しそうだ。

 てか、そもそもが魔術学院自体が、魔術師系貴族にとっては、ある意味生け簀のようなものだという話は聞いてたしね。平民や下位魔術系貴族の子弟の中から出来の良い者を自分の手駒に、国の手駒にするための。

 そして、魔術師の素質である放出魔力の多い子を産める女性を囲い込むために。

 

 身分差という大きな網で抑えこめば、一方的な愛と言うより執着や、積んだ金で獲物を仕留めることなどいとも簡単。

 実際、平民の女性は在学中、つまり魔術師としては未熟な見習いレベルであっても、貴族出身者から愛人というか、庶子を産む契約とかもちかけられることも多いみたいだし。


〔よくそんなこと知ってますね……〕


 そりゃシルウェステルさん(あたし)って、名ばかりとはいえ魔術学院の名誉導師ですから。一応は。


 もちろん、ごくごくありふれた求人活動ならば、魔術学院としては関知するところではない。

 貴族によるいろんな人材の囲い込みにしたって、全部が全部ダークなものとは限らない。てか、それぞれの家門の体面とか外聞の問題もあるので、おおよそのところは節度を持って行われている。らしい。 

 締結不能な契約の不履行とかで詐欺ったり、手を出しといて女性に泣き寝入りさせたりといったやりすぎは、将来的には魔術学院から平民を逃がしてしまうことにもつながりかねないしね。

 ……なんか、こう、裏事情とか、知るたびにあたしの人品骨柄がだだ下がってく気分になるんですけど。


 これはあたしの推測だが、おそらく学院長が、たとえば烈霆公(れっていこう)家みたいな高位貴族の家門の当主とか、その重鎮――もっふるたぬき(前副学院長)みたいなね――ではなく、魔術師である王弟とはいえ、若すぎるんじゃないかというオクタウスくんになってるってのも、権力を笠に着てなにかやらかすような高位貴族の子弟に対するわかりやすいストッパーとして設定されているからなんじゃないかな。

 王族がいっちょかみしているとわかれば、この世界の封建制社会において普通の判断能力を持ってるやつは、たぶん法を破ろうとはしない。特におおっぴらには。

 が、中には止めても止まらない判断能力の欠片もない、素行の悪い連中だっているのだろう。

 偉いのは家門であって、爵位継承以前ならば、まだ単に家の駒にすぎない彼ら個人が偉いわけではないのだろうけれども。

 そういう勘違い連中がその猿臂(えんぴ)を、在学中のトルクプッパさんたちに伸ばしたことがあった、と考えるのは、そう無理筋ではない気がする。

 

 加えて、昨晩からはいろんなことが多すぎた。

 ディシーが術式を暴発させたこととか。

 その暴走を止めるためにあたしがやったこととか。


 ……いや、最後のはちゃんと効果を発揮したんだけど。そのせいでトルクプッパさんがおこなわけです。

 いやほんと誰かたすけろください。


〔だって、あのときはあたしもどん引きしましたし。トルクプッパさんだってどこまで何見てたかわかんないですけど〕


 ……あたしの演技が国の暗部に属するトルクプッパさんすら誤解させるほど、迫真だったことを誇るべきか恨むべきか。

 おまけにその直後、空から森精が降ってきたもんなぁ。

 てんやわんやすぎて収拾つかなくなってたから、トルクプッパさんが割を食ったんだろうなあ。きっと。

 あたしは空から降ってきたんで二人がかりで受け止めた、あの黒髪の森精との情報交換で手一杯だったし。


〔あたしだっていっぱいいっぱいでしたもん!なんなんですかあの無茶振り!つるつる術式がまだ残ってるのに、他の人たち全部頼んだとか!一人でできるわけないじゃないですか!〕


 うん、そこは素直にごめん。


〔だからあたしはククムさんとウクソラさんの優先にさせてもらったんですよ。トルクプッパさんにディシーを預けて、様子を見ていてってお願いして〕

 

 ……で、グラミィさんや。

 その時、トルクプッパさんには、何がどうしてこうなったかって説明はしたの?


〔あう〕


 おまいが戦犯か!割食わせすぎでしょ、トルクプッパさんに!

 

 ……ともあれ、情報欠乏のせいで、ここまでトルクプッパさんが茹で上がっちゃったと。

おまけに、何が何だかわからないまま預けられたディシーはディシーで、なかなか気絶から醒めてくれないときている。トルクプッパさん的には自分のトラウマもちくちくつつかれてオーバーラップしてきたせいで、ここまで確固たる思い込みにまで成長したと。


 グラミィが用意した朝食は、穀物を熱湯で溶いたねばねばするお粥だ。持ち歩く時に粉にした方がかさばらないからという理由で、逃げ出す時に、ウクソラさんが道中食糧にと思い切りよく提供してくれたものだったりするのだが。


「と、トルクプッパどのも食事を召し上がらぬかの?」

「ありがとうございます、グラミィさま」


 あ、どうぞどうぞ。こっちのことは気にしないでいいです。ついでにその間ぐらいは、この正座状態をなんとか解除させてほしいんだけどなー。

 藁があったら縋りたい気分で眼窩を向けてたあたしに、見られただけでひんやり冷たくなるような笑顔でトルクプッパさんは言い切った。

 

「……シルウェステルさまは常人の召し上がるものはお口になされないんですよね?でしたらそのあいだ自省されてはいかがでしょう?」


 ひどいや。ほんとになんにもなかったのにー。

 てか、回り回って今度はあたしが割を食う番ってことかい!


〔座布団一枚〕


 座布団あるんかーいっ!いやあればほしいですけど。骨身に沁みて切実に。


 そんなやりとりをしている間も、その一方であたしは幻惑狐(アパトウルペース)たちと心話をつなげていた。夜の間もずっとしていたことだ。

 索敵範囲を広げるのが主な目的なのだが、居心地の良さを求める彼らがそうそうばらけてセンサ役を担ってくれるわけもない。動かないでいる人間にくっついて、体温で暖を取る方が彼ら的には優先順位が高めだったりする。

 いや、まあ、いいですけどね。

 ディシーに貼りついてる彼らのおかげで、これだけ強制的に距離を取らされていたとしても、彼女の様態の変化ぐらいは感知できるし。

 グラミィに教えたげたら、ストーカーぽくって気持ち悪いですねとか言われたけど!


(ほねー)


 アウデンティアがきゅいと鳴いた。


「グラミィさま。ディシーさんが気づかれました」


 ウクソラさんが教えてくれたとたん、すごい勢いでトルクプッパさんが近寄っていった。

 ……いやまあ、あたしもいち早く気づけたんだから無問題ですよ。うん。


「……え?あの、トルクプッパ、さん?」 

「まだ起き上がらないで、ディシー。気分はどう。何をされたか覚えてる?」


 ディシーにしてみれば、意識が戻った途端、あわただしくまぶたをひっくり返されーの、脈を取られーの、熱を診られーのと、矢継ぎ早にバイタルチェックをされた果てが、この質問ですよ。


〔『何があったか覚えてる』じゃないのが泣けてきますねー〕


 トルクプッパさん的には、どんだけあたしの心象って真っ黒なんだろうね。眼球をお空の彼方に吹っ飛ばしたような気分になるよ。飛ばすような目玉もないけど。


「え、あ、あの、すみませんでした。勝手に魔術を使いました」


 あ、ちゃんと自分が悪かったのは覚えてるのね。


「それは、今はいいから。他には?」

「魔術の顕界が止められなくなって……骸骨の魔物(マルスゲニウス)(かじ)られかけた夢を見ました」

「……か、囓られる?」

「はい。怖かったです」


 なんというノンセクシャルなお答え。

 いやま喰うってのは性欲面での比喩には使われるけどなあ。あたしゃゾンビじゃないですから。生身の人間は囓りませんて。

 絶句するトルクプッパさんと、当のディシー以外の全員が吹き出したのは言うまでもない。

 いちばんけたけた笑っていたのが、黒髪の森精というね。


 昨晩空から落ちてきた森精の彼は、メリディエースリーニャと名乗った。これはとても珍しいことだ。

 心話でのコミュニケーションを主とするため、森精たちは、個体識別に必要な個人名というものを、彼らのコミュニティの中では必要としない。そもそもが彼らの自我は森精という集団の一部として構築されているのだ。

 あたしがヴィーリやペル、そしてドミヌスに呼び名を送ったのは、なんというか、森精という集団意識からそれぞれの個人の自我を切り出して、自分の知る個人と個人の関係性に落とし込まないとコミュニケーションができなかったからという面もあるくらいなのだ。

 彼が黒髪というのも珍しくはある。闇森の森精たちは金髪、それも色の薄いプラチナブロンドに近いような髪色であることが多く、そこに緑や茶の模様を入れていることが多いからだ。

 木漏れ日に同化するための迷彩なのかな、とも思うがそのへんはさだかではない。


 メリディエースリーニャ――長いのでメリリーニャと呼ばせてもらうことにした――が落ちてきたのは、ディシーの魔術暴発が原因だ。

 だが、なぜ彼が夜間にミーディムマレウス上空を飛んでいたのかというと、あたしがグリグんに渡した伝言のせいだったようだ。


 あたしがグリグんに渡したのは、ヴィーリから託された樹の魔物の枝である。森精ならばそこに込められたヴィーリのメッセージばかりでなく、その枝が感知、記録した環境変化――正気に返ったヴェスが自身のコントロールを取り戻したこと、あたしとグラミィがどこをどう通り、幻惑狐たちとどこで出会ったか――なんてことも分析ができちゃうらしい。

 それを受けて、すぐさま闇森から森精たちが出立したんだそうな。ただし、タイミングもルートもばらばらに。


 ……それを聞いて、かなりあたしはほっとした。

 つまりそれは、星屑たちを森精たちは甘く見ていないということだからだ。

 

 もし単純にヴィーリを助けるためだけに行動するのなら、多分彼らは枝の記録から、直近の危険を把握し、最短で最も安全なルートを選んだだろう。具体的には星屑たちとの遭遇可能性が高いミーディムマレウスを通らないよう、たぶんアルヴィタージガベルから直接サルウェワレーに抜けるような。

 しかし、彼らが単純に複数人を派遣するのではなく、複数のルートを用い、意図的に出立のタイミングすらばらしたということは、いくつかの理由が考えられる。

 ばらけたのは、たとえ星屑たちの妨害を受けたとしても、必ず誰かしらはヴィーリのもとにたどり着くことができるようにするためだろうというのが一つ。

 もう一つは、クラーワ地方から、というか少なくともミーディムマレウス周辺に森精たちが散らばることで、じわじわと増えつつある星屑たちを封じ込める包囲網を敷いたのだろうというのが一つ。

 それを考えると、メリリーニャの墜落は、彼が予定していた場所に予定通りたどり着けなくなり、包囲網に穴が開くおそれも生じる異常事態、ではあるのだが。

 あたしは彼に同行を願い、彼は了承してくれた。

 

 朝食の穀物粥を軽く食べると、ディシーはまたすぅっと寝てしまった。

 たぶん魔術暴発で消耗した魔力(マナ)が回復し切れていないのだろう。一晩気絶してたのも、おそらくは同じ理由なんだと思う。

 あたしも彼女の術式暴走、ぱりんぱりん砕きまくるついでにおいしくいただいてたしね、魔力。


 とはいえ、出立をこれ以上遅らせるわけにもいかない。

 そんなわけで、くどくどと謝るトルクプッパさんを制すると、眠るディシーを身体強化のできる彼女に背負ってもらい、あたしたちはここまで彼女とディシーが持ってきていた荷物を振り分け直して、移動することにしたのだった。

 グラミィがお茶会術式で構築したポットやマグカップを砕いて廃棄すると、ウクソラさんてばじつにもったいなさげな目で見てたけどね。痕跡を残しちゃいかんでしょうよ。


〔にしても、追っ手をかわし、ぐるぐる巻きにした意識のない女の子を担いで山道を急ぐ一行とか。今のあたしたちって、ただの悪党にしか見えないですよねきっと!〕


 グラミィ、言い方ぁ!

 あまりにも人聞きが悪すぎるでしょうがその表現。

 意識のない人間って重いんだぞ。負ぶい紐代わりに、ククムさんが提供してくれた布で縛り付けてでもいないと、ディシーの重心が後ろに倒れたら立て直せないでしょ。トルクプッパさんだってめちゃくちゃ危険になるんだから。


 心話が伝わったのか、メリリーニャが口元を緩ませてあたしたちを見た。

 

 通常、森精たちはあまり感情を表に表さない。だがそれは彼らの感情が薄いせいではない。これも彼らが心話を主なコミュニケーション手段としているせいだろうとあたしは思う。

 心話は魔力の放出に心象イメージをのせるようなものなので、いちいち表情にあらわさずとも、互いの気持ちはとてもよく伝わるんである。

 だが魔力知覚能力のない、もしくは森精同士よりも低い人間たちにとって、森精の淡い表情はとらえがたく不可解なものにも思えるのだろう。

 森精たちには端整な顔だちの者が多いこともあいまって、神秘の一族というイメージを補強する一因だ。

 

 だがメリリーニャは、森精とは思えないほど表情筋を酷使している。それも自然にだ。

 彼も黙って表情変えなきゃ、切れ長なまなざしの森精らしい美形で通るのだろう。ちょっと三白眼気味ではあるが。

 だけど、墜落してきた直後から、彼は森精らしからぬ振る舞いであたしを驚かせた。盛大に顔をひん曲げ、飛行を妨害されたことについて、立て板に水とばかりに悪態まじりの文句をぶうたれてきたりとかね。

 語彙があまりに古いうえ、森精の言い回しがふんだんに混じるせいで、悪態に聞こえないくらい雅やかに聞こえてしまったのはさておいて。

 よく言えば人間味が濃い、悪く言えば森精っぽくない、ように見えるからこそ、メリリーニャはミーディムマレウス上空経由ルートを来たのだろう。

 その目的地がミーディムマレウス国内であったとしても、彼の狙いがヴィーリの直接サポートではなく、星屑たちへの攪乱工作であろうとあたしゃ驚かない。

 さもなきゃあたしたちと行動を共にする、なんてことをあっさり受けてくれる理由がないんだもん。


 山道とはいえ比較的なだらかな坂道に出ると、道案内として先頭に立ってもらってるククムさんとウクソラさんから、トルクプッパさんが少し距離を開けた。その顔は蒼白に近い。


「トルクプッパどの?具合でも悪いのかの?」


 あたしといっしょに近づいたグラミィが声を掛けたが、彼女は首を振った。


「いえ、失礼ながらシルウェステルさまにお願いを申し上げたく」

「『願いとは?』」


 トルクプッパさんは、かすかに息を飲み込んだ。


「わたくしがお願い申し上げる筋ではございませんことは、この愚かな身にも重々承知しております。ですがそこを伏してお頼みいたします。ランシアインペトゥルスへの帰還がかないましたあかつきには、どうかわたくしにのみ処罰をお与え下さいますよう。こたび、シルウェステルさまに犯しました不敬はわたくし一人の咎にございます」


 と言われてもなあ。

 ぶっちゃけ処罰だなんだって考えてなかったんですが。ましてや誰かをトルクプッパさんに連座させようとか。

 

 頭蓋骨を元通り隠しているとはいえ、あたしと夢で襲ってきた(と思い込んでる)骸骨の魔物をディシーが結びつけることは、なぜかなかった。

 あのあと近づいてみたあたしにも、ディシーが恐怖も何も感じてなかったようだったし。むしろ勝手に術式顕界した挙げ句に暴発させてごめんなさいとか、きっちり謝ってきたぐらいだし。

 その様子に頭がようやく冷えたのだろう。トルクプッパさんには出立直前まで五体投地レベルで謝り倒された。あたしゃそれで気が済んでる。

 だから、これ以上このことに関して引きずる気は、まったくないんだけど。


「トルクプッパどの。『気にされることはない。この旅路において身分の上下を不問に処すと申したのは、けして(たわぶ)れ事ではない』とのことにございます」


 そうグラミィに伝えてもらうと、トルクプッパさんはさらに身を縮ませた。

 ……いや、嫌みで言ってるんじゃないんですよ?


「『トルクプッパどのは、わたしが定めた枠内で、犯された過ちを(ただ)さんとなされたまで。そこに誤解があったとはいえ、トルクプッパどのの意図は正しいものであり、抱かれていた不信も曲解も真実のもとにほどかれたはず。そうではないかな?』」


 脛骨(けいこつ)に小石は結界越しでも軽く拷問だったけどね。


〔……きっちり恨んでるんじゃないんですかー〕


 う、恨んでませんじょ?

 単にやられたことを覚えてるだけですー。


〔うわこわ。ボニーさんてば恨みがましっ〕

 

 そんなやりとりをしていると、杖で背負ったディシーを支えたまま、トルクプッパさんがそっと頭を下げた。


「まことに申し訳ございませんでした。魔術学院でも、シルウェステルさまが身を慎まれていらしたそのお姿、地位や身分にうぬぼれ、平民に無体を仕掛ける貴族子弟を時に(たしな)めておられたことに、わたくしは身勝手な憧憬を抱いておりました。その思いを裏切られたように思い込み、無思慮なことをいたしてしまいましたこと、千言万語をしても謝しえぬ罪と背負ってまいります」

 

 どうやら、トルクプッパさんは、生前のシルウェステルさんが導師をやってたころの学生でもあったらしい。

 あれこれと思い出について語りたい様子だけど、あいにくあたしはそれに付き合ってあげることはできない。


「『すまぬが、そのころの覚えはこの身にはない』とのことにございます」

「……そうですか。記憶はいまだ戻っておられませんでしたか。重ね重ね申し訳ないことをいたしました」

「『気に病まれるな』」


 ええ、気にしないで下さい。

 あたしはシルウェステルさん本人はないのだから。彼のお骨の無許可不法占有者、シルウェステル・ランシピウス名誉導師を(かた)る、ただの(異世界人格)にすぎないんですよ。言わないけど。

 それに、たぶん、シルウェステルさんが品行方正だったのって、アーノセノウスさんの存在があったからなんじゃないかと思うし。


 シルウェステルさんの父親であるイニフィティウスは、クラーワヴェラーレの王族、というか当時もクラーワヴェラーレの統治権を握っていた、赤毛熊(ルブルムルシ)の氏族の長となった人の異母弟にあたる。現王であるアエノバルバスからみれば、祖父の異母兄弟ということになる。

 彼はグラミィのガワである大魔術師ヘイゼル様とランシアインペトゥルスへ逃げ込み、そこでシルウェステルさんが生まれ、ルーチェットピラ魔術伯家へと預けられた。

 ……これ、どう考えても、赤ん坊のシルウェステルさんを、ランシアインペトゥルスが、そしてルーチェットピラ魔術伯家が人質にとってたってことだよね?


 腹違いとはいえ他国の王弟の子。外交においてはかなり強烈なカードであることはまちがいがない。

 けれども、当時のランシアインペトゥルス国王は、王族の血を引く赤ん坊の存在を使って、クラーワヴェラーレへと干渉を行うようなことはしなかったという。

 たぶん、それはほんとのことなんだろう。

 だが、外政には積極的に使わなかったとしても、国内においてはどれだけぎっちぎちに使いまくってたんだろうかという疑問は残る。

 外交に使われなかったということは、シルウェステルさんは国際政治的価値のない人質になったということになる。そのような状況で彼に最も高く値をつけるのは、おそらくはそれを愛する者、もしくはもっとも血の濃い相手であるのだろう。

 

 つまり、シルウェステルさんを人質に当時のランシアインペトゥルス国王が脅しをかけたのは、その脅しが最も強力に効く相手。シルウェステルさんの親二人、ということになる。

 それが、ランシアインペトゥルスに逆らうなよ、下手な事すんなよ、したらわかるよね?という、ただ見せるための切り札としてだったか、それとも子どもの命が惜しかったら国の手先となれという、彼らを手駒として動かすための切り札だったのか、まではわからないが。

 

 で、だ。

 いくらルーチェットピラ魔術伯家の人間と育てられたって、シルウェステルさんがどんな相手とであれ、子どもを作れば、今度はその子がシルウェステルさんを束縛するための切り札として取り上げられてたんじゃないかな、ということぐらいはあっさり推測できるわけですよ。

 乳母に育てさせるきまりがあるとか、やんわりと巧妙なやり口なら、かなりごまかしは利くだろうし。


 いや、それでも子どもが生かされるなら、まだいい。

 当のシルウェステルさんですら、国の思惑一つで生かされていたのだ。下手に子種をまきちらすような面倒な貴人なぞ、王の心変わりや代替わりで、取り扱い方針にちょっとでも変更でも入れば、自分の赤ん坊ごと謀殺されてたっておかしかない、ぐらいに考えてたかもね。


 おそらくアーノセノウスさんは、シルウェステルさんの素行を見張ってもいたのだろう。そしてシルウェステルさんは、そのアーノセノウスさんの監視から、行動一つが自身の首を絞めかねぬと理解し、……恋の一つもしてはならぬ身であることを、諦めていたんじゃなかろうか。


 アーノセノウスさんはいい人だ。そしてちょっと引くくらいの兄バカでもある。

 だけど、ただそれだけしか取り柄のない人間が、彩火伯(さいかはく)などという二つ名で呼ばれ続けたりするほど、ランシアインペトゥルスは、そしてこの世界は甘くないはず。

 彼の根底にあるのは魔術系貴族としての矜恃、ルーチェットピラ魔術伯家の安泰を守らねばという、当主であった者の決意。

 ルーチェットピラ魔術伯家のためならば、どんなに愛していようが血のつながりのかけらもない弟の一人や二人、直接手に掛けることも辞さないくらいの覚悟は持っていてもおかしくはない。

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