アエスの夜
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
アエスは低いがちゃんと城壁に囲まれた港湾都市だ。
入港する前からあたしも甲板に出て眺めていたが、水路や堀が発達しているかわりに海に面した部分は崖というアルボーや、さびれにさびれていたベーブラとは、同じ港街といっても、だいぶサイズとイメージが違う。
商船漁船、港周辺の漁に使うらしき小舟に、あたしたちの船の三倍はあろうかという何十本という櫂と威嚇的な衝角を備えた巨大な帆船。大小種々雑多な船が入り混じって停泊する港を取り囲むのは、なだらかな丘陵地帯だ。
その一部を城壁が区切っているわけだが、さらにその脇を流れるクブルム川の水を引き込んで、周囲すべてを囲む水堀にしているという。
極端な高低差がないことも、これまで見てきた港湾都市との差異がきわだつところだろう。
カリュプスってば、グラディウスファーリーの土地そのものが急勾配だったこともあるが、それに加えて建築限界に挑戦する勢いで、四階建て五階建てといった石造りの建物が密集していたのだ。
おかげで、海からはまるっきり切り立った崖のように見えたものだ。
アエスの建物は尖塔もあるが、それ以外の建築物は高くても三階建てぐらいのものが多いようだ。
平屋に近い家々も見られる上に、街中からもなだらかな丘陵の曲面が見てとれるってことは、カリュプスのように都市内の土地に困窮はしていないってことだろう。
クブルム川や水堀の対岸には、地平線の向こうまで広い畑が広がっている。
少し黄色くなった緑の穂が畑の約三分の一を、それよりぴんぴんとした緑の葉がさらに三分の一を覆い、そしてさらに三分の一を、ディラミナムでもよく目にした例の豚風味な動物だけでなく、初見の牛っぽいもの、鶏らしき動物が闊歩している。
牛っぽい動物といえば、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家がらみで行った、インゲンスパルス湿原で目にしたことのあるボスビソーンが思い浮かぶが、ここのは角がもっと短く湾曲している。
むこうの世界の水牛の角を50%縮小コピーして、後ろに90度曲げたような感じ。
……この様子だと、おそらく、かなりの中身入りがこのアエスにいると見ていいだろう。それもあたしたちがボニーやグラミィと名乗って動き出すより前からだ。
そう判断できる理由はいくつかある。
ランシア地方では見ることのなかった――グラディウス地方は島嶼ばっかなんで、平地メインの農耕形態の比較対象としてはいまいち適切とはいえない――三圃制農業を都市レベルで実施しているというのが、まず一つ目の理由だ。
これだけ大規模に都市周辺の農民全員が同じやり方をやってるってことは、それだけ新しい手法の有効性を彼らが認識していなければ、まずありえないことだ。
だけどね、けっこう人間て、ある程度の成果が出ていることには保守的なのだよ。
冒険で一攫千金を狙うより、手元の小金。
どれだけ丸儲けできる可能性が高くても、安定収入と引替になるならそれだけで損と見る心理は侮りがたいほど強い。
持ってる地所すべてを耕し、同時期に一斉に種まきや刈り入れを行うという旧来の手法で相応の収穫量があるのなら、新しい手法だろう三圃制にすぱっと全面切り替えましょうだなんて革新的なこと、そうそう積極的に取り組むとは思えないのだ。
下手をすれば、よほどにめざましい効果が出て、生産効率が格段に違うということに衝撃を受けでもしない限り、収穫量に有意差があることにすら半ば無意識に目をつぶるか、偶然と見なしかねん。
そして、試験的導入が一度で劇的な成功をおさめ、次年度から即座にすべての農民が三圃制に切り替えたとしてもだ。
今、あたしの眼窩の前に広がるような、大規模実践現在進行形が稼働するには、最低一年以上はかかるはずなのだ。
第二に、豚っぽいアレを街中でなく、農地で飼っていること。
あれ、他の街じゃわりと平気で広場や小路を放し飼い状態でうろうろしてたからね?
なぜかというと、人間の排泄物とか生ゴミとか食べて勝手に太って肉になってくれるから。
肉は肉やというわけか、わりとむこうの世界の中世ヨーロッパでもあったガチな飼育方法です。
ま、むこうの世界じゃ、都市化が進んだ近世ではさすがに不潔だってんで、都市内で生きてる家畜を見るのは肉屋さんのあたりだけになったそうだが、逆に人間の排泄物はわりと無法地帯化して、道路や水路に直接放り出すのが『処理』ということになってたとか、『汚物処理場所』になってた水路や川が飲料水源になってたとか。
果ては、水洗トイレが爆発的に普及したのは良いけど、下水道が完備する前に普及しちゃったんで汚水の量が膨大になって、地下室に汚物が流れ込み放題になってたとか。はたまた鋳鉄の下水道を地下に埋めて、ようやく川に排出する仕組みができたと思ったら、今度は川や海洋の汚染がひどくなったとか下水道で可燃性ガスが蓄積、ゴミあさりの人たちが持ち込んだ蝋燭の火で爆発事故が起きてたとか……まあオリバー的なこのあたりのことは、今はいいや。
下手にNAISEIチートだイエエエイと盛り上がって一部の技術だけを提供した場合、とんでもないことになるってことのいい見本だってだけのことだから。
人間、自分を快適に、そして安楽にしてくれるものにはとことん弱い。
インフラ構築が追いついてないといった自分の視界の外にある問題はないのとおんなじ。技術の使い方に耽溺するあまり、生存可能な環境を自分で壊しているのにも気づかないのは、むこうの世界で何度も繰り返されていたことなのだ。
技術知識さえあればNAISEIチートができると思い込んだ地上の星が暴走したときの危険性はともかくとして。
少なくとも、NAISEI方向に知識のある人間が多数、もしくは市政にすら関与できるほどの影響力のある人間が複数人いなければ、短期間であたしが今見ているような都市の状況にはならないだろう。
いや、別にね、異世界知識を持ってる人間がいてもいいのよ。いるくらいならかまわないのだ。直接間接問わず、意図的無意識的かまわず、あたしたちに悪影響が及ばなければね。
それと、この世界の人たちをガワにしたりしてなければ。
ちなみに、ここアエスの港は人口に比べて船の出入りが多い、大きな港だ。ここまで賑わっているのは内海の出入り口ともいえる海峡の最寄りにあることと、農業用水としても盛んに利用されているこのクブルム川だけでなく、いい井戸が多いせいなんだそうなとは、スクトゥム帝国出身な船乗りさんの話である。
真水が豊富というのは、たしかに船乗りにとっちゃ大事なことだろう。
だが、中身入りの多い地点でなおかつ人の出入りが激しいというのは……要注意だね。
今後の調査ポイントを探すためにも、昼間のうちに船乗りのみなさんにはいろいろ話を聞かせてもらっている。
なにもフルチン姿のご披露だけが彼らのお仕事じゃないのですよ。
それによれば、このアエスはケトラ属州の中でもかなり富裕な都市らしい。
そりゃまあ確かに、船乗りたち相手の食糧や水、消耗品にプラスアルファという需要を満たす供給を続けていれば、下手な問題でも起きない限りそれなりに経済的な発展をするだろう。交易が盛んならばいろいろ舶来品という言葉が似合いそうなお高い品々も流通してそうだし、内陸へ持って行くのも川があるなら比較的やりやすくはあるだろう。
そんな高価なものを買う人間がそうそういるかどうかはわからないけど。
街並みを見る限りでも、アエスは都市化が進んではいるが、さほど住み心地は悪くないように見えた。
中身入りが多いせいか港周辺はかなり清潔だし、道行く人の衣服もそうそうひどいボロということはない。喧噪は聞こえても怒号や悲鳴まじりの騒ぎの気配は感じ取れない。ま、あたしが感知できなかったせいかもしれないが、治安はそれほど悪くはないようだ。
もちろん、これらはみなアエスの見た目、上っ面でしか判断していないことだ。
だがしかーし!あたしたちだってそこそこいろんなところは見てきたのだ。
おまけに港に詳しいアルガたちの知識も合わせると、港湾都市の構造というのはかなり類推ができるのだよ。
ま、動線の最適化とか実用性と汎用性の問題とか、いろいろ理由はあるんだろうけど。
必要な建物や設備、都市機能の要素というのはある程度固定しているし、用途が決まっている建物は外見も決まりきってたりするもんである。
それに、アエスに入ったことがあるという船乗りさんの話を足し合わせると……。
明らかに秘匿されている場所、情報が統制されていると思われる場所、人が近づかないようにしている場所というものもよく見えてくる。
それらをもとに、幻惑狐たちに向かってもらう先も、同行者たちの担当も決めた。
マヌスくんには、イルシオと組んでもらってスキンティッラと感覚を共有してもらう。さらにアルガとエミサリウスさんには彼のフォローに回ってもらった。
彼らに見てもらうのは行政府だ。城壁の最奥とあって土盛りもされているのだろうか、都市の中でも一番高いところに立っているのは目立つからいいんだが、港からも遠いので移動時間がかかるのが最大のネックだ。
ここに最も多くの人間を当てたのにも意味がある。
行政関係の状況をお役所仕事に慣れてるエミサリウスさんに分析してもらおうというのだ。
エミサリウスさんは、直接相対した相手の魔力を見ることで次に何をすべきか先読みをすることができる。これは使い方によってはめちゃくちゃ恐ろしいことだ。一手では影響が薄い対応しかできなかろうと、何手も何十手も重ねていけば詰み将棋のように状況を支配して、相手の行動の選択肢そのものを潰していくことができるのだから。
だけどこれ、放出魔力に対する感知能力が高いからってだけじゃ説明がつかないんですよ。
感知能力で得た大量の情報を瞬時に処理、そこから自分がとるべき対応を判断し、それをさらに連鎖させなきゃなんないんだもん。
だから、彼の先読みを支えているのは魔力感知能力もさることながら、その卓越した分析能力だとあたしは考えている。
ならばそれを存分に生かしてもらおうじゃないの。
あのウエメセ入国管理官を野放しにしているむこうの思惑が覗けるのなら、それもありだ。
加えて、マヌスくんにはどんだけ星屑野郎を搭載された人が食い込んでるのかを見てもらい、脅威を体感してもらおうという狙いもある。
ここに来るまでの間もひたすらスクトゥム帝国がやらかしたとおぼしき種々のことについては、グラミィを通じていろいろ説明をしたんだけど、……どーにも半信半疑感が拭えない様子なんだよね。
それはそうだと思う。森精の集団拉致監禁とか。人の中身を入れ替えるとか。この世界の常識を崩すようなことなんだもん。
だからこそ、このへんでがつんと思い知ってもらう必要があるだろう。アルガはそのフォローだ。
一方、あたしはターレムに他の四匹と心話を繋いでもらうことになっている。それをさらにグラミィにつなげることで、状況の把握を共有する。
幻惑狐たちに心話を繋いでもらうと、視点をつなげるというより、疑似空間に自分の身を置いているような感じになるのは、たぶん視覚以外の情報が多いせい……つまり彼らの嗅覚や聴覚が鋭敏だからだろう。
今のあたしにゃ滅亡してるもんなー、嗅覚。
クランクさんは……ああ無理しないでよろしい。相変わらず絶賛船酔い中の彼には下手に文書読ませたり心話で感覚を同期させるわけにはいかない。また吐くでしょうが。
嘔吐って体力も使うのよ。こんなところでさらにぐったり伸びてられても、こっちだって困るのだ。
グラミィたちに要約してもらったこと、耳から理解できるところを抑えておいてちょうだい。
ぶっちゃけあたしには、この世界の王侯貴族といった支配層の考え方なんてもんはよくわかんないからねぇ。
トルクプッパさんにはマルゴーと三人組の見張りを頼んでおいた。正直御同類集団に近づいたら、彼らがどういう行動に出るかさっぱりわからんのだ。
一応遮音結界は施しておいたから、大騒ぎされても港まで聞こえることはないだろうけど。
そんじゃ、ターレム。彼らとのコンタクトはよろしく。
(わかった)
あたしが担当する四匹の中では一番素早いというミコには、一番遠い城壁の外の畑に行ってもらっている。
城壁の跳ね上げ橋がもう上げられていたら戻っておいでとは伝えておいたのだが、……どうやら橋桁を吊り下げてた支柱から対岸に飛び降りたようだ。大丈夫かな。
いずれにせよ、帰りは朝まで待って、橋が下りてから街中を通るよりも、こちらから迎えに行ってやった方がいいだろう。
河口付近まであたしが行くか、それとも港の外から大回りして畑を突っ切った方が見つかりにくいもしんない。夜の畑なんて人のまったくいるはずのない場所では、それが最善手だろう。
彼に見てもらいたいのは、このへんの生産物だ。
三圃制は麦がほとんど、まれに豆が栽培されていたはずだ。
もし麦類がメインならば、今後の収穫量の伸びは豆を植えるかどうかというのも大きな要素になるだろう。
なにせ、こっちの世界の動植物はむこうの世界のそれと近縁種に近い。向こうの世界では近代の生産状況を大きく変えたハーバー・ボッシュ法以前に窒素循環を支えていたのは、窒素固定菌や細菌といった微生物だったのだ。
そのうちの根粒菌は、植物、特に豆類と共生関係にあるおかげで他の窒素固定菌に比べて非常に窒素固定能力が高い。
こっちの世界でもほぼ同等のことができるのならば、ウィキア豆を広めておけば、後々いろいろとやりやすくなるだろう。
あたしが彼だけにはウィキア豆も渡しておいたのはそのためだ。
ウィキア豆を広めるだけなら、あたしたちからその土地の住人に話を直接もちかけてもいいのだが、今後のことを考えると、できれば畑にいつの間にやら紛れ込んで生えてた、という状況の方がありがたい。
姿を隠すのが上手だというフームスには、港近くにある真新しい感じのする、大きな建物に侵入してもらっている。
場所が場所だから倉庫や造船所といった港湾設備があるのは当然だ。
だから最初はそういったものか、もしくは漁船が荷揚げした魚介類の加工場を新設したのかとも思ったのだが、それにしては岸壁から通り一本分以上も奥まった所にあるのに不審を覚えたのだ。
何をやっているかはわからんが、人の出入りがそれなりにあるようだ。ならば何をしているにせよ荷の揚げ下ろし用の設備がある港と船を利用した方がずっと楽なはず。
だが、スクトゥム帝国出身者に聞いても、そんな建物は知らない、何しているかもわからない、という答えが返ってきたのだ。
もう一つ不思議だったのが、ずっとそこから湯気が出ていたこと。
夕暮れ時をすぎてようやく消えたようだが……真面目な話、この世界でずーっと燃料を消費するのってかなり贅沢なことなのだ。
それが、これだけ距離があっても見えるほどに大量に湯気が出続けたということは、かなりの量の燃料を消費していたか、燃料以外の熱を使えるかということになる。
一瞬温泉でもあんのかとも思ったが、このアエス近隣に山はない。火山もない。
火山がなければ温泉って出ないんですよ普通は。よほどマグマだまりが地表近いところにあって、その近くを地下水脈が流れていない限りは。
それって、噴火口の上にいるようなもんですからね?いつ水蒸気爆発起こるかわからない危険地域ってことですから。
人を化かすのが得意だというカロルには、尖塔へと向かってもらっている。
グラディウス地方でもランシア地方でも、街はおろか集落、はては領主館の中ですら、一番背の高い建物というのは聖堂と決まっていたのだ。
おそらくは同じく武神アルマトゥーラ、豊饒の女神フェルタリーテを信仰している人間がいる……いや、いたはず。
もっとも、スピカ村で見たように、豊饒の女神フェルティリターテの御廟というのは、その集落のパン焼き釜や共同作業小屋とほぼ同義だったりするので、このアエスの街にも聖堂とは別に何カ所かあってもおかしくはない。
いずれにしても中身入りが多いと思われるこの状況で、この世界の宗教がそのまま信仰されているとは思えないのだよね。
だが、それならそれで現状を確認できれば、やりようはいくらでもある。
加えて、宗教というのは富と権力が集中する場所だ。そういうところは情報も蓄積されやすい。
うまく人を化かすことができれば、効率よく情報を手に入れることができる、かもしれない。
土を操るのに長けているというフーゼには、街を歩き回ってもらっている。
彼にはラームスの気根と葉っぱを多めに預けている。人の目が届かないような街路樹の影などに気根をばらまいてもらおうというのだ。
葉っぱもうまくやれば根づくらしいのだが、なにがどうすればそうなるのかは、ラームスと心話が通じるあたしにもさっぱりだ。
だがまあ、アエスの街にラームスのネットワークが張られるのは、あたしにとってもメリットがあることではあるのだ。
まだ陽が落ちたばかりとあって、残照の空は明るいが、街並みはあっというまに暗くなってきた。
これなら、幻惑狐たちの姿を捕らえることは難しかろう。
この世界、生身の人間には夜は本当に暗い。半端なく暗い。そこを平然と動けるのは、夜目の利く魔術師か、魔物たちしかいないのだ。
港湾都市の夜闇に跳梁する魔物たち。
そしてそれを操るは、船に隠れた仮面の骸骨……。
どう見ても悪役です骨っ子。
これでも本人はまっとうに生きてる(?)つもりなんですがね。
追記:7/13に誤字報告をいただきました!ありがとうございました!




