いらはいいらはい
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
※この箇所には〔残酷描写〕 が含まれています。各自ご判断の上お読みください。
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ラームスがグラミィの帰還を教えてくれたので、あたしははやばやとグラミィが離れる前の姿勢に戻ることができた。ありがとラームス。
あ、フードもついでにかぶっておこう。
ざわざわと木々が動き、繁みに触れる音が近づいてくる。
おかえりグラミィ。船の方はどうだった?
〔魔力の突風のことは説明したら、クランクさんたちも納得してくれました。でもめっちゃ来たがってたんですけど。どうします?〕
それはこの森の主の意見を聞かなきゃならんでしょうよ。やめとけとあたしは言うけど。
最初からクランクさんはついてきたがってたんだよね。交渉事はわたくしのなすべきことでしょうと。
確かにクランクさんは人間相手、それも国家間レベルの交渉なら超有能だ。けれども平民相手ではアルガに劣り、森精との交渉ではあたしたちより駄目かもしんない。必要な知識とスキルが違うんだよねー。
そもそもあたしたちがしてるのは交渉じゃないしなあ。
〔あ、そうそう。行商人さんたち、気がついたそうですよー〕
そいつはなにより。
は、いいんだが。
……グラミィや。あんたは、なに幻惑狐たちひき連れてきてんの。
〔え?……あ!〕
あたしに気づかれたとわかったのだろう。グラミィを通した後、またじわじわと元に戻りかけていた森の中から、ご機嫌な幻惑狐たちがわらわらと出てきた。
(ごはーん♪)
……それぞれ口にくわえているのは、足のいっぱい生えてた虫や、 見るからに蛇なんだが足だけ太い鉤爪なので龍のミニチュアというかパチもんに見える爬虫類。狐たちとほぼ同じ大きさの鼠までバリエーションが豊富なのは、この森が豊かな生態系を育んでいる、ということでもあるのだが。
(あー……。申し訳ない、海森の星詠みどの。うちの狐どもがしでかしたことを、どうかお目こぼし願えないでしょうか)
あたしはがっくり肩胛骨をおっことした。
海森の主は樹杖たちだけでなく、森の小動物もセンサがわりにしていた。
つまり、幻惑狐たちがもぐもぐがっついてるのは、彼の感覚器の一部なのだよ!
いくら魚に飽きてたからって……こんの大食漢どもめ。
だが、森精は静かに笑った。
(命は死んで命を繋ぐ。そのものらもまた命の一つ)
……生態系は食物連鎖で直結している。森精にとっては、森の中の生き物が互いに食い食われるのも当然のことなのだろう。
だけど、それに甘え過ぎちゃいけない。
幻惑狐どもはあくまであたしたちとともに来た、つまりこの森にとっては特定外来生物なのだよ。駆除されたって文句は言えないレベル。
今の一狩りだけでも、この森の生態系に影響を与えてしまったのは間違いない。
その上、彼らを引き連れ、あたしたちがやがてこの島を出て行くことを考えると、どう考えたって森への影響は正より負の方が大きすぎる。窒素や炭素循環のバランスだって変わるんだから。
(まことに、申し訳ない)
幻惑狐たちが食べすぎて、狐なのに狸かっていうような、ぽんぽこりんなお腹になってるのは……まあ、たしかにかわいいけどさあ。
はあ。一度、船に戻ろう。
その前に、スキンティッラ。こっちにおいで。この森のものを食べたんだ、ちょっとは森の主の役に立ちなさい。
(一度わたくしも失礼いたします。なにかございましたら、この狐へ。わたくしに伝えるようお命じくださいますよう)
作っておいてよかった幻惑狐ネットワーク。しばらく森の中に置かせてもらえるのなら、移動式無線通信機ぐらいには働きなさいよ君らも。一宿一飯の恩ってことで。
ラームスの枝も何本か海森の主に渡し、あたしとグラミィが浜辺に戻ると、気づいたアルガが駆け寄ってきた。
波打ち際からかなりの空間が開けて……ああ、潮が引いたんじゃなくて、木々がどいてくれたんだこれ。
ラームス。彼ら樹杖の森たちにも、感謝を伝えたいんだけどできるかな?
( )
ありがと。
「シルウェステルさま」
同行魔術師組が固まっているところへ近づくと、気づいたエミサリウスさんが立ち上がった。マヌスくんやクランクさんも船の中から引っ張り出してきたらしい長櫃に座ったまま礼をしてきた。
そっちもお疲れさまです。いろいろ任せっきりだったもんなぁ。
彼らの前で腰を低くかがめていたのは行商人さんたちの代表か。昏睡状態から脱したとはいえ、もうちょっと楽な恰好になればいいのに。
「……だそうじゃ」
「ならば、お言葉に甘えまして」
アルガが手を貸してやると行商人さんは砂の上に直接座った、というかへたりこんだ。
やっぱり薬物の影響がまだ残っているのだろう。
それに加えて、同席している人たちに緊張しているのもあるんだろう。
特に、陸にあがると船酔いの時のぐったりぶりはどこへやら。すっかりと貴族らしい押し出しに戻るクランクさんや、一国の王弟という育ちが出るのか、どことなく品がいいマヌスくんの前じゃ、国は違えど平民の行商人さんがおどおどした立ち居振る舞いになるのも無理はない。
顔色が蒼白く見えるのは、コッシニアさんやサンディーカさんよりも明るい、その鮮やかな赤橙色の髪のせいもあるのかもしれないが。
「わたくしは、クラーワヴェラーレのククムと申します、しがない商人にございます。直接言上することもはばかられてますようなわたくしどもが、ランシアインペトゥルス王国の使臣であらせられるような、お偉い方々に、命を助けていただくとは思いもいたしませんでした」
深々と頭を下げる行商人さんの目もとが……なんだろうね、赤く腫れたようになっている。
戻ってくる道中でグラミィが伝えてくれたところによると、こっちの説明はアルガがとっくにしてくれたそうな。
あたしたち一行がランシアインペトゥルス王国の糾問使団であること、やはりアエスで被害を受けそうな所を情報収集のおかげでうまく回避して脱出してきたこと、情報収集のさなかに見つけた被害者も同行してここまで来たこと。だがここはロリカ内海の孤島で、しかも島の主とは交渉中なのでまだ安全とは言い切れないということ。
これを非常に懇切丁寧に説明しながら、恩を徹底的に着せまくったとか。アルガめ、やるな。
おかげで行商人さんたちが感謝しまくりの恐縮しまくりな状態になったのはいいんだが。
「まこと不思議なご縁ではございますが、これもベネディクシームスのお導きかと存じます。いまだ感謝も形にできぬありさまでぶしつけではございますが、我々の仲間もどうか、お助けくださいませんでしょうか。なにとぞ、なにとぞ!」
ククムさんが砂浜に額をめり込ませて願うのは、実はあのゾンビさんたちも彼らの仲間だから、だったりする。
彼らはクラーワ地方の国、クラーワヴェラーレの行商人さんだそうな。
数人で隊を組み、複雑なルートを描きながら各地方、各国々を巡るという形で複数の国や地方を巡るんだとか。
幅広い種類の商品を少量ずつ持ち歩く先遣隊は、彼らの間でだけわかるように、立ち寄った都市や村のとある場所に、ここでは何が売れたか売れなかったかといった記録を残しておく。
得意分野別に商品を絞り込み、そのぶん種類ごとの商品の量の多い後追い隊は、その記録を読み取ってから品物を広げるが、その時に売れ筋商品を中心に表に出して売るというやり方をするんだそうな。
売れる品物ばっかり揃ってるんだもの、そりゃよく売れるわな。なんという移動式アンテナショップ的マーケティング。
ちなみに後追い隊は、先遣隊のバックアップも兼ねてるんだそうな。
なにせ先遣隊は広く浅くの荷揃えだ。人気商品が集中すると品切れを起こすので、時々アエスのような大きな都市で後追い隊と落ち合い、荷を融通してもらったり直接打ち合わせをしたりするんだそう。
今年も山の雪解けがだいぶ進んだので、例年同様に行商に出てきたのだが、どうも様子が違ったという。
先遣隊が必ず残す記録が、スクトゥムに入ってからはところどころなくなっていたり、消えかけていたりとうまく読み取れないことが増えたそうな。
アエスではとうとうその記録自体が見つからず、先行していたはずの隊も、同じように落ち合う別分野の後追い隊たちも、影も形も見えなくなっていたという。
仕方なく自分たちだけでも商売をしようと、荷を広げる許可を得ようにも、商業ギルドが様変わりしていてあっちこっちとたらい回しにされた挙げ句、かなりの額の金を支払わされそうになり、困り果てていた時に声をかけてくれたのが、神官のいた一団だったという。
聖職者がいるならと気を許し、窮状を訴えたら同情したように相手を引き下がらせてくれたそうな。
ククムさんたちが感謝を述べると、商品に関心を持たれたのか、ついでに食事にでもと誘われたという。
商品を紹介しながらのビジネスディナー状態かーと聞いていたが、食前酒を含みながら軽い雑談をしていたところまでで、……その後は覚えていないと聞けば。
そこで何か薬をしかけられたのだろうとしか思えない。
てゆーか、やりくちがまるきりむこうの世界の睡眠強盗とかデートなんちゃらなやり口ですよ。
ランシアインペトゥルス王国の密偵さんにも行商人に扮した人がいたけどね。その人は人攫いの中身を入れられて、野盗に斬り殺された。そのおかげでランシアインペトゥルス王国はスクトゥム帝国への警戒を強めたわけだが。
……こうやってじわじわと、他の国から少人数でやってくる人に中身を入れてったことかな。
まるで癌細胞が転移か浸潤を広げていく様子をなイメージしてしまい、あたしは骨まで震えた。
ちなみに、その食事をともにした連中の一部が、ゾンビさんたちに出した命令のせいで自分たちの頸を折られた三人組で、その頸を折ったゾンビさんたちの中に、先遣隊の人たちがいたんだそうな。
アルガによれば、現状について説明したあと、ゾンビさんたちと頸折られ組に面通ししたことで判明したらしい。
しっかし……ククムさんたちの仲間をはめてゾンビ化した連中が、ゾンビさんたちに頸を折られるとか。なんという被害と加害のミルフィーユ詰め合わせ。
しかも、プレゾンビ化状態だったククムさんたちも連れてきたわけだから、あたしが彼らを乗せてきた船は、なんというか実物版呉越同舟状態だったわけですね。
頸折られ組には、罵倒を盛大に浴びせたというククムさんたちだったが、ゾンビ化した仲間の様子には、かなりの衝撃を受けた様子だったそう。
無表情のゾンビさんたちに一人一人名前を呼びかけ、俺がわかるか?何があった?と懸命に声をかけていたものの、ゾンビさんたちはほとんど無反応だったので、推測した理由をアルガが噛み砕いて説明すると彼らは号泣したそうだ。
そして、クランクさんやマヌスくんにまで仲間を助けてと、必死に頼み込んでいたところに、あたしたちが帰ってきた、というわけで。
……そりゃあ、必死になるよね。
グラミィ、ちょっと。
〔りょーかいです〕
「ククムどの、すまんがシルウェステルさまは喋るに難がおありなので、わしが舌がわりとならせてもらう。『我々魔術師とて魔術を知らねば炎を発することすらできぬ。何も知らぬままでは貴殿の同朋を救うことも難しい。だが』とのことじゃ」
行商人さんは背筋を伸ばしてあたしの仮面を見つめた。赤毛も額に撒いた色鮮やかな帯も砂だらけだ。
「『だが、知識が増えれば増えるほど、彼らを助けうる可能性は大きくなる』」
「!では!」
「『ひとまず、落ち着かれるがよかろう。ククムどのらもまだ万全とはいえまい。のちほどこちらからも協力を願うやもしれんが、その時はよろしく頼む』と」
「は、はい!」
ククムさんは目をきらきらさせて頷いてくれたが、正直ゾンビさんたちが元に戻るには、かなりの時間がかかるだろうなとあたしは見ている。
〔えー。ボニーさんなら一瞬でできるんじゃないんですか?ほら、船乗りさんたち相手に集団エクソシストした時みたいに〕
いやー。
彼らに夢織草のエキスを混ぜた蒸留酒を含ませて、搭載されてた星屑たちをひっぺがした時のことを言ってるのなら、事情はあの時と違うからね。
あれ、事前に人体実験は繰り返していたとはいえ、かなりぶっつけ本番だったのよ。
それにゾンビな彼らに星屑たちは搭載されてないんですが。
〔ちょっ、人体実験って〕
あれ。そこから言ってなかったっけ?!
夢織草と蒸留酒なんて組み合わせができたのは、人体実験というか、正確に言うなら、アルボーでしばき倒した故ルンピートゥルアンサ副伯を尋問した時の副産物だってこと。
なにせ尋問って、基本的には本人の口から自分の罪を白状してもらわねばならんのだ。
自爆行為とはいえ岩でてきた針の山を思いっきり踏みつけ、足に穴が開いた状態でさえめっちゃ強気でこっちを罵倒しまくってたコークレアばーちゃんですよ。素直にウタってもらうには工夫が必要だってんで、栄養失調と脱水症状と低体温症でトリプル瀕死状態にまで逝きかけてたタクススさんが提案したことを、ルンピートゥルアンサ副伯爵家一族への恨み骨髄なアロイスが実行するという形で、彼らはいろいろやらかした。
病み上がりのタクススさんがまた体調を崩す前に決着つけたかったってのもあるんだけど。
夢織草と蒸留酒の組み合わせはその時に見つけたものだ。
夢織草を使われまくった以上は夢織草で返すというわけか、タクススさんはまず夢織草でコークレアばーちゃんを燻しまくった。
だけど夢織草で燻されて幻覚を見る時間は以外と短い。あっというまに陶酔から昏睡へと移行するのだ。
とはいえ、のんびり気絶したまんまにさせてる暇はない。
意識を取り戻させるにはより強い刺激が必要ってんで、アロイスってば、冬なのに冷水を浴びせるという、それ自体が拷問ですかというような手段に問答無用で出ようとしたんだけどねー。
コークレアばーちゃんだけを燻すのに、あたしが結界を顕界し続けていたのだ、女副伯に水をぶっかけようとしたら、その都度いちいち結界を全部とっぱらわないといけないし、結界をとっぱらったら夢織草の煙は室内に広がってしまう。
それでは同室にいる人間全員夢織草に酔っぱらう羽目になるというので、タクススさんが却下した。
次善の策として提案されたのが、コークレアばーちゃんの顔だけ、というか顔の下半分だけ結界から出したところで、アロイスががっと顎を掴んでこじ開け、蒸留酒を流し込むというものだった。
いわゆる気つけというやつだ。これにはタクススさんも納得した。のだが。
実際にキツイ酒精を喉に注ぎ込んだコークレアばーちゃんから、数倍に膨れあがった魔力が放出されたのには、あたしもアロイスも驚いた。
とっさにコークレアばーちゃんを顔まで結界に包み込みなおし、その上からもう一枚張り足したけど、そうでもしなけりゃ壊れてたかもしんない。
タクススさんはタクススさんで、魔術師でもないばーちゃんになぜそのようなことが起きたのかと、毒薬師としての興味全開、尋問を半分そっちのけにしていろいろ調べるんですもの。
おかげで、夢織草と蒸留酒の組み合わせはいわゆるバッドトリップを起こして、魔力を不安定にすることが結構なスピードで判明したというわけだ。
人体実験だなんて人道にもとる行為だと思うかい、グラミィ?
ちなみにルンピートゥルアンサ女副伯ことコークレアばーちゃんは、あの時すでになにをどうしても死刑が決まっていた。
ただの死刑囚ではなく、アロイスたちにとっては大恩ある御領主様の敵、タクススさんにとっては自分の敵でもあった。斬首か絞首かわからないけど、苦痛と死に至るまでのバリエーション違いしかない死に方しか近未来に存在しない相手に、彼らが望む死を与えていいと、死刑執行という名の殺害権限まで、アロイスたちには与えられていた。
それでも、人体実験は人体実験だ。
〔それは、でも。ボニーさんは〕
そうだね。あたしは止めなかった。むしろ結界要員として最後まで関わった。
拒否すればアロイスもタクススさんも、それ以上あたしに協力を要請することはなかっただろうとは思う。
けれど、それでも彼らは尋問をしただろうし、最後には死刑を執行しただろう。それが彼らの任務であり権限だ。
だから、あたしは何も言わなかった。言ったとしても彼らは止まらなかったろうし、実力行使で黙らせようとかしたら、その時点で今度はあたしが彼らの服務妨害をしたという罪を負う。それどころか彼らの敵意をかう。
なにより、あたしはアロイスやカシアスのおっちゃんに協力した以上、ルンピートゥルアンサ副伯爵家を潰すのに彼らが成功しようが失敗しようが、そしてその結果が正負どちらに出ようが、自分のやったことを受け止めなければと思ってた。
だから、尋問に同席するという形で、最後まで彼らの任務につきあった。
人が死ぬ、殺される瞬間を見届けることになる。そのことも覚悟して。
〔…………〕
言っとくけど、あたしは自分のしたことが絶対に間違ってない、なんて考えてないからね。
〔……え?!〕
むこうの世界的に言えば死刑囚だって私刑にかけちゃいけないし、人体実験なんてもってのほかだってこともわかってる。
だけど、この世界は、こっちの世界の法と倫理で動いている。
むこうの世界で築いたものをすべて捨てろとは言わないが、後生大事に持ち歩くなら、持ち歩けるだけの力をつけとけよ。グラミィ。
話を戻そう。
夢織草の効果を一番よく知ってるのは経験則的に使いこなしている森精たちだろうが、その次ぐらいに来るのは濃密な実験スケジュールをこなしたタクススさんだろうし、それにつきあったあたしやアロイスだろう。
実際、夢織草と蒸留酒でバッドトリップが起きるってことは、海森の主に説明したらえらく驚かれたので逆にこっちが驚いたくらいなものだ。森精の間ではまだ知られていないことだったらしい。
それには森精が蒸留酒のようなアルコール度数の高い飲料を作らないことにも関係していたようだったけど。
彼らは魔術で水を作ることができる。
だけどね、安全安心な水が飲めるってことは、ほかの飲み物に手を出すメリットが薄いということでもあるのだ。お茶やアルコール飲料を開発しようというのなら、生産コストがほとんど負担にならないか、負担になってもそれに見合うメリットがなければいけない。
海森の主に聞いてみたところ、発酵とか腐敗という現象が発生することは知っていた。だから、うすーいビールやヨーグルト系のものは口にしていたそうだ。
けれども蒸留という概念については曖昧だ。蒸留酒の作成まで至っていたかはわからない。
あたしが船乗りさんたちに搭載されてた星屑に夢織草入り蒸留酒を使ったのも、ゲラーデのプーギオという犠牲がなかったら、やろうとは思わなかったことだ。
彼に搭載されていた星屑をひっぺがせたのは、星屑が彼の血泥となった身体との結びつきが弱まったせい、プーギオが強固な自我を保っていたためだろうとあたしは推測した。
ならば、バッドトリップで無理にでも星屑たちの精神を激しく動揺させ、身体との結びつきを弱めてやれば、押さえ込まれていた人格が星屑たちをはね飛ばせるだろうと。
だけど、ゾンビさんたちにこの手が通じるかはかなりの賭けだ。
陣符のせいでゾンビさんたちは身体の持ち主の人格が押さえ込まれ、結果として今のように精神が十分に機能していなくてもできるような、単純な命令に従うしかできない状態だ。
つまり、身体の持ち主の人格に陣符の魔術陣が蓋をしている。
そう、星屑じゃないんだ、蓋してるのは。
おまけに、蒸留酒と夢織草でバッドトリップを起こした隙につけ込むってのも、かなり乱暴なやり方なのだよ。鍵のかかった戸を開けるのに正規の鍵を使わずに、戸板と敷居の間にむりやりバールでも突っ込んでこじ開けようとするようなものだろうか。
緩衝材になってたかもしれない星屑抜きでそれをどうやったらどうなるか。あたしにも正直予測はつかない。
一応合鍵は作れないかと、あたしもラームスに協力をお願いして陣符の解析は進めてるし、海森の主にも相談はしているんだけどねぇ……。
考え込んでたグラミィをつっついて、すっかり協力的になった行商人さんたちに商品を見せてほしいと頼んでみたところ、彼らは喜んで応じてくれた。
じつはこれも幻惑狐のカロルのおかげが大きい。
彼らを救助する際、そこにいる人たちの匂いのついた荷物も全部持ってきてーとお願いしたら、ほんとに行商の品物含めて全部持って、というかゾンビさんたちに持たせてきてくれたのだよね、カロルは。
ま、頸の折れた人間も持ってきたのには、かっぱらった船を回したあたしも驚いたけどね。
証拠隠滅はアエスに情報を渡さない手段だと割り切れば悪い手ではない。おまけに頸折られ組はとっくに身体が麻痺していたので暴れることもなく、そういう意味では扱いやすかった。
首折られズと昏睡状態だった行商人さんたちを寝かしておいて、その端に荷物とゾンビさんも余さず詰めてきたわけだが。
ちなみに、行商人さんの主力商品は何かというと、保存のきく食糧だった。
戸外で凍らして水分を抜く、凍み豆腐ならぬ凍みチーズとか、乾燥野菜とか固めた蜂蜜とか。
山の冷たく乾燥した空気の中でカッチカチになるほど、乾燥というかフリーズドライ加工されたものがメインなのは、水気がなければ大抵のものは日持ちがするようになるし、軽くなるからだろうね。
どうしたって荷馬車などを連ねた大隊商のようには大量の荷を運ぶことのできない、行商人さんならではのチョイスだろう。
味見をどうぞと小さく切った乾し肉や薄く削った凍みチーズを差し出されたので、あたしは真っ先に手の骨を出した。
もちろんあたしが食べられるわけがない。だけど、ラームスに助けを借りれば、毒味ぐらいはできるのだよ。
ええ、悪いけどあたしは行商人さんたちも完全には信用してません。周囲に陸地の見えない孤島で、あたし達の方がはるかに多いこの状況で、いきなり毒を使ってくるとも思わないけど。
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うん、やっぱり大丈夫。
ラームスに感謝しつつオッケーよと頷けば、グラミィが、そして他の人たちもわらわらと手を出してつまんだ。
〔ボニーさん!これめちゃくちゃおいしいです!〕
そーかー。そりゃよかったねー。
あたしゃ食べられないけどな!
グラミィによれば、味というかうまみが濃い、んだそうな。乾燥が効いているからだろうと思うが、船乗りさんたちが試食品を本気で奪い合い、いっしょに味見してみたクランクさんすら無言で目を見開き、マヌスくんまでうまいなと呟いたくらいだから、かなりのものなんだろう。
食事のできない身体であることが恨めしくなるのはこんな時だ。
いや、ここで食糧をあるだけ全部売ってもらえたのは非常に助かったんだけどね!
まさかそこから目がマジになったマヌスくんが、グラディウスファーリーでよければ言い値で買いそうな心当たりがあるから、今度そっちへ売りに行ってみないか、とか、紹介状書くよ?などと勧誘にかかり、そのかわり、もちょっと詳しくお話を聞かせてもらいましょうなどとアルガが介入するとは思わなかったけどな。
最初は戸惑っていた行商人さんたちだったが、太っ腹な全品お買い上げ&新規販路が開拓する手間もなく向こうから紹介状つきでやってきたとあれば、そりゃもう満面にっこにこでしたとも。
あたしの質問が飛ぶまでは。
「『アエスの街へ辿り着くまで、商いをしながら来たとククムどのにきいた』」
「ええ」
「『では、アエスの街まで、どうやって辿り着いたのだ?』」
行商人さんたちが全員固まった瞬間だった。
……いやだってそりゃあ気になるでしょ!
彼らがクラーワヴェラーレの出だというなら、天空の円環を回ればそりゃ他の地方に出られる。交易にはうってつけだ。
だけどね、天空の円環があるランシア山――スクトゥム地方からはスクトゥム山になるのか?!――は、内陸も内陸、超内陸なの。
ひるがえってアエスは港町なのだよ。つまり超海べり。しかもスクトゥム帝国の端っこ。
彼ら行商人さんたちが、天空の円環を通って、スクトゥム帝国の国内をえっちらおっちらと移動してきたというのは、まず考えにくい。
移動式アンテナショップ形式を取ろうが、途中で追加で運ばれた荷物でも受けられるようなシステムでもない限り、数人で持ち歩ける程度の荷物を背負って手売りしながら移動していれば、大きな町の一つ二つ程度で全部商品なんて売り切れててもしょうがないのだ。
そして彼らが数人で一隊になっているというのは、たぶん自己申告どおりだろう。
アエスで人が消えてもこれまで不審をいだかれていない、というのは、不審をいだきそうな人間すべてが犠牲になっているからだろうと考えるとね。
だから、おそらく荷馬車をつらねた隊商とか大商会の人間というのは、被害に遭いにくくなってんじゃないのかなあ。
大人数が一気に消えたら目立つだろうし、なにより取りこぼしが出るのがまずい。
同行者が消えたと騒ぎだしたら厄介なんですよ。
たとえその都市のトップが拉致に一枚噛んでても、他の都市とかへの聞こえってもんがあるはずだから。
スクトゥム帝国内でないなら国外かというとそいつも謎だ。
アエス直近というならグラディウス地方から来るしかないのだが、それでもクラーワヴェラーレ出身というなら、どうしても天空の円環を通ってグラディウスファーリーへ降りなければなるまい。
けれども、天空の円環からグラディウスファーリー国内へ入ると、そこは、テルミニスの一族の領地だったあのドルスムなのだ。
いやね、そこからえっちらおっちら降りてくるのは物理的にできなくはないと思うよ?
物理的には。
だけど、政治的にはまず無理だ。
だって、叛逆の一族を掃討した後なんですよ。一年もたってないんです。
あのクルタス王が見張りを置いてないわけがない。
そして、その見張りが行商どうぞーと通すわけもない。叛逆の掃討とか醜聞以外の何者でもないんだもん。
国外に漏れれば一国の恥どころか、国力低下を喧伝するようなもんでしょうよ。
当事者であるランシアインペトゥルス王国には隠し通せることではないけど、それ以外の国には可能な限り隠し通したいことじゃないかねえ?
なら、行商なんて、ドルスムにも降りられるかどうか。
じゃあ、君たちはいったいどこから来たのかなー?
行商人さんたちはしばらく脂汗をたらたら流しそうな形相のまま固まっていたが、アルガの笑顔と口のうまさがここでも効いた。
「いいですかね、師がお聞きになりたいのはあなたがたが罪を犯してるかどうかじゃないんです。どのようにみなさんがアエスまでなんとか無事に辿り着かれたのか、道を知りたいだけなんです」
ですよね?とふられてあたしはかっくり頷いた。
抜け荷とか密輸、あと公共インフラである道を私有してるってのもこの世界的には国の法律を破る犯罪なのかもしれないが、それを言ったらあたしたちだって、アエスからの無断逃亡はスクトゥム帝国的に言えば入国法違反ぐらいは押しつけられなくもないのだ。
それがヤだから小芝居したんだけど、どっちもどっち。目くそ鼻くそ、五十歩百歩。
「『これは取引だ。道筋の情報を売ってほしい』」
「なるほどそれなら……」
さすが商人、商売の話となると態度が変わる。
壮絶な値段交渉はあったものの、情報を手に入れることができた。
なんと彼ら、天空の円環とは別に、隧道を使って昔っから交易をしていた一族なんだとか。
いや、そりゃ、まあ、ランシア山周辺はかなり強固な岩盤だ。それこそテルミニスの一族も、あのカッパドキアっぽい岩を刳り抜いた集団居住区というか、広大な隠し空間を持ってたし。
他の地方にだって、同じように岩石を加工する技術を持つ一族がいてもおかしくはないよねえ。
だけどそれを使ってやることが、表に出ないような細々した交易とか。
……あたし的にはいいぞもっとやれ、だけどね。
てゆーか彼らのガッツに乾杯。
まあ、天空の円環へのアクセスを持ってるってことでその地方の主導権を握ってる宗主国からすれば、そんな抜け穴所有してるとか激怒モンでしょうし、所有者の方々について、いろいろと推測できることはあるけれども。
――とりあえず、そのあたりのこともしっかり情報共有しとこうじゃないの。
交渉回というより、商売回でした。




