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EX.警衛隊長は頭痛をこらえる

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

「シルウェステル師は、今どちらに」

 

 珍しく晩餐の席にもいたシルウェステル・ランシピウスの居所を、プレデジオはおのが副官に問うた。

 今夜は他出しないとの言質を取ってはいるものの、さて、あの風来坊じみた魔術師はいったいどこにいることやら。

 表向きは他国との折衝を行うことになっている、数人の魔術師たちに、城砦を預かる者として与えた区画の外に出れば、従卒に扮した腕利きの斥候兵が距離を開けて追跡をする手筈になっている。

 そうでもしないと、あの名誉導師は風のように行方を眩ませてしまうのだ。


「外郭の門楼におられるそうです。防御のための魔術陣をさっそくに仕込んでいられるようで」


 プレデジオは軽く目を見開いた。


「早いな。人目につかぬ方がいいとはいえ、こんな夜中にか。以前に城壁全面に手を入れられた時には……」

「たしかに日中になさっておいででしたね。ですがあれは魔術士団の方々に手を借りるとおっしゃっていたからでは?」

 

 他出の際は偵察などの任務の性質もある、舌人すら随従することもかなわぬ魔術の才が必要な場合もあるといわれては、単独行に無理矢理納得もした。

 だがフルーティング城砦の中でも、あの魔術師の神出鬼没ぶりは変わらない。むしろ輪を掛けているのではなかろうか。

 魔術士団による修繕が行われる以前の間取りとの情報をすりあわせたいと言ってはいたが、プレデジオの執務室といった、立ち入りを断った場所以外はすべて歩き回っているのではないかとすら思われた。

 厩舎や鍛錬場、はたまた谷あいの畑などといった、他の魔術師の姿など見ることのないような場所にも、時を問わず目撃報告が上がってくるのだが、そんなことで今さらいちいち驚いたりはしない。

 とはいうものの、こちらが用のある時になかなか捕まえられぬのでは意味がない。

 プレデジオは預けられた幻惑狐(アパトウルペース)を無意識に撫でた。

 手のひらで包み込めるほど小さなまるい頭とやわらかな長い耳の手触り、きゅうと返事のような鳴き声には心なごむが、こんな小動物が連絡手段とは、やはりどこか信じ切れないものがある。

 

「随従はどれほどだ。グラミィどのに、あの星詠みの旅人の方は当然ついておられるのだろうが」

「いえ」


 レガトゥスはどこかうんざりしたような顔で答えた。

 

「お一人でだそうです」

「一人だと!正気か。警護の者もつけぬとは、何かあったらどうする気だ。魔術師なら暗闇でも目は利くだろうが、危険を考えられんのか、まったく」


 警衛隊長は思わずこめかみを押さえた。

 たしかに、魔術陣の設置にかかるので、その間城門周囲の見張りには配慮を願うとは、舌人の老婆越しに言われたことだ。

 しかしまさかその日の夜から手をつけるとは思わなかった。

 それもたった一人でふらりと動くとは。型破りで知られるあの魔術師の異母兄(彩火伯)すらせぬことだろう。斥候兵たちも跡を追うのに難渋するわけだ。


「『いつ何時何が起こるかわからぬ以上、すみやかに防御の備えはすませておきたい』と、グラミィどのが申しておられたとのことです」

 

 あの髑髏の魔術師は、それほど緊迫した事態を知って戻ってきたのかとプレデジオは疑った。

 だが、それならそうとこちらに一言あってしかるべきだろう。焦る様子の見えなかった晩餐でのふるまいは、味方であるはずの城砦内にさえ焦眉の急を悟られぬための偽装だとすればなおさらのこと。

 これは朝食の席であの魔術師に何が何でも一言言わねばならぬと、プレデジオは深く心に決めた。

 

 晩餐後、かの魔術師がすぐさま魔術陣構築のために動いていたと知れば、プレデジオたちはいっそう驚倒したかもしれぬ。

 素材となる人髪をいじりつなぎ、さらに強靱なものにするため幻惑狐たちの毛を加え、一本の長い長い毛綱にするだけではない。かの魔術師はさらに魔力吸収陣をいくつか構築していたのだ。

 これは周囲から微量な魔力を長期間にわたってじわじわと取り込み蓄積するように設定されたもので、緊急時に一定の手順で破壊することで、中心となる吸収の魔術陣に蓄積されていた魔力をすべて流しこむようになっている。

 城内に術者がいなくとも発動できるようにするためである。

 舌人になぜそんなことをするのかと問われた本人は、『この魔術陣て魔術師が二三人ひからびるくらいには魔力を喰うのよ。戦闘開始時に魔術陣(これ)起動しただけで、魔力切れで動けなくなる魔術師(足手まとい)が出るなんて主客転倒も甚だしいでしょうが。戦闘が近づいてるのに自力で逃げることもできない戦力とか笑い話にもならんわ』とあっさり狙いを明かしていたのだが。


「……まあ、夜闇に紛れてとあれば灯りをつけて作業をするわけにもいきませんでしょうし。おそらくは師もそのようにお考えになったのでは?」

「いやしかし」

 

 慰めるように副官が推測を述べたが、プレデジオとしては気を回さずにはいられない。

 なにせ相手は王命を帯びてこのフルーティング城砦へとやってきたのだ。下手にその身に何かあった場合、天空の円環でつながる諸国、いや、星詠みの旅人(森精)たちとの関係にも影響が出るおそれがある。


「そのあたりはいくらなんでもお考えでしょう。あれほど城の守りを案じる方なんです。単独行からも毎回無傷で帰還なされておられるというのは、技量だけで御自身の安全にも配慮されているからこそなんじゃないんですかね」

「だがなあ」

「隊長。いや、プレデジオ」


 がらりと口調と表情を崩して、レガトゥスはしかたなさげに苦笑した。


「苦労性もいい加減にしておけよ。気を張りすぎだ。やれるって言うんだから当人にやらせとけばいいじゃねえか。あの人はたぶん珍しい人だ。アロイスが共闘するくらいにはな」


 警備隊長、という仮の肩書きで一時期フルーティング城砦に拠点を置いていたアロイスの真の任務は、フルーティング城砦の腐敗の一掃と粛正だった。

 それが、グラディウスファーリーから押し寄せた軍勢を、秘匿任務がための小人数で迎撃せねばならぬ羽目となったとはいえ、たまたまいあわせたヴィーア騎士団の小隊長カシアスと、馬車事故で死亡したシルウェステル・ランシピウスを名乗る骸骨と共闘したという報告が上がってきた時には、レガトゥスも驚いたものだ。

 アロイスは魔術師というものを毛嫌いしていたからだ。それはプレデジオも同じだった。


 プレデジオが知る魔術師というのは、たいがい権威を求め、役職に就いたらそれ以上のものを差し出されない限り、アカリナ(壁蝨)のようにその椅子にしがみついて貪婪に利益を貪る者だった。騎士を蔑み魔術師を尊しとしつつ、互いに互いを(けな)し合う。自ら動くことなどまずないくせに、褒賞を受けた者を(ねた)(そね)む、そういうものだった。

 彼がこのフルーティング城砦の警衛隊長として赴任してから、城砦の補修と魔術的な防御要員としてやってきたコギタティオ率いる魔術士団の人間も、その先入観を覆すような者ではなかった。首から下は不要なのではないかとプレデジオがこっそり考えるほどであった。

 

 例を挙げれば、アートルム騎士団――ランシアインペトゥルス王国の暗部であるオプスクリタス騎士団の表向きの名称の一つだ――に属する者たちにとって、身仕舞いを自らの手できちんと行うのは当然のことだ。とくに斥候兵たちは痕跡を残さぬよう、埃一つ遺さぬのが日頃のならいとなっている。

 食事や洗濯、掃除といった生活に必要な砦内の維持は、かつては騎士より多い下働きの者がしていたことだという。だがアロイスによる粛正ののち、戦の気配が強い国境に信用のならぬ者など置けぬということで、今では騎士や従士が交替しつつそれらの仕事をしている。

 しかしそれらは騎士階級に属する彼らにとって、できて当然のことであった。

 彼らは子どものうちから先達の騎士につく。従者として身の回りの世話をしながら、騎士とは何か学ぶのだ。騎士は行動を持って何がなんのために必要なのかを言の内外を問わず示し、従者としては何を成すべきかを考え、また自身がどのように行動すべきかを日々試される。その中には自分で料理をし洗濯をするということも当然含まれるのだ。

 これは、騎士たるもの、自分の武器は人任せにしてはならぬ、自分で手入れを行うべしとする考えの延長線上による。

 戦場では誰も身を保つための食事を与えてくれなどしない。身の回りの世話を焼いてくれるわけでもない。自らの手で何事もなしえなければ、自らの足で立つことができなければ、勲功など得られるわけがない。

 魔術師がひどい生活無能力者だとプレデジオがあきれ果てる理由だった。

 だが、プレデジオは魔術師というものがどのような生い育ちなのか知らぬ。

 

 魔術師、特に放出魔力(マナ)量の多さゆえ、義務的に魔術学院へと放り込まれた平民の子にとって、親とのつながりをむりやり断ち切られるというのは大いなる生活経験の損失である。まだ力が弱く不器用な子どもには、大人に任せるような料理などできはしない。せいぜいが掃除や洗濯の真似事だろうか。

 だがわずかな経験も厳しい訓練と学習の日々に消し飛ばされる。彼らがまず覚えねばならぬことは魔力暴発を起こさぬための制御技術である。生死に直結するからだ。

 彼ら魔術師の卵たちにとっての武器とは、剣でも馬でも杖ですらない。究極的にはその身に叩き込まれる魔術に関する知識と技術のみとなる。

 

 寄宿舎にはたしかに下級導師も生活をともにし、幼い魔術師見習いたちの世話をする。

 とはいえ、彼らもまた下級とはいえ貴族の子女であったり、平民の出であったとしても同様に学院育ちであったりする。掃除や洗濯を彼ら自身がするわけではない。それらは彼らがほとんど姿を目に入れることもない下働きのすることだ。

 聴講を受ける魔術伯ら貴族の子女にとっても、掃除や洗濯が他人事であるのは同じ。ただそれが自家の内で行われるかいなかというだけのこと。

 魔術師にとって、料理は完成したものが運ばれてくるものであり、汚れた衣服は消えるもの、清潔な衣服は届けられるものなのだ。

 むしろ長じて己の立場というものに思い至れば、身を立てるには同じ知識を得た同輩との順位争いに明け暮れるしかないと思い知らされる。掃除や洗濯などをする暇があれば、組織の力学に適応し、さらに上へと上るしかない。生きるために必要なものは得るために。


 そういうこととは知らぬプレデジオは若干呆れ、生活無能力者たちの集団に、生活能力があるというだけで騎士団を一方的に下働き扱いされることには嫌気がさしていた。

 とうとう我慢ならなくなり、やれ料理がぬるいの洗濯が遅いのと文句を垂れた魔術士団の人間に、イヤなら魔術で掃除や洗濯をなさってもよいのですぞとやったのにも、それなりの理由があるものだ。

 だが、結果として騎士団と魔術士団の間には軋みを生じつつあった。

 そこへやってきたのが、あの髑髏の魔術師率いる一団である。

 

 もはや魔術師というものに期待はしていなかったプレデジオだ。いくら王命を帯びての着任とはいえ、事を荒立てぬよう、こちらから下手に出る気になどなれなかった。

 だのに、いきなり『あの時は世話になった』と舌人の老婆に感謝を述べられ、驚愕は即座に警戒心に変わった。

 アートルム騎士団(暗部)の者にとって、顔や名を見たこともない相手に知られているというのは危険なことだ。

 自然、プレデジオの態度はひややかなものになった。


 疑心越しとはいえ、しかしあの一団はこれまでの魔術師たちとは明らかに異なっているようだった。

 同じアートルム騎士団の者という証を見せてきたトルクプッパはもとより、文官めいた風貌のエミサリウスも、異国人の二人も、あの仮面の魔術師と舌人の老婆、そして星とともに歩む者(森精)も。

 ……カプタスファモ魔術子爵は、まあ、ああいった貴族はいないわけじゃない。

 

 彼らに共通していたのは足の軽さだった。

 しょっぱなから、星詠みの旅人(森精)のもとへ行ってくる、などという突拍子もない書き置き一つでシルウェステル師たちが行方をくらましたのも、よく考えれば自ら動く労を厭わぬ今の姿とつながる。

 一行の者にすらなんら伝えることもなく、この国境地帯で貴人の行方が一晩もわからなくなることの意味さえ知らぬのかと呆れたのは事実だが。

 とはいえその後も、こちらの苦言に反発するでもなく、卑屈になるわけでもなく、反省した様子を見せながらも、城砦の規律は規律で重んじるが、こちらも王命で来ているので、譲れるところとそうでない所のすりあわせをしたいと言われて、おやと思ったのはたしかだ。

 これまで見ていた魔術師ならば、まず間違いなく主導権を寄こせと言い出しただろう。権限などなくとも。


 それでもプレデジオは態度を変えなかった。仮面の魔術師が、大広間の掃除や下肥の穴掘りをしたなどと知れば、とうに当初の色眼鏡などどこかへ飛んでいってしまったが。

 あえてこれ見よがしに警戒してみせていたのにも、意味がないわけではない。

 あるものをないと見せかけることは不自然な歪みを生じる。たいてい腹に何か抱えている者は、挑発されていると知れば、あえてそれを無視するものだ。 

 だが、舌人の老婆はあからさまにむっとしていた。最初からだ。疑われる人間としては極めて自然な反応にしかプレデジオには見えなかった。


 あの髑髏の魔術師の方はと言えば、しょっぱなにがつんとぶつかったことすら、つるっと飲み込んだかのように態度を変えなかった。

 打てど響かぬ、図太いだけの人間かと思えば、そうではない。

 彼ら一団を交えて外交方針と城砦の防御のあり方について意見を交わしたときには、きちんと相手の意見を聞き、退くべきところは退き、退いてはならぬところはがんとして退かず、それでいて相手にも納得のいく落としどころを探っていく。

 交渉事には老練とすら見たが、今回外交には一切口を挟まず、カプタスファモ魔術子爵に全権を任せるという。


 想定していなかった反応に、読めぬ相手。

 魔術士団のように生活無能力者の群れかと思えばそういうわけでもなく、グラミィとかいう老婆は厨房に顔を出したという。

 試しにと下働きのようなことを願ったら、さっと魔術を使って椀を洗い熱風で乾かし、根菜を水の渦を創り出してごろごろ洗い上げたとか。皿代わりに使う硬いパンを作るのは腕の力が足りぬと、赤く光る巨大な腕を作りだし、ばんばんと生地を捏ね板に叩きつけたのには当番兵たちが唖然としたという。

 さすがにあの仮面の魔術師御大が自ら厨房に出入りをすることはなかったが、彼らが連れている幻惑狐たちには手ずから毛並みに櫛を入れけ、魔術で寝台の掛け布や衣服を洗って乾かし、風で清めるため彼らの区画には塵一つ残らぬときく。

 従卒としてつけた斥候たちが仕事がほとんどないと嘆くほどだ。

 

 ここまでくれば、たしかに魔術師ぎらいのアロイスが共闘したというのもうなずけた。だが解せぬこともあった。

 味方以外すべての者に対するミセリアの指(疫病神)、血染め髪の魔術師殺しなどと数多の物騒な二つ名を持つあの放浪騎士が組んで、ともに戦場を駆け抜け生き残った者は片手で足りると言われる。

 つまりはそれだけアロイスの能力が高く、また危険な場所に率先して突っ込んでいくからだ。

 プレデジオはひそかにアロイスが死にたがりではないかと疑ってもいる。

 クウィントゥス殿下の麾下に加わった後も、以前から知己だったというカシアスくらいとしか積極的に話をすることもない彼の様子を見れば、あながち的外れとも思えない。

 だから、それほど朋輩とすら線を引いた付き合いしかしていなかった魔術師ぎらいが、フルーティング城砦での共闘後も、長駆アルボーまで任務をともにしたことに、何か意味があるように思えてならなかった。

 それだけの価値を、アロイスは、あの魔術師に見いだしたということなのかと。


 ためらい、こちらから話しかけようとし、がらりと態度を変える不自然さを怪しまれることにまたためらう様子を見ていた副官から、一つの提案を受けたのはそのころだった。

 彼ら外交を旨とする一団と、城砦を守る警衛隊との間に隙を生じるわけにはいかぬ。ならば全体として歩調を合わせるために態度の均衡をとったらどうかと。

 それからこっち、プレデジオとレガトゥスは、へそ曲がりだが剛直な隊長と柔軟な副官を演じているのだが。


「レガトゥス」

「はいよ」

「お前、シルウェステル師をどう思う?」

「一言で言えば、手練れとしか申せないでしょうな。城壁まるごと手直しなんて、魔術士団の連中を顔色なからしめるようなこともしてのけるくせに、あの鍛錬場で見せた腕前ときたら」


 普通の魔術師は、白兵戦において騎士にかなうべくもない。いざという時に、数合自力で刃を防ぎ得たならそれで十分、実戦に通用する水準とされている。

 だが、魔術師とはもとよりそういうものだ。

 たとえ戦場に連れ出されたとて、騎士らの背後から矢の雨に交えて火球を降らせるのがせいぜいという魔術師の間近に、もし敵が寄ってきたとすれば、それは戦陣が崩れ、敗色が濃くなってきた局面でしかない。

 しかし、あらゆる意味であの髑髏の魔術師は普通の魔術師ではなかった。


 城砦の中を歩き回るついでのように、騎士にしか用がないはずの鍛錬場にまでちょくちょくやってくることに、警戒心と関心を抱いたプレデジオが、レガトゥスとの立ち会いを許したのは、興味半分ではあった。

 騎士同士であれば、剣を合わせれば相手がどのような人間かはある程度わかる。

 それは同じ人間ならば魔術師相手にも通じるのではと思ったのだが。

 

「あんまり御本人には裏がない気がするんですがねえ」

 

 レガトゥスが首を傾げたのも道理。

 仮面からでも伝わる興味津々な様子は、まるきり騎士に憧れる市井の子のように無邪気ですらあった。

 毒気が抜けて話しかければ、舌人越しか筆談になるとはいえ、それなりに雑談にすら応じてくれる。どうにも隔意を持ち続けにくい相手なのだ。

 クウィントゥス殿下と接する様子から判断するに、彩火伯の切り込んだら最後抜けぬ綿か泥が石に変わるような踏み込めなさや、現ルーチェットピラ魔術伯爵マールティウスの、植物紙一枚隙間に入れられぬ切石の組み壁のような拒絶とも違う。

 だが、いざ手合わせとなれば、容赦のないその魔術の前にレガトゥスは敗北した。

 正確に言うなら数十枚の結界を砕いたところで息切れしたのだ。


 なるほど、正面からの守りには強いらしい。だが底が見えぬといってもないわけではないだろう。

 これはこれはと苦笑したレガトゥスは、負けを認め健闘をたたえ合う握手を求めると見せて、ぐいと腕を引っ張ってみた。

 そのままバランスを崩して倒れ込もうものなら、逆手に持った刃物の柄を首に当てて脅かしてやれという腹だったのだが。

 脅かされたのはレガトゥスの方だった。


 細い腕からずるずると長手袋が抜け、握手していた手の部分を残してすっぽぬけたことに一瞬ぎょっとはした。だが、何かこちらがしかけてくると読んだシルウェステル師が、手の形のおもちゃでも長手袋に仕込んでおいたのかと納得した。

 これは読み合いに負けたかと思ったとたん、その手袋の親指が動いて、まだ握手したままの形で握っていたレガトゥスの手の甲をすうっと撫でたのだ。

 思考と認識がずれたまま、目を向けた仮面がにやりと笑ったように見えたのは気のせいだったか。

 他の指までわちゃわちゃと動き出し、再び手の甲をくすぐられたレガトゥスが絶叫したのはいうまでもない。

 

「お前のあの時の悲鳴ときたら」


 肩をふるわせるプレデジオに副官はなんとも言えない顔を向けた。隊長はその顔にさらに笑った。

 かの魔術師が『骸の魔術師』なる称号を王より与えられたのは、真実彼の身体が一体の骸骨であるからだという。

 伝聞というものは、尾鰭胸びれ鱗に角まで生えて、雲を踏むほど早く駆けるというから、その係累かと話半分に聞いていたプレデジオも、最初に仮面を外して見せてもらった時には心底驚いた。


 こちらが態度を決めかねている間に、シルウェステル師らは星詠みの旅人(森精)からの貴重な知識を惜しげもなく有形無形を問わずに渡してきていた。

 また、なにをどうしたかは知らないが、どうにもこうにも手のつけられなかった魔術士団の人間の、騎士に対する態度がひどく変わった。

 すべてこのフルーティング城砦において有益なことばかりだ。


 総じて考えるに、シルウェステル・ランシピウスという人間は魔術士団が束になってかかろうとかなわぬほど人間離れした魔術の才を持ち、骸骨ではあるが、人間としてはかなりまっとうな存在であると言えるだろう。多少お茶目ではあるが。

 ならば、とプレデジオは思う。

 シルウェステル師は自分をどう見るだろうかと。

 アロイスになんらかの価値を見いだしたがゆえに共闘をしたのだとしたら、かの魔術師は、このプレデジオにいかなる価値があると見ているのだろうか。


 レガトゥスは多少案じていた。プレデジオはアロイスの同輩として、器量を比べられやすい立場にある。それはレガトゥス自身がアロイスの副官であるバルドゥスとマルドゥスに比べられやすいのと同じだ。

 だが、プレデジオはアロイスよりもたしかに生真面目で融通の利かない面がある。そのことは彼も重々承知している。

 しかし承知しているということと気にせず我が道を選ぶことは別物だ。

 それがプレデジオの生真面目な性質(たち)ゆえとはいえ、組織の構築と運用能力に陰りを落とさねばよいのだが。


「さて、シルウェステル師にばかり働かせているわけにもいかんな。我々は我々の仕事をするか」

「はっ」


 上官と副官の顔に戻ると二人は真面目に討議に入った。

 あの髑髏の魔術師に出入国記録の調査以外に依頼されたことは二つ。


 一つは、ランシア地方、特にランシアインペトゥルス王国内の情報収集である。

 ちょっと虚を突かれたのは確かだ。

 なにせフルーティング城砦は国防の要として見られている。常に求められるのは国の外への備えであって、内へどあまり聞いたことはない。

 国内に対する警戒を覚えるようなことがあっただろうかとプレデジオたちは思った。

 

 むろん、彼ら騎士団が王国内の情報収集を――していないわけはないのである。

 国内の貴族たちについて、王家に対する態度や思想、嗜好にくせ、領地での収穫その他もろもろの情報を集めるのは、基本中の基本ではある。

 そしてスクトゥム帝国から――あの魔術師の言葉を借りるならば『この世の人ならぬ人となった人』が、行商人などに扮して入り込んでこなかった、と断言することはできない。

 監視の目は光らせているが、その裏を掻かれていないとは考えない。想定は最悪の事態を考えるべきだからだ。

 そういう意味では、たしかにトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯あたりについては多少なりとも接触を取ってみるべきかもしれない。手土産というなら内陸部にある土地柄だ、岩塩などが喜ばれるだろう。

 岩塩といえば、あのどうも胡散臭さの拭いきれぬクラーワヴェラーレの行商人が持ち込んだものがある。名誉導師も一回きりならば用意しようと、大人の頭一つほどはありそうな、美しい水晶のように透き通った岩塩塊を、惜しげもなく魔術で出してみせてくれたのだが。

 つくづくあの魔術師は敵にまわしたくはないと感じたものだ。


「しかし、このようなことを勧められるとは。天空の円環を越えて、あのシルウェステル師が危険視するようなものが入って来るということなのだろうな」

「それも、確実に、ですな」


 魔術師から依頼されたことの二つ目は、城砦に外牢を作った方がいいということだった。依頼というよりむしろ忠告に近いのかもしれぬが。

 従来使用されてきた塔の地下牢は、一度魔喰ライによって大きな損傷を受けた。

 それは魔術士団によって修復されたのだが、場所が悪いと、かの魔術師は言う。

 『内奥にある牢は外部からの侵入を困難にし、虜囚の脱走も奪還もたやすいものではございません。ですがそのような者から……感染しやすく死に至る病のもとが出ていたらどうなりますか?』と問われて考え込んだことはたしかだ。

 スクトゥム帝国で何を見たかといえば、『この世の人ならぬ人』という言い方を、人とは見えぬ人はした。

 どこまでが真実かはわからぬが、スクトゥム帝国への糾問使団としてわたった彼らが捕らえられそうになったこと、虐殺を生き延びた星詠みの旅人と邂逅したことはたしかなのだろう。 

 『病そのものではないにせよ、そのようなものが、当人たちすら知らぬ間に仕込まれて、送り込まれてくるやもしれません』と忠告されたとき、背筋を氷片で撫でられたような気分になったことをレガトゥスは思い出した。


「……これからランシア山付近も荒れるのでしょうな」

「漫然と居竦んでいるわけにはいかんということか。ならば、シルウェステル師に倣って仕事は早手回しに片付けていくべきだな」

「了解しました」


 二人は猛然と仕事にとりかかった。

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