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堕ちし聖堂

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 混沌録に接続するということは、増水しまくった激流に足の骨を突っ込むのに似ている。

 無謀の所業に様子見なんて許されない。あっという間に深みに引きずり込まれ、気づいた時には激流のど真ん中でもみくちゃにされているか、水底の岩石にすりおろしにかかられてるようなものなのだ。わりと手加減なく。

 でもそれはたぶん、ラームスたち樹の魔物に、森精以外が心話をつなげることがほとんどないからだろう。彼ら混沌録を構築する樹杖たちと人間の、なんというかサイズ感が違いすぎるということもある。

 人間にシロナガスクジラと貼りついて曲芸遊泳してみせろってのに似ているかもしんない。

 どんなに卓越した技量を持つスイマーやダイバーであろうと、相対的にちっぽけな体躯の人間には、クジラがどんなにそっと動いたつもりでも生じる水流や渦に巻き込まれ、とんでもないところへ押し流されていくことしかできない。

 

 情報の激流に叩き込まれることには少し慣れたつもりだったが、樹杖たちにここまでありとあらゆるものを一度に流し込まれたのは初めてだった。

 アルボーではピノース河流域の水量を広範囲に感知してもらった。

 ベーブラでは森となったペルと話をするのがメインだったから、混沌の度合いは少なかった。どっちかというとイントラネット内で稼働しているAIとそれが管理してるアーカイブに接続したような感じというか。

 だがアエスで叩きつけられたもののほとんどは、いくら樹杖たちの記憶とはいえ、その手から乱暴にひったくられる瞬間までリンクしていた森精たちの、生々しすぎる混乱と憤怒、そして人間への厭悪だった。

 粘りつく負の感情に圧される中、暴行の記憶がまるで生身に加えられているように苦痛のオンパレードとなって注ぎ込まれ、疑似知覚が次々とエラーを起こす。

 液体窒素のナパーム弾という矛盾したしろものに絨毯爆撃された上、灼き爛れた皮膚に硫酸を、内臓にジェロキアをまぶされるようなものだ。 

 そこへ、樹杖たちの怒りが、相棒の腕から乱暴に奪われ、へし折られた衝撃と、火にあぶられる苦痛とともに根のように絡みつく。

 焼き切れるような脳もなく、意識を失うこともできないからこそ、ふかぶかと感情を抉り込まれる。

 滝に差し出された水袋にでもなったように、なすすべもなく容量をはるかに超える高圧な憤怒を詰め込まれ、それ以外のものを流し出される。

 総身にべっとりと染み通るのは……流された血の味。


(  )

 

 ようやく我に返ったときには、船室内じゅうの視線が集中していた。

 

 視線の持ち主は、すべて、人間だ。

 

 人間は、敵だ。

 

 つまり、こいつらもて〔ボニーさん!〕


 誰かが骨の手を握りしめた。

 

 誰かって、誰だ。

 骨の手って、誰のモノだ。

 

 ……ああ、グラミィか。グラミィが、あたしの手を握ってくれた、のか。


〔グラミィかじゃないですよ!いったい今何しようとしました!いきなりダークサイドに落ちないでくださいよ!〕


 ……うん、ごめん。

 マジで今のはヒヤッとした。止めてくれて助かったよ。

 このあたしが、室内にいる彼らを皆殺しにしようと、少なくとも身動き取れない状態になるまで、本気で全員を叩きのめそうと考えていたなど。


 混沌録が潜っただけで自我が削られる危険があるシロモノだってことは、これまでの経験から承知していたことだが、まさか短時間でここまで精神汚染的な状態になるとは思わなかった。

 人間というだけでいきなり周囲への憎悪が募ったのも、樹杖たちの人間への恨みを叩き込まれたからだろう。

 使い手である森精たちを失った樹杖たちの怒りに染め上げられかけてたあたしを、ラームスが引っ張り上げて接続を切ってくれたからこそ、かろうじて戻ってこれたけど。

 万が一、あたしという自我が森精たちの記憶に同調しきっていたら、水袋がふやけて切れ、ズタズタになるように、あたしが消滅してたかもしんない。こええ。

 今のあたしに存在しない感覚、嗅覚や味覚、そして皮膚感覚をダイレクトに伝えられたせいなのかもしらんが、ナチュラルに味方殺しをやりそうになるとか消滅しかけるとか。あまりにもやばすぎるだろうが、アエス。


〔ボニーさん、大丈夫で……なさそうですよね。まだ目つきやばいです。眼窩しかないですけど〕


 そんなにやばいか。

 まあ、だろうな。身近に人間がいると感知しているだけで、今もじわじわとわけのわからない怒りがこみ上げてくるんだもの。

 落ち着けー落ち着けー、まずは素数を……いやいやそんな無限存在カウントする前に、状況を再確認してみよう。

 今あたしがいるところはアエスの港、船の中。あたしがラームスでつながっていたのは聖堂の墓地に生えてた森精の樹杖たち。

 彼らが見せてくれたのは、アエスの街でいったい何が起こったかだった。

 ペルによれば、スクトゥム帝国内で森精の集団拉致が発生したという。

 だがここアエスでは、森精たちは殺されていた。それも拉致の最中の事故とかじゃない。

 ものすごく簡略すると、アエスの民は、地上の星に随行していた森精たちを集団で襲って殺してる。それも虐殺に近い。

 カロルがいる墓地の外れは、その森精たちの遺体が埋められた場所だ。

 樹杖たちも、また。だけどなんとか生き残ったものがここに根を張り、芽を出し、年輪に刻んでいた記憶をあたしに伝えたのだった。

 

 幻惑狐(アパトウルペース)たちの間の心話は、あたしの知る限り半径数百m範囲ぐらいには届く。中継するものがいればもっと遠くまで。四脚鷲(クワトルグリュプス)なら、直線距離で数㎞は離れていてもなんとかいける。これは比較対象がないので、真名を与えたグリグん特有の現象かもしれないが。

 一方、樹杖たちは互いに森の一部として認識し合っている相手を通じて、相当な距離をつなげる。理論上はランシア山も越えられるんじゃないだろうか。

 だけど、ここアエスでは、森精たちは、同胞たちへ危険を知らせるのも間に合わずに殺されている。

 それを森精の相棒である樹杖たちはずっと記録し続けていた。自分の操り手たちが殺される様子を。

 森精は樹杖という森を失うと精しか残らない。個体としては物理的には脆弱だ。

 樹杖たちも森精がいなければただの森のひとかけらにすぎず、また無傷ではなかった。彼らにできることは記録し続けることしかなかったのだ。

 

 ……だめだ、事実確認をしているだけなのに、すごい勢いで負の感情が膨れあがってくる。

 グラミィがさっきからずっと手の骨を握ってくれているのだが、骨身なあたしには感じ取れないものの、そこから伝わっているはずのぬくみすら、どんどんと吸いとられているような感じだ。


 だけど、あたしがアエスで殺された森精たちに、そして相棒たる森精たちを失った樹杖たちに、(いだ)いていい感情なんて、せいぜいが義憤だ。それ以上の思いなど勝手に抱いちゃいけない。

 当事者でもない、ましてやこの世界の人間でもないあたしのやすっぽい共感など、彼らへの冒涜だろうが。

 そもそも、これ以上、死せる森精たちの者の憎しみと樹杖たちの怒りにひきずられたまま、彼らの端末になどなってたまるか。

 あたしはあたしだ。

 いつものとおりに自我を鎧え、あり余る無駄知識でこね上げ溢れる屁理屈で凝り固めろ。思考を左斜め上45度をきりもみ旋回させ、通常運転な真っ黒ボニーを取り戻せ。

 とりあえず現実逃避がわりに場所が場所だ、宗教というお題で無意味に思索をぶん回してみようか。


 宗教はなんのためにあるのか。

 神仏といった超越存在を想定して、人智では計り知れない何かに対する畏怖や感謝を向け、天候や作物の出来などといった、人間の能力では動かしがたいものを都合良く動かしてもらえるように願い、祈りを捧げる訳とは何か。

 ぶっちゃけ人は誰も自分が幸せになりたい存在だから、ってのがその答えだとあたしは思ってる。

 間違っても人はよりよく生きていたいと願う存在だから~、なんて性善説など信じちゃいない。むこうの世界にいたときからだ。

 

 幸せになりたいと人が願うってことは、裏を返せば今は不幸せであると感じてるってことだ。

 まー、そりゃあ不満をまったく持たないって人はいないだろうさ。景気不景気という世の中の問題、富裕か貧困かといった境遇、身長や美醜、知能といった自身のスペック。誰も自分を認めて褒めて惚れてくれないという八つ当たり。

 だからこそというべきか。むこうの世界の歴史を見ても、宗教が勢いよく社会の潮流となるのは、閉塞感が高まり、このままでは先がないという状況に陥った人々の不満をエネルギーに変えた時で、その都度血が流れ人が死んでいる。


 そう、人は死んでも幸せになりたいのだ。

 というか来世で幸せになれるのならば、この世で苦しいつらい体験、その究極形である死すら怖くないというべきか。

 あたしはそういう心理状態になったこたないからよくわからんが、そうなってる人って、死すら次の世で幸せになるための試練としか見てなさそうで、ちょっと怖い。

 だってその考え方を先鋭化すると、死にさえすれば幸せになれる、すべてはリセットされ高スペックでニューゲーム。恵まれた家柄豊かな財産、外見は望むがままに美しく。少なくともキモイって言葉を向けられることは絶対にない、今持ってる不満がすべて解消された状態になるというね。

 そりゃ逆に来世はパラダイスって、死にたがりすら増えるわけだ。

 ――なんだ。異世界転生モノと同じじゃん。一生を費やしても豊かに、そして幸せになれないのならば次の一生で、とか。報われぬ現世と死後の救い、地獄極楽、因果応報輪廻転生とか。

 

 異世界転生モノと宗教的な因果応報輪廻転生思想との一番の違いは、幸せな来世ってやつが安定志向かどうかってところだろう。

 平安期の説話集とか、あれ前世で善行して功徳積んだおかげで、次の世である現世で神仏が幸せにしてくれました系の話がめちゃめちゃ多いんだけど。成り上がりとか没落といった波瀾万丈はお呼びでないというか、あってもせいぜいがお話のイントロで、主要パートは現世で前世の積善の報いを受けてめでたしめでたしというところなのだ。

 そらまあ幸せな状態ってのは、死ぬまで続いてもらわないと幸せっていえないもんなー。安楽って大事よね。獲得に割くリソースが別の所に使えるもん。

 そんなわけでか、平安貴族って来世のために生きてたみたいなとこがあったらしい。来世のために功徳を積むための善行ってのが、写経に供養に仏像作らせるとかって、ねえ。

 宗教デバイスの構築って金持ちにしかできない所業なあたりにヲイとつっこみたくなるけど。

 いずれにしても願うは来世も人間、それも身分の高い家柄で、五体満足ついでに美貌。病気にもかからず、長寿で家族に恵まれた一生を、というか恵まれた日常が永遠と続きますように、ってなにそれ幸せサ○エさん状態。


 異世界転生モノも異世界=幸せな来世と考えるとねえ。

 まあ、最初はゼロというかマイナススタートなのが当然で、名門貴族の生まれでも没落寸前だったり、兄弟姉妹から相対的に見下げられてる立場だったり。そこからNAISEIとかいろいろやって社会的評価か実力を上げていくってところにドラマ性を求めるところが違うか。

 対等なパートナーというのは名ばかりで、心身だけじゃない、技術財力知識その他、支えてくれるばかりのサポーターが一人じゃ足りなくて何人もいて、いやーんモテて困っちゃうってな状況は、まんま平安貴族っぽいけどな。

 異世界転移系もそうか。冒頭では可もなく不可もないが、閉塞した今いる世界じゃ認めてもらえないモブ、もしくはいじめられっ子。だけどそんなぱっとしないスペックが、世界が変われば評価も変わる、誰からも愛されて国どころか世界も救っちゃうぜ、知識バフものってNAISEIだぜ価値ある自分Sugeeeeってか。

 挫折は成り上がりのフラグ、努力は必ず報われて、評価は右肩上がりの無限大。好意を持った相手には必ず十倍返しにデレられる。たまさか悪意をもって策謀を仕掛けてくるような相手がいても、まるっとお見通し。もしくはきっと自滅する。

 

 だけどね。世の中そんな承認欲求満たしまくりな勧善懲悪系因果律でできてるような、やさしいもんじゃないのだよ。

 だからこそ、そんな幻想が求められるのかもしれないが。


 まあそれは今はいいや。落ち着いてきたところで、今は得た情報を分析する方が問題だ。

 室内のみんなも――のびてるクランクさんまで――あたしに目を向けてるってことは、よほど魔力がやばい状態になってたんだろうか。


〔てゆーか、ボニーさんの樹がまた大きくなってます。首から上がブロッコリー状態って感じですかね?〕


 お。おおん。


 ……まあ、ラームスがにょきにょき伸びるくらいはしょうがない。彼が助けてくれなかったら今あたしはここにはいないわけだし。

 そもそもラームス経由で混沌録に接続しようって決めてそうしたのはあたしだしな!どこにも文句の持って行き場所がない自業自得ですよHAHAHAHAHA!


〔でもまあ、だいぶ落ち着いてきたみたいでよかったですよ。さっきまで魔力(マナ)もキンキンに冷え切って、寄らばコロスオーラマシマシでしたから〕


 あー、それはごめん。

 グラミィ、みんなにも謝罪を伝えといてくれるかな?


 ついでとグラミィには樹杖たちから得た情報を言語化して伝えてもらいながら、あたしはカロルにも聖堂へ向かうよう、心話で指示をしていた。

 

 基本、城塞都市って内側、それも中心部になればなるほど身分的に高い人々の屋敷や王宮が広がる。外縁部は都市化が進めば進むほど流入した人口を受け皿となる。時間経過と共に必ず溢れてくんだけど。

 溢れたところが、いわゆるスラムというわけだ。

 でも、都市化による人口増加問題って、じつは城塞都市に限ったことじゃないんだけどね。

 近代都市でいうならスプロール現象が有名なところだろうか。定住した人間が無秩序に生活基盤を広げ、都市としてのインフラ整備が追いつかなくなるというね。

 だけど、近代都市と違って城塞都市には基本的にドーナツ化現象は発生しない。

 理由は土地と所有者の社会階級が密接に結びついているから。

 ドーナツ化現象の原因は、インフラの老朽化とか大気汚染といった都市化に伴う生活環境の悪化らしいが、なにそれうまいの世界ですよ王侯貴族なんて。

 都市で疫病が流行った?なら領地のどれか別の屋敷で過ごせばいいじゃなーい、という思考回路の持ち主ですよ彼ら。

 滅亡でもしない限り、彼らが自分の土地を手放すわけがない。

 それに、よりハイクラスな土地を手に入れることが自分の社会的ブランドとなると考える人間というのも後を絶たないんですよねー。平民の中にも富裕層が生じるようになると、じわじわと金に飽かせて居住権を得る人間というのが増えてくるんである。

 これね、わりとどこでもあった話のようだ。むこうの世界でもバブル期の日本じゃ、いわゆる高級住宅地や商業地には、呆れるような高値がついてたらしいし。都市計画をばっちりしていた江戸の街ですら、町奉行所の役人の居住地帯だった八丁堀にも、屋敷の土地を貸し出すって方法で平民が住むようになってたらしいです。主に時代小説で得た知識ですが。


 だからこそ、旧市街、一番何重にも城壁に囲まれてる聖堂付近にこれだけ土地が空いてるって、このアエスの状況は明らかにおかしい。

 たぶん聖堂への畏敬の念じゃなくて、森精たちを殺して埋めた――そう、埋葬ですらないんだ。廃棄物処理に近い扱いだったのは樹杖たちが記憶していた――という罪悪感あっての忌避なんだろうか。

 いずれにせよ夜ということもあり、墓地どころか聖堂周辺には人気がまったくないように見える。

 ……じつに、都合がいい。

 

 このままカロルに聖堂を荒らしてもらおうじゃないの。

 彼が最寄りの城壁に飛び乗った時の記憶を見せてもらったが、ここの聖堂はなかなか壮大だ。

 威圧的なほどに尖塔も高く、均整の取れた外観だけでも美しくはあった。よほど金をかけているんだろう。

 宗教と権力は相性が良い。権力に金は集まる。つまり宗教は金を集めやすい。たとえどんなに教えが清貧を求めていても。

 だけど、街中をたたき起こすような騒ぎになって幻惑狐たちが戻ってくる妨げにならなきゃ、多少はぶっ壊してもかまわん。


〔まだボニーさん、怒ってるんですか〕


 これが怒らいでか。義憤に収めようとはしているけどな。

 

 心話は嘘をつけない。樹杖たちから伝えられたのは、森精たちと彼ら自身が受けた紛れもない事実と記憶。

 森精たちの遺体処理現場を見ていた者の中には、見るからに富裕な身分の高い連中が何人もいたのだ。

 つまり、この都市の政治に噛める連中。

 そして、街中を移動しまくってアエスの土地勘を構築してもらってるフーゼが目撃していたのは、うつろな目のぐったりした連中を乗せた荷車が尖塔に向かう様子。

 その荷車につきそう者たちの中には、聖職者らしい人間が混じっていたのだ。

 

 もちろん、信じる者は救っても信じない者を救わない、どころか異教徒背教者として抹殺することもある宗教は、もともと万民を平等に扱ってくれるものじゃない。宗教者すべてが殺生などしない人徳者という意味での聖人であるわけもないだろう。

 つーかむしろ宗教者が人殺しを推奨することだって、時と場合によっちゃいくらでもある。これは教義とはまったく別物、むしろ社会力学と組織の問題かもしれないが。


 むこうの世界でも、宗教組織がある程度できあがると、王侯貴族や富裕層といった特権階級に取り込まれることは、古今東西歴史を見ればあちらこちらであったことだ。むしろ特権階級が宗教組織を作ったこともあったんじゃなかったか。

 だけど宗教組織自体が聖的にも俗的にも大きな権力を持つようになると、今度は特権階級とも癒着と離叛を繰り返す。もともと内部分裂前に一枚岩ではなかった権力者たちだ、派閥の溝は広がり嫉妬と憎悪の酸で満たされる。

 互いに互いを異端と呼び合い、時に武器を向けあうほど激化した権力闘争に呑み込まれる様相に、救いの導き手の姿を見ることはできず、人心が離れる。

 すると、権力者に不満を持つ下位層から新しい動きが宗教的にも生じる。

 具体的には、世俗の権力を持った組織と距離を置き、山や荒れ地に入って隠遁生活を送ったり、下層階級の中に入っていって、数の暴力を味方につけた聖職者が、既得権益に固執する従来の宗教組織打倒を叫んだりするというやつだ。

 ここまでがワンセットってとこだろう。しかも反復運動が入ったりするからなあこれ。

 たぶん、このワンセットでいうなれば、こんな聖堂からして、かなり宗教的権威というやつはこのスクトゥム帝国の社会構造に食い込んだ状態だったんじゃなかろうか。宗教と特権階級の蜜月ってやつだ。

 けれども。

 

 カロルがちょろりと入り込んだ壮麗な聖堂の中は、大きな立方体のように見えた。

 主神的な位置づけにある武神アルマトゥーラや豊饒の女神フェルティリターテだけじゃなく、港湾都市ということもあってか海神マリアムの神像も壁龕の中に立ち並んでいる。

 その手前に祭壇がいくつも設けられているので、たぶんこれ入り口から入ると神々が入ってきた人間を迎え入れてるように見えるかもな。

 だが、それらの神像も蜘蛛の巣がかかっている。埃まるけな祭壇の上にも、なにもない。

 燭台か何かを置いてあったような痕がかすかに見えるのは、覆い布まで剥ぎ取られたからだろうか。

 想定していた事態の一つだけどな。


(穴)

 

 尖塔は四本、聖堂の四隅にくっつくように立ってるのはカロルの目で確認している。

 大抵宗教施設ってのは24時間いつでもオープンってなもんじゃない。いざという時には城砦としての機能も求められたっていうから、壮大で丈夫なのは当然だろう。

 外から侵入するのは難しいというのは覚悟していた。

 人間なら。

 けれども、幻惑狐なら侵入は比較的たやすいだろうし、内側からなら人間サイズでも移動はやりやすいだろうと読んでいたのだが、ビンゴだ。

 壁際に架けられた分厚いタペストリがさりげなく隠しているが、カロルの髭は空気の動きを敏感に捕らえている。開いた扉があるのだ。


 カロル。人の匂いを探せ。それもなるべく新しいやつ。

 ここから先は人目を避けるミッションじゃない。せいぜい人を化かしてもらおうじゃないの。


(わかった)

 

 にしても、神々、ね。

 

 人が幸せになりたいから宗教があるのだとすれば、この世界の神々の構成はちょっといびつだ。

 幸せになるためには餓えずにすむこと、豊かであることが前提ということなら、フェルティリターテはその名の通り豊饒の女神だ。海神マリアムでさえも冥界神としての側面だけでなく、豊漁を司る一面がある。祀られて当然だろう。

 逆に、不運の女神ミセリアのように、疫病神的な意味合いで祀り上げて祟られませんようにと崇められる神だっている。

 だが、一柱だけ異質なのが、主神的な位置づけがされている武神アルマトゥーラなのだ。

 いや、騎士たちに信仰されるのは納得いくんだけどね?他者から害されない強さを求める以上、これも幸せを求める願いの一つといえなくもないし。

 だけど、神話ではアルマトゥーラは、この世界のラスボス魔王的な存在と戦い、これを封じた、とある。

 そしてアルマトゥーラの別名は、『魔喰ライの王コリュルスアウェッラーナと相撃つ者』。

 斃せし者、じゃないのだよ。封印はしてるんだろうけど。

 つまり、魔喰ライの王は神話の中ではまだ死んでいない。

 神話からもう一つわかることがある。

 コリュルスアウェッラーナを斃す気満々だったアルマトゥーラが、斃さずに封印したということは、魔喰ライの王と武神の力は伯仲していた、ということだ。

 これ、魔王を封じた勇者が神としても祀り上げられたのか、神に封じられた魔王が邪神レベルにやべーやつだったのか。いずれにしても斃すだけの余力がなかったと見るべきだろう。


 でもさー、主神がそんなに弱いって、まずくね?

 ギリシア神話も古き神々ティターンを封印してるけど、あれは相手が不死だったからーとか、そんな理由付けがされてた気がする。不死じゃなかったら殲滅戦だったんじゃなかろうか。

 

 加えて、アルマトゥーラとコリュルスアウェッラーナとの関係自体も、この多神教な世界においてはいびつに感じられる。

 多神教において神々というのはひどく人間くさい存在だったりする。

 死ぬし怪我するし老衰するし、飲み比べはするし好き嫌いはあるし、泥棒もするしされるし。

 だけど、不善もなすし過ちも犯す多神教の神々だというに、アルマトゥーラとそれにやられるコリュルスアウェッラーナだけは、二神教に見るような絶対善と絶対悪の定義に近いのだ。

 微妙にずれてるというか、ちぐはぐな感じがどうにも拭えない。

 

 まあ、与太話は置いておこう。

 今はアエスで行われていることが非人道的なことなら、かたっぱしから粉砕してやるだけのことだ。

 星屑野郎たちが転生輪廻の果てに、自分に、自分だけにやさしい世界で、甘い生き方ができるとでも妄想しているのなら、それを跡形もなく破壊してやろうじゃないの。

 そもそも因果応報で幸せな転生を夢見るならば、いいことしてないといけないのだよ。

 だけどねぇ、自分は善行してました、悪行は犯してませんって、本当に自信を持って言い切れるのかね?

 幸せであることに『他人より恵まれていること』が含まれる以上、報われて当然だと無条件に思い込んでいるのなら、その人が無意識的に比較対象としているだろう他人の行動は、当然のことながらすべて自分よりも劣っているってことになる。

 そんなことって、ある?

 そもそもことの善悪なんてもんは誰が決めるのさそれ。当人の自己評価?違うでしょ。

 じゃあ、誰が決めるのさ。

 死後のお迎えしてくれた神様が保証してくれる?んなわけがない。

 

 たとえば子どもの代わりにトラック前につっこんだ。これは自分の命を呈して他人を救おうとしたという点だけ見れば善だろう。

 だがその結果、子ども一人分の質量が軽く接触した程度ならば、かろうじてバランスを崩すことがなかったはずのトラックが、大人一人分の質量が、十分な速度をもって致命的な角度からぶつかったことで、反対車線につっこみ横転、死傷者二桁という大事故の原因になったとしたなら。

 それでもこの行為は、動機ゆえに善と言えるだろうか?それとも結果を見て悪と判断すべきだろうか?


 宗教と哲学と倫理は不可分に見えるところがあるからややこしいが、一から十まで同一であるわけではない。有名なトロッコ問題もそうだが、答えの出ない問題なんていくらでもある。見方を変えれば善にでも悪にでもなりうる事象だってそうだ。

 つまり、善も悪も、どこまでいっても、その判断を下した人間の恣意的な価値観によるものなのだよねこれが。まあ、その人間の精神的土壌にある道徳的観念とか社会通念ってのがさんざん影響するんだけども。


 だから、あたしがアエスの民を悪だと断じるのも、あたし自身の恣意によるものだ。そのことは自覚している。言い訳なんてしてたまるか。

 森精たちが殺されたこと、その事実を混沌録に潜り骨身に沁みるほど伝えられたという個人的な体験をもとにした、自己中心的な、そして間違っているかもしれない判断によるもの。

 樹杖たちに染め上げられた憎悪や、殺された森精たちに対する同情は、成分であっても主成分でも商標でもない。

 ただのちっぽけな私怨だ。

 誰のものでもない、あたし一人の独断と偏見によるものだ。


 カロルが新しい人の匂いを辿って着いたのは、一本の尖塔、その地下にある牢だった。

 いや、聖堂に牢があるとかどうなってるんだか。しかもかなりの数が使用中になってるって、いったい。

 

「遅かったな」

「すいませんね、港を遠回りしていたんで。そのかわりケムリは深く吸わせてあります。あと二三時間は動かないでしょう」

「素性は」

「行商人の一隊だそうで、荷物も全部引き上げてきてます」

「そうか。……抜いてないだろうな?」

「抜いた分を山分けでもしますか」

「悪くない話だな」

  

 にやりと聖職者な恰好をした男は笑った。罰当たりが。

 その足元に横たえられた男性たちはうつろな目つきのまま、身動きすらしない。


(匂う)


 カロルがひこひこと鼻を動かして伝えてくれたのは、旅塵にまみれた体臭に加え、干し草を燃やしたような、どこか甘く香ばしい匂いだった。なんか嗅ぎ覚えのあるような……ってカロル、ほどほどに離れておいて。

 これたぶん、夢織草を燃やした匂いだ。


〔ってことは……〕

 

 この港街アエスは、入り込んだ人間を捕らえて夢織草で行動不能にする態勢が仕上がってたってことか。

 あのウエメセ入国管理官が暴走してくれて、かえって助かったかもしらんな。これは。

 下手に通常通りの対応がされてたら、あたしたちは素直に上陸してただろう。そのまま迎賓館にでも閉じ込められてりゃ、袋の鼠もいいとこだ。

 生身の人間は、夢織草で燻されたら僅かな時間で幻覚を見始める。蝋燭一本が燃え尽きるほどの時間をかけたなら、意識を失う。故ルンピートゥルアンサ女副伯の尋問で見た情景だ。

 あたしは燻されても問題はないが、他の人たちはまず夢織草への耐性なんてないはずだ。この行商人の男性みたく、どう料理されようがさあさあどうぞという状態になっていただろう。


 視覚情報を共有したグラミィに伝えてもらうと、みんなぞっとしたように顔を見合わせた。

 そりゃそうだよな。

 特に、エミサリウスさんにとっては、上司である外務卿テルティウス殿下に一応同僚ってことになってるその部下のみなさんまで知らぬ間に燻され、妖怪暖炉舐め化させられてた因縁の毒だ。厳しい顔になるのも当然だろう。

 だけどね?


「シルウェステルさま。彼らも助けることはできませんかねぇ?」


 アルガにまですがるような目で見られてもなー。どうやって助けろと。

 いやね、正直あたしだけなら、たぶん問題なくアエスの街にも侵入できるんだろうと思うのよ。海に飛び込んで港じゃないところから侵入するのも可能だろうし、幻惑狐(ターレム)森精の樹杖(ラームス)ともども移動すれば、人目もごまかしがかなり効く。聖職者のなりをしたゲスどもを叩きのめすことだってできるだろう。

 だけど、ぴくりとも動かない状態の、十人近い男性を街の中心部から連れ出すことは……って、うん?


 カロルの目の前で、男達は奇妙なことをやりだした。

 むこうの新聞一ページ分ぐらいの大きさの植物紙をとりだし……て、あれ。


〔量産型魔術陣、ですか?〕


 それっぽく見えるね。

 カロルの目を通じて見ていると、男達は陣符で行商人さんたちの頭部を包みだした。

 位置を神経質に調整すると、頭部の形に……いや、陣符の線に合わせて折り目を入れ、半球形ができあがると。

 そこには、半立体の魔術陣がヘルメット状態に構築されていた。

 なるほど、そうやって使うのか!

 だがこの状態ならば、完璧にとはいかないが陣の解析が多少なりともできる。

 ……単純にいうなら、これは思考能力を奪い、自発的な行動ができないようにする一方で、他人からの命令に無条件に従うようにさせるものだろう。真名の誓約に使われていた魔術陣の一部、行動や思考を束縛する内容に似ているところがある。


 悪辣なのは、これが夢織草に酔わせた相手に使われているということだ。


 真名の誓約も、拒絶するような精神的な能力もない、乳幼児をメインに使われていたことから推測すると、たぶんこの手の精神操作系な魔術陣というやつは、はっきりした意識のある、しかも自我の確立した人間には拒否られたら効果はないんじゃなかろうか。

 だからこそアエスの連中は夢織草を使って意思喪失状態に陥らせることで、顕界した効力を弾かれないようにしているんだろうな。

 洗脳だかなんだかは知らないが、薬物に魔術陣と手段を選んでないあたり、よほどに力を入れてやっていることらしい。


 だが、それ以上はやらせねえ。

 カロル。ラームス。


 ぼそぼそと立ち話をしていた3人は、ぎょっとしたように階段に目を向けた。

 じわじわと、黒っぽい液体が生臭い鉄錆めいた匂いとともに、牢の前まで広がっていくように感じ取れているのだろう。


「誰だ、そこにいるのは!」


 入り口に向かって手燭をさしつけた男は、……いや3人とも驚愕と恐怖を捏ね混ぜたような形相になった。

 はいギルティ。

 

「く、来るなぁ!」


 男たちは意識不明状態の行商人さんたちを置いたまま、牢の奥へ奥へと逃げ込んでゆく。無人の空間に戦慄しながら。


 はい、カロルには意識のある3人を化かしてもらっています。

 彼らが見ているのは黒髪の森精たちの亡霊が恨み言を洩らしながら近づいてくる様子だ。ついさっき樹杖たちから伝えられた記憶にある、彼らの持ち主が見ていた同胞達の姿をカロルに伝えているから、さぞかしリアリティがあるだろうさ。罪悪感を多少なりとも持ち合わせているような、つまり森精の虐殺に関わった人間が、こらえきれずにリアクションしてしまう程度には。

 そうそう、ラームスには念のために防音結界を張ってもらってますとも。助けなど来させるものか。


 復讐するは我には非ず。

 もちろん、こんなちゃっちい嫌がらせごときでラームスの同類、樹杖たちの怒りは消えない。消えるわけがない。それはわかっている。

 樹杖たちの怒りは共生対象だった森精たちの死に対する怒りであり、たとえ目の前に敵がいたとしても自分たちに害を及ぼさない限り、恨みを晴らそうと襲いかかったりしない、魔物の怒りでもある。

 だがそれは、樹杖たちが森精たちを奪ったアエスの民を許したというわけでは、もちろんない。

 今も樹杖たちはじわじわとアエスの地から魔力を吸って――いや、搾り取っている。

 じつはこれだけでもアエスにとっては大打撃になる。魔力の薄い土地は痩せ、動植物は減り、作物の実りは失われるからだ。

 本来ならば森精たちとその樹杖たちは、魔力の吸収と放出を繰り返し、循環を調整するもの。らしい。

 あたしもなんとなーくラームスたちから読み取ったことだから、断定はできないのだけれど、魔力はよどみに沈めば高濃度になり、魔晶のようにどんどん固まる。その結果、魔物や魔術師でもないと下手に利用することもできない劇物に変わる。だが活発に動き続ける魔力は濃度が適度なため、どんな動植物も活用することができ、言い換えるならば生命活動を活性化させる効果があるようだ。

 ……ひょっとして、森精たちが国レベル広範囲型座敷童と見なされてる理由の一つは、この樹杖たちにあるんじゃなかろうか。

 だがこれは数十年スパンでないと効果が出ないし、最終的には魔力を吸い尽くした樹杖たちも滅びる自爆攻撃だ。今現在もしくは直近に起こりうるかもしれない事態を想定し、それに備えるということができない、常在戦場出たとこ勝負なのは彼ら魔物の思考特性ではあるのだが、さすがにちょっと迂遠にすぎる。

 ならば、彼らの代わりにちょっとだけあたしが無駄に思考を回そうじゃないの。『もしこのまま放っておいたら、別の森精がアエスに来た時、さらに被害が出るかもしれない』と。脅しつけてんのはそのための布石だ。


 じりじりと後退し続けて牢の鉄格子にぶつかった男の一人が、はっと思いついたように牢の戸を開けた。


「おい!起きて出てこいお前ら!」

「カルケルてめえ、ゾンビどもに余計な命令すんなって言われてただろうが!」

「余計じゃない命令じゃだからしてるんですよ!不遇職な神官にはアンデッドなんて専門外なんですから!さあ、こっちに出てきて、とっととこいつらエセルフどもをやっつけなさい!」

「なるほど、そりゃぁいい手だ!」

 

 ……そーかそーか。その言葉遣い。お前らも中身入り(異世界人憑依者)か。

 推測の裏づけをしてくれて、どうもアリガトウ?

 

 その命令に応じて、うっそりと動き出したのは戸を開けられた牢だけではない。だが他の牢は錠がかかっているようだ。

 ゾンビと呼ばれた彼らは、ガン、ガン、と緩慢な動きで鉄格子を揺すり、叩き続けている。

 金属音が石壁に反響し、カロルが閉口したように耳を震わせた。


「うるせぇ黙れ、おとなしくしろやゾンビども!」

「……効いてませんよこいつら。命令が聞こえてないんです!」

「っち、この音のせいか!」


 この事態を引き起こした男たち自身も、怒鳴り合うようにしないと互いの声が聞こえないようだ。

 

「とりあえず目的が果たせりゃそれでいい!」

「それもそうですね!」

「さあ行け!エセルフでわからんか、とにかく目の前のやつを、さっさと殺せ!」

「そうだ、殺――」

「う、うわああa」

「何をす、や」

  

 太く鈍い音がヒステリックな声を断ち切った。頸骨が外れた音だろう。

 くたくたと3人の男たちはゾンビの足元に崩れ落ちた。


 ……なるほど、牢に入れられていたのは、おそらく夢織草だけでなく、陣符でも『処置』された人たちなのだろう。

 自律的な判断ができないから、『目の前の』『こいつらを』『殺せ』という命令に反応して、命令者たち自身をためらいとか手加減とか一切なく殺しにかかった、というわけか。こええ……。

 命令した連中がヤられたのは自業自得じゃないかとちょっと思うが、ガワにされた人にはなんともいえない重苦しい気持ちになる。

 頸骨脱臼ってそれだけじゃ死にづらいかもしれないが、頸椎が損傷すればまず間違いなく首から下は動かなくなる。この世界の医療介護福祉環境で、十分なケアを一生受けられるとは思えないし、ましてや回復など無理だろう。南無。


 命令を果たしたと判断したのか、牢の外に出たゾンビたちは動かずにいるが、中にいる者たちはまだ鉄格子で音を立てている。

 カロル。


(わかった)


 返事とともに、ようやく音が止んだ。

 今度はゾンビたち全員を化かしてもらい、『やめろ』と言われたように幻聴を聞かせたのだ。


 ……これで、一応状況は終熄した。

 妨害するような者はいなくなったし、ゾンビと言われていた人たちを化かせば、まだ魔術陣を発動されていない行商人さんたちを運んで移動することはできなくもない。行商人さんたちだけでなく、彼らも海際まで連れ出せば、この船に連れ込むことは可能だ。

 連れ込むだけなら。

 

 だけど、それではアルガが言うように『彼らを救う』ことにはなんない。

 術式は見えたけど、ゾンビな彼らを元の状態に戻すのは難しい。術式に魔力を逆方向から注いだとしても反対の効果が生じるわけではない。もちろん魔術陣の精密な解析は必要な前提条件だろうけれども。

 それに、彼らをこの船に乗せて、スクトゥム帝国の手の及ばぬ別の土地へと移動させることにも問題がある。

 ゾンビは――たとえ今ここにいる犠牲者本人ではないだろうけれども――森精たちの虐殺を成功させた要因の一つだと思われるからだ。

 

 ペルたちの『話を訊いた』時から不思議に思っていたことだ。森精たちは強大な魔術を行使できる。つまり魔力を感知することで、相手の思考や感情を大まかではあるが知ることができる。

 つまり、敵意や殺意に反応できないわけがない。事を荒立てないようにしようとしたのなら、逃げることだってできたはずだ。

 なのに、その森精たちが、なぜたやすく捕まり、樹杖を奪われ、なすすべもなく殺されたか。


 このアエスの地に入った森精たちは、地上の星(異世界人)を求めてきていた。

 アエスじゅうを探索している最中も、不穏な感情を感知することはなかった。多少の奇異な目は感じていたようだったが。

 だが。彼らは石造りの建物の中に入った時、樹杖を罠でひったくられた。あるいは気づかぬうちに近づいてきていた男たちにしがみつかれ、殴られ、樹杖を奪われた。

 それは彼らの感覚でいうなら、白昼の路上で、透明人間に襲われたようなもの、だった。

 そう、彼ら森精を取り押さえ、あるいは殺した者たちのほとんどからは、思考も感情も感知できなかったのだ。

 おそらく、森精たちを襲え、あるいは殺せと命令されたゾンビたちだろう。


 カロルの鼻から伝わってくるのは、頸を折られた男達の恐怖に染まった体臭。だがゾンビ状態の彼らからは生きている人間の体臭はするが、意識不明の行商人さんたち同様に、感情が匂わない。

 それゆえの推測だが、裏づけがないのは重々承知の上だ。

 本当ならば森精の亡霊たちに神官らしい人間を()()してもらうことで、聖堂に残された記録を見せてもらうなどして、森精や樹杖たち以外の視点からの調査をしたり、魔術陣についての知識を得たりするつもりだったのだが……。


 無理ですねこれ。


 ゾンビな方々は命令には従ってくれるかもしれないが、意識レベルが低下していると思われる以上、必要な情報を集められるとは思えない。たとえ行商人さんたちが意識を取り戻したとしてもだ、文書から情報を素早く抽出するという能力が彼らにあるかというと、……期待できない。

 さて、どうしたものか。

 とりあえずカロル。状態の良い魔術陣を何枚かかっぱらって戻ってこれるようにしといてー。


「シルウェステルどの」


 ん?

 どした、マヌスくん?

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