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暁の出航

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 まだ違和感のある星座も、光を残す朝まだきのころ。

 あたしたちはベーブラ港をゆっくりと出航した。

 貴族の朝は遅いとかぶつぶつ言い出しそうな、根っからの貴族の子息なクランクさんには、先に船へ乗っけといたげようか?(意訳)とグラミィに伝えてもらったら、丁重にお断りされた。

 ……まー、王都からベーブラに着くまでも船酔ってたらしいからねぇ。彼。 

 

 もともと川船は底が浅い。だいたい喫水が1mもない、どっちかっつーとボートに近い構造らしい。

 だもんでえらく揺れるんだよね。クランクさんも船酔いぐらい起こすわなそりゃ。むしろ他の人たちは大丈夫だったのかと思わなくもないくらいだ。

 それに比べれば、この船はまだましな方だろう。

 浅い上甲板の下には狭苦しいながらも、ちゃんと船倉を改装して船室をいくつか確保されている。

 立てばもれなく脳天ぶつけそうなくらい低い天井も、座るか寝るかすれば我慢できるよね!

 ダブルサイズの棺桶程度の広さしかないけどさ!


 だけど取りあえずあたしは、同行者のみなさんと同じように船室で籠もるのはやめにした。

 外が見えないと酔いそうだというグラミィもいっしょだ。

 引きこもりなんてもんは、船に乗ってる間は、いつでもいくらでもできるのだ。むしろ今は甲板で船乗りさんたちを生ぬるく見守っていたい。

 あたしがやらかしたことの不具合が出ないように確認する、という意味でも。

 

〔呆れてましたけどねー、アルガさんまで。あの人たちに船を動かしてもらうのかって〕


 ふ、アルガもまだまだ考えが甘いな。

 自分が同行要員に入った段階で、あたしのやることに想像つかなかったんかい。

 あたしゃ使える者はしっかり使い倒しますともさ。

 

 そう、船を動かしているのは、堕ちし星(異世界人)たちを搭載されてた(憑依させられてた)船乗りさんたち御一行なんである。

 餅は餅屋、船のことは船乗りに任せるのが一番ですよ。

 もちろん、もろもろの事情を勘案した結果なんだけどね?


 彼らを本業で働かせることのデメリットは、確かに多い。看過できないだろうものだって、いくつかある。

 一番大きいのは、最終的には彼らを信頼できない、ということだろう。

 

 ……いやね、それでもこれが単純に、犯罪行為の現行犯ってことで、船ごと拿捕した他国人をだね?その犯罪に対する懲役刑がわりに労役を課してる、という名目で、こき使ってるだけなら、まだいいのだよ。

 もしそうなら、彼らが労役逃れなんかの個人の利益追求とか、彼らの所属する国への忠誠とかで動くだろうというのは、理解はできるし推測もつく。

 その結果、たとえあたしたちと敵対することを彼らが彼らの意思で選んだとしても、それはそれで十分に筋の通った話だ。

 好きにしなさいと言ってやることだってできますとも。

 あたしたちが、その敵対心まで計算に入れて動けばいいだけの話だからだ。

 そこで問題になるのは、相手の手の内をどれだけ読み取り、対応した策を立てて実行に移せるかという能力の高低にすぎない。

 もしあたしたちがしてやられたのならば、それだけ船乗りのみなさんが優秀だったという、ただそれだけのこと。


 だが、今回ばかりはそうも言ってらんない。

 ぶっちゃけあたしは、彼らの船乗りとしての知識や能力は高く評価してる。信用してると言ってもいい。

 けれども、その人間性というか、意思決定に至る思考経路がまともだとは、到底信じることができない。

 堕ちし星たちのガワにされていたというのは、それだけでかいファクターなのだ。

 

 異世界人の人格越し、しかも断片的なものとはいえ、彼らはこの世界には存在しないはずの知識に、わりと一般教養レベルで触れてしまっている。

 知識は、力だ。

 だが、それ以上に問題なのは、彼らは星屑(デッドコピー)とはいえ、ダイレクトに、堕ちし星たちの人格に触れてしまっているということだ。

 ラームス越しの混沌録アクセスを経験した今のあたしには、肉体を媒体としたコミュニケーションどころか、言語のような精神的コミュニケーションツールさえ媒介しない、なまの精神と精神のぶつかりあい、ダイレクトに他者の人格と接触してしまうということの意味が、わずかながらもわかっている。

 それは自分自身がゆらぐということ。

 わたしであったものが未知のだれかと混じり合い、それを私として認識してしまうほどに自我が変質しかねないということでもある。

 今のあたしがそうだからだ。


 あたしがシンプルにあたしであれた、むこうの世界の倫理観も考え方も手放せず、かといってシルウェステルさんの骨ボディを通して得たこっちの世界のつながりも物の見方も捨てられず、あたしはどっちもまるっと呑み込むことを選んだ。

 だから、もし、むこうの世界にいたころのあたしと、今のあたしが同一人物かと訊かれたら、本気で考え込んでしまうくらいには、あたしの自我はとっくに変質してしまっている。

 そのことは重々自覚している。


 だからこそ、恐ろしいのだ。

 だってこれ、ストレスフルな環境の中で揉まれたおかげで一皮剥けたとか、そういう話じゃないんだもん。

 どっちかって言うと洗脳とか、解離性人格障害――いわゆる多重人格を発生させてるような、元の人格を崩壊させるくらいの破壊力のあるものなのだ。 

 おまけに汚染源ともいえる星屑たちがどういう人間であったのか、何をどう考えていたのかわかんない以上、船乗りさんたちの自我がどう変質したかもまた、まったくの未知数なのだ。

 

 もちろん、勝手にガワにされた彼らに非はない。というか、むしろ船乗りのみなさんは被害者だ。

 そのことはよくわかっている。

 けれども、最悪の場合、彼ら自身がまったく利益どころか不利益しかこうむらないというような、予期せぬ状態で、罪悪感なくあたしたちを背後から刺しにかかる、という可能性だって、ないわけじゃないのだよね。

 そんな確実性もない死に戻り上等な愉快犯になりかねん相手を、信じて頼りになんてできないってば。


 それでも、あたしは彼らを船乗りという本業で雇う、という形で契約を交わした。

 いや、アウデーンスさんのお知り合いの方々を借りるとか、いろんな代替案も考えてはみたんだけどね。無駄にガワ要員を帯同するわけにもいかないのですよ。なにその生贄増産行動。

 同行者のみなさんを少数精鋭で、しかも魔術師で揃えたのも、ガワ要員にされる危険性をなるべく減らすという、同じ理由あってのものだ。

 といっても、一度ガワにされた彼らなら、また星屑野郎たちを搭載されるような危険性が少ないのかっていうと、それはまた別問題なんだけどね。

 個人的に言わせてもらえば、あたしゃ彼らならば同じ事がしかけられても大丈夫だ、なんて、かけらも思ってない。

 だって、他人格による身体のっとりに対して、感染症とかの免疫ができるのと同じプロセスで抵抗力がつけられるかどうかなんて、謎以外のなにもんでもないでしょが。

 というか、一度堕ちし星たちを搭載された人が星屑たちをひっぺがされた後、二度とガワにされないですむのかとか。

 実験のしようがないじゃん、そんな非人道的なこと。

 

 ただ、同じだけの危険性があるならば、なるべく関係者だけで組むべきだ。そうあたしは考えてる。

 加えて、森精大量拉致事件の加害者でもあり、身体乗っ取られ事件の被害者でもある彼らならば、搭載されてた星屑野郎たちの異質さ、この世界に対する危険性は肌どころか精神で感じてるだろう、と、思う。

 危機感があるのなら、多少はこっちの味方として、信用はしてもいい程度には本気になってくれないかな、とね。


〔やっぱり、ボニーさんてば甘いですね〕


 これ以上死にたくないし、グラミィたちも死なせたくないし、船乗りご一行のみなさんも、三人組のガワの人も死なせたくはない。

 そのためには、目の前にぶら下げたニンジンに飾り包丁入れて、ねじ梅作るくらいのことはいくらでもしますともさ。

 船乗りさんたちに、今しかけられてる魔術陣を発動しないようにとりあえず止めるけど、最終的には陣を破壊するなりなんなりして、二度と作動しないようにして、君らを国へ返すから、それまで協力してくれともちかけたのもそのためだ。


〔おかげですんなり雇用契約には乗ってくれましたけどー。……ボニーさんが得るメリットより、彼らのメリットの方が大きくないですか?〕


 それって、船乗りさんたちに、『ランシアインペトゥルス王国の糾問使一行が雇った一行』という身分保障を与えたこと?

 ひっそり次期ボヌスヴ(アウデ)ェルトゥム辺境伯(ーンス)さんに、こういう場合の雇用賃金の相場を聞いた上で、その倍の金を軍資金から出して支払うことにしたこと?


〔そんなことまでしてたんですか……〕


 なんだ、違ったんだ。

 でも、けったいな魔術陣を仕込まれてる、いつ発動すんのかわからん彼らを、いつまでもランシアインペトゥルス王国の中に留め置くってわけにもいかんでしょうが。

 あたしゃ地雷原で脳天気に、腰骨に手の骨当てて軽やかにスキップする趣味はないんだ。


 それにだね。

 保護でも監禁でも拘束でもいいけど、犯罪者でもある彼らが他人に害を及ぼさないようにして、なおかつ衣食住面倒見てもらってるのって、これだけの人数を考えると結構な負担なのだよ。

 ボヌスヴェルトゥム辺境伯家に押しつける形になってたそんな負担が消えるってだけでも、メリットだと思わね?


〔いやそれランシアインペトゥルス国内にとってのメリットであって、ボニーさんのメリットじゃないでしょ?!それに、船乗りさんたちにとっては、心臓爆裂する陣を止めたげただけでも、あたし的には十分なメリットだと思いますけどねー〕

 

 そうかなあ。

 あれ、やる側としては……すんげー怖かったんだけど。 

 

 そう。昨晩、あたしは彼ら全員の身体に針を入れた。

 刺青のやりかたについて、王都で教えてくれたのは暗部のお一人だった。

 染料は煤を細かく磨り潰したものを水で溶く――といっても水だけじゃ混じらないので、蒸留酒、つまりアルコールで練ってから溶く――とか。

 使うのは灌木の棘なんだけど、なるべく細いものを、季節にあわせて採集しておくんだとか。

 その棘を刺すときの深さとか。角度とか。

 相手は痛みでどうしても反射的に動くので、その動きに逆らわずに次を刺せとか。

 ……ええもう手順を微に入り細に入り、懇切丁寧に教えてくれるせいで、あたしまでめっちゃ痛い気分になったわ!肉もないのに!

 看護師さんとかお医者さんとか、注射を作業としてできる人ってほんとにえらい!尊敬するよマヂで!

 

 最後に実践してみようってことで、皮付き生肉の塊がごろんと出されてきたときは、逆に安心したくらいですよ。

 ちなみにそのお肉、王都でよく見るリアルオークっぽい、スースとかいう動物の剛毛を剃ったものだったんだとか。

 あの後で皮は剥いで、肉は暗部の下っ端(スタッフ)のみなさんの賄いになっ(でおいしく頂きまし)たそうな。

 しかもあたしは免除してもらえたが、本来ならば、ぶすぶす練習で刺しまくったところは、当の刺青の技術を学び始めた初心者本人に食べさせるというね。


 ちなみに刺青は下手くそであればあるほど、皮膚組織で止まるはずの棘を肉にまで食いこませることが多い。らしい。それも染料である煤といっしょにだ。

 つまり上手にならない限り、初心者さんは、煤混じりのまずい肉を食べるか、黒く煤で染まった肉を取り除いて、少なくなった肉で我慢するかの二択になるわけだ。

 なにがなんでも上達せずにはいられないという動機づけにも使われるあたり、ほんとに無駄がないなー。


 ……だけどお肉で本当によかった。

 これがいきなり生身の人間を練習台にやってみよかーとか言われてたら、さすがのあたしも心が折れてたかもしらん。

 本来はお肉の塊で練習しまくり、十分な技術が身についたあたりで、死刑囚などの身体で最終試験をするらしいんだけどね。なんだその微妙拷問テイスト。


 で、あたしも本来ならばそのコースを体験するはずだったらしい。

 だけどたまたま、ちょうど王宮の牢内に死刑待ちの手頃な人間がいなかったんで、そこは免除になったんだとか。

 ちゃんとした練習台が用意できず申し訳ないと、手ほどきしてくれた暗部さんはすまなそうに謝ってくれたけどさー。

 イヤイヤそのお気持ちだけで十分ですから!ムダに細かいお気遣いはホントに結構です!


 ちなみに、生きてる動物で練習をやれって言われなかった理由ってのがひどかった。

 人間なら死刑囚でも獄舎から連れ出せるし、猿ぐつわで大人しくさせることもできる。

 けれども、動物は大きい図体のせいで動かしづらい上に、縛った段階で危険を感じて悲鳴を上げて暴れるから危険なんだというのが一つ。

 実験台入手の都合で、あたしが教えてもらってたのも食肉用の家畜を運んできてシメるとこまでやるような区画に近いとこだったんだが、一応そこも王宮の一部なんである。

 王宮の中から長時間にわたって悲鳴にも似た動物の絶叫が聞こえてくるってのは、さすがに外聞が悪いってことが一つ。

 それだけでもなんだかな、な気持ちになったけどね。

 何より下手っぴが無駄に苦痛や恐怖を与え続けると、潰して肉にしたときにおいしくなくなるから、って理由には、内心でだけど思わず突っ込んだもんだ。グルメかと。


 それでも、たっぷりとっくり教えてもらったからには、手順や方法については頭蓋骨に入ったし、一度得た知識をもとにアレンジはいくらでも可能になる。

 まずは、いくら身体にやさしい自然素材でも、採取したまんま、未加工な棘じゃあんまりだってんで、事前に金属で針を顕界したもので練習をした。それもむこうの世界の知識をちらっと引っ張り出して、数本束ねたプチ剣山的な形にしてみたり、針そのものにも手を加えて、注射針の先端をイメージして、中空にしたうえ、あんまり痛覚を刺激しないとかいう形をイメージしたものにしてみたり。

 生肉にぷっすぷっす刺して感覚を掴んだところで、新しいものを顕界しておく。


 本当は、結界を針状にしたものの方がいいのはわかってる。

 万が一にでも針先が欠けて皮膚に残っただの、使ってるうちに変形してなまくらになった針先では痛みがひどいものになってしまうだのといった問題も起こらないしね。

 だけど、術式を構築する魔力で彼らの心臓爆裂陣が発動してしまったら、元も子もないのだよ。


 準備しておいたのは針だけじゃない。

 タクススさんから教えてもらった、鎮痛鎮静作用のある薬草を使うことにしたのだ。

 タクススさんてば、煎じたりする手順を教えてくれるだけじゃなく、きちんと保存された実物まで結構な量の包みで分けてくれたのよね。

 まだ新芽も伸びてないこの時季に採取しようとするのはちょっと大変だって。ありがたや。

 ただし、問題は、薬は毒にもなるということだったりする。

 

 痛み止めだの精神安定だのといった、わりと緩やかな作用のものだって、度を過ぎれば致死量というものがある。

 もちろん、毒薬師であるタクススさんに、そのへんのぬかりはない。

 同じような効果のある薬草の中でも、薬効が発揮される摂取量と致死量の差が大きい、比較的安全だというものを選んでくれたあたり、実に細やかな素人への気配りが骨身に沁みます。

 それを無にするわけにはいかん。

 だから、あたしも教えてもらった通りに痛み止めの濃度や量をちゃんと計算して作ったんですよ?

 想定外だったのは、船乗りさんたちのメンタル。


 ぜ ん ぜ ん 落 ち 着 い て く れ ま せ ん 。


 ……そういえばタクススさんも、精神に対する作用の高い薬は、相手の精神状態によって効果が強まったり弱まったりするって言ってたよね。

 つまり、あたしへの恐怖心のせいですがそうですか。どこまで寄せ豆腐メンタルですかあんたら。


 しょうがないのでグラミィに、これからどういう目的で、なにをするかって話をしてもらったりもしたなー。

 薬が効いてくるまでの時間稼ぎと、インフォームドコンセントも兼用。


〔あれそういう意味があったんですか?!〕


 まーね。

 それでも、飲んじゃった煎じ薬は、体内で成分の分解と排出がどんどん進む。刺青作業は薬効時間との勝負だ。

 消毒とか痛みの生じないことはちゃっちゃと始めてたけど、魔術陣に手を加えるのも手っ取り早くやらんとあかんのだ。

 ぞわぞわする気持ちを抑えてあたしは針束を彼らに刺した。それがどんどん大きくなったり、針の数がやたらと増えてったりしたのは、そういうわけだったりする。

 ……おかげで彼らが黄門様(尻の穴)を庇う、けったいなへっぴり腰を維持し続けてぎっくり腰になるとかいう事態は起きなかったんだけどね。

 うん、いろいろあれは疲れた。精神的に。

 

 それでも、やりきりましたよあたしは。

 特に、例の心臓爆裂を起こす転移陣だけは確実に止めなければいけないので、発動条件は絶対に起こりえんだろうこれ、というものに変えておいた。

 手っ取り早く言うと、あたしやグラミィの保有する魔力(マナ)の、一兆倍以上の魔力を感知した時にしか反応しないようにしたのだ。

 条件式を全部取り替えなくても、数値の書き換えとケタ上げは比較的簡単なので、かかる時間も短くてすむしね。

 おかげで、なみの魔術師程度の放出魔力しか持たない人間と彼らが接触しただけで、魔術陣が発動、心臓爆裂による連続死亡事件が起きるというおっそろしいことだけは、まず起こらないだろう。たぶん。

 

〔そこは言い切りましょうよー。100%ないって〕

 

 絶対ってものは、概念であって実在じゃないと思うのよ。

 だけど、まず人外相手じゃなきゃ発動しなかろうってことだけは、胸骨張って言えるぞあたしは。


〔と、骨なボニーさんに言われるこの矛盾感〕


 やかましいわい。

 

 困ったのは、あの空虚陣の方だ。

 まぶたの上とかね、こっちも怖くて触れないようなところにある人間もいたもんなあー……。

 しょうがないので、どこにそれらの陣があって、身体強化を勝手にやってくれてるみたいだけども、デメリットもあるよというのを伝えてから、それも停止するかどうするかを聞いた。

 まさか、ほとんどの人間がそのまんまでというとは思わなかったけど。太く短い人生ウェルカムでいいんかい。

 いや、いいから船乗りさんたちは選んだんだろうけど……。

 ああもう、ぐだぐだあたしが思い悩んでどうする。

 それはもう、彼ら自身の選択結果だ。


 ようやく空から夜の気配が消え、海面が巨大な鏡のように白く輝きはじめた。夜明けだ。


 ベーブラからスクトゥム帝国へは港伝いに海を行くことになる。

 アルボーを過ぎれば、そこはランシアインペトゥルスの外、ジュラニツハスタだ。

 イーレクスという港を出たら、今度はランシア地方の外に出ることになる。グラディウス地方だ。

 直近はシーディテスパタという、いくつかのこぢんまりとした島から構成されている国の領海になると聞いた。

 ツガという港を経由して、ゲラーデに入るところまでは、ほぼ真西に移動し続けることになるそうな。 

 ゲラーデからは今度は南西に舵を取る。

 グラディウスファーリーの港、カリュプスを経由してスクトゥム帝国という旅程だ。

 

 春めいてきた今の季節の風は少々扱いづらい上に、海面付近の海流に至っては、南から北に基本的に流れる。

 ……このあたりは小学生の理科レベルな知識があれば、ああ、惑星規模で大気と海水が対流してるせいなのねとなんとなく理解はできるのだが。

 船乗りさんたちに言わせると、年間を通じて安定している風を捕まえるには、開けた海洋に出ないとならんらしい。島嶼(とうしょ)の連続したグラディウス地方だの、ランシア地方やスクトゥム地方の陸地付近では、海神マリアム様が御幸(ぎょこう)なされる道筋に当たらないせいで、風が乱れるんだそうな。

 ……季節風とか海風陸風の影響かなー。

 

 つまり、風や海流まかせでは、南西にあるスクトゥム帝国にはいつまでたってもたどり着けない。らしい。

 そこで船乗りさんたちの出番ですともさ!

 風上へ向けての帆走は風と帆の角度が重要らしいが、あたしゃどこをどうやれば進むかなんて知りませんとも。

 手漕ぎ?

 30人近いの男達がかけ声をあわせて漕ぐ姿は勇壮の一語に尽きるよねー。

 あたし一人じゃあ、全部の櫂を操るなんてことは……まあできないこともないかも知れないけど。しないよそんなこと。


 ものめっさ遅いこのスピードに飽きたら、やるかもしんないけどね!


 いや、基本的には馬の全力疾走ぐらいの速さは出てるんだとは思うのよこれ。

 だけど、ウォータージェット方式に慣れちゃってるとねえ。グラミィと二人だとスリングショット方式だったりもするからねぇ。どうしても遅く感じてしまってしょうがない。

 比較対象になる最寄りの静止物体が海底ぐらいしかないもんで、概算だけど。


〔イヤイヤ、比較対象にするならせめて、視界に入る陸地との位置関係で言いましょうよ!〕


 えー。海底の方が大地としても直近なんだけどなあ。

 

 まあ、一応遅いのには理由もあるしね。

 いつもなら身軽な格好でいるはずの船内でも、あたしの配った胸当てを全員がつけている。元が石板だから、それなりに重いだろう。

 それに、いくらあたしができる限りの、タクススさん直伝の手当をしたといってもだ。

 船乗りさんたちの胸にゃ、もれなくあたしがぶすぶす刺しまくった刺青の傷がある。

 そりゃあもちろん痛いだろうし、暗部さんの話によれば、人によっては熱も出るみたいだしねー。

 身体をいたわりつつ、安全操船をお願いしたいもんである。


〔……あれ?〕


 ん?どしたグラミィ。


〔いや、アルガさんが船室から出てきたみたいで。こっち来ますよ〕


 おや。ほんとだ。

 グラミィ、通訳よろー。


〔はいはい、いつもの一つですね〕

「こりゃアルガどの。いかがなされたかの?」

「船が風を捕まえたようでしたのでね、ま、ちょいと海神マリアム様の御気色(みけしき)をうかがいに」


 薄らハゲな頭に手をやりながら、おっさんはへらりと笑った。


「というのは口実でして」


 おや?


「ちょいとお話よろしいですかねぇ、シルウェステル・ランシピウス名誉導師さま」


 へえ。ターゲットはあたしか。

 こっくりと首の骨を縦に振る。


「『かまわぬ』とおっしゃっておられる」

「そりゃありがたいこって。……それとできれば、無礼を承知で申し上げるんですが、アタシと、名誉導師さまとで、サシで、というのはいかがでございましょ」


 ふうん?


「『舌人がいたほうが、話は早い』とのことじゃが」

「イヤイヤイヤイヤ、そりゃ承知しておりますとも。ですがねぇ、ほれ、男同士の話をするには。どうにも。へえ」

 

 いや、あたしもメンタルはあくまで女性のまんまなんですが。

 そう言うわけにもいかず、あたしは無言で肩甲骨をすくめてみせた。


〔どうします、ボニーさん?うさんくさいですよ〕


 アルガがうさんくさいのは、アルボーで頭蓋骨と顔を合わせた時からのことだってば。

 だからまあ、十分癖者だってことはわかってるし、うさんくさいのにも、慣れてるっちゃ慣れてるけど、ねえ。

 こうもあたしたちの、というかあたしの懐に、とびこんできてみせるのは、初めてのことだ。

 ……案外好機かもな。逆にこっちも踏み込んでみるか。


〔んじゃロープレスなバンジーな勢いでお互いの懐に飛び込んで、腹の内を探りあうのはお若い二人でごゆっくり、ということで〕


 言い方はどうなんだそれ。


「やれやれ、この婆が邪魔かの?」

「あ、いやぁ、そういうわけじゃございませんが、ええ」

「邪魔なんじゃろ?」

「……邪魔です」


 こっちも素直か!


「若いもんに邪険にされるのはさみしいのぉ。泣き泣き船室に戻るとしよう」


 やっこらせー、と外見にふさわしい感じで立ち上がると、グラミィはとぼとぼと甲板の下に姿を消していった。


「あー……。グラミィさまのご機嫌をお直しいただけるよう、何か後で手立てを考えた方がいいですかねぇ」


 ンなこと聞くなよ。あたしゃ知らんぞ。

 あたしは再び肩甲骨をすくめてみせた。


〔あ、ボニーさーん、船酔いヤなんでこのまま心話はつなげときますからー。いろいろ聞き出しといてくださいねー。グラディウス地方のおいしいものとか〕


 ……グラミィ本人は、まぁーっっっっったくこたえてないけどな。

ようやく出航です。

ベーブラからアルボーまで移動するのも、骨っ子のようなやり方しない限り一日仕事なんですよ。たぶん。

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