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マグヌス=オプス

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 ターレムの視界の中で、蓬髪の……というにはなんとも珍妙なヘアスタイルの魔術師が、ふと目を上げた。

 あ、やば。気づかれたなこれ。下水の匂いを消臭しきれなかったか。


「なんだ?どこから入ってきたんだ、おまえ?」


 ターレムが一瞬脱兎ダッシュしようとしたが、あたしは止めた。

 ローブ姿の男の声音からは、幻惑狐(アパトウルペース)が堂内にいることをいぶかしむ思いはあっても、敵意も害意もないことが感じられたからだ。

 おまけに、水場を通じて伸ばした結界が伝声管がわりになったのか、上手い具合にあたしにも彼の声が直接聞こえてくる。

 これなら彼らの耳越し以上にいろいろ情報が集められそうだ。


「しまったな。何か残しとけばよかったか」


 男は鉄格子のきわまでくるとしゃがみ込んだ。

 この世界の言葉ではあるが、母音過多な訛りはこれまであまり聞いたことがない。グラミィ以外に。

 ……ここは一つ、確かめる必要があるだろう。ターレム。


(わかった)


 きゅ、と小さく鳴いた幻惑狐がゆらりと尻尾を振った。これでもう目の前の魔術師は化かされた。あたしがターレムに心話で伝える内容を、肉声で聞いているかのように受け取らせることができる。

 

『お前、落ち人か』


 魔術師は派手に後ろにひっくり返りかけた。

 ローブの下にゆったりしたボトムを履いてなければ、ターレムの視点の高さとか角度とか方向的に、いろいろ丸出しモロ見え大惨事になったかもしらん。

 が、未遂に終わったんだからそれはいい。

 驚きすぎて、おもしろい顔になったのもわかる。すっころんで頭にぐるぐる巻いていた髪の毛がぐちゃぐちゃになってるのもだ。

 だがいきなり笑い出すのはやめれ。ターレムがびびって後退ったじゃないか。


「なんてこった。狐が喋るとか。しかも日本語で。とうとうオレもイかれたか」


 ……やっぱり、落ちし星(異世界人)か。こいつは。


 心話、いわゆるテレパシーで伝える内容というのは、きちんと意識しておかないと曖昧になってしまう。

 視覚や嗅覚といった感覚的な情報は特に混じりやすく、そのぶん幻惑狐たちから伝達してもらえるものもその場にいるようなライブ感があるのだが、言葉というやつも感覚情報に劣らずやっかいだったりする。


 言葉は概念であり、思考を規定するものだ。

 グラミィと最初に出会った時、あたしが日本語を喋っているとグラミィが錯覚したのは、あたしとグラミィの基本言語の一つがたまたま互いに日本語だったからなのだろう。

 言語体系というプロトコルが最初から共通していたからこそ、グラミィとの心話が可能になり、意思疎通もスムーズにいき、そしてその後の協力体制というか共犯者的関係というのも比較的簡単に構築できたんだろうとね。


 それに対して、この世界の言葉であるアルマ語ネイティブなカシアスのおっちゃんたちとのファーストコンタクトの際、グラミィが日本語で喋ってたのに会話が成立したのは、逆に心話による意思の疎通のごりおしなんだろう。

 幸い、むこうの世界固有の語彙や概念をグラミィが使わなかったことも、おっちゃんたちに違和感を覚えられずにすんだ理由じゃなかろうか。カシアスもアロイスも、グラミィをこの世界の言語のネイティブスピーカーと信じて疑ってなかったみたいだし。

 だがこれ、下手すると勘の良い人間なら、グラミィの口から出る発音と、自身が受け取る言葉との間に、差異があるってことに気づかれかねんという危険があることだったりする。


 だから、あたしはグラミィに、この世界の言語を早く覚えろとスパルタった。あたし自身、超頑張って覚えた。単独行動開始時からこっち、スクトゥムの人間と話すときはこの世界の言語で心話も構築しなきゃとも覚悟していた。

 そんな事も、あった。


 うん、そう、実は過去形なんだ。

 だって星屑(異世界人)たちの会話って、日本語とこの世界の言語のちゃんぽんなんだもん!


 三人組や中身入り(異世界人憑依状態)だった時の船乗りさんたちにも共通したことなんだが、彼らはネイティブ発音なこの世界の言語に日本語の語彙を混ぜる形で使用している。それは、彼らの中では普通に日本語を喋っている感覚らしいということも、三人組とグラミィに面談を重ねてもらった結果からわかったことの一つだ。

 じゃあ完全な日本語というのは何かというと、この世界の人間には理解できないってことから、NPCを交えないプレイヤー同士のプライベートチャットか一人言感覚であるらしい。

 いくぶん気が楽になったのでいくつか実験をしてみたところ、どうやらグラミィ同様星屑たちにも、あたしの心話は完全に日本語に聞こえているようだ。やはり基本言語ってプロトコルが日本語だからなのだろう。

 おそらく、この落ちし星もそこは同じだ。だからこその日本語発言なんだろう。


 ちなみに、あえて相手を落ちし星と呼ばなかったというと、それがあたしの知る限り森精由来の言葉のようだからだ。

 状況証拠的に監禁されてるっぽいこの魔術師が、リトス内部もしくはスクトゥム帝国内部においてどういう立場にあるかはわからない。だが、スクトゥム帝国が森精に何をしたかを考えるなら、とりあえずファーストコンタクトをうまく乗り越えるためには、こっちと森精との関わりを隠しといた方がいいだろう。

 

 ……しかし、どんだけ長く笑ってるんだか。 こちんとお座りしているターレムも、空虚な高笑いをする様子を疑問と一緒に送ってきている。

 うん、いやね、人間は面白くなくても笑う習性があるの。

 見てるのも飽きてきた?いやちょっと待った。

 あたしは慌てて接触方針を決めた。

 せっかく誤解してくれてるんだ、ここはターレム自身が喋ってるふりをしよう。鉄格子といい、河の流れに囲まれて出るのも難儀する御堂の造りといい、閉じ込められている彼とあたしとの接点はターレムしかいないんだからちょうどいい。

 狐のお使いならともかく、狐が喋るなんてこの世界においてもファンタジックな状況、信憑性ゼロですよ。どこかに漏れても信じる人間などなかなかいないと思うの。


『笑っているだけなら、わたしは去るが』

「それはやめてくれ」


 ぴたりと笑いを収めると、男は再び鉄格子の脇までにじり寄ってきた。


「一度はそっちから話しかけてきたんだ。頼むから、少しの間でもいい、話し相手になってはくれまいか」


 かすかにもつれる舌や、かすれた声は長らく喋っていなかったからなのだろうか。


『話し相手といってもな。なんとお前を呼べばいい?』

 

 うーんと考え込む様子は、初めの印象よりちょっと若いのだろうか。

 森精の言うところのこの世界に落ちてくる星は、異世界転移者らしい。しかも海森の主によれば、外見が日本人に近いという。

 長く伸ばして頭に巻いた白髪交じりの黒髪はともかくとして。

 黄色みがかった肌、幼く見える彫りの浅い顔だちは、この世界では異質な部類だろう。だがぼうぼう髭と蓬髪に埋もれてしまえば、ある程度は隠せるわけだ。

 目の前の彼のように。


『この世界の名前が言えぬというのなら別の世界の名でもいい。落ち人ならあるのだろう?』

「……(スグル)

『ふむ。ではスグルと呼ぼう。スグルはなぜこのようなところに囚われているのだ?』

「聞いてくれるか」

『これも何かの縁だ』

「ありがとう、狐。……狐と呼ぶのもなんだな、何か名前をつけてもいいか」


 目をきらきらさせてくるのはいいが、狐だからってテンプレートのようにゴンとかつけられそうだしなあ。その名前、悲劇的な結末しか見えないんですが。

 ターレムも、『ごん、おまいだったのか』とか言われるのは……イヤですかそうですか。


『ならばシシャと呼べ』

「シシャ?使者?死者?どっちだ?」

『想像に任せる』


 どっちであっても今のあたし的には正解だ。

 

「じゃあシシャ。ちょっと長くなるが聞いてくれ。落ち人ってのが、この世界の者ではない人間のことをいうなら、そのとおりだ。オレはこの世界の人間じゃない。この世界に落っこちてきたときには本当に困った。まず言葉がわからないから、話ができない。文字が読めない。通用するお金もないから、食べるものも、飲み物も手に入れられない。そのまんま行き倒れになりかけた」


 ふむん?

 最初からカシアスのおっちゃんが喋る内容のわかっていたあたしやグラミィと違うな。心話が使えるか、使えないかという違いによるものだろうか。

 しかし、会話すらできなかったというのはかなり大変だったろうに。


「そんなオレを拾ってくれた人がいた。リトスの魔術師で、その人も落ち人だった」

『ほう』

「先生と呼べって言われたが、確かに、先生は先生(教育者)だった。オレは先生からいろんなことを教えてもらった。この世界の読み書きに常識、中でも星見る者とか、森人とかいうオランウータンみたいなヤツには気をつけろってこととか。やつらはどういうわけか違う世界から落っこちてきた人間の存在を察知して現れ、捕まえて管理下に置こうとするからだって」


 う、う~ん……。森精と好意的なコンタクトが取れなかった転移者だったのかな、その先生ってのは。

 視点はずれちゃいるけど、ある意味間違ってはいないよね。ラームスだってあたしたちの監視役でもあるんだし。


「先生は、この世界を嫌ってた。オレに教えてくれたことも大半恨み言混じりだった。でも先生が教えてくれたことは、だいたいが真実だったし、役に立った。魔術師としての真名をくれたこと、傑をもじったとかで、マグヌス=オプスって呼び名をくれたこと、養子ってことにしてこの世界で生きていけるようにと身分をくれたことは、今でも感謝してる」


 やっぱりこいつが、そうか。


「もちろん、先生がしてくれたことは、単純な善意でじゃなかったけど」

『スグルの身体目当てだったのか』

「ちがう!……いやまあ、ある意味ではそうかもな。オレはどうやらこの世界の人間が束になってもかなわないほど大量の魔力を持ってたみたいだ。魔術具を手がけてた先生が大量の魔力を必要としてたから、オレを手元で囲い込むことにしたんだろう。そのくらいのことはわかる」

『道具にされたというわけか。恨んでいるのか』

「いや、あんまりそういう気持ちはないな。別に食事ももらえず魔力を搾り取られたとか、命令に従わなければ殴られたりしたとかしたわけじゃないし。こっちも世話になってるんだからWin-Winの利用関係だろう。オレが魔術師として独り立ちできるようになる程度には、魔術に関する知識を惜しみなく教えてくれたのも本当のことだし。あんまり独自解釈が過ぎるとかで、この世界の魔術師に話したら笑われたけどな」

『笑われた?』


 こきゅ、とタイミングよく、ターレムが小首を傾げたのに和んだのか、落ちし星は笑った。

 リラックスしているようでなによりだ。

 

「この世界の魔術は、自分の魔力を持ってこの世の理を曲げ、望んだ事象を顕界する。結果として無から有が生じるように見える。だが、なぜそうなるかってことを、先生は突き詰めて考えていた」


 それは……確かになかなか興味深い命題だ。

 たしかに、魔術師連中にとっては、ちゃんと術式を編んで魔力を流せば、構成した術式の通りの現象や物質が発生するのが当然だ。

 なんでそうなるのか、なんて、そこまで踏み込んで考えようとする人間は、魔術学院の導師でもそうそういないんじゃないのかな。上級導師であるはずのアーノセノウスさんだって、既存の術式にどう手を加えればオリジナルの効果を現すことができるかって方に関心があるらしいし。

 魔術士団の連中……考えたこともないだろうな。

 

「先生に言わせると、なんでも、古来から魔術具には二種類あるんだそうな。一つは魔物の身体の一部を使ったもの。魔力の渦とかいう、魔術のような効果を生じさせる魔物の羽根や角に魔力を籠めると、その魔力の渦の一部を作り出せる。らしい」

『一部?』

「たとえば、洪水を起こしたりする魔物で作った魔術具で、水を作り出したり、とか」


 つまり、幻惑狐たちの尻尾を集めたら、隠れ蓑みたいに人を化かせるマントでも作れるってことかな?

 ……いやいやターレム、あたしはやらないから。いや、しないってば。本当だって。

 けど、この転移者が言うことが本当ならば、魔物達は魔晶(マナイト)掘りだけじゃなくて、魔術具の材料を集める人間にも狙われるかもしれないってことか。幻惑狐たちだけじゃなくて、グリグんやコールナーにも、また会えたら注意喚起しておかねば。


「そしてもう一つが魔術陣という古代技術を使って、魔術を顕界させるもの。先生はその両方を融合させられないかって研究していた。オレが手伝ってたのは魔術陣の方だけなんだが、そのぶん先生よりも魔術陣のことはかなり詳しくなった。古代の魔術陣もいくつかオレが解析した」

『それはすごいな』


 あたしは素直に賞賛した。

 だって、あたしのように知覚そのものが魔力で構築されているのと違って、彼は生身だ。グラミィたちを見るだに、生身な魔術師にはどうしてもあたしのように精細に直接魔力を知覚することは難しい。

 言ってみれば、あたしが普通に読み下す文章を、目をつぶって彫り込まれた文字を指で辿るようにして読んでいるのも同然なのだ。

 それで、古代の魔術陣――おそらくは森精の構築した、かなり複雑な上に陣を読み取るだけでも相当な魔力を必要とするものだろう――を解析したって。さらっと言ってるけど生半可な努力じゃないぞこれ。

 けれども、魔術陣自体が森精たちの技術だったってことを、この転移者も、そしてその先生も知らないのかな。解析できるほど魔術陣に触れる機会は、ランシアインペトゥルス王国よりもスクトゥム帝国内というか、ここリトスでは多かったようだけど。

 

「古代の魔術陣の中には、顕界する対象を示す単語の直前に、召喚を表す文言が入ってることが多かったんだ。そして同種の魔術陣の中でも、召喚を表す文言が入っていたものの方が、魔力は多く食うけれど、よりスムーズに、そして長期間効力が続くという特徴があった。その調査結果を提出したら、先生は一つの仮説を立てた。無から有を生じるより、有を別の所へ移動させる方がより簡単に顕界しやすいんじゃないかって」


 それはそうだろうと思うのは、あたしがむこうの世界の物理法則を常識として捕らえているからなんだろう。

 

「けれど、ならその有は、いったいどこから持ってくるんだ?この世界のどこかからか?たとえば目の前で炎を顕界すればどこかで同じ大きさの炎が消えるのか?」


 そう、この世界の魔術は質量保存の法則をたやすく失業させる。

 けれども、魔術すら万能ではない。魔術の術式を構築するにも顕界する条件にも制約があることは、あたしも知っている。


「通常、魔術の術式を編むとき、術者は自分の胸から腹の前に手と杖を構えて詠唱する。先生とオレは互いに顕界直前まで詠唱し、術式を構成する経過を観察した。それによれば、魔術師は自分の身体全体を感覚器として、術式が正しいかを確認しながら編んでいる。そして顕界する場所も、術者が認識できる場所しか指定できない。それはつまり、術者が認識できない場所から炎を顕界によって取り寄せているのではない、ということになる」


 ふう、と息を吐くと魔術師はよろよろ立ち上がって、机の上にあった杯の中身を口にした。


「では、顕界された炎はどこから来たのか?この世界の中で移動しているわけではないのだとしたら。先生はこう考えた。別の世界でなおかつ術者が無意識にでも認識しているところから召喚していると考えた方が納得がいく。つまり、炎がそこにあった『もう一つの可能性の世界』から」

『……なるほど、じつに興味深い』

 

 いつのまにか伏せの体勢になっていたターレムが、耳をぴくりと動かした。

 おそらくだが、このパラレルワールドからの召喚という発想は、彼らが異世界転移者だったからこそ生じたものなのだろう。

 彼の話の内容からすれば、召喚の文言が抜けた魔術陣もちゃんと発動するらしいが、それは因果関係をすっとばして、結果を提示するという力技によるものなのだろうか。だからこの世界の理に負けやすい、と。

 ……うわー、骨しかないのに、今ぞわっと鳥肌がたった気がした。一文字陣が短時間しか機能しない理由に説得力がついちゃったんだもの。


「あいにく、シシャみたいに興味を持って聞いてくれた魔術師はいなくてな。理論を空論扱いされて、先生は『そんなもんか』と鼻を鳴らした。……それで終わってりゃあ、こんなことにはなってないんだけどなぁ」

『何があった?』

「その後わりとすぐに先生が亡くなった。オレは先生の遺産を受け継いで、ここリトスで魔術師として独り立ちした。その時だ、今度はオレが人を拾った。そいつも落ち人だった」

『落ち人が落ち人を拾い、さらに拾われた落ち人がまた落ち人を拾ったと。おもしろい偶然だな』


 何心なくそう伝えると、囚われの魔術師は顔を歪め、いきなり格子を叩いた。ターレムがびくっと飛び退いた。


「ああ、悪い。……ただの八つ当たりだ」

『なにがあった。そんなに、拾った相手に問題でもあったのか?』

「……ああ、最低最悪なヤツで、頭だけはよかった」


 太く長い息を吐くと、魔術師は杯を呷った。

 

「あいつは、くそったれのクズだったが、その本性をうまく隠していた。オレはころっと騙されて、聞き分けの良い弟子だと喜んで先生が教えてくれた知識や技術をどんどん教えた。あいつは文法や初歩的な単語を教えたら、すぐにこの世界の本を読むようになった。リアルチートってああいうヤツをいうんだろうな。普通なら妬ましいとかなんとかって気持ちがこみ上げてきそうなところだが、オレはまったくそう思わなかった。あいつに教えたのはオレ、つまりあいつが優秀なのはオレのおかげ、どっかでそう考えていたのか、それとも考えさせられてたのかはわからないけれど、浮かれてたのは確かだ。あいつから必要な魔力をもらってあいつの世話をしてやる、ある意味同等の関係だったはずなのに、あいつに魔術師としての力を蓄えさせるために、金も、知識も、どんどん貢ぎこんでた」

『魔術陣も教えたのか?』

「そうだ」


 下水道の汚泥を口いっぱいにねじ込まれたような顔で、魔術師は座り込んだ。

  

「オレは先生の残した術式論だけじゃなくて、オレ自身が編み出した魔術陣も、全部あいつに教えてしまった。この世界を壊してしまいかねないものすら」

『どういうことだ?』

 

 なにそれもっと詳しく。

 

「先生の術式論に基づけば、この世界の魔術は『もう一つの可能性の世界』から事物を召喚してくることができる。ならば、逆に『もう一つの可能性の世界』に、この世界の事物を送り込むこともできるわけだ」


 つまり、それは。

 この世界に別の世界から落ちてきた人間にも、帰る道があるということ。


「このことに気づいた時、オレは猛烈に帰りたくなった。オレのもといた世界へ。だから、送還陣の研究に取り組んでいた。そのオレにあいつはこういった。『送還を研究するなら、その対概念である召喚の研究も進めたほうがうまく行くんじゃないんですか。それも炎や土くれなんかじゃ、この世界にあるものと見分けがつかないじゃないですか。なら人間を召喚しましょう。どうせ送還陣だって、最終的に人間を送るんですから』と。バカなオレは、あっさりあいつの口車に乗った!」

『人間を召喚する陣を作ったのか』

「……ああ」


 泣きそうな顔で魔術師は髪の毛をかきむしった。

 

「非人道的なものを作ったことはわかっている。けれどその時はまったくそんなことを考えもしなかった。送還陣ができれば協力してもらった(モルモットにした)人間ももとの世界へ戻すことができるんだからと。本気でそう思ってた。だけど完全なものはどうしてもできなかった。『もう一つの可能性の世界』を定義しきれなかったというのもあるけど、それより魔力不足が致命的だった。オレとあいつの魔力だけじゃ動かすこともできない、魔晶なんていくつあっても足りやしない。……そうかといって、先生の術式論を笑い飛ばしたこの世界の魔術師に協力を頼んだって、聞いてくれるわけがない。そもそもこれは落ち人にしか価値のない、落ち人の、落ち人による、落ち人のための陣だ。秘密にするしかなかった」


 いや、そこは秘密にして正解だろう。

 送還陣も、その過程で作られた召喚陣も、異世界人にしか価値がないとは思えない。この世界の魔術師の中に頭の柔らかい野心的な人間がいたら、その陣はもっとろくでもないことにでも使われていたかもしれないもの。


「オレとあいつは陣を組んではばらし、ぎりぎりに陣を切り詰めた。構成要素が少なければ少ないほど、魔術陣は必要な魔力が減る。制御は難しくなるが、オレとあいつはなんとか押さえ込むことができた。しちまった」

『新たな落ち人を作ったというわけか』

「違う」

『違う?』

「オレたちが『もう一つの可能性の世界』からなんとか召喚できたのは、人間の一部、精神だけだ」

『なんだと』


 じゃあ、ひょっとしたら、星屑たちというのは。


「オレたちは、リトスの医師とコネを作っていた。そして意識の戻らない人間を目覚めさせることができる手段を見つけたかもしれないと吹き込み、こっそり都合の良い人間がいたら協力してもらえないかと話を流した。最初の被験者(実験体)は老耄の病にかかった老人だった。俺たちは老人を魔術陣にのせ、魔力を流した。……実験は成功した。しちまった。有頂天になったオレは次から次へと実験を繰り返した。行き詰まりを感じてた送還陣の研究から目をそらしたかっただけかもしれんが。あいつはデータ取りと称して積極的に被験者の世話をした。それがまさかコネを作った医師たちとの繋がり、精神の容れ物にした人間たちの人脈とコネをオレから剥ぎ取るためだとは思わなかった」


 魔術師は血走った目を力なく伏せ、石の床に手を突いた。


「ある日、気がついたら、この御堂の中にオレは放り込まれていた。シシャ、あんたが今座ってるそこに立って、あいつは笑って言った。『師匠、ここなら好きなだけ研究ができますよ。何者にも煩わされず引きこもれるようにしてあげました。ああ、ここから物理的に出たら死にますから気をつけてください。送還陣を完成させて逃げ出されたら、私でもお手上げかもしれませんがね』と。オレは最初鼻で嗤った。だがあいつは『嘘だと思うなら、胸元を見てみるといいですよ』と言いやがった」


 加害者でもあり被害者でもある男は、服をはだけてみせた。その胸元にはくっきりと魔術陣が彫り込まれていた。


「オレに彫り込まれてた魔術陣はこれだけじゃない。魔術陣が機能しなくなるほど傷つけることも考えたが、どうしても命にかかわるほど大きい傷になる。それも、自分では感知することはできてもどうすることもできない背中やうなじにもある」


 一人ではどうにもできない状態に追い込まれたわけか。


『しかし、食糧などは運びこまれてきているのだろう?ならばそういったものを運ぶ人たちに、他の魔術師を呼んでもらうことはできなかったのか?』

「外に助けを求める行動ができなくなる陣というのも、オレにはしかけられているらしい。一人言を言うことはできても人間相手には喋ることができなくなる。何度かやってみたが、口がぱくぱく動くだけだ。筆記用具は潤沢だから、なにかメモでも渡せないかと思ったが、そのメモを書こうとしただけで手が動かなくなる。外から来た人間に近づこうとしても足が動かない、手も動かせない。おまけにオレは『無言の行に励む堂守』ということになっているらしくてな、彼らの方から近づいてもらうこともできんのだ。――シシャ、あんたが狐の恰好をしてくれていて、助かったかもしれん」


 あ。これ、あたしの存在がばれたかな?

 少なくとも、ターレムが見た目通りの無害な狐ではないことぐらいはわかっただろう。その程度の情報が抜かれるくらいはしかたがない。彼の言葉が本当ならば、この御堂から外にあたしの情報が漏れることはないと見ていいだろうし。

 むしろ孤絶に慣れた身に人恋しさを甦らせてしまったのは、かわいそうなことをしたかもしれない。

 

『……ならば、できうるかぎり、スグルの話し相手となることにしよう。非力なわたしでは、スグルを外に出してやることもできないが』

「いいのか?!」

『そのかわり聞きたいことがある』

「なんでも聞いてくれ!」

『スグルがこの御堂に入れられてから、どのくらい経つ?』

「もう……十年近くになるだろうか」

『その間、本当に外部と手紙のやりとりなどもしたことがないと』

「できるわけがないだろう?!」

『そうか。ならばどうやらリトスにはずいぶん長いこと、お前の偽物か、もしくはお前の名前だけが跳梁跋扈していたようだ』

「なんだって?!」

 

 つまり、それは、あたしの愛しのマイボディことシルウェステルさんが、マグヌス=オプスの高名に惹かれてこの学術都市リトスにやってきたところから、おそらくは殺されるところまで、すべて誰かの掌の上で進められた事だった可能性が高くなってきたということでもある。

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