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選択の刻

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 ドミヌスの森から出ると、迎えに来てくれたグラミィとあたしのもとに、全員が走り寄ってきた。

 クランクさんたち糾問使団のみなさんだけじゃなく、船乗りさんや行商人さんたちもだ。

 ……グラミィに、シルウェステルさんのローブや仮面なんかを持ってきてもらっててよかったよ。旅芸人のナイガな変装のまんまだったら、盛大に警戒されてたかもな。


「無事のご帰還、お喜び申し上げます。シルウェステルどの」

「『カプタスファモ(クランク)魔術子爵(さん)には世話をおかけいたしました』とのことでございます」

 

 あ~~~っ、これこれ!このグラミィとの腹話術状態!なんだかすごく久しぶりだよ!


〔実際久しぶりじゃないですか〕


 ですよねー。んじゃよろしく。


〔りょーかいですー〕

「『まずは島の様子はいかがであったかな』」

「動揺はございましたものの、最低限に抑えられたかと存じます」

「『それは重畳』」


 ぐるりと見回す仕草をしても、行商人さんたちにも、船乗りさんたちにも挙動不審なところは見られない。

 彼らに後ろ暗いところがなく、こちらに不信を抱いていないということだろう。

 グラミィからもざっくり話は訊いたけど、信頼獲得には居残り組なみなさんががんばってくれたんだろうなあ。

 幻惑狐(アパトウルペース)たちプラスあたしたちが森から出てきたのを見たとき、クランクさんてば明らかにほっとしてたもんね。

 ひょっとしたら、ブラコンなアーセノウスさんに殺されずにすむって真剣に思っていたのかもしれないが。

 とはいえ、なんとなく取り囲まれる形になったので、このままちょっとだけ簡単な状況報告をしておこうか。

 情報が与えられないって不安はたやすく不満に変わるもんな。

 

「『我らもまた海を渡り、幾ばくかの成果を得た』」

 

 うんまあ詳しいことまでうかつには喋れないし、喋る気もないけどさ。

 だからいいんですかい?って顔しないのアルガ。


「『我々は帝都レジナにて糾問を行った。目的は果たした。またそのことを森の主にもお伝えしたところ、彼の方もまた、一つの成果を上げられたとのことだ』」

「それはいかなることにございましょうか」

「『自我を失った者を回復する道筋がついたそうだ』」

「それはまことでありましょうか?!」


 どよめきを突っ切るように行商人さんたちの代表者であるククムさんが飛んできた。あたしの前に片膝を突いた彼に、かっくりと頷く。


「『いかにも。されど前例のない方法をとらねばならぬゆえ、いかなる結果が出るかはわからぬとのことだ』」

「それは……さようにございましょう」

「『また、施術にはいまだ当人たちの了承を得られぬ。ゆえにククムどの、同朋であるそなたらの意思を確認したいとのことだ』」


 ククムさんは、行商人さんたちと頷き交わすとひたとあたしを見上げた。

 

「どうか、お願いいたします!我らが仲間をお助けください!」

「『あいわかった。森の主にお伝えしよう。……クランクどの。ククムどのらのお連れが回復した時点で、我らもまた帰還の途に就くことといたしませんかな。わたしも少々疲れましたゆえ』」

「かしこまりました」

「シルウェステル師。どうぞこちらへ」


 エミサリウスさんにうやうやしく船に移動を促されると、なんとなく不満げな声が船乗りさんたちからも上がったが。


「『アンコラどの』」

「へいっ!」

「『いつなりともロリカ内海を出られるように、手配を願う』」

「へえいっ!」


 うん、これ以上公式発表に付け加える気はありませんよ?


「師はお戻りになった直後だ。御休息を妨げぬよう」


 アルガがいい笑顔なのは、尋問スタートの合図ですかね?!

 

 船室に押し込まれて、さて、とクランクさんはあたしの仮面をまじまじと見た。

 

「それでは説明をいたしていただきましょう。何がございましたか」

「『レジナまで同行願ったマヌスプレシディウムどのや、トルクプッパどの、このグラミィらには訊かなかったのですかな?』」

「多少は伺いましたが、自らレジナを駆け巡られたというシルウェステルさまのみがご存じのことも多かろうと存じます。またレジナを発たれたのちのことも。グラミィどのらより伺ったことどもにも幾分かは信じがたいこともございましたので」


 そりゃそうか。

 

「『では話そう。我々は三日ほど船を走らせ、帝都へ辿り着いた。レジナでは見ないふりのできぬように糾問を行い、糾問状も宮殿の中で看過しえぬ場所に設置した。マヌスプレディシムどののご尽力あってのことだ』」

「師のお力によるものです」

 

 控えめに答えたマヌスくんの頬にさっと血の気が差した。

 逆に、グラミィの顔はほんのり引きつった。

 ドミヌスの森であたしが何やってきたか、さくっとダイジェストを心話で見せたからだろうなぁ。


〔玉座に糾問状を剥がせないように打ち込むだけでも大概(たいがい)ですけど!謁見の間の壁全面にその内容を彫り込んできたとか!ボニーさんが過激すぎるからでしょうが!ほんとになにやってんですか!〕

 

 心話で怒鳴られてもなぁ。

 そもそも威力偵察という本音と違って、建前である糾問使ってのは相手を批判し、謝罪か激怒、どちらかを引き出して、その後の戦争を含めたあらゆる外交技術で優位に立つためのものなんである。

 そして、国力によほど優劣の差がなかったり、国際的に追い込まれでもしてない限り、謝罪なんてしないからね。国や王なんてそんなもんだ。

 というわけで。激怒一択の反応を頭の血管切れるレベルで発生させるには、盛大な嫌がらせが必要だったわけですよ。

 結論。帝都レジナでやらかしたことについて、あたしは後悔しちゃいない。


〔せめて反省してくださいよー〕

 

 仕込みが地味すぎたって方向で?


〔違います!〕

 

 はあ、とグラミィは溜息をつくと、途切れたあたしの言葉をつないだ。

 

「『マヌスプレディシムどのらがレジナを発つのを確認してから、わたしはアスピス属州、リトスへと向かった』」

「……少々お待ちください。5000ミーレペデースは離れた帝都レジナまで海路で三日というのも驚きですが、リトスは帝都よりさらに内陸、2000ミーレペデースは離れているかと存じますが」

「『いかにもさよう。常人なれば二十日はかかる道のりだと聞いた』」

「それを、この島をお発ちになってから十五日も経たないうちにお戻りになったってえことは……道中、空でも飛ばれましたか」

 

 アルガが口を挟んできた。

 あんたは驚かないのな。グラミィも通訳しながらあたしを二度見してきたんだけど。

 首の骨を傾げてみせると、アルガはちょっと笑って肩をすくめてきた。

 

「シルウェステル師ならば何をおやりになろうが、納得がいきまさぁね。なにせドルスムでも岩山が崩れた時、あっさり空をお飛びになってましたから。あんときゃ術式の気配に上げた目を疑いましたよ。それまでもさんざか腰の抜けるようなものばかりお見せくだすってたんで、そりゃあ心配のしがいのないお方とは存じておりましたし、なみたいていのことには驚くもんかと思ってましたがね、それでも驚かされるってことに驚きまさぁ」

 

 あたしの表情筋があったならば、へらりと笑う元祖うさんくさい男の軽口に思わずにやりとしていただろう。


「ところで、リトスでは何をなすってたんで?」

「『大道芸人のふりで入り込んだあとは、何でも屋だな。下水道のラットゥス(巨大鼠)退治ばかりしている、ように見せかけていた』」

「なにゆえ、そのような御酔狂を」


 ランシアインペトゥルス王国勢はともかく、グラディウスファーリー王弟のマヌスくんは知らんよな。密偵のアルガはどうだか知らんが。

 

「『かつてリトスに滞在し、その帰途に災禍にてこのような身となったわたしだ。ならばその災禍の根源は奈辺にあったのかを確かめたかったのだよ』」


 呆れた顔になっていた面々が真顔になった。


「首尾は、いかがにございましたか」


 クランクさんの問いかけにあたしは首の骨を振った。

 

「『残念ながら。接触していた魔術師を訪ねたが、いずれも死亡か消息不明となっていた』」

「それはまた」


 エミサリウスさんも眉をひそめている。露骨な口封じに引いたんだろう。

 

「『だが、わたしの現状について、手がかりらしきものが何もなかったわけではない』」

「と、おっしゃいますと?」

「『わたしがなぜこのような姿になったのか、魔術的な観点から探れないかと考えてな。図書館にも通った。さすがは賢者と魔術師の都市。五万冊もの蔵書があるとのことだったが、嘘ではなかったよ』」

「……もしかして」


 おそるおそるという様子でトルクプッパさんが訊いてきた。


「シルウェステルさま直々に、お確かめになられたのでしょうか?」

「『いかにも。そして蔵書のすべてを記録してきた』」

「「「「「……は?!」」」」」


 もちろん、一介の利用者として昼日中の限られた利用時間内にしか訪れることができないのであれば、十日も経たないうちに全部なんて覚えられません。あたし一人でもできるこっちゃない。

 そこで、ラームスにも協力を仰いだ。彼もまた樹の魔物として知識を蓄積できる機会は望むところだったらしく、あっさり快諾してくれた。

 それはいいが、彼に目玉はありません。

 そこで、同じく目玉を持たないあたしの物の見方を、視覚優位な人間の知覚方法を教えたのだ。

 

 あたしの視覚は魔力(マナ)知覚を応用した擬似的なもののようなのだが、ラームスにだってあたしとはちょっと違うが高い魔力知覚能力がある。人間とは違うが嗅覚や味覚のようなものすらあるらしい。

 というか、感覚が五感に分かれていないというべきか。

 人間でいうと共感覚みたいなものだろうと考えて、あたしは視覚は視覚で切り分ける方法を教えた。

 加えてすべての書物を、文字や文章という意味あるものとしていちいち解読するんではなく、二色パターンの模様として記録してもらうことで作業を減らし、かわりに情報精度を上げることにした。静止映像データをいちいちテキストデータに置換せず、そのまま保存するようなもんだろうか。

 

 さらに、深夜の図書館に下水道から忍び込むことで、データコピーの時間を確保した。夜中に宿をこっそり抜け出して、あたしがうろついていたのは、なにも下水道ばかりではないのだ。

 ……第三者視点で見たら、灯り一つない図書館内で、一体の骨が一冊本をぱららららっと速読のスピードで開いている、その周囲で数冊数巻の本や巻物がつねに飛び回り、勝手にぱらぱらと開いては閉じ、逃げ出した本棚や書架に元通り収まっていくという、実に奇っ怪な光景が、毎夜毎晩繰り広げられていたわけだ。

 遮音結界張ってたからひたすら無音だし、怪談の種にしかなりませんな!

 ま、ラームスが結界を応用して本を複数並行処理してただけなんですけどね!

 

 あそこまでいくと、ラームスに協力を願うというよりむしろ、あたしもラームスの感覚器の一つになった感じだろうか。

 おかげで下水道のあたし専用回復スポット大活躍ですよ。ラームスだって魔力消耗するから。

 そのついでにマグヌス=オプスとお話したりラットゥス退治したりと、けっこう大忙しだったのだよ。

 だけど、それだけの価値はあった。


「『魔術関連の資料だけではない。本館以外にもいくつか外部者立ち入り禁止の離れがあったので、そちらも確認したところ、隠し書庫を見つけたのでね』」


 人気の失せた深夜は貸し切り状態とあって、昼間図書館に出入りしていた多人数の魔術師たちに感知される心配もなく、盛大に魔術を使うこともできたのがありがたい。構造解析と隠蔽看破の術式がこんなとこでも大活躍ですよ。

 

「『かつてアスピス王国の都であっただけのことはある。アスピス属州の行政文書が執政庁より溢れたのだろうな。保存されていた古い記録とはいえ、かなりの機密文書もあったので、ついでに記録してきた』」

 

 ぺらりとストーンペーパー――実際のところは薄い石板なんで、折ったり曲げたりはできないのだが――を顕界して、ほいとグラミィ経由でエミサリウスさんに渡すと、彼はすごい勢いで飛びついた。


「……これは!」

「『街中でも噂を集めたが、リトスの魔術学院で学んだ魔術師たちは、アスピス属州内ではなくスクトゥム本国で雇われることが多いらしい。その数は記録によれば一年で約千人』」


 魔術師となる放出魔力量の多い人間は、平民だと約千人に一人。つまり単純計算で一年に百万人は生まれでもしない限り、これほどの人数の魔術師を世に送り出すことはできない。

 ちなみに、ランシアインペトゥルス王国の魔術学院の中級魔術師の称号を得られる者、つまり中級課程修了による卒業者は、一年に数百人いればいいほうだ。魔術士団の総数だって約千人程度。

 属州一つだけ見ても魔術師の人数差は歴然としている。

 やはり、スクトゥム帝国は巨大だ。

 

「『十の属州と本国そのものから同数を集めたとしても、約一万一千もの魔術師を毎年新たに雇い続けるとしたら、どのような目的が考えられる?国内じゅうの街道や帝都の大修復のような、帝国規模の長期にわたる大事業か』

「それとも、戦争でも起こす気か、ですか」

「つまり、スクトゥム帝国は戦支度を整えて、こちらがしかけるのを待ち構えていると。そう師はお考えなのですか」

「『その可能性も捨て切れん』」


 マヌスくんの問いに答えると、彼らは一斉に黙り込んだ。

 そんなに予測不可能なことかなあ?

 あたし的には、むしろ国内統一や魔術師による軍事力も拡大がある程度済んだからからこそ、これまで帝国内を動いていたククムさんたち行商人さんや、アンコラさんたち帝国民だけでなく、グラディウス地方出身の船乗りさんやらランシアインペトゥルス王国の密偵さんにまで手を出し始めたと考えた方が筋が通ると思うんだけど。

 まあ、戦争になるかもなーぐらいの可能性は感じてたかもしれないが、それが実際のものになると思うとまた違うものがあるのかもしれない。

 だがこうも固まっていられても、話が進まない。話題を変えよう。えーと……あ、マグヌス=オプスのことでもいいか。

 

「『リトスでは囚われの魔術陣師とも話をした。なかなかにおもしろい話が聞けた』」

「捕囚とは。いかなる罪を犯した者なのでしょうか」


 と言われても。異世界から人間の精神を召喚する陣を組んじゃったやべーヤツだとか、グラミィ(異世界人仲間)以外には言えないしなぁ。


「『法では裁けぬ罪だ』」

「法律上は無辜のいわれなき幽閉を受けている方ということになるのですか」

「『まあ、そうなるな』」


 マヌスくんの問いに答えると、アルガが意外そうな表情をした。

 

「シルウェステルさまは、その方をお救いにならなかったんで?」

 

 ククムさんたちを助けたから、あたしが誰でも彼でも助けるような人間に見えたのかな?

 

「『アルガ。わたしは万能ではない。それに助ける理由がない。毒蛇を飼う趣味はわたしにはない』」


 ますますアルガは首を傾げた。グラディウスファーリーの密偵だった自分は許されたのにという気分もあるのだろう。けれどあたしにだって言い分はある。

 豺狼とて飼う利益はないわけじゃない。手懐ければこっちの味方になってくれる可能性があるからだ。

 けれども、毒蛇は攻撃の予測がつかない。そんな危険なもの、懐に入れるわけにはいかないだろうが。


 マグヌス=オプスをリトスから救出する気は、あたしには最初からさらさらなかった。

 賢者と魔術師の都市の最深奥である第四層、しかも囚われている川神アビエスの御堂は警戒レベルが高いから、リトスから連れ出した後も、追っ手から逃げ切って、いっしょにスクトゥム帝国の外に出るビジョンが見えなかったから?

 それもある。

 彼が人間を実験体(モルモット)にする極悪非道の人間だから?

 いや、それをいうならあたしはとっくにこの世界じゃ人殺しだ。おまけに中身入り(異世界人憑依状態)のマルゴーたちを森精に引き渡すような真似をすでにやらかしてるあたしが彼を批判できるわけがない。

 彼が信用できないから?あたしたちに害を及ぼす可能性があるから?

 そこが、一番の大問題である。

 

 そう。あたしはマグヌス=オプスを、初めて会った中身入りでない異世界人を、一から十まで信じることはできなかったのだ。

 彼についての情報は、すべて彼が喋った、つまり裏づけの取りようがほとんどないものばかりであり、そもそも彼が見せようと意図して見せてきたものばかりだったからだ。その量も驚くほど膨大なものだった。望んだ魔術陣についての情報が彼をつつけばいくらでも出てきそうに見えたこともある。

 そこにあたしは警戒した。

 人間、自分の集めた情報を疑うことは難しい。

 そして大量の情報を精査し、裏づけを取るには時間がかかる。つまり真偽や適不適の精査がどうしても甘くなるということだ。丸呑みするのは危険だろう。

 

 だが、マグヌス=オプスが――本人にその自覚があるのかないのか、この状況を構築した人間と共謀しているのか反目しているのかもしれないが――もしこちらに適当な情報を与えるための撒き餌として設置されているのならば、その理由はなんだ?

 そう考えたとき、実は彼が異世界転移者だというところから疑うことも一度は考慮に入れた。

 この世界、ヨーロッパ系な彫りの深い顔だちの人が多いが、むこうの世界でだってヨーロッパ系だってアングロ=サクソン系、ラテン系、ゲルマン系、みんな顔だちは違うし、ヨーロッパ系とアジア系の人々が混在する地域はあるもんね。

 実際、ククムさんたちクラーワの行商人さんたちは、見事な赤毛ではあるものの、顔だちとしてはアジア系に近いし。

 だったらもっと日本人的な特徴を持った人がこの世界にいるのかもしれないし、その中に、それこそ異世界転移者から日本語を学んだ人がいるかもしれないし、そういう人間がなんらかの意図があって、こっちをだましにかかってる可能性だってないわけじゃない、とね。

 ただまあ、彼の語彙は日本語ネイティブだったし、こちらの世界の言葉の訛り方なんかも考えると、おそらく彼が異世界転移者だというのは本当だろう。


 一方、彼が有害な存在であるかどうか、これはもう明確だ。

 だってもとを糺せばシルウェステルさんが殺されたのも彼が遠因なんだろうし。

 彼の言葉を信じるならば、星屑量産と、森精の虐殺を引き起こしたのも、彼が召喚の魔術陣を構築し、発動させたからだ。彼自身の意図したことじゃないかもしれないけれども、その被害はもう存分に受けていると言ってもいい。ただの被害者だったククムさんたち行商人御一行を助けた時とはわけが違うのだ。


 何より困るのは、彼がわりと有能な人間だってことだ。

 喋る言葉の端々から判断したところ、マグヌス=オプスは魔術師として、それも魔術陣にかなり特化した高い能力を持っている。

 それも、あたしの追随できるところではないくらいの。

 つまり、彼をうっかり味方に取り込んでしまったら、悪意を持って動かれたときに、あたし一人じゃ抑えきれなくなる可能性が高いのだ。

 結局あたしに刻まれた陣も彼に見せなかったのは、リトスを去るとき別れも言わずに出てきたのは、そういうわけだ。

 彼の存在に気づいたのが、下水道に流れ込んできてた抜け毛のせいだったので、ハゲんなよとは忠告してあげたけどね。


 マグヌス=オプスを助けなかった理由はまだある。

 

「『彼はスクトゥムに不利な行動が取れぬよう、取り籠められているだけでなくその上から枷がかけられていた。すべてをこの短期間で解除するのは、わたしにも無理だ』」

 

 マグヌス=オプスの身体に刺青で彫り込まれていた陣は、一番わかりやすい、言ってみれば見せしめのためのものだった。

 堂の外に出ると死ぬというのは、御堂全体に彫り込まれた陣の外に出ると発動する条件の、心臓の上に刻まれた雷の陣のせいだろう。うなじに彫られていたのは、運動神経に作用して、全身の筋肉を硬直させるもの。他人と話したり意思を疎通させようとする意図をどうやって感知しているのかまではわからなかったが。

 だが、ターレムに御堂の中を何度か走り回ってもらって見つけた、御堂全体に刻まれた隠蔽性の高い魔術陣の数々といったら、さらに悪意に満ちたものだったのだ。

 たとえば、堂内で魔力が集中した瞬間に発動する魔力吸収陣。おそらくは、堂内で魔術を使おうとした魔術師を無力化するためのものだろう。

 たとえば、マグヌス=オプスの居室に集中して設置されていた、他所の音や情景を伝えるもの。リトス市内の様子のようだったが、彼が何度も目をそらしてはまた食い入るように見ていたところを考えるに、閉じ込められる前に馴染みのあった場所なのだろう。

 片方が格子で閉ざされた奇妙なつくりの彼の居室は、格子側からは御堂の外がよく見える。声を出せば聞こえる場所だ。

 だが、ターレムに御堂の外へ出てもらって確認すると、マグヌス=オプスの居室の様子や物音はまったくわからなくなっていた。鋭敏な聴覚を持つ幻惑狐でさえ知覚できないほど、完全に遮蔽されていたのだ。

 虜囚に無力感を与え、そして孤独を味わせることで、心折れることを期待しての仕掛けだろうとは思うが、それすらこちらに彼への同情の念を起こし、何らかのリアクションをさせるための舞台装置である可能性もないとはいえない。

 もしそうだとしたら、相手にはかなり印象操作に長けた人間がいるのだろう。


 だが、マグヌス=オプスの冷遇された状況を逆に考えるならば、彼に何重にも枷がかけられているというのは、それだけ彼をこの境遇に押し込んだ者――おそらくは、彼のいうところの『くそったれのクズ』である弟子――に、彼を今すぐ殺す気はない、もしくは殺せない理由があるということだろう。

 ならば孤独に耐えかねて自害を図ろうとしても、それを止めるような陣も彼には彫り込まれているのかもしれない。裸になってみせろとか言えなかったんで、確認はしてないけど。

 いずれにせよ、彼に差し迫った命の危険がない以上、これ以上リスクを負ってまで彼をなんとかしてやる意味はない。

 そもそもあたしが彼に接触したのは、このスクトゥム帝国の状況に対する情報が欲しかったからだ。

 そして、情報を得ることはできたのだから、はっきり言おう。もう彼に用はない。


「ククムどのらにおっしゃった、星とともに歩む方(森精)が、陣の解法を得たというのはまことにございましょうか」


 エミサリウスさんがひっそりと訊ねた。


「『事実だ』」


 ドミヌスのもとへ真っ先に行ったのは、帰還の挨拶と留守中人員を預けちゃったことについての感謝、あとお土産のお裾分けがメインだったのだ。ついでになんか変な魔術を知らないうちにかけられていないか、確認してほしいってこともあったけど。

 彼に渡した生きた海鳥やリトスから持ってきたトリティクム(穀類)は、幻惑狐たちの食費代わりでもある。

 ちなみに、残りの海鳥とトリクティムは船乗りさんと行商人さんたちに熱烈歓迎されました。


(そらとぶにくー)


 ……海鳥は幻惑狐たちにも熱烈歓迎されたようである。


 その時に、いろいろドミヌスとは情報交換もしてきた。

 どうやらゾンビ化術式の解析はほぼ完璧に終わったらしい。なんとドミヌスってば、十日ほどでゾンビさんたちの回復方法の目処までつけたという。つくづく人間業じゃないな。森精だけど。

 だが問題は、このゾンビ化が陣符でなされたということだ。

 魔術というのは術式に魔力を満たすことが顕界の最低条件だ。

 これは魔術陣でも同じだが、陣符だと副次的な効果が出ることがあるとは、あたしも初めて知ったことだった。


「これは?」

「『リトスで手に入れた。火球の魔術陣が描かれたものだ。手で投げつけると、途中で火球に変わってさらに飛んでいく』」


 燧石(ひうちいし)亭の連中が持ってた陣符を、顕界した石の棒――まあ箸ですな――で引っ張り出して彼らの前に置くと、魔術師たちは興味津々な様子で一斉にのぞきこんだ。


「『放出魔力を吸うので、直接触れぬように。発動条件は吸収していた放出魔力の離脱のようだ。早い話が陣から手を放すだけで発動する』」

「「「「「それを早くおっしゃっていただきたい!」」」」」

 

 ……二歳児かあんたら。言う前に手を出すとか。

 あたしがわざわざ箸で引っ張り出すにも理由があると思わんのかいっ。

 溜息をつきたい気分で、あたしは石箸の先を鋭く削ると、構えた。


「『動かぬように』」


 一閃すれば陣符はまっぷたつに斬れた。


 陣符の副次的効果の一つは、術式が物理的存在に依存しているため物理破壊が通用すること。発動前に止めることが術者じゃなくてもわりと簡単にできるのだ。

 いちおう魔力が通れば物質も強くなるので、それなりの破壊力は必要だし、充填中の魔力は漏れる。だけどそんなものは吸収してしまえばいいだけの話だ。


「これは……かなりの危険物ですな」

「事故が起きてもおかしくはない。だが対処のしようはあると」

「しかし、威力のほどがわからんな」

「『試し撃ちがしたくば後ほど機会を設けよう』とのことですじゃ」

「面目次第もございません……」

「『それはかまわぬ。皆に知っておいてもらいたいのは、この陣の札……陣符とでも呼ぶか、これを使っていたのは魔術師ではないということだ』」

「なんですと!」


 魔術陣自体は触れたものから魔力を吸収して発動する。そのため、魔術師であろうとなかろうと利用者を問わないという性質があるのはあたしも知っていた。それを利用して、アロイスやタクススさんに使わせたこともあった。

 だが、魔術師ではない者が魔術陣を利用できるということは、魔術陣を魔術師ではない者に使わせることも――本人の同意なく――できるということでもあるという。

 ドミヌスに説明された時にはぞっとした。


 海森の主によれば、行商人さんたちのゾンビ化状態がずっと続いているのは、もう一つの副次的効果のせいだという。

 陣符はあたしのよく作成する小石型魔術陣と違って、薄い紙だ。人体のような立体物さえうまくやれば、ぴったり貼り付けたように包み込むことができる。

 それはつまり、人体に密着させた状態で魔術陣を発動させることができるということだ。

 では、高濃度の魔力が充填された魔術陣が密着した状態で発動するとどうなるか?


 設定された発動条件にもよるが、陣符の魔術陣は基本的には普通に発動する。そして、発動しようがしなかろうが、接触していた皮膚にもその魔術陣が魔力によって焼き込まれ、いわば等倍コピーされた状態になるんだとか。

 指の先など、接触面が小さければまだいい。意味を持たない陣の欠片はただの魔力が通る筋のまとまりだ。やがては身体組織の新陳代謝や、身体の魔力の流れに削られ消えてゆく。

 しかし、額や胸部など広い接触面に焼き込まれた陣は、完全なものならきちんと機能し、しかも発動し続けることすらある皮膚の持ち主本人の放出魔力を吸い取って。

 これ、その場で発動せよという火球の魔術陣が焼き込まれたなら、焼き込まれた人間がそのまま焼死するか、魔力欠乏で死亡するか、よくて皮膚ごと身体の一部を失わない限りは発動し続けるということになるらしい。

 ……船乗りさんたちの身体に刻み込まれた陣も、色のない刺青ではなく、こういった陣符で焼き込んだものだったのかもしれない。

  

 ゾンビさんたちの陣符はヘルメット型に折り込むことで印刷された術式が繋がりあい、その状態で誰かがかぶらないと発動しないという、かなり陣符の中でも特異な発動条件と構造のものだったらしい。

 それも、おそらくは発動時の事故を防ぐためのものなんだろう。安全策を確立するまで、どれだけの人間が被害に遭ったかはわからないが。


 ゾンビ化魔術陣は、自我の抑圧、命令の受諾、意識レベル低下などなど複数の陣が組み合わせたものだったようだ。

 しかし、それも陣符である以上、一度発動させてしまえば額に魔力で陣が焼き込まれてしまう。結果としてその人が生きている間じゅうずっと思考能力を奪い、自発的な行動ができないようにする陣が発動し続けてしまうというわけだ。

 ドミヌスが確認したときには、もう完全にゾンビさんたちが自分の魔力でゾンビ化術式を発動し続けている状態だったらしい。


 焼き込まれた陣の破壊は被害者の身体を傷つけないとできない。そこで海森の主がゾンビ化の対抗策として考案してくれたのは、さらなる陣を刻み込み、発動することだった。

 ゾンビ化陣はもともとの肉体の持ち主の人格を抑え込むもの。ならば、抑圧に対して解放の魔術陣をさらに施し効果を相殺しようというのだ。

 複数の魔術陣を組み合わせるのはまだしも、重ねることもできるのだろうかと思ったが、ドミヌスに言わせればあたしの着ているシルウェステルさんのローブみたいなものらしい。

 多重構造であっても、それぞれの魔術陣の独立性が保たれているのならば問題はなく、それぞれの陣が効果を発揮するんだとか。

 ……おそらく、星屑(異世界人格)たちがこの世界の言葉と日本語をさらっとバイリンガルできているのも、その特質のせいなのだろう。


 ずっと不思議だったのだ。

 ガワの人の身体に召喚陣によって精神、もしくはその一部である星屑たちが搭載される、この理屈はわかる。

 けれどもなぜ、星屑たちはガワの人の知識や経験を利用できるのか。

 ガワの人の人格が抑圧され、精神的抵抗力を失ったところへ星屑たちが召喚されているからこそ、そしてそれらの魔術陣がガワの人の放出魔力で動かされ続けているからこそ、彼らはガワの人の身体をおのが身体として扱うことも、知識や経験をスムーズに利用することもできるのだろう。

 だから船乗りさんたちに搭載された星屑をグラディウス地方の国々は看過し、スクトゥム帝国内では星屑たちがためらいなく農作業に明け暮れていたのかもしれない。


 ひょっとしたら、あたしの額に刻まれた魔術陣も二重に、もしくはそれ以上に重ね合わせて刻まれているのかもしれないとはドミヌスの言葉だった。

 それなら森精にすら一朝一夕には解析できないほど複雑なのは、わからないでもない……のだろうか。永続化が読み取れただけでもまだマシということかもしんない。


「シルウェステルさま。海流と風から見て、ロリカ内海を出ましたら、来た時の半分くらいの日数でグラディウスファーリーには戻れるだろうとのこってす。アンコラがそう申してました」

「『それは僥倖』」

「陛下への復命はどのようになさいますか」


 クランクさんに問われたが、あたしはしばらく返答しなかった。できなかったのだ。

 

 レジナからの道中、襲撃は何度か受けたが親切を受けなかったわけではない。

 リトスでちょっとした顔見知りになった人間だっていた。

 パン屋のおかみさん。

 無愛想な宿屋の亭主。

 生真面目な図書館の司書さんたち。

 市場のエレくんたち、売り子のみんな。

 迷ったふりをしたあたしに道案内してくれた、名前も知らない男の子。

 ウーゴたち、門衛。

 この決断は、きっと彼らを不幸にする間違ったものなんだろう。

 けれども、今のあたしはたぶん何度ループしても同じ言葉を選ぶだろう。これはそういう問いだ。

 

「『アエスにて危害を受くる恐れあり、脱出後数名にて帝都レジナへ急行するも、彼らは糾弾を受け入れず。また我らにさらなる危害を加えることをもためらわず。糾問は失敗。なお、以前より戦支度を行っていたとみられる情報も得る。以上を持って、陛下に我が判断を申し上げる』」

〔ボニーさん……〕


 いい。言ってくれ、グラミィ。

 

「『スクトゥム帝国は敵なり』と」


 ――いずれ戦禍がこの地を覆う。その発端は、きっとあたしだ。

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