善後策を講じよう
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
それから一晩、あたしは湖の畔で過ごした。
脱皮が終わっても『紅の源』の体調不良が治ったわけじゃない。尻尾が再生しきらない限りは、やはり保有魔力のバランスが崩れてしまうのだろう。
そんなわけで、あたしは『紅の源』の巨体へさらに水をかけてやったり、魔力吸収陣に手を加えたものを、ちょくちょく身体の上に置いたり離したりして、過剰になりやすい火の魔力を吸い取ってやったりしていたりもした。
効果は逆っぽいが、お灸でもしているように見えるかもしんない。
あ、魔力を吸うだけなら、手っ取り早く『紅の源』の身体から直接吸ってやればいいじゃんというのはナシです。術式を通さない魔力の直接吸収は正直しんどい。譲渡してくれようとするグラミィ相手ですら、魔力の質が似ているとはいえ、こっちにもダメージがくるんだもん。
グラミィがかなり熱めのお湯レベルなら。……そーだなー、同意もない一般人、しかも生きの良い相手からのドレインなんて濃硫酸レベルなんじゃないかね。
ましてや、いくら同意してくれたって、膨大な魔力をその身に蓄えている『紅の源』みたいな強大な魔物から魔力を吸い上げるなんて、ドロドロに溶けた溶岩飲めって言われるようなもんじゃないか。
なんだその拷問。というか生存可能性限りなくゼロに近いっぽいから、処刑方法という方が正しそうとか。ヤですよそんなもん。断固拒否します。
ちなみに、魔術陣を通した魔力というのは、流れも勢いもある程度整えられて使いやすくなる。
だけど魔力そのものの特性はあまり変えようがないようだ、というのは、あれこれやってみて納得したことだった。
なら、自分で取り込むのもほどほどにすべきだろう。今度はあたしの魔力に変調をきたすかもしんないし。
てなわけで、あたしは湖に戻った『紅の源』を見送ると、満タンになった魔力吸収陣をいじったり、いろいろ考察をして眠れない夜を過ごしたのだった。
いや、もともとこの身体になってから、眠れたためしはないんだけども。
そして太陽はまだ天空の円環に隠れて見えないが、周囲がしらじらと明るくなってきてしばらくしたころ。
〔おーい、ボニーさーん!〕
心話に振り向けば、重たそうなまぶたのグラミィと、いつも通りのヴィーリがやってくるところだった。
どしたん。わざわざ来るって。何かあった?
〔ボニーさんがなんかやってる気配が薄くなったのと、道案内の人が戻ってきたんで。あたしたちも道案内してくださいってお願いして、連れてきてもらいました!〕
あー……なるほど、それはそれは。往復お疲れさまですファシリスさん。
その姿が見えないのは、たぶん、湖が見えたあたりで、これ以上進むのはイヤですとか言われたせいかな?
〔正解ですー〕
あふ、とグラミィは噛み殺しきれなかったあくびをもらした。眠そうだね。
〔道案内の人ってば夜道は危険とか言って、昨日の夕方に出ようとしたのに止めてきたんです〕
それは正解でしょ。いくら魔術師は夜目が利く、というか魔力知覚ができるとはいえ、ファシリスさんは一般人だ。夜道もオッケーとは言えんでしょう。
〔だから、朝早くにあの集落を出てきたんですよ。おかげで眠気が〕
……いったいどれだけ早くにでてきたんだか。
おばあちゃんな身体のせいか、グラミィはわりと早起きだ。
それでも眠そうってどんだけよ。
てか、ふらついてても危険だし。戻る前に、ちょっと休んでく?
〔いやいや、こんなところで一眠りとかできそうにないですし。我慢します。……ところで、『紅の源』はどうしました?てかどこにいたんですか?〕
ああ、彼なら、ほれ。そこの湖の中だよ。
親指の骨で背後をさすと、『紅の源』がざばっと水音立てて顔を出したところだった。タイミングがいい。
〔ボ、ボニーさん、その大きな赤いのが?!〕
うん、そう。これが噂の『紅の源』だよ。
(おはよう、ヴェス。彼らはわたしの仲間だ。彼らも攻撃しないでね)
(わカっタ)
〔「ヴェス?」〕
ああ、昨日いろいろ彼と話してね。
コールナーたちの話をしたら、自分も名前が欲しいって言うからあげたの。
脱皮したときの、あのはっとするほど鮮やかな鱗の色のイメージが強くて。ヴェスティメントゥムソリスとね。ヴェスはそれを適当に縮めてみた。本人(?)も気に入ってくれたみたいで。
……というあたしの説明は、岸にゆっくりと上がってくる巨体に見蕩れてたグラミィにどこまで届いていたのやら。
〔「なんて、綺麗……」〕
でしょう?
畏怖ゆえか、感動ゆえか。震える声と心話に、あたしは思わず胸骨を張った。
〔なんでそんなにボニーさんが自慢げなんですかっ?!〕
そりゃもちろん、いろいろやったからだよ。
いや、あたしのことはさておいて。
…………。
ヴィーリ。その眉間に皺、取れなくなりそうな勢いなんですけど。
(久しぶりだナ。森ヨ)
「……会いたくはなかったがな。炎よ」
森精の特質か、ヴィーリも感情がかなり薄い。
ましてや表情に出すのはきわめてうっすらとしたものだったりする。
それが、こんなにいやそうな顔をするとか。よっぽど会いたくなかったんだなー。
……てゆーか、直接のお知り合いで?
「木々の覚えている相手ではある」
それ、いつごろから?
……って、時間感覚の疎い森精に聞くのが間違いだったかな。
「ランシアインペトゥルスという人の集まりができたころには存在していた。だが、この炎は、我々のように枝変わりをしているのではない。ずっと生きている」
つまり、一つの国ができる頃から『紅の源』は存在したと。
それも、火蜥蜴が何匹か代替わりしてたのを、見分けのつかない人間がくるっとひっくるめて、『紅の源』と呼んでいたんじゃなくって、ずっとヴェス一個体が『紅の源』と言われていたというわけか。
……えらい長生きだね。この子どものような好奇心旺盛っぷりを考えるとマジかーって気分になるけど。
いやまあ魔物の生態なんて、コールナーや幻惑狐たちのそれすら、あたしが知ってることはほとんどないもんな。ヴィーリが言うなら本当なんだろう。
(『紅の源』トはナんダ?)
ヴェスが小首をかしげて聞いてきたが。
人間たちがつけた、あなたの呼び名、としか言いようがない。
(人間ガ?こノよウに間近ク寄ッてクるコとモほとんどナイのニ?)
……ああそうか。
火蜥蜴の氏族のみなさんてば、例の敬して遠ざける祀り上げ方式でいたもんな。そりゃあヴェス側の認識が薄くても当然か。
〔……ボニーさん、いろいろやったって、ほんとなにやったんです?なんでこんなに仲良くなってるんですか?〕
そっから?
……まあ、サウラさんたちの話しか聞いてなけりゃ、ヴェスのイメージが人喰いになった魔物ってとこから更新されてなくてもしかたないか。そりゃどんなに綺麗でも怖いよね。
ざっとこれまでの説明をすると、グラミィは目が飛び出そうな顔をした。ヴィーリは全然驚かない。予測の範疇だったってことか。
だけどあたしゃかなり大変だったんですよ。
水を求めてるらしいってのは、行動からなんとか読み取ったことだったけど。じゃあ事前準備は何するかとか手探りだったし、そもそもヴィーリってばヴェスの情報教えてくれなかったし!
火蜥蜴の生態なんて、魔術学院で読んだ書物にだって載っとらんわ!
一致するかどうか不明と言われても、だめもとで聞いておくべきだったと思い知ったよ。
「蕾を開く春風を知って、葉を散らす冬風と同じと思えまい?」
……行動パターンが別物だったと言われちゃねえ。確かにちょっと悩むところではある。
正気であるなら、ヴェスは基本温厚だ。争い事は避ける傾向が強い。それが本能的に暴れまくってたとはいえ、出会った人間を余さず殺傷し尽くした上に食べたりしちゃあ、違って見えてもしょうがないというのは納得するよ?
でもさあ、ほんと何にも情報がないってしんどかったんだ!レンチン攻撃のヤバさとか!
〔……ゆで卵を作るつもりだったのが、爆裂スクランブルエッグに強制変換されるような攻撃なんですか?〕
うーん。卵が生にしとくべき自分の身体だと思えばだいたい正しい。あと基本不可避だと思って。
〔「うわぁ……。なんというか、その、ボニーさんてば、いったいなんで生きてるんですか……」〕
生きててすみませんね!骨だから生物学的に生きてるかというとかなり疑わしい存在ですけど!
〔「太宰ですか!いや、そういうわけじゃなく。あー……なんていうかお疲れさまでした……」〕
かわいそうなものを見るような目で見んなよグラミィ。
そんなこんなの甲斐があって、ヴェスとは話ができるようになったんだから。
〔じゃあ、これからどうするんですか、ボニーさん?火蜥蜴の氏族の人たちと話をするにしても、どんなふうになるとか。目処はつけてるんですよね?)
うん、それなんだけどね。
ざっくり説明するとヴィーリは無言で見返し、グラミィは呆れ果てたような目を向けてきた。いや痛いから。その目は。
「……ともかく、一度は戻りましょうか?」
だね。これから先、傷を完治させたいヴェスに効くのは日にち薬だろうし、サウラさんたちにも報告しないとなんないし。
そしてあたしたちはグラミィたちの待機場所だった天幕群を越え、サルウェワレーの首都というにはつつましいアルトゥスへと戻ったのだった。
あ、ファシリスさんにはきっちりお礼を言いましたよもちろん。
「佳きお話があるとうかがいましたが」
「はい。我が主、シルウェステル・ランシピウスが『紅の源』を無害となすことに成功いたしました。よほどのことがない限り、かのものが人に害を及ぼすことは、二度とございませんでしょう」
グラミィが首肯すると、一堂に介した人たちがざわめいた。
そしらぬ顔でグラミィは続ける。
「また、『紅の源』が棲まいしております湖一つ、水で満たしましてございます」
うん、ダメ押しの水を増やすのには、グラミィとヴィーリの力も借りました。
けれどこれで『水の供給最優先で』というサウラさんの要望も達成したわけです。文句ないでしょ?
「さすがはククムどのが招聘された方々。素晴らしいお力を奮って戴きまして、我ら火蜥蜴の氏族、深く感謝申し上げます」
「『運が良かっただけにございます』と申しております」
「ご謙遜を」
〔そうですよボニーさん、謙遜もすぎれば嫌みじゃないですか?〕
グラミィはジト目をひっそり向けてきたが、本当のことだし。
ヴェスのレンチン攻撃をかわせたのも、生き延びたのも運が良かっただけ。マジで偶然にすぎないんです。
「ところでグラミィどの。『紅の源』の無害化とは、いかなることをなさったのか伺えませんでしょうや」
「かいつまんで申し上げますと、『紅の源』は正気ではございませんでした。大怪我を負っておりましたゆえのようにございます。そこで、我が主がかのものを正気に返し、交渉を行いまして」
うんまあ嘘じゃないです。
……しかし、こうもいちいち重箱の隅をほじくる勢いで詳細を求めてくるってのは、まあこっちの言葉の真偽を確かめたい為政者としちゃあ正しいことなんだろうな。嘘を言ってたらどっかで辻褄があわなくなるもんだし。
だが、どうやら本当に危険は去ったらしいと空気が緩んだその場に、いきなり立ち上がった人がいた。
「ちょうどいい!弱っているのだ、討伐をすべきだろう!殺された者の復讐だ!」
「っトリ!」
「トリオニディート!何を言い出します!」
座はどよめき、サウラさんが叫んだが、あたしも驚いた。
……復讐に復讐を重ね、血で血を洗いあうのがクラーワ気質だから、こういうこと言い出すヴァカも出てくるかもなあとは想定してたよそりゃ。だが早すぎないか?痛い目見たなら、ちょっと次の手を打つにも様子を見たり躊躇したりするもんでしょ?
いったい何をひっかきまわしてくれるかなあとつくづく見れば、あたしたちの出発前にちょっかい掛けてきたアホに似ているよこの人。血縁か。
「異国の呪い師どのは、『紅の源』と意を通じられたという。その言を疑うわけではないが、我らが求めるは水!なれば、万難を排して水を手に入れるべきであろう!」
「確かに湖はいくつか涸れたが、未だ小沼の類いは涸れておらぬ!余裕こそないが、今はまだ困窮してはおらん水がために、氏族の紋章たる火蜥蜴を討つと申すか、このたわけが!」
「何をお怒りになるセニョリスどの。紋章とは氏族の皆々が持ちたる力を示すもの。我身に取りこめばなおのことその力は強くなる。他の氏族でも紋章へ挑むをならいとするところもあると聞く。なればこれまで誰も挑まなかったことこそが不明ではないか!」
今度のざわめきはなかなかおさまらなかった。
……なるほど。復讐ってだけじゃなく、そういう方向性での理論武装もしてきたわけか。
確かに、アエノバルバスも赤毛熊の氏族長の正装ではその毛皮を纏うとか、ククムさんが言ってたな。
幻惑狐の氏族の人たちが、フームスたちの尻尾を狙ってるわけではないが、確かにその氏族紋章が各氏族の誇り、力の象徴であるならば、我が物にしようという方向性はまちがっちゃいないだろう。
だけど、行動は大間違いですともさ。
サルウェワレーでヴェスを相手に、怪獣特撮モノ異世界実写版をやらかそうってんなら、断固阻止ですよ。てか、人がこれ以上のダメージを負わないよう無事に丸く済ませようとしてんのに、何言い出してくれるかなこいつは。
トリとかいう人が言うのは、ヴェスを殺せというのと同義だ。
国の興亡すら越える星霜を生き抜いてきたあの美を滅ぼすとか、世界に対する何の損失だよ。
そもそもこのタイミングでンな戯言を言い出した狙いってのが、たとえ国一つとはいえちっぽけな氏族内の争いを有利にするための政治材料獲得という矮小なものでしかないとか。
かなりがっかりだ。悲しみのあまり、とことん嫌がらせをしてやりたくなるくらいに。
〔ですよねー。ボニーさんは利己的な理由で他人の利己的な行動を潰すのが得意ですよねー〕
おうさ。人間社会なんてそんなもんだよ?
で、そういうのを黙らせるのはわりと簡単だ。
相手の正義を、行動の基盤となる価値観を砕けばいい。
「そもそも、『紅の源』は我らが氏族を殺したではないか!復讐だ!血は血で返せ!」
「それなのですが」
口を挟んだグラミィに視線が集中した。
「これまで温厚かつ火蜥蜴の氏族に恩恵をもたらしていた『紅の源』が突如荒れ狂った訳をご存じでしょうかな?」
「わけ?そのようなものがあるか?」
「ございますとも。『紅の源』が錯乱し、ただ暴れるしかできなくなった理由はただ一つ。人間にひどく傷つけられたがためにございます」
男性は黙った。
バケツ一杯の氷水ぐらいには、グラミィの言葉はきいたらしい。
復讐しようとしたらそれは相手の復讐の妨害だったというわけだ。彼らにとって復讐は最上の価値ある行為だ。それを妨害したとあれば、自分が悪とみなされるという危険に気づいたんだろう。
政治材料獲得どころか、一転して政治生命断絶の危機ですが、なに、彼の論理にわざわざ乗ってやったんだ、文句はあるめぇ。
「……それが理由になるか。そもそも怪我がまだ癒えていないのであれば、さらに暴れることもあるのでは。被害が出るやもしれんではないか」
へえ。まだ文句が出せたんだ?
「だからこそ、我が主は『紅の源』を無害なものとしたのでございますよ。己が傷をもたらした者どもへの復讐を妨げるのではなく、理を説き思いとどまらせたのでございます」
「なんだと」
グラミィはゆっくりとサウラさんに向かって礼をした。
「話が前後しまして申し訳ございませぬ。激痛に錯乱しておりましたところを我が主により正気に返りました『紅の源』曰く、火蜥蜴の氏族と事を荒立てる気はない。そのことについて氏族の長と会い、話がしたいとのことにございます」
沈黙が広がった。
いやでもちゃんと最初に言ったよね。交渉しましたって。
グラミィに呆れ果てたような目を向けられ、男性はびくりとした。うん、痛いんだよね、その目は。
「そちらのお方も嘘だとお思いならば、ともに『紅の源』の御座所たる湖まで参りませんかな?水を得るにしても見ていただかねば納得はできますまい?」
「いや、しかし」
「おや。一度見たことは百度の嘘にも疑えずと申しますでしょうに。わたくしどもの言葉が信じられずとも、御自分の目は信頼なされますでしょう?」
あたしたちもグラミィの言葉だけで彼らが信用するほど甘いとは考えていない。
当然、ヴェスが療養している湖まで人を遣ったりして、状況を確認したり報告させたりするだろなと思ってた。
ナチュラルに他人へ回すつもりだったそのお鉢が自分自身に回ってきたところで、何か不都合でも?
いや危険コワイキライって臆病者には不都合だらけでしょうけど。
「…………」
「われわれとて、始末をいたしたにも関わらず、『紅の源』とは違う別のモノを退治たとでも、後日になっておっしゃられても困りますのでね」
グラミィめ、煽りよる。いいぞもっとやれ。
〔いいんですかこれ?〕
いいんです。
見てみ、周りにいる人の顔。
中には「その手があったか!」と言わんばかりのすごい顔しておる人もいるから。
「こ、これは」
なんとか鼻で嗤おうとしたのだろう、そっくり返った男の声は情けなくもひっくり返った。
「シルウェステルどのと申されたか?『紅の源』をたいらげられた英雄にしてはひどく臆病なのだな。かように十重二十重に手を打たれるとは」
へえ。
今度はこっちになすりつけてこようってか。なら相手になったろうじゃんか。
あたしはちょいちょいとグラミィを骨の指先で招いた。近づいてきたグラミィにぼそぼそと囁くふり。
「我が主は『この身が英雄と呼ばれるにふさわしいかはさておき、英雄なぞというものは、もともとろくでもないものかと存じます』と申しております」
英雄とは、非凡なことを成し遂げた者、特に軍事面において、大きな戦功を第一線で立てた者のことをいう。
平たく噛み砕いて言うならば、なみの個人では勝てない相手に挑み、予想もできなかったような劇的勝利、その要因を味方にもたらした者、ということになる。
だけど、圧倒的な戦力差をひっくり返すとか、正道じゃ無理な話なのだ。正々堂々の一騎打ちとかありえないわけですよ。
つまり、大きな戦功を計画的に立てるなら、敵の弱点を粗探しのように探しまくり、そこをちくちくつつきまくりでもしない限り難しいのだ。なんという小姑攻撃。
当然、本人が聖人だろうが悪人だろうが関係ないんです。むしろ性格が悪い方が功績を立てられるかもしんない。あと勇敢であるより臆病な方が。
祀り上げられる本人の素質は置いといても、不幸なことに英雄が称揚される国や時代というのも、たいていがろくでもないことにかわりがないんである。
まず、英雄が生まれる前提条件として、一個人が勝手に戦功を立てられるような不穏な状況、もっというなら戦場に立たされているような状況でなければならない。
次に、国内に強い不満が溜まっていなければ、英雄は称揚されない。
その場合英雄は無名のたたき上げであればあるほどいい。王侯貴族の生活を支えている平民たちの不満をすりつけ、昇華させるのにいいからだ。
ついでに英雄ができることなんだ、君が次の英雄になるのだと焚きつければ兵士の戦意はそこそこ上がる。なにせやればできた見本が目の前で生きて動いて名誉と報償を得ているんだもん。英雄個人にカリスマがなければないほど、自分が得られるかもしれない次の英雄という理想像は光り輝くというわけだ。
ちなみに敵に対しても、英雄はいい囮になる。
たとえ無実であろうと有名であれば敵は警戒せざるをえず、それ以外のものが見えないほど一点に集中しまくってる相手の背後を襲うほどたやすいことはないもんね。
以上、英雄という存在そのものがろくでもないとあたしが思う理由である。
〔……説明されずにそこまでボニーさんの言葉の意味を考えられる人って、いるんですかね?〕
裏の裏の裏まで読めずとも、裏の裏ぐらい読めてれば、まあ簡単なんじゃないのかね?
〔いや。それ、超ハードですから〕
鼻白んでるとこみると、あのトリとかいう人は、どうやら読めなかったらしいけどね。
「ほ、報酬が欲しいのか!だったら『紅の源』を殺せ!望むがままの報酬を差し上げよう!」
長老格の中から声が聞こえたが、あたしもグラミィもアホには反応を見せようとはしなかった。
君らの出せるような報酬は正直いらんのですよ。
いくら仮長とはいえ、あたしたちが求める報酬の一つを出せるのは、火蜥蜴の氏族の長、サウラさんだけだ。
そもそもあたしたちがサルウェワレーまで来た最大の目的は、火蜥蜴の氏族と、火蜥蜴に会うこと。
二つ目の目的はその両者を対スクトゥム帝国勢力として、できれば味方、そうでなくてもせめて中立までもってくること。
アエノバルバスはクラーワヴェラーレの王として、クラーワ地方全体に対スクトゥム同盟を構築しようとしている。それはそれでありがたいが、あたしたちだってできることをせずにはおれない。
まあいい、仕切り直しといこうじゃないの。
グラミィ、よろ。
〔了解です〕
「『話がそれましたが、いかがなさいますかな、サウラどの?』」
さあ、サウラさん?
仮長とはいえ、今はあんたが長なんだ。
だったらこれまでの交渉でも見せた、長としての力量を見せてもらおうじゃないのさ。
あたしだって乗りかかった船だもの。道中の護衛やヴェスとの通訳ぐらいはしたげますとも。
まあ、『紅の源』を脅威になるから取り除け、とか、アホに流されてあんぽんたんなことを言われたら拒否りますけどね。もちろん。
「参りましょう」
しばらく沈思していたサウラさんが目を上げて言い切ると、あらたなざわめきが起こった。
「いや、しかしそれはあまりにも危険が!」
「危険であろうがなかろうが、我々は火蜥蜴の氏族。氏族の紋章として掲げる火蜥蜴が悩み事をここまで他国の人にお任せして、解決に導いていただいたのです。最後まで関与もせずに何が氏族の誇りですか」
「ですが」
「そもそも」
じろりとサウラさんは鋭く目をあてた。
「危険だ危険だとおっしゃるのならば、代わりに自分がと申し出られる方がおられるかとも思ったのですがねえ。口だけばかりの女と誹られることもあるわたくしより多いのは口数と口髭だけという者がいるかと思うと、……ほんとに情けない」
「う……」
そーだよねえ。
もともとサウラさんは、氏族長就任の儀式もしていない仮長だ。代わって欲しけりゃさあどうぞと言っていたのに、『紅の源』と向かい合い、先代の長のように死ぬかもしんないという恐れから、子どもも夫も亡くしたサウラさんに長の座を押しつけたのは、長老格の、有力者たちだ。
彼らに比べりゃ、サウラさんの方がずんと肝が据わっている分、長としての素質はあるとあたしなんざは思うけどねえ?
ついでだから、ちょっとお手伝いもしてあげようじゃないの。
「『ああ、わたしどもがこれ以上貴国を深く揺り動かさんとしているのではないかとでもお考えなのでしたら、どうぞご心配なく。この交渉がどうあれ、我々は貴殿らの御健勝を祈りつつ早晩サルウェワレーを去ります。長どののお言葉通り、火蜥蜴の氏族のみなさまが御自分の問題を御自分のなさりようで解決なさればよろしかろうかと』」
グラミィがしらっと言うと、彼らは互いに顔を見合わせた。
いや、この情報に嘘は欠片もない。仕掛けがないとは言わないが。
今このタイミングで、グラミィが『あたしたちが去ること』に言及したことに意味があるのだ。
これで彼らは『あたしたちがいなくなった後のこと』に意識が向く。
政治闘争の要因が身内にしかなくなるのであれば、今のうちに問題解決に関わり貢献しておいた方が有利なんじゃないか、とね。
そこへちゃちゃを入れるような者がいなければ、の話だが。




