闇森(その2)
本日も拙作をお読み戴きまして、ありがとうございます。
「流行病だと?!」
苛立ち混じりの訝しげな声が、あたしたちを取り囲む森精のどこかから上がった。
びびんなくていいよグラミィ。
(わたしがかつて生きていました世界では、ほうき星が病のもとを地上に降らすという者がおりまして)
嘘じゃありません。
彗星の主成分は宇宙塵混じりの水の結晶、つまり氷。そして軌道の細長い彗星は外宇宙と地球の軌道上を往来している。
太陽に近づいたところでその氷が溶け、長々とその名の由来である尾を曳くようになるわけだが、その尾の成分であるガスと塵の中には、生命体の構成要素となるアミノ酸のように、複雑な分子量の高い物質も含まれていることが判明している。
なら、外宇宙からくっつけてきた何らかのウィルスがいっしょに地球に近いところで放出されるってこともあるんじゃね?という発想らしいが、そういう学説っぽいものがあったのは本当だ。
ちなみにインフルエンザってあれ、名前自体が『(星の)影響』を意味してるんだとかしないとか。
(通常と違う夜空の様子を何かの凶兆ととることは、どうやらこちらの世界でもおありのご様子)
クウィントゥス殿下が、星が落ちてきたのをシルウェステルさんが死んだ兆しとして処理するようにと命じていたのは、ちゃんと覚えてますよ?
「だが、そちらの世界の星がこちらに落ちる星と同じわけではあるまい」
(いかにも)
あたしがあっさり首肯すると、森精たちの間を稲妻の網のように跳ね回る心話の魔力が、色合いや明るさをちらちらとせわしなく変えた。あたしの反応がそんなに意外だったんだろうか。
(もしわたしのおそれが正鵠を得ていたとしても、わたしもグラミィも、今のこの身体は自分自身のものではございません。ゆえに、わたしたちが病のもとをこの森へ撒き散らすおそれだけは、ほぼないかと存じます)
グラミィのガワの人は金髪で、クラーワヴェラーレからそこの王子さまともども逃げてきたってことしかあたしは知らない。だから彼女が、森精たちのいう落ちし星なのかどうかはわからない。
けれどもその子どもだという、シルウェステルさんの身体というか骨は、たぶん間違いなくこの世界産だ。
(ですが、星詠みの旅者のみなさまがこれまでともに歩んでこられた落ちし星たちは、みなそれぞれおのれの身体を持ってこの地へ降り立ったようですね。海森の主たるみなさまの同胞より伺いました)
ええ、森精の言う落ちし星ってのが、日本人的な外見からして、この世界であたしたちが既知の人々とは人種の違う異世界転移者だったってことは、ロリカ内海でドミヌスから話を聞いて、というか心話で見せてもらって、ようやく確定したことですよ。
森精たちは、人間を基本的に個々人をその固有魔力で識別しているところがある。幻惑狐たち魔物たちにもそういう傾向があるんだが、そのぶん人間を外見で識別する能力がちょっと、いやかなり弱い。
だからおそらく、落ちし星たちとこの世界の人との外見的な差異なんて、あんまり気に止めてなかったんだろうな、とは推測できるんだが。
いくらなんでもあかんでしょうがそれ。どんだけ樹の魔物という容量無限大かもって外付け記憶装置な存在があっても、必要な情報が探し出せなきゃ意味ないでしょー。すべての情報に意味があるという前提に立って考えましょうや。
ちなみに、あたしの考えでは、異世界転移者というのは、彼らが所属していた世界の一部を、どうしようもなく異世界に持ち込む存在でもある。
何もそれはスマホや化学繊維でできた衣服、人類ごと地球上生物を10回ぐらい全滅させることもできる、核兵器を産み出した科学の知識、歴史から抽出したNAISEIに使えそうな政治学といった、彼らがうっかり身につけてきた文明の所産に限ったことじゃない。
というか、転移者の身体そのものが一番の問題なのだ。
どんな生命体でも、個体ではその生命活動は完結しない。いや種の存続って意味だけじゃなくってね。
生命体は宇宙だという言葉があるらしいが、個体はその種の生存に適した環境の中でしか生命活動をなしえない生態系の一部だと言い換えてもいいだろう。
例えば呼吸。万が一にでもこの世界の大気組成が落ちし星たちの生存に適合していなければ、彼らはとうに窒息して死んでいただろう。
自前の身体を持たないあたしやグラミィは置いておくとしても、同じことが食事にも言える。
むこうの世界の動物園では、人気者のコアラやパンダがいなくなるってことがわりとよくあった。
動物園が赤字になったとかだけじゃないよ?
代替食を受けつけない動物ってのはけっこういるんだが、その食糧が、動物園の立地条件的に安定供給困難と見なされたからという理由で本国に返還されたりするせいだ。
……そらまあ北極圏付近でユーカリとか竹とかを、毎日数十から数百kg単位で複数種類、一日も欠かさず最低限一個体が死亡するまで確実に供給できるような体制を整えろとか言われたら、かなりハードなミッションになるよなー……。
ま、幸いにもこの世界の動植物は、かなりあたしがいた世界の――おそらくは、グラミィやその他の落ちし星それぞれの世界とも――かなりの近縁関係にあるらしく、窒息死や餓死エンドを迎えた落ちし星がいたって話は、あの海森の主からも聞いていない。
……聞かれなかったから言わなかっただけ、とか後出しで言われたらめちゃくちゃ恐いけどな!
だが生存環境の高い相似性は――動植物が近縁種っぽいってことも含めて――逆の問題も生みだすそれは個人の生命活動の可否にとどまらない。
たとえば人間感染症。
この世界に、致死性の高い感染症の病原体が蔓延していたとする。だがこの世界の人たちはすでに免疫を獲得しているせいで、感染したとしてもせいぜいが軽い風邪ぐらいにしか症状が出ないとしたら。
そして、同類の病原体が存在しない世界から、免疫は持ってないけどこの世界の人間と近縁種の――それこそ病原体の宿主になれる程度には身体の造りが相似の――人間が、この世界に転移してきたらどうなるか。
この思考実験、逆のパターンだってありうるのだよ。
アステカ文明やインカ帝国の滅亡した大きな原因として、アメリカ大陸にヨーロッパから到達した人間の持ち込んだ天然痘やはしかといった感染症が上げられているのはダテではない。
たまたま転移者の腸内に繁殖していた常在菌などといった、この世界に不可抗力によって持ち込んでしまったむこうの世界の固有種である微生物が変異して、高病原性を持つようにはならない、という保証などないわけですよ。
そして、ランシアインペトゥルス王国の王都どころか、学術都市リトスの下水道だって、公衆衛生環境はむこうの世界と比ぶべくもない。最終的には排泄物も川に垂れ流しに近いというのはあたしがこの目、いやこの眼窩で直接確かめてきたことだ。
万が一にでも仮想した事態が発生したら、この世界はかなりの勢いで地獄絵図へと変わるだろう。
……こういうことを踏まえて考えると、異世界転移の理由が召喚でしたとかっていうあるある設定って、あれ、敵も味方もひっくるめて、世界全体を巻き込んだ壮大な自殺行為にしか思えなくなってきたりするんだよなー。
目先のメリットが大きいからといって、即座にすべてのデメリットに目をつぶってとびつくとかだめだめじゃね?も少し時間を掛けて精査し、視野を広く取って、いろんな可能性を考慮してみようって声はまったく出なかったんですかね?
その世界の負担を肩代わりさせる生贄とか、魔王を倒す勇者とか、穢れを祓う聖女とか。
召喚にはいろんな名目があるみたいだけど、そうそう思い通りになるわけないじゃん。願い事は願わぬかたちでかなう猿の手理論とか知らないのか召喚者、などと届かぬツッコミをしてみたくもなるってもんだ。
ま、むこうの世界でだって、あたしなんぞよりはるかに頭の良い人たちが天敵を輸入しての生物農薬を採用した結果、貴重生物の宝庫だった生態系絶滅の危機なんてこともやらかしてますからねー、発想から実行に移すまでの残念さ具合は五十歩百歩ってところだろうか。
天敵ってえのは、たまたま既存の諸条件が噛み合ったからこそ食物連鎖がうまく機能しているだけのものなんだろう。だけどその鎖は直線で生物ピラミッドを描いているわけじゃない、ただの網だ。条件の枷が外れたらより捕食しやすい生物を狙うのは自明の理、どんなに堅固に見えた鎖網だって、バラバラになる可能性を考えておいていただきたいものである。
地続き、というとなんか変だが、同じ空間の先にある宇宙からだって病原体が降ってくるのだ。だったら異世界から落っこちてきた星のみなさんが病原体を保有している可能性だってあるんですよと懇切丁寧に説明したところ、なんだかそれでかーという空気が周囲に広がった。
理由を訊けば、異世界転移者と初めてコンタクトを取った森精が、この世界の知識伝授を名目に、数十日ぐらい隔離する風習があったのだそう。
……なるほど、古典的というか原始的だけど検疫システムはちゃんと存在してるんだ。
てかちょっと待てい。
一瞬納得しそうになったが、あたしらそんな隔離期間なんてもんはなかったんですけどね?
あたしがこの世界に来てから最初に出会ったのはグラミィで、次は人里離れたグラミィの屋敷を訪れたカシアスのおっちゃんたち。で、彼らにくっついてフルーティング城砦にと入ったわけだ。
ヴィーリと会ったのは、あたしがグリグんに襲われ、誓約で縛り、グラディウスファーリーからの襲撃と魔喰ライを退けてからのこと。
その時に彼はなんと言ったっけ。
確か、二つの星が黒き月の前に現れた時から見ていたとかなんとか……?
ねえ、そんな時から目をつけてたんなら、なんでもっと早くあたしたちをとっ捕まえようとか考えなかったわけ?!
森精たちに落ちし星を隔離するって風習があったんなら、カシアスのおっちゃんたちこの世界の人間と接触する前に、というか星が落ちた地点そのものを、結界なり迷い森なりで個別に取り囲んでおけば、それですんだ話なんじゃないの?魔術が使える使えないどころか、この世界に対する知識が一切ない状態で、ファーストコンタクトまであたしやグラミィを隔離しとくって発想はなかったんですか森精さんたち?
返ってきたのは、実に何とも気まずそうな沈黙。
……周囲の光の柱から情報を得たラームスがこっそり伝えてくれたところによると、どうやらこの闇森の森精たちは、この隔離システムの目的を名目通り、世界の常識を知らぬ異世界転移者を保護し、教育を与え、この世界の人間の組織――国とか――と無駄な軋轢を起こさないためのものと認識していたらしい。
そのため、闇森からは遠ざかり、接触した人間たちとも軋轢も起こさずにいるならいいやと、あたしとグラミィに接触することなく、遠隔からの経過観察ですませようという腹だったらしい。
アホですかあんたら。
これほどいろいろ宝の持ち腐れを具現化したようなことをやらかすほど、森精ってあほちん揃いとは思わなかった。
てかエルフって長寿で思慮深く物静かで魔術も使える、人間とは全く違う存在ってどっかで思い込んでたあたり、あたしもむこうの世界にあったファンタジーに毒されてんのかなあ。
なんだか彼らって、意外と魔術能力頼みの力押し一点張りな残念メンタル脳筋で、しかも半身たる樹の魔物たちから膨大な量の混沌録へと存分にアクセスできるはずなのに、その意義とか価値を認識しようとはせず、漫然と情報を蓄積しているだけ、に見えてくるんですけど?
……いや、確かに昔の森精さんたちは、それなりによく考えてたんだろうと思うよ?
ちゃんと落ちし星たちの監視保護管理システムなんてものを作り上げてたところは、評価に値する。
病原体問題一つ取り上げただけでも異世界人なんてもんは危険物だ。それこそむこうの世界で他国から動物を輸入するよりも、はるかに事態は深刻なんだもん。
それにこのシステムは多少のぼろはありつつも、ちゃんと機能していた。だからこそヴィーリもスタートダッシュこそずっこけたものの、あたしたち地上の星と共に歩き、時にその成長を手助けもしてくれたわけだ。場合によってはこの世界に悪影響を及ぼすことを防ぐために、あたしたちが処理されることもあるかもしんないと推測できるくらいには、情報も与えてくれた。
だけどねー、なぜ落ちし星たちを管理下に置かねばならないのかという、そのもともとの理由が行方不明とかどうよ。どんなにいいシステムを構築しようと、運用する人が意義とか運用のしかたを間違えてたら意味がなかろう。ただのハリボテ以下になってんじゃんか現状。
いや、スクトゥム地方の事を思えば、確かにいろんな事情で失伝してる情報だって多いのかもしれないけどさあ。だからって、なーんにも考えずに引き継がれ、惰性でなんとなくやられてちゃあ、どんなに重要な意味のあったことも、すべて無意味になってしまう。
結果、どんなことが起こったかわかってるのかね、ええ?
スクトゥム帝国であたしも混沌録に疑似体験させられた、あの森精たちの虐殺。
あの原因の一部は、まず間違いなく森精の、少なくともスクトゥム帝国に根を張っていた森精たち自身の怠慢にあるとあたしは考えてるのだが。
(スクトゥム帝国の学術都市リトスで、わたしはマグヌス・オプスと呼ばれる異世界転移者に話を聞きました。彼の言を信じるならば、彼は『森精と会わず、星の魔術師に育てられて魔術師となり、さらに星を拾い魔術師とした星』とのこと)
あたしが呆れてるのが放出魔力や心話からも伝わったのだろう、いくぶんむっとした様子を示していた森精たちだったが、さきほどより激しく稲妻の網は明滅し、オーロラははためき広がった。
彼らが動揺すんのも無理はない。
これ、二重の意味でイレギュラーなのだ。
まず、この世界の人間社会的なことをいうなら、魔術師は、通常直接弟子をとることはない。どんな魔術系貴族のえらい人がごり押ししようと、必ず学院が仲介するというかたちで一枚噛み、複数人が一人の魔術師の卵に対応するという形で指導を行う。
一子相伝とかマンツーマンとかがありえないのは、万が一にでも魔力が暴発しかけたり、魔喰ライにでもなりかけたりした際には、どんな手を使っても取り押さえられるようにするためだという。
それだけ未熟な魔術師というのは危険なんだとか。
放出魔力過多症治療の一環として、お師匠さんに魔力操作の手ほどきを受けたコッシニアさんは、ほんとうに例外中の例外なのだ。てか彼女が今も生きていること自体が、ほとんど奇跡に等しい。
なにせ正しい診断もされないまま、普通の病弱者に対する看病しかされてなかったら。魔力を暴発させるどころか、そのまますべての魔力を放出しきって死ぬところだったんだもん。
体調不良の理由を見抜いたアロイスと、アダマスピカ副伯領に住み込んでコッシニアさんの治療と指導にあたったラウルス中級導師の存在がなければ、コッシニアさんはその生命を幼くして散らしていただろう。
ま、当初は治療目的であったとしても、魔術学院に所属しない魔術師ってのが存在できちゃう生きた事例になってしまったので、コッシニアさん自身は今後もぎちぎちに魔術学院と紐付けられることが確定している。おまけに今後魔術学院の目の届かぬ野良魔術師なんてものが二度と発生しないように、法的にも組織的にも改正が加えられたとか加えられなかったとかいう話も王都で聞いた。
十になるならずという頃からコッシニアさんがその身を性的に狙われだしたことを不憫に思い、お師匠のラウルスさんが護身のためにってんで魔術についての基礎知識と杖も与えちゃったという事情が事情だし、結果的にはむしろぐっじょぶだったんじゃないかと個人的には思っているけど。
話を戻そう。
落ちし星には森精が監視や保護を行う。これは見てきたようにちゃんと専用のシステムが構築されているはず、なのだ。
病原体問題だけでなく、落ちし星たちというのは、それだけで危険物以外の何者でもない。
なにせただ放出魔力量が多いだけの魔術師の卵たちだって、わざわざ魔術学院が集めて教育を施し、誓約で束縛をかけるほど危険なんである。
なのに、落ちてきたばかりの星たちは、保有する魔力量だけはなみの魔術師とは比較にならない。ドミヌスの言葉によれば、森精たちの広大な森ほどもあるという。
魔力という概念を持たず、自身の魔力を制御するすべも知らない星を放置することはあまりにも危険だ。
だからこそ、森精たちは落ちし星たちを保護し、この世界の知識を与え、生きるために必要な助力を行い、ともに歩むのだ。
もし万が一にでもその膨大な魔力量を抱えたまま、落ちし星が魔喰ライにでもなったならば、いったいどれだけ大きなガラスのクレーターができることやら。
世界の危機とまでは言わないまでも、その国や地方における人間社会は、確実に存亡の危機に立たされるだろう。
だからこそ、マグヌス・オプスも、その師匠も、その弟子も森精が捕捉しなかった、ないしはできなかったことは異常なのだ。
どのくらい異常かというと、……立ち入り禁止の神域内で、泉の掃除をしようと水を全部抜いたら、棲息してたのが特定外来生物だったどころか海外の未確認生物ばっかだったレベル?
しかもそれが師匠と弟子という関係で、三代も続いているということも問題なのだ。
未確認生物が繁殖していた証拠が発見されましたレベルで。
ねえ、なんでそんなことになったかわかる?
(スクトゥム地方では、星詠みの旅人は神話の中へ姿を消したと見られております。わたしが存じておりますのも知己を得ましたお一方のみ)
ドミヌスの話によれば、スクトゥム地方にいた森精たちは、帝国が打ち立てられ、拡大するにつれて、森精を受け入れようとしなくなったと見るや人間の領域から撤退したという。
これが、まずありえない。
いやね、この闇森の森精たちみたく、落ちし星を監視保護する理由を忘れ去ってたのかもしれないし、森精たちがスクトゥム帝国を見限らざるをえない理由があったのかもしれないよそりゃ。
だけどいくらなんでも手抜きがすぎない?
管理者というなら、管理するためのシステムぐらい維持してないでどうするのよ。
国を見限ってもいいけど、丸ごと人間見限ってどうする。森の外の貴重な情報源だったんじゃないの?
人間なんて知らない森精以外気に掛けない、ひきこもりで事足れりというならば、樹の魔物たちを情報収集に使うだけじゃなくって、落ちし星の存在を感知したら即座に隔離できるよう、迷い森みたいな捕獲装置を自分たちの管轄地域全体に設置しとくぐらいのことをしなきゃ、ちゃんと管理してますなんて言いきれんでしょうが。
百歩譲って、転移直後にすぐ管理下に置けなかったとしてもだ。せめてあたしたちに接触してきたヴィーリぐらいには、遠隔から監視しつつもじわじわと距離を詰め、接触を図り、がんばって保護活動を続けようとか努力するもんでしょうが。そうでなけりゃ管理者としてうそでしょうよ。
なのに、マグヌス・オプスは、というかその師匠も、マグヌスがクズと吐き捨てたその弟子も、彼らはまんまと森精たちからその存在を隠し通してみせていた。
スクトゥム地方に限っていうなら、森精たちの落ちし星管理システムがろくすっぽ機能していないっていう生き証人じゃないんですかね、これ。
マグヌス・オプスの言葉をまるごと信じるならば、彼の師匠、いや彼とその弟子だけでもしっかりと監督していれば、彼らが異世界から人間を召喚しようと試行錯誤した結果、人格だけを召喚した擬似異世界転生者とでもいうべき存在を作り出したこと、そしておそらくは星屑たちが量産されるなんて事態には至らなかったはずなのだ。
森精たちの怠慢の結果が、星屑たちにゲーム世界のイベント空間扱いをされている今のスクトゥム帝国の惨状に直結しているのだとか、短絡的に結論づける気はさすがにない。けれども状態が悪化する前に気づいて介入し、何らかの手を打っていれば、あの港湾都市アエスで見たような、森精の虐殺なんて事態は起きなかったんじゃないかと思えてならない。
この世界の守護者を自称するならば、せめて異世界転移者たちの管理ぐらいはちゃんとしておいていただけませんかねえ。星屑たちのガワにされてる人間だってこの世界の一部なんですから。
飼えないなら拾うな、拾うなら飼え。その死の瞬間どころか後始末までやるのが当然でしょうが。森精全体がそういう覚悟をもって管理者やってるんだと思ってたんですがね。
結論:森精が異世界転移者を管理しきれなかったのがだいたい悪い。
「では、どうしろと」
(おや?死すべきと断じられた、その落ちし星をしるべとなさるので?)
驚いてみせれば、口惜しげに黙る気配があった。
だけど嫌みの一つくらいは言わせてもらおうじゃないの。
確かに、森精でもないのに、闇森の最奥まで踏み込んできたあたしたちは、彼らにとって異物でしかないだろうさ。反発されても当然だとは思っていたし、そのせいであたしの話を頭から否定されるかもしれないってことも予測はしてた。
けれども、森精の虐殺を引き起こした落ちし星たちとは別人だってわかってて、あたしたち、特に生身のグラミィまで殺したがるような連中に、全部吐けと言われて素直にげろげろ吐くものか。
そもそもスクトゥム地方の情報収集がすんでるってんなら、森精サイドの不手際だって把握しているはずでしょう?
(かたがたにどうせよと命ずることなど、再び森の外すら見ることもかなわぬやもしれぬわたしたちにはいたしかねることにございますとも。ですが、今後森の外にわたしたちの道があるとおっしゃるのなら、とうに決めております事どもを申し上げましょう)
そう伝えると明らかに空気が変わった。あたしが有益な対策をぺらぺら喋るとでも思ったんだろうか。他力本願なところもいただけないな。
まあ、森精たちにとって、落ちし星というのはもともと管理下に置かねば有害な厄介者というだけじゃない、魔力という恩恵を無条件に与えてくれるものでもあったということもあるのだろう。
星が落ちた地には恩恵があるとは、ドミヌスの教えてくれたことだ。
異世界から無傷で落っこちてくるのに魔力が防御となるのか、星の落ちた地にはその後しばらく魔力が雨と降り注ぐ。どんな岩ばかりの不毛な荒野であろうと、魔力に富んだ豊饒の地へと生まれ変わるというから、落ちし星たちは森精にとって簡単テラフォーミングキット扱いされてもおかしかない。
殺さなくても人間は死ぬ。必ず死ぬ。どう足掻いても死ぬ。それは異世界転移者とて同じこと。
だったら、殺すよりも生かして有効活用することを考えるのも、実行することもありえるだろう。
他に被害を出さないためにとかなんとかって名目をつけて、魔力の涸渇している土地へ連れてって生活するだけでも、異世界転移者の膨大な放出魔力は、土地を肥沃にするよう働くだろう。魔力溜まりが悪化していたら、魔術でも連打させればいいだけのこと。油田火災をダイナマイトで鎮火する要領で吹き飛ばせば、適度に魔晶が産出する程度に調節することもできるんじゃなかろうかとは、試算をまかせたラームスの結論だ。
半分はただの猜疑からの推測だが、森精たちの行動原理は、半身たる樹の魔物たちと共生し、種として彼らが繁栄することにある。魔力の循環を調節し、大地に実りを、森に恵みをもたらすためならば、彼らの個体のいくつかが死を迎えようが、国の一つや二つ生まれようが消えようが、彼らにとっては些事にすぎないことなのだろう。
(わたしたちは、このテールムの外から人を欠片として召喚し、言わば星屑となしてこの地に撒き散らす落ちし星――いや、堕ちし星――を仮に『運営』と呼んでおります)
「待て、人を欠片とする?」
「本当にそのようなものがいるのか?いるのならあかしだててみるがいい」
この期に及んで尊大な、とことん疑わしげな声。瞬間あたしはかっとなった。
(森に隠れて姿を消し、スクトゥム地方に落ちてきた星の制御すらかなわなかったかたがたがそれをおっしゃるか?いるからこれほどまでの大騒ぎになっているのだろうが!わたしはそれをなしたという者の口から聞いた!それでも信じられぬ?テールム全土にこれまで降り注いだすべての星を手中に収めたのちに、夢の中の言葉を口に出すがよかろう!)
心話とともにぶわりと膨れあがったあたしの魔力はローブを波打たせ、石舞台の上を滑り、乗り越え、周囲を支える木々にまとわりつき、その幹を白く燦めかせた。
〔ボニーさん、ボニーさん!寒いって!落ち着いて、てか戻ってきてくださいよ正気に!〕
……おう。すまんグラミィ。一瞬で霜が降りるとか、さすがにやりすぎだったわ。
思わずというように身構えている森精をじろりと全方位に知覚して、あたしは気を取り直した。
黙って人の話を最後まで聞けない連中相手じゃあるようだけれど、口がつぐめないわけじゃなさそうだ。
テイク2といきましょうか。
(……失礼をいたしました。ですがかたがたの一枝、北の海に森となられた方の身を攫った者どもの少なくとも一部は、この世界の人間の身体に星屑を入れられた者と判明しております。星屑を入れられる前の細工については南の海森が主もご存じのこと。お疑いあるならば、それぞれの梢より風を捕まえなされませ)
まだローブの裾を掴んでいる相棒の存在を知覚しながら、あたしはなるべく淡々と心話を放った。
(我々に敵意をお持ちなのも、いまだ気を許すことあたわぬ疑わしきやつばらとお考えになるのも、それはかたがたの勝手。ですが、わたしたちの邪魔だけはしないでいただきましょう)
「何をなす気か」
「我らに力を貸せと願いに来たのではないのか」
(いかにも、それも考えには入れておりました。ですが拒絶なさるのでしたら、死か協力か選べと迫るような無理強いなどいたしませんとも)
やだやだ協力されて効果が上がるとも思えないしー、ぽんこつ管理の様子をみると、いまいち頼りなさそうだしーとは、さすがに心話にも出さないけど。
……どうにも彼らには、ドミヌスに対するようには殊勝になれない。いくら森精たちが精神的な群体とはいえ、このメンタル脳筋たちときたら被害者当人ではないくせに、被害を受けたお前達が加害者だと、声高に十把一絡げな物の見方を押しつけてくるせいだろうか。
他人を責めて自分の責務から目をそらすとは、さすが高邁な森精さまは思考のありかたも人間と違うようで。
……まあ、それは脇に置いておこう。
(星屑にこの世界の人々の身体を与えるため、持ち主から奪い、かたがたの同胞を害し、そこない、誇りすら踏み躙らんとする彼らの所業は、たまたまこの世界に落ちてきたという共通点すらいとわしく思うほど、わたしたちには許しがたきもの)
ペルは死を選んだ。彼ら森精にとって個体の死は種や群れの存続の上ではたいしたことではないらしいし、森になった以上人格は保存されてるということになっている。だけど、生前のペルを知っているあたしにとっては、やはりあれはどこまでいっても自殺でしかない。死を選ばざるをえないほどに追い詰められていたのかと考えると、いまでもその死に手の骨を貸したことにも思うことは尽きない。
虐殺を生き延びたドミヌスはかろうじて命を拾ったものの、痛めつけられた身体が悲鳴を上げていた。ちっぽけなクッションが慰めとなるほどに。
この世界をゲームと錯覚している星屑たちが、どこまでも自分本位にこの世界を踏み荒らした結果だ。
(みなさまが星には手が届かぬとおっしゃるのなら、わたしたちは、わたしたちの思惑で、『運営』の敵となり、彼らを止める所存にございます)
「星が、森を守るというのか」
(むろん、テールムすべての森に手が届くとはまったく思っておりませんが?)
……異種族である彼らに、あたしがなぜそこまで心を寄せるか、森精たちにはわからないだろう。
あたしもこれはむこうの世界で見た人たちと二重写しに彼らを見ているからこその、ただの一方的な、個人的な思い入れにすぎないことは理解している。
当然のことながら、グラミィはあたしほどペルたちに対する感情移入は強くないようだ。それでも彼女は星屑を搭載されている人たちに身体を返し、そして『運営』を潰そうというあたしの考えに賛同してくれた。
(彼ら星屑を増やす者はスクトゥム帝国をほぼ星屑で覆い尽くしており、また他地方へと手を伸ばしつつあるようです)
「そのような者は、ともに歩く者たちにとっても敵」
はっと頭蓋骨を上げれば、ヴィーリがかすかに頷いた。
「ならば星と森、生じた世界は異なれど、ともに力を合わせることはできるだろう」
「それに勝手に動かれてはわたし/われわれとて困る。見張りをつけさせてもらおう」
心意気に賛同したーとか、支援だなんだと題目をつけないあたり、ずいぶんと素直になってくれたじゃないの。
もともと星と森では目的も違う。とどのつまりは呉越同舟に同床異夢をかけ算しただけのこと。
それでもよければいっしょに泥船に乗ればいいんじゃないかね。
〔大船じゃないんですね〕
沈まないという自信は、欠片もないからね。
〔きっぱり言い切るなー!〕
だってほんとのことだもん!
てか内心にツッコミ入れないでよグラミィ。
表面を取り繕いなおすと、あたしはヴィーリの方へ向けて一礼をした。
(ではこれまでどおり、かたがたの一枝が導きを願いたく。それも、わたしたちがヴィーリと呼びならわしておられる方の)
森に連れてきてくれた後、ヴィーリは表だってあたしたちを庇ってくれることはなかった。
それでも森精の総意のうち、浮かび上がった意見を素早くすくい取り、そして声に出すことで味方をしてくれた。
そのことで彼が森の中で不利に追い込まれる可能性が僅かでもあるのなら、今度はあたしたちが阻止しようじゃないの。
あたしたちに森精が価値を認めた今だからこそ、こちらから条件を突きつけることもできるというものだ。
「わたし/われわれにできることはないか」
(ではかたがたが己に課した責務を果たすおつもりがあるのなら、この世界を見通し、すべてを掌握できる体制をお固めくださいますよう)
意訳:最低限ちゃんと管理者やってくれません?ハリボテされてても迷惑なんで。
たぶん、この森が集積してきた情報量はかなりのものだ。
森精たちが彼らにしかアクセスできない情報を――おそらくは最短でも数百年はかけてるはず――たんと蓄積していることは確かだろう。
ならばそれを活用してもらおうじゃないの。
解析を加えれば、ある程度精度のある予測は可能になるだろう。天候一つとっても未来の予測ができるというのはかなり強い。おまけに樹の魔物達のネットワークを使えば、リアルタイムで拾える情報と掛け合わせることでさらに精度は高められる。
その結果をあたしたちに分けてもらえるのならば、なおありがたい。すべての混沌録へのアクセス権とかもらっても、仮想上でしかない脳すら焼け切れかねんから扱いに困るだけだろうし。
とりあえず基本的に必要なのは各地の情報かな。ぶっちゃけランシアインペトゥルス王国から貸与されてる地図のたぐいは、縮尺も方向もバラバラな上に、かなりアバンギャルドなフリーハンドだ。
詳細で精度の高い地図、特に地勢図が欲しいですねー、星屑たちの動きを把握するためには必須でしょう。
……真面目な話、星屑たちがどのくらいこの世界に広がっているのかはあたしにもわからない。彼らが本気でこの世界の人たちの中に紛れ込もうとしたならば、あたしだって言動からしか推測ができないのだ、後顧の憂いを残さないよう、ガワの人全員を解放するなら取りこぼしはできない。
(その代わりわたしたちからは、『運営』や星屑のありようをお教えいたしましょう。おそらくわたしたちはこの世界でもっとも彼らを内側からも識る者。その知識を差し出しましょう)
同類の排除にあっさりと同意したと思ったからか、彼らは驚いたようだった。このへんは森精と人間の同種存在に対する考えの違いだろう。
だけど免疫ってのは、ウィルスなり花粉なりが体内に入って、その情報を解析し、抗体ができないと機能しないのだ。だったらあたしたちをワクチンがわりに使ってもらおうじゃないの。
特に、この世界の人たちとまるで違う異世界人の価値観についての情報は、森精たちにとって重要だろう。
たとえそれがあたしたちの分析にも応用され、陥穽を築くのに使われる可能性だってあるとしてもだ。後ろから刺されるかもしれないという危険性を認識しておけば、選択肢はある程度変えられるはずだ。
「そなたらの欲しいものはあるか」
(では、星々を見守る森の恵みを。北と南の海森より預かりし枝枝、導きをいただいた森より帯同を許されし枝に)
ええ、あたしたちが預かってる枝たちのメンテナンスはぜひともお願いしたいですね。特にラームスの。
「わかった。必ずや引き受けよう」
「ほかにはないのか」
そう訊かれて、あたしはちょっと考えた。
(わたしは、この世界でたくさんの間違いを犯し、その結果多くの人を傷つけてまいりました)
〔っちょ、ボニーさん?!〕
グラミィがぎょっとした顔でこっちを見たが、本当のことだ。
あたしは自分が正しいだなんて、これっぽっちも思っちゃいない。
繰り出す手数は多くても、そのほとんどが弥縫策にすぎない。
(そしておそらくは、これからもあやまち、人を害し、時には我が手に掛けることもありましょう)
ああもちろん、積極的に人を殺したいとは思ってはいない。
けれども、事態の解決法として人を殺すことも選択肢に入れてしまっているのだ。今のあたしは。
――だから、これは懺悔じゃない。
(彼らもまたこのテールムの一部でありましょう。ゆえに堕ちし星たちの騒動を鎮めましたのちは、彼らへの癒やしを木々とともに生き、星とともに歩む方々に願いたく存じます)
森精たちが神話の中に出てくるような、本当に公平無私な世界の管理者だったならば、すでに手を差し伸べていることかもしれないが。
もちろん、一番欲しいものは情報だ。
特に魔術学院でも学術都市でも精査してなかった――できなかった情報がある。
(最後の一つは、かたがたへわたしの問いにお答えを願わしく)
「問いとは。何か」
(星が天に還ること、死者が甦ること、身体なき者に身体をつくり与えることはかないましょうや。またその知識をわたしが得ることはありましょうやと)




