闇森(その1)
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
顔合わせ兼用な昼餐を終えた後、あたしたちは幻惑狐たちすら連れずにとっとと城砦を抜け出た。
そりゃ経験から学ばなきゃ嘘でしょ。アルボーでアーセノウスさんに貼りつかれた時の二の舞なんざしたかない。
あ、アロイスの後任というプレデジオさんには、星詠みの旅人に呼ばれてるってちゃんと伝えておきましたよ。置き手紙ですが。
ヴィーリが天空の円環から入る方法を教えるというので、あたしたちは緩やかに弧を描く聖槍の道へ足を踏み入れた。
なるほど、どの国からも不可侵な場所というのは、確かにアクセス地点としてはかなり優秀だろう。
以前あたしたちがここを歩いたのは南西、グラディウス地方へ向かう道だった。国境どころか地方の境まで超え、魔喰ライへと変貌した裏切り者に、魔力を吸われまくった侵入兵のなれの果てを、カシアスのおっちゃんたちとお片づけするというね。実になんとも気の滅入るお仕事だったもんである。ミイラ化した死体ごろごろとか。
あれでかなりグラミィのグロ耐性もついたんじゃなかろうか。
だけど今回ヴィーリがあたしたちを導いたのは、それとは逆方向の東南へやや進んだ所だった。イメージ的にはランシア地方とクラーワ地方の中間、という感じだろうか。
たぶん闇森への出入り口は何カ所かあるのだろう。その中でどれをあたしたちにどれだけ教えるかでセキュリティランクを調節するのかもな。
〔でも、だからっていきなりこんな道端の崖っぷちから飛び降りろって。ナイですよこんなの!〕
……いきなり自殺強要されてるような言い方ではあるが、まあグラミィがそう言うのもわからんでもない。
あたしたちが今見ている崖は、ドルスムでシカリウスなクルタス王と一緒に飛び降りたのとはまっったく比べものになんない。高さ的な意味じゃなくってね。
木々の梢があたしの手の骨が届きそうな、ってのは盛りすぎにしてもだ。ほんの眼窩の前十数mくらいのところまで鬱蒼と茂っているせいで、視界のきかなさといったらない。視覚を魔力知覚で代用しているあたしにも見通しが利かないあたり、さすが森精セキュリティは隙がない。
森の中の様子をうかがおうにも、木と木の間の隙間すら認識できないって事は、たぶん迷い森効果も発動させているのだろう。
〔ここから飛べとか。あたし一人じゃ無理ですからね!〕
うむ、最初からあんたはあたしのお荷物として考えてますよグラミィ。
てゆーか、そもそも。
(ヴィーリ。わたしたちに突然森の中を飛べというのは、少々難題だと思うのだが?人は鳥ではない。わたしたちも空を飛ぶことにさして慣れているわけではない)
「双極の星よ。わたしの枝葉を身につけているなら、森は開く」
ラームスの存在が鍵になって、範囲限定的に迷い森を開けてくれるってことかな?
……そう言われましても。森の中なんていう見通しの利かない障害物満載空間を、いきなり仮免初心者ド素人に飛べと言うとか。かなりの難易度ですよこれ。
(樹?)
さすがのあたしも躊躇しているところに、空から心話とともに降ってきたのは、大きな影と羽音だった。
(グリグ。久しぶり)
(…骨?)
四脚鷲は、ヴィーリの肩に止まって小首を傾げてあたしを凝視した。
こっちに来る気は……欠片もなさそうですね。そんなに森精の方がいいか。いいんだろうな。
しかし、グリグんがここへ来たのはただの偶然か。
「辿るべき枝はわたしが示そう。木々を飛び渡るすべはこの若い翼に聞け」
見やった先でそういうと、ヴィーリは半身たる樹杖ともども崖から身を躍らせた。四脚鷲を肩に止まらせたまま。
「!」
グラミィともども慌てて枝の差し交わす森の中をのぞきこめば、ヴィーリは比較的太い枝の上に立って、あたしたちをふりむいたところだった。
そこまで自力で来いということか。
……どうあっても飛ばなきゃ森に入れない。というか、飛べなきゃ森に入る資格ありと認めてもらえないってことか、ちきしょうめ。
というか、おそらくはこれがあたしたちへの最上位の評価のあらわれで、ヴィーリのできる最大限の助力なんだろうな。
共に飛ばんと、そう言われた直後、あたしは彼に聞いた。
あたしたちを連れて行ったら、かの同胞満ちる地で、ヴィーリ自身が不利になることはないのかと。
答えは沈黙だった。
森精は人間とつきあいがうっすらとあるため、嘘という概念は認知しているが、自分から嘘を言うことはほとんどない。心話で嘘をつくことはできないからだ。虚偽と認知していることを真実だと言い張っても、そのこと自体が筒抜けになるんだもんな。
つまり、ヴィーリは自分が不利益をこうむることも覚悟して、あたしたちを連れて行くつもりだということだ。
……まあ、そうだろうなとは思う。
そもそもあたしたちを森に入れるメリットなど、森精にはまるでない。
あたしたちから一瞬たりとも離れることのないラームスたち、ヴィーリの樹杖の枝によって、あたしたちの言動はまるっと見られているわけだし。
これ以上自意識というフィルター越しに、あたしたちから収集する情報など、森精サイドにはないも当然って考えられててもおかしかない。
それでも、ヴィーリがわざわざあたしたちを森へと誘ったということは、森に入るだけの能力、入れてもいいだけのなんらかの資格を持つ存在であると評価した上に、他のそれなりの理由があってのこと、ということになる。
ならば、彼の差し伸べてくれた手を取るべきだろう。それが、あたしとグラミィの結論だった。
たとえあたしたちに情報を与えることで、ある方向へ思考誘導する気満々な彼の掌で踊らされるかもしれないという危険があるとしてもだ。
ラームスから情報を得てのことだろう。あたしたちに飛べる能力があると評価してくれたヴィーリは、森へ入るための手助けも、用意周到なことに、たった今、ちゃんとくれていった。
この森の中を飛行するのに必要な、鳥の羽ばたきほどに精緻な魔術を行使するお手本を見せるという方法でだ。
一瞬ではあっても、あたしには魔力知覚がある。外付け記憶装置のようなラームスだっている。場所が場所だから彼越しに混沌録にアクセスするのはやめておくが、それでもラームスの力を借りれば、かなりうまくヴィーリの魔術を再現できるはずだ。
〔ぼ、ボニーさん……〕
飛ぶしかないでしょグラミィ。
たとえ超絶ビギナー状態であっても、あたしたちが一歩踏み出さねば始まらないのなら、多少のリスクは取ろうじゃないの。
幸い、と言うべきか、つっこむ先は森だ。崖下をのぞきこんでも見通せないほどぎっちりと枝枝が差し交わしているのだから、落下速度とダメージが低いうちに樹に捕まることはできるだろう。
もちろん、できるかぎりの安全策は施しますともさ。
あたしはグラミィと杖を重ねてしっかりと握りこんだ。これ自体に別に魔術的な意味はないが、顕界する結界翼はコンパクトな方が森の中では引っかかりにくいだろうという判断だ。
なるべくぴったりくっつかないと重心やらなんやらずれる気がする、というのはむこうの世界のハンググライダーとかパラグライダーの初心者に指導する人なイメージかね。
〔に、二人三脚とかもそうですよね〕
……なんか一気に地に足の着いたイメージになったな。
仕上げに、結界翼は内側を柔らかく低反発にして、『静止』の魔術陣を刻む。これで何かにぶつかってもショックは軽減される。はず。
〔息できるようにしておいてくださいね、ボニーさん。窒息死はごめんです〕
低反発がいやなら猛反発加工しておくかい?あと『静止』の代わりに『反射』にするとか。
下手すると超高温状態での分子運動なみに結界の中でぶつかり続けるけど。
〔それあたしが間違いなく死ぬやつじゃないですか!〕
あたしの生死はどうでもいいんかい。
まあいーや。軽いジョークでどうやら緊張もほぐれたようだし。
そんじゃグラミィ、イチニでいくぞ。
せーの。
「いっ!…ふぎゃあああぁぁぁっ!」
〔ままま待ってっ!イヤダオチルオチルコワイコワイ!〕
踏んづけられた猫のような悲鳴はともかく、グラミィの心話にはあえて耳を傾けない!うっかり聞いていたら気を取られる、いや自分まで恐怖心が湧く!てかそんな時間などない!
グラミィ、足!構えて!
梢とはいってもあたしたち二人を支えられるような太い枝に着地、というか足から激突な衝撃。驚いたようにグリグがばさばさと別の枝に飛び移った。
空中を移動したのはわずかに数秒、ってなところだろうか。
……うん、思ったより揚力が出ないのな、これ。風も作る必要があるか。あとも少し足を高く上げて曲げて、ブレーキ用の結界も用意しておかないと。
「来たな。……次へ行くぞ」
って。ちょ、早い!
抗議する間もなく、身を翻したヴィーリは、グリグとともにさらに森の奥へ奥へと飛んでいく。
森の中、枝を潜り、枝を飛び越え、縦横2mあるかないかという空間を三次元駆動で飛び抜けるには、結界翼もこれまでのように、ただ真横へ広げた形では無理がある。
(骨。こっち)
あたしはグリグが送ってきてくれる飛び方もイメージして飛んだ。
グリグんにしてみれば、ほんのひとはばたきの動作。けれども細かく見ていこうとすると、どうしてもあたしの素の能力じゃ対応しきれない。
あたしは身体強化をした。脳はなくてもどういう理屈か、これで魔力知覚や思考能力がわずかなりとも上げられるんだよね。そしてさらにクロックアップ陣を起動。これで移動速度に対応した結界翼のコントロールがラクになるはずだ。
……なるほど、飛行速度を殺して揚力を得るのは枝寸前の一瞬だけなのか。ならずっと推進力上げに割り振らないと揚力は稼げない。そのためには翼を斜めにしないと、枝に引っかからずあたしたち二人を浮かせられるほどの揚力を翼面積で出すことはできないと。ふむ。
あたしは結界翼を改良していく。逆W型に畳んだ翼がどんどんどんどん長細く、カーブのきつい燕のそれのような形に変わっていくのは、複雑な螺旋様に飛んでいくヴィーリの軌跡を追うためだ。巨大な木々を下へ、下へと飛び移るたび、すり抜ける枝枝の間はどんどん狭くねじれ、突然180度近いターンを強いられることもあった。
何もない空間で見たらスタントマン必須なアクロバット飛行の連続だろう。それでもちゃんとランディングの合図には反応してグラミィは足を動かしてくれる。翼をどこかにひっかけようと、枝にぶつかろうと、このあたしの相棒だけは無傷で下ろす。それが最低ラインだ。
「ぎょわああああぁぁぁアアアアアアヱヱヱヱヱaaaaaaAAAAAAAAA!!!!!!!」
……その相棒が、肺活量無視の悲鳴を途切れなく上げ続けてるのはともかくとしてだ。
てかあたしが生身だったら、鼓膜がとうの昔にズッタズタになってるぞこれ。
あたしたちがようやく枝以外のものに着地したのは、そんなグラミィが半分白目を剥いたころだったろうか。
着地といっても、あたしたちが降りたのは地面ではない。石の上だ。
最初あたしはこの岩舞台が、数本の木々が同時に生長するにつれ、その間にあった巨大な岩が幹に引っかかって持ち上がったものなのかと思った。四方八方に斜めに伸びているのが結構な巨木の幹のように見えたからだ。
魔力知覚で辿れば同じ樹の、ただの枝にすぎないことなどすぐにわかる。それでも錯覚するほど巨大で雄渾な枝振りには、思わず圧倒された。
これは、すごい。
樹齢二千年、いや三千年超えてるって言われても納得するわ。
そしてあたしはもう一つ納得した。これは、いやここは、まさしく物理化した混沌録、その結節点の一つなのだと。
自力で空を飛んだりするときはさておき、あたしはふだん、魔力知覚で得ている疑似視覚も肉眼レベルに抑えている。なるべく生身の時の感覚を忘れないようにするためだ。
だが、その自主的セーフティがここではあまり役に立っていない。大気中に含まれる魔力の密度があまりにも高いせいか、じわじわと、魔力そのものを知覚するように認識方法を書き換えられていくような感覚すらある。
今のあたしには、周囲の木々は林立する巨大な光の柱にも見えている。魔力が凄まじい勢いで動いている、そのわずかな表層を知覚しているせいのだろう。おそらく光合成や蒸散のような、ありふれた生命活動と同じレベルで膨大な量の情報を高速処理している、その流れのごく一部にすぎないのだろうけれど。
周囲の木々は行ってみれば生物体でできたスパコンの部品。あたしたちはその筐体の中にいるようなものだ。
〔ボニーさん〕
木々に圧倒されていたが、グラミィの呼びかけに気がついた。
囲まれている。前後左右どころか、頭上からもだ。
〔見られてるって、これですよね〕
グラミィも気づけるようになったか。あたしたちを見ているのは樹杖たち――樹の魔物たちだけではない。その半身たる森精たちもだ。これだけ多くの森精たちに見られているというのはかなりの圧を感じる。
ヴィーリは……ああ、そういうことか。
森精たちの中に混じり、同じ目であたしたちを見ている彼の姿にあたしは納得した。
精神的には森精は群体だ。彼があたしたちの包囲網に溶け込んでいるのは、つまりここにあるのは、森と星という対立構造だけ、森の外では一人の森精であれたヴィーリも、森へ戻れば森の一部に戻らざるをえない、ということなのだろう。
〔えっと、土下座すればいいんですかこの状態?それとも五体投地?〕
……いいから、ドミヌスの森に最初に入った時を思い出せ。感謝を忘れるな。
あたしは杖を脇に置き、フードを下ろして頭蓋骨をむき出しにすると一礼をした。
さらに90度向きを変えながら、四度同じ事をする。
言ってみればここは彼らの目の中も同然。これだけ四方八方から見られているのだ、正対しようにもすべなどない。
ならば、礼儀作法という交渉規約すら、ゼロから構築しなければならない。
柏手を打った直後のような緊張感ある空気の中、四方への礼をすませると、一番魔力の流れの激しい、もうほとんどあたしには発光体にしか見えない樹を正面にとって跪く。とうに魔力知覚は生身モデルからはずれた、360度知覚できる球形に変えている。
(初めてみなさまがたにはお目にかかります。いくつかこの世では名乗りを持つわたしたちですが、この場ではボニー、グラミィとでもお呼びくださいますよう)
深々と頭蓋骨を下げると、頸骨の周りでラームスの枝が揺れた。
(互いに真名を持ち合うわたしたちのことは、みなさまの同胞、また半身たる木々を伝い、既にご存じのことも多いかと存じます。まずは、みなさまの同胞ならざるわたしたちにこの地へ踏み入りますことをお許しいただき、またこれまでこの地よりおいでになりました一枝に導きをいただきましたことに、深く感謝いたします)
ヴィーリに対する感謝の気持ちはほんとうだ。
彼から何も教えてもらわなければ、あたしはいまでも魔力の供給はグラミィに頼りっぱなしか、それとも電池切れでとうに消滅していただろう。
何よりアルボーの氾濫を止めて、土地を水没から救えたのは、間違いなくヴィーリが手を貸してくれたおかげだ。
もちろん、あたしたちがヴィーリを助けたことだってある。
魔力を過剰にため込みすぎていたペルを魔喰ライにしないよう、ヴィーリは必死に心を砕いていた。それに力を貸したのは、あたしだ。といっても魔力吸収陣なんてもんを研究していたシルウェステルさんのおかげなんだけど。
ペルの森を領地に置かせてもらえるよう、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家の人たちにお願いもした。海の中に森を作る助力もした。
たぶん、その事もこの森は情報を共有しているのだろう。360度全方位あるはずの、あたしの視界の外から静かな声がかけられた。
「双極の星よ。この地へ来た理由はいかに」
〔え、ヴィーリさんがいっしょに来いって言ったから〕
額面通りに受け取るグラミィはそれでいい。たしかに彼の言葉がなければ、あたしたちはこの森へ足を踏み入れようとは考えもしなかっただろう。
だが、誘っててくれたヴィーリの思惑はどうあれ、あたしだって彼らに訊きたいことと、言いたいことと、教えてほしいことと、協力を願いたいことがある。だからこそ彼の誘いに、渡りに船と乗ったのだ。
ならばまずは、森を構成する彼らに星の価値を認めさせなければならない。
つまりこっから先は、あたしたちの存在意義を示すためのプレゼンでもある。まずは、なるべく価値のある情報を示そう。
(わたしたちは人々がグラディウス地方と呼ぶ、この山の西にある海を通って南にあるスクトゥム地方へと赴きました。そこで木々が折られ、みなさまの同胞が殺されたことを知り、かろうじて生き延びた方とも出会い、その杖より一枝を授かりました)
同時に心話で伝えるのは、樹の魔物たちの姿だ。港湾都市アエスの聖堂付近に根づいたもの、浮森となってロリカ内海を浮遊するもの。そしてドミヌスの森の様子。
ラームスたちのネットワークは、人間の情報通信技術の発達段階がいまだに狼煙レベルなこの世界においては、たぶん最速なんだろう。だが弱点がないわけじゃない。
一つは、彼ら樹の魔物たちの植生に左右される、ローカルなものであること。
この同朋満ちる地やドミヌスの森ぐらい密生していれば、それこそ一つの人体内部レベルかそれ以上の密度で、情報は収集伝達蓄積される。けれどもそれはあくまでも彼らが群生している場所の内部のみで行われることだ。
つまり樹の魔物たちどうしのやりとりが可能な圏外を出てしまうと、途端に得られる情報は質量ともに悪化し、とんでもなくタイムラグが大きくなる。
もう一つは、量子以前の情報通信技術の壁を、彼らもまた破ることはできないでいること。限りなくリアルタイムに近い情報処理を行っているように見えても、彼らにとっても距離と時間は大きな壁だ。
そして、あたしの見る限りでは、森精たちも樹の魔物たちも、最低限情報共有に必要な事項を確認すると、まずは今現在の情報をやりとりすることから始める。ネットワークを接続する時、端末やサーバが通信規格のやりとりから始めるようなものか。
過去の蓄積情報の伝達が二の次になるのは、もちろん効率を考えれば正しいことなのだろう。
だがそれは、彼らが根づいてから集積している情報にも、地域や時間によって密度の濃淡、ところによっては空白があるということでもある。
なら、ラームスからヴィーリ経由でこの森に伝わっていると思われる情報の中でも薄いのは、あたしたちがランシアインペトゥルス王国を離れていた間、つまりグラディウス地方とランシア地方での情報だろう。
ついでに言うなら、あたしの思考はあたしのもの。あたしが収集した情報がどれだけラームス経由で森精たちに伝わっていようと、あたしが収集した情報から何を読み解き、皇帝サマ御一行たちの行動理由をどう推測し、何を予測しているかは伝わってはいないはずだ。
だがまずは。
(スクトゥムより拉致され、ランシアインペトゥルス王国と人々が呼ぶ地へ辿り着いたみなさまの同胞からも、一枝を預かっております)
あたしがローブをはだけ、二本の枝を右側の肋骨の中から出して見せると、森精たちの間を稲妻の網かのように心話が飛び交い、光の柱がオーロラをまとった。
そう、ペルの枝を託したら、ドミヌスからも何本か枝を託し返されたんだよね。
もちろんベーブラに戻ってからは、こんなの預かってきたよーと森になってしまったペルと、ヴィーリにも渡した。
だけど、ヴィーリってば、あたしとグラミィにも預かれとドミヌスの枝を一本ずつよこしたのだ。
いや、ぶっちゃけあたしたちはただのメッセンジャーのつもりだったんだけど。そもそも森精じゃないのに持ってていいのかなあってなもんですよ。
しかもペルにも相談したら、じゃあついでにと彼からも枝を一本ずつ渡されたというね。
まじで頭蓋骨抱えましたとも。いろんな意味で。
そしたらお仲間の窮状を見かねたのか、その枝たちをラームスが寄生木状に抱え込んでくれたのだ。
おかげで持ち歩きだけはしやすくなりましたが、そのぶんラームスへの負担が増している気がしてしかたがないんですよこの現状。
(この地よりわたしたちと共に歩む方からも、わたしたちは枝をお預かりしております)
頭蓋骨を取り巻くラームスの枝葉を透かして、あたしは真横にいるグラミィに知覚をわずかに強く向けた。
ゆったりした袖に隠れてはいるが、彼女の腕にも枝で編み上げた籠手のようなものがはまっている。
あたしがラームスをヴィーリから預かったときに、いっしょにもらったヴィーリの樹杖の枝の片割れだ。そこに差し込まれたように、ドミヌスとペルの枝が絡まっているのも御同様。
だがラームスとグラミィが持つ枝との大きな違いは、あたしがラームスを痛めつけてきたことだ。
(かの枝が葉や根を、わたしはグラディウス地方で、またスクトゥム帝国で折り取りました。一本は海森の主にもお渡しをし、また地に根づけと撒いてまいりました。ですがこの枝には多大な負担となっているのではないかと推察いたしております。星詠みの方々にお願いいたします。いずれの枝枝にも、正しく根づく地をお与えくださいますように)
樹杖は半身たる森精がいれば水も魔力も供給される。だから大地に根づけずとも、健やかに成長するのだという。
そりゃもちろん、水や魔力ならばあたしも供給できる。けれども、あたしの骨格に絡みついていては、ラームスは陽光を浴びることはできない。
おまけに今のラームスはいじけたような細かい根っこや枝をわしゃわしゃと伸ばしている。変装の都合もあって、伸びた枝や気根をちょんちょんと摘んでは、各地に撒き散らしてきたせいで、太い枝や根はほとんどない。これがすっくりと伸びたヴィーリの樹杖の一部だったなんて、たぶん外見では判別できないくらいだろう。
……正直なことを言うならば、ラームスの高い情報処理能力と混沌録端末としての能力にはとことん頼りっぱなしだ。だからわかった、この森にラームスを置いてけと言われたら、あたしは相当困るだろう。
けれどもこのまま衰弱して枯死されるよりは、はるかにましだ。
そう密かに考えていると、吐き捨てるような声が響いた。
「そのような禍々しいものと間近く接していては、弱って当然。我らが森より分かたれし枝、我らが同胞より預けられし小枝になんという所業か」
……ああ、隠していてもやっぱりわかっちゃうか。
あたしはローブをさらにはだけた。右だけでなく左の胸骨も露わにすると、横目で見ていたグラミィが息を呑んだ気配がした。
〔……ボニーさん、それ心臓の模型?ですか?〕
んなわきゃない。
あたしが露わにしたのは、左胸骨の中。数本の紐で揺れないように吊してあるのは、ひとの握り拳ほどの石球だ。
(これのことにございましょうか。これは言わばわたしの罪の証。あまり余人に見せるべきものでもないゆえ、このように隠して身につけざるをえないのですが……)
それがラームスを弱らせるというのは、ちょっと、いやかなり考え物だよな。どうしたものか。
だがさっきの声はあたしの甘さを切り裂くように告げた。
「海を望む南の地にあった惨劇を我らが知らぬと思うてか」
「我らは同胞に害をもたらすものを許しはしない」
「落ちし星に死を」
「枝枝にやすらぎの地を」
うわ。
いや確かにここはスクトゥム帝国の直近地ではある。ヴィーリ経由以外でもスクトゥム帝国内の情報を彼らが入手していた可能性は考えておくべきだったか。
「待ってください!あたしたちが、何をしたと?」
あせったグラミィが叫んだが、森精の声はどこまでも冷ややかだった。
「そなたらは確かに何もしていないのかもしれぬ」
「だが、我らが同胞を殺害したのは、そなたらこの世の人ならぬ者、落ちし星だ」
「な……!」
絶句したグラミィが、思わずというように後ずさった。彼らの声から掛け値なしの殺意を感じ取ったのだろう。
……そういや、そうだった。
森精たちの自我は幻惑狐にも似ている。彼らは精神的群体であり、そのため人間も個体というより集団で識別する傾向にある。
それでも、かろうじて、あたしたち落ちし星たちは、その保有魔力の多さゆえか個体識別をしてもらえているらしい。そう思っていた。
けれども彼らにとっては、それは落ちし星というカテゴリが人間や森精と違う、というだけだったのかもしれない。落ちし星だからと、あたしやグラミィが『運営』といっしょくたに見えているのは、個体より集団や種族、分類の枠組みで捉える森精たちの認知スキームの問題なのだろうか。
森精という種そのものに対し、スクトゥム帝国が、そしておそらくは『運営』が、虐殺としかいえない所業をしでかしていることを考えれば、無理もないことなのかもしれない。が。
このままあたしたちだって、彼らの気が済むように処されにゃならん義理はない。
あたしはグラミィの肩をぽんと叩くと、彼女の前に進み出た。
選手交代といこうじゃないの。
存在していることそのものが悪とされること、あるいは自分がどうしようもなく生来的に所属している人種、性別、その他のカテゴリーにあるというだけでレッテルを貼られ、害意を向けられるのはたしかにキツイ。
だけど身をすくませていれば過ぎ去る嵐などない。そのことをあたしは知っている。
ついでにいうなら、悪意も害意も敵意も確かに恐い。だがそれより恐い殺意すら凌駕するものがある。
ただの作業、無意識の習慣動作の結果、もたらされる死だ。
不快に思われるだけのこの状態で居すくんでるだけなら、あたしたちはこのまま森精たちに、ただの排除作業で消されかねない。
ええ、ラームスにくっついた有害ゴミ扱いで勝手に撤去なぞされてたまるもんですかい。
(なるほど、みなさまは、わたしたち落ちし星を殺そうと、最初からお考えだったと?森の中は人の領域ならず。ましてや我らが星など、滅するもたやすいと)
「そなたらは夢にも考えなんだろうがな」
(いいえ、そういうこともあろうかとは思っておりましたとも。ですがそれでもわたしたちは、導き手の誘いを受けてここまでやって参りました)
「なに」
意外そうな色が森精の声に混じったが、悪いがあたしゃ最初からヴィーリだって無条件に全面的な味方だなんて考えちゃいない。それは互いにある程度信頼関係ができたであろう今でさえそうだ。
猜疑心の塊だと言わば言え。だがそれは彼は森精であたしたちは星、ただその立場の違いをわきまえているだけのこと。
全幅の信頼という言葉は美しいが、一から十までこっちの思い通り、相手が都合のいいように動いてくれるなんて思い込んだら最後、多分あたしは星屑どもと同じ轍を踏むことになる。この世界は思い通りに動く書割だなんて、絶対に思っちゃいけないのだ。
(そもそもわたしたちを含め、落ちし星たちはこのランシアの、いやテールム全体の異物でしょう。なれば星を詠み、この世界を守ろうとする方々に警戒されるも当然、排除をお考えになられてもいたしかたないと存じております)
あたしは知っている。たとえあたし自身は何もしなくても、あるいは意思による行動の結果ではなくても、ただの事故にすぎなくても、今、ここにいること自体が害と見なされ、邪魔にされ、排除されるべきとされることを。
それが異物と認識されるということだ。
それを彼らの中枢といってもいい、こんな森の内奥にその異物をヴィーリは導いた。たとえ最初から落ちし星への敵意がなかろうと、異物だってだけで拒絶反応が起こって当然だろう。
けれども、ヴィーリは必要だと判断したからあたしたちを伴った。あたしたちも自分に利があると思ったから伴われた。同胞から決別して100%こっちの味方になってくれることはありえなくても、それなりにあたしたちへ便宜を図ってくれようとした、そのヴィーリの評価と好意にはそれだけのものを返そうじゃないの。
だけどそのためには、いやそれだからこそ、あたしは彼らに物申したい。
あたしたちだって、それなりの自衛意識もある、害されたなら不快と感じる。ただ排除される気はないのですよ。
(預かりました枝がスクトゥム帝国にて、わたしに彼の同胞の砕かれた記憶を見せてくれました。ゆえに殺され、折られ、暴かれ、砕かれたのはわたし自身でもあります。我がことである以上、それをなした人間への怒り、恨み、憎しみはこの骨にも刻まれております。みなさまが人や落ちし星を憎むと同じほどに)
あれはあくまで混沌録のほんの一部を見せてもらっただけにすぎない。
記憶のフル共有とかしたら、たぶんあたしの自我がはじけ飛ぶ。そのまま消滅したかもしんない。
並みの個人用PCを量子コンピュータと同期させて同じ処理をさせたらハードが熱暴走するか、それとも不安定になったOSが吹っ飛ぶか、そんな感じだろう。
それでも、あの時感じた人間への憎悪は今もあたしの中にもある。
(ですがその原因の一部はみなさまにもある。それをお忘れにはなりませぬよう)
「……居直るつもりか?異物ごときが」
しんと空気が冷たくなった。膨大な魔力が放出されたことによる錯覚とも思えないほどに。
だけど本当のことしかあたしは言っていない。
(みなさまは、流行病のおそれを星に感じたことはございませんか?)
闇森の内部描写中に、なぜか鬱蒼とした森の中なはずなのに超巨大コンピューターの心臓部をイメージしていました。(間違いではない)




