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EX.王と宰相は茶番を企む

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 ドルスムから届いた鳥便の書状は、二つに分けられていた。

 片方は報告書である。

 テルミニスの一族を誅滅した廃領都とはいえ、このグラディウスファーリーの中で天空の円環に最も近いドルスムは、国防上重要な土地だ。

 それゆえ、配下の者を常駐させて厳しく目を光らせてはいたのだが。

 こうも、天空の円環を越えて国交を求められることを考えると、()ンブルタイドゥムヘルヴ()の者ばかりでなく、文官も置かねばならぬのだろうか。

 クラーワ地方は雨がほとんど降らないというが、同じほど天空の円環に近いとはいえ、ドルスムには、わずかながらも雨は降る。領主館が倒壊してから地盤の緩みが懸念されていたが、どうなったか。

 あの海神マリアムの眷属(骸の魔術師)が挿した枝が、根を張り、崩れかけた岩盤をがっちりと支えるようになったというが。

 ドルスムについて頭を悩ませるのはグラディウスファーリーの王としてなのか、それともシカリウスとしてなのか、考えるほどに曖昧模糊となる。


 頭を振り、暗号で書かれた報告書を読み進めるにつれ、クルタスの口元がかすかに緩んだ。

 四脚鷲(クワトルグリュプス)を先触れに、天空の円環を越え、ランシアインペトゥルス王国からの使者がドルスムに来たという。それも、顔半分の仮面を痣のある顔につけた者と、頭皮が透けて見える鋼色の髪の、わずかに二人の魔術師のみという。

 クルタスが血肉を分けた双子の弟と、シカリウスとして手下に置き、ランシアインペトゥルス王国へ送り込んだきり取り込まれたアルガなのだろうとほぼ確信しながら読み進めれば、推察が付記されていた。

 四脚鷲はあの仮面をかぶった髑髏が使役する魔物だ。それを先触れにやってきたことから、顔半分仮面の魔術師はその配下だろうと。

 それでいい。

 インブルタイドゥム(一国の)ヘルヴァ(暗部)の一員ともあろう者が、いくら腕の立つ者に変装をほどこされていたとはいえ、我が弟であると見抜けなかったというのは失態かもしれぬ。だがそれはあの海神マリアムの眷属が、テヌイス、いやマヌスプレディシムを手厚く庇護し、その素性を秘匿するのに力を貸してくれているという証でもあるのだから。

 海神マリアムの眷属ともあろう者が、孤峰グラディウス山を越えて来るとは、いったいどういうことかと思わなくもないが。

 同腹の弟を思ううち、いつしかクルタスの指は止まっていた。

 クルタスがテヌイスと初めて顔を合わせたのは、外見も功績もあまりぱっとしない中級導師に従う、魔術師見習いとしてだった。

 

 グラディウスファーリーの後宮は、醜悪なこの国の縮図だ。次代の王を傀儡にせんと企む一族が次々と新しい女性を送り込んでくるのだが、よほど王に寵愛、いや執着されるか、もしくは力ある一族の者でなければ、外とつながる正門が開くこともなく、誰も知らぬうちに姿が消えていくのだ。生まれたはずの子ですら。

 駒となるべき王の子が強いと思えば攻撃し、足を引っ張る。

 弱い者は冷ややかに侮蔑するのみだが、それも岩に足を痛めることはあっても、一粒の砂に躓くことはないからでしかない。

 それが後宮で権勢を持つということ。そしてそれが血のつながりのある者同士のあり方。

 クルタスとテヌイスの母親は、弱小のセイペス一族が出身だ。後宮に送り込まれたのは、セイペスを庇護するアルクス一族に、たまたま後宮に送り込めるような未婚の女性が途切れただけのこと。

 そんなことでもない限り王都に来ることすらなかっただろう母親も、一応はアルクスの一族の養子という形になっていたのだったか。

 しかし、アルクスの血筋を継ぐ者と、扱いは雲泥の差。

 女官……いや、侍女や召使いの態度は冷ややかで、母親は周囲を上目遣いで見回してばかり、ほかの寵姫の子についていちいち言挙げして我が子を責めた。なぜそれほど劣っているのかと。

 あの女は、自分を見ようとはしなかった。

 よく見ていれば、なぜ自分が懸命に努力することをやめて凡庸を装うようになったかわかったろうに。

 血のつながる者に褒められたい、認められたいという幼子の願いを諦めたのは、数々の嫌がらせ、どころか命の危険を感じたからだった。


 後宮での自身の地位を少しでも高めようと、他力本願な焦りを滲ませた母親が、ずいぶんと早い時期から学問の師を手配してくれたことだけは、感謝してやってもいいと思っている。

 あの女の願った、『もっとも優秀な王の子』という名の暗殺者の標的になど、さらさらなる気はなかったが、後宮の外とのつながりを得たことで自分は生き延びた。

 母親の立場では、有力な一族の子のように、そうそう名のある学者もつけられず、魔術学院より学問の師としてやってきたアニュラス――今の宮廷魔術師長――は、中級導師として長年くすぶっていた人間だった。

 かつての秀才、今の鈍才と嘲笑を浴びていたアニュラスは、ずいぶんと鬱屈していたのだろう。一度水を向ければずいぶんとよく喋ってくれた。

 もっとも多かったのは魔術学院に対する愚痴だったが、彼の口からテヌイスの存在と、彼が魔術師見習いとして魔術学院に所属していることを知らされた時は、驚きと喜びを同時に感じた。母親は我が子が双子だったことなどおくびにも出さなかったのだから。

 双子は長じてもそっくりとなることがある。見た目がよく似ているのならば、自分の身代わりとすることも、立場を入れ替えることも可能なのではないだろうか。

 そう考えたクルタスは、アニュラスに『一族どころか母親に頼ることも満足にかなわぬ、弱き身の王子』であることを強調した。演技というほどのことではない。事実なのだから。

 アルクス一族の女性魔術師に素養を見いだされたからといって、その指示に唯々諾々と従った実の母に、乳離れもせぬうちに、ただのセイペス一族の子として、魔術学院へ差し出されたというテヌイスに対する憐憫を示せば、師はあっさりと陥落した。

 同腹の弟と会ってみたいと心細げに言えば、従者として連れてこられたテヌイスと会うこともできたし、時にアニュラスが持ち込んだ魔術師見習いのローブをまとい、テヌイスのふりで後宮を出ることもできた。

 テヌイスとも話しこんだ。つねにおどおどと束縛し続ける母親よりも、弟との相互理解はしやすかった。

 いつしかクルタスはテヌイスをただの身代わり、自分の影法師とだけ見るのではなく、もう一人の自分のように感じていた。


 テヌイスもまた、セイペス一族の被害者だった。

 クルタスの代用品としてわきまえるようにと教え込まれる一方、切り札として扱われていたのだ。

 万が一にでもクルタスが後宮内で怪死を遂げたら、それをよいことに手を下した有力貴族の弱みを握り、そのうえで温存していたテヌイスを王の子として後宮へ押し込み、今のクルタスより高い地位を占めさせようという企みを、セイペスの一族にはとくとくと語られたという。

 ふざけるな。それが互いに左右を守り合う双剣の盟約を交わした二人の合言葉となった。 

 

 さらに思わぬ幸運も拾った。いや、この場合はクルタスの方が拾われたことになるのだろうか。

 クルタスはテヌイスの手を借りて情報を収集したり、時に魔術師見習いのローブを借り、入れ替わって他出したりするようになっていた。

 後宮から出た後のことを見据えてのことだ。

 そこへ接触してきたのが、先代のシカリウスだった。

 自分ではかなり出来が良くなったと思っていたテヌイスのふりが見破られた理由が、魔術師にしては魔力が少ないことに違和感を覚えたからだと言われた時には、ずいぶんとがっかりしたものだ。

 同時に魔術師ならば見破られることを言わなかったアニュラスへの不信を感じたものだが、魔術師の数は少ない。大多数の常人相手にぱっと見をごまかすだけならそれで十分だったのも、確かなことだ。

 ぴりぴりと神経を尖らせていたクルタスの何を見込んだか、先代のシカリウスはクルタスをミセリコルデ――()ンブルタイドゥムヘルヴ()(かなめ)たる懲罰暗殺部隊へと引き込んだ。

 そこでシカリウスとは、ミセリコルデを統括する王族の忌名(いみな)であること、駒として扱われながらも気づかれぬように周りを駒とする方法、弱者を装いながら複数の強者を斃しうる手立て、つまりはクルタスが最も欲していた技術を教え込まれた。

 状況をひっくり返すために有力者たちに礼儀を、場合によっては貞操を売りつけることも、それでいながら子種を渡さぬ方法も。

 もともと殺されぬこと、いいように利用されぬこと、侮蔑と排斥をすべてはねのけることを望んで身をやつしていたクルタスだ。生き延びるのに必要な技術を会得するのにもおのずと熱心になった。熱意は技術を身体に染みこませ、叶わぬとみた複数の相手には与える情報に手を加え、彼らの間にもともと存在していたひびを育て、時に自ら短剣をとって暗殺者を始末できるようになった。そこは先代のシカリウスに感謝してもいいところだろう。

 たとえ彼がシカリウスの名を譲るべき者を、自身の復讐の代理人を探していただけであり、たまたま自分がその目にかなっただけであっても。


 何代前からか、ミセリコルデの長たるシカリウスは、王からじわじわと離れつつあったという。

 むろん、繋がりをまったく断つことはできない。だが王命をよそおった有力豪族の我欲をかなえるためだけに、人の命を断つことをよしとはせぬ、そのような気概のある者がつねにシカリウスとして選ばれ続けた。

 先代のシカリウスもまた、シカリウスとして傀儡とされた王に従うことを(いな)んで地に潜った。

 ミセリコルデに対する王命は、直接シカリウスに伝えねばならぬという不文律がある。ならば、王と直接顔を合わせねば、シカリウスは、そしてミセリコルデは歪められた王命に従わずともすむというわけだ。


 誰が傀儡の口から下された攻撃命令を実行に移すものか。そう先代のシカリウスは吐き捨てた。

 むろん、常に扮装によって顔をごまかし、身代わりを立て、誰がシカリウスかわからないようにしていなければ、ミセリコルデの中立は保てなかっただろう。

 あらかじめそれを施していたあたり、先代は確かに目端の利く、先の見通しを持つことができる人間だったといえる。

 だからこそ彼は絶望した。

 無力であっては誇りは保てぬ。されど誇りなき力はすべてを腐らせる。それが善政なきグラディウスファーリーの現状だと。

 

 それを聞いたクルタスはかっとなって叫んだ。

 ――ならばすべて壊してしまえばいい!王の血が流れる自分自身で王位に就き、王を傀儡とせんとする不遜な輩を、海神マリアムが御手(みて)に、すべて一人余さず渡してしまえばいいだけのことだろう!


 先代は首を振った。シカリウスの名を負った者は、グラディウスファーリーの玉座には着けぬと。

 なんだそれと思った。誰が決めたと反発した。誰も決めていない。それもまた不文律なのだと、文字には残せぬ定めなのだと。

 だったら、それもまとめて壊してやればいいだけのことだと主張した。不文律など人が定めたもの。ならば人によって覆すこともできるのだからと。

 先代は問うた。覆すだけの何を持っているのかと。

 持ってやる、そう主張した。

 鳥籠に押し込まれた花も、気が向いたときに花々を踏み荒らす自堕落な傀儡も、傀儡をバカにしながら平伏してみせる貴族どももいらぬ、排除すべきものはすべてしてやると心に誓った。

 

 元から貴族たちは信用などしていない。母方の一族ですら上から睨まれたと知るや、自分だけでなくテヌイスにすら刺客を向けてきたのだ。

 むろん、クルタスやテヌイスが死んでいたら一族は滅亡していただろう。王の子を害した謀叛罪とでも名目をつけ、蜥蜴の尻尾として切り落とされて。

 十をようやく越えたばかりの自分たちにも見え見えの話というに。

 それまで英傑たれ、他の異母兄弟より優れよと煽り立てていた母親もまた、優劣ではなく存在そのものを疎まれているとようやく悟った。

 と思えば、砂粒にさえ苛立つようになった、上位の一族に睨まれるが怖さに思考停止して、おのが子を弑さんとしたのだ。

 クルタスが、暗殺者の手引きをした実の母親と、一族を切り捨てた瞬間だった。


 母方の一族の力を得られぬクルタスが力を頼んだのは、もっとも血の近しい双子の弟と、復讐の誓いの代わりに先代のシカリウスに託された者たちだった。

 父と母より受け継いだ血を、この身の内も外も等しく流し、そして自分は――自分と弟は、玉座を手に入れた。


「失礼いたします。宰相閣下がお越しになりました」


 先触れの小姓の声に、クルタスは我に返った。

 

「入るがいい」


 声に応じて入室したアクートゥスは、丁寧に一揖すると背後を振り返った。

 

「お前たちは下がれ。余人を近づけるな」

「はい」


 小姓たちを下げると、宰相はくだけた口調に変わった。


「ドルスムから書状が届いたらしいな」

「ああ」


 クルタスは報告書に同封されていた親書の写しを指した。これもまた道中の危険が大きい鳥便で寄こされたものゆえ、万が一を考え、実物ではなく暗号化した写しとなっている。


「カプタスファモ魔術子爵クランク・フルグルビペンニスどの――お前も顔を合わせただろう、あのシルウェステル・ランシピウスどのの副使からだ。フルーティング城砦詰めとなり、スクトゥム帝国に対する防備を任じられたという。以後さらに密なる友好関係を望む、だそうだ」

「常識的な内容だな」

「そう思うか?」

「違うのか?」


 クルタスの笑いにアクートゥスは片眉を吊り上げた。


「天空の円環近くに住まう星詠みの旅人(森精)とも、スクトゥムへの怒りを共にしている、だそうな」

「……正気か?!」


 遠慮も容赦ない口をきくのは旧知の仲ゆえいつものこととしても、彼が心底疑わしげな表情になるのも当然だろう。神話の中の存在を味方につけたも同然とは。

 だが、あの骸骨自体がもはや人外、海神マリアムの眷属といえる。

 だから、言うべきは。


「正気か、ではなくて本当か、と言うべきだろうさ。十中八九本当だとわたしは見ているがな」


 そう、あの副使も論理的だ。相手を煙に巻く貴族の交渉事には通じているだろうが、国交においてこのような重要事に、すぐにわかるような法螺を吹くようなことはすまい。

 いっとき嘘を誠にしたとて、再び虚偽に戻ればどれだけの瑕瑾をこうむるか、その計算ができぬわけもない。


「しかも、ご丁寧なことに書状を運んできた使いの者は『これよりクラーワヴェラーレにも足を運び、ともに手を携えてスクトゥム帝国に当たる所存にございます』と言い残したそうだ」

「それはそれは」

 

 アクートゥスは乾いた笑いを漏らした。

 この流れに乗る以外にない、というところまで詰めておいて手を差し出された形である。


「そこまでお膳立てされてはなあ。どうする?」

「……グラディウスファーリーの利得になるから協力をする。それ以外の理由はない」

「御意」


 口の端だけで笑って宰相は頭を下げた。

 確かに、アクートゥスの見た限りでも、名を表した魔術師はあの魔術師の副官であり、それなりに誠実であると見えた。協力すれば協力を返してくれるだろう。

 だが、問題は。

 

「小うるさい連中をどう抑えるか、だな」

「ああ」

 

 二人は似たような表情で頷きあった。


 アクートゥス・フィンドマクハエラもまた、先代のシカリウスに見いだされた人間だ。

 クルタスとは学ばされた分野は違うが、兄弟弟子のような関係といえるだろう。

 異国の血を引く彼が、現在の宰相の座にまで上り詰めえたのは、クルタスが引き立てたこともあるが、それだけではない。

 先代のシカリウスが手を回して、彼をリーメスの一族に養子として迎え入れさせていたことが大きいといえよう。

 先代が見込んだだけのことはあり、彼もかなりの辣腕だがいまだ若年、さしたる人脈も持たぬ。政策立案能力は高くともそれを実現させるため、人を動かす政治力というものに欠けている、というのが本人による冷静な分析だった。

 おまけにミセリコルデを通じて動かしうるインブルタイドゥムヘルヴァの人材は、情報収集から暗殺まで、実働にこそ向いてはいるが、頭を働かせる文官としての能力の高い者はほとんどおらぬ。

 すでに王宮のあちこちで働く文官たちは、いずれもどこかの豪族の息がかかったものばかり。おまけに当初上っ面だけ友好的な笑みを浮かべてすり寄ってきた連中を最初にびしばしとしごいたせいで、今では遠巻きにされる始末。


「こうなるとつくづく下手を打ったと思うがな」

「すんでしまったことはしかたがなかろう。今後をどうするかが先決だ」


 インブルタイドゥムヘルヴァの集めた情報を握ってはいるものの、それだけで宰相とシカリウス、いやクルタスが、国の中のことにしか目を向けず、互いに互いを蹴落とし合おうとしている豪族どもをおとなしくさせることは極めて困難であった。


 豪族たちに対しては悲しいほどに、クルタスにもアクートゥスにも人望がない。

 その理由の一つは、二人が先代のシカリウスに見いだされ、インブルタイドゥムヘルヴァに関わっていたためである。

 暗部の功績などというものはけして表には出ない。当然だろう。人血で記されたも同然の、陰惨な暗闘の結果など、公表しようものなら、怨嗟と鬱憤の刃が成果を上げた者に向けられることは、火を見るよりも明らかだ。

 ゆえに、クルタスもアクートゥスにも、表だって上げた功績は皆無ということになっている。

 裏の事情に詳しい者にすら、彼らが現在の地位に就いたのは、有力豪族たちが抗争に疲弊したところを見計らい、小ずるく立ち回った結果としか見えぬだろう。当然だ。そのような情報しか残らぬようにしてあるのだから。

 だが、功績一つ挙げ得ぬ無能な王や宰相に平伏するなど、おのが手柄を誇る者ほど、耐えがたい屈辱となる。

 これが、シカリウスの名を負った者が、グラディウスファーリーの玉座に着くことあたわぬという不文律が発生した理由かと、思い至ったクルタスは痛烈に舌打ちをしたものだ。

 

 むろん多少頭の回る者ならば、クルタスが王となったのも単なる幸運とだけは思わぬだろう。

 なれど、それでも豪族たちは王を侮る。

 これまで王を傀儡としていた者には、おのれの権勢に傲慢なほどの自信を持っている。多少の警戒も王すら手駒にできるという強烈な自負の前にかき消える。


 先王の死をもって、王を縛る手段、次代の傀儡を産み出すためにのみ存在していたあの後宮は解放された。

 すべての妾妃は各一族の元にもどされた――が、今度はクルタスのための後宮が築かれ続けている。

 許可も出しておらず一度も足を運んだことすらないが、豪族たちがせっせと女性を運び入れていると知った時には、クルタスはうんざりとしたものだ。

 豪族たちは、自分が死ぬまでほとんど顔を合わせたこともない実の父親と同じことをするほど愚かであると思って――いや、愚かであることを期待しているのだと思い知らされた。


 ふざけるな!


 かつてのテヌイスとの合い言葉を、クルタスはアクートゥスに、そしてミセリコルデへと広げた。

 インブルタイドゥムヘルヴァの一員としてのみ動いていたときは、確かに弱々しく見せかけ、なめてかかられるのが仕事だった。

 だが、王がなめられてなるものか。これでも神器が末裔のはしくれ、自分が動けば人が傷つき血が流れることは理解している。

 だからこそ、先王のように傀儡にはならないことを強調したかった。

 先代のシカリウスに教え込まれ、目的を与えられ、意思決定を人に委ね、ただ使われることの安楽さは理解している。だが――いや、だからこそ――豪族どもの下手に出るような真似など誰がするものか。

 侮蔑と排斥の意思をすべてはねのけんと、苛烈なまでにクルタスは手を下した。抗争に疲弊していた豪族たちはたやすく罰しえた。それが王権というものだとクルタスは理解した。

 たとえそれが、暗殺という後ろ暗いかたちであっても。


 問題は、豪族たちのみならず、平民すら王に対する目を厳しくしたことだった。

 暗殺という手法を濫用してでも、腐敗していた豪族を取り除くことは、クルタスにとって善だった。

 しかし、なんら引き継ぐべき治政技術も身につけておらぬ後継者が支配者となることは、平民にとってただの混乱でしかなく、迷惑なだけだった。

 代替わりした者がさらに酷税を課すことが頻々と起こったこともある。

 国は活気を失い、慌てたクルタスはアクートゥスにはかって、手心を加えることにした。

 だが王の独断専行を難ずる豪族たちの目は冷ややかなまま、そこに若き王を軽んじる色が濃くなっただけだった。

 

 テヌイスに裏切られたのも、おそらくそのあたりに遠因があるのだろうとクルタスは考えている。

 後宮に育ったクルタスでなければ、王の子として瑕疵なき正統性を示すことはできない。ならばとテヌイスには裏に回って手助けしてくれるようにとクルタスは頭を下げ、テヌイスは了承した。

 だが、クルタスは自分がインブルタイドゥムヘルヴァに籍を置いたこと、シカリウスの名を継承していることをテヌイスに明かさなかった。

 たとえテヌイスが裏に回ろうと、闇に沈むのは自分一人でいいと思っていたこともある。

 だが――それがあやまちだった。


「オレが左でお前が右、お前が表ならオレが裏、そう決めていたのにわざわざ影の刃の束ねになるとはそういうことだろう。なぜ裏切ったと言ったが、お前こそが先にオレを裏切ったのだ!裏も表もその手に握り、オレがもういらないというなら、思わせぶりなそぶりはやめろ、セイペスの一族のように言葉で告げろ、せめて余人を挟まず口で言え!」


 顔を口にして叫ぶテヌイスの言葉に、クルタスの心は冷えた。

 どうしてと叫びながらもやはりとどこかで安堵にも似た思いがあった。

 すべては自業自得。

 予兆もあった。

 宮廷魔術師長となったアニュラスにも、テヌイスに複数氏族の者が接近しているという知らせは受けていた。

 御自分の弟御でしょう!と苦言を呈されたこともある。先んじてテヌイスからは情報収集の一環だという報告があったが、それがめくらましであることに気づけなかった、我が身のせいだ。

 そのことは、痛いほどよくわかっている。

 いいように弟を使い、影に鎮め、その結果このような所まで彼を追い込んだのは、自分自身だ。


 だが――王に刃を向けた以上、それは叛逆。


「姿を偽り、顔を装い、別人としてインブルタイドゥムヘルヴァに君臨していた理由がそれだと?信じられるか!」

「信じられぬか。このおれが。……ならばいっそ、決しておれを信じるな。シニストラ」


 王としては罪を断ずるしかない。たった一人の同母弟であっても。

 それが神器として、むざと人間におのが刃を()らせてなるものかという、最後の矜恃。


「未来永劫、一片たりともおれを信じるな。信ぜずともおれを見ろ。おれから目をそらすな。おれのなすことすべてを気が済むまで疑って、疑って、見張り続けろ。それはお前にしかできないことだ」


 反逆罪は、死罪。

 ともにこの国に生きることができぬのならば。

 せめてこの手で首にしてでも、テヌイスをそばに置き続けよう。

 我が治政より目を背けるようなことなどさせぬ。


 その決意をあっさり動かしたのが、あの海神マリアムの眷属だった。

 この国で生かしておけぬとしても、異国でならば生かすことはかなうのではと、彼がスクトゥム帝国へ行く糾問使の中に紛れ込ませるという奇策を示してくれたおかげで、クルタスはかろうじてテヌイスを生かすことができたのだ。

 アニュラスにはテヌイスがドルスムで死んだと偽りを知らせた時には、激怒して詰め寄られたものだが。


「いいか、テヌイスは死んだ。あれは、他人の空似だ」


 糾問使団の一員としてふるまう弟の姿を見せながら、クルタスは自分自身に刻み込むように囁いた。


「希望を持つな。持たねば裏切られることもない」

 

 アクートゥスは気遣わしげに若き王を見やった。

 彼が根強い不信を抱えていることは、良く知っている。

 クルタスの口から直接、何がドルスムであったかは聞いた。静かな微笑すら浮かべていた理由を問えば、ああ、やっぱりかと安堵したからという答えが返ってきたときには耳を疑ったものだ。

 

 裏切られるのが当然。

 そう考えるほどに、クルタスが裏切られ続けたことは知っている。

 裏切られるとは、腐った梯子を懸命に登るようなものだということもアクートゥスは知っている。

 手を掛け足を掛けたところがことごとくあてにならず、高みを目指し、何かの間違いで引き上げることができた身体も、次の瞬間高みのぶんだけいっそうひどく地面に叩きつけられかねぬということを。

 クルタスにとって、裏切られる心配をしないですむ相手というのは、逆説的にクルタスにとって敵であるか、もしくはすでにクルタスを裏切っていることが明らかになっているか、もはや裏切りようのない死者ばかり。

 兄を裏切り、公的に死んだとされたテヌイスのように――いや、今ではランシアインペトゥルス王国の、あの骸骨に引き取られ、マヌスプレディシムと名乗っているのだったか……。


「どうした、アクートゥス」

「策ができた。ランシアインペトゥルスの手に乗るぞ」

「どういうことだ」

「敵を作るぞ。国外にだ」

「スクトゥム帝国か」

「ああ。スクトゥム帝国がグラディウスファーリーを狙っている、天空の円環を越えてくるぞとな」

「ふむ」

「大きな敵の前に小競り合いなどする暇はない、団結をしろと扇動しろ、テルミニスを族滅した理由もおおっぴらにするがいい、彼らは洗脳されていたと」

「本当のことだな」

  

 真実は時として予想を超えるほど強いものとなる。

 そのことは、二人ともよく分かっていた。

 ――ならば。

 

「ただいまわたくしが献じました拙策をよしとされるかどうかは存じませぬ。ですが正直は最善の策とも申しますゆえ。このわたくしの判断を信用なさるか否かは、陛下のお心次第かと存じます」


 大仰な最敬礼を宰相が行うと、若き王は口元だけに笑みを浮かべた。

 

「アクートゥス。そうそうわたしがお前の言葉も、たやすく我々が策が成功するなどとも、信じないということを知っているだろうに?」

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