舞台裏
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
スクトゥム帝国からの脱出は、ほぼ確実に達成しなければならないだろうミッションだ。だがその難易度がまだよくわからない。
というか、たぶん帝都に入らないと皇帝サマご一行や森精集団捕獲についての情報は得られないのだろうが、いきなり帝都に入ったら、今度は出るのに死ぬほど苦労するのは確定なんである。
内陸なんですよ、帝都。
アーペリオーとかいう港湾都市から陸路で移動して六日から十五日ぐらいはかかるんだそうな。
なぜそんなに日数差があるかっていうと、身軽か、それとも山ほどの荷物を荷馬車か何かで運ぶかといったところで変わってくるらしい。
そもそも帝都に入れてもらえるのかどうかって話はさておいて。
物事は最悪最低の事態を想定して動くべきだろう。その上で、不確定すぎる脱出難易度を下げる手段として、あたしは変装を提案した。
封建社会って、服装により身分差が視覚的に表現されると言われているが、じつはそうでもない。
この世界がそうだというだけなのかもしれないが、意外と服の基本形って、身分が上でも下でもあんまり差異はないんです。性差とかもね。
では、識別の決め手となるのは何かと言えば、服単品でいうなら主に素材と色合いである。
あとは何枚重ね着をするか、とか。
十二単衣が平安時代に貴族女性の正装だったというのと同じ発想かと突っ込みたくもなったりもしたが、魔術師や神官の長衣すら、シルウェステルさんの手がけた多重魔術陣のような仕掛けでもない限り、素材や色以外は襟の形といった細部の違いしかないんだもん。
いや、さすがに鎖帷子と兜といった武装は別格だけどね?
女装も検討に入れていますと伝えてもらったら、アーセノウスさんとマールティウスくんは目を覆ってたけど、王サマや王子サマはもちろんのこと、アロイスやタクススさんまで大爆笑ですよもう。
だけど女装って言ってもなー、もともとあたしのメンタルは女性のままですしおすし。シルウェステルさんのお骨が男性物なだけですよ。
「シルウェステル。そなた、恥や屈辱というものを感じぬ身になり果てたか?」
恥?屈辱?おいしいですかそれ。
「『このような身に名誉も恥もございますまい』」
レントゥスさん。あたしゃ安全安心の底上げの方が大事ですよ。
いずれにせよ、変装をするのならば原型となるものを固めておく必要があるとか。
王サマに召喚されたアロイスやタクススさんのお仲間っぽい方々によれば、初期イメージからどれだけかけ離れたものにできるかによっても、変装の出来というのは左右されるらしい。
そんなわけで、外衣の授与は、そのあたしの原型を固定化する手助けとして、王サマが出してくれた提案だった。
ただのマント一枚を、あそこまで大げさな儀式にしたてるとは思わなかったけど、確かに『シルウェステル・ランシピウス名誉導師』の外見イメージを固めるには悪くない手ではあるのだよね。大勢の人の前に出るってのは。
いろいろと外衣に付属させて、特権だとか称号だとか爵位だとかその他もろもろ、息をするように押しつけてこられるのには参ったけどなー。
そんなもん受け取りたくないあたしと王サマとのバトルは、グラミィと王サマだけでなく、オクタウスくんやマールティウスくんまでも息を切らせた状態で終了した。
ええ、重石はいらんのです。
それでもあたしにしてみれば、『王サマから物を授与されたという名誉』を受け取ったということにして、落としどころを作ったつもり、というか落としどころを作らされた感でいっぱいなんだが。
〔なんだかんだ言って、ボニーさんだってノリノリだったじゃないですかー〕
だだだって、かっこよかったんだもん!
基本的にはシルウェステルさんお手製、魔術陣仕込みまくりのフードつきローブと、覆面と仮面に達人の輪という、いつもの格好に授与された外衣を羽織っただけだったのだが、きちんと着付けてもらうとびっくりするくらい違って見えるもんだね。
やっぱりお骨な今の身体に、肉がついてたころのシルウェステルさんの体型に合わせて仕立てたっぽいローブがあってなかったみたいである。
そのあたりはローブに仕込まれた魔術陣が作動しないように、目立たない脇下などで布地を折ったりつまんだりすることで調整してもらった。
さらに、その上から装飾過多っぽいピンで外衣を止めてみる。
黒と北海色の二色で装い、ところどころに銀が配された姿をグラミィから視覚データで送ってもらったが……なかなか悪くない。
というか、例の魔術師の杖を構えてみたら、厨二心が大いにくすぐられましたとも。
むこうの世界にいるときは、コスプレイベントなんてのは対岸の出来事感覚だったあたしでも萌えるのだ。そのくらいファンタジー風味なかっこいい出来映えになっているのは、協力者である暗部のみなさんが凄腕だからなんだよね。そこは素直に賞賛しましたとも。
ちなみにこの外衣、実はこっそりグラミィとお揃いにしてもらった。丈の長さは違うし、完全に同じデザインではないのだが、色合いは同じとか。ピンの装飾も似ている、というか対になっている意匠だったりする。
アーセノウスさんがまたキーってなってたけど、これもグラミィがシルウェステルさんの密接な庇護下にいる存在、いわゆる眷属的なサムシングであることを見せるために必要なんです。
そしてなぜそんな色を外衣に選んだのか訊いてみたら、海神マリアムの色である蒼を――完全に同じ色だけを身につけるのは不敬なので、深縹と混ぜて、敢えて『似ているけど違う色』にしてあるんだそうな――身につけていることで、海神マリアムから加護を受けている存在であることを表してるんだそうな。
骨だけど死んでないから冥界神の加護がある、といわれてもねぇ……。
で、この色が今回の糾問使一行のチームカラーになるわけだ。
裏を返せばこの統一色を身につけていなければ、それだけで一行もばらけた感じに変えられるということね。分散して動けばさらに追っ手の目をごまかしやすくなるわけだ。
では、これをどう変えるかというと。
まずはあたしがラームスと話をつけて、いまのおんぶおばけ状態から、ちょっと腰骨の辺りへずりさがってくれるように頼んだ。
これで、頭蓋骨まわりに、いまいちわけのわからん襞襟もどき状態に飛び出てたラームスの葉が外から見えなくなるように収納ができる。主に骨格内に。
そこで丈夫な毛織布で作られた平民男性の服を着て、顔に塵よけの布をぐるぐる撒きにし、襟高にマントを巻きたてて帽子をかぶれば……旅人風味に見えなくもないというね。
ちなみにこれ、アルボーに行った時の服装とほぼ同じものです。
ただし、顔を隠しているというだけで十分怪しいんですよ。おまけに腰を曲げらんないから座るのにも一苦労するというね。
では、顔を隠しているのがより普通に見える格好も必要ですよねということで、次に提案されたのがいわゆる騎士のかっこです。
まずはキルティングと言えば軽くて暖かそうに聞こえるが、分厚い肉襦袢に近い鎧下――恐ろしいことにこれ、上下ともに真っ直ぐに整えて手を離すと自立しやがります。何がどんだけ詰まってんだ。てかこれだけで十分クロースアーマーぐらいの防御力はあるんじゃないか?――の上に、ハリボテというか軽量化した鎖帷子を着て、さらに鎧上衣を重ねるというもの。
兜をかぶれば頭蓋骨とラームスの葉っぱは見えなくなるわ、鎧下のおかげでこの世界にやってきてこのかたもっとも肉付きがよく見えるわというね。
これ、原型なあたしと比べると、アロイスにもぱっと見同一人物には見えないんだそうな。
ただし重たいのと、ちょっと考えついたことがあったんで鎧下には小細工をしてもらうことにした。条件付き採用です。
さらにもう一つ、あたしが例示した女装も、顔を隠しても違和感をもたれにくいという意味では、騎士姿と同じくらい有効だということで採用されました。
ただし、女性に見せるには仕草のお勉強が大事だってことと、身長をごまかす必要があるってきっぱり言われました。
仕草は暗部さんから教育係な方が来てくれるそうなので、特にベールで顔を隠しやすい、服喪中な下流貴族の奥様的な仕草――上流すぎると、どんなに近親者の喪に服してても、顔を出さないといかんらしい――を教えてもらうことにした。
身長?
上半身は背骨があるから、そうそう座高は変えられんのだけど、足なんてもんはドレスの中に突っ込むのだ。多少動きがぎこちなくてもあたしならば調整がきく。
脊椎にぶつからないよう注意をして、骨盤にむりっと大腿骨を通すってやり方でだけど。
筋肉や内臓がないこの身体でしかできないことだよねー。
〔つくづく人外ですね……〕
あんまり見んなグラミィ。そして人外とか言ってくれるでない!
人体の形を崩しまくってる自覚はあるんだから、あたしも。必要に迫られたら緊急避難でやるしかないってだけで。
この状態で、肋骨にひっかかるくらいの位置にスカート部分が来るように調整すれば。
ほーら、グラミィほどとは言わんが、かなり小柄に見せかけることができるのだ。
あくまでもスカートめくりは厳禁ですがね。
もちろんグラミィの変装準備も大切だ。
暗部さんが嬉々としてお見立てしてくれたのは、あたしみたく思い切って性別までごまかすものではなく、どっちかというと身分をごまかす方向のものになった。
まずはデフォルトな魔術師のローブっぽい黒ずくめからの変換である。
大身貴族の長老、といったおもむきのある、どっしりとした濃い灰色のドレスと、それに見合った巨大な金属板パーツを多用した装飾品を試着させられた時には震え上がってたっけ。
そこまでガタブルせんでも。
〔だってこれ重たいんですよ?!重たいだけならいいですけど、どれだけの価値があるかわかんないですもん!〕
……分かってた方がもっと落ち着かないと思うけどなぁ。
次に試着させらてたのは、高級侍女の人たちのお仕着せとかいう、あきらかに何ランクも違うものだったが、グラミィは露骨にほっとした顔になった。この根っから平民めー。
ついでに洗濯などをする下働きの人の服装も用意してもらったが、そこでようやく物言いが入るとか。
そこまで身分の低い人たちの服装だと、寒いんだそうです。生地が薄すぎて。
自分で重ね着するとか工夫しなさいよ、そんなもん。
これで服についてはかたがついたが、次の豆と塩は主にタクススさん案件だったりする。
これまで三人組の様子をアロイスに見てもらったり、コッシニアさんたちやバルドゥスが集めた人攫い一同の言動をまとめてみたりしたところ、スクトゥム帝国の皇帝サマご一行には、とても強い特徴があることがわかったのだ。
単純に言うと、彼らは欲どおしい。
いわゆる異世界モノでもよく見られることだと思うが、彼らは肉体に由来する欲をひたすら貪る傾向がある。
ま、まあ、睡眠欲だけは、なかなかないと思うけどね?
寝てばっかというのは、物語に起こしやすいようなイベントを作り上げるのに不向きだという理由があるのだろうと思うけど、眠れないあたしから見れば惰眠を貪るなんてのは羨ましいの一言に尽きる。
ひそかな個人的恨み節はさておき、残りの二つは非常にわかりやすい。
性欲の発露がいわゆるチーレムとか逆ハー系と考えれば、実にすんなり納得がいく。
ただ、ひたすら『ヤりたい』という、脳と下半身が直結したもんだけかというと、そうじゃないっぽいのがややこしいところだ。
なんというか、あー……、いわゆる『素人童貞脱出願望』に加えて、『愛されたい』『モテたい』という自己肯定感を満たすようなシチュエーション――チーレム系大多数総当たり戦に加えて、単純に『(一人でいいから)彼氏/彼女ほしい』も含む――を求める欲求も含めて考えたら、かなりこの割合はでかいんじゃなかろうか。
ちなみに、性欲、つーか愛され欲が満たされない理由は簡単である。人間ってのは、他人より自分をはるかに強く激しく愛する存在だからだ。
ストーカー?
あれは、『相手を愛している自分を愛している人間』だとあたしは解釈している。
それと矛盾するように聞こえるかもしれないが、自分の外見を100%大好きと言える人間はそうそういないだろう。いたら逆に怖い。
じゃあ嫌いな部分とはどういうものか?
むこうの世界における現代日本の美意識というのは、とっても欧米的、いやもっというと白人中心的だったもんなー。特に女性の容貌基準は。
一重まぶたや低めの鼻、大根足というのはアジア系の特徴だが、それらはかなりの部分で欠点として見なされていたと思う。
一方、この世界の人たちの顔ってのは、むこうの世界で言うところの西洋人的な濃さがあるのだ。
かなりはっきりくっきりした彫りの深めな顔立ちの人がガワにされるというのは、むこうの世界での外見に対する自己評価がシビアなくせに、この世界での自己認識が甘い星屑たちほど『美形ヒャッホーイ転生ボーナスキタアアア』になりかねん。
なにせ、自分の容貌で嫌いなところ=外見的欠点=アジアンテイストな特徴をすべてリセットした状態なんだもん。
いっそう自分スキー化した連中が、『以前の自分よりもっとイケてる自分ラブ(はぁと)、だったら以前の自分よりも愛されるのが当然、さあ者どもこぞりて来たれ、もろともに自分を褒め称えよォオオオ』ってな具合にはっちゃけたのが……悪役令嬢が逆ざまあする系のヒロイン(笑)と考えるとわかりやすいかもな。
ゲームと同じ世界に転生だか転移したと思えば、運命の糸はすべて我が手中にって神気分も味わえるわけだし。
理屈はわかるが、だからってこの世界は自分のためにあるとでも思い込むのはやめていただきたいもんである。
はた迷惑だし、何よりイタい。
もう一つの欲も、わかりやすくはあるが、ちょっと複雑だ。
一口に食欲といっても、堕ちし星たちは暴食の大罪を背負ってるわけではないんだよねー。
彼らが求めているのは『おいしいもの』だ。
ただし、これはいわゆる高級食材をふんだんに使ったゴージャス料理のことではない。
まー、むこうの中世ヨーロッパの宮廷料理の中にはどんだけ高級食材使ってても、見た目重視で味は二の次、というか極端から極端へと全振りした調味料漬けとかだったらしいし。食べられるものならまだしも、孔雀の剥製使用といった完全に見世物扱いなものとかもあったらしいからなぁ……。
それはさておきうまいものを求めて食べ歩きをする、というのもチーレムと並んで異世界モノでよくあるお約束だ。戦争の最中でもぶらっとB級グルメ旅と間違えてんじゃないかって勢いで珍味を求めて爆走するとか。
実際にはできるかそんなもん、だけどね。
戦いなんて発生したら、途端に物資が欠乏するからだ。
これどんなに流通を整えてようが、戦闘状態が発生したら、一に従軍者、二にその家族、三、四がなくて五に捕虜、ぐらいの順番で物資の集中先は変わるのだよ。当然食糧もだ。
ふらふら放浪してる戦闘の無関係者は、自分で食材を手に入れない限り、美食どころか食事すら満足にとれるわけもない。無人になった村から略奪でもする気かね?
話がそれたが、堕ちし星たちはメガ盛りよりも少量であっても美食を望む。けれどそれはむこうの世界における、彼らの日常生活視点での、という但し書きがつくものだ。
つまり、倫理的にアウトなもの、爬虫類系や昆虫のように生理的嫌悪感を生じる食材は論外と言える。
丸焼き系もどうかなー、ネズミ系の小動物を開きにして焼いたやつとか、あれ原型がはっきりわかるかんね。
逆に言えば、それらの制限にはかからないもので、なおかつ彼らが食べたことのない、ちょっと珍しい食材でおいしそうに見えるものならば、高級であろうがB級であろうが手を出さないではいられないはずだ。
そのくらい、彼らは口腹の欲には弱いとあたしは見ている。なにせグラミィですら、いまだに毎日の食事は何かを諦めたような、光の失せた目でもくもくと口に運んでいることがあるくらいなのだから。
……だったら、おいしくしたものを一度だけでも食べさせたらどうなる?
そこで、あたしはタクススさんにとある条件にあった豆を探してもらい、調理法を変えてハーブと塩を中心に味付けをしたものを作ってもらっていた。
ちなみに試作品はグラミィやアロイスだけでなく、三人組にも食べてもらっていた。
結果は上々。これはおいしいとグラミィも気に入り、保存食にもなるかもとタクススさんにもお墨付きをもらっている。
その豆はウィキア豆という。なんだか調べるといろんな情報が無料で得られるネット百科事典のような名前だが、見た目は莢も豆自体も空豆に似ていた。ただし大きさがむこうの世界で見かけたものよりちょっと小ぶりだけど、収穫量もそこそこあるので、けっこうポピュラーな食材なんだそうな。
これだけ空豆に似ている豆があるならば、いつかは豆板醤や味噌を造ることもできるかもしれない。麹や唐辛子のたぐいが手に入れば、だけど。
ちなみに、保存食を作る際に必須なのが香辛料と塩の存在だ。どちらも殺菌作用があるからね。
だが、この世界というか、この国に香辛料はほとんどない。
塩はというと、これも品薄だ。
日常的に入手できるものでないと、需要の呼び水となる供給は作れない。おまけにスクトゥム帝国は南方にある。ということは、塩は豊富に手に入るはず。そこへ塩をけちった料理を広めようとしてもムリだ。
そんなわけで、試作品どまりで終わりそうになっていたタクススさんのウィキア豆料理だったが、ここでヴィーリの樹から採集した実と塩の結晶が大いに役立った。やはり海水育ちの樹の実は相当塩を蓄積していたものらしい。
おまけにスライスを投入してしばらく煮込んだら、香辛料に似た辛みと、ちょっとした香りがつき、すっきりとした味わいになった。そうな。
本命のウィキア豆以外にも、作れそうな保存食についてタクススさんは懇切丁寧に教えてくれた。
魚類は塩漬け。単純な保存方法としてだけではなく、魚醤に近い調味料が作れる(ただし匂いが強い)とか。
……まあ、魚醤は慣れないとキツイですよねー、しょっつるとか。ナンプラーとか。
もちろん、塩漬けだけじゃない。干し魚というのも教えてもらったが、どうしても小さい魚って嫌われるんですよ。加工の手間は一匹分でも、重さや量での取引だと損するから。
というわけで、かまぼこもどきの作り方をグラミィが教える、というていで、逆にあたしからもタクススさんに伝えてみたり。
これなら小ぶりな魚であろうがなかろうが問題はないもんね。
川魚ならば王都でもそれなりに鮮度の高いものは手に入る。さばいた身から骨を取ってぶつ切りにした魚の身を、野菜でペーストを作る要領で、塩を加えてよく磨りつぶし、粘りが出たところで……ほんとは蒸すのだが、道具もなにもないので鍋に投入して煮てもらう。
そして、それを獣脂に漬け込んだ。
嘘かほんとかは知らないが、かまぼこもかつては保存食だったらしい。とはいえ、そのままだと当然腐敗しやすいので、さらに手を加える必要がある。
一つは干してカチカチになるまで乾燥させるという方法。
昔からかまぼこの名産地といわれる土地がむこうの世界にもあったわけですが、江戸時代に冷蔵庫はないんですよ。
じゃあ、名産地といわれるほど遠くにまで運ぶことができた理由は何かというと、表面を焼き固めたりしたものを干してあったからなんだとか。
そして、もう一つが、この獣脂に漬け込むという方法である。
動物の肉なぞを動物性脂肪で煮込んで固めるという保存のしかたをするものとしては、いわゆるコンフィというものがフランスにはある。液体の油に漬けるオイルサーディンなぞも含めれば、食物を空気からきっちり遮断するという理にかなった保存方法はけっこう活用地域が広いのかもしれない。
同じように、ラードにかまぼこを漬け込んで保存するという方法が沖縄にあったと聞いたこともあるしね。
亜熱帯である沖縄で、食物を空気から遮断するこの保存方法には、粘性がほどほどにあるラードはぴったりだったんだろう。材料となる豚を食べる習慣も昔からあったようだし。
あらかじめ獣脂にハーブ類を多めに投入しておいたこともあり、脂の臭みもあまり気にならなかったというのはグラミィの感想だった。
まあ、むこうの世界でもフィッシュ&チップスとかあったからねぇ……。魚の身と油脂の相性は悪くないはずで、相性のいいもの同士を組み合わせても、不味くなることはあまりないと思うのだ。
淡白な白身魚でやったら絶対うまいとのことなので、そのあたりの工夫はアルボーやベーブラの人たちにもしてもらおう。
ヴィーリの樹から塩が採れるってことは……隠しててもいつかわかることだろうから、このタイミングで公開してもかまわないだろう。
絶対に傷つけてはいかんということは徹底すべきだろうけど。たとえペルの森以外であろうとも。
もちろん、持って行くものだけ準備を進めていても意味がない。
三人組に人攫い連中も強制送還組ということで決定ですとも。
彼らを厳重に護送するために必要な指示を出す一方で、同行者についてもあたしたちは悩んでいた。
なにせ条件が難しい。すべて魔術師であるか真名の誓約をしていること、というのはまだよかった。
問題は、あたしの代わりにスクトゥム帝国と舌戦を繰り広げてくれるような外交能力の高い人間と、船の知識のある人間、そしてどんな状況になってもランシアインペトゥルス王国にまで戻ってくるだけのガッツとサバイバル能力の持ち主が欲しいというのがねー……。
それだけでも選定が難しい上に、レントゥスさんとかオクタウスくんとかマクシマムスさんとか、推薦したがる人たちが主導権争いを凍りつくようなにこやかさでやりだすとか。こんなところで政治闘争をやらかさないでくれませんかねぇ。
外務卿のテルティウス殿下はといえば、自ら同行者に名乗り出てくるし。
ちょ、待てやと言うわな、それは。
いやそりゃ外務卿ともあらば、外交関係のトップだもん、外交能力はあるしテルティウス殿下は魔術師だ。あたしの上げた条件に一部は合っていると言えなくはない。おまけに年長の王族が首をつっこめば、年若な魔術学院長も、老獪な魔術公爵サマも魔術士団長もそうそう強くは出られない。彼らを掣肘するにはぴったりな人材ではある。
けれどもあたしは丁重にお断り申し上げましたともさ。
なにせむこうの世界でいうと、あまり友好関係にあるとはいえないようなどこぞの国との折衝をするのに、大使館の人間を使おうか、という段階の前なのに、外務大臣が率先して乗り込むぞと言うようなもんだ。
だが、船旅だって正直環境としては劣悪だ。
スクトゥム帝国まで行く船が一艘だってことは確定してる。
あの人攫い一行のみなさんが乗ってきたというそこそこの大きさの船だ。甲板張ってあるし、十数人乗れないこともないが、船室なんてしゃれたもんないからね。喫水が浅いせいもあって甲板の下は船倉とほぼ同義語ですよ。
そうグラミィ経由で伝えたのに、テルティウス殿下はがんとして譲ろうとはしなかった。
……まさか、夢織草トラップにかけられてたのを自分でリベンジしたいってことですかね?
却下ですよ、却下。そんな私怨で動かれちゃたまらんわ。
そもそも命張ることほぼ確定ってこの状況で、そうそう王族が出ちゃいかんと思うの。
しかも、国の要人がほいほい出てどうする。
破れたオブラートに包みまくって伝えたところ、王サマ以下、二公爵以外の全員がじつになんともいえない表情になった。
なんですの、皆さんお揃いで。
どうぞどうぞというような譲り合いの気配の後、アーセノウスさんが咳払いをした。
「シル。お前とて要人ということを忘れてはおらんか?」
……あー……。
二公爵の前ではあんまりサクッと言えたこっちゃないが、確かにシルウェステルさんはクラーワヴェラーレの王子さまの子、ということになってましたね。
えー、でもさー。……。
グラミィが噴いた。
「……たいへん御無礼をいたしました。ですがシルウェステル師が申されるには、『わたくしは外務卿殿下のような「要人」ではございませぬ。「監視が必要な要注意人物」の間違いではありませぬか』と」
王サマが爆笑した。
「否定はできんな。いやシルウェステルにその自覚があってなによりだ」
「陛下!」
兄バカモードを発揮しようにも相手は王サマだ。怒鳴るに怒鳴れずおろおろした様子のアーセノウスさんをしばらく笑みを含んで見ていた王サマが、ややあって口を開いた。
「案ずるな、アーセノウス」
その声の響きに、はっとアーセノウスさんはこうべを垂れた。
「そなたの弟は十二分にその力量を示してくれている。ならばこの身も彼が万全に動けるようにすべきだろう。――テルティウス。レントゥス」
「「は」」
「我が名において命ずる。それぞれシルウェステルの望む者を、そなたらの名において各一名ずつ推挙せよ。その者を容れるかどうかはシルウェステルに任せるが良い」
うわ、なにその双方向プレッシャー。
外務卿殿下も魔術公爵サマも、選べるのは一人きり。しかも自分の名誉にかけてもあたしの求める人材としてもっとも適切な人間を推薦しなきゃなんないとか。
そしてあたしにその採用権をよこすとか。
ここを政治力発揮する場にすんなというのはありがたいが、これ、下手に一人採用して一人不採用とかにしたら恨まれるのはあたしじゃないですか。まったくもってこの王サマってば……。
「クウィントゥス」
「は」
「伝えよ」
「はッ」
うっすらと笑みを浮かべて王サマはあたしを凝視した。
「シルウェステル。舞台は整えてやろう。存分に踊るが良い」
ならば、答えは一つに決まっている。
あたしはうやうやしく魔術師の礼をとった。
「『陛下の御恩情に感謝いたします』」
もちろん、うまくいかせる、以外の結果は出さないつもりだけどな!
謁見の間で蒼の外衣を授与された時にも、王サマは同じ笑みを浮かべていた。
さあ、どう踊ってみせる?という意味だろうね、あれは。
ええ、踊ってやろうじゃないの、相手を問答無用でホールのど真ん中に引きずり出して。
むこうの世界の人間からは死の舞踏にしか見えないだろうどたばた騒ぎをひき起こそうじゃないか。あたしたちもろとも堕ちし星たちの、日常への帰還可能性を断ち切るために。
……どうしてこうなった、と思わなくもないけど。
おのれ諸悪の根源め、今に見てろよ!
「裏・糾問使とは」的な内容でした。




