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復命(その1)

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 それから二日ほどは夜になると湿地に出かけていって、あたしはコールナーとお喋りをした。

 たっぷりのブラッシングと会話で機嫌の直ったコールナーは、どうやらグラミィにも気を許してくれたらしい。二人まとめて夜のお散歩ついでに乗せてもらったりもした。

 ほんとは彼の根城となっているマレアキュリス廃砦にもまた行ってみたかったのだが、王都へ向かう都合上時間切れである。

 霧に浮かぶ崩れたモンサンミシェルみたいな絶景は、そこへ行かないと見られるものじゃない。グラミィも残念がっていたらコールナーがまた来いとあっさり誘ってくれた。

 魔物が自分の巣へ来ないかと誘うなど、たぶん破格のことだろう。


(ありがとう、コールナー。でもわたしもグラミィも、そなたの城へ行けるかどうかもわからない)

(わからないなどと言うな。来い)


 はみ、とコールナーはあたしの手の骨をはんだ。唇だけのほんの甘噛みだ。

 お返しに白銀に輝く、丸みを帯びた枝角を撫で、その付け根を掻いてやると、コールナーは気持ちよさそうにあたしのローブに顔をこすりつけてきた。いや、あたしまで気持ちがいい。

 コールナーとの心話は可聴範囲が広いせいもあって、気持ちいいとか嬉しいといった、感覚や感情が伝わりあうことでさらに増幅する。

 まるで水面に生じた波紋同士が干渉し合うように、それぞれの自我を保ちながらも互いの波に揺らされていくような気分になる。

 もちろんそれだけじゃない。

 無防備なまでに甘えてくれるのも、無造作に好意を差し出されるのも、とても嬉しいことではある。のだが。 

 

(わたしはまた行かねばならない。そしていつまたこのあたりに来ることができるのかも、わたしの思うようにはならない。必ずなどと確約はできないよ)

(つまらん)

 

 コールナーは鼻を鳴らした。 

 

(おまえもつまらないだろう。妨げるものなどすべて壊してしまえばよいのに)

 

 ……こういうところが、やはり彼も人間とは違う思考形態の持ち主なのだなと思う。

 この世界の魔物は――サル系魔物の末裔である、この世界の人間を除いてだが――とてもシンプルな考え方をしているように思われる。

 馬たちのように、未来を思い煩わないということもそうだ。頭はいいので予測ができないわけじゃないけれど、そこはそれ、その時になるまで悩むことはない。

 自分の思うがままに生きているというのも彼らの特色だろう。妨害するものはすべて敵とみなし、自分の力ではねのけるという強い意思があるからなのだろうが。

 

(コールナーは、自分の根城の石が邪魔だからといって、根城全体を壊そうと思うのかな?)

(いや)

(わたしもそうだよ)


 シルウェステルさんの名前を騙ってあたしが得た今の立場には、枷が多く含みこまれている。それは確かに煩わしい。逃げだすことを考えたこともあった。

 けれども、今それをすべてすぐさま捨てられるか、捨て去りたいかというとそうじゃない。自ら選んで、あえて負っているものすらあるのは、それなりのメリットがあるからだ。


(……しかたがない。またおまえが来るのを待っていてやろう。だから、必ず会いに来い)

(ありがとう。わたしの意思を尊重してくれる、優しくて美しいコールナーが大好きだよ)

(ふん)


 (たてがみ)を撫でると、コールナーは鼻腔を赤らめて菫青石の瞳をそらした。

 

 一方コールナーと舌戦を繰り広げていた……というか、ひたすらシルウェステルさん(あたし)への愛を語り倒していたアーセノウスさんはというと、なんだかコールナーにうざがられていた。

 人が、魔物から、敵意とか殺意といった負の感情を向けられることはあるのだが……。

 負の感情であっても、それが厭気とか倦厭ってのは、ある意味すごいことかもしんない。

 

 事の発端はたぶん、あたしが最初の夜に、コールナーと一晩語り明かすことにしたことだったんだろう。

 アーセノウスさんは立場も地位も身分もある。だから安全なところへとっとと戻ってもらわないとってんで、グラミィに頼んで、先におつきのクラウスさんもいるアルボーへと、アロイスといっしょに送ってってもらったのだが。

 いやあ、翌朝のアーセノウスさんの落ち込みようといったらなかったねー。グラミィが骨のあたしの方がよっぽど生き生きして見えますなんて言うくらいだもん。よっぽどあたしがコールナーを優先したように感じたんだろうか。

 いや、コールナーと話すのは確かに楽しいですよそりゃ。だけどそれは馬たちと話しているのと同じくらい、魔物たちから感じる感情や利害関係には裏表がないからなんです。

 おまけにコールナーは、ある意味あたしと対等だ。

 これまで会った魔物たちの中でも、グリグんや幻惑狐(アパトウルペース)たちみたいに、あたしを上位の存在として認識しているからこそ甘えかかってきてたり服従したりしてるわけじゃない。ただシンプルに好意を寄せてくれる。

 そんなコールナーのそばにいることは、シルウェステルさんを騙り続けているあたしにとっては、自ら望んだとはいえ枷ありまくりの立場を放り投げてあたしでいられる、とても安らげる時間を過ごせることでもあるというだけでして。

 あとアーセノウスさんより会えるチャンスが少ないってこともあるけど。

 

 なのに、それをどう解釈したのか、アーセノウスさんってば次の夜まで待たずに湿地に渡り、コールナーにずーっとシルウェステルさん(あたし)のことを語って聞かせてたみたいだ。あの兄馬鹿目線で。

 ……それを夜に聞いた時には、コールナーに思わずごめんと謝罪しちゃったよあたしは。

 てか姿が見えないなーと思ってたら、魔術学院生の実習引率て仕事をほっぽり出して、いったいなにやってんですかアーセノウスさん。代わりに学院生の実践を見てくれって、あたしがコッシニアさんたち中級導師のみなさんに引っ張り出されて指導する羽目になっちゃったんですよ。

 そのついでに、防塁を築くなら最適ってアロイスに言われた旧領主館敷地の断崖のきわに、トーチカかってブツを作っちゃいましたけどね。


 それでも、その甲斐あって……と言っていいのかどうかは悩むところだが、最初の攻撃的な様子とは見違えるほど、アーセノウスさんとコールナーの関係が落ち着いていたのは確かだった。

 言葉のやりとりも口喧嘩レベルですんでいる。なお内容はシルウェステルさん(あたし)のことが9割な模様。

 ま、まあ、魔物とお気楽に口喧嘩できる人間ってのはなかなかいないよねー……。

 さみしがり屋な上に、一角獣のくせに人の良いコールナーってば、なんだかんだいいながらアーセノウスさんをあたし関連で絡んでくる喧嘩友達的な感じで受け入れてくれたようだ。

 

 そんなこんなでばたばたとした別れをすませ、あたしたちはベーブラ港へと発った。

 なお、星屑(異世界人の人格)たちを搭載されていた船乗りさんたちとは、アルボーでお別れです。さすがに王都にまで、まだ身体に施された魔術陣すべての解析も解除も済んでない状態の、大勢の元ガワの人を連れて行くのは危険だろうという判断によるものだ。


 グラディウスファーリーのクルタス王との約定もある。

 船乗りさん達への事情聴取はもうすませてもらってはいるが、彼らに施された魔術陣については、グラディウスファーリーでも解析を進めたいという気持ちはわからなくもないし、むしろ解析どころか対策を立ててくれた方がありがたい。

 どうやらむこうの王宮魔術師のみなさんも、そこそこ優秀だったようで、解放陣の解析をなんとかすませてくれたというし。それなら危険物は分散管理が基本でしょうよ。

 そのへんを丸投げしたアロイスは、次にマルドゥスへ送る船の水夫として彼らを送り出すと言っていた。

 アルボーからグラディウスファーリーのカリュプスまでの海上ルートは、彼らにとっては整備された街道のようなものだろうけれど、ぜひとも気をつけていただきたいものだ。

 ……アロイスはアロイスで、たぶん彼らを目眩ましに、諜報系騎士というかマルドゥスの部下あたりを送りこむことなぞを考えてるみたいだけど。

 

 ちなみに魔術学院生を引率してきてるアーセノウスさんは、当初の予定が終わるまではアルボーからは動けないとのことだった。

 コールナーにこっそり会いに行ってたりしたので自業自得っぽいところはあるのだが、しょうがないから手助けしてあげましたよ。

 終わり次第急いで王都に戻るからな!と言ってくれたのは、政治的な駆け引きなんてもんはさっぱりなあたしにとってはありがたいことでもあったので。


 アロイスからは王都へ向かうならアルボーからピノース河を遡り、スピカ村を経由すればいいのにとも言われたが、あたしたちはベーブラを回ることを選択した。

 出発の時にもお世話になったボヌスヴェルトゥム辺境伯家に挨拶をするだけじゃない。ロブル河口で森となっているペルと、ベーブラ港に留まっているヴィーリと合流するためでもある。

 ペルには一部だけでも里帰りできたよーと海森の主(ドミヌス)と会い、ペルの枝を託したことを報告すると、うっすらと安堵と喜びの感情が伝わってきた。

 二人にもドミヌスから預かってきた枝を渡したので、その感情には伝えたというか、伝わってしまった満身創痍のドミヌスと、アエスで樹杖たちに見せられた森精の虐殺に対する苦痛と悲憤も入り混じってしまっていたけれども。


 そしてようやくピノース河を遡り、辿り着いた王都であたしたちを待ち構えていたのは、任務失敗を報告する場だった。


 糾問使という王命を受けた者の復命である以上、それなりの格式のある場での謁見になるはずだったが、そうはならなかった。

 おそらくは王サマ、そして王族の持つ武力をとりまとめるクウィントゥス殿下の計らいによるところが大きいのだろう。

 あとはベーブラで再会したヴィーリがあたしから離れなかったこともある。

 とはいえ、多少人目を避けるような場が選ばれたからといって任務の重要度が下がるわけではないので、迎えてくれたのは王サマ以下王族の皆様方に、二公爵というめっちゃ豪華な顔ぶれである。

 ま、糾問使の人員選出に関わった各勢力のトップが勢揃いなのは当然だろう。

 間接的に報告が上げられたら、まず確実に情報が歪むだろうしね。各勢力の政治的思惑と独自の解釈ってやつで。


「ここにシルウェステル・ランシピウス、クランク・フルグルビペンニス、スクトゥム帝国よりの帰還を報告申し上げます」


 口火を切ったのはクランクさんだ。最初から報告はクランクさんメインで行うことに決めておいた。

 魔術師の礼をとったままの全員を王サマがじっくりと見回していたが、マヌスくんのところでその視線がわずかに留まる。それをあたしは頭蓋骨を垂れたまま知覚していた。

 そうか、マヌスくんの存在も王サマがこっそり情報封鎖をかけてる理由の一つか。


「王命により糾問は果たしませども口舌の益なく、手を虚しくして帰国の途に就かざるをえませなんだことは、(ひとえ)に我らが力不足によるもの。またかような事態の根源であるスクトゥム帝国の情況を事前に見抜けえませんでしたこと、我ら己が身の不明を恥じ入るばかりにございます」


 エミサリウスさんが報告書を差し出すと、侍従が受け取り、王サマのもとへと運んでいく。だが王サマは手を伸ばそうともしないで、抑揚のない声を出した。


「失敗であったというならば、その責を誰が取り、どのように償う気か」

「『陛下、すべての責は我身に』とシルウェステル・ランシピウスが申しております」


 即座に答えたグラミィの声に、王サマたちの視線があたしに降り注いだ。


 これは既定路線だ。正使になった以上は、責任取るのも覚悟の上。

 そもそもスクトゥム帝国への糾問を言い出したのは王サマだった。糾問というと言葉は強いが、今にして思えば、王サマとしては当初抗議によって外交的に物事を解決しようと目論んでいたんじゃないかなーと思われるフシがある。

 つまり王サマ的には、戦争は見せ札としてちらつかせるくらいの心づもりでいたのかもしんない。

 だけど、糾問使を送ることで戦争の起きる可能性を見てしまったあたしが大暴れしたせいもあってか、王サマはスクトゥム帝国の皇帝サマたちの存在について、あたしたちに開示してきた。

 そこで自分が糾問使になると言い張って、その実態を威力偵察に変えたのはあたしだ。皇帝サマたちの存在を知って、外交努力じゃどうにもならんだろうと思ったからだけじゃない。スクトゥム帝国内の実情を実際に自分の目で確かめたいと思ったからだ。眼球ないけど。


 ……正直、あたしの読みが甘かったのは認めざるを得ない。

 スクトゥム帝国へ糾問の話が持ち上がったときは、なんとかスクトゥム帝国のトップをへこませて謝罪や譲歩を引き出せれば、すでにランシアインペトゥルス王国が喧嘩を売られた形になってはいたものの、うまく戦へ向かうことは避けられると思っていた。


 だけど、もうそういう段階は通り越している。

 あたしたちが報告を出せば、この国が労働力モブや書割扱いされていることが国の上層部に伝わり、彼らが憤激すればもう戦を止めることはほとんどできなくなるだろう。

 そのことをわかっていて、あたしはエミサリウスさんに報告書の作成を依頼した。

 戦が避けられないのであれば、犠牲者の数をできるだけ減らす。それしかあたしにできることはない。


「『陛下の信に応うること、非才の身にあたわざるとわきまえませなんだはおのが罪。今後スクトゥム帝国との外交の場に立つことは二度といたしますまい』」

「ではどうする」

「『陛下より賜りました達人(ドクトゥス)の位も、『骸の魔術師(スケレトス・マギウス)』なる称号も、外套も、すべて返上いたします。これよりはいくさごとなりとなんなりと、スクトゥム帝国の内情を探る陛下の手の一つとしてこの身をお使いくださいますよう』」


 あたしは深々と頭蓋骨を下げた。

 そもそも、心話でも使わなければ直接会話もできない骨じゃあ、交渉ごとなんてできるわけもない。ぶっちゃけ称号とかもあたしにゃいらん。むしろ枷の一部でしかない。

 そりゃあ愛しのマイボディ、シルウェステルさんにとっては称号とかも名誉ではあるのだろうけれども、剥奪とかされたら、さらに体面に傷がつく。ならばここは自主的に返上したという形にした方がいいだろうという損切りの計算もある。


「シルウェステル・ランシピウス」

「『は』」

「そなたは戦にはしたくない。だから糾問使として行かせてくれ。そう主張していたと思ったが」

「『いかにもさようにございます。なれど、己が身に沁みて思い知りましてございます。彼の国に交渉は効きますまい』」

「なに」

「『スクトゥム帝国は、星とともに歩む方々(森精)数多(あまた)殺しておりました』」

 

 グラミィの言葉には、二公爵どころか王サマすら息を呑んだ。その反応も当然だ。

 半分神話の中の存在といっていい森精を殺すなど、国としては自殺行為にも等しいことだからだ。

 確かに、森精の存在は王権の正統性を主張するものという要素だけ抽出すれば、森精たちがその身を狙われる危険性ってのはないわけではないように見える。うっかり王が接触を持った森精が殺されてしまえば、その王統は森精の加護を失ったという主張ができてしまうわけだし。

 けれども、森精は王権の正統性を担保するだけの存在ではない。土地に豊饒をもたらす存在でもある。

 つまり、この世界の常識を持ち合わせた人間には森精をどうこうしようだなんて考えは浮かばないはずなんだよね。

 スクトゥム帝国の皇帝サマご一同のように、この世界の常識を知らない星屑たちでもない限り。


「証拠はあるのか」

「『かろうじて虐殺より生き延びられました星詠みの旅人(森精)のお一方に知己を得ることがかないました。またわたくしはこのような身となり果てましてからは、人ならぬモノと多少なりとも意を通じることができるようになりましたゆえ』」


 グラミィが言うと、抑えきれないざわめきが起きた。さらりと動物や魔物と喋れるよーと伝えたからだろう。

 信じられないだろうが、あたしがグリグんを初見で従えたってカシアスのおっちゃんたちの報告を思い返せば、嘘とも言い切れない、てなところだろうか。


「『人ならぬモノの中には、彼らが見た虐殺の情景を見せてくれるモノもございました』」


 嘘じゃありません。はい。


「シルウェステル」

「『は』」

「その、人ならぬモノより情景を見せられたというのはそなただけなのか」

「『御意』」

「話にならんな」

 

 一蹴したのはトニトゥルスランシア魔術公爵のレントゥスさんだ。

 ヴィーリが無表情ながらもわずかに身動きをしたのは、そのレントゥスさんの反応に驚いたからだろう。

 あたし的にはトニトゥルスランシア魔術公爵さまってのは、ずいぶんと慎重居士なんだなーという感想しか出ないんだけどね。

 それがあたしを否定したいだけなのか、それともなんか政治的思惑あってのことかは知らんけど。


 なお、森精には嘘というものがあまりない。心話で嘘はつけない、というか嘘だということが相手に筒抜けになってしまうので、あまり嘘をつくメリットというものがないのだ。このへんは彼らが手懐けている魔物たちに嘘の概念がないのと似ているだろう。

 そのせいもあってか、星詠みの信頼という言い回しがこの世界にはあるくらいだ。

 でもあたしがいることで、レントゥスさんにとっちゃ、この場は森精であるヴィーリの言葉がそのまま通る場ではなくなってしまっているようだ。

 おそらくはいつもの、虚偽に塗れた政治的な駆け引きの場の続きにしか見えていないのだろう。

 そうでなくとも人間同士だと客観的な証拠が見えないと信じてもらえないんだよね。

 ほんとのことしか言ってないんだけどなー。

 しょうがない。

 

「『見せよとおっしゃるのでしたら、できなくもありませんが……』」

「やれるというなら、やってみせるがいい」

「『では』」


 あたしは合図を送った。それに応えてひょこっとあたしのふところから頭を出したのはカロルとフームスだ。アルガやグラミィたちの懐からも、預けていた幻惑狐たちがひょこひょこと飛び出てきた。

 アルボーでコールナーと話をしたとき、幻惑狐の群れがアルボー外れの対岸あたりにもいると教えてもらった。そこであたしはカロルたちを連れて河を遡り、群れを見つけると交渉によって五匹を低湿地から連れ出すことに成功したのだった。

 残りたいと希望したスキンティッラを群れに預けることにはなったけれども、おかげで現在あたしたち一行は史上最高のモフモフ度です。

 

「なんだ、こ……!」

 

 ゆらりと尻尾を振ったカロルたちに警戒したのも一瞬。

 レントゥスさんは後ずさった。最上座を占めていた王サマすら立ち上がった。

 以前に見せたことのあるトルクプッパさん以外の糾問使組も、息を呑んで杖を握りしめた。

 それでも全員が口の中で悲鳴を噛み殺したのはさすがだ。


 事前にあたしはヴィーリと話し合っていた。その中で、同胞である海森の主の姿だけなら王サマたちに見せてもいいと許可を得てある。

 そう、王サマたちに見てもらったのは、あたしが幻惑狐たちに心話で伝えたドミヌスの姿だったのだ。


 ラームスの助けを借りて超高精細度でモデリングした彼の外見データは、この場に突然もう一人の森精が転移でもして現れたような衝撃を皆さんに与えたのだろう。

 加えて、ドミヌスは満身創痍という言葉を具現化したような重傷を全身に負っている。

 この世界はさほど平和じゃない。ランシアインペトゥルス王国でもわずか十年ほど前に隣国ジュラニツハスタとのいくさがあったのだ、四肢を欠損するような大怪我をした兵を、彼ら王侯貴族が見たことがないわけがない。

 けれども、無惨なドミヌスの姿は彼個人の受けた傷のひどさに留まらず、森精という集団、あるいは種全体に受けた被害のひどさをまざまざと見せつけるものでもあったのだろう。


「シルウェステル。さきほどのあれは、そなたが見せたのか?」

「『わたくしがしむけたという意味ではさようにございます。なれど、これはわたくしの魔術ではございません』」

「でしょうな、これは幻術ではありませぬ」


 魔術士団長のマクシムスさんの言葉には、レントゥスさんも外務卿テルティウス殿下も頷いた。


 この世界の魔術については、この王都ディラミナムの、そしてスクトゥム帝国の学術都市リトスの魔術学院でさんざん調べたことだ。

 そこで知ったのだが、あたしがイメージしていたほど幻術というのは使い勝手のいいものではなく、どっちかというと蜃気楼のような、曖昧な幻を作り出すもののようだった。

 しかも、視覚的なものしかできないというね。

 幻惑狐たちのように、視覚だけでなく聴覚や嗅覚まで化かすのって、すんごい難易度が高いのだ。


「『わたくしの拝見した星詠みの旅人の姿を、彼ら人ならぬモノの力でご覧にいれたのでございます』」

「では、さらに人ならぬモノが見せた情景を見せよといったら見せてくれるのかな」


 緑琥珀の目を光らせてクラールスさんが尋ねた。

 猛獣公とあだ名されるフランマランシア公爵ですもの、巨大山猫(フェリデリンクス)のヴェリアスちゃんを手懐けた自分なら、幻惑狐たちも手懐けて、同じ事ができるかもしれないという発想に辿り着いたんだろうなーとは想像がつく。

 でも、心話が通じなきゃ幻惑狐たちって相手してくれないと思いますよたぶん。

 何匹も飼えば向こうが化かしてくれるだろうから、言葉はある程度通じるようになるとは思うけどね。

 だけど、それではクラールスさんの望みは叶わない。

 クラールスさん本人はわかっちゃいないだろうけど、彼が言っているのは幻惑狐たちに化かされたいって意味じゃない。森精の樹杖たち、混沌録に触れてみたいということと同義なんですよ。

 ヴィーリにも止められていることだ。


「『伺いますが、謁見の間に立錐の余地なく人が居並んでいたとします。その者らが一斉にくちぐちにしゃべりだし、もしくはあたう限りの大声を出したとしたら、フランマランシア公爵閣下は聞き分けられますか?』」

「無理だな」

「『ではおやめになった方がよろしいかと存じます』」

「なぜだ」

「『運が悪ければ、おのれを押し流されましょう」

「気を失うのか」

 

 それならまだいい。気絶するというのは、混沌録の膨大な情報量に反応しきれずに脳がシャットダウンしてくれるということだからだ。


「『そのまま御身に心が戻ってこれなくなりましょう、という意味にございます』」

  

 ええ、混沌録って接触したが最後、聴覚だけじゃなくて五感のすべてに膨大な量の情報が『押し込まれる』からねえ。

 あたしだってラームスたちの助けがなければ、下手したら消滅するか魔喰ライになるか知れたもんじゃない。生身のある人間なら廃人になるレベル。

 ぶっちゃけ混沌録に無防備につっこむとか、精神的にはクトゥルフっぽいサムシングの前に対策ゼロで立つようなもんなんですよ。ただの人間に耐えられるわけがない。

……あたしやヴィーリが一度フィルタリングというか、混沌録の中から厳選した情報だけを幻惑狐たちに伝えてもらうということも考えたのだが、下手すると今度は彼らまでひっくり返ってしまいかねんからなあ。


「だがシルウェステル。そなたは己を保っていられたのだろう?」


 王サマにそう訊かれて、あたしは慎重に答えた。

 

「『できるできないではないのです。やらねばならぬ、それゆえに成したことにございます。……わたくしはみたび彼らの記憶を垣間見る機会を与えられましたが、そのたびにこのような身すら儚くなるかと危ぶみました。気を強く持ち己が己であることを守り切れねば、この身とて彼らの記憶の一部となり果てておりましたかと』」

「一部になる?」

「『情景と申し上げましたが、おのが事として身に刻み込まれると申し上げた方が正しいでしょう。わたくしもかの星とともに歩む方々の陥穽に囚われ死に至るまでに受けた傷の痛み、断末魔の苦しみを舐めました。方々の恨みつらみ憎しみにも巻き込まれ、あのまま染め上げられてでもおりましたならば、周囲にいた者みなすべてを我が敵と見て殺し尽くさんとしていたことでございましょう』」


 いや、ほんとにあれは危険だった。

 ラームスがストッパーになってくれ、グラミィが人間としてのあたしに呼びかけ続けてくれなければ、どうなっていたか。


「『されどそれゆえに、報告書にも書きましたとおり、アエスでは我らを捕らえ傀儡となさんとする企みにいち早く気づくことがかないました。さなくばふたたびランシアの地を踏むどころか、アエスより船もろとも逐電することも、先ほど姿をお見せいたしました星とともに歩む方とも会うことは叶いませんでしたでしょう』」


 グラミィの言葉に皆さんがしんと押し黙ったのは、あたしたち糾問使組がどんだけ苛酷な任務を果たしてきたのか、その一端をようやく理解したからだろう。

 その沈黙を破ったのは、王サマだった。

 

「シルウェステル・ランシピウスらの失敗は不問とする。授けた位階や称号などの返上には及ばぬ」

「『陛下のご寛恕に心より深謝申し上げます』」


 ……ち、そう簡単には身軽にゃなれないか。

 ま、ここまではただ帰ってきましたという報告にしかなってない。

 こっから先はもっと実のある話をしようじゃないの。

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