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逃奔は偶然のように

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 マヌスくんが視覚と聴覚を借りているスキンティッラが入り込んだのは、それなりに大きなお屋敷だったらしい。

 荒廃こそしていたが装飾過多だった聖堂とは比べものにならないくらい機能的。というか簡素。

 タペストリがほとんどないせいで石壁の圧迫感がすごいんだろうな。

 ま、あたしにも幻惑狐(アパトウルペース)たちにも、でかいねふーんな感想以外には出てこないけど。

 

 魔物と魔術師に対し、物理的迫力だけが重篤な影響をもたらすってことはあんまりない。

 簡単に言うと、場に飲まれるとか気後れするってことがないのだ。

 魔術師が騎士を筆頭とする物理戦闘能力型の相手にびびらず、幻惑狐たちが食物ピラミッド的にわりと格上な相手にも恐れず喧嘩を売ったりする理由でもあるのだが、魔力(マナ)感知能力のある者は、互いの魔力による圧迫感に慣れすぎてて、魔力を伴わない相手にはまず動じない。

 それ考えると、あたしですら圧倒されかけたランシアインペトゥルス王国の謁見の間には、ずいぶんと魔術的な仕掛けも施されていたのかもなー。

 当然のことじゃあるんだが、建材は普通生きてるものをそのまま使ってるわけじゃない。樹木なら木材にするし、岩石だって手が加えられてる。そのため、石材にも木材にも含有魔力がないわけじゃないんだが、放出魔力はほとんどないに等しい。生きてる人間とその死体を比較するようなものだ。

 だからこそ、魔力感知能力の高い人間なら、敷地内に入り込んだけでそのお屋敷にどれだけ人がいて、どれだけの魔術師がいるのか把握する、なてこともできてしまうわけだ。生きている一人の魔術師よりも建造物の放出魔力量の方がはるかに小さいため、魔術師の放出魔力をマスキングしてしまうということはないからね。

 ま、物理じゃなくて権威とかの社会階級的なもの――身分由来な富や権威を感じさせるものには弱いのが、この世界の魔術師なんだけどね。魔物にゃ関係ないけど。

 ついでにいうなら、グラミィにもあんまり通じてないかもしんない。あたしだって、身分差がこの世界の人間にとっては骨身に染みついているものだということを理解はするが、それを逆用しようと悪巧みだってしかけますしね。


 話がそれたが、スキンティッラが忍び込んでくれたような、こういう地方行政の中核的なところってのは、たいていトップの官職をもって総督府とか鎮守府とか呼ばれてるそうな。

 けれども、ここアエスでは誰がトップかわからない。なのでとりあえず行政府と呼んでいたらそれがあたしたちの中で定着してしまったというお粗末なオチがあったりする。

 なにせここ、アエスは帝国のはしっこもはしっこ、それも本国じゃなくてケトラという属州のはしっこなんですもん。

 いやね、情報収集のおかげで、ケトラ属州のトップが総督と呼ばれてることは知ってますよ当然。今のケトラ属州総督が、スコプルス・レクトール・デシーマって名前だってことも。


 だけど、アエスにあるのは総督府ではない。

 まーこっちも、属州総督の下にいるという、太守とか財務官とか政務官とかって官僚が派遣されてきているわけでもない、どっちかっつーと自治市的な性格の強い場所だからこそ、アエスを最初の寄港地に選んだって事情もあるんだがそれはさておき。

 このアエスにあるのは、執政庁というものらしい。正確には、ケトラ属州府アエス執政庁。

 スキンティッラの視覚を共有してたマヌスくんから後で教えてもらったのだが、……知った時にはなんかがくっと下がったような気がしたね。相手の格とか自分のテンションとかいろいろ。


 人が来そうな気配がしたら教えてとカロルとラームスに頼んで、あたしもスキンティッラの視界を接続させてもらった時には、彼はもうどっかの部屋の中にいた。

 隠れている垂れ幕などの様子から見るに、かなり豪華な、どうやら執政官の執務室か何かのようだ。見上げた視界には顎が二つ。

 

 視点が低すぎるわ!てか位置悪すぎ!

 

 樹杖たちの記憶から得た情報とつきあわせて、どのくらいここの中枢が森精たちの虐殺に関与していたのか確認するのに、顔ぐらいは見ておきたいのだが……。

 いくら人を化かせるスキンティッラに、微弱なぷち迷い森を作れるラームスの気根をつけてやってるからって、無理は禁物だ。とりあえず伝えてもらってる内容だけで我慢しよう。ううう。

 

 ぼそぼそとやりとりされているのは、どうやら今月のアエスにおける商取引とその税収に関する報告とそれに対する質問のようだ。それをマヌスくんが復唱し、エミサリウスさんが目の色変えて書き取っている。って、書くものが足りなくなりそうな勢いだね。

 あたしは薄い石板を何枚か顕界した。何度でも書き直せる透水性の高い、水ペン対応のものよりもっと薄く、もっと肌理の細かいものだ。

 それを以心伝心のグラミィがエミサリウスさんに渡すと、彼はひどく驚いたようで、一瞬ぱかっと顎を落っことしてこっちを見た。

 それでも手を止めないあたりがプロ根性だと思う。

 ……本人真剣なんだから。笑いはもっとひっそりこらえてやんなさいよ、アルガ。


 むこうの世界の紙というのも、和紙はともかく洋紙はたしか、単純な木質ペルプを平らに圧縮したものではなくて、インクの滲みを止めるためとかなんとかで、鉱物やいろんな薬剤が混ぜたり塗ったりされていたはず。山羊などに紙製品を食べさせちゃいかんのはそのせいだったと思う。

 なら、インクがほどよく吸着できれば紙が植物質や動物質でなくても、というかいっそ石でもいいんじゃね?という思いつきでやらかしたことだが、どうやら筆圧で割れることもなく、うまい具合に使えているようだ。

 どれだけ情報を抜けるかは、あとはエミサリウスさんの腕とペン先の耐久性、あとマヌスくんの根気にかかっているのだろう。是非とも頑張っていただきたいものだ。石板が保存に難ありだったら、魔術陣とかいくらでも刻みますんで。


 その一方で、あたしはスキンティッラに記憶も見せてもらっていた。

 だが前頭葉のサイズのせいなのか、ここに辿り着くまでの記憶、特に視覚的なものが、見せてもらっている間も細部からどんどん消えてくのだよね。保存容量の小さすぎるドラレコかっての。

 なお、エミサリウスさんについてもらった当初の目論見である、スキンティッラに文書を盗み見てもらい、情報を抜くことはできなかった模様である。

 幻惑狐の感覚は聴覚や嗅覚が鋭敏なぶん、視覚の優位性が人間より低いってこともあるのだろう。おまけに彼らは猫並みに気まぐれだ。そんな幻惑狐たちに、彼らにとっちゃただの模様にしか見えない文字を、よしと言うまでずっと見てろって、無理難題ってもんでしょうよ。知性はあるんだけどなー。


 聖堂に行ったカロルのおかげで、マヌス君に堕ちし星の脅威と恐怖を存分に体験学習してもらう方は、どうやら達成したみだいだけど。

 ……ひょっとして。アルガめ、行商人さんたちが助けられないかとか言い出したのも、マヌス君への教材に使うつもりだったのかね。

 彼自身も一度は密偵としてアルボーの闇に潜伏してたもんなー。あの時アルガが身を隠してたのは、ランシアインペトゥルス王国に来たスクトゥム帝国のスパイ拠点に絡み、夢織草売買に手を出してた裏稼業さんたちの中だったわけだし。夢織草の夢に溺れる人たちを間近で見ていても、危険性をよくよく知ってても不思議はなかろう。

 だけど、だからってマヌス君(自国の王弟)を実物教育しようとか。意外とアルガってばスペルタなのかもしらんな。


 執政官への報告はそうそうまっとうなものばかりではなかった。そりゃ夜なんてイレギュラーな時間にやらかすくらいだもんねぇ。

 この世界、陽が落ちる前に基本お仕事終了どころか、寝る支度まですませとくもんなんです。つまり夜中にやるようなことなんて、人目についたらまずいことばかりに決まってる。

 

「紙の生産はどうだ」

「品質と生産量はスキルが上がったせいか伸びてます。ですが、そいつはどこでも同じなようで」


 ……まて。その語彙はやっぱ異世界人かあんたらも。

 

「余所と競合が起きてるのか」

「へい。コリュウムとオリカルクムが伸びてきてるようですね」

「……潰してえな」

 

 いきなり潰すとか。妨害でもしかける気かな。

 

「集団PvPでもやりますか」

「面倒だが、それも選択肢の一つだろう。クスリは」

「だぶついてますね。大口で捌ける相手が一つ潰れてからどうも」

「半年あたり前のあれか」


 苛ついたように机の天板を爪で弾く音がした。

 

「……別ルートを開拓しろ。売り物に手を付けるのは二流三流の人間のすることだ」

 

 一流のつもりなんかい。てか、一流の薬物違法売買ってなんですかー?


「聖堂の脳味噌アライはどうしてる」

「ぼつぼつです。怪しまれないよう大人数を相手にしない、失踪数を増やさないって方針を変えない限りこのままかと」

「簡易ルーチンの癖に、そのあたりの判断がなぁ……。不審に思われないようにするには、現状維持しかないのかねえ。カッシウスへ送らないと終わらないしなあ」

「案外面倒ですよね、NPCへの魂入れも」


 ……それまで脳のない頭蓋骨内でちょくちょく茶々を入れながら聞いていたあたしだが、ことここに至ってぞっと背骨が冷たくなった気がした。 

 脳味噌アライというのは、聖堂という単語からして、おそらくヘルメット陣符によるゾンビ化のことだろう。

 そして、簡易ルーチン、NPCという言葉から推測するに、彼らはどうも未だにMMORPG系異世界気分でいるらしい。

 そのあたりはアルボーまで遠征してきた三人組といっしょだが。

 現在も同行中の彼らってば、なんとひっそりグラミィを口説きだしているのだ。


 この世界はゲームじゃない。そのことは、グラミィから彼らに伝えたことだ。

 だが三人組の頭の中で、それはいつのまにか、『この世界は普通のゲームじゃない、デスゲーム化した世界だ』にねじ曲がってしまってる。何度かグラミィも訂正したのだが、彼らにとっての真実はどうやら固定化されてしまっているようだ。

 外見ばーちゃんのグラミィを口説くのも、どうやら命の保証だけはしてくれる、つまり一応味方サイドに立ってる中身JKをヒロインとみなしたから……ではなく、このゲームの攻略法を求めてのことらしい。

 思惑はともかくとして、髭面男が三人雁首揃えてばーちゃんを口説く姿は、面白悲しいというよりむしろ鬼気迫るモノがあって、とっても怖い。涙目グラミィにすがりつかれたのであたしも確かめたが、あれにはどん引きした。

 一人指の骨さして笑うのもなんなので、船乗りさんたちに見せたけどね。

 あれが自分たちがなってたかもしらん姿だと教えたげると、彼らはずいぶん神妙になったものだが、……それは別の話だろう。

 

 火急の問題はだ。

 この都市の行政トップが、失踪者、いやゾンビたちの情報を――それこそ存在に関するものから製造方法に至るすべてをだ――隠蔽しながらも量産する方法を考えている、つまり現在進行形で生産に携わっているということだ。

 それも、会話を聞く限り、彼らに罪悪感は欠片もない。

 魂入れ、つまり彼らにとってこの世界の人間に堕ちし星(異世界人)たちを搭載する(憑依させる)ことは、NPCをPCにする程度のことなのだろう。拉致や脳味噌アライの作業は彼らにとって指定条件の多い、めんどくさいが一定の利潤を生む仕事でしかない。

 彼らは最初からこの世界の人間を対等な存在だなんて見ちゃいないのだ。

 執政官たちの会話は、そのことをあたしにはっきり思い知らせるものだった。

 

 彼ら堕ちし星たちにとって、この世界の人間は、どれだけリアルで人間ぽく動いているように見えていても、ただのプログラムの一部、動作する背景なんだろう。うっかり殺してしまっても、ポップもリスポーンもしないただの消耗品で、体面を繕うのは周囲の反応悪化などというかたちで自分の行動に支障が出るから、ただそれだけ。

 あのスクルータとかいったか、ウエメセ下級入国管理官の態度も、あたしたちを本当の人間だと思っていないのなら納得だ。

 イベントのためとはいえ、NPCという時点で絶対劣等存在と確定した相手にへこへこしてみせるなんてのは、たとえロールプレイだって無理だという気持ちがあふれ出た結果なのだろう。

 今の役職も立ち位置も世を忍ぶ仮の姿、いつかはてっぺんに到達するまでの通過点にすぎず、本気出せばデコピン一発でおれTSUEEEムーブがいつでもできる、ぐらいに考えてるのなら、その姿勢は治りっこなかろうな。

 スクトゥム帝国が全員皇帝を主張する中身入りだという、ランシアインペトゥルスで最初に聞いた話も、どんな眉唾もんだと思っていたが、かなりの部分で本当のことだったようだ。

 通常ならば、あたしゃそういう馬鹿は嫌いだが、そういう馬鹿を妄想から引きずり出して現実に首を掴んで向き合わせてやるってのは大好きだ。どんどん絡んでしばきたおしてやるの、だが。

 

 これは、だめだ。

 

 あたしはスクトゥム帝国の皇帝サマたちも、『ユーザ』である以上は『運営』の被害者だと思ってた。ならば条件さえ合えば、彼らと手を結ぶこともできるんじゃないかとね。

 だけど彼らがこちらの人間を、PCより無価値な十把一絡げのNPCとしか見ていないのなら、彼らの中のその真実が不動のものであるならば、彼らと手を結ぶことはできない。

 向こうの世界にもいたけどね、そういう人間。

 敵であれ味方であれ、自分のあつらえ望むように動いてしかるべきだと考えている人が。共感のない相手はおもちゃか道具にしか見えない彼らが、自分に強い影響力を及ぼす相手に、ある意味一番高い評価を示すのは――脅威と見なし排除する時だ。 

 

 しかし、胸骨の中がむかつくようなこの話の流れにも、一つだけいいことがあった。

 長らく不思議だったんだよね。なんで彼ら堕ちし星たちがいきなり増殖していたのか。

 その謎が解けた。ガワの人を大量確保する態勢が整っていたからだと。

 

 森になったペルからは、もともとスクトゥム地方には地上の星たちが多くなっていたと聞いた。だから星とともに歩むべく、森精たちが人々の中に入っていき、結果として分散させられていたと。

 その状態で、これまで星ではないと、この世界の人と認識していた人間の群れが森精の敵に回ったせいで捕らえられたという。

 星と認識できなかった相手というのは、たぶん星屑(デッドコピー人格)たちのことなんだろうけど、それを最初に聞いたときは耳を疑ったもんだ。骨なあたしゃ外耳も内耳もないけれど。


 だってさ、一人地上の星が偶然か必然かで存在したとして、それを手本に同じような存在を増やそうと画策した人間がいたとして、どうやって同類(おなかま)を増やすのかというね。

 分裂じゃ増えないんですよ星屑たちって。

 少なくとも、この世界の人をガワにして、そこにデッドコピーであっても異世界人の人格を搭載しなければ、増えない。

 増やす方法だって問題だ。

 一人の星屑野郎が一人増やすことを繰り返せば、あっというまにねずみ算的に増加するとか、そんなことはありえない。

 なぜなら周囲に怪しまれないよう、新しい星屑に、この世界についての常識を教えて外に出すという学習期間がどうしても必要になるからだ。

 だけどね、個別学習なんて非効率極まりないんだよ。効率的にやるなら大人数相手の一斉教育。

 もちろん、そんなこともたもたしてたら、人海戦術がとれるほど増殖する前に、この世界の人間に怪しまれて捕まるのがオチだ。

 

 無理を通して道理、主に人倫(ひとのみち)を引っ込ませた成功モデルが、おそらくはこのアエスのシステムなのだろう。

 夢織草の畑をこさえることで、被害者の拉致に必要な夢織草エキスと陣符の材料を同時に手に入れ、製紙から印刷まで一貫した工場で陣符を大量生産する。

 星屑野郎を搭載するNPC(被害者)を調達することですら、上位組織があるとはいえ、司法立法行政をだいたい握っている統治サイドが一枚噛んでれば、隠蔽なぞ簡単だ。

 街に定住してる人間と違い、行商人さんたちなら、都市に入ってきた人間と出ていく人間の数を握ってる人間の腹一つで、入市の事実すらごまかせる。港に出入りする船と船乗りさんだって同じこと、だったんだろう。

 ならば流れゆく者でなければ毒牙にかからないかというと、そういうことでもないだろうけどな。

 むしろ、納税義務が果たせなかったから奴隷落ちとかいう名目をつけてしまえば、住民ですら公明正大な法執行のふりをして、堂々と人身売買の材料にできるというものだ。

 

〔……やーな可能性を思いついちゃったんですけどボニーさん〕


 どしたのグラミィ。


〔あのですね、転生だか転移だかした人って、マルゴーちゃん以外に女の子っていないじゃないですか〕


 だよねえ。少なくともあたしたちの見てる範囲では、彼女ぐらいなもんだ。


〔それって、行商人さんとか、船乗りさんとか、長距離を移動できる体力のある職業の人が被害に遭っていて、そういった職に就いてる人が男性ばっかなせいだって思ってたんですけど。奴隷落ちって可能性を考えたら、女性だって被害に遭ってないわけがないですよね?〕


 そうだね。

 ……って、つまり。


〔異世界転生で赤ん坊スタートの場合、その赤ん坊の身体ってどこから持ってくるんですかね……〕


 ……うわぁ……。

 えっぐいこと考えるようになったね元JK。


〔考えるようになったのは、お手本が身近にあったせいじゃないですかね?〕


 グラミィのつっこみはともかく、可能性としてはありえる。いや、国全部に堕ちし星たちの手が及んでいると考えると、そうでないと考える方が現実味がない。

 じつに途方もなくどうしようもなくろくでもないことだが、……これから見るだろうものにそれだけの覚悟を決めないとならないのかもしれないな、これは。


 どんより落ち込むあたしたちの気分とは無関係に、執政官たちの会話は進んでいた。


「あーっくそ、マギアフィグーラもオリジナルが欲しいなー。アレンジがきかねえんだもん」

「あれ上納金条件がありましたよね」

「そうなんだよなー。ったっく、どいつもこいつも金、金、金か。――そういや、なんとかいう国の使節とかいうボロ船が入ってきてたって?」


 不意に身を乗り出しらしい。一つの顎がニヤリと大きく動いた。

 って。あたしたちのことか?

 マヌス君が顔を上げてこっちを見たので、室内全員に伝えるようにと手真似で伝えた。

 

「ああ、あのなんだかすすけたような船ですかい?」

 

 十中八九この船のことだな。ちなみに、黒いのはタールのせいです。防水性抜群ですよ。

 

「出てったのがスクルータだったんだろ?あいつが不機嫌だったってことは、あの女装野郎たち、ご面相は見られるんだろう」

「でしょうねぇ」

 

 女装野郎って……。むしろトルクプッパさんは男装女性ですがね。

 まあ、魔術師たちは髪の毛伸ばすのが基本ですからねぇ。ローブも丈が長いから、ぱっと見ワンピースっぽく見えなくもないわな。

 でも安心してください。ちゃんと履いてますよ、ボトムも下着も。

 

「外見がいいのは報酬が上がるからなぁ。それに使節というからには、たっぷり持ってんだろ。献上品というやつをよぉ」

「……それはありそうですねぇ……」

「たしか遣唐使とかも船隊を組んでたよなあ。それが一隻だけってことは……こっちにまで届かなくてもしかたないよなぁ?」

「海の上のことまでは、責任持てませんからねえ」

 

 にったりと笑い交わす気配があった。

 確かに数隻、十数隻に一隻ぐらいが消息を絶ったとしても、誰も不思議には思わないだろう。

 ああ遭難したのか、お気の毒に。そういうことで片付けられるだろう。

 座礁に転覆、船乗りの叛乱、そして今のような地元民(ジモティ)による追い剥ぎとワンセットの口封じ。

 この世界、遠くへ移動するということだけでもかなりのリスクを負うことになるのは覚悟してたが。


〔や、やばかないですかボニーさん?!〕


 やばいかやばくないかって、夢織草エキスを見つけた段階で相当ヤバかったんだけどね?

 これは確かに、激烈にヤバい。マヌスくんどころか彼に状況を説明されたアルガやクランクさんまで顔がひきつってるよ。

 だが、アエスの執政官――むしろマフィア系元締めという表現がぴったりな気がするんだが――たちの悪巧みにブレーキは存在しなかった。

 

「明日、取りあえず連中を上陸させろ。相手したのがスクルータなら、どうせむこうを怒らせるようなことをしてるよな」

「確かに」

「だろう?ならワビを入れると伝えろ。あの不手際を上の者が謝罪するとでも言やあ、喜んで船から下りてくるだろうよ。あとはクスリで酔わして、……脳味噌アライだ」

「感づいて暴れでもしたらどうします?」

「どうにもならなきゃ、これだろうが」

 

 面倒くさそうに顎の下にきた右手は、親指を首に当てて前に動かしてみせた。

 

 ……いきなり殺せって方向に振り切れるかね。嫌な方向でやる気満々すぎるでしょうが。

 一番イヤなのは、あたしたちを抹殺しといて未到ですがとしらを切ったり、もしくは死人に口なしと好きなように悪評を吹聴するというこの悪巧みが、十分実行可能だってことだ。

 

 眠り薬や他の毒をかけられる可能性については、しっかり理解も警戒もしてたけどさあ。

 どっちかっていうと身代金目的の捕虜とか、開戦の口実に使われることを警戒してたよ。

 最悪があたしを除く全員がガワにされること。中身にどんな星屑を詰められるかわかったもんじゃないが、スクトゥム帝国の操り人形として逆スパイに使われるとか、ランシアインペトゥルスに戻って、帰還報告とかの場で自爆というか他爆させられるとか。

 だからこそ、なるべく抵抗力のありそうな魔術師のみの少数精鋭で来たのだが、それが裏目に出るとはなぁ。

 それもこれも曲がりなりにも国の名を背負った使節である、つまり他国のぶっとい紐付きですと宣言してるあたしたちに向かって、一応公的機関というか為政者サイドの人間に、まさかこういう発想をするやつが出てくるなんて、あまりにも想定外がすぎるというものだ。

 魔物よりも人間の方がよっぽど外道じゃんか。

 

〔ど、どうしますボニーさん?〕


 待て待て、とりあえず向こうが動くのは明日のようだ。

 てことは、それまでまだ時間はある。ならば逃げ出すにしてもそれなりの準備ができるだろう。

 というか、今すぐ逃げ出そうとか、無謀にもほどがあるでしょ。夜の海はほぼほぼ真っ暗なんです。船乗りさんたちが見えるわけないでしょー?


〔そのへんは、夜目の利くボニーさんが魔術で無理矢理にでも〕


 そりゃあ、操船技術がなくても、魔術でならばある程度船を動かすことはできなくもないけどね?アルボーとベーブラぐらいの距離で、陸が見えるところを走らせるってことはやったもんなぁ。

 だけど問題は、ここが内海だってことだ。

 対岸にあたるようなものが水平線の彼方にあるせいで、まっっっったくそんな感じがしないけどな。

 

 内海、つまり閉鎖性水域のヤバさは潮流の変化の激しさにある。源平の戦いの中でも、屋島の戦いだの壇ノ浦の戦いだのといった瀬戸内海での合戦は、もともと海運を握ってた平家が敵を本拠地に引き込んだのに勝てず、一門滅亡という結末を迎えたわけだが、あれだって複雑怪奇な潮流の向きが勝敗を分けたところがある。

 平家の軍事力が衰退したのは、武士階級だったことが軽んじられたからって貴族化推進しすぎたせいじゃないかと、当事者でもないあたしなんざは思うわけだが。その一端として潮流がいつどの方向に変わるかについての知識も兆候を読み取る能力も低下してたんじゃなかろうかとね。


 ほんとか嘘かはしらないが、閉鎖性水域、特に狭い海峡のある内海は潮の満ち引きによる海流の変化が激しいらしい。ロリカ内海の入り口であるハマタ海峡は、そこも視界の向こうに反対側があるというのでむこうの世界の地球とこの世界が存在している惑星が――星の動きや太陽の高度変化からして、たぶん惑星上にあるのだと思うが――、ほぼ同じ大きさならば、数kmは離れていることになる。

 そこを出入りする潮流は竜の吐息というそうな。どんだけ勢いがあるんだか。

 どうやらスクトゥム帝国の入り口は、虎口ではなく竜の顎であったようだ。

 

 だが風はまだしも、潮流を読むのはあたしには難事だ。

 アエスに着くまでもいろいろ試してはいたのだが、気体と液体の差と、あと単純に潮流を把握するのに認識しなければならない海水の量が膨大なせいだろうか、あたしが潮流を読める範囲はめっちゃ限定的なんである。

 しかも潮流は強力だ。あたしがジェット水流を作り出しても、それ以上潮流が激しければ船はそっちへ流される。動く歩道を斜め横断しているアリンコみたいなもんだ。

 逆に言うなら、潮流を扱いきれるのなら、たとえ追っ手を出されてもあっさりふりきれるだろう。

 扱いきれるなら。

 そもそも逃げ出す以上は完全に向こうがこっちを見失うくらいでないといかんのだ。陸沿いを走るとかできないって。

 

〔……アンコラさん呼んできましょうか?〕

  

 その方がいいね。グラミィ頼んだ。

 

 アンコラさんは、あたしが和風怪談船幽霊でとっつかまえた人攫い、のガワになっていた人だ。

 スクトゥム帝国の中でも帝都レジナに一番近い港町の出身だというので、スクトゥムに入ってからは、彼に潮の流れ風の向きの判断を頼ることが多い。


 そのあたり、船乗りさんたちはじつにシビアだ。

 その水域の情報を一番持っている人間の判断を頼るべきだと決めたからには、黙って受け入れ指示通りに動く。別の海域にでたら、またそこの情報を持っている人間に頼る。

 柄の悪い船だと、判断する者がなにかヘマした時には私的制裁まったなし、らしいけどね。

 だけどこの船の中じゃ、全員無事に故郷に帰すために最大限尽力するというあたしの宣言が効いている。

 海神マリアムの眷属(死神)に見えるあたしの言葉は、船乗りさんたちにはかなり影響力があるのだ。

 あんたたちに力を貸すから、その対価としてあんたたちも最大限の力を尽くせという言葉を無条件に信用してくれるくらいには。

 だからこそ、あたしは彼らを守らねばならないと思っている。

 

 あたしはターレムを通じて、アエスに散らばった幻惑狐たちにも撤退の指示を出していた。

 ほとんどの子たちが素直に、指示に従って動いてくれたのだが、それを拒否したのは畑を担当してもらったミコだった。

 

(子。産みたい)


 ……はい?

 ミコあんた、彼じゃなくて彼女だったんかい。

 いやいやそれより妊娠してたんかい?!


 後で知ったことだったが、幻惑狐たちは出産や育児が可能な環境が整うまで子の種――たぶん受精卵のことだろう――を腹に抱えておくことができるという生態を持っていた。

 向こうの世界でも食肉目系の哺乳類、つまり鼬鼠や狐などが遅延着床とかいう能力を持ってたと思うが、おそらくはそれに近いものだろう。

 ちなみにミコのお相手は一緒に行動している同腹のきょうだいたちではなく、別の群れの雄だそうな。

 グラディウス地方には彼らの他にもいくつか幻惑狐の血族が繁殖しているのだろう。それはおいといて。


 聞いた時にはうろたえたし、いろいろ考えもしたが、あたしはミコをアエスに置いて去ることにした。

 自分と同サイズの(ラットゥス)をぼりぼり食べることができたのがよほど嬉しかったのか、残留したいというミコの意思が固かったというのも大きな原因だ。

 なにせ彼ら幻惑狐たちとあたしとの関係は、使役じゃなく取引なのだ。強制はできない。

 いくら妊娠出産をある程度コントロールできるといっても、船の中で子どもを生まれたら困るということもある。主に食料的な意味合いで。

 だけど、一番大きかったのが、ミコをアエスに置いていくことにメリットを感じたからだった。


 もちろん、デメリットもある。ミコが抜ければこちらの幻惑狐たちの自我はそのぶん弱まり知能も退化する。ミコにとっても知能が下がるのはお互いさまだ。あたしという魔力供給源を失うのも、魔物としてかなりきつかろう。

 だが、そこで、魔物ではあるが動物でもあるという幻惑狐の特性が生きるのだ。

 

 彼らは身体が他の魔物より段違いに小さいので、そのぶん必要とする魔力量が少ない。

 群れが小さくなると知能が下がるのは確かにネックだが、幻惑狐は個体でもかなり賢い上に一度に2~7頭は生まれるという。ミコの子すべてがうまく育てば知能水準を保った状態で新しい群れが構築できる。

 もちろん、うまく育てばの話で、襲ってきたウルラのような猛禽類がこのあたりに多ければ逆に繁殖どころの話ではなくなる。


 んー……。

 あたしは少し考えて、ラームスにあることを相談した。


(  )


 よし。


 ミコ、取引しよう。

 いまあんたの尻尾や頭にくっついてるラームスの葉っぱや気根を、地面に植えなさい。

 畑の中には、もともと日よけの木々が植わってる。そのあたりにラームスの一部をばらまいて極小迷い森を作ってもらえば、いい具合の避難所となるだろう。

 取引の内容は、『ラームスに呼ばれたら情報を渡すこと』だ。これは、『ミコの子にもその子にも、さらにその子にも同じ事をしてもらう』。


(わかった)


 よしよし。


 あたしが狙っているのはミコを群れの太母(グレートマザー)にすることだ。

 産めよ増やせよアエスに満ちよ、もしさらに他の幻惑狐たちに接触することがあれば、さらにミコを基点としたネットワークを拡大することができる。彼らがどんなところにも入り込んで、いろんな情報を得ることができるのも証明済みだ。

 

 もちろん、揮発性記憶の持ち主らしき幻惑狐たちに、すべての情報を保持できるようなネットワークなど作れるわけもない。

だから、あたしが当てにしているのはラームスたち樹の魔物もなのだ。


 アエスの内部に放った幻惑狐たちすべてに、あたしはラームスの枝や気根をばらまいてもらった。

 樹の魔物である彼らは一度根づくと移動はできない。

 だけど、これくらいの距離なら、互いに情報をやりとりできるのはすでに確認済みだ。森精たちの樹杖たちも樹のネットワークには組み込める。

 そう、樹杖たちのしている魔力吸収も、ラームスの気根たちに頼んだ情報の記録と収集も、さらに範囲を広げ効率よく行うことができるのだ。うまくいけば樹杖たちから、ラームスの気根もミコたちも魔力を供給してもらえるかもな。


 ……ひょっとして、幻惑狐と樹の魔物たちの組み合わせってすごいシナジーを生じるかもしんない。

 ラームスは播種と感情収集。幻惑狐たちは身を隠し魔力を供給してもらうためのもの。どちらも欲しいものを与え合うことができるのだから。


〔ボニーさん。呼んできましたー〕

 

 ありがとグラミィ。

 

 手早く現状を説明すると、アンコラさんはみるみるざーっと青ざめた。


「あの、それ、大丈夫なんで……」


 青ざめるのも無理はない。

 だけど、このアエスを逃げ出すのにアンコラさんの協力がどうしても必要だ。拠点のあてはないわけでもない。


〔まじですかボニーさん〕


 マジです。

 だから、してもらいたいのは二つ。いや三つ。船を動かすこと、船乗りとして恥をかくこと、そして何を見ても驚かないことだ。


「最後の一つはともかくとして、恥とはなんでしょう?」

「『皆に頼みたいのは、碇も碌に扱えぬ間抜け役ということになる。我々は、このアエスの港から意図しなかったように見せかけて逃げ出したい』」

 

 詳細を説明すると、アンコラさんは得心したようにうなずいてくれた。彼ら船乗りさんたちのプロ意識を大きく逆撫でするだろうことなのにだ。


「あっしらだって、またわけもわからんヤツにてめえの身体を好き放題いじくられるのはごめんですからね」

「『では、よろしく頼む』」


 アエスの港に流れ込むクブルム川が急激に勢いを増したのは、朝まだきの頃だった。


「誰か、たすけてくれ~~」

 

 情けない悲鳴に駆けつけた人たちが見たのは、濁流と化したクブルム川の流れに翻弄されるいくつもの船の姿だったろう。

 ええ、雨も降ってませんが何か?


 仕掛けはあたしが河口に仕込んだ魔術陣だ。ただし、増水するためのものではなく、横回転の水流を作り出すだけのもの。開発名は横型ドラム洗濯機流しそうめん君である。

 洗濯機なんですか、流しそうめんなんですか、どっちなんですかとグラミィには突っ込まれたが、イメージですよ、ただのイメージ。


 こんなしょーもないもんでも、勢いの良い水流が水底の土砂を掻き回し、水面に尋常ではないうねりとなって現れれば、流れが激しくなったように見えるだろうというね。

 ぶっちゃけ川の水嵩が増したらいろんなところに悪影響でますからねー、見せかけだけでいいんですよ見せかけだけで。

 魔術で水出してもいいんだけど、大量に出し続けるのってそれなりに魔力も消費するしね。


 アンコラさんを通じて船乗りさんたちに頼んだのは、碇がほどけ、不意の増水と慣れない潮流の動きに勝手に船が漂いでたことに、ようやく気づいて右往左往している、というふりだったのだ。

 当の碇は、とっくにこっそり上げといて、見えないように隠してますがね。

 助けてなんとかしてと船乗りさんたちが大騒ぎすることで、港の外へと船が流れ出て行ったのは、不慮の事故によると偽装したわけだ。

 これで、体裁はある程度繕えただろう。んじゃそっちもよろしくグラミィ。


〔りょーかいです、取りあえずアンコラさんに南を目指してもらえばいいんですよね?〕


 うん、たぶんアエスからの追っ手は、こっそり港にあったすべての船から、碇を緩めといたんで、来ないと思うけど。万が一にでも来たら、……時間経過で脆くなるように調整した石鎖とかで、海底にでもつなぎ止めとくかな。

 

 夜中のうちにこっそりかっぱらってきた船で、カロルたちを騒ぎの前に回収していたあたしが沖合で合流した時だった。

 

「ねえ、なんで船から下りないでアエスを出ちゃったの!戻して!アエスで下ろしてよ!イベントが始まんないじゃないの!」

 

 ……がっつり尻尾出してくれて、ありがとうよ、マルゴー。

 いくら外見詐欺の中身入り(異世界人憑依済)とはいえ、幼女を詰問するのは気が引けてたんで後回しになってたからねぇ。

ようやくアエスからの脱出です。

骨っ子「あたしよりも執政庁にいた連中含めてアエスの人間の方がよっぽど化け物だと思う……」

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