血は水よりも濃く
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「つまり、その喪心の魔術を使ったなら、本人の意思にかかわらず人を害させることができるのだな?」
それまでずっと黙っていた髭もじゃ男が不意に口を挟んできた。
「その喪心の魔術を使った者はどのように。後学のため、教えてもらえるか」
問いかけのくせに疑問形じゃなくて断定ですか。無意識なのかも知れないが、自分の意思に周囲の人間が従うのが当然と思ってるぽい。
てことは、やはり、ここにいる人たちの中でも身分が上の方ということか。だがいらん好奇心は災いの元ですよ。
「『血の贖いを求める方に身柄を引き渡してございます』」
「!……そうか」
もちろん、『血の贖いを求める方』ってのは、ドミヌスのことです。
ククムさんたちを嵌めてゾンビ化しようとしていたエセ神官たちは、全員中身が星屑だった。
ゾンビさんたちに首を折られた彼らをドミヌスに引き渡したのには、いくつか理由がある。
大きくひっくるめて言うならば、解放陣を構築してもらうための生きてる資料として、治療対象として、そしてドミヌスの復讐心を満足させるための生贄だ。
森精たちの虐殺をしでかした以上、アエス、いやスクトゥム帝国全土に住む人間はすべて森精の、ドミヌスの恨みの対象となる。
悪業を盛大にやらかした中身である星屑どもは比較的どうでもいい。が、身体を使われただけのガワの人に罪はない。そのことは何度も説得したので、ドミヌスが恨みを晴らすためだけに彼らを殺すということだけは、たぶんない、と思う。あんまり自信はないけれど。
だが、たとえ直接手を下すことは思いとどまったとしても、その行動があの海森の主の倫理観と良心によるものであり、森精のそれは人間のものと異なる以上、ドミヌスに引き渡した人たちが、遅かれ早かれテストベッドとして使い捨てられていてもおかしくはない。
そう、あたしは推測している。
推測、できてしまっている。
ドミヌスに、彼一人なら食べ尽くすのに二月はかかる量の食糧を渡して島を去ったのは、引き渡した彼らの食い扶持、という含みあってのことだった。
それだって、みずから手の骨を汚したくないから、人死になど見たくないからと眼窩を背けての偽善でしかない。預けた星屑たち全員の食事に換算すれば半月ぐらいしかもたないのだから。
……必死に責任逃れをしてきたことだが、認めよう。未確認ではあるが、あたしは、彼らの死に深く関わっている。
できる限り犠牲者は出したくない。それでも出すを得ないなら、親しい者より敵の方から。そう考えて命の価値に軽重をつけ、彼らをドミヌスに引き渡すという決定をしたのは、糾問使団の正使であった、あたしだ。
だが、そんなことは表に出さない。個人的感情をあらわにしてもいい場かそうでないかくらいは、マイボディの本当の持ち主のような貴族でなくてもわきまえている。そのくらいにはあたしもこの世界に馴染んだ。
幸いなことにこの骸骨はポーカーフェイスに向いている。お骨とポーカーしてくれるような酔狂な人間がいればの話だが。
「もう一つ訊く。そなたらは喪心の魔術を調べ、解く手立てを創り出し、それをもってククムらを助けた。それに相違ないな」
「『わたくしたちだけの力ではございません』」
あたしたちだけだったら絶対無理だった、とまでは言わない。けれどもドミヌスと彼の森がなかったら、解放陣の構築にこぎ着けるまで、相当な時間がかかったことだろう。
「だがそなたらが喪心と解放、どちらの術も身につけていることには間違いがないわけだな。ならばその術、売らないか。術そのものを我らに教授するか、術者をクラーワヴェラーレへ留め置くか。どちらでもいいが、それがともに手を結ぶ条件だ、と言ったらどうする?」
「何を言い出されますか!」
この間を埋める幻惑狐の氏族のみならず、髭男の取り巻きたちも互いの顔を見合わせ、ククムさんは叫んだ。
うるさそうに髭男は手を振った。
「ランシアインペトゥルス王国とスクトゥム帝国が喪心の魔術を心得ていては、クラーワヴェラーレはいつなんどきどこに民人を操られるかわからん。対抗の手立てがこちらになくては、そちらの言う『ともに手をたずさえ、スクトゥムの暴虐に抗う』ことなどできはすまい?」
……そういう論理でくるか。
だがそれなら答えは決まっている。
「『申し上げます。喪心から解放する手立てでしたら、差し上げぬものではございません』」
解放陣はとうにランシアインペトゥルスの魔術学院にだけでなく、グラディウスファーリーにも渡しているもんなあ。
ドミヌスにも断言されたことだが、中身を入れられてしまった人を元に戻すことは、解放陣だけではできない。だが、ゾンビ化された人だけは元に戻せるのだ。
スクトゥム帝国から受けるだろう被害を、僅かなりとも確実に軽くしたり回復させたりできる手段が各国にあるってことは、けして悪いことじゃない。ま、外交に実利を乗せたいクランクさんと、提供の条件についてはすりあわせてもらう必要があるだろうけど。
あたし個人としては、解放陣をネタに各国の魔術師たちにコンタクトをとりたいという下心もあったりする。
少数とはいえ、魔術陣を専門に扱う魔術師も、国によってはいないわけじゃない。だったら解放陣を預けて研究を依頼しておきたい。うまくいけば、中身入りの人たちすら元に戻せるような、上級解放陣的なものを構築してくれる優秀な人が現れるんじゃなかろうか。考える頭脳は多ければ多いほどいい。優秀であればもっといい。
だが断らねばならないこともある。
「『なれど、スクトゥム帝国に対するには喪心の魔術は不要にございましょう』」
「喪心の魔術はよこさぬと?」
「『何者にお使いになるかは存じません。されど、あれは敵にも味方にも害になるものと存じます。お止めになった方がよろしいかと』」
ええ、これはかなりマジな忠告だ。
味方の戦力をゾンビ化でもしようもんなら、まず間違いなく弱体化する。
いや、確かにゾンビ化された人から人間的な弱点はなくなるだろうさ。単調な任務に飽きたりさぼったりはしないだろうし、命の危険に怖じ気づくことも、痛みに動きが鈍ることも、無謀な命令に反抗することも、物資をちょろまかすようなこともしなくなるだろう。
けれど、意識レベルが下がるというのは、判断能力の低下と同義だ。
上官が右向けと命じたら、右を向くのは兵士としては正しいんだろうよ。だけど次の命令がない限り、たとえ敵が間近に迫ってきていようが何しようが、ずーっと右向いたまんま動かないってんじゃ意味がないのだよ。ゾンビさんたちを命ある木偶と表現したのは、そういうところだ。
ついでに言うなら、ゾンビさんたちは命令されたら確かになんでも従うだろうね。だがそれだって、誰が下した命令にも従いかねないし、命令のしかた如何によってはどんな被害が出るかわかりゃしないものだ。
ゾンビ化されてたククムさんたちのお仲間さんがエセ神官どもの頸を折ったのだって、命令対象が明確でなかったがゆえの誤認事故だといってもいい。
だからといって、味方がだめなら敵に使おう、なんて安易な考えもまずい。捕虜にしたのはいいが下手に反抗されても困るから、ゾンビ化しとけばいいじゃん、とばかりにやらかされたら、放火魔の前に乾燥した枯草の山を用意してやるようなものだろう。
もとから星屑たちを使い捨てにする考えで動いているっぽいスクトゥム帝国にしてみれば、たとえば斥候一人近づけて『赤毛の人間をすべて殺せ、この後の命令はすべて聞くな、やめろと言われても止めるな』ってな命令をわめかせるだけで、ジェノサイドが開始できるのならば、安いもんだろう。一方、自分の命や身を守る行動を取れないゾンビたちに襲われて、髪の赤い人が多いクラーワヴェラーレにたいそうな被害が出ることは目に見えている。
しかもこれ、ゾンビさんさえ用意されていれば、命令文のバリエーションをちょっと変えるだけで、天空の円環を踏み越えて、ランシアインペトゥルスにもグラディウスファーリーにも簡単ジェノサイドができてしまうのだ。
やらせてたまるかそんなもん。
だが、喪心の魔術は渡さねえとグラミィが言い切ると、熊男がむくりと身じろぎした。
「……逆らうか。この意思持つ森の加護がもっとも厚い紋章を持つこのおれに」
〔ぼ、ボニーさん……〕
落ち着けグラミィ。確かに迫力だけはあるけど本気じゃないからあれ。
今は、だけど。
あたしは平然を装って髭熊を見返した。内心はちょっと呆れている。
春なのにまだあんたの脳味噌は冬眠中ですかー?この世界の熊が冬眠するか知らないけどー?
挑発だか本心から出た言葉か知らないが、逆らうって言葉はいったいなんの冗談かね。
逆らうってのは、従属と支配の関係があって言えることだ。従属者が支配者にNoをつきつけることが叛逆なのだから。
紋章?知らんがな。
「『我々は、貴国との友誼を望むランシアインペトゥルス王国の臣であって、貴国の臣ではございません』」
愛しのマイボディであるシルウェステルさんはさておき、中身のあたしとグラミィも表向きはな?
なのに、なんで、シルウェステルさん以下外交出張班の人たちが、他国の人間の命令に従わなきゃいけないのさ。
礼儀上敬意は示しているけど、使節ってのは国の代表なんですよ。国と国との交渉事という段階で基本的には対等です。臣下扱いとかアウトでしょうが。
ま、外交関係なんてもんは、両国間の政治的経済的関係とか、歴史的な諸問題のあれやこれや、国力の差とかによっていろいろ変わりはするらしいけど。そこまでややこしい状況がないってのは王都ディラミナムで確認済みだ。むしろ民間レベルはどうあれ国家レベルはほんのりひややかな疎遠らしいじゃないの。
ついでに言うなら、森精の威を借りたあたりでも、ツーアウト認定を差し上げたいところだ。
「では、ランシアインペトゥルス王国は、喪心の魔術でクラーワヴェラーレを脅す気か」
「『いいえ?我が国が喪心の魔術を使用することはございません。星とともに歩む方々の瞋りを受けたいとは思いませんので』」
ククムさんが青ざめながらもわずかにうなずき、熊男はかなり本気できょとんとした。
姿は見ないまでもドミヌスの存在を知り、その森のそばで寝起きし、実際にお仲間さんを助けてもらったククムさんは、森精が血の通った生身の存在であるとともに、人智の及ばぬ力ある存在だということをよく分かっている。
だが、髭熊の方は、森精に間近く接した経験が、おそらくない。
だから、勝手に森精の威を借るような言動をしたんだろうねえ。
森精たちは、この世界の管理者と自己認識しているが、それはどっかの国を支援するものでも、国家間紛争を調停するようなものでもない。彼らの関心対象は、彼ら森精たちとあたしたち落ちし星に関することがほとんどだ。
人間に加護を与える紋章?
たぶんそれ狭い共同体の中でのマウント取り合いに使ってる主張だと思うけど、森精たちが知ったらいいとこ黙殺、実害ありと判断されたら一族抹殺レベルで潰しにかかるから。
「『ククムどのに随行されていたかたがたを喪心の魔術から解放されたのは、森より歩み出られた星詠みの旅者、そのお一方の合力あってのことにございます。喪心の魔術を用いた者に血の贖いをお求めになったのも、かのお方。喪心の魔術を用いられたならば、かの方には血の贖いを求めるべき者と見なされましょう』」
意訳:喪心陣を使ったらまず間違いなく、復讐心に燃えた森精がしばきにくるよー?
「会ったことがあるのか。その、合力をされた森の方に」
「『お姿を拝見するだけならば、我ら全員が』」
後ろでいっせいに元糾問使団の人間がうなずいたのを、あたしは魔力で感知していた。
彼らが見たのは幻惑狐たちの幻影だが、ドミヌスの姿はよほどにインパクトがあったようだ。
「『彼の方は喪心の魔術を悪用したスクトゥム帝国にお身内を、そして御自身も害されておられました。炎をくぐったためかお顔は焼け爛れ、刃を浴びたのか指は欠け、立ち座りさえ難渋なされるご様子でありました。彼の方はけしてスクトゥム帝国をお許しになりますまい。森の連なる限り、彼の方のお身内も』」
グラミィが淡々と語るリアリティある描写に、ククムさんたちだけでなく、あたしたちと初対面の人たちまで青くなっていく。
「そして、これは舌人としてシルウェステル師に同行し、わたくしがこれまで見て参りましたことにございますが、師御自身も森に星を見る方々と、今も交流をお持ちでございますよ」
「……それはまことか。証はあるのか」
「ええ、ここに」
あたしとグラミィは杖を掲げた。ラームスから緑色の風のような魔力が吹きだし、満座の人が息を呑む。
「我らは星詠みの旅人より枝を授かりし者――意味は、おわかりかな?」
つまり、あんたらがゾンビ化魔術を欲しがってたとか、森精の加護持ってるぞーという嘘かほんとかわからん権威を振り回して、言葉で殴りにきたってことを、今、この場でだってラームス経由で告げ口できちゃえるんですよ?
そう婉曲的に脅してみると、ようやく髭熊の顔色も変わった。
状況がまずいと理解できたらしいのはいいのだが、告げ口される前にやれとばかりに、変に短絡的な口封じなぞを考えられても困るなあ。
グラミィ、あれも伝えといて。
「『おおそう、そちらの二人はグラディウスファーリーの人間でもございます。クルタス王も彼らのことはご存じ。貴殿らは、ランシアインペトゥルス王国のみならずグラディウスファーリーとも、さらなる友誼を結ぶ機会を得ておられる。いや、じつにめでたい。まこと幸いの神ベネディクシームスのお導きにございましょう』」
森精やランシアインペトゥルス王国どころか、グラディウスファーリーも敵に回す気かい、がんばってね♪(意訳)と暗に言われて、あたしたちに罵声を浴びせてた人たちの顔色がさらに悪くなったが知っちゃこっちゃない。というか、それが狙いですよ。
血で血を洗って血染めを広げる復讐気質な国の人たちとはいえ、さすがに一族全滅の危険がちらつけば、頭に上った血も冷めるだろう。
いくら天空の円環ぐらいしか直接つながってる場所がないからって、複数勢力を同時に敵に回すとか愚策でしかないもんなー。
あたし個人に限って言うなら、火球の魔術陣でも作って空を飛べば、空爆だってしちゃえるんですよ。
地上戦に空中の戦闘手段を加えれば、戦闘は二次元から三次元に切り替わる。二次元のまんま相手にするのは骨が折れると思うよ?
やんないけど。
と、いうわけで。
脳味噌スッキリしたとこで、ようやくちゃんと外交活動がお話できそうですねえ?
仕切り直しといこうじゃないの。
背後に合図をすると、すばやくクランクさんが進み出てきた。
「あらためて申し上げる。ここに至るまでもククムどのに書状を預け、シルウェステル師の使役するものに挨拶状を託したとおり、我らはクラーワヴェラーレとの友誼を願う者にございます」
「いえ、それは重々承知しておりますが、しばしお待ちください」
今度手を上げ制止したのは、ククムさんだった。
「シルウェステル様の使役するものに書状とは……?」
「『このようなものにございますが、披見なされなかったのでしょうか?』」
あたしはさっき天空の円環で使ったのと同じような石板カードを作ってみせた。ついでに、グリグんに配達を頼んだのと同じく、いついつお邪魔するよーという内容の文面も刻んでおく。
「『スクトゥム帝国よりの耳目を警戒しまして、四脚鷲に運ばせたのですが。前例のない形式で一方的にお送りしましたゆえ、行き違いなどございましたでしょうか』」
ちゃんとグリグんが鳴きたてたのに気づいて、落とした石板を拾ってった人がいたのは、彼の視界越しに確認してたんだけどなあ。
「なんと、四脚鷲に!」
なんで熊男どころかククムさんまで目を丸くして固まってんのさ。
……ああ、そうか。四脚鷲も氏族紋章に使われてたっけ。
ククムさんたち幻惑狐の氏族の人が、あたしたちの連れてる幻惑狐たちを見て態度を変えたように、うまくすればグリグんの存在を使って、味方にひきこめる氏族がいるということか。教えてくれてありがとうってなもんですよ。
だけど、ククムさんのその反応。
「率爾ながら、ククムどのはこの小片書の存在をご存じなかったのでしょうか?」
「え、ええ。面目次第もございません」
……ってことは、誰かが隠匿したってこと?
んじゃあ、ひょっとして。
「『ククムどの。帰国の際、貴殿にお預けした文書は、いかがなされた?』」
地味に苦労の結晶なんだけどな。あれ。
内容や書式もさることながら、一国の使節の文書、それもかなりグレードを上げまくった、国と国との公式文書レベルにしたてるには手蹟の美しさというのも重要になる。
だけどこの世界に落ちてきて、というか、あたしもグラミィも、この世界の文字を習い始めて、まだ半年ぐらいしかたってないのだ。
文字の美しさ?うん、勢いよくミミズがbonダンスしてる状態ですが何か。
字のまずさも、最初の頃は記憶がないのだからと生ぬるく見逃されていたことである。
けれど、短所や欠点というのは一つ見せれば全人格への失望、不信へと変わりかねない。さらに言うならむこうの世界でも、二千年以上前からサインというのは、個人認証のための手段の一つだったのだ。
だから、ボロがでないように、努力はしてたんですよ。
字体が違うのは、文字を書くものが違うからだって言い訳ができるように、砂皿だの水ペンもどきだのといった、この世界の筆記用具じゃないものばっかり使ったり。夜中にひっそり生前のシルウェステルさんのサインをお手本に、そっくりに書く練習したりとか。
ククムさんに渡した書状の文面自体については、かなり自信がある。クランクさんやエミサリウスさんの手も借りて、批判を受ける余地のないところまで練り上げたもんな。
だけど、いざ書状全部をあたしが書くのが当然とばかりに獣皮紙を持ってこられたときには、ほんとどうしようかと思ったもんなあ。
サインはまだしも、すべての文字をシルウェステルさんそっくりに書けるかっていうとそうでもない。サインだけそっくりでも他の文字がダメなら、そこから怪しまれるに決まってる。
いろいろ悩んだ挙げ句、あたしは魔術に逃げた。
じつはクラーワヴェラーレに送った書状、あれは書いたというより描いたものだったりする。滲まないよう微量のインクを少しずつ、シャーペンの芯より微細な、注射器の針サイズにした結界を使って、獣皮紙にぷすぷす刺してったのだ。
なんという人力ドット印刷。骨力だけど。
「そちらのエストどのにお預けしたのですが……」
ククムさんが視線を向けると、引きつっていた熊男の取り巻きは、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「読めぬ文字はただの紋様同然。あのような訳の分からぬ奇妙な模様が書かれた書状など、何のまじないが仕込まれていることやらわかりますまい。とうに粉々に切り刻んでくれたわ!」
……ハア?
〔ボニーさん。これ、どっからつっこめばいいんですか……?〕
……あたしに訊くなよ。てゆーか。
「つまり、書状をお読みになれなかったということですか?」
眉をひそめたクランクさんに、取り巻きはそっくり返った。
「書状など、近代文字で書くものだろう!」
あ。これ。だめなやつだ。
確かにあたしが書状をしたためるのに使ったのは古典文字だった。それもまた文書の格式を上げるために必要なことだったからだ。
非公式とはいえ国から国への文書だから、なるべく格式の高いプロトコルにした方がいいと思ってのこと。相手に敬意を示すってのはそういうことですよ。
ちなみに、古典文字というのは最も正式な文書形式に使われる表意文字で、言ってみれば最上級通信規定ってなところだろうか。平安期の公文書って漢文で書かれてたっていうけど、それに近いかもしんない。
それに対して、近代文字は仮名文字に近い。表音文字、つまり情報が少ないということ、どちらかというと日記みたいな非公式な文書に使われることが多いというあたりがね。
当然だがそれぞれ使われる語彙も文体も多少異なる。
〔どうせなら日本の古代じゃなくて中世ヨーロッパ的に表現してくださいよー〕
んー、それなら、古典文字の文が教養ある階層における国際共通語たるラテン語文、近代文字が世俗語とも言われる地方語……英語、ゲルマン系言語、その他で書かれた文といった感じだろうか。
イタリア語とフランス語がある意味一言語の方言として捉えられるようなもので、表記記号も地域によっては若干違うらしいのがそれっぽいよね。
話がそれた。
まさか、読めないから読まずに切り刻むって発想が出てくるとは思わなかったよ。食べるならともかく。って山羊か。
グリグんに預けた石板カードはともかく、ククムさんに運んでもらった書状は半公文書といってもいい。運んでくれたククムさんにも、宛先であるこの国の有力者にも知らせずに破棄するとか。いったい何考えてんのさ。
「申し訳もございません、シルウェステル様!わたくしが直接お渡しすればよかったものを!」
「『ククムどの、あなたの責ではございますまい』」
ええ、責任はあたしの苦労の結晶を切り刻んでくれた、なーんにも考えてないアホに取らせるべきですよ。
てえかね、有力者の取り巻きってのは、無能じゃ務まらんのだよ。古典文字なんて教養の中でも基本中の基本でしょ。なんで読めないのさ。
よしんば本人が識字困難とかでも、ブレインを雇うって手があるのだ。
古典文字は術式の構造と相似性がある。つまり、魔術師なら読めるのだ。有力者の取り巻きならば手勢に一人や二人魔術師抱えていてもおかしかないんじゃない?
なんで解読してもらおうと思わなかったのさ。
「呪い師ごときに頼ってまで、意味の分からぬものを読む必要などない!」
うん。アホはもう黙れ。空気が冷たく呆れたものに変わってるじゃないか。
てゆーかあたしら全員が魔術師だってことすらわからず、呪い師という呼び方をするとかどういうことだ。
と思っていたのは、あたしの思い違いだったようだけど。
後でククムさんに訊いたら、クラーワヴェラーレには魔術学院というものはないそうな。
じゃあ、魔力暴発なぞを起こしかねない、放出魔力の多い子はどうするのかといえば、呪い師が引き取るんだとか。
クラーワヴェラーレでは、赤ん坊は生まれた直後に呪い師に見せられる。そして呪い師としての素質――どうやら、放出魔力の多寡のことらしい――を見極められ、素質あるとみなされた赤ん坊は呪い師へと引き取られる。
元の氏族との縁が切られ、言わば呪い師一族としての、領地も紋章も持たぬ氏族外の氏族とでもいうべき集団の一員としての生き方が始まるのだ。
だが呪い師たちは無力なわけじゃない。彼らは森精の加護受けし者、とも呼ばれている。
……これあたしの推測だけど、ひょっとしたら、ほんとに彼らの始祖は、森精たちから魔術を教えられたのかもしんない。魔力暴発を起こさせないために。
真実は不明だが、結果として彼らはクラーワの氏族社会においても一目置かれる存在となった。
中世日本で言うならば、敵味方を行き来して講和などの仲介をしてのける無縁の聖職者といったところだろうか。
グラミィにこの推測を話してたら、〔だから、なぜ、西洋ファンタジーっぽい世界で日本史を引っ張り出してくるんですか!〕ってつっこまれたけどね。
しょーがないじゃん、一番しっくりくるんだもん。
テンプル騎士団みたいな騎士修道会は、なんかコレジャナイ感が仕事しちゃってさあ。この時はソレドコロジャナイ感が仕事してたけど。
「『ならば読めぬ書状を差し上げた者が大意を申し上げましょう。ククムどのらの帰国に助力いたした我らが善なるを知っていただきたく、またククムどのらを牙にかけんとしたスクトゥム帝国に対するに、両国の態勢を整えたく存じます。どうかともに手をたずさえ、スクトゥム帝国の侵略に抗おうではありませぬか。――クラーワヴェラーレの現王にして、赤毛熊の氏族の長でおられる、アエノバルバスどの』」
グラミィがそういうと、髭熊はあたしに丸い目を向けた。
「知っていたのか」
「『ただの推察にございます』」
いくらクラーワヴェラーレに珍しく平和主義者な幻惑狐の氏族の領域とはいえ、他氏族の公的な場へと踏み込んできて、しかたがないと流してもらえるような人間、そうはいない。
あとはエミサリウスさんが古巣の外務宮から引っ張ってきたクラーワヴェラーレの知識のおかげですとも。
どうやらエミサリウスさん、王都ディラミナムで外務卿テルティウス殿下からいろいろ便宜を図ってもらったらしい。
いや、テルティウス殿下がエミサリウスさんをあたしにつけようと推挙したんだもの。バックアップをちゃんとしてもらうのは、テルティウス殿下にしてみれば推挙人としての責務だろうし、エミサリウスさんにとっては当然の権利だと思うよ。
だが、どう出るつもりかね、アエノバルバス?
あたしもこれ以上マイボディであるシルウェステルさんの血縁者を、交渉上とはいえ、にっちもさっちもいかないほど追い詰めたくはない。こっちに魔術や森精との縁があるのはわかっただろうから、このへんでうまくしゃんしゃんと話をまとめさせてくれないかなー?
そう思っていると、髭の大男は姿勢を正し、深々と礼をした。
「まずは、ランシアインペトゥルス王国の方々に謝罪をさせてもらいたい。見極めたくてこのような言動をあえてさせてもらった」
へえ。
あたしはちょっとだけ彼を見直した。
今あたしたちがやらかしたのは交渉じゃない。それ以前の、言語活動によるどつきあいだ。
その結果、彼の権威はもうけっこうボロボロだ。
一番強い森精の加護という言葉がいったいどこから出てきたかは知らないが、森精なら交流してますよーとマウントを取り、古典文字も読めないとか馬鹿じゃね?と取り巻きをけちょんけちょんにしたんだもんな。
事実だからしょうがないんだけど。
だが、権威ってのは人間にとって錘だ。それがあってこそ人は頼りがいがありそうにも見えるし、重要人物のようにも見えるのだ。
その錘をぜーんぶ剥がして素の自分が出た時、自立できる人間って、意外とそうはいないものだ。どっかでバランスを崩してこけるのがオチというね。尻餅ついて動けなくなるより、前のめりに倒れる方が立ち上がりやすくはあるけれど。
だが、彼は見事に落ち着いていた。
「『見極めるとは、いったい何を?』」
「ランシアインペトゥルス王国の方々の魔術の冴え、そしてククムらを救ってくださったその皆々の人柄、筋の通らぬ罵倒にも相対し退かぬ強さ。――そして、増長した身中の虫の存在」
じろりと向けた熊の殺気に、アホがみるみる青ざめた。
……そんなもんの退治ぐらい、さくっと自力でせーよ。あたしらを巻き込むんじゃありません。
「その上で知りたいことが、いくつか」
「『いかなることでございましょう』」
「そちらの望みを、教えてもらいたい」
へ?
「『それは、ランシアインペトゥルス王国としての望みということにございますか?』」
だったらさんざん言ってきたじゃん。
そう思ったが、慌てたように熊のように厚い手のひらがふられたのは、否定の方向にだった。
「いやいや、教えてもらいたいのはシルウェステル・ランシピウスどのの望み」
あたしの?
「シルウェステル・ランシピウスどの。そなたはなんのために動いておられる?」
アエノバルバスはあたしを正面から見つめた。そうして真摯なまなざしをすると、彼は驚くほど若く見えた。
……そういえば、彼は、シルウェステルさんからすれば父の異母兄の孫に当たる。つまり、半分だけ血のつながった従兄弟の子ということになる。
多産多死のこの世界、たとえ同腹の兄弟とはいえ十や二十は年が離れていることもそう珍しいことじゃない。異母兄弟ならばなおのこと。
だからシルウェステルさんにとって異母兄の子、つまり従兄弟がシルウェステルさんとどのくらい年が離れているのかはわからない。ましてや従兄弟の子の年齢だなんてわかるわけがない。
けれども、目の前の、大きな図体のくせにまっすぐな目をした若者は、二十歳を少し越えたマヌスくんぐらいの年にしか見えなかった。
ひょっとして、あのむじゃむじゃな髭も貫禄ありげな様子を作るために伸ばしているのだろうか。
「売り手は買い手の欲を踊らせるものとククムに聞いた。貴殿がランシアインペトゥルス王国のために動いておられるというならば、交渉で最大限の利益を引き出そうとされるだろう。ならば、こちらが喪心の魔術を欲しがった時も、譲るか譲らないか、最後まで態度を曖昧にして掛け値をつり上げるのが賢いやり方であったはずかと思うのだが」
「『実利よりも今後の信用が欲しいから、ではいけませぬかな?』」
「ならば、最初から隠し事などなさらぬはず」
彼の視線は、今もかぶりっぱなしのあたしのフードにむけられていた。
……ああ、そうか。彼は知っているのか。知っているからこそ、怯え、危ぶんでいるのだろうか。
クラーワヴェラーレを出た血縁者、父王に背き国を出奔したイニフィティウスの子としての、シルウェステルさんを。
血縁者であることを主張すれば氏族を混乱の渦に突き落とすこともできる人間が、他国の代表として、堂々と乗り込んできたことに。
ならば、あたしの答えは、こうだ。
「『我が仇を討つために。スクトゥム帝国は我が仇と思われる節がございますゆえに』」
嘘ではない。
確かに、いまだシルウェステルさんの暗殺犯はどこのだれとも掴めてはいない。だが、その直前までスクトゥム帝国にシルウェステルさんがいたこと、あたしたちがフルーティング城砦に入った直後、裏切り者が蜂起し、それと手を組んでいたグラディウスファーリーの軍が攻め込んできたが、それらもまたスクトゥム帝国の手によって中身入りにされた人たちだったこと。
状況証拠はばっちりだ。
ああ、あたしはシルウェステルさんの死すらも利用しよう。
クラーワの人々は感情的だ。とりわけ怒りに強く共感し、心動かされやすい。特に復讐に籠められた怒りは義憤として理解される。
手っ取り早くクラーワヴェラーレの現王たちが抱いている疑念を晴らし、得心してもらうには、血の恨みを血で返したいのだと強調するのが一番いい。
砦でプレデジオさんには、あたしが復讐の念だけで動いているわけじゃないと伝えたが、だからといってシルウェステルさんの死の真相を探るのをやめたわけじゃない。暗殺実行犯のみならず黒幕にも辿り着いた時、あたしは自分でもその時どう行動するか、予測できないでいる。
「とは、誰の仇だ。シルウェステルどの子か」
「『いえ』」
あたしはちょっと背後を振り返る仕草をした。
クランクさんが仕方なさそうに頷くのも当然だろう。彼らの外交努力よりシルウェステルさん個人の行動理由云々の方が、よほど交渉を動かす要因になりそうとか。
「『わたし自身の仇にございます』」
……結局、仮面もフードも意味がなかったかな。
それはとんでもない思い違いだったのだけれど。




