お茶会は狂わずとも
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「おや、シルウェステル師ではございませんか」
久しぶりにフルーティング城砦へ戻ってきたところで、後ろから声を掛けられた。
やあ、ククムさんか。
彼はあたしのそばまで来ると、商人らしく深々と頭を下げた。
「お久しゅうございます。なかなか砦にお邪魔しましても、掛け違うことが多くてお会いすることもできませんで。さびしゅうございます」
そりゃ失礼。てかどんだけフルーティング城砦に来てるんですかね?
いいのか、天空の円環越えまくってて。
「シルウェステル師は、どちらへ脚を伸ばされていらしたので?」
そんなこと、言うわけないじゃん。てか声帯ないし通訳のグラミィも近くにいないから、喋れるわけないんですが。
石板カード?下手に使うとありがたがられるので、そうそう顕界なんてしませんとも。
……しっかし、腰の低い無沙汰のお詫びに違和感なく、さらっとこっちの動向を伺うような言葉を付け加えてくるあたり、ククムさんてばほんとに油断も隙もありゃしない。
肩と幻惑狐のフームスを乗っけた肩胛骨を並べて、ククムさんといっしょに城門をくぐると、早速顔見知りな従騎士の一人が先導についてくれた。
クラーワヴェラーレを出た時、またのご贔屓をと、あたしたちに愛想よく挨拶をしてきたククムさんてば、その後天空の円環を通ってランシアインペトゥルス王国までやってきたのだ、挨拶と行商に。
またご贔屓にしていただくためには努力を惜しみませんよと胸張って言われて、あたしたち全員頭と頭蓋骨を抱えたという有言実行ぶり。
ここまで足軽く動いてくるんなら、なんでこれまでランシアインペトゥルス王国に来なかったのかって訊いてみたら、あたしたちがいつランシアインペトゥルスに戻ったのか、国内のどこにいるのかも分からない以上、ただの不審人物と思われそうだったからやめてましたというね。
たしかに、その読みは間違ってないだろう。
スクトゥム帝国への糾問使団でわりと出自がはっきりしてるのって、彩火伯の弟ってことになってるシルウェステルさんと魔術子爵であるクランクさん、あと外務卿テルティウス殿下のもとで下級文官もどきをしていたエミサリウスさんぐらいなものだろう。
あたしの通訳ってことにしているグラミィはまだしも、トルクプッパさんやアルガは密偵だし。マヌスくんは他国の王族。むしろ存在を隠蔽するべき人間ですよ。
下手にお世話になりましたー、直接会ってお礼を申し上げたいですーとか言われても、裏があるんじゃないか、疑わしきは消せ、となりかねん。
プレデジオさんだって、めちゃめちゃイヤな顔をしてたもんなー。
なにか非常事態が起こったら連絡を、ぐらいなニュアンスで、クラーワヴェラーレだけでなくグラディウスファーリー側にも、フルーティング城砦にいると、あたしたちの所在を明かしといたことを、ちょっと後悔するくらいの形相でしたよ、あれは。
それも無理はない。
ここフルーティング城砦がランシアインペトゥルス王国にとって重要な意味を持つのは、あたしたちの拠点として必要だからってことでじゃない。第一義的には、ランシアインペトゥルス王国の国境に立つ要塞なんですよ、ここ。
その国防の要の一つに他国の人間を入れることに、城砦の最高責任者が警戒するのは当然だ。他国から食糧を持ち込まれるというのは毒を使われる危険性とニアリーイコールだし。
そこへ、行商でーす、お世話になったお礼にお安くしますーと、しょっぱなから乾燥チーズやなんやかんやと持ちこんだククムさんてば、見た目に合わずつくづく肝が太いと思う。どのくらい太いか可視化したら、きっとここの城門の礎石くらいはあるんじゃなかろうか。
いちおう、ククムさんにも言い分はある。
「シルウェステル師をはじめとされるスクトゥム帝国への糾問使団のみなさまは、わたくしどもの命の恩人にございます。そのような方々を害するような忘恩の所業など、ベネディクシームスに誓って、決していたしませんとも。ましてやシルウェステル師やグラミィ様は森より星を見る方の御加護を受けていらっしゃる。そんな方々に大それた真似ができましょうか」
プレデジオさんに面と向かって詰問された時、いかにも心外だという顔でククムさんはいった。
いや、まあ、そりゃそうなんだけどさあ。
それならそれで、まずはあたしたちだけじゃなく、プレデジオさんたち城砦の管理側にいる人たちとの信頼関係を築きましょうよと内心突っ込んだのは、あたしだけじゃないと思う。
そりゃあ確かに疑うことが仕事みたいなプレデジオさんが相手だよ?疑われることを前提として行動するのは理解できるよ?
だけど、じゃあ疑われないように気を配りましょうってんじゃなくって、疑われるのはしょうがないので、さあどんどん疑ってくださいって方向に行動するあたり、ほんとククムさんてばいい性格をしていると思う。
いちおうあたしからも、あたしたちや森精だけでなく、あたしたちにより食い込むためにプレデジオさんたちを害するようなことがあったらただじゃおかないと、グラミィに伝えてもらった。
そしたらにっこり笑われた。いや、あたしたちを敵に回す気はないというのは本気なんだろうけどさあ。その反応がいちいち胡散臭いのはどういうわけなんだ。
アルガがスンッって顔でククムさんを見ていることが増えたのは……あれか、同類嫌悪ってやつかね。
その一方でクランクさんは清濁併せ呑むスタンスでいるらしい。他国、特にスクトゥム帝国に近いクラーワ地方の国々や他の氏族の情報も、有益ならば買ってもいいと貴族の笑顔で受けるんだもんなあ。
ま、まあ、確かにククムさんの話はわりと有益だ。人間に対する関心の薄い森精たちではなかなか集めきれないような、クラーワの――クラーワヴェラーレのみならず、クラーワ地方全体に関わるどろどろやごたごたが把握できるので、彼が来るとさりげなくプレデジオさんまで同席するようになったくらいである。
従騎士がククムさんともどもあたしを導いたのは、城砦の大広間……ではなく、本丸部分に入ったところにある広間だった。ぶっちゃけ機能的にはエントランスホールとロビーと物資搬入口をごっちゃにした感じだったりする。
ククムさんの胡散臭さのせいか、当初は城壁をすぐ入ったところにある門番小屋を応対の場所にしろとプレデジオさんが盛大に主張していたことから考えれば、ククムさんもずいぶんと短時間のうちにフルーティング城砦に入り込んだものだと思う。あたしのいない時は応対に出るクランクさんたちの身分への考慮がかなり効いているのだとは思うけど。
ま、それでも彼を大広間にまで上げようとしないのには、下手に内奥まで入らせて、この城砦の間取りが筒抜けにならないようにというプレデジオさんの警戒心のあらわれなのだろう。
もちろん、場としての格式もある。
大広間で城主たるプレデジオさんが迎える相手というのは、正式な使節や城主と身分的には対等以上の相手ということになってしまう。もちろん、幻惑狐の氏族というクラーワヴェラーレの有力な一族の名代といった立場でククムさんが訪問してきたのならば話は別だろうが、今のククムさんは、あくまでもクラーワヴェラーレからやってきた一介の行商人である。そういうことになっている、というプレデジオさんの意思表示でもあるのだ。
案内ごくろーさまと、従騎士さんにあいさつの仕草を送ったら一瞬ぎょっとされてしまった。
いや顔見知りになってんだから、いい加減慣れようよー。城砦来てから一月近くたってるんだし。あたしはちょくちょく出かけてるけど。
……って、そっか、直接接触する機会は少ない人だったか。
幻惑狐越しに知ってる人だと、一方的に親近感を持ってしまってどうもいけない。人間関係の管理が雑になる傾向があるので、気をつけねば。
用意された小卓――といっても、むこうの世界のダイニングテーブルがドールハウスの家具に見えてくるサイズだが――について、一方的に喋るククムさんにうなずいたりしているうちに、グラミィがやってきた。
「おいでなさいませ、ククムどの。シルウェステルさまもお帰りなさいませ」
〔お疲れですー、ボニーさん。どこまで行ってきたんですかー?〕
ただいまー。
どこって言われても、まあ……あちこち?
〔ですよねえ。あ、全部一度に心話で画像よこそうとしないでください。また目を回すのはかんべんです〕
え、配慮はするよちゃんと?
自重はしないだけで。
あたしがいないときも、グラミィはしょっちゅうこのお茶会というか、相互情報収集の場に引っ張り出されてくるんだそうな。
どうやら、あたしへの聞き耳係兼お茶係という位置づけらしい。よっぽどあのお茶魔術が気に入られたようでなによりだ。
〔あっちでもこっちでもお茶くみしてくれって言われるんですよー。魔術士団の人たちとか、プレデジオさんにも。だけど、頼んどいて毒味するってなんですかあれ。すんごい失礼なんですけど〕
……それはそれは。
相変わらず、プレデジオさんてばなかなかの警戒っぷりだね。
あそーだ、お茶に使う薬草、少なくなってきてたでしょ。闇森でちょっともらってきたわ。タクススさんからもらったラクサリの乾燥したやつだけじゃなくって、今の時期なら標高のあるこのへんでも、わりと元気よく生えてるアルテミシアとかいう薬草のも。こっちは解毒剤にもなるんだって。
〔いいですね、それ〕
お茶にして飲むと冷え症や眩暈にお肌のトラブルにも効くんだとか。
〔!さっそくください、他の人がいらないって言ったらあたしが全部もらいます!〕
……なんだったら自分で採ってきたら?葉っぱの形とか生えやすい場所とか教えてもらったから。
ほい、と草の葉を編んで作られた袋をいくつか取り出して手渡してやると、グラミィはちょっと眉をひそめた。
なした?
〔どうせなら、ヴィーリさんにも出してあげればよかったですねー。でも、森に行くって言ってたんで〕
行き違っちゃったか。ヴィーリもわりとことわりなくふらっと出てったりするもんなあ。
そうするとまたプレデジオさんのイライラ度が上昇するんだよねえ。いちおう狐たちとラームスたちにも伝えておいてもらおう。城砦に帰ってきてるよーって。
〔りょーかいですー〕
わりと豪胆なククムさんも、ヴィーリと最初に対面したときにはすごいうろたえてたっけね。その後もこんなふうなお茶会してると、ヴィーリってば通りすがりにふらっと同席したりすることがあるのだが、その都度ちょっとだけお行儀が良くなるというね。
けれど、ククムさんはどんだけ畏まっても萎縮はしない。そのあたりはさすがだ。さすがすぎてどこをどう見ても、ただの行商人じゃ見えないよ。
ククムさんの本業は行商じゃなくて情報収集、つまり、密偵兼任だろうとプレデジオさんに言われて納得したレベルですよ。ある意味アルガと良い勝負だもん。
グラミィが連れてきてたカロルとじゃれていたフームスが、ふいと頭を動かして、挨拶するような鳴き声を立てた。見ればゲイルが小走りに近づいてくるところだった。
「これはシルウェステル師。お帰りになっておられましたか」
ただいまっていうよりお久しぶりってとこですね、プレデジオさん。
「『ただいま戻りましたところで、プレデジオどののもとに帰還の挨拶にも参りませず失礼をば。ククムどのと城門にて行き会いましたもので』とのことにございます」
ええ、別に軽んじてるわけでもないですし、他意もないですよ?
「シルウェステル師にお会いできましたのも、ベネディクシームスのお導きにございましょう」
うやうやしくククムさんが締めくくると、茶器を越えてあたしに目を向けた。
「そうそう、呪い師たちがシルウェステル師にまたお目にかかる機会を得たいと申しておりまして。かなうのであれば、こちらに赴きたいというのですが、ご都合をお聞かせ願えませんでしょうか」
って言われてもねえ。
「『このような骨の身にでも会いたいと願われるのであれば、カルクスにわたしが赴くのはやぶさかではない。だが、フルーティング城砦に訪れたいと願われても困る。この砦の主はわたしではないのでね』」
ええ、来ても良いですかーって呪い師の国外ツアー企画の交渉というか、お伺いを立てるなら、あたしよりプレデジオさんですよ。これ別になにも彼の立場に遠慮しているわけじゃない、掛け値なしにほんとのことだ。
だがそう答えたら、あたしとグラミィは、まじまじとククムさんに凝視された。二つ返事で承諾しなかったのがそんなに意外だったんだろうか。
PTSD症状を示した身内の件でつっかかってきた幻惑狐の氏族の人たちから、あんまり軽く謝罪を受けすぎたかな。だけどあそこまでおどおどびくびくされてると、なんか気の毒に思えちゃったし。
にしても、こっちの都合を無視しすぎてないかね。クラーワヴェラーレ、というかたぶんクラーワ地方全体における、呪い師の威光というものを過大評価しているせいなのかしれないが。
いずれにしても、理解はしても従うわけがなかろ。生前のシルウェステルさん、いやそのおとーさんならともかく、スタンスをランシアインペトゥルス王国に大きく依存している今のこのあたしが、クラーワヴェラーレの都合をまるっと受け入れて、ハイかイエスで即答するわけがあるまいに。
そうそう、待望してた呪い師との顔合わせは、ククムさんたち幻惑狐の氏族の領域でとっくに何度もやっている。最初に会った時なんか思いっきり喧嘩腰だったけどね。
彼らの曲がった臍をなだめてのばすのは、ちょいとばかり骨だった。いやもとからあたしゃ骨ですが。
もともと交易に出る関係で、幻惑狐の氏族たちはクラーワヴェラーレの氏族の中でも、もっとも天空の円環に近いところに集落を構えている。最初にあたしたちがお邪魔した、カルクスという集落だ。
天空の円環から最も近いということは、他地方から責めてこられたときに一番被害に遭いやすい場所でもある。幻惑狐の氏族も、マヌスくんたちと押し問答状態になった程度にはぴりぴりに警戒してかかってるし、戦える人間を置いているのもそのためだ。
だけどその立地条件のおかげで、今やカルクスはクラーワヴェラーレの税関兼外交担当部署みたいな位置づけになっていたりするので、完全に不利益かというとそうでもない。幻惑狐の氏族に対するクラーワヴェラーレ国内での評価はかなり高くなっているみたいだし、何かっちゃあ天空の円環に足軽く出て行く彼らにとっては、国内外の取引折衝よろず相談事受けつけますってな現状は、じつに魚にとっての大海だろう。
けれど、そのカルクスで彼らが交易品や食糧よりも欲してやまないものがあった。
水である。
天空の円環は、ほぼ岩石でできている。
その最寄りにあるカルクスの土地もまた、岩石混じりな上に痩せている。
おまけに高山特有の強い日射のせいで植物も少ない。これから夏に入るといっそう日射しは強くなり、熱せられた岩盤からの輻射熱と直射日光に挟まれて、カルクスは軽く日干しになるそうな。
もちろん幻惑狐の氏族にとって、集落がカルクスしかないわけじゃない。けれども、クラーワヴェラーレ自体がもともと乾燥した土地だ。貴重品の水をカルクスにまで運ぶことはほとんどない。
そりゃあ、グラミィが見せたお茶魔術に食いつくわけですよ。
二度目だったかの訪問の時、この水不足についてはククムさんに愚痴られたのだ。それこそお茶飲み話的に。
ただし、出てきたのはお茶じゃなくて、トリコルヌスの乳だったけど。
ぽろっと悩み事が出たという風情だったので、つい親切心で、水樽一杯ぶんくらいなら出してあげようかと、じつに余計なことを申し出たのは……。
あたしです。ハイ。
いやね、グラミィの見せたお茶魔術にがっつけないようにしてやろうって目論見もあったんで。
水が欲しいなら出してやろう。なに、骸骨からもらった水が飲めないだと?なら二度とやんない。そう言えばずっとねだられ続けることもあるまいって方向に持ってくつもりだったのだよ。
あとは外交交渉の場所を提供してもらえてるんで、その見返りというか、今後も友好的な関係を維持するために食わせる飴にするにもいいという計算もあった。なにせ消耗品だし、蒸発すれば隠滅するような証拠も残んないもの。
だけど、彼らはたくましかった。あたしの予想を遙かに超えて。
そりゃまあそうか、飴みたいな嗜好品と違って、水というのは生命維持に不可欠だもんな。
出所が骨だろうが人間だろうが、清潔で煮沸不要、そのまま飲める水なんて貴重品をほっとくって選択肢はないわけだ。
対価を出しますんで定期的に水を供給してもらえませんかと身を乗り出してきた人もいた。それを叱りつける勢いで抑えたククムさんも、水を出す術を教えてもらえませんかとか言い出したりしてね。
なんだろうこの一族でやらかすフット・イン・ザ・ドア。いやドア・イン・ザ・フェイスの方が正しいのか。
彼らが幻惑狐の氏族がトコトン実利追求に走るのが性分なのは見てりゃ分かるし、水が欲しいという願いが切実なのもわかるけど、実際問題として、魔術は魔術師、もしくは呪い師にしか行使できない。
万人向けの使い捨て用に術式を魔術陣にしたものを渡してもいいのだが、どうしてもペラ一枚に構築した魔術陣は効率が悪いんだよね。おまけに、地水火風の術式の中でも、水に関するものは必要とする魔力が多い部類になる。放出魔力量の少ない一般人が一人で発動させたら、たぶん水樽半分くらいで倒れかねんレベル。保有魔力の消耗ってきついからねー。
地水火風の術式も召喚を基本とするらしい以上、『術者の周囲から』と詳細に記述すれば、対象範囲を未指定にしたり、『ここではないどこか』から集めてきたりするのよりも、確かに魔力消費はちょびっとだけ減る。
だけど、この乾ききったクラーワヴェラーレの大気から湿気を絞りに絞ったとしても、あまり効果は期待できない。たぶん手のひらに掬えるかどうかぐらいの量しか集められないだろう。
かといって、周囲から集めるのを水分ではなく、魔力にするのも悪手だろう。
岩山で地味も痩せているというクラーワヴェラーレの特徴は、魔力の乏しい土地の証拠でもある。魔力吸収陣を組み合わせた魔術陣を構築することは可能だが、発動させたら、もっと事態は悪化する。下手をすればカルクスは不毛の地と成り果てかねん。
かろうじて水分をため込み、日陰を作っている植物が存在しなくなれば、カルクスは人も住めぬ灼熱と氷結の荒地となるだろう。
それでもなんとかなりませんかーと一族総出で食い下がられたのは言うまでもない。
そこで、しかたなくあたしは譲歩案を出した。ランシアインペトゥルス王国にとっても良き結果を出し得た訪問の最後に、水樽一つ分だけならと。
ククムさんたちはそれでもいいと納得してくれたので、そういうことにしたの、だが。
……まさか、呪い師が既得権益を侵害されたって方向で激怒してくるというのは、ちょっと予想外すぎた。だんだん幻惑狐の氏族が用意する水樽がでかくなってきてたってのはまだしも。
なぜ呪い師が、あたしが幻惑狐の氏族に水を譲渡してたのに憤慨したか。その理由は簡単だ。
クラーワヴェラーレにおいて、呪い師は権勢を誇る聖職者に近い位置づけがされている。そのわりにけっこう欲まみれなのはさておき。
クラーワヴェラーレの呪い師は聖職者というより、水をもたらす者なのだ。
氏族外の氏族というべき存在が権威を纏うのに、森精たちの影をちらつかせるのは確かに有効だろう。生誕を見守り葬礼をとりしきる者、つまりは生と死を司る者であり続けるのも、畏敬の念を抱かせるのに十分だ。
けれど、彼ら呪い師の数は極めて少ない。放出魔力量が多い人間は、ランシアインペトゥルス王国でも魔術系貴族でもないかぎり、百人から千人に一人という割合でしか出ないのだ。
圧倒的少数であることが確定しているはずの呪い師たちが、裕福であると同時に権勢を誇る理由が最初わかんなかったんだよなあ。
いや、クラーワヴェラーレの中でも南側にあるという湖沼地帯に、大きなテリトリーを持ってるってのは、ククムさんとか、遊びに来てたアエノバルバスにも聞いてた。そりゃあ肥沃な土地を所有してれば、よほどあほな使い方をしない限り、そのぶん土地の所有者が豊かになるのも当然だろうとは思ってた。
だけど、彼らは『少人数』の『呪い師』なのだ。
いくら大量に水を必要とする牛や馬系ではなく、むこうの世界の山羊や羊、羚羊に近い家畜しかいなかろうが、自分たちが水には不自由しなかろうが、呪い師自身が農耕とか牧畜にいそしんで、大人数の氏族もうらやむ富を蓄えられるかっていうと、ほんのり疑問が残るわけですよ。
この世界、労働力は基本オール人力なのだ。人の数はその集団の労働力そのものといってもいい。
ま、他の氏族に魔術で水を出したりひっこめたり、自分のテリトリーにある湖沼の使用許可を出したり取り上げたりすることでコントロールし、労働力や生産物をいわば『朝貢』させてたんだろうなーと理解したら、ものすごく納得できちゃったけどね。
生命線である水をあらかた握られてりゃ、どんな氏族も最終的には膝を屈さざるをえないだろうし、その権威たる水にあたしたち異国の魔術師がうっかり手を出してしまえば、そりゃ既得権益侵犯に彼らも怒るわな。
まあそこはあたしたちも悪かったので、事情を納得した後は、即座に謝るところは謝りましたとも。
〔『謝っただけじゃ許さない』とか言ってた人もいましたけどね!賠償請求とかふっかけてこようとしてたのを、ボニーさんてば景気よく叩き潰してましたけど!〕
グラミィや。やってきたクランクさんに次のクラーワヴェラーレ訪問について丸投げながら、心話であたしに突っ込んでくるのはやめてくれなさい。
なに、理不尽な要求を撃墜したのだって、別に暴力で鎮圧にかかったわけじゃない。
今後幻惑狐の氏族たちであろうがどこの氏族であろうが、クラーワヴェラーレの氏族にあたしたりから水は渡さない。呪い師の職権に関わることには、これまでどおり関わらないようにすると、グラミィに闇森に誓う形で断言してもらっただけです。
ついでに次の会合の時、ヴィーリについてきてもらっただけです。それを彼らがどう解釈したかは知らん。
けれども、それで呪い師たちは白旗を揚げた。井の中の蛙な彼らは、カルクスで最初にあたしたちが森精の加護持ってまーすと公言したことを知らなかったらしい。知っとけよ。情報収集は大事だぞー。
森精であるヴィーリは国家間交渉に介入することはない。ただ、追うべき星であるあたしとグラミィに同行してくれる。身の危険があるから、あるいは人間同士の争いに巻き込まれるおそれがあると説得すれば、ある程度離れてくれる。だがそんな時も、ラームスたち彼の樹杖の一部があたしたちから離れることはなく、通常放出魔力を操作して、ただの杖や腕輪のふりをしている彼ら樹の魔物のせいで、あたしたちが目にし耳に触れるものはまるっと森精たちに筒抜けってだけのことだ。
あたしにゃ眼球も鼓膜もないけど。
森精たちの住む闇森は、クラーワヴェラーレから見れば最北端側に位置する、険しい巨大な谷間を埋める巨大な森だ。湖沼地帯が多く、水の比較的豊富な南のどんな森よりも、大きく深い。
言い伝えでしか森精の森だと知らぬ一般人とは違い、魔力も見える呪い師にとって、闇森は畏敬の対象だったわけだ。
魔力感知能力のほとんどない一般人にすら分かる程度に放出魔力を増やしてもらったヴィーリを紹介しただけでなく、その闇森と同質の魔力をラームスたちに発してもらったんだもの、呪い師のみなさんがえらく青ざめるわけですよ。
その後すっかり大人しくなった呪い師たちは、今度は逆にあたしたちにすりよって機嫌を取りにくるようになった。
ククムさんを通じて、これまで意識したこともないだろう彼らにとっての他国である、ランシアインペトゥルス王国を訪れたいとか言い出したってのも、たぶんその一環じゃないかな。
「『いつもククムどのには手数をお掛けしている』」
「いえいえ、わたくしどもには十分ひきあっております」
もちろん、当然のことだけど、ヴィーリたち森精は基本的にランシアインペトゥルス王国の味方じゃない。あたしやグラミィをある程度庇護はしてくれるけど、全肯定してくれるわけじゃない。
だけどそのへんまで呪い師たちが理解してるかは不明だ。
ま、ちょうどいいので、彼らには解放陣を渡して、解読と、改良をやってみてねーとは言ってある。
スクトゥム帝国に流れないように気をつけてと伝えたら、ククムさんたち幻惑狐の氏族の皆さんまで神妙な顔でうなずいてたのはなぜなのか。
〔いやだってあれ、幻惑狐と赤毛熊の氏族の人たちには、森精に協力してもらって構築した魔術陣だって言ってたじゃないですか。つまり、魔術陣の情報が漏れたら森精たちの不興を買うこと間違いなしよ☆って暗に言われてるようなものじゃないですかー。ついでにいうなら、クラーワヴェラーレから他国に出て行きやすいカルクスの人たちにしてみれば、解放陣が漏れたら君らの中に内通者がいたという証拠だね☆って明言されてるようなもんですし〕
☆をつけんな☆を。しかも二つも。
いずれにしてもクラーワヴェラーレまで、グラディウスファーリーのテルミニス一族のように、全員星屑を搭載されていたら、さすがにこのフルーティング城砦も防御としては心許なく感じられていたとこだろう。
てか、星屑搭載をされてた事例を考えるだに、クラーワヴェラーレでは一番危険だったのは、スクトゥム帝国にもちょくちょく出かけていた幻惑狐の氏族の人なんだよね。アエスでククムさんたちに気づけたというか助けてコネをつなげられたのは僥倖以外のなにものでもないだろう。
一応念には念を入れて、カルクスの人たちのおでこに喪心陣と星屑召喚陣が刻まれてないかは、ちゃんと確認させてもらった。ついでに、天空の円環近くにラームスの気根をこっそり植えてきたけど、万が一を考えた対応が無駄になればいいなー、うっかり取りこぼしで星屑がクラーワヴェラーレに入り込んでなけりゃいいなーと、腹の底から思ってる。
あたしにゃ内臓もないけど。
三月ウサギもアリスもいませんが、思惑が食い違ってひずんだお茶会になってます。




