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表も裏も地上も地下も

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 ぴっちょぴっちょと水気の多い音をさせながら、あたしは長い暗がりを歩いていた。

 杖の先に括りつけた松明はとうに燃え尽きているが、真っ暗闇でも見通しの利くあたしには特に問題はない。

 じゃあ、なんでそんなもんを持ち歩いているかというと、半分くらいは生身に見せかける目眩まし、もう半分くらいは悪臭避けである。

 火が消える前までは有害ガスの探知にも使っていたのだが。

 

(くちゃい)


 フーゼが小さくくしゃみした。

 幻惑狐(アパトウルペース)たちの五感は鋭敏だ。有害ガスにも裸火より敏感に反応してくれる。敏感すぎて当初はアンモニアだろうか、いろいろよどんだ下水道の匂いに悶絶してたもんね。

 今はまだ慣れたからいいものの、気体が溜まりそうな低いところを歩けば、匂いが染みつくものだ。さすがに可哀想に思って、懐に入って寝ててもいいよと言ったげたのだが、そこまでくつろげなかったようだ。

 だからといって、嗅覚の死んでるあたしが平然としていたのが気に食わないのか、嫌がらせのように嗅覚共有してくるのはやめてくれなさい。

 いや、まあ、鼻が壊れる、目が痛いと騒ぐのも納得したけどね?

 君らを運んでるあたしにまでダメージをくらわせてどうする。自分たちの脚でこの下水道から出るというのならそれでもいいけどさー。

 

 だが、彼らを下手に外に置いておくのも問題の種にしかならんのだ。

 一時は外で日向ぼっこでもさせとくかと思ったのだが、通りがかった人になでくり回されるのはまだマシなほうだというね。

 幻惑狐たちがとっととあたしのもとに逃げ込んできたからまだいいものの、ちゃくっとナチュラルに攫っていこうとする人間が絶えないとか。

 どういう了見かね、ええ?!

 ……リトスに入るまでの道中でも、かわいいから譲れ、売れとか言い出す連中もいたけどね。

 正面切ってうちの子にしたいとか言ってくるのはまだ良い方で、芸を仕込むのは虐待だから犯罪だ、お前じゃ幸せにできない、だからよこせと意味不明な三段論法を展開してくるお馬鹿さんまでいたもんだ。

 もちろんきっちり片はつけてきたけどね?

 

 なるべく魔物としての能力を見せるなと言ってあることもあり、カロルたちはぱっと見、人慣れした小さな狐にしか思えないのだろう。こっちの思惑通りといえばそうなんだけど。

 でもねー、幻惑狐はどこまでいっても魔物なんですよ。袋に入れて攫われそうになれば、切り破って逃げるに決まってるでしょそりゃ。牙が立たないと思えば最小限の土を操るぐらいするんですよ。


 そういう意味では、この下水道は無駄に絡まれずにすむのがありがたくはある。

 マンホールトイレ式に直接汚物や排水が降ってくることもあるが、そういった所には基本的に排水溝が刻まれている。中央に向かって掘り下げてある溝を避けて両脇の歩道状の場所を歩けば、案外下水道も歩きやすいものだ。

 そんなことを言えるのは、あたしが基本的に悪臭がわからないせいもあるだろうが、それ以上に地上の街路と同等か、それ以上にがっちりと石で作られていることが大きい。

 城壁で区切られた第二層、第三層と奥に進むにつれて、下水道はさらに広く頑丈な物になった。

 かつてリトスはアスピス王国の王都だった歴史があるという。もしその話が本当ならば、おそらく第四層は王都時代の遺物なのだろう。なにせ下水道のくせに、第一層の大きな通りなみに広々している上に、カロルたちに言わせると匂いもあまりこもっていないらしいのだ。

 石組みを見ていると、古い技術も侮れないなとつくづく思う。

 ここまで下水道がしっかり構築されているのは、都市に引き込んだアビエス川から引いている上水に汚水が混じらないようにするためもあるのかもしれない。

 第一層の城壁のきわで、下水道はアビエス川に流れ込むようになってるんだけどね。

 その合流口に辿り着くと、あたしは松明の燃えかすを踏んでから、水袋を取り出して、木靴をざっと洗った。

 匂いは基本汚水や汚物から発生するものなので、幻惑狐ごと全身まるごと放出魔力を絞った結界でカバーはしている。

 これだけ直接接触しないように気は配っているのだが、それでも幻惑狐たちに言わせれば、くちゃい、らしい。

 あたしの気分的にも、そのまま街中に出るのはイヤなものがある。

 せめて靴底だけでも消臭効果のある炭でなんとかならんかなと思ってのことだ。

 服や幻惑狐たちにも匂いは染みているのだろうが、それは今のように、戸外で人気が少ない場所で、不自然に思われないように風を魔術で起こして抜いていたりする。

 ほっとした様子の幻惑狐たちの心話を感じながら、あたしは盾に交差する剣の看板を目指した。


「おー、おかえりナイガー」

『ただいま戻りましたぜ、グイドのおやっさん。これ午前中のぶんです』


 あたしは取引カウンターに雑草をざっくり編んだ袋を広げた。中にあるのはぱっと見血の滲んだ巨大ミミズの大群……のようだが、(ラットゥス)の尻尾の束だ。

 それも、短いのでも50cmぐらいはあるんじゃなかろうかという代物ばかりがにょろにょろしているのだ。本体のでかさは推して知るべし。


「お、おお。だいぶ慣れてきたじゃねぇか」


 強面ギルドマスターとして振る舞うには、まだビビリが抜けてないなー。

 まあ、むこうの世界的には、目の前にどんと突き出されたら、真顔で三歩は後退したいしろもんだよね。

 とれとれぴちぴち巨大鼠の尻尾の山、ほんのり下水道の匂いつきとか。


「えーと、全部で……」

『50匹きっちりでさぁ。キリがいいところで戻ってきましたんで』

「お、そうか。ごくろうさん。じゃあ50匹ぶんってことで……100ネィだな」


 いくら触りたくないからって、新入りの申告を鵜呑みとか。どんぶり勘定にもほどがあるだろが。

 だがこっちにとっては、とてつもなく都合が良い。

 

 リトスへ入った最初の日は、宿の確保と手紙お届け人としてさんざん道に迷い、一番外側の城壁に囲まれた第一層にある冒険者ギルド『(ひうち)石亭』に登録したところで終了した。

 ええそうです、つまり今のあたしは、安い報酬で苛酷な依頼にこき使われる、駆け出し冒険者として行動しているのだ。

 つくづくMMORPG系異世界気分の星屑(異世界人)たちに、ギフトや初期スキルに束縛を受ける系のゲームとして認識されてなくてよかったよ。

 もしそんなルールがあるのなら、あたしは冒険者として何ができるかってところで躓いて、最悪門前払いをくらっていただろう。

 魔術が使えるというのを隠している以上、非力なあたしにできることは少ない。幻惑狐たちを連れてるからテイマー、とか言い張ることも考えたけれども、彼らが魔物だとバレるのもどうかだし、冒険者だと言い張ってる連中ができることは、実はそんなに特殊なことじゃないというのもある。

 普通の切った張ったや動植物採集といった物理的手段メインの中で、悪目立ちするのは非常によろしくない。

 そんなわけで、あたしは昨日からは下水道に潜ってネズミ取りをしている。

 なんでそんな下っ端ムーブをしているかというと、これにもいくつか理由があるのだが。


「なぁ、ナイガ。おめーなんで下水道潜りなんてしてんのよ」


 声をかけてきたのはウーゴ。この『燧石亭』を紹介してきた門衛だ。

 ここに入り浸るのも仕事のうち、冒険者という一般市民のルール外で生きている連中に目を光らせてるため、というのだが。

 ……酒場スペースに陣取り、小汚い携帯用ジョッキで酒を飲みまくってる様子を見ると、とてもそうは思えない。今のところ、この冒険者ギルド(笑)で見た依頼が『荷運び』『薬草採取』『ネズミ取り』『街路清掃』という『街中の雑用』にしか思えないものばっかりだというのもあるのだろうけど。

 ウーゴののんだくれた様子が、デキる官憲の偽装だという可能性もないわけではないが、……やっぱり思い過ごしかもしれない。


「ちゃんと芸を見せればいいじゃねぇか。門のところでやったようなやつ以外にもできるんだろ?」


 この世界、旅をする人間はきわめて限られている。なので信頼関係さえあれば、平民の富裕層どころか王侯貴族が芸人を書状の配達人に使うこともないわけじゃない。

 もちろん、あたしたち(シルウェステルさん)が名乗っている糾問使みたいな、一定の権限を与えられて判断が求められるような使者なら話は違う。王の使者なら貴族、貴族の使者なら最低限自分ちの使用人を使うのが当然のことではある。

 だけど、手紙をただ配達するだけのお仕事ならば、内部の人手を長期間にわたって割くよりも、信頼できる人間に外注したほうが安くすむのですよ。

 逆に言うなら、手紙の配達人を任せられるほど手紙の出し主から信頼されている芸人というのは、それだけしょっちゅうお偉いさんから呼ばれるくらいの芸があるんだろう、という推測が成り立つわけだ。

 それらの実情を踏まえて、ウーゴはアドバイスをしているつもりなんだろう。

 

 あたしもそういった推測ができる程度の、当たり障りのない設定はアルガやトルクプッパさんとも相談して作り込んできている。

 一番抜かれても構わない情報は『旅芸人のナイガが書状をとある身分の方から預かってきて、配達をすませ、路銀稼ぎをしている』というざっくりしたものだ。

 だがこれで隠蔽は終わらない。情報は二重三重にこしらえておきますとも。 

 国境を越えられる事が不可能に近い現状を知ってる人間にも不審に思われないように、『スクトゥム帝国の外から来た』という情報も隠蔽してはいるが、そんなにこっちはがっつり隠しているわけではない。目立たぬようにはしているものの、ボタンや幻惑狐たちをどこから持ってきたかを調べられたら、ちょっと危険ではある。

 ま、一ヶ月くらいはなんとかごまかせるように手は打ってきたし、『旅芸人のナイガ』に関する情報をいくらほじくり返しても、『ルーチェットピラ魔術伯爵家のお屋敷に出入りをしている旅芸人のナイガが、故シルウェステル・ランシピウス名誉導師の書状を預かってリトスに来た』という設定までしか出ないようになっている。

 アーノセノウス(前ルーチェットピラ)さん(魔術伯)自体が王サマのお抱え芸人的スタンスでランシアインペトゥルス王国の宮廷を浮遊しているので、奇矯な人柄で知られる彩火伯(アーノセノウスさん)絡みならばさもありなん、と見える程度には説得力のある設定ですこれ。

 間違っても『ランシアインペトゥルス王国のシルウェステル・ランシピウス名誉導師が糾問使臣団から外れて潜伏している』なんて出してたまるかい。

 ましてや、『シルウェステルさんの骸骨に入り込んだ落ちし星(あたし)が、他の星々の関与を疑って帝国の様子を探っている』なんて情報は、幻惑狐たちを逆さに振ったって出てきやしないのだ。


「滞在証があるなら、広場でやる許可も簡単に下りる。一日5ネィだ。芸があるのに見せねえのはもったいねえぜ。わざわざ下水道に潜らねえでも金は稼げるんだ、その方が楽なんじゃねえか?」


 やたらと熱心に口説いてくるのは、許可料目当てかな?

 だが断る。そもそも冒険者ギルドを教えたのはあんたでしょーが。聞いたのはあたしだけど、所属した以上はそっちの仕事優先だ。


『いやー、そうもいきませんでして』


 アルガのへらへらした態度をイメージしながら、あたしはターレムを抱き上げてみせた。


『こいつらに肉を食わせる用もありましてねぇ。街中でラットゥスをたっぷり狩れる場所なんざそうないんでさ』

「……だからそっちの依頼を受けたのか。ヌーブ(新参者)はたいてい薬草採取を受けるもんなんだがなあ」


 カロルたちが自分たちと同サイズな巨大鼠をがっついているさまをうっかり想像したのだろう。ウーゴだけでなく、聞き耳を立てていたグイドや、酒場スペースにたむろしていた数人もどん引きしたような表情になった。

 だが引いてくれてありがたいくらいですよ。

 最初に盛大になでくり回されそうになってから、幻惑狐たちは冒険者ギルドを危険地帯と見なしている。愛らしい容貌で媚びたり甘えたりというのも生存戦略(食糧の獲得手段)に組み込むようになったというに、あたしの側から離れようとはしないし、絶対にあたし以外の人間に触らせようとはしないもんね。

 二本尻尾に気づかれたら、なにされるかわかんないよと脅しておいたのも、効いているのかもしれないが。


 ちなみにこの口実だが、実行する気はまったくない。

 確かにラットゥス退治は、食物ピラミッド的には肉食獣である幻惑狐たちの出番なんだろうさ。

 けれども鼻の鋭敏な彼らに、臭い下水道、それも彼らの体高的に通らざるを得ない低い位置は、悪臭の原因たる重い気体の溜まりやすい鬼門中の鬼門だ。

 そんな、幻惑狐たちにとって最大の武器である鼻が利かないような極悪な環境で狩りをさせるとか。しかもどんな病原菌やウィルスを保有しているのかわからないような、下水道棲息巨大鼠を食わせるとか。マジでないわ。

 幻惑狐たちには、あたしといっしょに城壁の外に出た時や夜中に、好き勝手に近くの畑や川沿いで狩りをさせている。そういった野外だって無菌環境とは言い難いが、閉鎖的な下水道より遙かにましだろうというわけだ。

 ちなみに下水道であたしが狩った後、討伐証拠に尻尾をちょんぎった後の鼠本体はというと、放置するのもアレなので、悩んだ末にラームスの気根を一本近くに植えておいた。

 下水道でも路上の雨水などを流し込むためか、時折ちっさな金属製の格子の蓋ごしに外の光が射し込むところがあるのだよね。

 光合成しながら魔力吸収をしてもらえば、鼠の死体も早く分解が進むだろう。


「ま、まあそれはいいとしてだ。なあ、ナイガ」

『なんですウーゴさん』


 ひそひそ声で手招きされたので寄っていく。呑むかと酒壺を示されたが、下水道帰りなんでと断った。

 人から距離を取るのが楽なのはありがたい。ラットゥス退治を受けた思わぬメリットだ。

 なにせ、あたしの服の下には骨とラームスの気根や枝葉が詰まっている。ラームスの迷い森効果や幻惑狐たちの化かす能力があるとはいえ、下手に触られて違和感から騒がれても面倒だ。

 もともと絡みプレイ好きとかいう人間もいたので、あらかじめ触られるのが苦手とは言っているのだが、全体的にどうも星屑たちは無駄に人との距離が近いというか、スキンシップ過多なんである。


「いや、しょぼい依頼受けてるのはエサ代ケチってのことだってのはわかったが、レベル上げ目的もあるんだろ?滞在日数伸ばすつもりなら、リトスの攻略法教えてやろうか?100ネィで」

『いや、いいです』

 

 あたしはあっさり断った。

 100ネィってあーた、あたしの半日の稼ぎじゃないか。なにそのぼったくり。

 金額の多寡だけでなく、彼ら星屑にとって、この世界はただのゲームだということもある。プレイヤー視点での『攻略法』が、あたしにとっての最適解でないことだけははっきりしているのだ。

 だけどそう明言するわけにもいかず、あたしはえへらとごまかした。

 

『お気持ちはありがたいんですがねぇ、情報は自分の手で一つ一つ拾い集めていきたいんで。しょっぱなから全部わかってるのって、おもしろくないでしょ?』

「……ナイガって、どえむ?」

 

 失敬な。てかあんたらの方がそうなんじゃないのかね?

 そんな内心はしまいこんで、あたしはえへらえへらと手の骨を揉んでみせた。


『ですがまあ、このリトスのことは表も裏も知り尽くしてるウーゴさんのこってす。アタクシなんぞが手の届かないようなこともご存じなんでしょ?』

「いや、まあ、その通りだが」

『なら、些細なヒントを一つぐらいはいただけませんかねぇ?ただで』

「ちょ、おまっ。……ナイガ、てんめぇいい性格してやがんな、まったくよぉ」

『おほめいただきまして、ありがとうございまぁす?』


 くねっとアルガっぽいシナを作ってみせると、毒気を抜かれたように星屑は溜息を吐いた。


「……まあいいや。アゴラを探せ。それぐらいは教えてやる」

『アゴラ?!』

「広場のこった。板がある。情報を集めるなら、見といた方がいい」


 おっと、意外と有益な情報だ。


『ありがとうございます、ウーゴさん!あ、おやっさん。アタクシの支払で、ウーゴさんにガッルスの串焼きを一本お願いします!』

「おうよ、5ネィだ」

『じゃあアタクシはこれで!』

「ああ、いつもの注意だが、第二層より奥に行くなら杖持ちに気をつけろよ」

 

 ウーゴから離れたところでたむろってた先輩冒険者(笑)が声をかけてきた。

 

『魔術学院には近づくな、ですね。わかってます!』

 

 リトスは賢者と魔術師の都市だ。当然のことながら魔術学院もあるのだが、この冒険者ギルド(笑)は魔術師たちを杖持ちと呼んで敬遠している。

 それでいて杖を持ち歩いているあたしを魔術師と思わないらしいのは、やはり魔術師と言えばローブという頭があるのと、あたしが杖を実用的に使い倒しているからだろうなー。

 

 魔術師の杖は、基本的に装飾をあまり加えない。イメージ的には色のついたひのきのぼうだろうか。

 あたしの持つシルウェステルさんの杖も、基本的にはとってもシンプルな形をしている。そのシンプルな形に仕上げるのに、ずいぶんと手をかけているんだろうなとは思うけど、今のあたしにとっちゃ、傷をつけずに偽装がしやすいのがありがたい。

 あたしは船の上で、シルウェステルさんの杖を、薄く粘土状態に顕界した鉱物でくるんだ。その上にラームスの枝を転がして樹皮の模様をプリント、さらに乱雑に枝を払ったような凹凸と色をつけておいたのだ。

 加えて、用途的にも目眩ましをかけた。リトスに入った時には肩に担いだ杖の先に荷物の袋をひっかけておいたし、一番最初に下水道のラットゥス退治を受けた時も、先輩冒険者(笑)の前で、括りつけた松明の台として扱っていたりする。

 これ、杖を大事にする魔術師的にはあり得ない所業らしいです。


 リトスに来るまで、魔術師と接触する機会はまるでなかった。これは、平民に魔術師の素質といわれる大きな放出魔力を持つ人間が生じる割合が、千人に一人とかいうわずかなものだということもあるのだろう。

 じゃあ、もっと魔術師を輩出しそうな魔術系貴族ならば?

 んなもん平民を装ってる今のあたしが接触できるような相手じゃありませんて。

 けれど、賢者と魔術師の都市であるここリトスに来てからも、あたしは魔術師と接触できていない。手紙の届け先にもだ。


 手紙の配達というのはリトスに入る時の口実だったわけだが、事実でもある。

 生前のシルウェステルさんがリトスで世話になった数人の魔術師へ書いたものが残っていた、という名目で、あたしが書いたものを自分で配達するというね。

 なんだろうねこの子どもの郵便屋さんごっこ的な自作自演と微妙な気分になったが、まあそれはいい。差出人もシルウェステルさんの名前を表に出すのはまずいので、かつてスクトゥム帝国内にいたことになっている密偵さんたちの名前を使わせてもらってたりもするしね。

 ちなみに宛先にした複数人は、みな生前のシルウェステルさんと交流があったことが確かめられている魔術師たちだ。一人や二人に会えないぐらいは想定の内だったが、全員に会えないというのは明らかにおかしい。

 高齢の魔術師は死亡していたり、老耄(ろうもう)の病――早い話が認知症的なサムシングですな――に冒されていて面会謝絶状態になっていたりするのは、まあ納得できなくもない。

 けれど、ならば比較的若い魔術師はといえば、そろって転居済みの行先不明とかね。

 魔術師たちが基本的に独身で、使用人を置いての一人暮らしだったということもあり、家を引き払われてしまうと、消息はあっけなく絶えた。

 こいつぁ……シルウェステルさんと濃厚接触のあった人たち全員、殺されたかなぁ?


 じんわりヤバさに背骨が寒くなってきたが、ここで逃げ出したら子どもの使いだ。

 それに、あたしはまだ大本命には辿り着いていない。

 リトスにおける魔術陣の第一人者、マグヌス=オプス。

 一応、冒険者ギルド(笑)に所属している魔術師がいたらそっちから辿れないかと、最初こそ期待はしたが、街のよろず面倒事ひきうけ処的な実態を悟ってからは諦めている。

 彼らが魔術師や魔術学院を敬遠する理由はわからない。だがそのせいであたしまで魔術師に接触できる機会がなくなるとは思わなかったが。

 では、なぜまだ冒険者ギルドの依頼を引き受けて下水道に潜っているかって?

 いい目眩ましだからだ。


 配達を名目に、おのぼりさん風味たっぷりであからさまに道に迷ってみせたのも、リトスの地理を頭蓋骨に叩き込むためと、探られては困るところはどこかということを探すためでもある。

 もちろん、第一層から第四層までもくまなく回った。行政府や聖堂といった都市の主要な機能が詰め込まれている第四層は、当然のことながらかなり警戒レベルが高い。

 守衛みたいな人が威圧的に警戒してたりもするのだが、こっちがにこにこしながら『ああ助かった!道が分からなくて!どう行ったらいいですかね?』などと積極的に絡んでいくと、残念な子を見るような目で警戒を緩めてくれた。道を教えてくれるかは別だけど。

 人間、こっちからオープンにしている人間を疑うのは難しい。

 ついでにちょっとどんくさい(能力の低い)人間に見せるのも、相手の心理的ガードを下げるには悪い手じゃないのだ。

その道中、あたしはラームスを蒔いた。

 さすがに第四層ともなると、道が綺麗に掃除されすぎていて、気根や葉っぱといった小さな欠片を落っことすことしかできなかったのだが、おかげで警戒の強い箇所になにがあり、どんな人間がいるのかはだいぶわかったと思う。もともと威力偵察があたしたちの任務なのだが、攻撃なんて派手なことをしなくてもスクトゥム帝国について情報が得られるのならば、それにこしたことはない。


 午後はあれこれ用事を済ませるだけで過ぎてしまったが、あたしは夜中に宿屋を忍び出た。

 比較的足音の立ちにくい革靴で街を抜け、下水道の入り口まで来ると木靴に履き替える。

 革靴を隠すと、両肩にカロルとターレムを乗せ、懐にフーゼを入れる。

 そしてあたしは、下水道を駆けた。


 城壁に設けられた門は、すべて門衛がいて、決められた時間になったら閉まってしまう。

 おまけに出入りする人間はすべて滞在証なりなんなりでどこの誰だと把握されるセキュリティシステムが構築されている。

 だが、下水道だけは、城壁のような制約を受けない。

 時たま汚水槽で脇道が塞がれていることもあるが、結界を使えば水の上も歩けるあたしには、何の障害にもならないのだ。

 さらに、全身まるごと――それこそ靴底まで覆っている――結界の形を変えて、足跡の形を別人のものや、動物のものに変えたりもしているので、現行犯で捕まらない限りは、あたしが城壁を地下から越えてリトスの最奥にまで侵入してることは、まず証明ができない。

 そして、下水道の地理を知り尽くしている人間は先輩冒険者(笑)の中にもいないことは、とうに確認済みだ。

 ギリシャ神話式迷路脱出法を実践する人はいるかもしれないが、あたしが気をつけるべきは足跡を残す場所と残さない場所を見分けること、どの足跡を残すべきかを見分けること、そして魔術を気づかれないように顕界することだけだった。

 

 第四層に限らず、リトスの街全体にも相当数のラームスの欠片を蒔いたおかげで、下水道の中とはいえ、リトスのどのへんの地下を移動しているのかが、今のあたしにはよくわかる。ナビは情報ネットワークが構築されていることが大事ってことですね。

 この先は、極力目立たぬように人が配されてはいたが、第四層の中でも最も警戒が厳重だった区域だ。

 しかしここは、行政府でもなければ、合議制のリトスを牛耳る実質的統治者である評議員たちの邸宅が建ち並ぶ一等地でもない。

 むしろ第四層の中ではちょっと異質な場所、アビエスの御堂だ。


 アビエスは、このアビエス川流域独特の川神、ということになっているらしい。

 涸渇や氾濫などを起こさぬようにと、水がなくては生きられない流域の住民が川を神と崇めるのは理解できなくはない。

 だけど、その御堂がリトスの街中にひきこまれたアビエス川の流れに取り囲まれているのを見たとき、あたしは違和感を覚えたのだ。

 聖域が立ち入り禁止なのはわかる。けれども、信仰の対象として崇めているというアビエスで取り囲み、外界から隔絶した空間は一体何のためにあるのかとね。

 そもそもそんな御堂から下水道の本道に向かって、排水溝がつながっていることがおかしい。

 そして、人が住むはずもない御堂からの排水に髪の毛が含まれていることがおかしい。

 含有魔力(マナ)が馬鹿高い、それこそ魔術師のように魔力を意図的に貯めでもしないとそんな高い魔力が含まれることなど、まずありえないような髪の毛が出てくること自体おかしい。

 さらに言うなら、川に、下水を直接つなげているってのがおかしい。むこうの世界の中世ヨーロッパなら、それだけなら割と普通のことなんだけども、信仰対象の川に汚水直送って、ありえなくね?


 で、どう?いけそう?

 

(たぶん)


 トイレの中身的な何かが降ってくる穴と、生活排水用の穴が別々で助かった。けれども後のことを考えると、綺麗であることにこしたことはない。

 あたしはジェット水流を作り出すと生活排水溝を洗浄し、さらに結界で一番小柄なターレムを包んだ。

 ターレムはどんどん排水溝に潜り込む。


(じゃま)


 視覚を共有されると、金属っぽい格子で塞がれているのがわかったが、たいしたことではない。

 手の形に顕界した結界球で格子を静かに持ち上げると、ターレムはするりと隙間から滑り出た。

 水桶の類いが置いてあるところを見ると、室内に作られた水場なのだろう。

 格子を切り飛ばさなくてよかった。なるべく侵入痕跡は残さない方がいい。

 幻惑狐から結界を外すと、彼の鼻腔に人の匂いが飛び込んできたのがわかった。

 ターレム、そのまま匂いを辿れ。人に見つからないように。


(わかった)


 姿勢を低くしたターレムがするすると戸のない部屋をいくつか通り抜けてゆく。

 やがて彼が立ち止まった先にあったのは、おもしろいつくりの部屋だった。

 ターレムを立ち止まらせたのは頑丈な扉だったのだが、ぐるっと反対側に回るとそちらにある戸口には扉はなく、かわりに格子を嵌め込まれている。その向こうから香の匂いが漂っていることを考えると、おそらくはそちらにアビエスを祀っている空間があるのだろう。

 だが、あたしの意識を引いたのは、鉄らしき格子の中にいた人物だった。

 放出魔力の大きさからして魔術師なのだろう。ソフトクリームかターバンのように、白髪交じりの黒髪と伸ばし放題の髭の間から見える顔は、この世界の人間を見慣れた目にはひどく黄色っぽく、肌理(きめ)が整った肌であるように見えた。

 身じろぎした拍子に、手元が見えた。植物紙らしきものに記された図形は魔術陣のように思われる。


 ようやく見つけた。

 おそらくは、彼こそがシルウェステル・ランシピウスが関心を抱いた魔術陣師、マグヌス=オプスなのだろう。

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