海森の主
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
総じて森精は、端正な容姿に恵まれた者が多いようだ。
ヴィーリとペルもそうだが、むこうの世界の日本人のような真っ平ら系な顔なわけでも、ごりごりに彫りの深い、くどいくらい濃い顔立ちなわけでもない。じつにバランスのいい美しい顔だ。
それが種族的な特性なのかどうかは知らないが、窟屋から出てきた彼も、森精特有の繊細な容貌であったのだろう。本来ならば。
だが、その肩の上にあったのは、美貌の残骸、とでもいうべきものだった。
簡単に表現するならば、無惨に傷つけた京人形の顔に、肉を粘土のようにこね回して貼り付け、おおまかに整形したような、といったらいいだろうか。
今なお血を噴いているのではないかと思うほどテラテラと赤く染まっているのは、顔の大部分を覆う真新しい火傷の引っつれだ。視力があるのかどうかと思うほどに深いその傷跡は、ボロボロになった服の下から見え隠れする身体のあちこちにも及んでいる。
わずかにかつての面影を残すくちびるや鼻筋が端正なだけに、それはいっそうむごく思われた。
この傷でよくぞ命があったものだ。
動揺をなんとか押さえ込みながらも、あたしはなんとも言い難い何かが胸骨の奥底から湧き出してくるのを感じていた。
樹杖たちからダイレクトに流し込まれた恐怖や苦痛の記憶とはまた別ベクトルで、堕ちし星たちの所業を生々しく見せつけられるというのは……これ、けっこう精神的にクるものがある。
スクトゥム帝国が、というかスクトゥム帝国の皇帝サマ御一行が、許しがたい相手だと、あたしの中で定まった瞬間だった。
だが、いつまでも傍観者が当事者ほったらかして自分の感情にかまけているわけにも、姿を現すことすら大変だったろう、その痛ましい様子に黙り込んでいるわけにもいかない。
(初めまして、星とともに歩む海森の方。森に立ち入り、お目にかかることを許してくださり、まずは感謝いたします)
(……わたし/われわれへの受け答えを、誰/奈辺から学んだ)
深々と一礼すると、かさかさした『声』とともに、顔が正確にあたしたちのほうに向けられた。
ちょっとした身動きとともに、心話にも似た魔力の閃きが傷ついた彼の身体を包み込み、周囲の木々や地面を舐めるように動き回り、跳ね返る。
……これ、たぶん、放出した魔力そのものであたしたちを知覚している、だけじゃない。
樹の魔物たちどころか、それ以外の昆虫や小動物のセンサまで借りることで、痛めつけられた自分の感覚の代わり……いや、生身以上の知覚を得ているようだ。
文字通り、彼はこの森と一体化しているのだろう。
(わたしたちが初めてこの世界で目覚めた岩山にお住まいの、わたしたちとともに歩まれることを定められた星詠みの方から。土地の人はランシア山と呼ぶ、その高みにある『同朋満ちる地』の一枝に、教えを請いました。魔力の制御のしかたなども。今、放出魔力を抑えることができるのもそのためです)
心話でランシア山と闇森、そしてヴィーリの外見と魔力の色合いの記憶を送ると、彼は一つ頷いた。
(わたしとこの連れは、互いにこの世界での真名を持ち合うもの。ボニーとグラミィと呼び合っていますが、故知らずこの世界の人の身体を借りたままの暮らしゆえに、身体の持ち主の名で呼ばれることもございます。わたしはシルウェステル・ランシピウスという方の、そして、連れはヘイゼルと。もっとも連れはグラミィと呼ばれることがほとんどですが)
(ではボニーと呼ぼう)
(はい)
(なぜ、そなたはこの地へ来た)
(数えきれぬほどの理由があります。ですが中でも重きを成すものの一つは、あなたに、この地に住まう星詠む旅者に、お伝えせねばならぬものごとがございますゆえ)
心話を発しながらあたしは外套を跳ね上げ、長衣をはだけると、中の内着もたくし上げた。
(人がスクトゥムと呼ぶこの土地より、ランシアインペトゥルスと呼ぶ北海の地に、あなたがたの一部が送られたのをご存じでしょうか。この世界の歩き方をわれわれに教えてくれました、星とともに歩む方が、そのうちのお一人を助けられました)
ペルの外見、そして魔力の色などの心象を伝えながら、あたしは胸骨の右側に腕の骨を差し込んでいた。
(その方は、己が体に半身の種を埋められ、北の海中にて森となることを選ばれました。わたしはそれを見届けることしかできませんでしたが、この地の同朋の方に一部なりともお返ししようと、お連れした次第です)
「お、おお……」
長いこと口を開いていなかったようなかすかなうめき声とともに、指の欠けた無惨な手が震えながらさし伸ばされる。
あたしが肋骨の内部から取りだしたのは、寄生木のように、ラームスの一部に支えられたままの、あのペルの森のひとえだだった。
ペルの身体にどんな術式がどれだけ仕掛けられているのかわからない以上、彼が森になった後も、遺骨どころか遺髪すらスクトゥムの地に持ち帰ることはできない、してはなるまいというのが、ペル本人とヴィーリの共通見解だった。
だが、何があったのかを記憶し記録し、それを森によってつなげあい共有し合うのが、彼ら森精と、そして彼らと共生している樹の魔物たちの第二の本能といってもいい。
ベーブラを発つ時、森になったペルにあたしはこの枝を託された。ペル自身、あるいは混沌録の一部といってもいいものだ。
「!失礼を」
感情が激したあまりか。ぐらりとバランスを崩した森精の身体を、近寄ったグラミィが素早く支えた。
それでもなお差し出される彼の掌をあたしはそっと取って、ペルの枝を握らせた。
焼け爛れた目蓋に塞がれた目から涙がこぼれるたび、彼を通じペルの枝と周囲の森が激しく交感する。心話にも似た魔力の流れが、空間を立体の編み目模様に埋め尽くしていた。
(……北に墜ちたる双極の星よ。この地に根を張った同朋の枝をもたらしてくれたこと、深く感謝する)
涙を流し尽くし、ようやく発せられた海森の主の心話には、変化が起こっていた。
先ほどまでは隔意ばりばりな上に、温度のない空虚なるものの引力、とでもいうべきものを感じるような『声』だったのが、今ではひたひたとあたたかい海水にでも浸っているような、落ち着いたゆらぎを感じるものに変わっている。
森となってしまったペルを、ほんのひとかけでも連れてくることができて、本当によかった。
森精はそれこそ森のような自我を持つ。森という概念が単なる木々の密生のみを意味するのではなく、そこに生じる動植物の豊かな生態系をも含み込んでいるように、彼らは他の森精たちや共生する樹杖たちを通じ、単数でもあり複数でもある自我を育んでいる。
だのに、どれくらいの歳月かは知らないが、この海森の主はただ一人、森となった樹杖たちの他には、同レベルの心話でつながりをもつ相手もなく、ずっとここにいたのだ。
向こうの世界のロビンソン・クルーソーなんてめじゃないレベルでの孤島生活の中、無理矢理引き裂き削られた自我は、森や林どころか一本の木、それも枝葉を落とされ丸太にされかかっていたような状態だったのだろうということぐらいは推測がつく。異常事態もいいところだ。
それでもこれだけの樹杖たちがいるところを見れば、混沌録から切り離されるところまではいかずにすんだというところか。森精は、自分の樹杖を奪われると狂乱するレベルで精神的ダメージを受けるらしい。そのことはペルに聞いたことがある。そういう意味では最低最悪の事態にまではならなかったといってもいい。
けれども、混沌録はどうがんばっても過去の記録でしかない。新しいモノなど生じるわけがない。
たとえていうなら、虐待で肉体的にも精神的にも弱り切った子どもを、生身の人間の手でケアせずに、鏡、ないしは録画モニタですべての壁や天井を覆った部屋に入れたまま放置するようなものか。
森になってしまったとはいえ、同朋と会えたことをこの上なく喜んでくれるわけだ。
(もったいないお言葉。星を見張り見守る者よ。スクトゥムの地に数多散る星とは、まったく縁もゆかりもない我らですが、彼らの所業は我々も情けなく、また腹ただしく感じております。あの者ら同様に、異なる世界から降ってきた身ということすら恥と思うほどですが、わずかなりとも……贖罪というのも筋違いではありますが、星詠む方の心をなぐさめえたのなら、幸いです)
異世界人という立場が同じだからって、同類扱いしてほしくないという気持ちが強まっているせいもあるのだろう。ペルに謝罪したときほど、あたしは皇帝サマたちの所業について真剣に謝る気にはなれずにいた。
けれども、彼らの同類に見えなくもないあたしたちの態度がそれでは、森精たちの怒り、恨み、憎しみは行き場を失う。
出口のない感情はしこりとなって残るものだ。場合によっては世代を超えて。
(あの者らは、そちらにも未知のものであると?)
(はい)
あたしはかっくりと首の骨をうなずかせた。
(正直、同じ世界から落ちてきたのかどうかすらわからぬ相手でもあります。また、今、我々はランシアインペトゥルス王国と呼ばれる人々の森に身を寄せておりますが、そちらにも、またその中ほどにありますグラディウス地方と呼ばれる地にも、陰に陽にスクトゥムの地から星々の害が及びつつあるのです。場合によっては国と国との間で戦になるやもしれません)
あたしゃその名目に使われるのがイヤだから、頑張ってんですよ。めっちゃ頑張ってんですよ。ええ。
だけど、このスクトゥム帝国の様子をわずかなりとも見てしまうと、戦は起きるだろうなーという推測がどんどんと色濃くなっていくのを止めきれずにいる。
もちろんそうなった場合、あたしは逃げ隠れる気はない。自分だけ安全な場所に逃げておいて、この世界の人たちをシールドがわりに高みの見物、なんてことをしてたまるかってんだ。なんだそれ。この世界の人たちをただの消耗品扱いかよ。
あたしゃあ、星屑野郎たちと同等のクズにだけはなりさがりたくないね!
(場合によっては、わたしも星々と正面切って相対することも、覚悟せねばと思っております)
(そうか)
ただ、できる限り犠牲者を出したくないというのも、紛れもないあたしの本音だ。
敵を殺せだの、命令に従って死ねだのとも言いたくない。言えない。
……結局のところ、人死にすら見たくないあたしは、他人の死の責任から逃げることに一生懸命なだけなんだろうけれども。
(ボニー。この地へ来たのには数多の根があるとのことだったが。それは、わたし/われわれに用があったということか。同朋を託し、戦火を報せるためか)
(半分はそうです。もう半分は、アエスにて我々も危害を受けそうになり、逃げ出す途中で、海にくらげなす漂える森となった樹杖たちから、星詠む方のことを伝え聞き、辿り着いたまでのこと)
アエスで受けたしうちや、都市のトップが夢織草で人を昏睡状態にした上、陣符によってゾンビ化してどこかに送っていることが幻惑狐を使って集めた情報からわかったと伝えても、彼はさほど表情を動かさなかった。
海森の主にとっては、すでに心が離れた人間集団の話だ。二度と近寄らねば、これ以上害を受けることはない人間同士の内紛にしか感じられなかったのだろう。
けれどもそこから遡って、ペルが地上の星とは感知できなかった人間が、異世界人の意識と知識を持っていたこと、そしてペルは彼らに拉致されたことを伝えると、様子が変わった。やっぱり彼もまた星屑たちを認識してはいなかったのか。
流れ星現象とともに出現する墜ちし星とは別に、いわば星屑とでもいうべき存在がいるのかもしれないこと、ゾンビ化された人は星屑たちのガワにされているのではないかというあたしの考察を伝えると、かれは身を乗り出すように、形の崩れた耳を熱心に傾けてくれた。
(ちなみに、星屑ではない、地上に降った星は、星とともに歩む方々にはどのような存在として見えているのでしょう)
(髪と目は黒く、肌は薄く黄色みがかっていることが多い。生まれてから16から3,40年ぐらいだろう)
へえ?アジア系のイメージってことでいいのかな?
これまで見てきた堕ちし星――ってか、おそらくは星屑たちとはかけ離れた外見だ。
〔……というか、それって〕
うんまあ、この世界で発生するのは、というか、森精たちが把握し捕獲し、もしくは見守ってきたのは、いわゆる一つの異世界転移ってことになるんでしょうな。星屑たちが信じ込んでるような、異世界転生ではなく。
(だがなによりの特徴は魔力の多さだ。墜ちてきた直後の星の魔力は、わたし/われわれの広大な森ほどもある。星が落ちた地にもその魔力が雨となって降り注ぐ。どんな岩ばかりの荒野であろうと、魔力に富んだ豊饒の地へと生まれ変わる。それもあって墜ちし星を我々は優遇した)
……そんなからくりがあったのか!
あたしやグラミィが意識を取り戻した時に、カシアスのおっちゃんが調査に来た理由の一端が見えたような気がするよ。
墜ちし星をありがたがるという森精の習慣がどう伝わったのかは知らないが、人間の間でも流れ星は何かの予兆と見なされていたみたいだしね。そりゃあ星見台も大騒ぎするわけだ。
ひょっとしたら、あたしやグラミィの魔力が最初からかなり多かったようなのもそのせいなんだろうか。
……えーと、じゃあその魔力って、ずっと多いままとか。
(多くはある。しかし月の巡りとともに、やがて人の中でも多い程度に落ち着く)
なるほど。ずっと膨大な量の魔力を体内にため込んでるわけじゃないと。
それはむしろありがたい。魔力なんて概念を持たない、ということは自身の魔力をどうやれば制御できるのかも知らない、わからない人間が、この世界の人間ではありえないような巨大な魔力を持ち続けてるなんて危険事態が発生してなくてよかったよ。ダイナマイトにする前のニトログリセリンをたっぷり入れたタンクが、二足歩行であちこちうろちょろしてるようなもんじゃないですか。
万一魔力暴発でも起こされた日にゃ、ガラスのクレーターふたたびどころか、陸が裂けて島が増えるんじゃなかろうか。
海森の主によれば、星が落ちてくるのは、滅多にあったことではなかったらしい。だからこそありがたみがあったのかもしれない、なんてのは深読みのしすぎだろうか。
それはともかくとして、かつてのスクトゥムにおいても、墜ちし星は森精たちの庇護と監視を受け、比較的丁重に扱われ、そこそこましな生活環境を与えられて生きていた。ようだ。
樹杖たちの記憶をかんがみれば、近年頻繁に星の流れるこのスクトゥム帝国の状況はたしかに奇妙だというのが、海森の主の判断だった。
そこから先は早かった。
あたしが伝えたばかりの星屑たちの概念をもとに、あたしたちは互いに持っている情報を共有しながら、いくつか命題を立て、仮説を構築しては練り直した。変形的なブレインストーミングである。
なぜ、星屑たちは生じたのか。
なぜ、墜ちし星たちは増えたのか。
なぜ、星屑たちは帝国民の多くを占めるほどに増えたのか。
なぜ、森精たちは星屑の増殖に気づけなかったのか。
星屑たちの目的は何か。
ちなみになぜ彼ら森精が知らないうちに星屑が増えていたかは、なんとなくだけどわかった。
スクトゥム地方の森精は、引きこもり傾向が強かったのだ。
基本、もともと森精は自分たちの森から出ることはあまりない。とは、ヴィーリから聞いたことだ。
墜ちし星たちの保護や、あと互いの森とのゆるやかな交流という目的でもない限り、自分のテリトリーの中で過ごしていることが多いとか。
外に出た時も、接触する人間は極めて限られている。
というか、森精であるぞと種族を前面に押し出して接触したり交渉したりする相手は、最終的にはその領内の首脳陣、つまり王侯貴族ということになるそうな。
そらまあ話を通すならトップへ通すのが一番だ。えらいひとへの挨拶というのは、たとえ世界が違っても人間の組織に対しては必須だろう。森精側だって、墜ちし星たちを保護ないしは監督するために、人間の領内で一緒に暮らすこともあるそうだし。
一方、王や貴族からすれば、地上の星は出現経緯こそ不明だが、自分の猟地にいきなり生じた『人間』だ。それを、領主の権威や、矜恃などを一切無視して、自分の保護管理下に置こうとする相手が、自分と同じ人間だったら大問題。たとえ格上の大貴族であろうと、場合によっては王へ裁きを求めるレベルの抗議案件ですよ。
けれどもその相手が森精ならば、話は別だ。
神話的な存在とお近づきになるための存在として考えるならば、墜ちし星たちもあだやおろそかには扱えない。
ここまではかつてのスクトゥムの森精たちも同じだったようだ。
だが、一大帝国となった現在のスクトゥムには、貴族はいても王がいない。なにせスクトゥム地方にはスクトゥム帝国、ただ一国しか存在しないのだから。
グラミィのいう異世界補正なのかどうなのか、向こうとこっちの世界における言葉と概念の齟齬は、帝国という単語に限っていうなら、ほとんど感じられない。
自国の領土以上の領土――植民地とか租借地とかも含む――を保有している大国のことをさすという大意は、ほぼ同じであるようだ。
じゃあ、スクトゥム帝国は、もともとの自国領土以上の領土を、どうやって手に入れたのかって?
もちろん戦争による。
ランシアインペトゥルス王国で学んできたことだが、スクトゥム地方にも、かつてはたくさんの小国があったそうな。興隆しては衰退を繰り返すため、数すらはっきりとはわからないほど。
だが、それらはすべてスクトゥムとの戦で滅ぼされ、王族は鏖殺されたらしい。
……もっと穏便に皇族との婚姻という名の人質政策でもしておけばいいでしょに!
だがまあそれはそれで、無駄に力のある外戚がいると問題になるしな。もともとが小王国の一つにすぎなかったというスクトゥムだ、下手すれば国の中枢に手を伸ばされて本国自体ががったがたになることもあるので、帝国設立時の首脳陣、簡単に言うと初代皇帝とか宮宰とか宰相といった人たちがその危険を抱え込むことを嫌ったのかもしれない。単純な権力抗争だけでなく、民族紛争の可能性も考えるとね。
いずれにせよ、かつての小国の王族が全滅したことで、スクトゥム地方では、人間側は森精についてかなりの情報を失伝し、森精たちは人間たちとの交渉窓口を喪った。
もちろんスクトゥム帝国に貴族がいないわけじゃないが、それもスクトゥム小王国内の人間が爵位をもらって家を興しました系の、いわゆる新興貴族というやつがほとんどなんだそうな。それも物理戦闘型メイン。
てか、皇帝――皇帝サマ御一行じゃなくてね、スクトゥム帝国のトップに君臨する人間って意味でね――というのも、もともと王族の血すら入っていたのか入ってなかったのかすらさだかでないらしい、めちゃくちゃ傍系の出身。
だけど軍事的才能は素晴らしく人望もあったらしい。
先王が崩御の際後継者を指名していなかったというごたごたの最中、なにをどうしたのかまでは知らないが玉座に上り、反対する者を押しのけ敵対者を滅ぼし、ついでとばかり他国へ向けて侵略戦争を展開したというね。
なんだそのアレクサンドロス大王と東ローマ帝国の皇帝を足して二で割らないような人間。
さすがに皇后は踊り子ではなく、先王の娘ではあったようだが。
もちろん、騎士や従士レベルからの成り上がりというのは確かにすごい。運もあるだろうけど実績に対する評価として考えるなら、それなりの成果を出すほど有能な人間だったんだとは思う。
けれども彼ら、王侯貴族ではない人間にとって、森精とはお伽噺の中の存在にすぎないのだ。
海森の主から聞いたところ、実際、最初期のスクトゥム帝国で樹杖を持って入った森精が追い出されたということもあり、スクトゥム帝国の皇帝や貴族に、森精は近寄らなくなったという。
わずかに残った元小国の貴族の末裔というのも、各国の王族の血を残さないためにってんで、王女を降嫁したり王子が授爵して立てた家だったりするような高位貴族は、軒並み戦死か処刑済み。
残る下位貴族は領地の経営に必死すぎて、森精についての知識や情報を失伝していたり、もともと持ってた情報すらどうしても王族と比べると情報の量と質が違いすぎるせいで、深い協力関係なんて結べるほど踏み込んだ交渉自体ができないんだそうな。
正直引きこもり生活を続けるだけなら、まったく不便はないので対策も何もしなかった、だって人間の選択による結果だしーというのが、スクトゥム地方にお住まいな森精の方々の実情らしい。
いや、彼らの気持ちはわからんでもない。気持ちはね。
だけど、それで情報を入手するのが遅れたというのが、現状の遠因になっていることを考えると……、のんびりしすぎやしてませんかねと思うんだが。
(確かに、この地に『さまよえる毒刃の群れ』がわずかなりとも残っていたならば、このようなことにはならなかっただろう)
……『毒刃の群れ』というのはなかなかに物騒な名称だが、それぞれの国の後ろ暗い部分に潜みながらも、森精と人間とのあわいに立つモノとして、場合によっては両者の仲介をも務める存在がいるのだと、海森の主は説明してくれた。
だが、毒刃たちは国につくもの。状況次第では国を見捨てることもあるという。それを考えるとスクトゥム帝国というのはよほどに望まれざる鬼子だったのだろうか。
だがまあ、ないものを望んでいても話は進まない。あたしたちは手持ちの札で勝負するしかないのだ。
そう、船にのっけてきている堕ちし星――おそらく星屑――たちとか。うっかり中身をひっぺがしちゃった元ガワな人たちとか。中身を入れられる前の、ゾンビさんたちとか。
海森の主に問われるままに、あたしは星屑たちについて知ってる限りのこと、考察したことを答えた。
森精のいう落ちし星とは異なり、星屑たちの外見や放出魔力量はこの地の人間としか見えないこと。
彼らは、自分のやることなすことすべて思い通りに行くのが当然と思い込んでいる傾向があること。
彼らはこの世界を遊戯盤感覚で捉えているようだということ、そのため他者の命はもちろんのこと、自分の命も軽く見る傾向があること。
実際、目の前で自害を図られたこともあること、だがその身体はこの世界の人間のものであり、魔術陣がいくつも仕込まれている者とそうでない者がいたこと。
魔術陣の一つは刻まれた星屑が死ななければ発動しきれないような構造をしていたこと。
そして、星屑をガワにされてたこの世界の人間からひっぺがしてみたこと、加工前加工後の星屑たちも実は船に乗せてきていること。
……そりゃもう激しく驚かれましたよ。ええ。
海森の主から、突風のような魔力が噴きだしたのにはこっちも驚かされましたが。
幸い、結界を顕界するのが間に合ったので、あたしたちは無傷ですんだのだが。
〔これ絶対、船にまで届いてますよねぇ……〕
……まあ、船乗りさんたちに施した小細工が破れるほどではないと思うけどね。
でも、おどしてきたクランクさんたちの方が心配だ。早とちりしてないかとね。
まさか話し合いの決裂か!んじゃ逃げなきゃ!ってんで、あたしたちだけ置いてきぼりをくらうのはさすがにごめんだ。
それに、かなりの長時間が経過している。
(海より星を詠む方よ。ここで少し気を落ち着かせた方がよろしいのではございませんか?)
ここまでの大怪我を負った身体だ、あたしどころかグラミィより体力を失っていても当然だろう。
おまけに情報が情報だ。オーバーヒート寸前とまではいかないが、あたしもいったん頭を整理したい。ま、物理的には中身空っぽな頭蓋骨ですが。
船を入れてる湾内は使ってもいい、波打ち際なら下りてもいいという許可をもらったので、あたしはグラミィに伝令代わりに戻ってもらうことにした。
あと、足りないものも持ってきてもらおう。服を一揃いに靴もいるだろうし、この森の中では魔術で火を使うことすら大変なはずだ。食事も……。
「あー、『御自分でお作りになったものでないと安心できない、そうお思いならば獲った魚だけでもお持ちいたしましょうか』と申しておりますが」
(いや。ありがたくいただこう)
その程度にはあたしたちを信じてはくれたようだ。
あ、じゃあパンもほしいかなー。
こう、石にぺたんと貼って焼いてもらってきてくんない?
グラミィも食べたいでしょ?焼きたてパン。
〔う……いやまあ食べたいですけど!……わかりました。いってきます〕
グラミィが通った後、道を空けてくれていた木々がざわざわと元に戻ってゆく。
迷い森とはまるで違う重い葉擦れを聞きながら、あたしはゆっくりと海森の主に向き直った。




