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EX.海森のほとり、そして

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

「いやあ~、なかなかの演説でしたね、カプタスファモ魔術子爵さま」


 ニヤニヤしながらアルガはいう。

 先ほどまでクランクは三日たってもシルウェステル一行が戻らぬことにざわついていた船乗りたちを落ち着かせるために、直接話をしていたのだ。


 人心を得よ、されど己が心を相手に投げ与える事なかれ。

 それ自体はカプタスファモ魔術子爵でもあるクランクにとって、成しうることなど貴族として当然の技術、人心収攬の基本中の基本である。

 しかし、船乗りたちとの身分差もあり、これまでアルガ越しに命を下し、それに従わせるという関係しか持とうとはしなかったクランクにしては驚くほど柔軟な対応であったのも事実だ。


「言わねばならぬことだから、言ったまでのことだ」

「だけど、あそこまでおっしゃらなくてもよかったんじゃありませんかねぇ?」

 

 潮が満ちた時に、遠浅の砂浜に乗り上げさせたこともあり、これまで彼らが乗ってきた船はどっしりと浜辺に据えられ、波にゆらぐこともない。

 船乗りたちが船体や船具の手入れにいそしむ中、三人の魔術師は船室へと入った。

 これまで倍以上の人間が寝泊まりに使っていた船室は、狭いくせにひどくがらんとして空虚だった。

 クランクは長櫃の一つに近づくと、その蓋に骸の魔術師が嵌め込んでいった結界の魔術陣に魔力を流した。 

 魔術は術式を直接顕界したほうが効果が出る。しかし術式の構成を編む都合上、頭脳を他のことに使いながら維持するのは困難だ。

 そのことを熟知しているからこそ、あの骸の魔術師はクランクに魔術陣を渡した。

 機能は遮音。密談のために使うようにとのことだが、結界陣の内と外では完全に音が遮断されているため、ただ顕界しただけでは外で何が起きているかわからなくなってしまう。だから内と外に幻惑狐(アパトウルペース)たちを置き、見張りをしてもらうといいとの助言つきで。

 まったく至れり尽くせりの心配りである。


「あそこまでとは」

「ほら、『シルウェステル師は諸君を信じておられる。そうでなくては、諸君をこの島に預け置いて発つことなどなかった。我々もまた、諸君と同じだ。師が断腸の思いで我ら全員の同行を断念されたのは、偏に我らが力量が師に及ばぬゆえ。師が魔術で船を動かされたが、諸君の中にあの速さで操船できるものはどれだけいるだろう?』でしたっけ?」


 力不足を暗に責められたととったのだろう。船乗りたちの気配が一段暗く重くなったときのことだ。


「まさか、『我々もそうだ。師に比べれば力量は劣る。だが我々は我々の成すべき事をなさねばなるまい』となどとおっしゃるとはね。ちょいと驚きましたよ」


 確かに、魔術師は己が力量に絶大なる誇りをいだく。いかにあの骸の魔術師が膨大な魔力と、意味不明な複雑怪奇極まる術式を操り、海を歩き、空を飛ぶ絶技を見せようが、そうそう己が彼より劣っていると素直に認めることは、まずありえない。


「シルウェステル師であれば、どのように振る舞われるだろうと考えた成果だ。船乗りどもは『信用してもいいが完全には信用できない。まして信頼することなどかなわない。だがこちらを信憑するに足ると思わせなくてはならない。そのためには不信を抱いていることを感じさせてはならない』。――師の言葉だ」


 信頼している者でなければこちらの急所や弱点などを(さら)すわけにはいかない。

 つまりそれは逆に言うなら、自らの欠点を示せる相手とは、こちらが信を置く者と言うことになる。些細な弱みがあるように見せることで、こちらが向こうを信認しているように見せることができるということでもある。

 人間は自ずから心を開いてみせる者に己が心を開くもの。あえて自分を含め、残された魔術師三人の力不足を認めてみせたのは、こちら(魔術師)側から歩み寄ることで心服させる手がかりとしようとしたもの。

 

「なある。それで、あのようなお言葉を」

「そうだ」

 

 もちろん、そんなたくらみや疑いの気振(けぶり)を毛筋ほども見せないことなど、貴族であるクランクと密偵であるアルガには朝飯前のことではある。

 

「ですが、肝心のシルウェステル師はどの辺りまで行かれたことでしょう」


 一人、わずかに顔色を悪くしたエミサリウスが話題を転じた。

 別働隊を案じるのにも訳がある。一応の目的地である帝都レジナへは、並みの船でおおよそ十日はかかるのだ。

 持たせた食糧は、二十日分。道中放り出すという三人の捕虜のぶんも一応は十日分加えてはあるものの、せめて往路の三分の一なりとも順調に進んでいるとよいのだが。

 

「さ、とうに帝都を壊滅させていてもアタシゃ驚きませんがね。なにせあの方のやることなすこと、拝見すればするほど、笑うしかなくなりまさぁ!」

 

 笑って手を振ってみせるグラディウスファーリーの魔術師を、クランクは眼を細めて見た。

 確かに、あの骸の魔術師と同じ魔術師とは名乗っているものの、彼我の力量を比べるなどとは冗談にしかならない。認めがたいことだが。

 クランクは船室で船酔いに負けていたから、他国の王弟が幻惑狐越しに見て伝えられた情景と、顕界を感知した術式からの推測が主なものになる。

 しかし、術式で船よりも巨大な黒い化け物を作り出し、自ら犠牲者役を演じておいて海に沈みながらも、すさまじい速度を出している船に追いついて平然と乗り込んできたということを聞けば、呆れるしかない。

 

「グラミィどのもたいしたお方ですし」

「……そういえばそうだったな」

 

 もう一体の黒い化け物を作り出し、ついでに逃走を助けたのは、かの老女の魔術だという。

 悪心と戦いながらも顕界を感知したが、魔術量がよほど多いのだろう。繊細なほど精緻な術式を操る骸の魔術師とはまた違う、豪放ともいえる力任せのやり方には驚いたものだ。


「確かに、グラミィどのをも従える師の力量たるや畏怖すべきものだな。では、師のお人柄をどう思う?」

「甘いですね。アタシやマヌスさまが同道を許されているだけでも、蜂蜜よりもずんと甘いお方のように思いますが」

「そうかな」


 違うか?とアルガに眼で問われてクランクは韜晦の笑みを浮かべた。 

 

「わたしは、渋みのある方だと思うがな」

 

 練れない青臭さか、それとも歳月を経たアクか。

 だが一筋縄ではいかぬくせに、人を損ねることを純粋に嫌っているようだ。そこが妙におもしろく感じられる。

 

「……で、わざわざ遮音結界を張っておいて、カプタスファモ魔術子爵がなさりたいこたぁ、あの方の品定めではありますまい?」

「いかにも」


 クランクは頷いた。

 カプタスファモ魔術子爵クランク・フルグルビペンニスは副使である。そのため正使であるシルウェステル・ランシピウス名誉導師が不在の統括を任せられるのはしかたのないことだ。

 だがその一方で、毒を仕掛けられる危険、死の危険を回避し、無事ランシアインペトゥルス王国に還るために後衛として温存するという形で、あの骸の魔術師に守られていることもわかっている。

 だからこそ、はっきりとさせねばならないことがある。

 

「今こそ腹を割って話し合っておくべきだと思ったのだ。師のご指摘のとおり、船乗りたちと我らは心を一にすることはできぬ。それは、師が助力を肯われたクラーワの行商人たちとも同様」


 それはそれぞれの陣営から送り込まれた魔術師同士ですら同じ事、一枚岩になることなど到底できぬ。


「だが、せめてこの三人の間では、互いの思惑の風向きぐらいは揃えておきたい。糾問使が失敗に終わる以上」

「失敗?」

  

 エミサリウスにクランクは頷いた。


「そうだ、師がおっしゃった。ランシアインペトゥルス王国を出発する前の事だ。糾問は失敗に終わるだろうと」

「それは……」

「まあ、そうでしょうなあ。アエスの状況が状況でしたから。ですがランシアインペトゥルスを発つ前に?」


 どこまで何を想定しているのかと、アルガは呆れたような顔になったが、次のクランクの言葉には勢いよく眉を跳ね上げた。


「『場合によっては我々が戻る前にハマタ海峡を抜け、疾くロリカ内海を出よ』。……師の伝言だ」

「アタシゃ反対ですね。方々をあたう限り待つべきでしょう」


 アルガは即答した。

 失策を犯した密偵などというものはいない。犯した時点で命を落としているのが当然だからだ。

 だのに、あの骸の魔術師は何度となくアルガを救った。アルボーの水没から助けられたのは、もののついでか、グラディウスファーリーまでの水先案内人を確保としようとしたのだとしてもだ。

 真名の再付与という、魔術師としては死を迎えるも同然な状況にも、魔術学院長や魔術士団長に対し庇い立て、グラディウスファーリーへの忠誠心を抱いてなお魔術師として救われる道を残してくれた。恩義を感じずにいられようか。

 グラディウスファーリーへの忠誠と恩義の板挟みに、なればと骸の魔術師をランシアインペトゥルス王国から引き剥がし、グラディウスファーリー側へ引き込めないかと企みもした。それもあっさり思惑を見抜かれ、最期とばかり死を賭した大博打すら、ものの見事に骨の手で総取りにされた。

 それでいながら、アルガの能力を――魔術師としてもそうでない部分もまるごとだ――高く評価し、それをアルガの身柄をグラディウスファーリーからひきとり、王弟を生きたまま出す口実にだろうが、クルタス王にもさらりと言上する。

 あらゆる面において勝てぬ相手がそこまで言ってくれるのだ、その意気に感じぬ訳がない。

 ましてや、糾問という当初の目的が失敗に終わるということは、正使であるあの骸の魔術師の身に、そして同行しているグラディウスファーリー王弟の身にも危険が及ぶ可能性が高いということだ。

 それを見捨てるように、自分だけ安全圏へと逃れ出るわけにはいかぬ。


「エミサリウスはどう考える?」

「わたくしも反対はいたします。方々の身をわたくしのような者が案じるのは僭越かと存じますが。……それに、シルウェステルさまだけではございません、方々が(つまび)らかになさんと飛び込まれた、帝都レジナの内情がわからねば、わたくしは先を見通すどころか、シルウェステルさまが言い置いていかれましたことなど解明できませぬので」

 

 別してエミサリウスにあの骸の魔術師が言い置いていったことがある。アエスの自治は幻だと。

 エミサリウスが求めに応じ、アエスの構造、周囲の畑の広さ、そこから上がる収穫量などを推定し、言上した時のことだ。

 夢織草(ゆめおりそう)の畑の広さをあの骸の魔術師は指摘した。再計算すると確かに穀物の収穫量よりも都市人口の消費量の方が遙かに上、つまりアエスは食糧を自給できていないことが判明した。

 食糧を自給できないということは、他人の手に生殺与奪の権限を与えたも同然。アエスは自治都市とは名ばかり、交易によって繁栄しているように見えてはいるが、その繁栄はあくまでも他の都市に支えられたものであり、交易で必需品が得られなくなった瞬間から死を迎えるだろうと。

 おそらくは、他の自治都市も。

 

 肩にかしょりと骨の手をかけられ、老いた女魔術師に囁かれた。

 エミサリウス、そなたの先読みの力をもって、アエスだけでは成立しない金と物(経済活動)の流れを突き止めよと。

 食糧を供給しアエスを動かそうとする都市、ないしは属州総督の手がどのように動くか見極め、どう断ち切れるかを探れ、それが他の自治都市の動向をも見極める鍵となると。

 だが、先読みの能力は、得られた情報が極めて少ない今の段階では茫漠としたものしか見えない。


「ですが、この使臣団を正使であるシルウェステルさまがおられぬ間、率いられるは副使であるカプタスファモ魔術子爵さま。わたくしはカプタスファモ魔術子爵さまのご判断のままに動きましょう」

 

 深々と頭を下げたエミサリウスの姿にアルガの目から一瞬笑いが消え、クランクはつめたく笑んだ。


「ようやく、素顔らしきものを見せたな。アルガ」

「…へい?なんのこってす?」  

「韜晦も無用。道化の皮を剥がすがいい。お前がすべてを師のために捧げるというのなら、我々にもそのすべてを(さら)せ」

「……なるほど。つまり、帝都レジナに向かわれた方々を見捨てるような言動も、カプタスファモ魔術子爵さまお得意の試しだったというわけですかい」

「いかにも。だが、シルウェステル師が残された言葉は真実だ」

 

 何に重きを置くか、危機が及ぶと知って余裕を失うほど、その者に重要なものは何か。それを知ることができれば、その者を動かすことができる。


 アルガが動揺のあまり、シルウェステル・ランシピウスとマヌスと名乗るグラディウスファーリーの王弟の身を、見かけよりも遙かに重んじていることを曝したことにクランクは幾分安堵していた。

 身を案じる彼らのためなら、この一癖も二癖もあるグラディウスファーリーの魔術師も持てる力の限りを奮うだろう。

 それは、自分を見捨てて逃げることも考えろとたやすく言ってのける、あの腹立たしいほどにお人好しで、卓越した腕を持つ骸の魔術師に、こちらから救いの手を差し伸べる手段の一つを手に入れたということでもある。

 その考えはクランクに奇妙な満足をもたらしていた。


 試しをしかけたもう一つの理由は、アルガがどのような者であるかを諮ることだった。

 一見自堕落に見せかけてはいるが、きちんとした礼法を身につけていることは、道中、グラディウスファーリーの王宮でのふるまいを見ればわかることだ。

 だがそれを敢えて崩すところに意味があるとするならば、その理由を知っておきたい。

 

「つまり、カプタスファモ魔術子爵さまにおかれましては、アタシのように人を舐め腐った物言いをする下賤な者と口を聞くのも苦痛であるから、とっとと物言いを改めろ、と?」

「いや」


 クランクは手を上げて制止した。

 

「シルウェステル師の眼をわたしも信じている。ゆえにそなたがどんな男を演じようが、意味はない。師の意を受けてそなたが動く限り、わたしの目眩ましにはならん」

「あの方に目玉なんざございませんがね?」


 おどけたように言うと、アルガはすっと真顔になった。


「信じておられるというならば、道化の皮も見て見ぬ振りをなさればよろしい。それを自ら暴いて見せよとは、ご無体なことを」

「無体?」

「ええ。密偵が素顔を曝してどうすんですかい。……ですがまあ、おっしゃりたいことはわかります。アタシのことが信用ならぬからこそ、腹の底まで見せろとご希望であるのも。ですがクランクさまは、魔術公爵さまの意向を受けてらっしゃるのでしょ?でしたらアタシの真名がどなたの手中にあるかご存じのはず」

「シルウェステル師とグラミィどのであろう?」

「それに魔術士団長(マクシムス殿下)魔術学院長(オクタウス殿下)御手(みて)にもでさぁね。こう、がっちりと」

 

 利害がぶつかる政敵ともあれば、なかなかに腹を割ろうったってできませんやとアルガはうそぶいてみせた。

 だがクランクもまた真面目な顔で口を開いた。

 

「確かにわたしは家長たるトニトゥルスランシア魔術公爵レントゥスさまの命を受けてはいる。だが、レントゥスさまはオクタウス殿下の外戚でもあられる。魔術士団長やシルウェステル師と敵対なさっているわけでもない」

「……本当ですかね?」

「師が魔術学院で自らレントゥスさまの手駒をはじき返されたことをいまだに警戒しておるのか?それは単にやつらが師の力量も見抜けぬ無能揃いだったというだけにすぎん」

 

 同門にある格上の伯爵家当主すら平然と罵倒する、その様子にアルガもすいと目を細めた。

 

「レントゥスさまは才を好まれる。嫌悪の念は無能どもにお向けになり、時に敵の中にあっても才人には眼をおかけになる寛容な方でもある」

「……そいつぁ、一門の長たるお方にしちゃぁ、さすがにちょいと酔狂がすぎませんかね?!」

「お前もレントゥスさまにお目通りが叶えば、意外とお気に召されるやもしれんぞ」

「ははは、冗談にしておきましょうや。アタシにゃ重すぎまさぁ。今ついてる首輪だけで息の根が止まりそうなんですから」


 目の笑わぬ笑みを笑ってみせると、アルガは一瞬だけ真顔になった。


「一つだけ申し上げておきます。アタシがこういう物言いをしてんのは流儀を尊重してのこってす」

「流儀?」

 

「船乗りには船乗りの流儀、平民には平民の流儀ってもんがございます。カプタスファモ魔術子爵さまがアタシを魔術師として、あるいはそれなりに知性なり教養なりを備えた者、同じ言葉を喋ることができる相手、そうお認めくださったのはありがたくすらありまさぁ。……ですがね、クランクさまと同じ言葉を話してるところを彼らに見られたら、それでもう、彼らとこれまでのようなつきあいはできなくなる。アタシを貴族の使用人にしか見ちゃくれなくなっちまうのは、ちとまずいんですよ」

「……解せん話だな」

 

 貴族にとっては典礼を守ることこそが流儀。それゆえ、わざとそれを崩すことに流儀を見いだすとは、クランクには思ってもみないことだった。


「シーディスパタのクルテルさまらと話をなさったでしょうに。カプタスファモ魔術子爵さまが歩み寄ろうとすればするほど、クルテルさまらは恥じ入る乙女のように後ずさり、親交を深めようとしても最後までぎこちなかったてのは、そういうこってす」


 流儀について理解はしがたいが、近づいた相手と円滑な対話が叶わなかった理由がクランクにも朧気に見えてきた。

 会話の主導権を譲り、心を砕いたと思っていた貴族の交渉技術が、それらに不慣れな相手にはむしろ貴族の礼法をぐいぐいと押しつけるだけのものと受け取られていたということを。

 それでは、隔意など消えるわけがない。

 さらに、隔意は敵意をたやすく生じる。

 些細な流儀の問題でひっかかりを作るくらいならば、このまま、ずうずうしいほどに相手の懐近くにまで飛び込む力のあるアルガに交渉を任せた方がいい場面もあるということもだ。


「腹の一つは割ってみせやした。ま、アタシはアタシのために動きまさぁ。ですがアタシも糾問使団の一員。シルウェステルさまがお戻りになるまでは、糾問使団の、ひいては副使カプタスファモ魔術子爵さまの命も、心して務めさせていただきます。……ってなあたりで、勘弁してもらえませんかね?」


 唇の端でへらっと笑ってみせたアルガに、クランクは無言で頷いた。


 


 船室での密談の様子を、海森の主は幻惑狐越しに聞いていた。

 密談をするのに遮音結界が必要なのも、結界の外の様子を伺うのに幻惑狐たちに動いてもらわねばならぬことも本当だろう。

 ただ、骨に宿った星は同行者の様子がある程度森精に筒抜けになってもしかたがないと考えていたようだ。

 ボニーと名乗ったあの星は、グラミィとかいう自身の対極の星以外、いや対極の星ですら信じてはいないのかもしれない。

 なにしろ誰を信じれば良いかと訊いたら『誰も信じない方がいいでしょう。わたくしですらわたくしを信じておりませんので。どうか、わたくしも信じないでいただきたい』という答えがかなりの本気で返ってきたのだから。


 ドミヌスは傷ついた足を両手で引き寄せるように組み替えると、いくつかの隠し森にばらばらにしまい込んでいる星――骨の星に言わせると『星屑』――に意識を向けた。

 星たちが出立した後、頸骨をひねり折られていた星屑が一人、窒息死した。かろうじてそれまで息をつないでいたのが、何かしら喉に引っかかり、息ができなくなったのだろうと森精は診立てた。

 

 もちろん死体も無駄にはしない。

 隠し森の空間に直接入ることはないが、死体の検分は存分にした。隠し森は森の影のようなもの、つまりドミヌスにとっては自分の影のようなものだ。どこに何があるかなど、影の手足がどこにあるか把握しているかと問うようなものだ。

 そして理解した。絶息した星屑が無傷のまま死亡したのは、この島にとって大いなる幸いだったと。

 ――おそらく、星屑たちに仕込まれた術式は、血を媒介にして発動する。

 もっと言うならば、血管の外に流れ出た血によって。

 

 すべての情報を森に記録し終えると、海森の主は、用の済んだ隠し森をひっくり返した。

 現世につながる方ではなく、その逆方向。この世の影、異界との狭間のいずれかへ。

 ぺっと中身を吐き出し、隠し森の空間を解除してしまえば、もはやそこに誰かがいた痕跡すら残らぬ。

 あの陣を刻まれた星が戻るまで、もう少し解析を進められるだろうか。

 新たな知見を得るために、森精は別の隠し森の空間へと意識を向けた。


 


「なんだ、あの力は」


 バリスタが空中で止められたのには、見ていた全員が目を疑った。

 まさかそれが、『基本運動エネルギーを破壊エネルギーにいかに効率よく変換するかという目的でつくられている武器の形に引きずられているのかもしれないが、この世界の攻撃魔術は地水風火どれかをわざわざ産み出した上で射出するという形で運動エネルギーを与えている』と考察し、『だったら、接触したものの運動エネルギーをゼロにしちゃう術式があれば、物理的にも魔術的にも防御力は上がるんじゃね?』などという発想に至った骨が、結界に静止の魔術陣を刻むという凶悪な魔術の運用方法を編み出し、それを記憶した森精の半身たる木の魔物が、効果を確認・記録するために、単なる結界に混ぜて顕界していた、などということは知るよしもない。


「『魔術師』、あれはこの世界の魔術じゃないだろう?星とともに歩む森のやつらか?!」

「わからん」


 苦々しげな顔でひときわ年かさな男が舌打ちをした。全員が同じ表情をしている。

 

「新しい技術を編み出した人間がいるってことか?」

「だけどデッドコピー連中にできるか?魔術だぞ?」

「……星か」

「星かもな」

 

 男たちは互いに顔を見合わせて頷いた。

 

「なら、市街地戦に発展しなかった理由も分かるな」

「帝都民を傷つけてはならないって?人道的すぎて涙が出てくるね」

 

 がっしりとした体躯の男が皮肉げに笑った。

 戦術的に考えるならば、あの白い船の一行が可能性を示唆したとおり、帝都を叩くことを優先していたら、まずそれで自分たちはおしまいだったのだ。

 さらに彼らがぞっとしたことに、いつの間にか、糾問状は宮殿内の、こともあろうに謁見の間にある玉座の背板に、ふかぶかと釘付けにされていたのだ。

 しかもそれだけではない。

 玉座の異常に気づいた者がさらに他の者を呼び、立ち騒ぐ数人の前で、なんと謁見の間の壁をぐるりと囲むように張り巡らされていたタペストリが、はらりと崩れた。

 侵入者はどうやら、タペストリ越しにその背後の石壁までなんらかの方法で削り取る方法を持っていたらしい。タペストリは糾問状の文章の形に切り抜かれ、石壁はタペストリの文字を拡大コピーしたかのように、深く彫り込まれていた。

 謁見の間は、皇帝の権威を象徴するため広く高い作りになっている。そのことが災いし、どんなタペストリを持ってこようが丈も幅も足りない。つぎはぎやつんつるてんのみっともない状態をよしともできず、石壁を塗り隠そうとしたのだが。

 あまりに文字が深く彫り込まれているせいで、塗り込めた石壁は文字の箇所だけわずかに凹み、結果として糾問状の文言が光の加減で絶妙な陰影になって浮き出るという仕様になってしまったのだ。

 このことに男達は震え上がるとともに激怒した。

 

「第十七区だったっけ?下水道工事にかこつけて、例の陣貼り終わったのって」

「ああ」

「だったら、使いどきだったんじゃね?てか使えよ」

「閉鎖してないのに、無理だろ。いくらデッドコピー連中でも殺しにかかるんならそれなりの手順を踏まないと」

「推定星たちに全部おっかぶせられりゃあ、話は簡単だったのにな」

「しょーがねーべ。終わったことは終わったことだ。それより」


 拳ほどもある果物を干したものを噛みちぎりながら、兵士の姿をした男が口を出す。

 

「早いところ術者を捕まえるべきだろ?吐かせるか、それとも取り込むか、脳味噌アライにかけるかはそれから考えようぜ」

「だな。他に打つ手は?」


 最も豪奢な衣服を纏った男がぎょろりと一同を見回した。

 

「……師匠に報せるか?」

「何のために?」

「帝国に取り込むのはまだしも、おれたちに引き込むのも無理だろ。魔術師なら」


 立て続けに無遠慮な否定を投げつけられ、上等な文官系貴族のような身なりをした男は沈黙した。

 

「まあいい。どのみち帝国は壊す予定だったんだ。イレギュラーが発生したとはいえ、使えそうな道具が向こうから飛び込んできてくれたと思えば、都合がいいんじゃないのか?」

「まあな。……にしても」

「ランシアインペトゥルス王国か。何を仕掛けてたか早急に把握をさせてくれ」

「了解。グラディウスファーリーとか、シーディスパタもだな」

「ああ、それとアエスもだ。なにをやらかしたんだ?」


 服装も身分もばらばらな男達は、同じ表情で沈黙した。彼らはその回答を持っていなかった。


「……ところで、アホどもの動向は?」

「イベントと解釈してた。盛り上がり絶好調」

「そいつは、手間が省けたな」

 

 男達は一斉に笑みを浮かべた。顔の作り、年格好も彼らにはあまり似通ったところがない。

 しかし、複製品を貼り付けたように同じ表情を浮かべた彼らは、株分けされた苗木のようにひどくよく似て見えた。

 

「『将軍』。軍団を解体にかかってくれ」

「了解。適度に戦力は残すぞ」

「冒険者に混ぜるのか」

「ああ」

「あ、船の術者が欲しい。捕らえるのに手をくれ」

「わかった。必要な数と能力をよこせ」

「それはいいが」


 魔術師の姿をした男が心配そうな顔で口を出した。

 

「負けるつもりで戦ってくれよ?」

 

 その異常な言葉に、男達は平然と頷いた。


「そりゃ当然」

「おれの、俺たちの可能性はこの世界を遊び尽くすこと」

「管理職向いてないのにすっげぇ頑張ってんだぜーおれ。全部ぶち壊したらスッキリするだろうなー」

「はいはいヒラポジ根性乙」

「社畜と言えよ社畜と」

「……ならいい。存在意義を忘れるな」

 

 魔術師の男がうなずくと、彼らは全員背をただし、朗々と唱えた。

 

「『がんばれおれたち、瑕疵ある黄金の林檎(不完全な世界)を喰らい尽くすもの』」

「『白でもなく黒でもなく、目立たぬ茶色の巨体であろうともその威風は隠れるを許さず』」

「『皇帝であり兵士であり宰相であり将軍であり魔術師でもあるおれたちの目から、逃れる者なく、おれたちの腕ににかなう者はない』」

 

 彼らは知らない。その帝都すら、今や木の魔物たちに囲繞(いにょう)され、今の密談ですら帝国に忍び込んだ骨に筒抜けになりかねぬ状況になっていようとは。

骨っ子が無理矢理一枚岩じゃないのを押さえ込んでいる魔術師たち、そしてあちこちから思惑がうごめいてきました。

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