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クラーワヴェラーレ

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 接近するあたしに気づいた途端、赤毛の男たちはぎょっとした顔になった。

 つるし上げられていたマヌスくんたちから手が離れる。


「シルウェステル師!」


 トップスピードのまま両者の間に割って入ったところで、あたしはぴたりと止まった。反動を逃がしきれずに、こっそり静止の魔術陣を刻んだ結界を一瞬クッションに使ったのは、喜色を浮かべたマヌスくんたちには内緒である。

 二人が揉めてた向こうもどうやら、ぼーっとしてたら跳ね飛ばすぞオラオラという気合いを読み取って、ちょっと逃げ腰になってくれる程度には勘の良い人間だったようでなによりです。


 その彼らはひたすら困惑の表情になっていた。

 いや、その気持ちはわからんでもないよ?

 脳天にぺったり変な帽子みたいに幻惑狐(アパトウルペース)を貼りつけて、爆走してきたと思ったら目の前でいきなり急停止したほっそいローブ(中身は骨)とか。

 あたしも他人事だったら思わず四度見ぐらいするわな。何もんだアンタってなとこですよ。

 ま、まあ、走ってきても骨隠しなフードが後ろにずり落ちずにすんでんのは、フームスがその上に乗っててくれたおかげではあるんだが……。

 せめてそろそろ肩骨の上に降りてきてくんないかな。シリアスだったはずの空気をこれ以上盛大にぶちこわさんでおくれなさい。

 

(えー)

 

 不満げなフームスをよそに、あたしの奇行に慣れてるアルガは慣れた様子で、マヌスくんともども、ちゃっかりあたしの後ろに避難している。

 骨を壁にすなや。


「あんたは……」


 口を開きかけた人が、そのまま顎を落とした。なんだ?

 用心のため、彼らから数歩距離を取ってから振り向いてみると、向こうから薄い土埃をまとわりつかせ、グラミィたちが団子になって走ってきたところだった。

 お、わりと早く追いついてきたじゃん。

 ……それはいいのだが。


〔ちょ、ちょっと待って、ください、息が〕


 ……全力疾走してきた挙げ句に、今にもご臨終するんじゃないかという形相でぜいはあ息を切らしているばーちゃんたちが増えたとか。むこうさんにとっては、さらにわけがわからない事態だろうなあ。

 しかも、瀕死度的にはクランクさんとエミサリウスさんも、グラミィと大差はない。二人もどちらかと言えば書類仕事がメインだもんな。どんなに魔力(マナ)操作能力を頑張って鍛えても、もとの身体能力が低ければ、持久力なんてあってないようなもんですよ。

 

 しかし、彼らランシアインペトゥルス王国サイドの頭脳担当が喋れる状態にまで戻ってくれないと、かなり困るんだが。

 気のつくアルガが三人を座らせたり、水袋を取り出したりと手早く介抱をしてくれてるのはありがたい。だけど、むこうさんも人数が増えてきてるんだよなあ。

 おそらくクラーワヴェラーレへと通じてる道からだろう、ご新規さんが続々とやってきてるんですが。

 

 いつの間にやら、あたしが一番前に押し出されたかたちになっちゃったのはさておくとしてもだ。

 この状態でグラミィが喋れないのはたいそうまずい。彼女が喋れなければあたしも喋れないわけですよ。

 ちょうどいい感じに混乱しまくった相手を「さて、これはいったいどういうことかな?」、とか、かっこつけて引っかき回す絶好のチャンスなのだが、逆にだんまりしかできないというのは骨バレのピンチでもあったりする。

 ちょっと待っててくれるか、とジェスチャーをしながらも、内心冷や汗ものだ。汗腺なんぞひとっつもないんだけどね!


 あたしたちの倍近い人数に増えた人たちは、あたしの背後にへたりこんでるグラミィたちに目を向けることなく、なぜか激しく驚いた様子で、盛大にあたしをガン見してきていた。

 頭蓋骨とかちゃんと隠れてるよなとこっそり確かめたくらいだが、どうやら視線を辿ると、しぶしぶあたしの肩の骨に貼りつくように乗っかってるフームスを凝視しているようだ。

 居心地悪そうなフームスを撫でてやっていると、硬直してる彼らを押しのけるように、後ろから出てきた人がいた。

 

「その仮面は……、ランシアインペトゥルスのシルウェステル・ランシピウス様でいらっしゃいますか」


 おや。お久しぶり、ククムさんじゃないの。

 あたしは右手の骨を上げて挨拶の仕草をしながら、背骨の後ろに回した左手の骨にカード型石板を顕界した。背後にいるマヌスくんに見せるためだ。

 彼は、あたしの隣に立つと軽く頷いてよこした。石板カードの文面は、グラディウスファーリー組の二人に対し、団子疾走組の復活まで時間稼ぎをお願いしたものだ。マヌスくんも一応は一国の王弟だ、それなりに対応してくれるだろう。

 だから、なるべく早く回復してよねグラミィ。

 

〔も、もう少し待っててください〕


 おう。無理しないでいいから。


「久しいですね、ククムどの。ラビュウムでの一別以来でしょうか。息災なようでなによりです」

「これはマヌスプレディシムどの、お久しゅうございます。みなさまのお力なくては、わたくしどもはこのように生きてふたたび故郷の土を踏むこともかないませんでしたでしょう。なんとお礼を申し上げてよいやら、ふさわしき言葉すら見いだしあぐねるばかりにございますが、このように再びみなさまとお会いできましたことを、ただただベネディクシームス(幸運の神)に感謝いたします」


 ククムさんが商人らしい、腰の低い礼をすると、周りの人たちは互いに顔を見合わせた。

 不審者扱いしてたマヌスくんとアルガ、というかあたしたちが、なんか思ってたんと違うってことに、ようやく気づいたんだろう。

 てか、そもそも、いったい何がどうしてあんな険悪状態になったのさ。

 あたしが首の骨をかしげて、マヌスくんと揉めてた人たちを見比べる仕草をしていたのに気がついたのだろう。ククムさんは背筋を正して、ちょっと風変わりな礼をした。

 

「これは失礼いたしました。わたくしどもの命の恩人であるみなさまを、このような所に留め置き立ち話をするなど、あってはならぬこと。どうかこの者らの無礼の数々をお許しくださいますよう。してまたわたくしどもの陋屋にお越しいただく栄を賜る訳にはまいりませぬでしょうか」


 ふむ。

 確かにこの天空の円環は他の国々とも強く関係する場所だ。何をするにもある程度、グラディウスファーリーにも、それこそスクトゥム帝国にすら筒抜けを覚悟しなくちゃならんのだよな。

 そういう意味では、この場所を変えましょうというククムさんの丁重なお誘いは渡りに船なのだが、帰り道の心配もないわけじゃない。

 どうするみんな?


「受けても、問題は、ないかと」


 まだ息が整い切れてないクランクさんの言葉で、そういうことになった。


 クラーワ地方には独特の風習があるってのは、以前にククムさんからも多少は聞いてた。

 この世界の王侯貴族は武神アルマトゥーラが神具の末裔、というのが基本認識なのだが、さらに一つ、クラーワには面白い信仰というか概念がある。

 それが氏族紋章だ。

  

 険しい山岳地帯の多くは荒涼たる不毛の地。そのような地に降り立ち、民人を導くには、より強靱である必要があるというので、武神アルマトゥーラはクラーワ地方に下す神具に加護として、力を与える獣の紋章を刻んだという。

 成獣の毛皮が鮮やかな赤に染まるという赤毛熊(ルブルムルシ)は、その剛毅さを。

 高みから四方を見渡す四脚鷲(クワトルグリュプス)は、その鋭く厳しい目を。

 群れ集まって敏く動く幻惑狐はその智恵と団結力を、ってな具合。

 むこうの世界でいうところの祖霊信仰(トーテミズム)みたいなものかね。いや、この世界の祖霊(トーテム)は武神アルマトゥーラの神具らしいので正確にはかなり違うのだが。

 

 ちなみにククムさんたち行商の御一行さんは、幻惑狐を紋章とする氏族である。

 アエスで助けたククムさんたちが、意識を取り戻してからずっと、わりとあたしたちに従順な態度だったことも、天空の円環でマヌスくんとアルガが彼らに絡まれた理由の一つにも、その紋章たる幻惑狐たちをこちらが連れていたから、ということもあったからなんじゃないかなとは、今さらながらの推測ではある。

 そのせいか、クラーワヴェラーレの領域に踏み込んだ途端、すごい勢いでククムさんの同族に囲まれてんですけどねあたしたち。用意をするのにとククムさんが人を遣ったから、そこから話が飛んだのだろう。凝視が集中しすぎて発火しそうな気分ですよ。

 

 だがそれはいいということにするとしても、そちらさんはいったいどこのどなたで?


「お前ら……なぜに異なる氏族の者をここへ通した」


 通された間の炉の前に、おもしろそうな顔で座り込んでいる髭むじゃの男を見た途端、ククムさんは歯でも痛んでいるような顔になった。

 髭男の背後に立っていた一人が胸を反らして言い返す。


「自らその者たちを通したククムにそれを難じられる筋合いはない。われらとてルフらともども聖笏の輪まで飛び出たいという思いを抑えてここにいるのだ」

 

 はっきり敵意が向けられて、フームスが反射的に毛を逆立てた。そこへのんびりと口を挟んできたのは当の髭むじゃ男だ。 

 

「ククムよ、気にするな。俺がこの場になぜいようが、誰であろうが、彼らの用件よりもどうでも良いことだろうが」

「……は。そうおっしゃられるのならば、いらっしゃらないものとして話を進めますが」

「それでいい」


 ……これまでのやりとりから推察するに、ククムさんは、幻惑狐の氏族の中でもかなり高い地位にいるようだ。

 けれども、別の氏族の人間であるにも関わらずククムさんたちのテリトリーに入ってきて、しかも当のククムさんより主然とした様子でくつろいでるとか。

 この髭男、何者だ?


 総じてククムさんたちは濃淡さまざまな赤系の髪を持ち、ランシアインペトゥルスの人間にくらべてやや低めの身長ながらも細身だ。

 だが髭むじゃ男は、その血で染めたような深紅の髪と陽焼けした肌の色はともかくとして、それこそ毛皮でも着ていたらまんま熊と間違えそうになるような、がっしりとかどっちりといった擬態語の似合う体格は似ても似つかない。

 身につけているものもかなりの上質。けれど、それよりなによりククムさんたちとの一番の違いは、額に締めている、その織帯だろう。

 ククムさんや、男の周りに立っている人たちのものは色鮮やかだが、あくまでも衣服同様色糸だけで織り出した、親指ほどの幅の帯である。

 けれども髭男の額にあるのは、金糸をふんだんに織り込んだもので、幅も額をほとんど覆うほどに広いのだ。

 ……いやーな予感がするよ……。

 だがまあ今は敵意を見せていない不審人物よりも、敵意のはっきりしている幻惑狐の氏族の人たちにどう相対するかが問題か。


「まずはみなさま、どのようなわけあって聖笏の輪(天空の円環)を越えんとなされていたのかお聞かせ願えぬでしょうか」

「ではわたしが申し上げよう」

 

 丁重なククムさんの問いに応じ、進み出たのはクランクさんだ。よろしく。


「これなるはクランク・フルグルビペンニスと申す。我々がククムどのと行き会ったのは、わたしがカプタスファモ魔術子爵として、ランシアインペトゥルス王国が糾問使団に加わっていた時のこと。度重なるスクトゥム帝国が非道に糾問をいたさんと波頭を越え、彼の地アエスへと至った、ある夜の出来事でした。彼の国は我らが言を容れることなく、黙殺するどころか一国の使臣たる我々を問答無用に殺害せんと企んだのです。幸いにも我らは事前に彼の国が謀略を察知しましたので窮地を脱しえましたが、彼の国が他国の民を捕らえ、なにがしかの企みに使わんとしていたことは、ククムどのもすでにご存じのはず」


 いっせいに深く頷いたのは、ククムさんだけではない。この間にもいつのまにかアエスからいっしょに逃げ出した行商人御一行のみなさんが加わっていた。

 だが、その人数には欠けがあった。どうしたのかな?


「このたび天空の円環を巡りしは、ランシアインペトゥルス国王より命を受けてのこと。フルーティング城砦に拠点を構え、スクトゥム帝国の脅威と残虐さを肌で知る者として、クラーワヴェラーレともこれまで以上に固き友誼を結ばんがためまかりこしたる次第。天空の円環を越え、手を携えてともに暴虐なるスクトゥム帝国に立ち向かわんと「お前たちか!お前たちのせいか!」


 クランクさんの口上をぶった切って出てきたのは、頑迷そうな老人だった。


「お前たちのせいで悪夢の呪いは広がり消えぬ!」

「だから、それは筋違いだと申しているではありませんか!」


 ……あーのさあ。

 あたしたちを言い争いのダシに使うのはともかく。

 ちゃんと国使を迎える謁見の間に準じた場として、きちんと礼法に乗っ取ったやり方してたクランクさんの口上ぶった切るとか。

 どういう了見、いやどういう状況なのよ?

 まずはそっちの話を聞かせてもらわないとどうにもならんようだね、ククムさん?


「事の発端は、わたくしどもが聖笏の輪を越え、無事われらが地へと帰り着いてからのことにございます」


 老人とその同調者をなんとか押しとどめ、ククムさんが語り始めたのは、あたしたちと別れ、ようようこのカルクスという氏族の地へと帰り着いた直後から起きたことだった。

 どうにも具合の悪そうな様子の人たちが帰還者の中から出てきたのだという。心配した仲間が話を聞くと、彼らは口を揃えるように悪夢を見るようになったといったう。

 ぽつりぽつりと語られる内容は断片的なものだった。

 臭く狭い檻のような牢獄。ともに押し込められた仲間が無表情無反応なのを、格子の向こうで薄笑いを浮かべ嘲る神官のような恰好の男たち。

 耳を聾さんばかりの金属的な打撃音。

 そして――

 おのが手で人の首を締め上げ、折った感触。


 ……あー。うん。実際にあったことですよねそれ。幻惑狐たち越しに情報収集してたとはいえ、カロルにその状況を見せてもらったのはあたしだけだが。あの時は、グラミィとの視覚共有を咄嗟に切るのが間に合ってよかったと心底思ったものだ。


 つまり、どうにも敵意満載だった第一クラーワヴェラーレ人、もとい幻惑狐の氏族のみなさんは、もともと行商に出た人たちを案じてたわけか。

 そこへ、グラディウスファーリーでの交渉成功に気分の上がったマヌスくんがやってきたと。挨拶するとき、ついでに、スクトゥム帝国でククムさんたちにお目にかかりましたが、お元気ですか、ぐらいのことは言ったのかもしれない。

 

 身内への情の厚さは、たやすく赤の他人への強い敵意へと変わる。

 ククムさんたちを知ってる、しかもスクトゥム帝国からグラディウスファーリーまで一緒だった?

 ↓

 ってことはこいつらが元凶か、大事な身内に何しやがった、落とし前をどうつけてくれる、なに機嫌良くへらへら笑ってやがるんだてめえら!


 ……ってな発想で短絡した連中がマヌスくんとアルガをつるし上げにかかった、ってなところだろうか。なんだろうかこの残念すぎる因縁のつけ方は。

 ああ、頭蓋骨が痛い、ような気がする。

 どうせ幻痛だろうがな!


 もちろん、あたしたちにはよく分かっている。魔術師だって万能じゃないってことは。

 だが、そんなことはきっと彼らには関係がない。 

 

〔いや、ククムさんたちを無事に国へ返すのに、どんだけこっちが頑張ったかと!〕


 それも彼らには見えないことだ。

 放出魔力量を見る限り、この場にいる魔術師はおそらくあたしたち元糾問使団組だけだろう。

 つまり彼らは魔術に疎い。そして人間にとって、自分の知らないことは世界に存在しないことなのだよ。


「フスクムもケルメスもロセウスも、いまだに夜は眠れず、気絶するように意識を失えば悪夢に悲鳴を上げて飛び上がる。自分の意図は腕に届かず、人の命令に従って人を殺める、その感触が何度手を拭おうと、酒を呷ろうと消えぬと。吐くものがなくて血を吐き、落ちくぼんだ目は黒ずんだまま、元に戻る様子を見せぬのだ。暗くした部屋で一日中座り込んだまま愛しい妻や子の声すら届かぬ様子」


 グラミィとの内緒話と副音声状態のまま、沈痛な面持ちで語られるのは、トラウマ反応というやつだろう。ストレス性胃腸炎とか不眠なんかも起こしているのかもしれない。

 

「それもこれもみな、この者らのせいじゃろう!我ら幻惑狐の氏族は、恨みを買わず恩を売る。血を流さず血を流させず、ただ血を混ぜ子々孫々に伝える民ぞ。その我らが人を手に掛けるなど!関わったこの者らの仕業に違いあるまい!」

「無礼ですよパリドゥスどの。この方たちはわたくしどもの命の恩人です!」

「恩人というならせめて!なぜに人を殺す前に我が孫たちを止めてはくれなんだ!」

「『それは違うぞ』」


 思わず声に出したグラミィに、さほど広くもない大広間を埋めた人たちの目が一斉に向いた。

 あー……、今のはついつい心話に出したあたしが悪いな。ついでに言うなら八つ当たりの憎まれ役なんざごめんだ。もうこれ以上外交の矢面に立つ気なんざ欠片もなかったが、やむをえない。

 クランクさんにいいよね?と眼窩を向ければ、力強く頷き返された。

 んじゃあらためてグラミィ、よろしく。


〔はいはい、了解ですー〕

「『どうにも誤解があるようなので、それをまず正そうではないか』」

「……そのように容喙するとは、媼どのはいかなるお方か」

「わしゃグラミィと申す一介の舌人じゃ。こちらのシルウェステル・ランシピウス師はランシアインペトゥルス王国魔術学院の名誉導師であられるが、いささか発語に障りがござる。ゆえに師の言葉を通じる者と思うてくだされ」


 冷たい目の集団相手にもだいぶ臆さないようになったねグラミィ。婆演技もお手の物だ。あの髭男がやたらと興味深そうなのがちょっと気に掛かるが……まあいい。


「『まずは、ククムどのらに同行を願った者として証言いたそう。かたがたは人など殺してはおられぬ』」

「そのように断言なされる根拠がおありと?」

「『いかにも』」


 あたしはかっくり頷いた。

 

「『かたがたが悪夢の断片は確かに事実。我らがククムどのらを初めてお見かけした時には、すでにスクトゥム帝国の囚われの身となっておられた。ククムどのらとともに行商の隊を組んでいたかたがたは薬で眠らされ、それより前に捕らえられていたかたがたは、とある魔術により心を喪わされていた』」

「心を、喪う?」

「『善悪の判断もなく、ただ唯々諾々と他人の命に従い、動くことしかできぬ。それも複雑なもの、曖昧なものなどは受け入れることすらできぬ、いわば命ある木偶(でく)とでもいうべきものに成り果てておられた。……スクトゥム帝国の手の者の命に従い、数人のかたがたが人の首を折ったのはまこと。だがその者らはその後も生きておった。ククムどのも見たであろう、かたがたをだまくらかした神官どもが、同じ船に乗っていたのを』」

「いかにも。さんざん恨み言を申しましたが何も答えぬさまでしたね」


 穏やかな顔に嫌悪の表情を浮かべて、ククムさんは吐き捨てるようにいった。

 喪心陣を使われてゾンビ状態だった人たちが、下した命令に忠実に自分の首を折った時。あの聖堂にいた連中は書割がモンスターに変わって攻撃してきた、ぐらいの感覚のままだったのだろうか?

 

「『()ネディクシー()スが慈悲によ()、ククムどのらを救出することはかないましたが、我らも慣れぬ異国の海を逃げ惑いました。喪心の魔術を解き、元のかたがたに返すよう願われたのは、我に返られたククムどの。我らは魔術師、なれどそのような魔術は見たことも聞いたこともなかったがゆえに、願われたようになすには、いや、手こずりました』」


 嘘は言っていない。ただ、喪心陣の情報を提供し、解放陣を構築するようお願いしたのも、それに手こずってたのも森精のドミヌスだってだけだ。

 もちろん、あたしだって彼に丸投げして帝国内をほっつき歩いて帰ってきたわけじゃない。学術都市リトスで得た魔術陣の知識は、それなりに役に立った。

 なにせ喪心陣を解析し、その効果に対抗するための要素を抽出、魔術陣にまでドミヌスが構築してくれたのはいいが、実際に有効かどうか確かめるための尊い犠牲(実験体)なんて一人も出せない以上、治験なんて一回もできるわけがない。

 失敗は赦されず、やり直しもきかないぶっつけ本番。それを成功させるため、ドミヌスの構築してくれた解放陣をもとに、あたしはラームスの助けを借りて効果を検証し、陣符にするために展開図を構築しては何度か作り直し、ひたすらシミュレーションに取っ組んだものだ。

 あの時は時間もリソースもいろいろ切羽詰まってたから、内容はほんっとーにぎりぎり最低限の必要な、意識レベルの正常化といったもののみに絞った。それだけは最高のパフォーマンスを発揮できるように組んだつもりだった。

 狙い通りしっかり解放陣が機能してくれて、ガワにされてた人たちは無事に身体を取り戻すことができた。

 けれど、身体を取り戻した人たちが、まさかゾンビ状態だった時の記憶に苦しみ、PTSDっぽい状態に陥っているかもなんて事態は欠片も想像してなかった。

 ただ、今にして思えば、それは予想してしかるべき事態だったのかもしれない。

 なにせ喪心陣は意識レベルを低下させるもの。逆に言うなら、陣の効力下に置かれていた間、思考能力は抑えられていても、感覚能力にも記憶能力にも瑕疵はなかったはずなのだから。

 

〔後知恵万能主義ですかボニーさん。当初の目的を忘れないでくださいよ?〕


 一瞬半目であたしを見たグラミィは、にこやかに笑みを作り直した。


「『かたがたの悪夢は、いかなる者であれ人を手に掛けてしまったという罪悪感ゆえでもあるのでは』とのこと。『ゆえ、事実をお話になればわずかなりともお気は軽くなりましょう』とおっしゃっておられます」


 しれっとあたしの言葉を捏造しながら、グラミィは腰の布袋から包みを一つ取り外した。


「それと今ひとつは、シルウェステル師が言葉ではなく、わたくしの気持ちにございます。これなるはラクサリと申す薬草。みなさまもご存じかもしれず、またすでにお使いやもしれませぬが、茶として飲めば心を穏やかに落ち着かせ、多少の悪心もなだめてくれましょう」

「……とうに薬師がついておりもうす。お気持ちだけちょうだいしたそう」

「さようかの。イヤというなら別に無理強いするつもりもないですがの」


 眉間に皺を寄せた老人の言葉に、グラミィはあっさり引き下がった。信用されなきゃどうしようもないもんな。

 そこに声を掛けてきたのはククムさんだった。


「失礼ですが、グラミィどの。わたくしにも少々いただけませぬか」

「茶葉だけでよろしいのかの?」

「ねだってもよろしければ、茶の入れ方もお教え願えませんでしょうか」

「なに、さしたる手間ではございません」

 

 グラミィが岩石顕界の魔術でティーポットを作成し、お湯を顕界して注いでやると周囲からどよめきの声が上がった。だがククムさんはそれを気にも止めない様子で、薬草を少量手に取ると、興味深そうにいじりはじめた。


「なんとも素晴らしい。実に良質のものですね」

 

 しばらく薬草を手のひらに広げたり揉んだり舐めたりしていたククムさんだったが、顔を上げるとじつにいい笑顔でいった。

 商人かあんたわっ。


〔行商人さんでしたねそういえば〕


 でしたねー。

 てゆーかグラミィ。あんた舐められないように、てんでお茶会魔術をやったのかもしれないけどさ。

 やらかしちゃってるから気をつけなさいよ?


〔何をです?〕


 水の顕界。

 ここクラーワは地理的条件の関係で、わりと乾燥した土地柄だ。

 そこであっさり水を出して見せたとか。便利なやつと思われたかもしんない。髭男の目の色も一瞬変わってたんだからね?

  

〔えー……、あたしの好み的にはあの半分ぐらいの細さで、せめてアロイスさんぐらいには顔がよくないとちょっとー〕


 って、乙ゲー世界突入気分かよ。現実見なさいよグラミィ?


〔などと目のないボニーさんにお説教される不条理〕


 うっさい。あたしにだって、眼窩くらいあるんだからね!

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