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はじめの一歩は化かし合い

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

「これは異な事を。貴国に至りし使節をなぜ朝貢のため、もしくは従属を申し入れるためのものとお考えになるのでしょう。国と国との友好を結ぶために参ったとはお考えにもなれぬのですか?」

 

 ……スクトゥム帝国とのファーストコンタクトに、エミサリウスさんと男装のトルクプッパさんに出てもらって助かったと心底思う。

 だって、外交関係一切を統括する外務卿テルティウス殿下の部下であり、交渉技術の一環として煽られることに慣れてるエミサリウスさんといい、国の暗部つまり相手の虚を突くために油断を誘う手管に長けてるトルクプッパさんといい、どっちも軽んじられることにわりと耐性のある人たちなんですよ。

 その二人ですら穏やかな顔のまま、本気で怒ってるんだもん。下手に副使なクランクさん出したらどんな反応をしただろうか。

 

 ……そらまあそうなんだけどな。

 二人が慣れてる軽視というのは、彼ら個人が受けるものであって、彼らが所属するランシアインペトゥルス王国そのものに対するものではないってのが一つ。

 スクルータ・パルデリ・ヴァルミと名乗った入国管理官だそうな相手の男性の態度が、どうにも国と国との力関係を押しつけるという外交技術としての軽視を示すものには思えないってことが一つ。

 帝国と名乗るからにはそれ相応の国際性というか、国外とのコンタクトルートは多数抱えているだろうにさー。これまでまともに外交したことすらないかのような、絵に描いて色塗ってアニメにしたような、夜郎自大の見本にしか思えない反応を上っ面だけにこやかにしてくるとか。

 正直なめとんのかわれ、って感じだよね。


「おや、それは失礼しました」


 スクルータは二人の怒気を感じ取っているのやらいないのやら、ぺらっぺらな笑みを崩さない。

 鈍いのかねこいつ。 


「まさかスクトゥム帝国に対等な外交を求めに来られるほど豪胆な国があるとも思いませんでしたのでね」

 

 申し訳ありませんと頭は浅く下げたものの。

 

 ……まっっったく申し訳なく思ってないだろそれ。

 しかも自分に非があるなんて欠片も考えてないみたいだし。

 ましてや、自分の態度が自分自身や国になんか不利益をもたらすような挑発行為的なものだとわかってて、あえてそんな態度を見せているわけでもないようだし。

 てゆーか。


 あたしはわざと身じろぎした。船上ってことで短めの剣を吊した剣帯と鎖帷子ががちゃつく。

 ええ、例の変装その一バージョン、甲冑姿であたしはエミサリウスさんたちのすぐ近くに立っているのだ。

 ちなみに頭蓋骨は兜で隠してるが、その下にはトルクプッパさんのズラを着用している。長髪をわざと後ろに垂らしてあったりするのはグラディウスっぽい髪型なんだとか。

 それはいいけど。


 たしかにこの恰好、護衛騎士風味じゃあるのだが、船の中で重装備って明らかに場違いなんですよ。

 なんせ船が転覆したら真っ先に沈むんだもん。

 鎧なんて重石にしかならんようなもの着てれば、命にかかわるんですよ普通は。

 まあ呼吸不要なあたしにゃそのへんはどうでもいいんだけど。


 だが、それをあえて着ているのは脅しのためだ。

 普通、フル武装を――それもいわゆる謁見などの儀礼用とか護衛用の見た目重視な装飾過多なやつじゃなくて、がっつり実用戦闘用のやつをだ――してる人間がすぐ間近に立ってるというのは、丸腰の人間にはかなり脅威に感じるものである。

 むこうの世界でだって、たとえこっちが無関係だろうと、機動隊とか国家憲兵のフル装備に銃がチラ見えしてるだけでもけっこう威圧されるものがあったのだよ。

 まあ、それも、制圧能力を見せつけること自体が治安維持に役立ってるという意味では正しいんだけどね。


 だが、制圧能力あるんだぞアピールにも、まったく入国管理官はこたえた色がない。

 それも演技で平然としてるんじゃない。あたしが脅威であるとも感じてないんだ。こいつは。

 ……ということは。だめだな。これは。


 後ろ手でサインを送ると、船乗りさんたちの中に同じようなかっこでしれっと紛れ込んでいたアルガが大きなくしゃみをした。エミサリウスさんたちへの合図だ。

 意味は、『話を切り上げろ』。


「ところで、スクルータ下等入国管理官は当然その職務遂行に必要な法律知識を当然ご存じでございましょう」

「ええ、もちろん。スクトゥム帝国以外の法律など不要と思うのですがねえ」

「なるほど。では、『船上はその船の持ち主が所属する国の領土と見なす』という甲板法をご存じないわけはないと。スクトゥム帝国海洋法典にも記載されている条項です。国際法として」


 ひややかな笑みを浮かべたトルクプッパさんがエミサリウスさんの後を引き継ぐ。

 

「つまり、スクルータ下等入国管理官。ただいまの貴官の言動は『他国の領土に侵入し、故意にその国を貶め、著しく毀損した』ということになるのです。ご配慮をなされたほうがよろしいと忠告さしあげます」


 甲板法なんて法律があるかどうかはあたしも知らない。だが、他国の王族の名誉を傷つけた場合、ただの不敬罪で終わらせられるかもしれないが、国の名誉を傷つけたら戦争の火種になりかねんってのはわかる。

 いずれにしても、そんなことをやらかした人間は死刑一択レベルだろう。


 他国の領土に踏み込んできてその態度。死ぬ覚悟があるのかなと暗に問われて。

 ――入国管理官はガラ悪く舌打ちすると、作り笑いを浮かべた。


「……そのような脅迫をなさるとは、あなたがたが友好関係を結びに来たというのもうたがわしい。わたしの権限にて危険と判断します。上陸は認めません。これはスクトゥム帝国の法律に乗っ取った処分ですのであしからず。陸の上は、我々が領地ですから」

 

 許可なんぞいらん、と言いたくなったんだろうな。二人は詰め寄ろうとしたが、その前にあたしが一歩進み出た。

 制止のためだが、傍から見れば先に護衛の方が頭に血が上って詰め寄ろうとしているように見えるだろう。


「……エクエスどの!落ち着かれよ!」


 エミサリウスさんたちも状況判断は速い。踏みとどまってくれた上に小芝居にのってくれる。

 その様子をスクトゥム帝国、ひいてはその威を借る自分に怖じたとでも思ったのか、スクルータは鼻でせせら笑うような顔をすると、大仰な礼をした。


「では、失礼を」


 おう、行け行け。……逝っとけや。


 渡し板から最後の一歩を踏み出そうとした時、彼は盛大に蹴躓いたように、見えた。


「ふべらばっ!」


 変な悲鳴は渡し板に胸を打ったからだろう。

 裾長い衣服を宙に舞わせ、海へと転げ落ちたスクルータは派手な水しぶきを上げた。

 船室に向かいかけていたエミサリウスさんたちも驚いたように船端に戻ってきた。

 

「いかがしました、スクルータ下等入国管理官」

「御無事ですか?手助けはご入り用ですか、スクトゥム帝国の方々」

「ぅる……いりませんよ。おかまいなく」

 

 ムカッとした顔で引き上げられると、盛大に足を踏み鳴らして去っていく。

 それを見送ってから、あたしたちも船室へとひっこんだ。


「『どう思う?』」

「相変わらずシルウェステルさまは良い腕でらっしゃる」

 

 にやにやしたのはアルガだった。トルクプッパさんもにやっと笑い、いつも文官らしい抑制の効いた表情のエミサリウスさんまで口元を緩めた。船室でグラミィたちの中継を聞いてた方々は言うまでもない。

 

 あの上から目線なクソ野郎がすっころんだ挙げ句、華麗でもないが海へとダイブをかましたのは――はい、あたしの仕業です。


 他地方に出ていた三人組や船乗りさんたちすらいろんな仕掛けがされていたのだ、ぶっちゃけスクトゥム帝国の内部はどんな人外魔境かと警戒しているのは否定しない。

 接触した人間には実験材料になってもらいますとも。

 といっても、心臓爆裂陣なんぞを体内に仕掛けてる『運営』よりはやさしいと思う。

 まずは放出魔力に対する感知能力を調べようというので、放出魔力を一般人以下に減らしたあたしと、やや抑えめにしてもらったエミサリウスさん、ブースト機能を置いてきたアルガに普通の魔術師として全開なトルクプッパさんで対応してみましたというだけのことだし。

 いや、ぶっちゃけこれを確認できないと、いくら身体強化と放出魔力の制御を叩き込んだとはいえ、同行者のみなさんが身動き取れないんですもの。

 ……人命なんて馬鹿高いコストを省みず、『運営』がこんなところにも心臓爆裂陣を刻んだ人間を一人でも置いておいたら正直アウトな体当たり的実験だったけどな。


〔……ものの見事に反応しませんでしたね〕

 

 グラミィの言うとおり、二つの意味で反応はなかった。

 あの入国管理官が心臓潰れて死んでも、あたしは『運営』のやり口にはうわあと思うが、正直尊大ダイブ野郎の事など案じはしない。ガワにされた人がいたとしたら、その人を悼みはするけれども。

 だけど、彼が死ななかったということは、魔術師の放出魔力に反応、発動するような心臓爆裂陣を刻まれた人間は、おそらくここにはいないということだろう。

 あたしが『運営』だったらそうする。国外に心臓爆裂陣をしかけた船乗りさんたちを送り込んだのが、魔術師に対する暗殺などの手段を含む、何らかの働きかけだとすると、わざわざスクトゥム帝国にまでやってきた魔術師をここで警戒させるのはどう考えても悪手だろう。

 万が一にでも逃げ出した魔術師が、『スクトゥム帝国が魔術師になにか仕組んでる』なんて曖昧なものでも他国へ情報を持ち帰られては困るのだから。

 ならば、もっと国の内部に踏み込ませ、気が抜けたところでがっつり捕獲しますとも。


 加えて、あのウエメセ男も魔力に対する感知能力は低いってことも確かめられた。

 エミサリウスさんとトルクプッパさんには杖を持たずにあえて文官姿で対応してもらったのは、魔術師に対する警戒を回避するための小細工だったんだけど、必要がなかったようだ。


 別方向での反応には驚いたけどなー、あそこまで他国の使節に対する態度が横柄とか。

 魔力感知能力が低いのは、魔術に対する防御策を組んである原因か、それとも結果かとも疑ったので、ならと手の形状にした結界を一瞬だけ顕界して靴を掴んでみたのだが、結果はご覧の通り。

 ついでに言うと、向こうに醜態をさらしてもらうことで、あの無礼っぷりにマジギレしかけてたエミサリウスさんたちをなだめるガス抜きってこともあったんだけどね。


〔ボニーさんがやりたいからやったんですよねそれ〕


 黙秘権を行使しときます。


「しかし、確かに、この事態は明らかに変ですね。他国からの使者の船であると示しながら入港したのにもかかわらず、やってきたのが下等入国管理官一人。通常入国管理官というのは他国の商船に対応する官職です」


 真面目な顔に戻ったエミサリウスさんが言うとおり、グラディウスファーリーでもカリュプスの港で真っ先に寄ってきたのは、船を管理するコントラポンデス太守の使者だった。

 そこそこの地位と役職を与えられてる人間の対応には、それ相応の地位と役職についてる人間が出るのが当然だ。これわりと基本だからねー。

 そこをさくっと無視してかなりの下っ端が一人ひょこひょこやってくるとか。どんだけ馬鹿にされてんだって感じだよね。


「しかも、入港証すら交付する様子も見せず、上陸するなとはどういうわけですかねぇ」


 着いた船の人間を上陸させないこと、入港を拒否すること、場合によっては港の外に船を曳航して人ごと沈めることは港湾の管理者――コントラポンデス太守とか、シーディスパタで言えば船主とか――の権限ではあるのだとアルガはいう。

 主に伝染病患者が出た場合だが。

 だけど今回は明らかに違う。ただの下っ端の恣意的な判断、つーかこっちを軽視してるのにちょこっと忠告ってかたちで表面繕ってやりかえされたからって、蟻に噛まれた子どもがすべての蟻の巣に熱湯を注ぎ込むような真似をしてきたわけだもん。


「では、これからいかがいたしましょう」


 狭い船室に集まった全員の目がこっちに向いた。

 ……あの、あたし鎧脱いでる最中なんですが。注目されても困ります。いやん。

 

〔ふざけてないでちゃんと意見言ってくださいよ!〕


 へいへい。

 

「『まずは夜を待とう。せっかく入港したというに上陸して身体を休めることができず、クランクどのには不便をかけるが』」

「……それはかまいませんが、時を稼ぐ理由をお聞かせ願えますか」

「『先ほどエミサリウスどの、トルクプッパどのに話を切り上げてもらったのは、あれ以上会話を続けても無意味と判断したからだ。あの下等入国管理官は、あそこまで挑発的な態度を示していながら、己が身に危害が加えられる恐れすら感じていないようだったのでな』」

 

 剣帯や鎧上衣をトルクプッパさんに手渡しながらグラミィに通訳してもらうと、エミサリウスさんが真剣な顔でうなずいた。

 彼は相手の放出魔力から次に何をどう出てくるかを読み取って対応することのできる、先読み能力の持ち主だ。感情を読み取るぐらいたやすいことだから、本当のことだとわかってくれたんだろう。

 

「『では、なぜ下等入国管理官程度の者が、あのような態度を取ることができたか』」

 

 ナチュラルボーン無礼なのか、それともこっちを怒らせにきているのか。それともただののうたりんなのか。

 いずれにしても、『身分の高い人間に怯えない』ってことを考えると……おそらく彼も中身入り(異世界人憑依者)なんだろうと推測できる。


 だってね、この世界、王侯貴族ってマジで平民の生殺与奪の権を握ってるのだよ。比喩表現だけじゃなくて、生物学的な意味でも。

 機嫌損ねたら問答無用で殺されるって可能性があったら、よっぽど考えナシでも喧嘩売るのはためらうでしょうが。

 そして、この世界の平民たちの精神には、身分制度とともに王侯貴族への警戒と恐怖はがっちり根を張っている。

 それこそ大貴族などの大きなバックを手に入れたところで、それが本人の力じゃなければ、すっぱり斬られる可能性はいくらでもあるのだということも身に染みついてるはずだ。

 身分差に怯えを感じる様子がないということを考えると、中身に搭載されているのが身分階級制度に疎い堕ちし星(異世界人)である可能性が高いんじゃないかとね。


 だけど、無礼な態度の背景を推測したからって、それを本人の資質に起因するものと見なせばそれでいいのか、いや国の態度として解釈するべきかといった論議自体は、わりとどうでもいいことだったりする。

 なぜなら、どっちにしてもあのウエメセ男に、役職をつけた人間がいるのだから。

 それもおそらくはこういうアホと知ってのことだ。

 つまり、あいつは存在自体が罠。

 たとえあたしたちがこれ以上絡まなくても、いずれは他国の船とトラブルを起こすだろうし、そこからスクトゥム帝国が『帝国人に危害を与えた』他国に侵略の手を広げる気満々でも、あたしゃあ驚かないね。


「『もう一つは、今後この港、アエスは重要か。この二点を考慮に入れるべきだろう』」

 これからもこのアエス港を活用し、スクトゥム帝国とランシアインペトゥルス王国が恒久的な繋がりを持つ必要があるというのなら。

 外交的には、ここは何が何でも相手の非を訴え、無礼を咎めて謝罪させる方向へ持っていくべきなんだろう。

 むこうの世界でもよくあった国際政治力学の問題というやつだ。

 だが、今回は違うというのがあたしの読みだ。

 ぶっちゃけあたしは『運営』をどうにかすることと、ペルの同根(おなかま)の森精たちを探し出し、保護……というのは彼らにとって失礼かもしらんが、なんらかの形で力になること、その目的さえ果たせればとりあえずはスクトゥム帝国が滅亡しようがなにしょうがどうでもいい。ランシアインペトゥルス王国に悪影響がなければ、グラディウスファーリーにも問題が起きなければ同行の皆さんだって文句はあるまい。

 それに、ロリカ内海に港はここアエス一つしかないわけじゃない。水平線の向こうになるが、南側にも島や陸地があるし港もあるということは、スクトゥム帝国出身の船乗りさんたちにも聞いている。

 そういったことをあれこれ考え合わせるとだね。


「『アエスはいらぬ。だがスクトゥム帝国の内情についての情報は必要だ。ここは一晩、集められるだけの情報を集め、さらに別の港を目指すべきだと思うが如何?』」

「わたくしに異論はございません。ですが、情報を集めるとおっしゃいましても、どのように?」


 鎧帷子を受け取りながらトルクプッパさんが尋ねた。

 だいじょぶ、あなたに例のおっさん傭兵なかっこで上陸してもらうつもりはない。人目を盗んで港に降りたら、それだけであの入国管理官側には、あたしたちを捕縛する正当な理由を与えてしまうことになるもん。

 むこうはこっちにリアクションを起こさせるって目的もあって、あたしたちの船を港に入れた上で上陸許可を出さないって手段をとっているのだろう。

 港の中なら外部との接触を断つのは簡単だ。

 ついでに兵糧攻めにも持ち込むつもりかもしらんが、そうはいくか。

 

「『あの無礼な入国管理官と多少険悪になろうとも、そこはどうでもよいが、裏をかけるのならば表だって騒ぎを起こすことはあるまい。マヌスプレシディウムどの。力をお貸し願いたい』」


 そうグラミィが言うと、グラディウスファーリーの王弟はあっけに取られた様子で自分を指さした。


「をい野郎ども!今日は陸には上がれねえ!だがたっぷり休んでいいぞ!水樽開けろ!」

 

 船乗りの恰好なままのアルガが甲板に出て叫ぶと、ひゃほーい、とばかり船乗りたちは喜んだ。

 いくらあたしたちが魔術で水を顕界できるとはいえ、彼らも水を節約してここまで来ている。思わぬ大盤振る舞いに灰を髪に揉み込み身体になすり込むと、船乗りさんたちは次々海へ飛び込んだ。

 アルガもしれっと紛れ込んでいる。若干陽焼けが薄いが、それでも違和感がない。

 全身海の中で服ごと丸洗いを終え、碇綱を伝って戻ってきた彼らは、びしょびしょの服を脱ぎだした。

 ……うん、たまに道中もやってたことだから気にしないよ。

 港からまるっと見通せる船の上でわらわら動き回るフルチン集団は見苦しいだろうが、意外と船乗りさんたちは清潔好きなのだ。船の上なんて閉鎖された状況で病気が流行ったら、全滅まったなしというのをよく知っているからね。

 ひょっとしたら、星屑野郎(デッドコピー人格)たちの衛生観念とかの影響を受けているせいもあるのかもしれないけどな。

 こんな天気もいい昼間で水温も高い、仕上げに真水も浴びられるとあれば、そりゃあ彼らだって身体を洗いたくも、服だって洗濯もしたくなるというものだ。


 ……で、どう?


(陸の目消えた)


 甲板の水が船室に流れ込まないように、結界をこっそり張りながら尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。

 よしよし。

 呆れて警戒を緩めてくれるならこれでいい。囮になってくれた船乗りさんたちにも、お礼はしないとな。

 とりあえず、水樽の真水は温かくしといたげよう。お風呂レベルといわずとも。風邪引くなよー。

 あたしは膝の上のもこもこを撫でた。


 グラディウス地方でのことだ。突然船乗りさんの一部が泡を食ってあたしのところに飛んできたことがあった。

 積み荷に入り込んだ(ラットゥス)を、追い払ったり掴まえようとしたら、いきなり分裂して増殖したというのだ。

 なんのこっちゃと思ったが、協力しましたよもちろん。結界で密閉空間を作り、じわじわ追い詰めるように船倉を追い回してみたりしてね。

 そしたら、三人組の前の対生物結界にぶつかってきゅうとのびたのが、こいつら幻惑狐(アパトウルペース)だったというね。

 幻惑狐というのはちょっとおもしろい動物で、ぱっと見(てん)鼬鼠(いたち)のような体型に見える。狐要素はいずこってな感じだが、なんとその身体の後ろ半分以上は、巨大な二本のふこふこ尻尾なのだ。

 胴体と尻尾の境目がはっきりするように持ち上げ、ついでにいつもは寝かした耳をピンと立てると、口吻は丸いがちゃんと狐に見えるというね。

 しかも、個体では本当にただの小動物なのだが、群体では魔物となるのだ。


 正確に言うと、幻惑狐はその体格からして、魔力溜まりが生じないような、少ない魔力しかない環境でも生き延びられるように進化した魔物、ということになるのだろう。

 この世界、動物だったら馬サイズでもないと、ちゃんとした自我もなければ意思の疎通もできないのだよ。

 つまり、それより小さくても、意思の疎通がしっかりできるだけの自我を備えているのは魔物なんである。グリグしかり、猿の魔物の末裔であるところの人間しかり。

 けれども、なみの狐どころか鼠とすら間違えるようなこの小ささで、意思の疎通ができるってのはかなり破格な存在だ。

 なんでだろーと思ってたら、彼らは自我を複数の個体で共有することで維持している存在だったのだ。

 樹の魔物である樹杖と共生している森精たちの例があるから、あたしはまだ理解がしやすいのだけれども、彼ら幻惑狐は単体であるときの意識がないわけじゃないのだ。

 だが森精たちと違うのは、幻惑狐は複数個体で一つの自我を共有した時には、数が増えれば増えるほど魔力も強まり、個体の知能までも高くなるのだ。数が揃うと頭が良くなるというのはちょっとした脅威だ。


 おまけに幻惑狐の名の通り、こいつらは人を化かすことすらある。

 単体でも死んだふりする程度には頭も回るし、逃げるときには後から後から湧いてくる分身を作り出す程度には土を操る能力もある。船乗りさんたちが分裂増殖したと見誤ったのは、どうやらこの能力のことだったようだ。

 ちなみに、土石流みたいに流動体にした土を動かしてるんですよこれ。

 グリグんも風を読むし、コールナーだって水を操るのは知ってたけどさー。

 つくづくこの世界の魔物ってば、芸達者だ。

 

 加えて、どうやら幻覚を見せる能力もあるらしい。

 単体ではふわっと自分の存在感を薄くしたり、姿を見かけてもなんとなく見過ごしてしまっても問題ないような気にさせるくらいだが、個体数が二桁以上に増えると、なんと心話が通じない相手とも会話ができてしまうのだ。

 おそらくは身体感覚に割り込みをかけるという方法で幻覚を見聞きさせることができるのだろう。

 だがそれはうまくすれば、あたしの一番の心配事である堕ちし星たちの搭載を阻止したり、中身入りの人たちを殺傷せずとも無力化できる手段を構築することができるかもしれないということだ。

 まあ、当初考えてたように、グリグんみたくこっちが支配する形での誓約はできないということもはっきりしたけどな。

 

 あたしとグリグの様子を見てからこっち、めっちゃ魔物の使役というものに興味津々だったスペルヴィウス――あー、グラディウスファーリーの王弟くんは、シニストラとかテヌイスといったこれまで持ってた名前を全部捨てて、今はマヌスプレシディウム、縮めてマヌスと名乗ってる――だったが、魔物は普通人里近くにはやってこない。

 というかね、コールナーが住んでるアルボー近くの低湿地のように、魔物たちにとって生存のために重要なポイントらしき魔力溜まりというものは、そうそう人が近づけないような場所にしかできないものらしいのだ。

 結論。魔物を手懐けるのはたいそう面倒です。


 そこへ幻惑狐たちが手に入ったのだ。ちょうどいいやと最初はマヌスくんに彼ら幻惑狐を集団で預けてみようかなと思ってたんだけどね。

 なにせ幻惑狐は確かに魔物にしては非力だし小柄だが、増殖しまくったら頭は良くなるし、狐のくせにねずみ算式に増えるらしい。

 強い自我を構築しにかかられては、一方的な支配はいつひっくり返されるかわからない。

 そうでなくても、下手な使役をしようものなら単体だけでもと逃げ出しにかかるだろう。

 集団自我のやっかいなところに加え、数が増えれば知能が上がるというとんでもない強みまである。

 これをずっと使役し続けようとするのなら、なかなかにスリルのある駆け引きが必要になるだろう。


 捕獲した時も、気づいた途端耳まで口を裂いてカッ!と威嚇してきたので、逆に魔力で威圧してみたら……腹だして降参のポーズを取りながら、すごい勢いで魔力を食い始めたもんなぁ。

 あわてて放出魔力を向けるのを止めてみたら、心話でくれくれ分けてくれとねだってきたというね。

 ほんとこいつらも良い性格してるわ。

 

 そこでマヌスくんの代わりに、あたしが彼らと相互に不利益な行為を行わないようにと誓約することにし、行動協力などの対価をあたしの魔力にした。

 さらにその条件として、あたしが指定する人間を化かして、擬似的に心話が通じるかのように、意思の疎通や感覚の共有がある程度できるようにしたのだ。

 手始めにマヌスくんがその対象者となっている。

 使役と言うより取引に近いが、このおかげでずいぶんと物事は楽にすみそうだ。

 

 いかがなさいますかとクランクさんに問われた時、あたしは目には目を、馬鹿にされるのならば馬鹿にしかえそうと決めていた。

 たぶんやり返さないと気の済まないあたしの法意識とか道徳観ってのは、たぶんむこうの世界でも相当に古いんだろうな。

 具体的に言うと四千年近く?


〔それなんてハンムラビ法典ですか〕


 こっちの世界にはあるのかねー、ハンムラビ法典みたいな法律。


 ありがたいことに食糧は豊富に確保してきている。麦も前の寄港地で多めに仕入れてきたし、魚は道中も獲り放題だった。

 グラミィは野菜が少ないのと肉が貴重なのを嘆いていたが、そこはしょうがない。一日ぐらい我慢してよね。


 辺りが薄暗くなったところで、幻惑狐たちは途切れ途切れに係留索を渡って上陸していく。

 人目を眩ませるには最適だろうと、折りたたんだ耳の下にラームスの葉っぱをおまけにつけたげると……なにこの日本昔話風味ほのぼの。頭に木の葉のっけた狐とか。

 思わずあたしとグラミィがほんわか和んでると、それはなんですかとマヌスくんに訊かれたから、正直に森精(ヴィーリ)から預かった樹杖の枝のさらに一部だと教えて上げたら、からっからに乾いた笑みをアルガともども浮かべてたけどね。

 そりゃまあそうか。森精なんて半分神話上の存在からもらったとか。この世界の人たちにしてみればなにその伝説級アイテムって感じかな。

 だが細かいことは気にしない。一国の王弟(マヌスくん)だって使うんですものあたしゃ。使えるモノは使いますよ、ええ。

 ついでに幻惑狐たちのもこもこ尻尾には、ラームスの細い気根などもちょいちょいと挿しておいた。当人たちは気にしてないし、途中で落とした気根がうまく育てば、ラームスたちの播種にもなるだろう。


 そんじゃスキンティッラ、ミコ、フームス、カロル、フーゼ。気をつけてね。

  

(わかった)

 

 リーダー格の子が火花のようにしゅっと姿を消す。残りの子も行ったか。


 今、船内にいる幻惑狐は、マヌスの肩に乗ってるイルシオと、あたしの膝の骨の上にいるターレムだけだ。

 彼らを通じてあたしとマヌスはそれぞれの状況を確認することができる。


「さすがにこれは……目が回りますね」


 そりゃ君が目を開けているからだ。生身と受け取る視界と二倍近い情報量を処理しきれないだけの話だ。

 だからそんなに心配そうな顔で見てなくてもだいじょぶだよアルガ。


〔あっちもこっちも見てるボニーさんが怖いです〕

 

 んー、車で高速を動く時の要領なんだけどな。ようは情報の取捨選択。見落としには要注意だ。

この世界の魔物はひっそり七つの大罪になぞらえてはいるんですが……。

なぜだか、幻惑狐はとってもマモンぽくなりました。

象徴する大罪は『貪欲』。こっちにはあまり当てはまらないのかどうなのか。

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