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本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 上機嫌にはしゃぎ回った末にようやく熟睡した幼女を見下ろして、船室じゅうの人間は、船が重みで沈んで喫水線が上がりそうな溜息をついた。

 いやあたしは溜息つけないんだけど、気持ちは同じくらいどんより重量感マシマシである。

 はしゃぎ回る――というか、夢織草に酔って、らりらり発言ばっかりになったマルゴーへ、グラミィに薬草茶を作って飲ませてもらったのだ。

 グラミィがこれまでもマルゴーの前でお茶を出したこと自体は何度もあったから、外見詐欺幼女は何の疑いもなく催眠効果のあるお茶を飲み干しておねんねである。


 マルゴーをおとなしくさせたものの、みんなの顔色は暗かった。僅かに問題を先送りしただけなんだものね。お腹いっぱいな現状にこれからどうしようかと途方に暮れもする。

 同僚と主君、というか上司のテルティウス殿下まで、妖怪暖炉舐めにされた毒との再接近再遭遇を繰り返す羽目になってるエミサリウスさんも、もっちりてざわりはどうやら干した夢織草で包み込んだ夢織草エキスの粒と夢織草の種がつまっていたからだったらしいぬいぐるみを手にしたトルクプッパさんも複雑な顔だ。

 

 マルゴーは、アエスでガム、というか夢織草エキスを増産する気まんまんだった。

 どれだけ大きなぬいぐるみにどんだけみっちり詰めて来ようが、幼女が抱きかかえて運べるサイズだ。商品として流通に乗せるには、彼女の手持ちはあまりにも少ない。

 そのことを理解していたからこその所業のようだが、『あたしの幸せのためにこの世界はあるの!だからとっとと働いてよ!トゥルーエンドまでイベントはまだまだあるんだもん!』って、脳味噌が乙女ゲー的なお花畑もいいところな中身年増(外見比)に言われてもねぇ。


 い や ど す ー(即答一択)。


 それはいいんだが。

 いやあんまりよくないんだけども、取りあえず脇に退けておいて。

 彼女の言葉を、たかが夢織草に酔っぱらった末の妄言と見るのも、単なる幼女の戯言と切り捨てるのも危険だろう。

 なぜなら、アエスで夢織草を栽培加工一貫していることは、グラディウスファーリーとスクトゥム帝国の距離を考えるならば、マルゴーが知れるとは思えないはずのことだからだ。

 けれどもマルゴーは『アエスに入らなきゃイベントが始まんない』と言った。つまり知らないはずのことを知っていたということになる。


 いや、たしかにそりゃあマルゴー、というかテルミニスの一族は、天空の円環を利用してスクトゥム帝国とも交流があった。そのうえ、ほぼ全員が、堕ちし星(異世界人)たちを搭載させられていたらしい。

 だから、他のテルミニスの一族経由で彼女がアエスと夢織草についての知識を得られる可能性は、完全なゼロではない。

 知ってた理由が単純に情報を盗み聞きしてたからというなら、まだ納得がいくし、少しは安心できる。まったくのでまかせや当てずっぽでもいい。同類同士で繋がれるラームスたちのように、中身入り(異世界人憑依者)同士に集合的無意識のような精神的なネットワークでもできてて、どっかでつながってたからこそ、アエスに近づいたところで近隣地でのイベント情報がアップロードされたマルゴーが騒ぎ出したんだといったトンデモ事実が隠れてなけりゃいい。と、心底思う。


 もしそんなことがあれば、彼ら堕ちし星たちはWi-Fi的に情報を相互にやりとりできる手段を持っていて、しかも一昼夜休みなしに魔力を感知できるあたしやラームスでさえ、把握不能なネットワークを構築しているということになるのだ。

 情報は力だ。彼らの持つ力を知ることのできないまま、皇帝サマ御一行のいるスクトゥム帝国に、これ以上踏み込むのは、どう考えてもヤバすぎる。

 目の前に広がるのは、踏み込めば踏み込むほど戻れなくなる底なし沼か。個人的にはここから回れ右して逃げ帰った方がなんぼかマシという気がびんびんしている。


 けれども、それで末永く平和に暮らせるかっつーと……まー無理なんだよねぇ。

 季節は春から夏へと向かいつつある。それこそ天空の円環を抜けてこられたら、ランシアインペトゥルスまで逃げ戻ったとしてもその後がない。

 そうかといって先手必勝とばかりに、このままアエスにとってかえして、夢織草関連施設を焼き払い叩き潰しにかかったとしても、問題しか生じない。

 襲撃に罪のないガワの人たち巻き込む危険性をどうするのか、それやったら完全スクトゥム帝国に糾弾の種を与えてしまうだろうがとかね。

 そもそも、それでスクトゥムの夢織草の生産や加工が止まるという保証もないわけで。


 こちらのメリットもあまりない。

 ゾンビさんや、まだ昏睡状態にある行商人さんのような、ガワにされかけてる人、されそうな人たちを一時的に助け出すことはできなくはないが、それにしたってゾンビさんたちを元に戻すことも、大量に夢織草エキスを摂取しているマルゴーや、行商人さんたちをすぱっともとの状態にするような専門的治療なんてのも、あたしにはできない。

 

 頭蓋骨を抱え込んでいたその時だった。


「シルウェステル師、グラミィさま」


 アルガが船室の戸を叩いた。


「アエスの方から船が近づいてきております」


 追っ手か!

 だけど、この状況も、なんとかしないことにはどうにもなんない。

 放り出すのはまずかろう。

 ちらとふりかえるとトルクプッパさんが力強く頷いた。

 

「マルゴーのことは、わたくしにお任せを」


 彼女は暗部繋がりってことで、タクススさんからもいろいろ毒の情報とかもらってたはず。夢織草についても知っていることは多いだろう。まずは何を置いても真っ先に、あんだけ濃厚な夢織草エキスを摂取していたとおぼしいマルゴーから残りのエキスも全部取り上げる必要がある。離脱症状に陥って暴れ出したとしても、抑え込んで夢織草の酔いを抜かねばならない。それができるのは同性の彼女だろう。


「『では頼む』とのことですじゃ」

 

 ラームスの枝を一本トルクプッパさんに預け、フードをかぶり直したあたしとグラミィが甲板へ出ると、苦い顔のアンコラさんが待っていた。


「夜が明けきってから、陸からとっくり探したんでしょうな。まだ引き戻せそうだってんで、追っかけてきちまったようです」


 ……あー。そりゃそうか。

 あたしたちの船からだって、今もアエスというか、アエスのある陸地は見えるのだ。アエスからだってあたしたちの船が見えないと思う理由がない。

 向こうの世界だって、よほどに気象条件が悪くない限り、20kmや30km離れた島が肉眼でもはっきりくっきり見えるのは普通のことだったしね。


 この世界に望遠鏡があるかどうかはわからないが、スクトゥム帝国に堕ちし星たちがわんさといるところを見れば、原理をうっすら覚えている中身な方々もいるだろう。小さなガラスレンズを作成したり、水晶などの透明な鉱物を研磨加工したりするのに、この世界の宝飾技術は十分役立つ。それだけの知識と技術を持ってる職人さんがいるなら、簡単なものは作れてしまうのだ。

 他人の迷惑も顧みず、作れるものは作るだろうね。NAISEIチート今度こそ、ぐらいにのぼせ上がってる星屑たちなら。

 そして、作られたものは利用されるだろう。便利で対価に見合う機能があるならば。

 アエスのちょいと小高いところから見れば、どこらへんの海面に何が動いてる、ぐらいのことが分かる機能があるなら、購入して利用しよう、船影が見えれば追っかけようぐらいは考える人がいるよねそりゃ。

 筆頭、アエスのマフィアっぽい執政官とか。


 もちろん、だからといって、おとなしく捕まってやるってぇ法はない。

 夢織草で眠らされて荷物は全部取り上げられ、あたしはともかく生身の人たちはゾンビ一直線とか断固拒否ですとも。

 だが、問題はだ。

 ここで追っ手の船から逃げだそうという姿勢を見せれば、それでアエスを出たのはあたしたちの意思によるもんじゃないという、あの三文芝居を全否定することになってしまう。

 脆い偽装とはいえ、もう少しこっちの意図は隠しておきたい。

 おまけに、今は潮流を知るアンコラさんにまかせてはいるが、余計なお荷物……とかいっちゃいかんな、おしりにやや小ぶりとはいえ、ゾンビさんたちを乗っけてる船をくっつけた状態だ。

 この親亀子亀状態で、速度なんて出るわきゃないんだもん。それがわかっているから、アンコラさんは向こうの船に気づいたところで、あたしたちを呼びにアルガを動かしたんだろう。

 横に並べて固定し、安定の良い双胴船のような形にすることもできないかとも考えたけれど、大きさが違いすぎるんで、バランスがよろしくない。そんなことしてる時間もない。

 

 ここで追っ手を叩きのめすことはできなくもない。だけど、彼らを船ごと沈めたとしても、口封じにすらなりはしないのだよね。

 今だって、アエスから丸見えなんですってば。このへんの海って、遮蔽になるようなものが島にせよ岩礁にせよ、なーんにもないんですよ。

 この状態でしかければ、まず間違いなくあたしたちが悪者になる。アエスから差し出された善意の手を踏み(にじ)ったというね。


〔それじゃ、どうするんですか、ボニーさん?〕

 

 アンコラさんたちはずいぶんとがんばって船を走らせてくれたらしい。

 それなりに距離を開けた甲斐あってか、追っ手はたった一艘だ。

 だったら三十六計逃げるにしかず。

 ただまあ悪あがきはしておこうじゃないの。アルガ。


「『むこうに魔術師はいると思うか』と聞いておられるが、どう思う?」

「そんなふうには見えませんがね。今のところは」

 

 船乗りな恰好のまんまのアルガはひょいと片眉を上げたまま首を傾げてみせた。

 懸念材料が少しは減ったと見ていいのかな。あとは……。

 周囲を見渡して、あたしはちょうどいいものを見つけた。アレをちょっともらおうか。グラミィ、協力よろしく。


〔協力、はいいですけど。そんなもの、いったい何に使う気ですか?〕


 小道具。

 んじゃ、あたしも久々に肉体労働、いや骨体労働にでもいそしみますか。

 

「『甲板にいる者は手近なものに掴まれ、何かがくるぞ!』」


 突然ばっと水面を振り返り、杖を構えたグラミィの声に緊張が走る。

 それまで向こうの船と大声で会話すら交わしていた船乗りさんたちも、口々に復唱しながら船端にしがみつく。二、三百mぐらいにまで近づいてきていた船の追っ手たちも、互いに顔を見合わせている様子が見えた。

 ……てか、何かくるというか、あたしが起こすんですけどね。

 それではゆくぞ、和風怪談part2!君に決めたよ海坊主!


 ぬぬぬぬっと黒い物体が、追っ手とあたしたち船との中間あたりに浮かび上がってくる。形によっちゃ鯨に見えたかもしらんが、残念ながら、どっちかというと球羊羹風味だ。

 ただし、小ぶりなガスタンクぐらいある。

 追っ手の船からもどよめきが起きたのは、ざばりと突き出た表面に、ぐるりと巨大な横長の瞳孔を持つ、アンニュイな目玉が見えたからか。それともその動きの余波――文字通り海面が持ち上がったせいで、ちょっとした大波が発生している――が、彼らの船を大きく揺らしたからか。

 さらに、巨大な手がぬーいと海を割った。

 どのくらいでかいかと言えば、指――というより、五つに裂けた触手の先端のといった方が正しいかもしんない。関節無関係にうねうねしてるしな――の一本が、ゾンビさんたちを乗っけてる船ぐらいの大きさだ。

 そんなもんが、のったりとこっちの船に伸びてきたのだ。

 厚地のバスタオルがぶっちゃけるような、潮焼けしても野太い船乗りさんたちの悲鳴が斉唱される。

 いい感じの効果音を担当してくれて、ありがっとう!

 

 追っ手側から見れば、対岸の火事ならぬ別の船に起きた惨劇だろう。櫂を漕ぐ手を止めたのは高みの見物をしようとするつもりか、それとも単に危険に近づくのを嫌ったせいか。

 だが、大波にぐらぐらしている船の上から一人のローブ姿の人物を、うねくる触手がぐわしと掴み上げたのには、向こうの船からも異様などよめきが上がった。

 その衝撃でさらに遠くに吹き飛ばされた船からも悲鳴が上がったが、かっさらわれた人間はあっという間に気絶したのか、それとも触手に締め殺されたのか。もはや藻掻くこともなく、ぐったりとした様子だ。

 何か赤黒い液体が周囲の海域に滴り、生臭い匂いが振りまかれる中、力なく垂れ下がった歪な形の頭部からは、うめき声すら聞こえない。

 獲物を捕らえたことを喜ぶように踊り狂う触手は、先に浮かび上がった頭らしき球体の上にまで延びると、あっさりと生贄を放り出す。

 そのまま落下した人影は、いつの間にか目玉の間に開いていた穴に、海水ごと吸い込まれた!

 

 ……んーん、いー感じに追っ手側も混乱してくれてるようだ。


〔それはいいですけど。そんなに高いところから落ちて大丈夫ですか?〕


 あ、だいじょぶだいじょぶ。ドーム状にした結界の中で風を下に打ち出すと、ちょうどいい衝撃吸収になんのよ。

 えらい勢いでドームの壁を這い上った気流が入り口から出ようとして、汽笛かというような太い低音が響き渡ってるけど、それも怪物が鳴いているように感じられるかもな。

 もわっと海面に浮いた血は、船乗りさんたちが朝ごはん用にでも獲ったらしい魚の臓物を拝借したものだ。


 はい、これ全部ただの小芝居です。

 脚本主演監督、ついでに魔術による特殊効果と小道具もぜんぶあたしというね。グラミィは助演である。

 黒い頭と腕は色をつけた結界で、中には錘代わりに海水を詰めてあるもの。

 要は、ベーブラ港で星屑野郎を搭載された状態のアンコラさんを捕獲するのに使った、船幽霊のアッパーバージョンだ。ただし極大サイズ。

 巨腕がぐうっと伸びてくるのは、いくらスローな動きでもでかいぶん迫力がある。

 グラミィの視界越しに観察すれば、セーピアかポリプスのような、無感情な目玉――まあ、結界の色をいじってつけた、ただの模様なわけですが。ちょっと結界の形も凹凸つけたりしてあるけど――に睨まれたと感じたのだろう。

 硬直していたらしい追っ手たちの船も、ようやく一斉に櫂を手に取って遠ざかろうと漕ぎ始めた。

 よし。あたしの方が向こうに近いから、追っ手の方はあたしがやる。そっちの方はグラミィまかせた。

 

 一人の生贄では飽き足らないのか、さらなる獲物を追い求め、追いかけてきた巨腕がのったりと襲いかかる。

 すんでのところで逃れ――と追っ手たちは思ったことだろう。数mは間が空いてんだけどね――無駄に頭上高く持ち上げられていた先端はバラバラな方向にうじょろうじょろと不気味にのたうつも、船を捕らえられぬまま、盛大な水飛沫を上げて海に沈む。その動きでできた波が追っ手達の船に追いつき、激しく波間を上下に揺さぶる。

 追っ手達は転覆を防ぐのに必死で、まともにこっちを追いかけるどころじゃない。

 

 そう、この蛸クラゲチックな海坊主は、もともと追っ手を直接攻撃して叩き潰すためのもんじゃないんです。目的は、妨害ともう一つ。

 

 もう一本の巨大な黒い腕を操りながら、グラミィは二艘の船をまとめて結界で覆っていた。

 だばーんと沈んでくあたりは重しに入れた水の重みに任せ、その間に船をさらに前へとすっとばす。

 彼女お得意の結界で作ったフックを周囲に突き刺し、瞬時に縮めることで強力な推進力を産み出すスリングショット式移動はできない。川と違ってフックを刺せるような岸など近くにないし、わりとこのへんの海は深い。

 そのあたりのことは事前にアンコラさんから聞いといたので、グラミィは数メートルの長さのオールを十対ほど――ただし全部水面下に沈むところは全部翼状のパドルという、人力では水圧に負けて一つのオールに数人がかりで取り付いても漕げないようなしろものを結界で顕界した。それを船の結界に固定すると、ぐいっとひとかきで数十mは進ませる。グラミィの魔術の腕もだいぶ上がったもんだ。

 かき終わったものは消し、ほぼ船体と並行に作ったものをさらに後ろに押しやるという方法で、みるみる数百mは離れただろうか。

 追っ手からは自分たち同様、触手の起こす波に揉まれ、しかも怯えた船乗りたちは舵にも櫂にも触ることすらできぬまま、船ごと海の上をあちこちに小突き回され、猛スピードではね飛ばされているているように見えただろうか。

 ついでに、転覆するのも時間の問題だったと思ってもらえるとありがたい。


 そう、もう一つの目的は、こっちも襲われてる様子を偽装しつつ、船を追っ手達から引き離しながら逃げ出すことにあったのだ。

 

 万が一を考えて、あたしもグラミィも船乗りさんたちからなるべく距離を取り、魔力(マナ)隠蔽をやりながら魔術を顕界しているのだが。

 一番心配していた心臓爆裂転移陣の発動がないとこを見ると、どうやらあたしの小細工(二重の対応策)にも十分効果があったらしい。

 追っ手の皆さんにも心臓爆裂陣は刻まれてなさそうだ。

 ならば、もうちょっと追い回してやろうじゃないの。あたしたちを追い回す気が失せる程度に。


 自分の周囲に張った結界を変形し――アルボーでもやってた超細身な紡錘状に構築しようとしたら、まだ巨大ブロッコリー仮面状態なラームスがつっかえて葉巻型になっちまいましたよ、古風なUFOか!――ドーム状の頭部を沈めながら消すと、あたしはさらに結界の腕をふりまわした。

 

 陸から数十km離れた場所での船の破損は、即座に致死率を跳ね上げる。

 だから、海の上での手加減というのはなかなか難しいものがあるのだが、今回はいろいろ小技が使えたので、まだ楽な方だったかもしんない。

 むこうの船底に時間経過で脆くなり、端の方からどんどん壊れて軽くなるように作った錘を貼り付けたげたりとか。

 腕の動きでできた波に見せかけて、しこたま海水を船の中へと流し込んでおいたりとか。

 漕いでも漕いでも船は進まず、しかも海水を掻き出さなければ船足はどんどん落ちていく。それだけじゃない、喫水はどんどん下がり、船が沈没するかもしれないという恐怖を味わうことになる。

 その上、後ろからは船よりでかい、腕の化け物がなおも諦め悪く追いかけてくるのだ。

 

 中身入りの彼らが、死の恐怖、身の危険というものをたっぷりその肌で感じてくれることを、あたしはちょっとだけ期待している。

 ……そうして、この世界がゲームステージでないことに気づいてくれるといいのだが。

 十中八九無理だろうけどねー。


 ラームスが自分の枝の声もかすかにしか聞こえなくなるほど、ほどよく追っ手からあたしたちの船が離れたところで、あたしも追っ手を追い回すのをやめた。

 未練がましくいじいじと動く触手が海に沈んでいく様子を作っておいて、深めに潜ったまま、ジェット水流でグラミィたちを追いかける。

 こっちもまだ地道に腕というか指の辺りが襲いかかっているようなふりを散発的にしてたらしい。……どんだけ巨大な化け物のふりになったんだか。


〔おかえりなさい、ボニーさん。船乗りさんたちにはネタばらししときましたよ〕


 お、グラミィごくろうさん。


〔だけど、なんかアンコラさんが落ち込んでるんですけど〕


 え。なんで?


〔『これ、あっしらはいらねぇんじゃないんですかね……』だそうですー〕

 

 いやいるから。アンコラさんたちの知識はめっちゃいるから。

 あと、あたしたちがやってるごりごりの力押しって魔力を削るんですよ。そりゃもうごりごりと。

 それに、まだピンチは継続中ですから。


 追っ手の船はどうやらあたしたちを見失ったようだけど、アエスはどうだかわかんない。このままだと陸地から見た水平線の向こうにまで行かない限り、ずーっとあたしたちの船影は丸見えになってる可能性がある。

 だから、あたしも地味にゾンビさんたちのっけた船の影に入ったままなんだよね。

 不用意に船の上に戻ろうとしたら丸見えになってた、とかまずすぎるでしょ。仕掛けがばれないようにしないと。

 

 そう、ここから先は、アンコラさんたち、ロリカ内海に詳しい船乗りさんたちにかかっている。 

 海坊主なんてわけのわからんもんに追いかけられて命からがら逃げ惑ったんなら、何はともあれ最寄りの安全に思えるような港、人間の領域に逃げ込もうとするのが通常の心理だろう。

 つまり、アエスとか。

 ……戻れるかいあんなとこ!

 

 うまくグラミィが船を動かしてくれたおかげで、この二艘の船は、さらにアエスから遠ざかってはいる。

 なので、このあたりの海を良く知っている人間がいて、なおかつ他の港が近ければ、アエスに戻らないのも、まあ不自然ではない。

 そんなわけで、手頃な港ってこのへんにないですかね、アンコラさん?


「いやあ……、アエスに戻るんでなければ、ハマタ海峡のあたりまで行かねえと難しいんじゃないんですかねぇ。内海といってもこのあたりの海域を横断するような、酔狂な野郎はそんなに多くありませんや」


 ……生活のために船を動かしてる人なら、そうだよねぇ。

 冒険心なんて損得勘定抜きな行動要因で、コストを度外視して行動するような人間はそうそう多くない。


 雨が降ったり曇ったりしてくれれば、視界が悪くなる分見失ってくれる可能性も増えるのだが。

 ……悲しいほどにとっても良いお天気だったもんねぇ。


〔こういうときこそ幻惑狐たちに化かしてもらうとか!それこそ、海坊主に追っかけられて沈没していくところをアエスから目撃したとか思い込ませれば完璧じゃないですか!あと、単純に迷い森で隠してもらっても!〕


 あー……。


〔もしかして、できないんですか?〕


 結論から言うと現状では無理だ。

 幻惑狐たちは、人間の知覚に介入することで化かしているのだが、それにだって可能な距離や範囲がある。少なくとも相手が視認できないようなこの状態では化かすことはできない。対象を特定できないからね。

 ラームスの迷い森効果だって、ベーブラ港のペルの森を思い返してほしい。あそこも迷い森効果単体は常時発動していたけど、それでも森自体の存在は隠せなかったでしょ。

 この世界の魔術も魔物の能力も、そうそうすべてをうまくいかせるような、都合の良いもんじゃないのだ。

 

〔じゃあ、ひたすら遠くまで逃げる以外に方法がないんですか?あたしもそろそろこのにょろにょろしたキモいの、維持し続けるのに疲れてきてるんですけどー〕

 

 残念だけどねー。……うん?

 そういや、この手もあったか。


 あたしは船に併泳しながらグラミィの目を借りて、試しに細かい水の粒子を顕界し、船をドーム状に覆ってみた。

 マレアキュリス廃砦に棲む美しい一角獣、コールナーの魔力操作の真似だ。

 これで遠目からは光が乱反射して、船影がかすんで見えなくなる。はずなのだが。


〔……しっとりミストにしかなりませんね……〕


 そう、海の上では潮風に飛ばされて、霧のドームなんて維持できないのだ。くっそ!

  

 しょうがないので、グラミィに触手を操作してもらって、アエスからの視線を完全に切ってもらったところで、あたしは結界の術式を顕界した。

 結界の多用はなんとかの一つ覚えのようだが、船の上部をまるっと結界で覆い、その結界を磨りガラス状にしてみたのだ。

 気分はギリースーツを着込んで顔にも迷彩ペインティングを施した上に、ヘルメットにもざすざすと木の枝を差し込んで、やれる偽装はぜんぶやりきった野外戦闘員である。

 肉眼じゃ張ってあるかどうかも視認できないような結界の中心を強く、端っこに行くにつれて弱く磨りガラス効果をグラデーションで入れたので、船のシルエットもかなりぼやけるとは思うのだが。

 どうしたって不自然感は拭えないし、結界に何かが付着したら、それだけでモロバレなんだけどね。

 これでなんとかなればいいのだが。


 念のために船首側に回って、よっこらせと甲板に上がると、そこにいた船乗りさんたち全員がぎょっとした顔であたしを見た。

 あ、フード外れてたや。

 そうそう、目的地にもだいぶ近づいたようだから、もうちょっと踏ん張ってちょうだい。


「…とのことじゃが」

「と言われましても」

「どこをシルウェステル師が目指されてるのか、我々にも教えていただけませんかね?」

「『あそこだ』だそうじゃ」


 あたしの指の骨で指した方を、アルガとアンコラさんは伸び上がって目をこらしたが。

 

「……あそこって、あの雲の真下ですかい?」

 

 アンコラさんは、ブロッコリー仮面状態になったまんまのあたしをうさんくさそうに睨んだ。いやそこ、あたしの頭蓋骨でも、おでこというか頭頂部に果てしなく近いところなんですが。

 でもまあ気持ちはわかるよ、うん。

 こんな曖昧な指示に従えとか。あたしでもふざけんなと思うもの。

 だけど、彼らには見えなくても、あたしと――たぶんグラミィにだけはわかっている。

 ラームスたちと、小船に今も折り重なったままのゾンビさんたちに挿したままの樹杖の枝たちが反応しているのを。

 そして、雲の影になって暗い海面に、濃い緑が広がっているのを。

 

 基本、船の上から遠くはあんまり見えないものだ。地表ですら海抜何mという陸と違って、海面上は波による上下動はあっても、基本的に海抜ゼロなんですよ、ゼロ。

 視点がどうしても低くなるせいで、水平線に遮られて視界は意外と狭くなる。結果として同一人物で比較すると、陸地で見た地平線までの距離よりも、船上で見た水平線までの距離の方が短くなるというね。

 むこうの世界にあるような豪華客船とかコンテナ船のように、自ら突き出た部分がちょっとしたビルサイズぐらいあるような船でもない限り、なかなか遠くまでなんて見通せないんです。

 

 だからこそ、大航海時代以前の航海ってのは基本陸地伝いメインだった、らしいんだけどね。海峡を横断したとしても数十kmぐらい、つまり肉眼で次の目的地が見てとれるくらい。水平線の手前にランドマークが見えれば、ルートがとりやすいからねえ。

 いくら星を頼りに方角を確かめるといっても、限度ってもんがあるもんなあ。

 

 では、なぜあたしがこんな陸地から遠く離れた場所にピンポイントで辿り着くよう指示が出せたかというと、アエスで接触した樹杖たちのおかげだ。


 アエスで混沌録に接続したあたしがうっかり闇落ちして、同行者をなぎ倒しにかかる直前までいったのは、樹杖たちに注ぎ込まれ、共有せざるをえなかった、森精たちの記憶があまりにも凄惨だったせいだ。

 今でもうっかりその時のことを思うだけで、幾種類もの負の感情が沸点に到達するほどだが、つとめて冷静に思い返せば、その中にも、樹杖たち自身の記憶にも、海に、川に投げ出された森精の、そして樹杖の姿がいくつかあったのだ。

 だが、それらは生死を確認されてはいない。

 うまくすれば、同朋や森の欠片が生き残っているだろうと彼らは教えてくれたのだ。それがペルのように森になっているかもわからないとしても。

 実際、アエスの沖合からここに辿り着く間も、樹杖たちの断片らしき漂流物をラームスはいくつか見つけている。彼らもまたヴィーリの枝たちのように海でも生育できるように自らを進化させたのだろう。

 移動する迷い森となった彼らは、アエスの東南東に自分たちの同類を含んだ、それなりに大きなコロニー(生物集団)があること、そして彼らの半身たる森精が一人、そこにいることをラームスに伝えてきたのだ。

 あたしの目的は、ここにいる――もしくは、ある――森精と接触することなのだ。

 

 手漕ぎに切り替えてもらい、時にあたしやグラミィがジェット水流を駆使し、船体を横移動させるとかして、どうにか進入に成功した島の小湾は、陸に足を踏み入れることができないほど、植物、それも樹木が波打ち際近くにまで密生していた。

 海中までもちゃもちゃと枝が突き出ているので、無理せずこれ以上奥には入れないというところで船を止めてもらい、しばらくそのまま外海の様子をうかがってみたが、……追っ手が海坊主の妨害にもめげずにあたしたちをおっかけてくるような気配は感じられなかった。

 ……どうやら、第一関門はクリアと考えてもいいかもしんない。ラームスたちのおかげだろう。


 アルガやアンコラさんが、もっと船を岸に近づけましょうとか、上陸するならお供しましょうとか言ってくれるのはありがたいんだが、どっちもいらん。

 ここにいるだろう森精は、おそらくスクトゥム帝国の人間に痛めつけられている。へたに接触する人数を増やそうとするのは、相手の神経を逆撫でするだけのこと。話を聞く聞かないの前に、とっとと出て行けお前らも敵だって言われてもおかしかないのよ。

 グラミィにそう伝えてもらうと、船室から出てきたマヌスくんやエミサリウスさんは首を傾げた。

 

「ですが、害を及ぼしたのは、スクトゥム帝国の人間なんでしょう?」


 あたしたち一行には関係ないことだと言いたいのだろう。

 だけど、それは人間の理屈だ。

 

「『森精にとっては、人間はすべて人間だ』だそうじゃ」

 

 ええ、そうなんです。

 ヴィーリやペルと過ごしてわかったことだが、彼らにとって、森精とそれ以外というのは、揺るがしがたいほど堅固な区別なのだ。

 あたしやグラミィのような地上の星は、あくまでも特別枠。だからこそ個人で認識してもらえるんです。それ以外の人間は、基本集団でしか把握されてないんですよ。

 

「『幻惑狐(アパトウルペース)たちをよく見るように。もし交渉が決裂し、この身が保てなくなったならば、彼らとの取引契約は切れる。幻惑狐たちは野生に戻るだろう。そうなったら即座に逃げ出せ。なんとしてもグラディウスにまで戻るように。その後のことはクランクどのにお任せする』」


 そう伝えると、クランクさんたちは、さらに顔色を悪くしながらうなずいた。

 

〔ボニーさん、さっきのあれってただの脅し、ですよね?〕

 

 いや。半分ぐらいは本当だよ。

 気がついてるかい?()()()()()()()()()()()


〔いやいや森が見てるって。比喩表現でしょ?〕


 見ている、ってことに限れば比喩だけど。

 こっちに注意を向けてる気配がずーっとしてるの、わかんない?


〔え゛〕


 この森自体がただの森とは思えない。うっすら迷い森効果を発揮している。樹の魔物たちがまじっているのだろう。それも相当な数だ。ひょっとしたら全部がそうなのかもしれないと思うほどだ。

 この島は、森精とその樹杖たちの領土なのだ。

 だったら、ファーストコンタクトには適任がいるじゃないか。

 ラームス、よろ。


(  )

  

 ラームスは他の樹の魔物たちとつながりあう。あたしも寄生主として魔力を与えているからこそ、葉擦れのようにその『会話』を感知できるのだが。

 さっそく始めたそこに感じられるのは、いつものなんというか、微風にそよぐ笹竹の葉擦れではない。台風直下で幹に激しく打ち付けられるバナナの葉のような荒々しさがある。

 同行者の随従を断って正解だな、これは。

 彼らにきつく言ったのには、ついてこようとか後をつけようという気をできるだけ起こさせないため、というのもある。


〔ついてこさせないって〕

 

 一応魔術師という、魔力の扱いに長けた人間で布陣を固めてはきた。けれどもその彼らでさえ森精たちの高い魔力量に耐えきれるかはわからない。

 迷い森にだまされて、うろうろしたあげく振り出しに戻ると船に戻されるくらいなら、まだいい。

 グラミィ、あんただってヴィーリと初めて会ったときにかまされたのを忘れたわけじゃないでしょ?

 あの威力に敵意がのるかもしれないと考えてみてよ。


〔それはたしかに、ないですねー〕

 

 それにだ。

 この世界の人間の前じゃ、話せないことがたーくさんあるでしょうが。あたしたちには。

 

 あたしとグラミィは船首から海面まで、結界で作った階段を降りた。そのまま陸地というか波打ち際まで、てくてくと近寄る。

 上陸する前に、あたしは深々と頭蓋骨を下げた。

 この世界の、シルウェステル・ランシピウスというあたしが騙っている人間にふさわしい、魔術師の礼でも貴族の礼でもない。地上に落ちた星の、ただの最敬礼だ。


 この入り江に入り込むことを許していただいたことを深く感謝します。そのやさしさに甘え……いや、つけこんで、厚かましい頼みごとをいたします。

 あたしとグラミィだけでいい。申し訳ないが、あなたの領域に踏み込むことを、そして、話をすることを許してもらえないでしょうか。お願いします。


 葉擦れの音に頭蓋骨を上げると、わさわさと枝が動き、ゆっくりと道が作られていく。

 ……これが、意思表示だろう。第二関門は超えられた。

 んじゃ行くよ、グラミィ。感謝を忘れずにな。


 ぶっちゃけ、この海森の主の、あたしとグラミィに対する心象は最悪だろう。門前払いをくらわされなかっただけありがたいくらいだ。

 あたしもグラミィも、落ちし星だ。少なくとも中身はこの世界の人間じゃない。

 その一点において、スクトゥム帝国の森精たちには皇帝サマ(異世界転生気分たち)御一行と同一視されても、敵意を向けられてもしかたがないのだ。彼らにとってあたしたち異世界人はまさしくエーリアン(侵略者)そのものであろうから。

 

 人が足を踏み入れた気配のない場所というのは、木々に間を開けてもらってもかなり足元が悪い。

 樹杖たちを傷つけないよう、ところどころ結界で足場を作り、木々の根の間に足の骨を踏み下ろしながら行くと、少し開けたところに出た。

 洞窟の口だろう、暗い岩穴がその小広場の奥にはあった。


 どうやら、ここが終点のようだというので、あたしも杖を脇に置いて膝の骨をついて待っていたのだが。

 ……ようやく暗い洞窟から現れたその姿に、あたしは驚愕を隠せなかった。グラミィもまたショックのあまり悲鳴を上げそうになって、必死に口を両手で抑えたのだった。

海坊主、なぜかゴジラの音楽を口ずさみながら書いてました。

おかしいなあ、ビジュアル的にはどっちかというと、むしろ水木しげる先生の絵よりなイメージだったんですが。

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