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EX.烈霆公は懐疑を示す

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

「そこへ行かれるのはルーチェットピラ魔術伯ではないか」

「これはトニトゥルスランシア魔術公爵さま」


 王宮の一隅、大廊下を通り抜けようとしていたマールティウスは、近習を連れ、急ぐ様子もなく近づいてきたレントゥスに一礼した。


「遠路アルボーより戻られた彩火伯どのがことといい、フルーティング城砦に向かわれたあの骸の魔術師どのの支援といい、御身も後始末に大変なことだな」


 言葉の面だけをとれば、ただ苦労をねぎらっているようにも聞こえるだろう。表情にも薄く懸念の色を滲ませてはいる。

 だがその目には冷ややかな光が(こご)っており、なによりも口調が完全に侮蔑のそれだ。

 マールティウスはしぜん内心で身構えた。

 だが相手はランシアインペトゥルス王国の双璧が一。

 

「父も叔父も王命に従いましてのこと。くらぶれば王都に留まっておりましたわたくしのなすことなど、苦労とも存じませんが、トニトゥルスランシア魔術公爵さまより御心配をいただきましてありがとうございます」

「言うようになったではないか。このわたしの心配などいらぬとはな」


 つとめて穏当に返したはずの言葉尻にさえ、執拗に絡んでくる。そのことにマールティウスは警戒と不審を覚えた。

 魔術公爵自らが、このように面と向かって、嫌みに近い言動を繰り返すなどということは極めて珍しい。

 烈霆公(れっていこう)の二つ名を持つレントゥスである。その権力に惹かれて寄り集まり、腹心を自称詐称する切り捨て要員などいくらでもいる。通常であればそのような者をさりげなく動かし、レントゥス当人のいないところで貶された相手が褒められたと思うほど遠回しに毒を込めた舌で刺させるか、あるいは迅雷のごとく速やかに、そして苛烈に始末させるのが魔術公爵の常套手段だ。


「……ああ、そうであったな。あのような妖術師をも、叔父上と敬わねばならぬ御身だ。わたしが案じたは余計なお節介であったか」

「は……」

 

 隙を見せてはならぬと丁重に柔らかい物腰を取りつづけながらも、マールティウスはさすがにむっとするものを感じていた。

 魔物を従えることは、魔術学院で会得することのできない技術である。それゆえ、魔術学院での教えをのみ金科玉条のごとく堅持せんとする魔術師の中には、魔物を使役することを外道の邪法呼ばわりする者があることは彼も知っている。

 魔物を使役するには、その間術者が魔力を与え続けねばならぬということもだ。

 つまり魔物を従えるとは、それだけ強力な魔術師であることを知らしめるものであり、また極めて困難であるからこそ、学び舎で学生へ一律に教え込むことができぬことなのだといえよう。

 それが証拠に、魔物を使役できる魔術師というものは滅多に存在しない。

 だが、マールティウスの叔父、シルウェステル・ランシピウスは、あれほど多くの幻惑狐(アパトウルペース)をあっさりと従えてみせた。さすがは叔父上、己が力量、いまだ叔父上に及ばずと、マールティウスは素直に感嘆したものだった。

 

 魔術公爵が邪道に近い妖術師と、ことさらにシルウェステル・ランシピウスを呼ばわりさげすんでみせるのにもわけがある。

 魔術学院はもともとトニトゥルスランシア魔術公爵家の影響色濃い場所である。その血を引くオクタウス殿下が拠点としてふさわしいと、レントゥスが魔術学院長の座を殿下のために用意したのもそのためだ。

 だが王族としての矜恃を吹き込まれた――そう苦々しくレントゥスは感じていた――オクタウス殿下はじりじりとレントゥスらの翼下を離れ、自らの翼で飛ぼうとせわしく羽ばたきをくりかえしていた。

 水面下で続く力比べに横槍を入れたのは、死して戻ってきたシルウェステルだった。

 シルウェステルは名誉導師として学院内に入ったかと思えば、オクタウス殿下の周囲に配置したレントゥスの手駒のうち、特に大きなものを、塵芥でもあるかのように払いのけていったのだ。

 ドロースス(副学院長)イドルム(中級導師)も、さして優れた人材(道具)というわけではなかったが、それでも手駒の失脚は、魔術学院よりトニトゥルスランシア魔術公爵家の影響を多少なりとも剥がし落とすことになった。

 再び魔術学院をトニトゥルスランシア魔術公爵家の息吹で完全に満たすためには、名誉導師すら膝下に置かねばならぬ。

 だがトニトゥルスランシア魔術公爵家にとってもう一つの牙城である、武神アルマトゥーラの聖堂をあの骸の魔術師が訪れると知り、自ら急襲した時、待ち構えられていたのは自身であったとレントゥスは思い知った。

 一魔術師風情がフランマランシア公爵クラールスすら抱き込み、しかも提示されたのは敵対ではなく協力。

 富や名誉でなびく様子は欠片も見せず、敵にならぬかぎりは敵にならぬと言い放ったあの骸の魔術師は、その時よりレントゥスにとって時たま痛む歯のような存在となった。

 重要ではあるが、気に障る者。

 そしてまた、存在を強く主張するがために無視しえぬ存在。


 それよりレントゥスは隠然公然を問わず、なんとかして髑髏の魔術師をひしがんとしていた。

 トニトゥルスランシア領内の治水工事を押しつけたのも、妖術師と当人を面罵したのもそのためであった。

 だが体面を傷つけることで心を折らんとすれども仮面は動揺を見せず、逆にその場でレントゥスは魔術学院長であるオクタウス殿下にその行為を叱責された。

 それはレントゥスにとって、自身が骸の魔術師に看過されるような者としかみなされていないというだけでなく、外戚として庇護してきたはずのオクタウスが、オクタウスを通じて支配を強めんとしていた魔術学院が、さらに一段自らの膝下から離れたことを意味するように感じられることだった。

 自然、棘にも遠雷の気配が宿るというもの。 


「マールティウスどのはお若い。当主としてこれからどのように伸びられるか楽しみだ」


 烈霆公が使う『若い』は『幼い』の意味だ。将来の可能性を言い立てるのは、現在の未熟さを匂わせ、当主としてよく立ってられるな、と侮るためのものだ。


「それはどういう意味にございましょうかな」

「彩火伯どのか」

  

 現ルーチェットピラ魔術伯に絡んでいれば、いつか必ず彩火伯が出てくる。予期していたことが事実になったことになど、いちいち表情を変えなどしない。


「早いお戻りだったな。アルボーはいかがだったか」


 シルウェステルら一行がフルーティング城砦へ向け王都を発った直後に、ようやっと戻ってきたアーセノウスにその皮肉は比類なく刺さるものだった。


「これはこれは、トニトゥルスランシア魔術公爵さまに、当代のルーチェットピラ魔術伯のみならず我が弟にまで目をおかけいただくとは、まことに光栄至極に存じます」


 彩火伯はにこやかに、そして優雅に一礼した。

 その口より怒濤の勢いで流れ出したのは、あの骸の魔術師への褒詞だった。


「アルボーの改築には、我が弟も魔術学院の導師達の乞いを受け、手を貸しましてございます。また領主館の建つ岬端に穿たれておりました海蝕洞を埋め崩落を防ぎ、破損のおびただしかった領主館を瞬時に解体したかと思えば、新たな建材として活用の手筈を整えましてございます」

「さようか。導師達も怠慢であろう。おのが任務も満足に果たしえず、遠国より王命を果たして戻ってきた者にまで助力を願うとは」

「なに、我が弟が、わたくしの連れ下りました導師達よりも、はるかに上を行っただけのことにございます。海の上を歩いて渡り、川は結界の船で渡ってみせるほどの魔術巧者、あれほどの才、歴代の名誉導師の中でも比肩する者などそうそう後にも先にもございますまい!」

「……彩火伯、そなた酔っておるのか?」


 烈霆公は眉を僅かにひそめた。

 酒の匂いはしないが、昼日中から王宮内で、己が異母弟に素面で酔えるとは、ずいぶんと器用な男である。あのシルウェステル・ランシピウスがなみの魔術師ではないことは知っているが、それではまるで神の領域にでもいたったかのようではないか。

 従わせていた近習すら彩火伯の勢いには気圧されたのか、二三歩後退りする様子がレントゥスの目の端に映った。


「これは失礼いたしました。つい心地の良いまことに口が滑りましたようで」


 アーセノウスは軽く一礼した。

 彼の異母弟に対する思いの熱は、従属爵位を譲れぬわけとも大きく絡む。

 高位貴族は数多爵位を持つことがある。だがその中でも子爵位は、かつて彩火伯自身も、そしてその子マールティウスも受け継ぎ、そして今やマールティウスの子ウェールが受け継いでいるように、その家の最高爵位を継承する者だけが受け継ぐものだ。

 つまり、その家において、次の当主であることを意味する。

 さすがにそれは譲れない。もともとシルウェステルにはルーチェットピラ魔術伯爵位の継承権はないのだから。

 かといって、子爵以外の副伯や男爵など、従属爵位のうちより頃合いのものを見繕って、二つ三つとくれてやる、というわけにもいかぬ。それらは別の家を建てる者が受け継ぐものだからだ。

 シルウェステルをルーチェットピラ魔術伯爵家より出し、ランシピウスの姓を捨てさせることもまた、あたわぬことだった。

 

 隠匿せねばならぬ事情があるとはいえ、表面的には無爵に落とす庶子並みの冷遇と見えるだろう所業である。それゆえアーセノウスがシルウェステルを嫌悪していると考え、その妄想を真相であるとばかりに吹聴するものもあちこちにいた。

 結句、成人前よりシルウェステルを侮る者が多かったのは、紛れもない事実である。幼きシルウェステル本人の屈辱はいかばかりだったろうか。

 アーセノウスもまた、否定してもその否定すら存在しなかったことにする悪意のまなざしに苛立ち、歯がゆく感じたものである。人は己が見たいと思うことしかその目に入らない。水煙にすら魔術伯ほどの大貴族の家中に火種が転がり、炎が上がるさまを期待する者にとって、他家の騒動は蜜の味なのだ。

 そう悟ってからは、アーセノウスは言動を変えた。

 口を開けば一言二言は必ず異母弟を褒めたたえ、四六時中シルウェステルにまとわりつくようにしたのだ。

 あの聡い異母弟は初めこそ戸惑ったような顔をしたが、すぐさまアーセノウスの意図を察したのだろう。溺愛に困惑しながらも極めて仲の良い兄弟と見えるように、しぐさや態度を変えてみせたのである。

 習い性となるとはいうが、言動は本心となり、今でもアーセノウスにとってシルウェステルは愛しい弟だ。

 それゆえいまだに異母弟に対し、どうしても甘くなってしまう自覚はある。ひるがえってマールティウスに対し点が辛くなりがちになることもだ。

 それが今度は我が子に対する冷遇とも見えるとは、シルウェステル本人からも忠言されたことではある。

 だがどうにもシルウェステルを侮り、名誉を汚さんとする行いには激烈な反応を抑えかねるのだ。

 

「彩火伯どのもよく肩入れをなさっておられる。血のつながりのない弟御になど」

 

 一方、レントゥスにとってルーチェットピラ魔術伯爵家は、あの骸の魔術師同様に気に食わぬものの一つである。

 魔術公爵とは、魔術師を輩出する貴族の最高位といってもいい。

 しかも、トニトゥルスランシア魔術公爵家は、ランシアインペトゥルス王国における王族の外戚として、強い結びつきを持っている。

 王宮に一族の姫を何十人となく入れ、降嫁される王女に子を産ませ、互いに血を入れ混ぜ合わせた結果、もはやトニトゥルスランシア魔術公爵家そのものが、ランシアインペトゥルス王国においてはもう一つの王家といってもいいほどだとレントゥスは自負している。それほどにこの身にも流れる高貴な血は濃い。

 だが、ルーチェットピラ魔術伯爵家は、その血に値するほど十分な敬意を示そうとはしないのだ。

 もちろん、魔術伯から魔術公に対する典礼を損なわぬ程度の礼儀は示している。だがそれはあくまでも自身よりも上位の貴族に対するものでしかなく、王族に対するような服従を示すものではない。

 

 レントゥスが、ルーチェットピラ魔術伯爵家の者の才を認めぬほど狭量というわけではない。彼らが有能な魔術師であることは十分承知している。ろくな閨閥を持たぬこともだ。

 その能力の高さゆえ、ルーチェットピラ魔術伯爵家に関心を示す王侯貴族は多い。だが、王の直臣でもあるかのように、ルーチェットピラ魔術伯爵家の者は魔術辺境伯の誘いからもふわりふわりと身を躱す。王族にすら王族個人の命にはそうそう従おうとはしない。

 レントゥスに寵を求めて浅ましく群がる有象無象の中にあって、それはひどく清廉で好ましいものに見えた。

 しかし、彼らほど有能な貴族ならば、もっと貪欲に他者との結びつきを強めるのが当然ではないか?

 そう考えた若きレントゥスは目を掛けてやろうと、何度か彩火伯へ声を掛けてみた。

 レントゥスは才ある者を好む。時に政敵の中によき者を見いだすこともあった。その時も迷わずレントゥスは我が元に来ぬかと勧誘をした。

 むろん、有能な者を認め、恩義を与え、膝下に置くことで、使える道具を増やそうという思惑がないとはいわぬ。だがレントゥスとしては、恩恵を垂れてやったまでのことという思いの方がはるかに強く大きい。

 ルーチェットピラ魔術伯爵家に対してもそれは同じだった。

 ふらふらと後ろ盾らしきものを持たぬ魔術伯爵家一つ、我が物であると示せばなまなかな相手もそう手が出せぬ。さすれば彼らは感謝を示して跪き、自ら首輪に忠誠の鎖を繋ぎ、末永くよい道具となるだろうとも。

 だが彩火伯は、そしてルーチェットピラ魔術伯爵家は応じようとはしなかった。

 厚意の申し出を拒絶されたとレントゥスは感じ、怒りと懐疑を覚えた。

 

 ジュラニツハスタとの戦いを越え、彩火伯が押しも押されもせぬ最高位の魔術師の一人と名指されるようになる様子をじっと観察していて、レントゥスはようやく彼らの本質が見えたと信じた。

 彼らはある意味狂人なのだ。

 中でも最も狂っているのが、アーセノウスである。

 爵位を持つ魔術師の中でも高位であり、また有力貴族でもあるルーチェットピラ魔術伯爵家の当主でもありながら、魔術狂いの上に弟狂い、貴族間の均衡に対する感覚も優れているくせに、世俗のことから身を遠ざける隠遁者のように、いかなる派閥にも近づこうとはしない。

 国内事情が落ち着いたとたん、老耄(ろうもう)を口実にに当主の座をさっさと嫡子に譲り渡したが、漏れ聞こえるその理由とは、ただただめんどくさかったからというのだから恐れ入る。

 魔術公爵にしてみれば能力の持ち腐れとしか断じ得ない。

 

 持ち腐れは彩火伯の弟も同じだ。

 あの髪、あの目の色からして、シルウェステルは、アーセノウスとの間に血のつながりはないのだろう。それも異母弟などというものではない。

 庶子や隠し子、養子などというものは、貴族の一門においてはけして珍しいことではない。だが、それであれば相応の噂が流れ、出自の証拠も集まるというもの。

 しかし、シルウェステル・ランシピウスがどこから来たのかは、まったくわからなかった。異母弟であるはずなのに、その母もどこのたれともわからぬまま、突然にシルウェステルだけがルーチェットピラ魔術伯爵家に生じたさまは、それこそ本当に実子が生まれたかのようでもあった。

 その自然さがあまりにも不自然だった。


 掘り下げても出てこぬように情報を隠蔽したのは、おそらくルーチェットピラ魔術伯爵家ではあるまい。一介の貴族にそのような暗部を抱えることなどできぬ。

 ルーチェットピラ魔術伯爵家にシルウェステル・ランシピウスの出自を隠すため、手を貸した者がいる。それも烈霆公の手さえ及ばぬような隠蔽ができる者――おそらくは、王族の誰かが。


 シルウェステル・ランシピウスの正体は先王の隠し子であろう。

 厳重な情報封鎖のありかたに、トニトゥルスランシア魔術公爵レントゥスはそう結論づけた。

 本人がその出自を知っているかどうかはわからぬ。だが知ろうが知るまいが、手中に収めるべき価値はいっそう高まったといえよう。

 レントゥスは魔術学院へひそかに手を回した。前任の学院長が退き、その後任オクタウス殿下に定まるまでの間、学院長代理に生前のシルウェステルを就けてもみた。次の学院長はシルウェステルではないかという噂を流し、耳にも入れさせた。

 その地位に執着するようであれば手駒になるかわりにくれてやってもいいと思っていたが、骸骨となり果てる前のシルウェステルは、すでにそのときから生気も抜けていたのか、淡々と事務的に任務を期限まで果たすだけだった。

 権勢への欲もなく覇気もないところを買われたのか、ジュラニツハスタ王国の質子、デキムスが傅役(もりやく)の一人に抜擢され、ようやく王宮への出入りも繁くなったかに思われた。

 だが、その一方で、新たな魔術を知りたいと他出を繰り返していたと聞いた時には呆れた。挙げ句の果てに暗殺されたと知った時には盛大に舌打ちをしたものだ。この烈霆公が道具として使ってやろうとしていたのだ、せめておのれが死を回避できる程度には有能であって当然であろうと。

 それが骨となって戻ってきたことには驚いたが。

 なにゆえおのれが殺されたことも覚えておらぬ、赤子同然での帰還だったというではないか。 

 いや、それならそれで改めてこちらのよいように従えることもできるやもしれぬ。ならばその能力を見極める必要があろう。

 レントゥスは穏やかにシルウェステル・ランシピウスへの接触を図ろうとした。

 それを水泡に帰したのは、あのラピドゥサンゴン魔術伯ら無能どもと、生前とはうって変わって奇妙に目を引くようになったあの骸の魔術師本人だったのだが。

 

「我が弟に何かご不審でも?」


 もの柔らかにアーセノウスは問うた。だが疑念許すまじとばかりにその目は鋼だ。

 

「御身の弟御は幽明境を越え戻るばかりか、天変地異まで行いうるかと思えば驚かずにはおれまい?」

「なるほど、御自分の目にて確かめねば信じ得ぬのは当然のこと」

 

 彩火伯は老獪な貴族の顔になった。


「そのわりに御自領の工事をしろとお命じになったと伺いましたが」

「ベーブラ港の再鑿などという大工事を一人でしてのけるというのだ、その手際をこの目でも見てみたいと考えても不思議はなかろう」

「では、その際にトニトゥルスランシア魔術公爵さまも御自領へ戻られるのですか?」


 心底不思議そうな表情に一瞬烈霆公は口元を歪めた。

 たしかに、魔術公爵という立場の人間がおいそれと工事に立ち会えるわけもない。

 なんとしてもシルウェステル・ランシピウスを己が命に従わせたいという下心を隠すには、いささか足りなかったろうか。


 シルウェステル・ランシピウスという人間は、一個人として見る限り、道具とするもどのように使うも、烈霆公の思うがままであるはずの些細な人間だ。

 死んでから名誉導師になったとはいえ、家門を構えているわけでもない、一介の無爵の魔術師だ。

 だが、王族が何くれとなく気に掛けるのはなぜか。やはり先王の隠し子であるのか。しかしそれならばなぜ生前から取り込もうとする様子を見せなかったのか。

 加えて、死してなお人が寄り集うのはなにゆえか。

 

 クランクもまた死して後のシルウェステル・ランシピウスと顔を合わせ、敬服する様子を見せている一人である。

 スクトゥム帝国までの船旅が身体に合わなんだか、ずいぶんとやつれた様子に驚きはしたものの、フルーティング城砦へゆくというシルウェステルにつけぬという選択肢はなかった。

 あの骸の魔術師につける紐としては適材すぎたがためだ。だが問答無用でつけてやったことに、喜色を浮かべてあの変人が礼を言うとは思わなかった。

 

 フルーティング城砦にクランクが連れて行っている従者の一人、メンサーナはクランクの乳姉妹でもあるがレントゥスの目でもある。

 彼女の報告によれば、骸の魔術師に対するクランクの信頼は日に日に高まっているという。


(あの性格破綻者め)


 フルーティング城砦からのたよりに魔術公爵は内心舌打ちをした。

 レントゥスがシルウェステルにクランクをつけたのには、さまざまな理由がある。なかでも最も大きなものが、能力的には問題ないが、自身が使うにはやや癖のある使いづらい道具(人材)であるということだ。レントゥスとしては失ってもそれほど惜しくはないが、内情を知らぬ者には名誉導師に対する相当な厚遇と見えるだろうという判断である。

 もともとクランクはかなりの変人として知られていた。トニトゥルスランシア魔術公爵家が一門、フルメナピルム魔術伯爵家の嫡男として生まれ、それゆえにそこそこの魔術の才とカプタスファモ魔術子爵位を得ているにもかかわらず、彼の関心ごとは魔術師として名を成すことでも、一門の繁栄でも政治的闘争でもない。

 家令のするような領地経営や魔力のない文官がするような交渉事、人と人との関わりにこそクランクは心惹かれていた。

 本来ならば、それこそメンサーナのような者にでもやらせればすむことばかりである。

 だのに、クランクはそのような雑事にせっせと励み、聖槍の輪を通ってはグラディウスファーリーやクラーワヴェラーレにも頻繁に足を運び、不思議なほど明るい目で交渉を行っているという。

 ならばせめてシルウェステル・ランシピウスを押しのけ、自身で一団を率いる実権を手に入れるほどの野心を示せばよいものを。

 あの骸の魔術師は無造作にクランクへ外交に関する権限を委譲し、自身は一介の斥候、ないしは密偵としてフルーティング城砦を拠点にスクトゥム帝国への侵入を繰り返しているという。

 それもまた、レントゥスの目から見れば異様にしか見えぬ。

 

「彩火伯どのに伺いたい」

「いかなることにございましょう」

「シルウェステル・ランシピウスと名乗っている、あの骸の魔術師はいったい何者であろうか」


 ルーチェットピラ魔術伯親子はよく似た表情でぱちくりと瞬きをした。


「我が弟にございます」

「我が叔父にございます」

「まことそのように思っているのか」


 あのどうにも異質な骸骨を。

 

「とはまた」

「ルーチェットピラ魔術伯どの」


 問いかけを無視して烈霆公はじろりとマールティウスを見た。


「一門の当主として忠告を差し上げよう。正体の知れぬ者を始末するのも一門の当主としての責務となることがあると」

「おっしゃる意図がわかりかねますが」

「……ならば、気になされるな。失礼する」


 言い捨てて背を向けるレントゥスの後ろ姿を、アーセノウスは目を細めて見つめた。


「父上」

「案ずるな。あれはルーチェットピラ魔術伯爵家への八つ当たりにすぎん」


 アーセノウスの口元にひややかな笑みが湧いた。

 

「功績を立てれば恨まれるのは当然のこと。誉れの一つと思うしかない。シルもそうしている」

「は……」

「それより、ウェールたちはどうした。シルが王都を出るまで窮屈な思いをさせたであろうに」

「その件もございますゆえ、オクタウス殿下に拝謁を願いたく」

「あいわかった。手配しておこう」

「ありがとう存じます。……ですが」


 マールティウスは不審そうに父親の顔を凝視した。


「なんだ」

「今さらな疑問ではあるのですが、なぜ、『叔父上より妻子を隠せ』などとおっしゃったのですか?」

「なに、たいしたことではない」


 アーセノウスは軽く肩をすくめてみせた。


「シルは骨となっても美男なのでな。奥方に焦がれられては困るだろう?」

「父上……」

 

 おどけた口ぶりに、いつもの叔父褒めかとマールティウスは苦笑した。

 



(正体の知れぬ者か)


 アーセノウスはマールティウスについて歩きながら考え込んでいた。

 あの骸骨がシルであることは放出魔力をみれば間違いのないことだ。

 死してなおシルを愛おしく思うことも本心だ。

 だが。


(だが――本当に?)

 トニトゥルスランシア魔術公爵は王家の秘事であるシルウェステルさんの出自と、生前のシルウェステルさんがオプスクリタス騎士団(暗部)に所属していたことを知りません。

 アダマスピカ副伯姉妹に王サマが話したのは、ほんとにぎりぎりのことだったり。


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