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ひややかな方程式

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 ここまでノンストップだったのだから、少しは休むべきだろう。

 てなわけで、森でたらふく食べてきた幻惑狐(アパトウルペース)たちとラームスの枝を見張りに残し、全員交代で食事と仮眠を取り――ええ、どーせあたしゃどっちも必要ありませんともさ!交代なんてしてやんないからね!――ついでにいくばくかの情報収集を終えた魔術師組に船室に入ってもらったところで、あたしは結界を張った。

 ちらりと彼らは周囲に目をやったが、目的が遮音だと理解すると何も言わなかった。


「『早速だがエミサリウスどの。ご報告願おう』」

「はい」


 エミサリウスさんには船内の物資を確認してもらっていたのだ。文官ってことで、諸々の計算が必要なことについては一番適任だし。


「行商人たちからの買い上げで、補給の懸案でした食糧にもかなり余裕ができました」

「それはありがたい」

「ですが、トリティクム(穀物)の細粉は今日のパーニス(パン)でなくなりました。粗挽きはまだありますが」


 粗挽き粉は虫のつきやすい細粉よりも保存性がいいのだが、水分や熱が中まで浸透するのに時間がかかる。なので、細粉と混ぜてパンに焼く以外の調理方法が、基本的に糊っぽいお粥一択なんだよね。火気要注意な船の上だと特に。

 ま、グラミィは飴ちゃん原材料としても使いますが。

 もっと保存性が高く、だけど食べるのにはさらに手間のかかる種籾状態のものも少しはあるんだけどね。そっちは発芽させてから使うためのものだし。


 食糧についての不安材料は、量だけではない。

 確かにククムさんたち、行商人さんの一行から保存食系のものは入手できた。けれども穀類はいっさい手に入らなかったのだ。

 軽くて持ち運びやすい商品を厳選してるククムさんたちが、穀物系を持ってなかったのは必然だとは思う。穀物も豆類も種なんで、意外と重い。おまけに消費量は極大だ。

 たっぷり持って歩いていも、あっというまになくなるだろう。

 

 そう、この世界の主食は穀物なんだよね。

 ……言っときますがこの主食って、単純に食事のメインって意味じゃないからね。食糧として摂取するカロリーの八割を超えるくらいってことだから。

 野菜も肉も穀類の添え物というか、ぶっちゃけスープの出汁(ダシ)兼具に近いんですよ。

 初めてグラミィに教えてもらった時には、ないはずの目玉がスポーンと発射されるんじゃないかと思ったよ。

 同じ炭水化物責めにしても、むこうの世界のフライドポテトとグラコロセットとかの方が、まだなんぼか野菜を食べてる感があるんじゃなかろうかとね。

 だけどこれはたぶん、穀類が一番保存の効く食材である、つまり単純に年間を通じて安定して入手できる食材であるっていうことが大きいんじゃないかとあたしは推測している。

 そういえば、むこうの世界の日本でも、江戸時代の扶持米から換算して、現代社会における一人当たりのコメの消費量が半分近くに落ち込んでるからコメを食え、ってな論議が起こったこともあったっけ。

 あれも、現代人がパンや麺類といったコメ以外の主食を食べる割合が増えたから、コメの消費量が減ったって部分が大きいのは否定できないが、栄養バランスだなんだのと理由をつけて、おかずとごはんの比率がじわじわ変わってったせいもあるんじゃないかと思ってみたり。

 江戸時代の人間て、一日五合は食べてたらしいです。

 

 そんな食糧の中でも最重要物件である穀物だが、この島で調達するのは無理だ。

 だって島全部、というか、その周囲の海中まで、海森の主の森なんですよ。穀物畑なんてあるわきゃない。

 いや、それ以外、特に魚や海藻類はかなり潤沢に手に入るのよ。海の中はとても豊かだ。

 たしかむこうの世界でも、流れ藻とかいうちぎれた海藻の浮遊塊には魚が多く住み着くと聞いた覚えがあるし、粗朶の束を沈めて魚礁にするって方法があったと思うけど、この海中にあるのは生きた樹……いや、樹杖たち、木の魔物だ。

 放出されてる魔力(マナ)も多いのだろう。陸上で鳥や蝶が梢を飛び回るように、海中に生い茂った樹杖たちの葉の間をひらひら魚が泳ぎ回っているのを見るのは、ちょっと不思議な感覚だ。


 けれども、食べ慣れた食事ができなくなった段階で、人間というものは不平不満を爆発的に膨らませる。そのことは、食べることのできなくなったあたしでもまだ覚えていることだ。


「『粗挽きのトリティクムはあとどれくらいあるのだろうか?』」

「そうですね……、パーパ(お粥)だけを食すのであれば二十日分ほどはございます。他の食糧を加えて、引き延ばすだけ伸ばすなら四十日分ぐらいにはなるのではないかと」

「『それは、我々だけでなく、ククムどの、またその朋輩も含めてか』」

「それは……」


 そこ大事じゃん。


 ゾンビさんたちを仲間のククムさんたちが世話するのは妥当だろうけど、彼らの商品のうち食糧は、全部こっちが買い上げた。彼ら自身の手持ちの食糧がそうそうたっぷりあるわけじゃないってのは、荷物チェックしたカロルを通じて知っている。

 今や五十人以上に膨れあがったあたしたち一行の胃袋を満たし続けるのは、保存食と魚でかさ増ししたとしても難しい。

 ましてククムさんたちは山岳民だ。海魚は食べられるのかどうか。

 へたすりゃ保存食と穀物だけしか食べらんない、なんてこともありそうだよね。

 そういったことをもろもろ考え合わせるのなら、食糧も一月どころか半月もたないと思っていたほうがいいだろう。


「川がないため真水に困るとアンコラが言ってましたが、まあこりゃどうにでもできます」


 アルガが口を挟んだ。それは確かに。

 あたしたちは魔術で水だけはたっぷり出すことができるからなぁ。

 

「『では、次に現状を確認したい。これを見ていただこう』」


 あたしは長櫃の一つに乗せた砂模型を示した。

 いつもと違い、浜辺の砂を使って作ったので、しっかり固めてはいない。形もかなりおおまかなものだ。 

 

 ……だだだって、海坊主なんぞ作ったせいで疲れてるんだもん!

 おまけに、いくら小細工してても、船乗りさんたちに仕掛けられてる心臓爆裂陣が発動するかもしれんて危険性はゼロにはならないわけですよ。魔術使うのは最小限にとどめておきたい。

 てなわけで、魔術でしかできないこと以外は基本ちまちまと手作業をしております。

 

 この砂模型の作製については、マヌスくんにも協力してもらった。主に情報提供を。

 彼もグラディウスファーリーの王弟だ。スクトゥム地方の地理についてはある程度学んでいたというので、主に地形について教えてもらったのだ。

 だが、どこにどんな山や湖があるということは知ってても、スクトゥム帝国に出入りする人が減ってきたとか、噂程度でも聞こえてきていた情勢が届かなくなってきた――たぶんスクトゥムが完全に皇帝サマ(中身が異世界人)御一行の手中に堕ちたからなんだろう――後の変化、特にアエスで見たような産物などの変化はわからないという。

 そこであたしは海森の主のもとへも再度赴き、彼にも情報が欲しいと願った。


 ここは内海にあるとはいえ、周囲に陸地の見えない、まったくの孤島だ。

 アエスで樹杖たちから、うっすらと沖の方に自分たちが()()と教えられた時には、島があるならうまくスクトゥム帝国内を動く拠点にできないかという欲も大いに出たものだ。

 拠点を使って広大なロリカ内海を神出鬼没に動き回ることができれば、それは属州どころか帝国本体、いや帝都レジナにすら斬り込むことも可能になるかもしれないとね。

 浮森たちから森精の生き残りがいると知らされたときには、スクトゥム帝国が仮想敵であることを示唆すれば、ヴィーリやペルのことを伝えれば、うまくこっちの味方になってもらえるんじゃなかろうかとも思った。

 けれど、この島に辿り着き、直接彼――ペルに名前を与えたことを伝えたら、自分にも欲しいと言われ、ドミヌス(海森)マレ()シルウァン()、略してドミヌスというまんまなものを差し上げた――と会って、そんな考えは一切捨てざるを得なかった。

 この樹杖の森は豊かであっても人間の補給基地にはできない。あんな重傷者には、とてもじゃないけどそんな負担は求められない。

 あたしたちについてきてもらうこともできない。

 この海中の森は遠すぎて樹杖たちの声すら陸まで届かず、また半身たる森を置いて、この海森の主はどこにも行けないだろうから。


 だがせめて情報だけでもと願うと、彼はためらった。

 海森の主のように火に焼かれ、ほうぼうを痛めつけられた姿でこの島へ辿り着いたのは、混沌録の記録媒体でもある樹杖たちも同じこと。つまり、樹杖たちが蓄えてきた記憶も損傷していると明かされたのはその時だ。

 明かすときに口外無用と念を押されたのは、森精にとっては半身たる木の魔物が連綿と受け継いできた混沌録の欠損とは、その一族すべての恥辱、取り返しのできぬ誤謬であるからのようだ。

 だが、ラームスを見ると、枝を挿し木にした場合、ほぼもとの木々と同じというか、同調しているっぽいところを見ると、木の魔物たちの記憶のしかたというのは、かなり冗長性のあるものだと思う。

 それでも混沌録が欠損するというのは、よほど広範囲に甚大な被害が出て、それが生身の人間では足下にも及ばない、超高度で強力な魔術を操る森精たちの手にすら余ることだっただけのことではないのかとあたしは推測しているし、仕方のなかったことだと思う。

 それでもボトルネック効果みたいなものだろうか、生物の個体数が一度減少してしまえば、その種の保持する情報の多様性は失われてしまう。それはたとえ遺伝情報でなくても同じことだ。

 おまけに、このような森の姿を取り戻したとはいえ、ドミヌスとその樹杖たちがかつて暮らしていた森より木の魔物達の個体数が少なければ、それは樹杖たちにとって記録媒体量の低下と同義であり、イコール将来に及ぶ情報量の欠如につながるのは間違いがない。

 あたしはラームスと相談して、その枝を分けることにした。

 ラームスの枝にはヴィーリの樹杖が持つ情報が多少なりとも記録されてる。PCのハードディスクから情報を一部入れたUSBメモリを譲渡したようなものだろうか。

 だが、この記憶容量は成長する。

 ぶっちゃけ曲がりなりにも人間の骨格であるあたしには利用制限されている情報でも、森精であるこの海森の主には有効活用できるんじゃないか、そうなれば保持する情報の量と質、容量をかさ上げになるんじゃないかとね。

 おかげで、彼と樹杖たちが知る限りの、という限定条件はついているものの、最終的にはスクトゥムの情報をわりと快くもらうことができた。

 それもスクトゥム帝国が成立する以前といった超古いものだけじゃない。直近の情報が含まれていたのは、人が変わっても、都市自体は変わらないこと、そして彼が島に辿り着くまでに、都市に普通の木々のふりをして生えている樹杖たちから情報をほぼリアルタイムで得られていたからだという。

 引きこもってても情報弱者には堕ちないってだけでも、森精ってばこの世界における最強生物の一つなんじゃないかと思う。

 

 ドミヌスから得た情報だけでなく、以前に三人組からグラミィに聞き出してもらった――イニティウムという、彼らにとってはいわゆるはじまりの地周辺の知識メインだったが――ことも加えたおかげで、かなり精細になった砂模型を見て、魔術師たちはけわしく沈黙した。

 いやまあそうだよねぇ。

 あたしも仕上げた時点で、ちょっと呆然としちゃったもん。

 

 砂模型で見るとよく分かるのだが、今あたしたちがいるのって、ほんとにスクトゥム地方の入り口近くなんだよね。

 とうに水平線のかなたに消えたアエスからこの島へは、南東へ夜明けから半日近くかなりな勢いでつっぱしって辿り着いたんだが、ドミヌスに確認した情報によれば、アエスとは内海を隔てた南側にある島々――セグメンタタ諸島というらしい――の直近までは、さらにその二倍強の距離がある。

 これでもまだ近い方なのよ。

 最も北側の大地と南側の島々の間で離れている箇所は、その十倍はあるんだから。

 東西の広がりはといえば、三十倍はあるだろうか。

 スクトゥム帝国の本体というか、属州ではない部分は内陸にあり、その最寄りまではおおよそ十五倍。

 最寄りの半島の付け根にある川を遡って帝都レジナまで行くとすれば……。


〔どうがんばってもこれ、今日と同じ速さで移動したとしても、帝都に入るまでに片道だけで十日はかかりますよね?!〕


 行って帰るだけで食糧の危機ですとも。

 でかいってのはそれだけで力だよね。


 で、だ。

 現状を認識してもらったところで、こっからが本題です。

 

「『これらのことを踏まえた上で、皆に意見を聞きたい』」

「とは?」

「『今後どう動くかを決めねばならぬ。それも早急に。スクトゥムのさらに内奥を目指すのか、それともこのままロリカ内海の外へ撤退するのか。もしくは、他の道を進むのか』」


 彼らの表情筋が活動を放棄した。

 

 もともと糾問使というのは名ばかりで、実質的には威力偵察がランシアインペトゥルスという国に課せられたあたしたちのお仕事と言っていい。つまり、スクトゥム帝国についての有益な情報を可能な限り集めて持ち帰らねばならないんですよ。

 それを考えると、ロリカ内海の玄関口でうろうろしてる現状は子どもの使いかってなもんですよ。スクトゥム帝国が異様です、なんてことは、ランシアインペトゥルスにいるときからわかってたことだ。

 だけど、さらにスクトゥム帝国の内部に進めば、命の危険はさらに高まる。虎口に飛び込むだけでは飽き足らずに、どんどん食道や胃へ入り込んでくようなものだ。無茶無謀もいいところだが、無茶を通さねば任務は果たせないというジレンマ。


 突入のデメリットは危険性だ。

 正直、自衛能力のある魔術師組はまだいいのだが、行商人さんや船乗りさんたちまで標的にされたら、かなり困ったことになる。情報提供その他諸々の協力とひきかえに庇護下に置いている彼らの安全と脱出方法の確保をとるなら、まずおすすめはできない。

 なにせ、とっかかりだったはずのアエスでさえ、あたしたちが這々(ほうほう)(てい)で逃げ出す羽目になったのは、糾問使という名目、他の国の使節という存在すら、彼らスクトゥム帝国の皇帝サマ御一行には無価値だったからだ。

 つまりそれは、立場あっての交渉ごとというクランクさんの得意技が封じられたのも同然ということになる。

 貴族や都市の支配層を相手にするのではなく、平民から情報収集をするのならまだ見込みがないわけじゃないが、その時役立つのはどっちかっていうとアルガの話術と人あしらいの方だろう。

  

 一方、撤退のデメリットは情報を得られなくなる、これに尽きる。

 さらに言うなら、次に打てる手も(せば)まる。

 いろいろ事故や化け物の演出といった小細工はしたものの、「アエスに来たランシアインペトゥルス王国の船が無断で出港、姿を消した」という事実を抽出されたら、警戒されて当然。

 いずれにしても、アエスから情報が拡散する前に行動しなければならない。


 遮音結界に目をやったクランクさんが、考え込むように口元に手をやった。


「『まずは撤退か、さらなる突入を行うか』」

「アタシゃ、命あっての物種とは思いますがね」

「命を賭け代に進むにせよ、せめて現在こちらが握っている情報だけでも、確実にランシアインペトゥルスへ届けたいものです。一度グラディウスファーリーあたりまで戻り、さまざまな手筈を整えるべきかと。時間をかけるほど困難になるとは存じますが」


 肩をすくめたのはアルガだ。トルクプッパさんも頷いている。

 この二人は密偵だ。情報は入手するだけでなく持ち帰ってこそ任務達成ということをわかっているからこその堅実な意見だろう。

 ここで引いたとしても、情報を持ち帰ることができないほど危険だった、という情報を持ち帰ることは確かにできるのだから。


「わたくしも一度は引いた方が良いのではないかと存じます。いまだ読める先行きはわずかですが」


 エミサリウスさんもか。


「危険は承知だ。だがグラディウスファーリーにわたしは戻れない。スクトゥム国内が危険だというのであれば、ロリカ内海を出て、オズにある港を拠点にして情報収集を続けてはどうかと考えている」


 なるほど。マヌスくんは安全策をとりつつ、それでいて情報収集もできる案を出してきたな。


「あ、じゃあアタシもグラディウスファーリーまで戻るのはナシにしまさぁ」


 アルガがころっと意見を翻した。マヌスくんのサポートに回りたいという意思表明ですか。

 あたしとグラミィ以外にまだ意見を出していないのは、あと一人。

 クランクさんに頭蓋骨をを向けると、彼はようやく口を開いた。

 

「シルウェステルさまが急がれるのは時間がないためでしょうか。それとも食糧がわずかであるためでしょうか」

「『どちらの理由もある』」

「なるほど。……さすがに時を稼ぐ手立ては思いつきませんが、食糧の消費を抑える方法ならばありましょう」

「『それは?』」

「いらぬ口を減らすのです」

「な!」


 声を上げたのはマヌスくんだけだが、他の三人の視線からも温度が急激に低下した。

 口減らしとは、人間を殺すということだ。


「何を驚かれるのです。全員仲良く餓死するよりも、一部の犠牲で生還者を最大限増やす方法ですよ?」

「いや、しかし、それは!」


 険悪な空気を醸し出されても、クランクさんは揺るがない。


「声が外に漏れぬよう結界を張っているということは、シルウェステルさまはそのような意見が出ることも想定されていたのでは?」

「……『いかにもその通りだ』」 

〔って、本気ですかボニーさん?〕


 かっくり頷きながらあたしはさらにグラミィに通訳を頼んだ。


「『カプタスファモ(クランク)魔術子爵(さん)は覚悟を問うているのだよ』」

「覚悟とは?」

「『ランシアインペトゥルスを出る前、わたしは死の危険があると警告した』」


 覚えてるかなー……大丈夫みたいですねランシアインペトゥルス組。

 それぞれうなずく中で唯一聞いてないよーという顔になったマヌスくん。正直だね。

 

「『それは、個々の、それぞれの命だけではない。他人の命の危険をもいう。改めて問う。己が屍となる覚悟はあるか。そして、生きて他者の屍を踏み、その山に立つ覚悟はあるか』」


 ぶっちゃけ、あたしたちの行動は、今後のランシアインペトゥルスの死者の増減に強く関わっているといってもいい。

 アエスであったことを報告すれば、まず間違いなく戦になる。止める気でここまで来たはずのあたしたちが発端になるというのは何とも言いがたいもんがあるが、理屈は理解できる。

 国の使節を害そうとしたってのは、その国の面子を潰すことだからだ。

 戦となることを前提として考えるなら、撤退を選べば、そりゃあたしたちは比較的安全にランシアインペトゥルスに戻れる。けれども情報不足は戦になった場合に、確実に毒として作用する。

 突入を選ぶならば、その逆のことが起きる。

 自分の死を覚悟するだけじゃない、他人の死を背負う覚悟を持ってもらわないと、先を考えた意見は出せなくなる。


 ……って、そんな覚悟のないあたしがいうのもなんだけどさ。


 だからこそ、クランクさんてば、あえて貴族として、損切りにより最終的に犠牲者を減らす方策を提示してくれたのだ。人命を損切りするという思考に慣れていない同行者たちの反発を喰らうことを理解して。

 だからあたしは敬意を表す。

 

「『カプタスファモ魔術子爵に心よりの感謝を』」


 はっきり言って意見を聞いてる時にイエスマンはいらんのよ。あたしにないものを求めてるんだから。

 クランクさんは、それにがっちり応えてくれたのだ。

 けどね。

 

「『その上でわたしはあたう限り犠牲を出さぬように努めたい。ランシアインペトゥルスで、生きて帰ると、そのために、皆に身体強化を身につけてほしいと望んだように』」

「なぜですか」

「『わたしはこのような身だ。奪うことはできても与うことは難しい命を惜しむ気持ちは強い。なにより、スクトゥム帝国と(犠牲が出ること)同じことをせよ(前提で作戦を立てろ)などと言う気にはなれん』」


 心臓爆裂陣とか。人間を損耗物資としか見ないようなやり方、あたしゃやだね。

 それに。

 

「『ククムどのらより供された品は美味だったのだろう?あいにくとわたしは食せぬが』」

 

 冗談を含むとマヌスくんたちの眉が下がり、空気がほぐれた。

 ええ、行商人さんたちは守りますよ。


「『ただし、害敵まで庇護する気はわたしにもない』」


 その言葉に笑いが消え、クランクさんはうなずいた。マヌスくんもきゅっと口元を結んだ。

 彼ら王侯貴族にとっては当然のことだろう。

 トルクプッパさんやアルガも自然体に近い。前線にあまり出されない魔術師であっても、密偵でもある彼らには切った張ったの刃傷沙汰はわりと身近にあることだ。

 唯一顔色の悪いのはエミサリウスさんさんだ。

 彼は平民で、これまで外務卿テルティウス殿下のもとで文官としてのはたらきを求められていた。

 つまりそれは、命のやりとりをすることには疎いということでもある。

 自分の命と他人の命とを天秤にかけるようなカルネアデスの板になど遭遇したことはないのだろう。

 あたしもグラミィも荒事には疎いっちゃ疎いが、それでもあたしたちにはフルーティング城砦の戦いに巻き込まれた経験がある。命の大切さを知っている。

 いざという時、他人の命より自分の命を優先する覚悟はできている。


 さあ、これから傲慢極まりない行為、命の弁別をしようじゃないか。

 あたしにとって万民の命は平等の価値を持つわけじゃない。

 あたしはあたしにとって必要な人間の命を優先する。そう決めた。

 たとえ恨みや怨嗟を浴びようと。

 

「『まだ生きている(瀕死の)アエスの民(頸折れ組)、マルゴー、ランシアインペトゥルスより連れ来たったスクトゥムの民(三人組)だが、海森の主が何人か引き取るという』」


 彼の要望を聞いて、あたしもいろいろ悩んだ。

 この場合の身柄引き取りとは、庇護下に置くということとイコールではない。

 ドミヌスが中身入りたちの身柄を欲しがったのは、端的に言えば実験材料としてだ。

 だけど星屑(異世界人)からのガワの人解放について、例の夢織草と蒸留酒の組み合わせでバッドトリップを起こすという乱暴なやりかた以外の手段を確定できるかもしれないと考えると、臨床試験前の治験やむなしというところだと思う。

 むろん、ドミヌスが、樹杖たちが実験ついでとばかり人間への恨みをここで晴らしにかかられるとすると、彼らを殺す手伝いをすることになるだろうということも承知の上だ。

 だから、あたしはドミヌスを説得した。

 中身の星屑どもは比較的どうでもいい。が、身体を使われただけのガワの人は助けたい。ガワの人を助けてくれるというなら、引き渡すのもやぶさかではないと。

 ドミヌスも最後はうなずいてくれた。

 地上の星以外の人間は人間、星屑だろうと生粋のこの世界の人であろうと同じだと見ていた森精がだ。これってかなりすごいことだと思う。

 

「『星とともに歩む者(森精)の知識をもって、夢織草の酔いや、他のものも抜けるやもしれぬと。ただしそれが無事にすむかはわからぬとのことだ』」


 グラミィに言葉をつけ足してもらうと、マルゴーをかわいがってたトルクプッパさんも、苦い顔をやめて小さくうなずいた。

 マルゴーってば薬草茶の眠りから目が覚めたとたん、早速行商人さん相手に一悶着起こしやがってくれたのだ。


 行商人さんたからお買い上げした食材の中で、カーセウスマンスとかいう、あの()みチーズに船乗りさんたちの人気が集中したのは、削ってお粥に入れたりする以外に、小さくした欠片を長い間口の中に入れておくという食べ方もあるとククムさんたちが教えてくれたおかげもある。 

 乾燥しきった凍みチーズはそのままでは噛めないほどに固い。だけど口の中に入れておくと、唾液でじわじわと戻り、ずっと舐めたり噛んだりしていられる。眠気覚ましにもなるし口寂しくならないというわけだ。

 あっちでもちゃもちゃ、こっちでもちゃもちゃ口を動かす船乗りさんたちが続出した。


 それを見たマルゴーはキレた。どうやらガムを噛んでいるように見えたから、らしい。

 行商人さんの中に、ちょっと華奢な、くりっとした目の印象的な、かわいい顔立ちの少年がいたのもまずかった。

 きれいな赤い髪を伸ばし、色鮮やかな織帯を額に巻いて止めていた彼を、女の子と間違えたマルゴーは、「あたしがヒロインなんだからー!」「アイディア盗むな」「キャラかぶりするな」……とまあ、行商人さんたちには意味の分からんだろう暴言を吐きまくった挙げ句に、蹴飛ばしたり顔をひっかいたりという暴行を加えたのだ。

 これにはあたしも頭蓋骨を抱えそうになった。のんびり抱えてなどおらずに、とっとと行商人さんたちに謝罪しに行ったけど。

 マルゴー本人は今も拘束したまま船の上だが、自分のガム――って夢織草のエキスですがそれ――でNAISEIチートという妄想しか見ていない彼女は、そのままにはしておけない。

 行商人さんたちの手前、処罰しなけりゃいけないってことも当然ある。

 その一方で、薬物による理性消失のせいかもしれないあの凶暴性、夢織草の中毒症状、放出魔力が増えていることなどにも対応が必要なことは、トルクプッパさんにもよくわかってることだ。

 

 アエスで拉致監禁洗脳行為をやらかしてた頸折れ組に対しても、あたしは地味に警戒を続けている。

 身体が麻痺して動かなくても首から上は無駄に機能しているので、これ以上同行を許したら星屑経由でどんな情報を抜かれるか知れたもんじゃないしな。

 ドミヌスに不安を訴えたら、ある方法を教えてくれたので早速実行した。これで少しは危険性は下げられると思うのだが。

 

「おおそう、『行商人どのらの連れ(ゾンビさんたち)が森に入って行っても止めるな』だそうじゃ。治療の目処がついたら幻惑狐たちが連れて行くそうな」

「それは了解いたしましたが……」


 そう、食糧はさておき、時間は有限、しかも刻々と減っている。

 進むにしても引くにしても早く方針を決め、アエスからケトラ属州の総督に、いや帝都に連絡が届くより先に動かなければならないのだ。

 船だって潮流や風の問題がある。そうそう人間の思い通りに足を速めることなんてできない。


 そうグラミィに伝えてもらうと、アルガがひょいと眉を上げて言った。

 

「シルウェステル師ならばできるのでは?」


 無茶振りが一周回って帰ってきたー!

 てかあたしをなんだと思ってるんだよアルガ。


〔あたしもボニーさんにはできるような気がしちゃうんですけどー〕


 すんなっ。

 それはともかく。

 

「『エミサリウスどの。先行きを読むに、情報はあとどれほど必要か』」

「多ければ多いほどよろしいのですが、かなうのであれば属州だけでなく本国の為政者の考え、人となり、動向、そのようなものを知ることが重要かと」


 だよねえ。

 今後のスクトゥムの動きを先読みするならば、国を動かす人間を知る必要がある。

 だけど、たぶん、このスクトゥム帝国を動かしているのは、皇帝一人をトップに戴く中央集権体制じゃない。

 おそらく複数の皇帝サマたち御一行。

 複数の人間の情報収集を同時並行で行うのは、一人の人間を相手にするより難しいし時間がかかる。

 いずれにせよ、情報をとるのならば正面突破でスクトゥムの中心部へ入るしかないのだろう。

 だが、それには戦闘能力のない行商人さんや船乗りさんたちを連れてくわけにはいかない。


「ならば、折衷案は如何でしょう」

「どのようなものでしょう、クランクどの」

「戦力を分けるのは愚策かもしれませんが、この島かロリカ内海の外で待つ者と、さらにスクトゥム国内へ。より効果を上げるのならば、帝都レジナへ赴く者とに分けて行動すべきかと」

「『詳しくお聞かせ願おう』」


 …………。


 …………。


 …………。


〔あ、あくどいですねー……。ボニーさんの黒さとはまた別方向にひどい〕


 確かに。

 クランクさんてば貴族。マジ貴族。

 策の内容を聞き終えた時には、そんな感想しか出てこなかった。


〔それをさらにパワーアップさせるようなアレンジを付け加えるボニーさんもボニーさんですけど!〕


 何を言う。

 アルガやトルクプッパさん、エミサリウスさんをごらんよ。

 彼らが浮かべる笑みのすがすがしくもドス黒いことといったら。

 それに、グラミィ。あんたは反対なのかい?


〔いいえ、ぜひともやりましょう!〕


 ……十分あんたも黒いよグラミィ。


〔でも、ボニーさん。いいんですか?〕


 結界を解いて船室を出ると、グラミィが追っかけてきた。


〔一番負担の大きそうなところは、結局ボニーさんが引き受けてるじゃないですか〕


 あー……。でもまあ、適任だからねぇ。

 

〔あたしに何かできること、あります?〕


 そりゃまあいろいろ。

 だけど取りあえず今すぐすべきは、三人組に身体を洗わせておくことかね。よろしく。

悪巧みをするのは骨っ子だけではありませんでした。

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