深夜の湿原
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「い、いつか、シルウェステル師と同じ事をできるようになってみせます!」
一仕事を終えて戻ってきたところで、お手本を見せろと要求してきたストゥルトゥスというお子さまに感想を聞いてみたら、こう力強く断言してくれましたよ。
涙目で震え声だったけど。
「『ストゥルトゥスどのの精進を楽しみにしております。同じ事などとおっしゃらず、ぜひわたしを超えていただきたい。このような、若人の見本にもならぬようなことしかできぬ、ふがいなき導師のことなど、お気に懸けなさいますな』とおっしゃっておられます」
意訳:そうかーがんばれー(温い目)。
アロイスどころか、アーノセノウスさんやコッシニアさんまで肩を震わせてたが、かまうもんかい。
いたいけなお子さまの失言だと年齢にかこつけて大目に見る気もないですし。魔術辺境伯家の血筋に甘えて生意気言わせっぱなしになんかさせませんとも。
学院生には、おばかなお子さまよりもちみっちゃいパルだっている。アーノセノウスさんちではないが、魔術伯の子だっているそうなんですもん。彼だけ特別扱いする気になんてなるわけがない。
旧領主館周辺をお散歩した時に聞いた話だが、とっくにアーノセノウスさんは言葉と魔術で彼をフルボッコにしていたらしい。
熱心な者には他の学院生よりも近い位置で術式をご覧に入れよう、ってんで、彼を目印代わりに立たせておいて、アーノセノウスさんお得意の、火球の術式を原形を留めないほど改変したもので、室内花火大会を開催したとかしないとか。
なんというナイフ投げの的扱い。
もともとアーノセノウスさんが『彩火伯』の異名を得たのは、その多彩な火球のバリエーションと、繊細な術式の完璧な顕界技術ゆえらしいのだが……。
それにしても、いやあ、すげーわ。しかもそれで身体的には無傷ですませたらしいし。
それに対しておさまらなかったのは、精神的にも体面的にも満身創痍になったお子さまのほうだったようだ。
アーノセノウスさんに対する遺恨をシルウェステルさんに向けてぶつけにかかったのがあの暴言だったんだろうというのが、第三者視点から見てたアロイスの分析だった。
まあ、ルーチェットピラ魔術伯爵家当主でもあったアーノセノウスさんとは異なり、生前のシルウェステルさんてば、魔術師としてもあえて影は薄くしてたみたいだしね。
ジュラニツハスタの人質王子、デキムスくんの傅役の一人って肩書きはあっても、政治的権力はほぼほぼ皆無。他国へちょくちょく出かけるという密偵もどきな行動もあってか、表向きには毒にも薬にもならない貴族の子息として見られてたようだし。
だからといって、マウンティングなんかやすやすと取らせませんけどね?
あたしが海神マリアムの眷属だと知らないのか、知っててなおかつ信じてないのか。そこはどっちでもいいけど、自分の情弱や魯鈍を棚に上げ、攻撃してくるようなやつに容赦してやる必要もないし。
お骨を借りてるあたしの言動次第で、シルウェステルさんの評価は地にも落ちるし天にも上る。ならば手加減無用というものでしょうよ。
ま、いろいろ規格外なものを見せつけられて軋んでいた彼のプライドを、最終的に粉砕しまくったのはグラミィだったんだけどね。
グラミィってば、あたしが魔力をかなり使ったのを心配して、日の落ちてきた海蝕洞のきわまで、わざわざ迎えに来てくれたのだ。
結界を船にして。
その時に海面に飛び降りてみせたり、グラミィの構築した結界船が薄闇を背に橙赤に輝いてたりしたおかげで、まー目立つこと目立つこと。
グラミィをぜんぜん視野にいれてなかったストゥルトゥスどころか工兵さんたちまで、いろいろ落とし物注意な顔になってたっけ。顎とか目玉とか。
ちなみに、海蝕洞を埋め立てるのに、あたしがイメージしたのは巨大な植木鉢だ。
もともと崖上の旧領主館周辺は、ラームスのきょうだいである樹の魔物たちが一気に伸びきる際に、岩盤を根で砕いて土砂に変えている。
そこに事前準備としてラームスの気根も撒いておいたのだ、魔力を集めてきっといい土壌になることだろう。
その一方で植木鉢が海に転げていくのはまずいので、海蝕洞を埋めて下部は安定した形にしておいたというわけだ。
ただし、海蝕洞をまるっと埋めたわけじゃない。海神マリアムの礼拝堂にあった海水の汲み上げ井戸の周辺だけは細ーく穴を残すことにした。
これで数百年単位でこの地盤は大丈夫だろう。
見上げればヴィーリのくれた種から芽吹いた、ラームスのきょうだいたちの枝が海風にそよいでいた。伸びるんだったら、陸地じゃなくて海の方に伸びてねー。よろしく。
〔なんだかペルさんの森みたいですね〕
ぽつりとそれを見たグラミィが呟いてたが、そこは同意しておこう。
ちなみに今回使った術式は、結界も岩石生成も、あたしとしてはあまり手を加えていない普通のものだった、のだが。
驚きが醒めたのか、晩餐の席で魔術士団の人や導師たちが、我も我もとすごい勢いで物理的に距離を詰めにきたのにはちょっと困った。
落ち着けと言おうにも、学院生たちにそう指導する導師たちサイドが興奮しまくってんだもん。研究の塔に籠もろうが、実学の道に進もうが、彼らもみんな魔術ヲタということか。
結局、質問攻めに困り果てていたのを助けてくれたのは、アーノセノウスさんだった。
「そなたらは巣の中で親鳥に餌をねだる雛ではあるまい?ひたすら問いを放ち、答えを貪るのが魔術に関わる者の姿か?」
「申し訳ありませぬ……」
「浅慮でございました。シルウェステル師への御無礼をお許しください」
しょぼんとした彼らを見やって、アーノセノウスさんはふんと鼻息を吹いた。
「夜も遅い。魔術学院の者に伝える。シルの扱った術式についての各自の解析は、明日各自で実習してみるように。同様に顕界がかなうか試し、考察を深めてから質問を揃えるように。魔術士団の方々も、団の尊厳を損ねぬよう、行いを十分慎まれることを期待しましょう」
「承知、いたしました」
でっかい釘を刺されてがっくりうなだれた魔術師たちを尻目に、アーノセノウスさんは満面に笑みを浮かべてあたしに振り向いた。
「シルも御苦労であったな。今日は休め。魔力の回復に努めよ」
この世界、MPポーションみたいなもんはないからねー、魔力切れになったとたん魔術師は無力です。
「『お気遣い頂きありがとうございます、兄上。わたしも少々疲れました。お言葉に甘えてゆるりと休ませて頂きます』」
「う、うむ」
……素直に気づかいに感謝したんですが。
なんだろね。その魔力に、微量だが『しまった』ってな感情の動きが見えたのは。
あてがわれた一室に戻って、あたしとグラミィも、はーやれやれとくつろぎモードに入った頃。
静かに訊ねてきたのはアロイスだった。
「夜分遅く、またグラミィさまにも師におかれましても、お疲れの所申し訳ございません」
いやそれはまだいいけど。どしたん?
「少々湿原までお付き合いを願えませんでしょうか。『白き死』が師を待っております」
ほお?
ってゆーか、ひょっとして。
(アロイス。日中わたしの散策に同行したのは、その話を切り出す機会をうかがってのことかな?)
心話で直接訊くとアロイスは苦笑した。
「我らの管轄地はアルボー一帯ということになっております。当然、湿地帯も含みますゆえ、何度かピノース河を渡っておりましたところ、声をかけられまして」
おやまあ。
ということは、コールナーってば、ねぐらのマレアキュリス廃砦からわざわざアルボー近隣まで来てるってことか。
「どうも師が以前おいでになった際、残されていた痕跡に気づいたようで。『骨はどうした』と訊かれ、今はアルボーにはおいでではないと伝えたのですが。師がお戻りになったら、お連れするとつい言ってしまったのです」
基本微笑で鎧ったポーカーフェイスを、アロイスはどうにも弱り果てたような苦笑に崩した。
……まあ、情報将校的な少々後ろ暗い分野にもたっぷり踏み込んでるといえ、対人専門なアロイスが一角獣であるコールナー相手に交渉ができるとは思ってないよ。
それに、そこまで熱烈に待ってくれてるとなると、素通りってのも悪いよねー。
(まったく、彼ら魔物とは下手な約束をするものではないよ、アロイス。だが美しいものに会うのは嬉しいものだ)
「では、ご足労いただけますか!」
(うむ。しかし手ぶらで行くのもなんだ。マールムは……さすがにこの季節には手に入らぬか)
むこうの世界の林檎に似たマールムは秋の果実だ。そのままでもある程度は保存が効くし、干したり煮詰めて水分を飛ばしたりしたものもないではないが、……さすがに春も半ばとなった今ごろまで残っているとも思えない。
てゆーか、とうに今年の深紅の花が咲き誇ってる季節ですよ。
マールムの中にはスピナマールムという、あたしの親指と人差し指の骨で作った丸ぐらいの小粒なものもあるんだが、あれは森の奥にしか自生しないというし、しかも枝についたまま夏にならないと甘くならないという劇酸っぱいものなんだそうな。
どっちかっていうと、コールナーってば甘い方が好きっぽいんだよね。馬にニンジンというけど、あれも根菜類が甘いから好むらしいし。
そうだ。
(ドーカスかパスティナーカがあれば何本か持って行きたい。それと馬櫛を。できれば未使用のものがいいのだが)
「馬櫛はご用意しております。ドーカスは、少々お待ちを」
(頼む。わたしも支度をしておこう)
アロイスが出て行き、あたしはうきうきと変装の旅人セットに手を伸ばした。
深夜の湿原お散歩は以前にも何度もやっている。コールナーに会えるのも楽しみだし、ついでに湿原で周囲から魔力を吸収して回復するのもいい。
あ、ついでに幻惑狐たちを連れてってもいいよね。
グラミィも行く?
〔当然ですよ!めっちゃファンタジーな魔物じゃないですか一角獣だなんて!会えるの楽しみです!〕
いそいそと湿原型完全装備を調えたあたしたちが再度呼びに来たアロイスについて、そろっと階段に向かった時だった。
「こんな夜更けにどこへ行く?」
背骨にかけられた声に、ぎくっとしたのはあたしだけじゃない。
アロイスまでひきつった顔になったもんなー。
「これは彩火伯さま」
「む。アロイスどのか。夜分にうちそろい、そのような恰好でどこへ行く気だ?」
振り向くと、アーノセノウスさんの背後にいつも影のように立っている執事のクラウスさんが目礼をした。彼がまるでただの従者のように手にしていたのは……二つの杯と壺だった。
どうやら、二人で酒でも飲もうよというお誘いに、あたしとグラミィの部屋に来るつもりだったようだ。
あたしはお酒どころか一切飲み食いできないんですけどねー。
てゆーか、杯二つって。クラウスさんはともかくとしても、ナチュラルにグラミィを無視してますよね。
いやそれはまだいいんだが、この状況について釈明をせねば。
グラミィ、よろ。
「『以前、アルボーへ来るときに一夜の宿を借りましてございます。その宿の主が、アルボー近くまで来ているというので、訪ねに参ろうかと』とのことにございます」
「このような夜更けにな?」
幻惑狐たちを両肩に乗せ、さらに一匹ずつ抱きかかえたあたしとグラミィを、アーノセノウスさんはじろじろと見回した。
……はいはい、このかっこが人を訪ねるのに不適切だってことは承知してますとも。不審がられても当然だとは思います。
「わたしもついていこう。シルが世話になった相手というならぜひ一言ぐらいは挨拶をしておかねば」
それはやめれ。てゆーか気まぐれを起こさないでよアーノセノウスさん。クラウスさんがひっそりと心配そうにしてるじゃないか。
「失礼ながら申し上げます。それはおやめになった方がよろしいかと存じます」
「何か差し障りのあるような相手なのか?」
ええ。大ありですとも。
「『兄上がおいでになるようなところではございませんので』」
「ほほう」
アーノセノウスさんは妙にきれいな微笑みを浮かべた。
「それは、シルがわたしに隠してまで通うような相手ということかな?」
……目が!目が!めっちゃ恐いよ!
コッシニアさんに気があるのかと訊いてきた時と同じ、いやそれ以上に冷え切ってるし!
しょうがない、ここはほんとのことを言うしかないか。
「『なにやら兄上は誤解をなされているご様子』」
「とは?」
「『わたしの尋ね先は湿地、宿の主は一角獣。魔物ですので』」
そう言うと、クラウスさんとアーノセノウスさんが同じ表情になった。
うん、まあ、『お前は何を言っている?』って感じの話ですよねー普通なら。
「お前は何を言っているのだ、シル?」
……ほんとに言われたし。
「『このような身となりてのち、魔物とはいえ、心話の通じる相手にならば誼を通じることもかなうようになりましてございます。それも兄上には受け入れ難いこととお思いなのでしたら、我らの他出は、どうか一夜の夢とおぼしめしくださいますよう』」
「では、夢の中のシルはどこへ行く気だ?」
「『申し上げたとおりにございます』」
ええ、100%ほんとのことしか言ってませんから。
アーノセノウスさんはしばらく何事か考えていたようだが、うんと自分にうなずいた。
「やはり、わたしもついていこう」
だぁああああっ。なんでそうなる。
内心頭蓋骨を抱えていると、アロイスがそっと近づいてきた。
「シルウェステル師。このようなところで言い合いをしていても始まりますまい。それに、このまま押し問答をしておりましたら、時も過ぎましょうし……」
言葉を濁したが、あの晩餐時の熱狂ぶりを思えば、アロイスが言いたいことはよくわかった。
「『では、兄上もどうぞ』」
これ以上余計な同行者が増えてたまるもんかい。その前に移動しよう、というかとっとと魔術師たちから離れよう。
だけど、クラウスさんまでわたくしも同道いたしましょうとか言い出したのは、あたしもアロイスも慌てて止めたけどな。
アロイスたちとマレアキュリス廃砦に突っ込んでった時以上の人数を引き連れていくのは、さすがにまずい。
なにせコールナーは湿原の霧をも操る魔物だ。
心話が通じるあたしにはそれなりに心を通わせてくれたけれども、基本的に人間とはこれまで非友好的な接触しかできなかったと思われる。
そんな彼のもとに、無闇な大人数で行ったら、それだけで敵対姿勢とみなされてもおかしかないのだ。
それに――むしろこっちの方が重要かもしんない――、アルボーにとどまってる人たちの中で、アロイス側だけでなく、魔術師サイドにも事情をわかってくれてる人がいた方がありがたいんですよ。
もろもろの説得でどうにかクラウスさんに納得してもらうと、あたしたちはピノース河へと向かった。
途中で紫色のモーニングスターの頭みたいな形の根菜を、バルドゥスの部下らしい人間から受け取ったりとかね。
船?なければ作りますとも。そのくらいの魔力の余裕はあるし。
「『兄上、どうぞお乗りください』」
「ほう!このようになっているのか!」
真っ先に船に乗り込んだっきり、ヤバい笑みを浮かべて結界を撫でまわしているアーノセノウスさんにちょっとひいていると、アロイスが微妙な顔をした。
どしたの?
「いえ、以前師に乗せて頂いた船は、色も何もなかったもので」
(影も潜める隠密行動だったからな)
ええ、目立たないようにしてただけですよ?
下手に黒くしたりすると、霧の立ちこめてたあの状況じゃあかえって的にしてくれってなもんでしょうが。
「なに、シルは向こうが透けて見えるようにもできるのか!」
してみせろとねだられたので、無色にして、ついでにサービスと炎を封じた結界球を作って船の真下に沈めてみたところ。
「ふおおおぉぉぉ!」
興奮のしすぎでアーノセノウスさんの言語機能がバーストしました。
……ひょっとしたら、アーノセノウスさんがあたしを質問攻めにしていた導師さんたちをひっぺがしてくれたのって、自分でシルウェステルさんを独占するつもり満々だったから、なんじゃなかろーか……。
まあいい。五体投地状態で結界にへばりついた様子に、グラミィやアロイスがどん引きしているのにも気づかないようなら、むしろ都合が良いというものだ。とっとと対岸へと向かおうじゃないの。
以前アルボーでいろんな無茶をやらかした時、対岸の湿地帯もクイックサンド現象を発生させたせいで、地面からかなり水が抜け、代わりにいくつも大きな亀裂が入った。
もちろん、ラームスのきょうだいたちが根を伸ばしてくれているおかげで、被害は大きなものではないが、大きな罅の中には、そこから川の水が逆浸入して水路のようになっているところもあった。
そこへアロイスの指示に従って結界船を入れ、岸へ着けたとき。
幻惑狐たちが一斉に警戒の鳴き声を上げた。
(おおきい)
(つよい)
(こわい)
(危険)
(退避)
(逃走)
彼らの視線の先には、月光細工のような一角獣がいた。
船底にはいつくばるように貼りついていたアーノセノウスさんもさすがに驚いたのか、凝視したまま動きが止まっている。
「……なんて、綺麗な……」
あ。グラミィもそう思う?
ただ、前に会った時と角が違うのは……ああ、なるほど。
むこうの世界でも鹿の仲間は一年に一回角が生え替わっていたっけ。
つまり、今の銀樹に覆われたような、丸みのある枝角は今年のものなのか。
幻惑狐たちをのけて立ち上がると、あたしはラームスに結界船の維持を頼んで岸に上がった。
その間も、一角獣は静かにあたしを見下ろしていた。
だからそれは予想外のことだった。
(やあ、コールナー)
触れられるほどの距離に差し伸べた、その右手の骨をいきなりぱくりと食べられるだなんて。
「……は?」
「えええぇえええええっ?!!!!
「はあああああぁあああああ?!?!」
同行者たちの三者三様の悲鳴を断ち切ったのは、やはりコールナーだった。
(遅い)
……へ?
(遅い!遅い!遅い遅い遅い!)
あたしの手の骨をはみはみしてるコールナーの心話は。
(我を褒めたくせに、美しいと言ったくせに、また来ると言ったくせに遅い!)
いや、それって。
怒ってるとはいえ激怒って感じじゃないよね?
なんというか、ちっちゃい子が構ってもらえてなかったせいで、拗ねてぽかぽかぐーで叩いてきてるみたいな。
(おまけによそから他の魔物まで連れてきおって!我より親しげに、肩になど乗せてきおって!ひどいではないか!)
いや、君を肩に載せたらあたしが潰れるから。
〔……またボニーさんてば、魔物をナチュラルに手懐けて……〕
グラミィがジト目で見てきたが、コールナーに出会ったのは幻惑狐たちより前だからね?
(ええい、こうなったら我がそなたを載せてやる!異論は認めんぞ!わかったか!)
ぷりぷりと怒りの収まらぬ様子で尻尾を振るコールナーのはみはみから、あたしはむりやり手の骨を引き抜く気にはなれなかった。
もともと多孔質素材なお骨を保護するために、あたしはシルウェステルさんのお骨の表面を顕界した鉱物で覆って硬質化を施している。さらに、その上から防汚目的で結界も顕界してるので、はみはみされても痛くないどころか、ダメージは欠片も入んないんだもの。
だけど。
「貴様、シルに何をする!いい加減離れろ!」
辛抱たまらなくなったのはアーノセノウスさんのほうだった。
結界船を下りた途端杖を構えられて、あたしは慌ててコールナーとの間に割って入った。
いや、あたしの関節の可動域なんて、どこもかしこもほぼ全方位360度を確保してるから、右手の骨をはみはみされててもアーノセノウスさんに正対すんのも無理なくできるんだけどさ。
けれども、それを見たアーノセノウスさんの目が、ヤンキーのうんこ座りレベルから、どっかり腰を下ろしたあぐらレベルにどんどん据わってきてるんですけど。
「シルよ、どけ。その魔物を今丸焼きにしてくれるわ」
いや!それはちょっと待ってまじで待って。
片手の骨をぶんぶん振り回して、落ち着けのポーズをしていると、ようやくどっか線が切れてたコールナーも周囲の様子が見えてきたんだろう。不機嫌そうな『声』がした。
(これは誰だ。なぜ連れてきた)
(この身の兄上だよ。コールナーと出会ったことを話したら、挨拶をしたいと言われてね)
(兄?)
菫青石の瞳がじろりと睥睨する。わずかに冷たい灰青色にアーノセノウスさんも負けじと肩をそびやかしたが、その表面上の落ち着きをコールナーが一言で吹き飛ばした。
(似てないな。そっちの人間の方がまだ似ている)
って、そりゃあ全般的に魔物の感覚は視力依存度が低いみたいだし!
かなり魔力知覚優位だから、シルウェステルさんと血のつながりのないアーノセノウスさんとじゃ、それぞれの身体の持ち主同士が母子関係にあるらしきグラミィとシルウェステルさんの方が、嗅覚的にも魔力的にも似てるように思えるかもしれないけど!
「決めた。こやつは角の端まで灰も残らぬように焼き尽くしてくれよう」
「お、落ち着いてくださいませ、アーノセノウスどの!」
……シルウェステルさんのことはアロイスに任せよう。
コールナーの相手はあたしにしかできないだろうし。
(コールナー)
真っ正面に立つと、あたしは心話で呼びかけた。
(きみがわたしと会えなかった日々をつらく思ってくれたのはよくわかったよ。でも、わたしと会えた喜びはないのかな?)
(う、い、いやそれは)
(わたしはコールナーにまた会えて、今とても嬉しいのだけど)
どストレートに伝えると、コールナーはうろたえたように後退りした。
もちろんあたしも前進する。距離なんて開けない。はみはみされっぱなしですから。
(コールナーも会えなかったのはわたしも本当にさびしかった。対岸の街に寄ったときには、一瞬でもいいから、会えないだろうかと思っていたよ)
ペルの森を作るため、アルボーで樹の魔物たちの枝を分けてもらおうとしたこともあった。ベーブラからスクトゥム帝国へ向けての道中、アルボーにちょこっとだけ寄港したこともあった。
その時にコールナーに会えないかなー、姿だけでも見れたらいいなーと思っていたのはホントのことだ。
(コールナーは、今わたしと会えて、嬉しくはないのかな?わたしと会って心弾ませることはないのだろうか?だとしたらわたしは悲しいな)
(う……)
そっと、反対の左手の骨で頬に触れると、コールナーはびくりとした。
「一角獣の様子が変わったが……シルはいったい何を言ったのだ?!」
「どうやら、あの一角獣を口説いておりますようで」
おい。ちょっと待てグラミィ。
じつに珍しくアロイスが吹き出してんじゃないか。
〔ともかく、そっちの相手はお任せします!こっちはなんとかしてますから!〕
はいはい。外野はほっておきましょう。
コールナーの瞳は向きによって色を変える。そんなところも菫青石に似ている。
藍紫に変わった瞳にあたしは眼窩を合わせた。
(久しぶりに会えたのだから、蒼銀月の光を集めたような、美しいコールナーの鬣も梳かしてあげたいのだけど。触れることを許してはくれないかな?)
(……っ。いいだろう)
(では、この手を放してくれないかい?)
ぱっくり噛まれたままの腕の骨を持ち上げてみせると、ばつが悪そうにしぶしぶと手の骨を離してくれた。その様子もまたかわいい。
(許してくれてありがとう、コールナー。美しいだけでなく、優しいところも好きだよ)
(す、好きだと。……当然だろう!)
笑いを洩らしながらグラミィが近寄ってきた。
〔「一角獣どの、わたくしめもご挨拶申し上げてよろしいですかの?」〕
声と同時に心話をコッシニアさんの放出魔力程度に調整するあたり、グラミィもずいぶん芸達者になったなあ。
(なんだ、お前は)
〔「わたくしはあなたのお待ちになっていた方の言葉を、他の人間に伝えております者。グラミィと申します」〕
ぺこりとお辞儀をすると、グラミィは警戒したままのコールナーに袋から取り出したドーカスを差し出した。
〔「マールムがお好きと伺っておりましたがの。今の時期は手に入りませんので、このようなものを持って参りました」〕
(これは、なんだ?)
〔「ドーカスと申します。人間も好んで食べる植物……草の根っこでございますよ」〕
(根っこ?)
疑わしげにはみ、とコールナーは紫色の根菜を囓った。
(……不思議な味だ)
〔「お嫌いですかな?」〕
(む、う、ぬ……)
もしょもしょと口元を動かしながら悩んでいる様子に思わず和んでいると、グラミィが袋を渡しながら接触心話で話しかけてきた。
〔ボニーさん、なんかすごくかわいいですね、この子〕
でしょう?
このちょっとめんどくさかわいい感じがたまんないよね。
グラミィにかっくりと頷き返すと、あたしは袋から馬櫛を取り出した。
(コールナー。ドーカスを食べていていいから、鬣を梳かせてもらうよ)
(う、うむ。そなたがしたいというならさせてやろう)
だがそれで収まらないのがアーノセノウスさんだ。
「待て。無礼な魔物にシルがそのような真似をしてやる必要はないぞ!」
「『わたしがしたいと願って、させてもらっているのですが』とおっしゃっておられますがの」
グラミィに伝えてもらうと、しばらくうぐぐと歯噛みしていたアーノセノウスさんは、突然びしっとコールナーに指を突きつけた。
「いいか、シルが幼い頃はわたしがシルの髪を梳かしてやったりもしたのだ!お前などしてもらうだけで、シルに何ができるというのだ!」
〔……うわあ、ガチで魔物と子どもの喧嘩をするおじいさんがここにいた〕
グラミィがひっそり心話でつぶやいてよこしたが、それにも気づかぬ様子でアーノセノウスさんはコールナーにくってかかっていた。
「シルを載っけるぐらいならわたしにもできるのだぞ!ちっちゃいころはずっとお馬さんをしてやった!」
「お、お、お馬さん……」
ぐふっという音が背後でした。とうとうアロイスの腹筋が限界値に達したようだ。
〔……ねえ、ボニーさん。やっぱり、アーノセノウスさんの溺愛っぷりは嘘と思えないんですけど。そりゃボニーさんの身体の人の有能さは認めてたでしょうし、有能である以上はその能力も使ってたと思うんですよ。でも、アーノセノウスさんが、弟さんを好きだったのは、たぶんほんとだと思います〕
うん、あたしもそこはあんまり疑ってない。
けれども、溺愛しているからなんでもおーよしよしですませるかというと、それはまた別の問題だろう。
なによりあくまでも生前のシルウェステルさんは生前のシルウェステルさんであり、そのお骨を借りているとは言え、あたしはあたしだ。
そのことを忘れちゃいけないと思うよ。




