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夜闇は深く

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 一番早く報告があったのは、やはり一番近い場所に忍び込んでもらったフームスからだった。

 彼がちょろりと入り込んだのは、どうやら一日の仕事を終えた工場のようだった。この視点の高さは、人気が薄れていく隙を見計らって、うまく(はり)の上にでも上ったのだろう。

 建物から出るのは……あちこち隙間があるし、高窓もあるから大丈夫と。それはいいのだが。

 ここは単なる倉庫じゃないのかね。

 この世界、巨大鼠っぽい動物が棲息してるのは確認済みだ。なんでか尻尾がビーバーみたいに平たいんだが、隙間から出入りするのに邪魔にはならないようだし。

 だったら、そんなのがいる以上、倉庫なんてもんは害獣が入ってこれないように隙間や穴は徹底して塞ぎにかかるだろう。

 

 幻惑狐(アパトウルペース)の鋭い嗅覚からは、酸化した油のような匂いと金属質なもの、そして干し草のようなほんのりと甘い匂いが感じ取れた。

 見下ろせば、金属の分厚い板を取り付けた台と、その側の塵溜めにべっとりと濃黒泥をなすられたような塊が転がっている。

 あれ、ひょっとして紙だろうか?

 それもぐしゃぐしゃっと丸められたような質感は……植物紙だ。驚いたことに。


 この世界、じつはけっこう紙が貴重品だ。

 シルウェステルさんのお部屋の本も、フルーティング城砦で使われていたのも羊皮紙、といっていいのかどうかわからんが動物性のもの。

 投石器の図面はともかくとして、伝書鳥用とか早馬用のもの、つまり正式文書に使うものじゃないのは端切れ、しかもリサイクル済だった。あたしもメモ書きや意思疎通用のウィジャボード(こっくりさん)用紙に使わせてもらったからよく知ってる。

 なんでリサイクルだってわかるかっていうと、雑に削られて穴がところどころ空いてたり、文字が残ってたりしたのもあったからだ。

 ランシアインペトゥルス王国で植物性の紙なんて見たのは、……故ルンピートゥルアンサ女副伯から外務卿テルティウス殿下宛てに送られてた、あの毒書とか。あとアーセノウスさんにもらったものぐらいじゃなかろうか?

 今考えるとアーセノウスさんレベルの大貴族ならともかく、ルンピートゥルアンサ副伯爵家が植物紙の封筒を使ってた時点で怪しまなきゃならなかったのね。スクトゥム帝国との繋がりをしめすものとして。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……ってことは。

 まさかトイレって……。


〔今さらイヤなこと聞かないでくださいよ!〕


 グラミィにじろりと睨まれて、あたしはうへえと首の骨を縮めた。


〔あたしは魔術でなんとかしてましたよ。幅広の柔らかい葉っぱならまだしも、藁束っぽいものとかでなんとかするのもごめんですから!水とか風とか火とかもろもろ組み合わせてね!〕


 ……そんなところで密かな苦労があったとは。

 骨なあたしにゃまったく縁がないところだったからなぁ、トイレなんて。せいぜいフルーティング城砦で肥だめ用の穴を掘ったくらいですよ。

 

 衝撃(笑撃?)な事実はさておいて。

 

 つまりここは、印刷工場なのか。

 金属板は印刷機の部品で、インクをなすられた塊は……刷り損じで印刷版からインクを拭い取った名残。

 てことは、同じものを大量印刷できるシステムがここにあるわけか。なに何刷ってるんだろうね。

 フームス、金属板の下に潜り込んで彫りを見るか、刷り損じを拾って広げられない?


(わかった)

 

 フームスが塵溜めの中を見つめると……

 一番汚れの少ないものがじわじわと広がりはじめた。

 ってこれ。土を操ってんのか!

 微細な土埃サイズの粒でも質量があれば、それなりのスピードでぶつければ力をかけられる。汚れに触れずに広げられるというわけか……。


 広げられた印刷面を見てみると、図形と文字が複雑に絡み合って一筆書きになっているような……。


〔ボニーさん、これって〕


 お、おう。

 ヤバいなこれ。


「『どうやら、アエスでは魔術陣を量産しているようだ』」

「「「「なんですって?!」」」」


 グラミィの言葉に、船室の中に激震が走った。

 絶賛船酔い中のクランクさんですら、がばっと身を起こしたほどの衝撃だった。

 すぐまた気持ち悪そうに横になったけど。


 魔術陣は多少あたしもいじれる。

 だが、元はと言えば愛しのマイボディことシルウェステルさんが遺失技術に近いものだった知識を入手し、さらにシルウェステルさん自身が独自に手を入れ、実用化したものだという。

 つまりはシルウェステルさんオリジナルの独自技術に近い。

 いや、この世界もかなり広いから、遺失だったのはランシア地方でのことだけなのかもしれないけどさー。

 真名の誓約に使った石壇みたく、魔術陣を使った遺物だってランシア地方以外にもあるのかもしれないから、シルウェステルさん同様誰かがそこから作り上げたって可能性だってあるんだろうけどさぁ。


 あたしが知る限り、少なくとも魔術陣を構築するには、魔力(マナ)を感知する能力が必要だ。もととなる術式を精確に感知し、再現する人間でないと原型すら作れない。

 だが、魔力を操作し、術式を構築できる普通の魔術師にだって、じつはとっても難しいことだったりするのだよこれ。

 なにせ、術式は複雑な三次元構造をしている。

 魔力がよく見えてなきゃいけない上に、術式の構成をそっくりそのまま写し取れなきゃ作れないし、古典文字に酷似した概念を付与すると思われる部分、顕界する地水風火や結界などの位置や規模、顕界する条件や時間などの指定条件の部分は、どれもちょっと狂ったら全く違う意味になってしまう。これを完璧に物質で再現するには器用さも求められるのだ。


 しかもシルウェステルさんがこれを実用化できたのは、三次元の術式構造を二次元的に厚みを減らすという神業をしてのけたからだ。

 あたしだって、木片に彫り込むように作った一文字陣などは、ただのライター、いや数秒しか発火しない使い捨てだから、一本のマッチ代わりぐらいにしかならないんです。

 未だにシルウェステルさんが作った書類入れとか、あれ再現しろって言われても作れませんからね。繰り返しずっと効力を発揮する魔術陣とかいったいどう構築してるんだか。

 再現不能な理由の半分くらいが、もとの術式を解析してないってことと、シルウェステルさんの作品をばらさないと調べられないからってところにあるのだけど、もう半分はあたしが作るものは基本使い捨てだってところにあったりする。

 加えて、魔術陣をシート状の何かの表裏に書き込んだものを、何枚か重ねることによって初めて効果が出るように組むなんて器用な真似、なかなかできたもんじゃあない。


 結論。術式が見えてそれを意味を持って平面に写し取れる知識と技量がなければ、こんな紙っぺら一枚の魔術陣――陣符とでも呼んでおこうか――なんて構築することはできない。おそらくこれのオリジナルを作り出したのは、かなりの腕前の魔術師だろう。

 

 目の前にある版木――といっていいのだろうか、木製じゃないけど――に刻まれているものは、シルウェステルさんのものに比べたら、はるかに雑い。

 フームスの視界に入るものの大きさと比較すると、……だいたいむこうの新聞の1ページ分ぐらいのでかさだろうか。

 とはいえ、きちんと発動し、そしてそれなりの時間効果を発揮できるとしたらかなりの魔術力、いや技術力だ。

 版木が鏡文字になってることと、それ以外の推察材料がインク汚れにまみれている刷り損じなせいで、どんな陣なのかはまったく読めないが、これは脅威だ。

 シルウェステルさんにすらできなかった、安定した品質での魔術陣の大量生産はこの世界の戦いを大きく変えてしまうだろう。

 船乗りさんたちに刻まれていた転移術式よりもやばいかもしんない。

 なにせ、心臓爆裂術式なアレは、発動したら刻まれていた人は死ぬ。つまり使い捨て。

 だけど、生きてる人間に魔術を刻み込むのは、紙に印刷するのと訳が違う。量産はできない。

 けれどもこの陣符は魔力を注ぎ込むことができるのならば、魔術師ではない普通の人間にも魔術が使えてしまうということになりかねんのだ。

 それは、下手をすると、スクトゥム帝国の人間すべてが魔術戦闘能力を持つことができるということと同義でもある。

 さすがにあたしも背骨が冷えた。

 これが、入国管理官たちが尊大に振る舞ってた理由なのか?

 

 だが待てよ。

 

「『エミサリウスどの、アルガ。あの入国管理官には、魔力が見えていたと思うか?』とのことですじゃが」

「いいえ」

「皆目」


 だよねー。

 彼らが首を振るのも当然。あのスクルータとかいう人間が、ああもあっさりあたしの手に引っかかって海面ダイブした様子を、そして彼を慌てて掬い上げにきてた連中があたしの方に注意を向けなかった様子をどう思い返しても、あれは演技ではない。

 ということは、彼らの魔力感知能力はかなり低い。

 彼らが魔術師であるとは思えないほどにだ。放出魔力の大きさもたいしたものじゃない。それが直接魔術師としての能力を表すものではないと知っているあたしから見ても、まずないだろうと思うくらい。

 

 ……だったら、ここでこの陣符の版木を一部削っておけば、欠損に気づくまでは術式の発動しないでたらめ量産品を作らせることが可能になるかもな。

 少なくとも、欠けた部分を直すまで、正しい魔術陣の大量生産はできなくなるだろう。

 とはいえ。

 今あたしたち一行が顔を合わせてはいなくても、むこうに魔術師、それも魔術陣の知識がある、相当な手練れといえる相手がいた、もしくは今もいる可能性が高い。

 さらに注意して慎重にことを進めるべきだろう。


 フームスが工場を奥へ進むと、白っぽい角張った山脈がそびえているのが彼の視界に入ってきた。

 巨大木綿豆腐の列に見えなくもないが、これ全部が魔術陣のもと、つまり紙だと思うと圧倒されるものがある。

 この裁断済みの紙は、けっこうな貴重品(おたから)だ。おまけにランシア山越えルートで荷馬車にごとごと運んだとしても、紙ならかさばらないから大量に運べる。採算が合ったついでにおつりがくること間違いなし、魔術陣なんて刷らなくても、十分これで他地方とも交易を有利に進めることができるレベルだろう。

 これだけ大量の紙を見れば、港から少し離れた場所というこの工場の立地条件も納得だ。海からの風をダイレクトに受けたらそれだけ湿気るもんな。

 だけど、この紙の材料は、いったいなんだ?

 

 むこうの世界のヨーロッパには、じつは植物紙に向いている木が少ない。らしい。製紙に向く(こうぞ)三椏(みつまた)、梶の木などはアジア圏内にしかないんだとか。

 そんなわけで、中国からシルクロードを渡って紙の製法が伝わった後、材料として目を付けられたのはぼろ布だったという。

 いちおう麦藁や草でもいろいろ試作品は作られたらしいが、品質的に布原料のものにはかなわず、安定供給のためにってんで、死体からも屍衣をかっぱげって法令が作られたっていうから、まったくもってろくなもんじゃない。

 死者の扱いが雑いのには思想史的に肉体を精神より下位に位置づける流れがあったからとか、宗教的に死者に地上の財産はいらんって考え方がメジャーだったとかってこともあるんだろうけどさぁ。

 だとしても流行病の感染拡大とかの危険性を考えなかったんだろうか、この国家主導型物理的集団奪衣婆行為をやらかした人たちは。

 たしか、初めて木のパルプが作られるようになったのは、巨大な材木すりおろし機を作って動かせるだけの技術と動力を入手することができるようになった、近世に入ってからだったはずだ。


 フームスの視界に映る工場の内部は、予想していたよりも広かった。

 ……いや、別の建物だったところの脇腹をぶちぬいてつなげてあるんだこれ。外側から見れば隣あってるようにしか見えないって、偽装ですよね。

 どうやらこっちは製紙スペースらしい。

 お、水船発見。どうやらその脇に積んであるのは……ただいま脱水中ってところだろうか。ちょっと厚いプレ紙状態というか、パルプのシートが荒い織り目の布と交互に重ねられて、その上に平たい板と重石がのっけられている。

 その隣には浅い木枠を重ねたような物が置いてあり、すべての段にさっきの布とパルプシートが入れられていた。こっちは乾燥中ってことか。

 さらにその向こうにあるのは……水車かな?この世界でもわりとよく見る穀物の製粉用のやつに似ている。

 ちょっと変わっているのは、撞き棒の先端が長丸太で、それを受ける所も長いくぼみになっていることだろう。


 水車と撞き臼の更に向こうには、植物の茎のようなものが積み重ねられていた。そっちの方から熱の籠もった湿気が伝わってくる。

 そして、見えてきたのはなんとも巨大な鍋だった。

 湯気の正体はこれか。つながっている建物の中を伝って、印刷スペース近くまで漂ってきてた熱気が外に漏れてた、ということか。

 つまり、湯気の正体は、製紙から印刷までの一貫工場ということになるのだろうか。

 ってことは……。


 排水口らしき穴からフームスが這い出てみると、そこは城壁のすぐ脇、そして港からはかなり遠ざかったところにある広場だった。

 いや、広場というのは語弊があるか。ふつう都市の内部にある広場というのは、いくつもの小路によって互いにつながっているものだ。

 だが、ここにつながっているのは城門と、今フームスが出てきた工場の戸口、そしてもう一つ鉤の手に曲がったとこにひっそりとある建物だけだ。あっちの建物も何かの工場なんだろうか。


(匂う)


 抜けてきた工場の中、特に鍋のあたりから濃く漂っていたのと似ている干し草の匂いをさらに凝縮して、つきつめたような甘い匂いはフームスには強かったらしい。

 彼は頭を振って小さくくしゃみをしたが、……幸いなことに、その音を聞きつけた者はいなかったようだ。

 もっといい空気を求めてフームスが城壁に近づくと、城門の影に近いところに、くたっと萎えしぼんだ草が落ちていた。匂いはそこからもしている。

 ……これが、ひょっとしたら紙の原料だろうか。


(調べる?)

 

 お願いしよう、フームス。

 と、待った。毒があるとまずい。鼻先を近づけないほうがいい。咥えるなんて論外だ。


(どうする?)

 

 土を使え。丸まってるところを伸ばしてみて。葉っぱの形を見たい。


(わかった)


 びしびしと砂のつぶがあたるたびに、縮まっていた草の葉が伸ばされ、平らになっていき――。

 取り戻した原型は、ヴィーリに心話で見せてもらったことがあるものだった。

 これは、夢織草だ。


 ……つまり、アエスでは夢織草の繊維を取りだして、紙を作ってたってことか。

 理論上はできなくもないだろう。

 ヴィーリは夢織草の繊維で服を作ってるって言ってた。そしてむこうの世界のヨーロッパでは、植物紙の材料として、麻や木綿、亜麻の襤褸布を使ってたって歴史がある。

 付け加えるなら、この世界の夢織草はいろいろ差異はあるけどむこうの世界の麻に似ている。

 あたしが最初思いつかなかったのは、森精たちが夢織草を薬草としても扱っていたからだ。


 ヴィーリに夢織草について教えてもらった時のことだ。森精たちは夢織草をどう扱ってるか訊いたら、ちょっと黒みがかるほどに濃い緑の茂みの場所を覚えておいて、必要なぶんだけ刈りに行くという扱いをしているとのことだった。

 それも不思議はない。彼らはラームスたち樹の魔物と共生する存在なのだから。そして彼ら自身もコールナーたち同様、将来に備えて何か自分の環境に手を加えるという発想自体が薄いのだろうとは十分推測できる。

 ただ、その森精の常識が先へ先へとつっぱしる人間たちの欲の皮に跳ね返されただけのこと。

 薬草の採取が困難ならば栽培してしまえばいい。そもそも採取のためだけにはるばる足を伸ばすなど非効率、どうしても栽培が不可能なものだけ自生したものを獲ればいい、とね。

 ならば夢織草とて畑があって当然、城門は畑から収穫してきた夢織草を運びこむためのもの。

 そしてこの空き地は作業場というわけか。ここで下処理をして、茎の部分は通ってきた製紙印刷工場へ運びこみ……それ以外の部分を薬物採取に回していた、とすると。

 …………。


 フームス。匂いで気分が悪くなってないか?あと、匂いはむこうの建物とこっち、どっちが強い?


(いっぱい狩った後。むこう匂う)


 満腹感のような感覚とともに、匂いが伝わってくる。あたしが直接嗅いでいるわけじゃないのに、くらくらするほどの、甘くむせかえるような……。


 フームス。急いでそこから離れて。

 できればこっち、最初に入り込んだ印刷スペースの近くまで戻っておいで。人目につかないように。

 

 あたしの予想が正しければ、おそらくむこうの建物は、夢織草エキス()の精製工場だ。

 ほんとうのことを言えば、もちろんそちらの方もしっかり調べて欲しい。

 だけど、幻惑狐たちの体格は小さい。薬物にどれだけの耐性があるか測れないのが怖い。

 

 とりあえず、夢織草の影響が抜けるまでは物陰に隠れて休んでてもらおう。

 できれば一番最初に見た、あの量産陣符の刷り損じをもらってくるとか版木の情報を解読するとかして、なんの魔術陣なのかもを突き止めたいところだが……それも後の話、まずは回復が先だ。


(わかった)

  

 んじゃグラミィ、あたしが伝えたことをクランクさんたちにも話しといて。


〔りょーかいです〕


 しかし、こうなると城壁の向こうも気にかかる。

 あたしは畑に向かったミコに意識をつなげてもらって……即座に後悔した。

 つながった嗅覚に威勢良くダイレクトアタックをかましてくれたのは、血臭だったのだ。

 

 ごりごり、と頭蓋骨に伝わる振動は、心話越しとはいえ生々しすぎる。

 ……いや、ひそかに心配してたように、夢織草畑に近づきすぎて動けなくなってるなんて事態になってるよりも百倍マシだし、ミコがご機嫌なのもいいんだけどさぁ。

 自分と同等かそれ以上にでかいサイズの(ラットゥス)を頭から丸ごとぼりぼりって……ねえ。

 いきなり視界がスプラッタでびっくりしたけど。驚く以前にがっつり引くわー。いや、引いたわー。

 グラミィが心話の接続切っててよかったと思ったよ。

 

(うまうま♪)


 どん引きなあたしをスルーしまくってるミコが超絶ご機嫌なのにも理由がある。

 彼らをとっつかまえてからこっち、貯蔵してる食糧を勝手に喰うな、あたしが食べていいと出したものだけ食べてれば魔力もあげる、ってことで取引をしていたんだが……。

 船の上でたっぷり量のある動物性タンパクなんて魚一択なんですよ。そりゃあ肉、それも新鮮な活きのいいやつも食べたくなるわなー。

 だけど、心話でつながってる他の幻惑狐たちまでごはーんって気分になるでしょうが。

 ええい、後にしなさい後に。フームスも元通り走れるようになるまでお預けだ。ターレムもよだれを垂らすんじゃありません。


(ごはん……)


 ……こういうところで、魔物との取引というやつはちょっと面倒だ。

 これがグリグんにやったように名前を与えて誓約で縛り、魔術師が使役している魔物ならば、魔術師が『すんな』と命令したことは絶対しない。文句は言うけど。

 それに比べて取引は強制力が低いのだ。

 幻惑狐たちも今は知性が単体だけの場合よりもちょっと高くなっているので、これでも我慢はきいているほうなのだが。

 やっぱり魔物は魔物というか、動物により近いというか。欲に任せて動くこともあるんだよねー。

 肝心の畑の様子を見る前に、夢中でお食事してたりとか。ねぇ。


 不意に、ミコがきっと宙を見上げた。

 そこにいたのはウルラという夜行性猛禽類の仲間だ。梟のようにほとんど羽音が聞こえないつくりの翼なのか、気づくのが遅れたのか。

 もう目の前まで鉤爪がせまってる!


 ちゅどどどどど!


 音はしないけど、そんな感じでウルラの胸に派手に土煙が舞ったのは、ミコが例の土を操る能力で土弾を連射したかららしい。残念ながら足元は畑、ぶつけた土弾もそう固いものではなかったので、怯ませることしかできなかったようだが。

 こんな反撃は初めて受けたのだろう。面食らったウルラは慌てたように飛行軌道を変えて飛び去っていった。

 ミコも無傷のようでなによりだ。


(ごはん~♪)


 ……あくまで食い意地優先かい。

 反撃も自分が襲われたから、というより、久々のごちそうを盗られてなるものか、という思いでぶちかましたようだし。

 まだ時間はかかりそうだなこりゃ。次行こう次。


(  )


 ……どうした、ラームス。西の畑より東側を見ろ?!

 東側というと……あの尖塔か。


 聖堂に向かわせたカロルに繋いでもらうと、そこはひらけた平地だった。

 ……どう見ても墓地ですな。

 城塞都市の常で、アエスは内部でも城壁に遮られていた。都市化が進むにつれ人口が増え、都市が外へと広がった証だ。

 もっともこの内部の城壁は川や水濠が沿っているわけではないので、幻惑狐たちにとってはたいした障害にはならないようだ。

 人通りもないのだ、カロルも警備の気配が薄いところを助走して飛び上がり、城壁に触れる数瞬だけそこに土を固めて滑り止めや足場にしてとんとんと飛び上がり飛び降りたそうな。

 それはいいのだが。


 聖堂の建物から離れたこの一角を、なんともおどろおどろしい木々が囲むように立っている。

 カロルの髭がぴりぴり震えている。

 ……それも同然、この木々はラームスの同類、森精の樹杖たちだ。


〔ボニーさん?今何してんですか〕

 

 ……グラミィ。しばらく心話を切って。あたしがいいって言うまで繋がないで。巻き込まれるとやばい。

 カロル。尻尾に搦めてったラームスの気根を、木々たちの近く……そう、そのあたりでいい。地面に挿して。挿したら木々から離れて心話を切りなさい。

 あとターレム。あんたもあたしから心話を向けるまで繋ぐな。


 全員から肯定の意思が返ってきて、心話の繋がりが切れたのを確かめ、あたしはラームスに意識を集中した。

 気根経由で森精の樹杖たちから情報が流れ込んでくる。


 樹の魔物たちと接続し、混沌録の情報の濁流に呑み込まれる経験はこれで三回目。

 だが、これは……かつてないほどにひどく暗くて、重い。

 ないはずの舌に血の味を感じるほどに。


 樹の魔物たちにも感情があることをあたしは初めて知った。

 風もない船室内でラームスの葉が震えるのは……同類と同調したせいだ。

 日没間際に見た西日に照らされたアエス。

 色はそのままに。見せられたのは、森精たちの血にまみれたかつてのアエスの街だった。

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