斜め方向への脱出
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「申し訳ございません。取り乱したところをお見せしました」
いつもの落ち着いた様子をククムさんが取り繕うまで、かかった時間はそれほど長くはなかった。
表向きは。
クラーワのお国柄の例に漏れず、ククムさんもまた、冷静な商売人という表皮一枚剥げばその下は、身内に向ける情の激しく濃くも熱い人だ。
おそらくは幻惑狐の氏族全体も、そういった気質なのだろう。クラーワヴェラーレからの道中を考えれば、そうとしか思えない。
国境をいくつ越えても、その土地土地の幻惑狐の人たちとククムさんとの間には、同族意識に守られた強い連帯感だけでなく、確かに熱い血の通う、情というものが感じられた。
なのに、サルウェワレーからミーディムマレウスへ戻ってきたところを、その絶対的味方であるところの同族に襲われ、逃げ出し、身を隠さざるを得なかった。
身内に裏切られたククムさんの衝撃は小さいものではなかったはずだ。
コネクションの寸断という交渉面だけでなく、精神的にもだ。
それでもククムさんが理性的な判断能力を失わずにいられたのは、たぶん同じような手口で星屑たちに襲われた、あのスクトゥム帝国での経験があるせいだろう。
抑圧陣によってゾンビ化されたお仲間が、森精のドミヌスのおかげで回復するところもしっかり見てるわけだし。あたしもスクトゥム帝国の危険性については、いろいろ盛ったり塗ったりして伝えたしなあ……。
盛るはともかく塗るってなんですかとグラミィあたりにつっこまれそうだが、地が透けるくらいの透明塗りだったんだから問題はない。はず。
それはともかく。
いくら経験があるとはいえ、それでダメージゼロに押さえ込めるかっていうと話は別だ。
だからこそ、クラーワヴェラーレから追っかけてきたラテルさんの心配はよほどに沁みたのだろう。
「ですが、もう大丈夫です」
ほんとかよ?
半信半疑でククムさんの様子をうかがっていると、彼はじつにいい笑顔になった。
「わたくしも商売人ですからね。売られた品がこちらに益になるのでしたら、何をさておいても必ずや仕入れるというものですよ。さらに高値で売りつけるために」
そのためにも、シルウェステルさまたちがおいでになってくださったのは、実にありがたい限りにございます。
そう、凄みしかない満面の笑みで頭を下げられて、グラミィが顔をひきつらせた。
〔ぼ、ボニーさーん……〕
うん。間違いないね。
ククムさんてば、盛大にぶちきれていらっしゃる。あたしがいまだかつて見たことないくらいに。
だが、その方が、今のあたしたちにも実は都合がいい。
彼が冷静に怒り狂っているのは、幻惑狐の氏族にククムさんを裏切らせた星屑たちに対してである以上は、どんだけ苛烈なやり口を見せてくれることやら。
「『されど、ククムどの。今すぐ強襲を行うのは難しかろう。むしろ、こちらがかけられかねぬ』」
それもただ雌伏の時とかのんびり言ってらんないのだ。
まじでこっからは即断即決即行しかできない。
ククムさんたちの匂いを探す必要があったからとはいえ、あたしとグラミィは幻惑狐たちを連れて、カプット周辺をうろうろ歩き回った。
鈴の鳴り物に背中の旗指物という、ククムさんの行商装束以上に目立ってた自信がありますよ。ええ。
「『それにカプットに星屑たちが、これほど多いとは思ってもみなかったのでな』」
うん、聞こえた日本語や、幻惑狐たちへの反応からして、このカプット周辺にいた人間の三割、いや四割は星屑である可能性があるんじゃなかろうか。
と、いうことはだ。
あたしたちがこのウクソラさんちにいることは、とうに星屑たちにバレていると見るべきだろう。
下手をすればウクソラさんに関心を集めてしまったことで、そこからイモヅル式にククムさんたちの存在に気づかれていてもおかしかない。
つまりそれは、ウクソラさんの身にも危険が及ぶ可能性が高いということでもある。
少なくとも、ウクソラさんがここでこれまでと同じ暮らしを続けることは無理だろう。
おそらく、ミーディムマレウスから星屑たちが完全に除去できない限りは。
「そのくらいはわたくしも予期はしておりました。ククムがこの家に身を隠した時から」
ウクソラさんはうっすらと笑みを浮かべた。
「……すまない。巻き込んでしまって。あの時はきみしか信じられなかったんだ」
悄然とした様子のククムさんの手を、ウクソラさんは握った。
「あたしも、そのスクトゥム帝国の洗脳とやらにやられているかもと思わなかったの?」
「君に捕らわれるなら本望だと思ったからね」
「だから、半日もたってからお連れの方を引き入れたのね?」
しょうのない人、とばかりに微笑むウクソラさんはとっても美しかった。
いやでもさ。その甘ったるいイチャイチャは後回しにしてくれませんかねえ?
……しかし、きっちりククムさんてば、万が一の場合に備えて対策も警戒もしてたのか。だからこその、信頼なわけか。
うん、なんつーかすげーわ。お花畑に見えて実は鉄壁要塞ぐらいの用意周到っぷりが。
「とうに準備はできておりますとも」
「というと?」
「当座困らぬ程度に、荷造りはすませております」
「いや、そりゃ話は早いがの」
ウクソラさんが、この後あたしたちについてくる気まんまんすぎるんですが。グラミィも戸惑うわそれは。
正直、彼女は、物理的には足手まといにしかならないだろう。
魔術師でも呪い師でもない上に、たぶん旅慣れしているククムさん以上に足弱だろうってことは、もう見ただけでわかることだし。
ほんというと、彼女連れて安全地帯――たぶんもっぺん国境を越えて、アルヴィタージガベルにでも引き上げた方がいいのかな、ぐらいに思うレベルですよ。
てかククムさんたちを無傷で引き上げるミッションとしては、それで十分成功といってもいい。
後はあたしがサルウェワレーまで戻るとかして、星屑たちをヴィーリや他の森精たちと連携して排除すれば、ミーディムマレウスを反スクトゥム帝国同盟に取り込んでいけるはずだ。
正直、時間がかかるだろうけど。
だけど、ウクソラさんは、ククムさんとよく似た笑みを口元に刷いた。
「グラミィさま、そしてシルウェステルさまとおっしゃいましたか。わたくしのような者の身を案じてくださることはまことにありがたく存じます。なれどわたくしとて、なんの算段もなくこのようなことを言い出したわけではございませぬ。それに」
「『それに?』」
「わたくしも幻惑狐の女ですので。買った品は高値で売りつけねば気がすみませんのですよ」
……うわっちゃあ。
あたしはこっそり天井を仰いだ。
きっちり似たもの夫婦じゃないですかやだー。
しかも、ウクソラさんまでしっかりとぶちきれていらっしゃる。
「ククムどの」
グラミィもなんとか翻意を引き出そうと思ったんだろう。だけど声を掛けられたククムさんは首を振った。
「ウクソラがこう言い出しては、わたくしではどうすることもできません」
〔あ、諦めきってる……〕
試合終了ですかい。
だったら、逆に彼らを使うことを考える必要があるだろう。
「『ならばククムどの。この後どのような道を辿り、どこへ身を移せばお二方の思いにかなった商いが行えますか、場の選定をお任せしてもよろしいかな?』」
「かしこまりました」
ククムさんはうやうやしくお辞儀をした。
「死の谷を通ることがありましたら、シルウェステルさまのお力に縋りたいのですが?」
って言われてもねえ。
「『我々が通れたのは、多少であれば死の谷の瘴気を防ぐ方法があったからだ。だが、同じ方法は呪い師や魔術師でなくば行えぬ。それに、トルクプッパどのやこのグラミィでさえ、風向きが変われば危険な手段でもあった』とおっしゃっておられまする」
いや、ほんと、死の谷から噴き上がる推定火山性ガスを吸わないように、魔術で死の谷側へ風を吹きつけながら身体強化かけて走りぬけるとか。かなり強引な手だったことは本当なんですよ。
呼吸が必要なのがグラミィと幻惑狐たちだけだったからできたようなものだ。
この全員で似たことやろうとしても、魔術師のトルクプッパさんや呪い師見習いのディシーはともかく、魔術師ではないククムさんとウクソラさんも、魔力操作能力がないから身体強化は不可能だろう。
それじゃあと発想を変えて、新鮮な空気をため込んだ結界の中に入って走りぬける形式にするというのも難しい。ウォーターバルーンより安定しやすくすることはできるけどさ。どのみち全員すっぽり包み込んどいて、同じスピードで進まなきゃいけないことに変わりはないんですよ。
なんだその自由度高めのムカデ競走風味。
〔ボニーさん、頭だけ結界かぶって逃げるのってできないんですかー?〕
グラミィが心話で訊いてきたが、そいつぁ危険だ。
〔危険って〕
まず、頭だけにするということは、人数分小分けした結界を同時に顕界、維持しなきゃいけない。
それも、彼らと行動するということは、結界を維持したまま、彼らと同じだけ歩いたり走ったりするということだ。
グラミィ、その状態で維持できる?
〔ぼ、ボニーさんと手分けすればなんとかいけるんじゃないんですかね?樹杖さんたちでも可〕
震え声モードで他力本願はいいけどさあ。
単純な結界にどれだけの意味があるの?
頭しか覆わないような容積にどんだけそのまま空気を入れようとしても、もって数分にしかならないでしょうね。
酸素だけなんてすぐ用意できないし。
圧縮空気のタンクかなにか備え付ける?
んなもん、ただの危険物にしかなんないってば。
事故ったら、吹っ飛ぶのよ。人間の頭が。
〔な、なら結界を大きくすれば?それで単純に容量大きくなりますよね?〕
あのねグラミィ。テコの原理って知ってるよね?それと、結界の強度が相当だってこと。
〔いや、そりゃわかりますよ〕
なら、逃げるのに全速力で走らなきゃいけない状態になったら、敵が追いついてきて近接戦に巻き込まれて、万が一にでも殴られでもした時のことを考えなさいって。
兜とか安全ヘルメットぐらいぴったりしたサイズなら、標的としても小さいし、頭蓋骨って丈夫な天然防御と二枚重ねだ。打撃にも耐えやすい。
けれど、大きな結界にすればするほど当たる確率は高くなるし、かすっただけでも衝撃は通る。
あれだ、着ぐるみ着たままぶつからないでいつも通りの行動ができるかってのに近いと思う。
身体の一部――たぶん首が一番可能性が高いと思うけど――に結界の端が引っかかったら、テコの原理でそこに大きな力がかかるのだ。
そして、結界は基本厚みなんてありません。
あたしゃ彼らを生首になんかしたないぞ。
ならばと結界の端をどんだけ分厚く処理したとしても、今度はその結界の強度が心配だ。
あたしが顕界する結界のうち、一番シンプルかつ強度のないものは、たぶんむこうの世界の窓ガラスレベルだろう。
ちょっといい護身用百連発結界陣でも、棍棒でタコ殴られたらパリンパリン割れるレベル。
だがこの破片の鋭さが尋常じゃない。万が一にでも破片が動脈の上かすったら、すっぱり逝くからねー。
いずれにしてもなにか不都合が生じた途端、即座に結界を解除でもしない限り、彼らの生命を逆に危険にさらすことになる。
が、状況次第によっては、空気を保っている結界を解除するということは、彼らを窒息死させるのとたぶん同義になるだろう。
どっちにしても、あたしゃ彼らを自分の失策で殺したくはない。
〔……。いったいボニーさんは何をどんだけシミュレーションしてんですか〕
起こりうる最悪の事態。その斜め下四十五度ぐらいはなんとか抜け出せるようにって考えてるよ?
そもそも、複数術式の同時顕界と維持って、ラームスたちの助けがなければ、あたしだってけっこう大変なんですよ。下手すると戦闘中もしなきゃならんと考えたら、他にあたしが何もできなくてもいい状態でないとねえ。
しかも人数は来た時の三倍ですよ。幻惑狐たちだっている。
一度にどうこうしようとか。かなり難しいと思うの。
「かしこまりました。ならば、その近辺に逃げ込むのは最終案ということにいたしましょう」
ちらとククムさんがディシーに目をやった。
危険性が高いと伝えても、それでもククムさんが死の谷をルートの一つとして残したのには、ディシーの存在がある。
彼女――と、そのお師匠さんが住んでいた呪い師の里、ハルスペックスは、ここカプットから北にある。スブテラバクルスとの国境にも、死の谷にも近い、特別な意味のある里だ。
ウクソラさんによれば、ハルスペックスは未来を視る力のある呪い師を育てる里なのだという。おそらくはディシーもその杖の模様からして、候補の一人であるだろうとも。
未来を知るためには現在を知らねばならない。
だから、ディシーのお師匠さんは、クラーワ地方の諸事についての知識を与える――平たく言えば社会見学ということになるのか――のために、ディシーを国外へも連れ回していたのだろう。
そしてサルウェワレーでスクトゥム帝国の策謀に巻き込まれ、火蜥蜴のヴェスに喰われた。
むこうの世界でもたしか古代ギリシャのピュティアとかいったか、トランス状態になって預言だったか神託を授かるタイプの巫女がいたはずだ。
ピュティアはトランス状態になるのに地面から吹き出すガスを吸ったとかいう話だが、ひょっとしたら死の谷周辺でもそういうところがあるのかもしんない。
……てことは、ハルスペックスはほぼ聖域、というか禁足地に近いところなんじゃなかろうか。
無関係者が足を踏み入れることを禁じ、そして中にいる者も無闇に外に出ることを禁じる――禁足が命じられている里。
もちろん、外に出ることにもディシーみたいな例外は認められているようだ。けれど、中に入る者にはかなり厳しい制限がかけられていると考えるべきだろう。
いや、そりゃあどこにでも潜り込んで商いをする幻惑狐の氏族なら、何かしら伝手はあるのかもしれないけれども、それも推測に過ぎないし、今はククムさんたちの伝手をたどることもできない。
それに、未来視なんて特殊能力に用のある、そして利用したいと思う有力者――おそらくは、ミーディムマレウスの主要氏族である、囀り鷹――は、自分たち以外の人間がその特殊能力を活用することも、そして特殊能力者が搾取に抗うことも許さないだろう。
結論。
ディシーがハルスペックスに戻れば、たぶん彼女の身はかなり安全になる。
禁足地である以上、ミーディムマレウスのすべてが星屑たちの手に落ちぬ限り、スクトゥム帝国の尖兵が踏み込んでくることはないだろう。
それは同時に、ディシーが二度とハルスペックスから出られなくなるだろうということも意味してはいた。
「私のことは、どうかお気になさらず。……みなさんとお会いできたことは幸運でした」
だが、過去形で言い切ったディシーは、覚悟を決めた顔をしていた。ラテルさんと同じ目ですよ。
「それに、直接この目で見たこと、サルウェワレーで何が起こったか、ミーディムマレウスの中で狙われたことを伝えれば、たぶん、ハルスペックスでも耳ぐらいは貸してくれるようになると思います」
たしかにそれはそうなんだよね。
クネウムさんをガワにしていた星屑が、というか、サルウェワレーの調略にかかっていた星屑たちが、どのくらいの情報をミーディムマレウスへ持ち込み、どう動いているかわからない以上、呪い師たちに警戒を促す必要は、どうしてもある。
「それに、お師匠さまが亡くなったことも伝えなきゃいけませんから」
……そっか。
「『ディシプルス』」
あたしはディシーの名前を――愛称ではなく、その名前を略さずに呼んでくれるよう、グラミィに伝えた。
「『そなたの選択を尊重する』」
だが、ハルスペックスに戻り、彼女は安全になったとしても。
禁足地に入れない彼女以外の人間、特に呪い師でも魔術師でもないククムさんとウクソラさんの身は、安全にはならない。
ディシーにばかり感情移入し、他の人を見殺しにしてしまうようなことがあれば、それこそ本末転倒だ。
だから、これは、あたしのちょっとした未練でしかない。
「『道中、他の呪い師の方に接触が取れるならば、伝えるべきことは余さず伝えるべきだろう。……その結果、ハルスペックスにそなたの伝言が届くのであれば、無理に戻る必要はないと思うが、それはそなたの判断次第だ。いずれにせよ、まずはなすべきことをなすがよい』」
「ありがとうございます。シルウェステルさま」
ぺこりと、ディシーは頭を下げた。
かっこつけたはいいが、当のあたしたちだってなさねばならぬことだらけですよ。
そんなわけで、時間に余裕がない中、どう行動するか、わりと真面目な討論をあたしたちはした。
最も優先すべき最重要事項は星屑たちをどうこうすることじゃない。ククムさんたちの安全ですがね。
そういうと本人たちは不満そうな表情を覗かせたが、素直にうなずいた。
いやだって大事なことですよ。
だって、ほら。
幻惑狐たちが警戒している。
家の外からひしひしと、不穏な気配が押し寄せつつあるのだ。
「シルウェステルさま」
薄い夕闇が辺りを包みはじめたころ。
表の様子を伺っていた幻惑狐たちが低く鳴き、裏手を探査していたトルクプッパさんが声をかけた。
いよいよ本当にやばいようだ。
「このくらいの人数なら、わたくし一人でも、なんとでもなりますが。いかがいたしましょう」
……さらっと言ってくれる。だけどトルクプッパさんてば、荒事はわりと苦手なはずなんだけどなあ。
それでも、こんだけきっぱり言い切るってことは、ほんとになんとかしちゃえる自信があるってことなんだろう。
思った以上に糾問使団に持ち込まれた人材は有能揃いだったらしい。
だけど手順は打ち合わせの通りですよー。いのちだいじに。それが第一。
グラミィを先頭に、あたしたちはウクソラさんの家を飛び出した。
こうも正面から出てくると思わなかったのだろう。
あたしたちを挟むように、家の前を通る街道の左右から、それぞれ数人ずつが走ってくるのが見えた。それを一切無視するようにトルクプッパさんとディシーが街道を渡る。ククムさんとウクソラさんの後をしんがりのあたしが追う。
追っ手は速度を上げて突っ込んできて……そのまま勢いよく街道を反対側へと滑っていった。
結界を防御に使用する場合、あたしはその効果を高めるために、魔術陣を結界に刻むことが多い。
中でも回避と命名した魔術陣は、一番魔力を消耗しないですむのがありがたい。
おそらくそれは、静止や反射といった他の魔術陣と異なり、攻撃に使われたものの運動エネルギーを一切減衰せず、そのベクトルの改変もほとんどないからなのだろう。
結果、ぶつかったものはただつるんと結界の上を滑っていくだけのように見える。
つまりそれは、言い換えれば摩擦係数が物理法則を無視するレベルでゼロになるということである。
では、盾として構築した結界に使うのではなく、地面に敷き詰めた結界に、その回避陣を刻んだらどうなるか?
その結果がこれである。
「むぅわぁ、ああああああああああ!」
待てぇとか言いたかったのだろうか。北のカプット側から走ってきた連中が、ドップラー効果でも発生しそうな悲鳴を上げながら、そのまま南のサルウェワレー側まで滑っていく。多少の起伏はポップするので、さらに飛んでく距離が伸びる伸びる。
……あ、とっくに転んでた人たちを巻き込んでふっとばしてったよ。ストライク状態ですな。
「け、けったいな真似をしやがって……!」
お。えらいえらい。
あたしは根性で立った相手に思わず拍手した。だが立ってるだけで足がぷるぷるしてますよ?大丈夫じゃなさそうですね?
なにせ、道のちょっとしたでこぼこやわずかな傾斜が驚くほど仕事をしてくれるんですよ。そして意外と足を閉じる筋肉が非力なのは、むこうの世界のスケートリンクでも身をもって理解できる事実の一つだ。
じわじわ股裂き状態になっていくのを、あたしはご愁傷様と見守った。
なにせ、杖についた剣にも摩擦は働かない。とうとう四つん這いというより、五体投地状態で倒れ込んだその手から、剣が遠くに転がっていく。
見ている間に、片っ端からすてんすてんとすっころび、そのたびに重力にしばかれまくった追っ手さんたちが傷だらけになっていくのを見守っているうちに、グラミィから心話が飛んできた。
〔ボニーさん、先行きますよ!〕
よっしゃ、了解。
とうに西の木立の奥へ走り込んだ彼らの姿は見えない。
これだけ引き離せば、さすがに追ってくるのも難しかろう。
悪いがこれ以上君らのコントにつきあってる義理も気もない、そんじゃさらばと身を翻そうとした時。
「ううう、唸れ閃雷!」
ようやく片膝立ちになった追っ手の一人が叫び、左腕を突き出した瞬間。
作動音とともに太矢が飛んできた。
あ、うん。だからどうしたって感じなんだけどね?
もともとあたしは防御用に借り物なお骨の汚れ防止用にと、基本的に何重かにした結界を自分に重ねがけている。割れても内側から貼り足せ、呼吸不要のあたしだからこそできる荒技だが、防御能力はそれなりにあるんですよ。一つ一つのお骨に張るのは手間だし、結構な小技も仕込んであるので、できるようになったのはごく最近なんだけれども。
おまけにもうあたしは木立の中にいる。盾というには心許ないが、数本の木々に遮られている上、抜き打ちのように一本だけぶっ放されても、そうそう矢が当たることはないのだよ。
ま、さすがにクロスボウ的な飛び道具を仕込んでたとは思わなかったが。
発射の反動でこけたのか、射手が倒れ込んだまま向こうへ滑っていくのを見送ると、あたしは顕界したのと同じ効果の魔術陣をばら撒きながらグラミィたちを追った。
発動条件を「人間サイズの者が半径数m圏内に踏み込んだとき」にしておいたので、何かしらの対策を考えずにこの道なき森林の奥に追っ手が進もうとしても、しばらくはさっきのようなコント状態になるだけだろう。




