夜の海を飛ぶ
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
日が水平線に沈みかけた頃、あたしたちは行商人さんたちを乗せてきた船で沖へ出た。
ロリカ内海に入ってから海のただ中で夜を過ごすのは初めてのことだ。
星空すら微妙に見慣れないことに、ずいぶんと遠くまで来たのだと思う。
この世界の星座を少しは覚えたと思っていたのは、ランシアインペトゥルスから見たもの限定だったのだろう。月がてんでばらばらに出ていることもあり、星の高さが違うとまるきり違う夜空にしか見えない。
船乗りの基礎知識を教えてと頼んだアルガとアンコラさんには、東西南北のしるしは必ず複数覚えろと口を揃えて言われた。
闇黒の月に隠されて認識できない可能性があるからだそうな。
この世界にある三つの月のうち、蒼銀の月と紅金の月は太陽と同じく東から西へと動く。なぜなら太陽は武神アルマトゥーラが手づから武具を鍛える炉の色で、蒼銀月は豊饒の女神フェルタリーテの水瓶、紅金月は同じくフェルタリーテのかまどの炎。
二つの月が欠け満ちるのは、武神へ豊饒の女神が食事をふるまい、その礼に武神が水を汲み薪を割るからだという。
だが、闇黒月だけは満ち欠けも曖昧な上に、二つの月とはたぶん同じ軌道をとらない。らしい。
たぶんとからしいとかってなんだよと思うが、闇黒月はあまりに黒すぎるんで、『あのあたりに出てるはずの星が今夜は見えないから、たぶんあのへん』とか、『他の月が欠けてるってことは、おそらく闇黒月に隠されているんだろう』というような引き算でしか観測できないことも関係してるようだ。
おまけに、いくつもの観測結果をつなぎ合わせても飛び飛びに動いているようにしか見えないとは、ランシアインペトゥルスで星見台を訪ねた時に聞いた話だ。
もっとも、星が見えないのは闇黒月に隠されるだけでなく、雲に覆われているせいもあるのだろう。真っ暗闇でも満月夜ぐらいな感覚で把握ができるあたしには、雲が出てるのかそうでないかもわかるのだが。
ちなみに、二つの月が豊饒の女神の台所の一部とされるのに対し、アートルムはいったい何かと言えば、武神アルマトゥーラがその穂先にかけて抉り出した魔喰ライの王コリュスアウェッラーナの目だというね。
しかも、天へと飛ばされた己が目を通じ、地中深く封じられた魔喰ライは、今も地上を見ており、虎視眈々と復活を狙っているとか。
……なんとも神話的な解釈だが、これを教えてくれたのはランシアインペトゥルスで顔つなぎしてきた聖堂の人だからなぁ。これで科学的な説明をされてたら、かえってそっちの方が驚くよなぁ。
今夜は比較的星が少ない。陽が落ちれば海は真っ暗になる。
それでも同乗者たちが落ち着いているのは、全員が夜目の利く魔術師だからだろう。
寡兵を分ける、とクランクさんに言われた時にはさすがに驚いたが、理にはかなっているのだよね。
どうしたって船乗りさんたちや行商人さんたちを連れてスクトゥム帝国内を移動するのは困難なんだもん。
だったら、忍び込む人間と、そのままほっとくわけにはいかない船乗りさんたちを抑える人間に分かれるべきではあるのだ。グラディウスファーリーでテルミニス一族の領地にまで移動したときと考え方は一緒だ。
じゃあどう分ける、ってんで議論は白熱しかけたが、分けた組がそれぞれ何をするか、ってことを上げてったらわりとあっさり固まった。
出港組はあたしとグラミィ、そしてマヌスくんとトルクプッパさん。
クランクさんとエミサリウスさん、アルガは居残り組だ。アルガは最後までマヌスくんにくっついてきたがってじたばたしていたが、船に積む荷物の山が彼の行く手を阻んだ。あたしも居残り組が手薄になるのは危険ってことで残ってもらうように頼んだんだけどね。
いつも居残り組のトップをつとめてもらっているクランクさんとはサシで話してきた。といっても、筆談だけど。
アルガとの会話に使った多孔質の石板は、意外と使い勝手がよろしい。
彼に伝えたことは、いつも居残り組の統率ありがとうってことと、ラームスの枝を預けるってことと、魔術師組と残してく幻惑狐たち――素早いスキンティッラと姿隠しのうまいフームスのどっちか――と必ず一緒に行動しろってこと。
真面目な話、分離行動する時にはあたしとクランクさんがそれぞれのグループのリーダーにならないと仕事ができないんだよね。正使と副使だし。身の安全には是非とも十分気をつけていただきたい。
ラームスの枝を預けるのもそのためだ。
混沌録端末として記録を取ってもらうのはもちろんだが、毒味にも役だってもらおうとね。
最低限一人になんなってのは、行商人さんたちや、船乗りさんたちにに完全に気を許すなってことだ。毒味を毎食しようねってのも同じこと。
ええ、ぶっちゃけあたしはどうしても、船乗りさんたちだけでなく、行商人さんたちも信じ切れていない。
一度星屑たちのガワの人だった船乗りさんはもちろんのこと、行商人さんたちは森精に対する畏れを抱いていることが見て取れるけど、彼らだってアエスにいたんだ。何をどう仕込まれているかわからないんですもの。一応どっちもアルガに剥いてもらって見たけどな。
ああそう、アルガも今は信じていいんじゃないかなあと思っている。
なぜかというと、マヌスくんをあたしが連れているから。
意外と彼のグラディウスファーリーに対する忠誠と、あたしの魔術の腕に対する信頼は厚い。マヌスくんの身の安全が確保されてると思う限りは裏切らないだろう。
そのマヌスくんは、荷物が多すぎるせいで、船中に身体を横にして寝るスペースがないのに愕然としていたようだが、これも道中食糧を食べ尽くし、荷物が減るまでのことと大目に見ていただきたい。
ここまで諸々手を打っても、物理的にはひ弱魔術師、しかもわずか三人しか残らぬ以上、三十人近い船乗りさんたちと、ゾンビさん含め十人弱はいる行商人さんたちを相手にしては多勢に無勢ではある。
だから、どうしようもなくなったら森の中へ逃げろとは伝えた。
敬意を忘れず海森の主に迷惑をかけないようにしていれば助けてくれるかもしれない。彼は森を荒らす者へ峻厳だとね。
その一方で、この不信がただの思い過ごしであればいいとあたしは心から思っている。
なので、状況次第ではあたしたちが戻るのも待つな、行商人さんたちも連れてグラディウス地方へ逃げろとも伝えたら、シルウェステル師を置いて逃げたと思われたらアーセノウスさんに殺されますと、それはそれは真顔で言われてしまった。
うん、いろいろアーセノウスさんが面倒かけてるね。
一応ランシアインペトゥルス側に言い訳がつくよう、書状を作って渡しておいたけど。あの様子じゃあ、たぶん使われる日は来ないだろう。
ドミヌスには頸折れ組とマルゴーを引き渡した時に、正直に地上の星であるあたしとグラミィがこの島を離れること、それによって起こるかもしれない事態についての危惧を伝えた。
……味方ヅラして近づいて、ちょっと深いとこまでつっこんだ話をしてきたのに、やることは結局無責任かよ。そう思われても正直しょうがないと思ってた。
だって利害でいったら、あたしたちってば彼とその森には害しか与えていないんだもん。
大食漢の幻惑狐たちがさんざん森で小動物を食い荒らしたのもそうだが、置いていく船乗りさんたち、行商人さんたちがどう動くか読めないのが苦しい。
信じられない相手を置いていくのは不誠実きわまりない所業だろうさ。
だけど、ドミヌスは寛大に許してくれた。事前に潜在的敵だと想定ができるのだから、対処はそう難しくないのだと。
あっさり簡単だって言えるのは、森の主としての彼の能力の高さだろう。
ドミヌスは迷い森の上位互換的なものを作り出すことができる。
たとえて言うなら、神隠しの森。
あたしも完全に理解できているわけではないが、周囲とは隔絶した場所を森の中に開くもののようだ。
あたしも作り方を教えてもらった。その時に、ただラームスに方法をデータとしてだーっと流し込むだけじゃなくって、体験させてくれと願ったのだ。
ついでとばかり幻惑狐たちにも協力してもらって、隠し森の中と外でどんな状態になるのか観測したのだが、……いやー、普通の森の中にしか見えないのに、どこをどう動いてもマーカー代わりに置いといた杖のある場所にしか戻ってこれないというね。
嗅覚と聴覚が超鋭敏な幻惑狐たちにすら痕跡が追えなくなるとか、空間歪曲とか異次元への入り口って言葉をイメージしてしまったくらいだ。
これ、逆に使うなら森を閉じて、侵入者を防ぐこともできるんだそうな。
しばらくマルゴーを隔離するため、檻代わりに使っていたのも、この隠し森だったりする。
ドミヌスには人間だけでなくいろんな物資や知識も預けた。
穀類や豆類といった食料はもちろん、衣服もそうだし、マルゴーが大量に持っていた夢織草のエキスに蒸留酒、陣符やあたしが魔改造した術式のあれこれ。
あたしがバールでドアをこじ開けるような乱暴なやり方で星屑たちをひっぺがした船乗りさんたちには、星屑たちがその身体を使って行ったことについての記憶はある。が、星屑たちの思考や知識についての記憶はほとんど残っていないそうな。嘘発見器がわりに放出魔力を読んでみたから本当のことだと思う。
同じドアを開けるにせよ、合鍵とまではいかないが、せめてピッキングぐらいの負担で星屑たちをひっぺがすことのできる方法をドミヌスが見つけてくれたらとあたしは思っている。
幻惑狐たちのうち、あたしたちに同行しているのは、マヌスくんづきのイルシオとあたしづきのターレム、 人を化かすのが得意なカロルと土を操るのが上手なフーゼだ。
スキンティッラとフームスには森と船を交互に行き来するようにと言ってある。ほんというともう一匹ぐらい置いていってもいいのだが、これ以上ドミヌスの森から小動物を駆逐する勢いで生態系破壊を進めるわけにもいかんしな。
中身入りではあるが、同道させる三人組には、睡眠効果のある薬草茶を飲ませて眠らせてある。結界を人型に顕界して装着し、アシストスーツみたく動かして船に積み込み、荷物の間に膝を抱えるように座らせてあるので、遠目から見れば彼らが自発的に船へ乗り込んだように見えたかもしんない。
下手に寝ぼけて海ポチャしないように対策も万全だ。
なんで監視が必要なのに情報を持たないこいつらを、敵地の深奥へ向かうのに同行するのかってことは、クランクさんたちにも聞かれたけれど、食い扶持減らしのためだと伝えると納得してもらえた。
これ以上危険人物たちを手近に置いておくメリットがないということもある。とはいえ、直接手の骨を下して殺す気も、捨て駒にする気もないけどな。あたしゃスクトゥム帝国の人間じゃねーんだよ。
三人組は、イニティウムではないが、フェスタムという港街に捨てていく予定である。
当初の計画では、彼らを帝国内に連れ戻し、適当な場所で放流するところまでは同じだが、その間にとっくりこの世界の状況を説明して、帝国へのアンチプロパガンダ要員になってもらうつもりだったのだ。
自分がいかに騙されていたかをわめいてもらうだけの簡単なお仕事です。
けれどもこの状況が状況だ、ただの放流で済ませるしかないだろう。
そもそも、『運営』に対する不信の種を蒔くのなら、彼らがわめくことに効果がなければ意味がない。だが効果が出れば彼らの身が危険になる。そこまで三人組を誰が連れてきやがったということも詮索されるだろう。
あたしたちの関与を疑われたら――って事実関与してるんだけどさ――、『ランシアインペトゥルスが一方的に謀略を仕掛けてきた』ということになりそうでちょっと怖い。
しかも彼らの思考はねじまがる。どんなにグラミィに説明されても、この世界を未だにゲームだと思っているのがいい証拠だ。
それが、他人の人格を植え込んでしまうようなやり方を見せつける『運営』の仕業かどうかまではわからないけれども。
かといって、情報的には出涸らしになったとはいえ、三人組をランシアインペトゥルスで始末する――『夢織草と蒸留酒で搭載されてる星屑をふっとばす』レベルから、『彼らの生存証拠が跡形もなくなる』レベルに至るまで、方法はいろいろ提示されたけどね?――という選択肢は、あたしにはなかった。
魔力を知覚することで、魔術陣を精細に見ることができるあたしですら、ヒトの体内に仕掛けられ、特定の条件下でのみ展開する魔術陣など、完全に把握できるかと聞かれたらNOと答えることしかできない。
万が一にでもそんなもんが彼らに仕込まれていたら、どんな大惨事になることかわからんもの。
だからといって他地方、例えばグラディウス地方で始末しようとするのもどうかと思う。密輸出の産業廃棄物を不法投棄するとかいかんだろう?
ならば原産国へ放り込み、星屑同士生きるも死ぬも自国内でやっておくれ、というのがあたしの偽らざる本心だ。これ以上彼らにゃ関わりたくございませんとも。歪んだ世界認識に合わせて会話するとか、グラミィですらうんざりだ。
だからって、不意打ち的に眠らせたまんま、同意なく身柄を移送するのはモノ扱いがひどすぎやしませんかとは、彼らの積み込み作業中にアルガがつっこんできたことだったか。
アルボーからこっち、三人組の近くに居続けたのはアルガだもんな。
だけど、あたしゃ彼らに余計なことを教えるつもりはない。それに、彼らがアルボーに侵入してきた時も、船に乗ったと思ったら着いてた、という体感だったことはグラミィが聞き出したことだ。
だが、いくらなんでもそれはありえない。あたしたちでさえ、ランシアインペトゥルスからここロリカ内海まで辿り着くのに二月近く、八十日以上かかっているのだから。
ここから先は推測になるが、単純に昏睡状態にして運ばれてきたのならば、あのかなり抜けたところのある三人組でさえ、寝たきり生活で筋力が低下したことぐらいは気づくはずだろう。
ならば、単に日にち感覚と季節感が欠如しているだけなのかというと、それだけじゃない気がする。
ランシアインペトゥルスでは、三人組の監視にアロイスづてで暗部さんたちの協力も得ていたのだが、のぞき穴や伝声管などを駆使した監視の様子を記した報告書はあたしにも読ませてもらった。
それによれば、彼らは、彼らだけになったと認識し、会話が絶えたとたんに、寝るか魂の抜けたような無表情で身動きすらしなくなるのだという。単純に囚人が悲嘆してるとか、そういう感じじゃないそうで、その様子について『異様』と表現されていたのを覚えている。
いろんな囚人、国にとっての罪人を見てきているだろう暗部の表現としては、かなり異質だ。
……これ、彼らが今でもVRMMORPGぽい行動をし、ゲームの中のように世界認識を歪曲させていることとも考え合わせると、まるで彼ら自身がゲーム内のアバターであり、そこから中身がログアウトしているかのような不気味な感じがどうしても拭えないのだ。
人が近づくと睡眠状態でない限り素早く反応したらしいところを考えると、中身のログアウトではなくて身体のスリープ状態なのかもしれないが。
だけど、その理由はなんだ?
単純に日にち感覚を狂わせ、時間経過を感知できないようにすることのメリットは確かにあるだろう。現実世界をゲーム世界と認識しているのならば、特に。
おそらくそれは、行動結果が現実に反映するタイムラグの短縮という形になるのだろうな。
RPG系のゲームがコマンド制、つまりゲーマーの分身となるキャラクタの行動が選択肢になっている理由の一つは操作性向上、つまりゲーマーに操作を『たるい』と感じさせないため。なぜかというと『たるい』はすぐに『おもしろくない』『つまんない』へとつながるからだ。
そしてもう一つは行動を制限することで情報処理速度を上げ、操作と操作結果にタイムラグを感じさせないためだろうとあたしは考える。
つまり、この世界がゲームだと認識している星屑にとって、行動は選んだ直後に結果が出るべきもの、なのだ。船はイベントの舞台でない限り、ただの移動手段。乗ったら目的地にすぐ着くのが当然とか。
……これってば、因果応報、婚約破棄からざまぁまで直通って感じの物語を好む感性とも関係してるのかね?
よこごとはさておき。
たとえ『運営』がどんなにしかけをしていても、この世界において一本の剣は一日で鍛えられず、人が一日かけても耕せるのは、せいぜいが二十五mプールよりも狭い面積だ。
もちろん技術は鍛錬によって成長し、洗練されていく。熟練者の仕事は初心者よりも出来が良いのは当然だが、加えてかかる時間も短い。
けれども、何かしら技術を身につけるためには、同じ作業を反復する必要がある。
……この単調に感じられる肉体労働って、たぶん一番スクトゥム帝国の皇帝サマご一同が嫌いなことだと思うんだよねー。
加えて人力以外の動力を使わない限り、いかなる産業における作業も効率化、つまりかかる時間を短縮しようとしても、ある一定のところで止まってしまうだろう。
嫌いなことに時間を取られるのは、それだけで精神的負担になる。
簡易化することもできず、スキップすることもできない作業の連続は、おそらく星屑たちにとっては『たるい』『おもしろくない』ことだろう。つまり飽きる。
飽きたクソゲーならば、電源スイッチをオフにすればそれですべては終わる。だがこの世界はボタン一つでは終わらず、不満はたやすく不信につながる。
そう、星屑たちにこの世界から脱出する方法を探そうと思わせるくらいには。『運営』たちの存在に気づく者が出るかもしれない程度には。
ならば、『運営』たちが打つ手は。
――星屑たちから不満を感じる契機を奪う。そのためには、情報は与えず――いや、与えられても『ユーザ』が自発的に気づかないようにしむける。時間経過など感覚させなければいい。
……ひょっとしたら、三人組の世界認識が歪曲しているのも、『運営』がなんらかの狙いを持って何か仕掛けを施しているのかもしれない。
三人組をフェスタムに捨てるのは、単純にそこが目的地までの経路に当たるということもある。
そう、あたしたちが目指すのは帝都レジナだ。
なぜ帝都を目指すかというと、エミサリウスさんの求める情報を集めるなら、皇帝のいるとされている帝都がよかろうという判断が大きい。
少なくともスクトゥム帝国最大の都市だ、皇帝サマたちがどう動くか、主流派を見極めるのに一番いいだろう、というのが一つ。
もう一つは、糾問使という建前、あたしたちが持っている大義名分を存分に使うためだ。
……アエスで丸無視されたことを考えると、通用するのかどうかちょーっと不安になるけどな。
アエスがゾンビを量産していたのも、あたしたち一行までガワの人化されそうになったということも、ランシアインペトゥスとして糾弾するに値する、とは、一行の中で一番国際政治に詳しいクランクさんが断言したことだ。
じゃあ、誰に向かって彼らの不当性を訴えるべきか?
そりゃあ、正義を主張する司法権の統括者、一国のケツ持ち、そしてなによりも反対勢力が影を潜めるほどの実力者。
――つまり、スクトゥム帝国の皇帝陛下、だろうとね。
スクトゥム帝国民がすべて皇帝サマというあたしの読みは、クランクさんたちにはまるっと意味不明なものだろう。だからこそ彼らは、帝国の絶対権力者と想定する皇帝陛下に訴え出ようという発想をしてくれたのだ。
実際、行動方針としては悪くはない。話を通すならば統治組織のトップか、そのふりをしている政務官あたりに通した方が、反応も早いというものだろう。
プラス、アエスからの報せが帝都レジナまで届く前に、ランシアインペトゥルス王国使節団が大きく騒ぎ立てれば、少なくとも帝都の皇帝サマたちは驚くだろう。
驚くって事は、ニュースバリューがあるってことだ。
ならその価値が損耗するまで、噂は帝都から周囲へと広がっていくだろう。
情報が揃ったところで体勢を整え直したスクトゥム側が、すべてはアエスがしたことであって、帝都の知ったことではない、などとしらばっくれるというのなら、それもよかろう。
だがトカゲの尻尾切りなど許さねえ。
アエス、ひいてはケトラ属州とスクトゥム本国との内部抗争って方向に持ってってやろうじゃないか。
そして、礎石なんてもんは一つ揺らげばその上に建つ建物全部がゆらぐもの。
ええ、大きく揺らして上げようじゃありませんか。マグニチュード7ぐらいには。倒壊したって知るもんかいっ。
この突入組の基本方針をクランクさんが示してくれたことで、かなり動きは固まった。
さらにそこからスクトゥム帝国に最も強く衝撃を与えるために、インパクト勝負に出ようってことで、いろんなアイディアが出まくったわけですが。
いやあ、ブレインストーミングってば相乗効果が出るときゃおっそろしいほど出るもんだね。
だが、それもこれもすべてはあたしたちがいかに早く帝都にたどり着けるかにかかっている。
だから、ここから先はスピード重視だ。
いつものようにジェット水流で進めていた船に、あたしは結界を張った。
ジェット水流を作り出す術式は主に二つ。
一つは水そのものを大量に作り出し、勢いよく噴出する力技。
正直なところ、あたし一人を水中で自在に動かすならばこれで十分だ。けれども船一艘を動かせるほど大量の水を顕界し続けるのはけっこうしんどい。
もう一つは流れを作り出す方法。
こっちは水そのものを作り出すのではなく、水の動きを作り出すもののため、比較的必要な魔力は少なくて済む。たとえていうなら、水球の術式から『射出せよ』という命令文だけを抜き出して、動かしているようなものだからだ。
だけどこっちは術式の一部という不安定なものなので、安定させるのにちょっと手の骨を焼くんである。
いずれにしても、あたしのジェット水流は、向こうの世界の船のようにスクリューで水を掻き回すことで船を前進させているわけではない。
――だったら、羽根のない扇風機ってもんが向こうの世界にはあったんだ。同じ事が結界と水流を操ることでできないだろうか?
こう思いついたのはアエスに入る前、ちょっとした気分転換に船の周囲を泳いでいた時のことだ。
グラディウス地方の岩礁や島の多い海は、船の操作を助けるという名目で船から離れ、船乗りさんたちから十分な距離をとっていろいろな実験をするのにちょうどよかったのだ。
そしてあたしは気づいたのだ。
水の方がはるかに重いとはいえ、気流と水流は似ていることに。
ならば、水もまた大気同様、やろうと思えば飛ぶことができる、ということに。
大気に比べて水は抵抗が強い。だから必要な揚力を稼ぐのはそれほど大変ではない。
そう、船体自体が受ける水の抵抗を低減、いやゼロにするだけ。船体を水面上に持ち上げる程度で十分だ。
そのための控えめな大きさの翼を船底、いや船体を持ち上げるために、さらに数メートル深い海中に作成する。
巨大筒状に形成しなおした結界から勢いよくジェット水流が生じ、じわじわと船体が浮く。水の抵抗が減る。速度が上がる。さらに船体が浮く。
マヌスくんとトルクプッパさんが、目玉がこぼれ落ちそうな顔であたしを見た。
あたしたちは夜の海を飛んでいた。
〔やっぱり、ボニーさんって……〕
ん?
〔ほんっっっっとうに、でたらめですよね!存在だけじゃなくて思いつきとか実行内容とかまでデタラメです!〕
何を言う。
帰りにあたしはいないんだよ?
今度はあんたがやるんだ。とっととやり方覚えておいてね、グラミィ?
〔無茶振りににもほどがあるうううううっっ!〕
どうやら、自力でジェットフォイルの原理とか、コアンダ効果とかに辿り着いたようです骨っ子。




