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帰参

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 降る雪も(みぞれ)混じりに緩んだころ。あたしたちはようやく王都に帰還した。


「『シルウェステル・ランシピウス名誉導師、ただいま王命を果たし帰参いたしましたこと、御前に報告申し上げます』」


 目の下にうっすら隈のできたアーセノウスさんに熱い視線を向けられながらグラミィに口上を述べてもらい、あたしはうやうやしく魔術師の礼をとった。

 王の御前に出たからには、それなりの礼儀とか手順とか格式というものが必要だったり問題になったりする。それはもうしかたのないことだ。

 復命の内容がベーブラ港の再開発という、一辺境伯の領地内のこと――たとえそれが国内外にわたる物流インフラ的に重要な案件だったとしても、貴族間の権力バランスを崩すのは悪手なので、そう大きくは報奨の場を設けることはできないらしい――ので、召喚されたのは謁見の間ではない。

 いや、あたしもこれ以上仰々しいのは面倒くさいんでいいんですけどね。


「シルウェステル。まこと、大儀であった。委細詳らかに後ほど説明をしてもらう」

「『かしこまりまして』」

「そして、ヴィーリどの」


 王サマは沈痛な表情でヴィーリを見た。


【旧き大樹の(すえ)よ。汝が森の縁の枯れたるを鳥の運びし風に知る。悼みの言の葉を捧げん】


 ……ペルが森になったというのは、ボヌスヴェルトゥム辺境伯領から鳥で報告を上げたことだ。

 だけど、帰参の口上を述べたグラミィやあたしをいったん後回しにしてまで王サマ自ら言葉をかけるあたり、やっぱりヴィーリ……というか森精という存在は大きいのだろう。

 だが、ヴィーリは王サマの弔意にわずかに首を傾げた。


【槍の子よ。汝が風は言の葉を吹き乱す。我が梢を並べし同胞は新しき枝を空へと伸ばしている】

「…………。……では、黒髪の森精はつつがなくお過ごしでおられるのか?」


 王サマの視線が飛んできたので、あたしはまた一礼した。グラミィ、よろしく。


「『ボヌスヴェルトゥム辺境伯領へ同行を願いました、もう一人の森精につきまして、発言をお許しくださいますよう』とシルウェステル師が申しております」

「きこう」

「『森精の生に対する考え方と人間のそれとは異なるものにございます。それゆえの認識の齟齬が、陛下とそちらの星詠む旅人(森精)の間にはおありなのではないかと』」

「どのようにか」

「『かの黒髪の方は、今なおベーブラにおいでです。それは間違いございませぬ。ただ、その場からは動けなくなり、人によく似た肉体を失ったというだけ。そのようにヴィーリどのはお考えになっておられるようにございます』」

「……それを、森精は『死んだ』とは言わぬのか?」

「『ええ。森精の方々からは、このわたくしも生きているとみなしうるようにございまして』」


 嘘ではない。

 彼ら森精の感覚では魔力(マナ)を吸収し、また放出する活動は呼吸と同じらしい。呼吸をしているのならば生きている、そういうことになるというのは、魔力の体内蓄積について教えてもらった時に聞いたことだ。

 

「『言わば、かの星詠む旅人は、わたくしと同じような存在になったと申せましょう』」


 王サマとクウィントゥス殿下は揃って目を剥いた。そういうことかと呟いたのは、マクシマムさんか。

 

 そう、ペルもあたしも生身を失った。だけどペルは望んで生身を捨てた。生身が欲しい、生き返れるもんなら生き返りたいと今でも思ってるあたしとは違って、生身を取り戻したいとは考えていないようではあったが。


 ペルは確かに森になった。

 それはあたしもヴィーリともども見届けた。グラミィに、いや()ヌスヴェ()トゥム辺境()家のみなさんたちを含め、他の人間に見せるのはよくないと主張したからこそ、あたしが見届け役を引き受けないといけなかった、なんてことは、今はどうでもいいことだ。

 港湾伯家的にも、森精的にもあたしはちょうどいい妥協点だった、それだけのことだ。

 

 ペルの森とするべき木々は、やはりユーグラーンスの森から回収したヴィーリの樹杖をさらに裂いて挿し木とするだけでは足りなかった。

 そこで、最後の遠出とばかり、ボヌスヴェルトゥム(タキトゥス)辺境伯(さん)にアルボーまで移動の許可をもらって、四人で行ってきたりしたのだ。人攫い一行のバックアップが本当にいないかの確認もついでに、だったが。

 長距離だといつもの船形結界だけでは耐久性が心配だってことで、船を一艘借りた。

 とはいえ、ふつーになんか乗りませんとも。結界でコーティングしたものにジェット水流で推進力をつけ、変形した結界で舵を取るという自重なし方式だったので、超高速移動が可能なんである。

 半日かからず着いたアルボーは、あいかわらず景気よく木々に取り囲まれていたが、それをひっこらぬく気はかけらもない。必要なのは、枝だ。

 ヴィーリの樹杖の子である木々も、人間とは違う形の自我ある植物性の魔物である。彼らだって生存本能も魔力も実行力もあるんだもの、普通の人間には枝一本折らせないようにするくらい、朝飯前らしい。

 そこは、あらかじめ鳥便で連絡を入れといたら、コッシニアさんたちを連れて港へ出迎えてくれた、バルドゥスと頭蓋骨を合わせたとたん、領主館の一件で愚痴られたことでもあった。

 ……そらまあしっかり領主館を呑み込むような形で融合しちゃってる木々があるもんなぁ。だがすまん、今回の本題はあくまでもペルの森なのだ。

 

 幸いにも、ヴィーリの木々たちは、以前魔力をたっぷりと与えたあたしのことは、かなり友好的に覚えててくれたようだ。

 そのおかげで枝の採集も簡単にすんだ。あたしやヴィーリが必要としているとわかると、じつに素直に彼らは自分たちの枝を提供してくれたのだ。

 ついでにとバルドゥスのお悩みを伝えたが、もともと領主館のあった突端は海蝕洞が多いこともあり、今抱え込んでる形になってる領主館を解放しようと下手に動くと、脆い地盤ごと全部崩れて海にドボーンと落ち込むかもしれないけどいい?(意訳)との事だった。

 バルドゥスにも伝えたら頭をかかえてたけどね。

 もうこうなったら、領主館は諦めて建て直すなり、逆に融合した木々たちを壁代わりに魔改造するなりしてくれなさい。コッシニアさんや魔術士隊の四人組に相談するのもありですよ。彼らだって魔術で土木工事……というか、石畳敷くぐらいはできるんだろうし。

 

 アルボーもベーブラ同様海水の侵入が多い、河口に作られた港だ。ヴィーリの樹杖の種から発芽した木々たちは、海水の入り混じった汽水を吸い上げて育っていたので、予測していたとおり、塩分への耐性をつけていた。

 だけど、木々同士のネットワークにアクセスしたヴィーリはもっといいものを見つけた。

 以前の仕込みで、種はピノース河にたっぷりと流してあったのだが、その一部が河口の外まで流れ流れて、低湿地の海辺に打ち上がり、そこで芽を出しているという。

 その枝もたっぷりともらい、船に積んで、まるで薪船のようなありさまであたしたちはベーブラへ戻った。


 構築した導流堤の上に、海水でも生きられるようになった苗木たちを挿し、魔力を注ぎ、ヴィーリの背丈ぐらいの若木に育てるところまではあたしも手伝った。

 言い換えれば、そこまでしか関わることはできなかった。

 だから、その先のことをあたしはただ見ていた。見守ることしかできなかった。

 

 もはや樹杖の種を埋め込んだ左腕一本に留まらず、首や胴からも枝が伸びだし、衣服を身につけるのにも苦労するような姿になっていたペルが、ゆるやかな長衣一枚の姿で森へ入っていくのを。

 あたしが『これからあたしたち以外が顕界する術式以外のものが起動または顕界されかけたら』という発動条件を設定した、『他の術式または魔術陣からのみ魔力吸収を行う魔術陣』を刻んだ導流堤構造物の端にヴィーリが立つのを。

 ヴィーリが木々たちに『歌わせる』ことで、より密接なネットワークを構築し、混沌録の中にあってもペルの人格が保持しやすいように安定したアーカイブを設定する様子を。

 人払いをした港をわたっていくホーミのような倍音の中、種を成長させるため、常磐色を基調とした新芽のように直線的なペルの魔力がつぎつぎと体外に放出され、それを身体から突き出た木が、周囲の苗木たちが吸っていくさまを。

 か細い身体のどこから溢れるのかと思うほど大量に繰り出されたペルの魔力に、その樹から、若木たちから立ち上る淡金色の魔力がふわりと重なり、萌黄色へと変じた。

 その形もいつしか、新芽は新芽でも葉芽ではなく花芽のように、ふっくらとした丸みを帯びたものになり、彼とその樹を幾重にも取り巻いてゆく。

 その変化が一瞬途切れたのは、ペルが血を吐いた時だった。


 細長い導流堤の脇、海面に立ったまま、物理魔術双方に耐性のある結界を森に何重にも張り巡らしながらペルのようすを見守っていたあたしは、ラームス経由で苗木たちにも目を借りていた。

 だからこそはっきりとそれを見た。ペルの血が、ほんのひとしずく、砂の上に落ちる前にぶわりと陣に変容し、起動しようとするのを。

 警告するより早く、ペルも身構えようとした。けれど、もはやちょっとした若木に育っていた種はすでに根を生やし、ペルをその場に縫い止めていた。

 ヴィーリの緊張も飛んできたが、血で描かれた陣は効果なくべしゃりと砂に吸われた。あたしのしかけていた魔力吸収陣が起動したのだ。

 魔力を吸われ、起動できない状態の陣は、魔力を伝えやすい素材で描かれた、ただの模様に過ぎない。物理破壊が十分可能だ。


 表情をこわばらせたまま見つめていたペルがうっすらと笑み、自分の身体から生えた木を抱きしめた。

 ……まさか、そうやって苗木たち経由で、あたしに謝意を伝えてくるとは。

 最後の最後に『あ(グラーティアース)()(ティビ)()う』(アゴー)なんて、声にならない息の音で言わなくてもいい!

 ぎこちなく緩めた表情だとか抱擁してきた感触なんて、(のこ)していくなよ!

 ペルを見るのに、誰も何も重ねてはいけないと、ペルだけを見ようとしていたら、そのせいでさらに大ダメージくらった気分だった。

 ヴィーリにも「これで同胞を送ることができる。感謝する」なんて言われて、ちょっと落ち込んでたが、ペルからのダメージの方がでかすぎたよ。

 しかも、『見よ(ヴルタス)そして(アク)語れ(ルクウェレ)』とか……。


 だけどここまで関わった以上、あたしには目をそらすという選択肢はなかった。

 まさか血液そのものが陣を生じるなんて思いもよらなかったが、地に落ちた血のしずくがそれぞれ小さな陣を作る様子を見れば、これが繰り返し発動するよう編まれた術式であることはあきらかだった。

 それは、つまり、ペルの血を一滴でも残しておく訳にはいかないということを意味している。

 ペルが自身の肉体を捨てると決めた、その判断に誤りはなかったということもだ。

 ならば、ペルの身体に仕掛けられている禁術邪法の術式を解析し、それへの対抗手段を編み上げねばならない。

 それが、今、ここにいる、両足の骨を彼ら森精の事情に突っ込んだ深入りしまくりな傍観者としてのあたしの役目だ。

 

 覚悟を決めたあたしは、ラームスたちの助けも借りつつ、術式の一つ一つを微に入り細に入り観察し、混沌録に記録した。いつものように砂模型で術式の型を取らなかったのは、万が一にでも人間にこれ以上悪用されちゃいかんという気がすごくしたからだ。

 100%自爆だろうが、魔術陣の構成要素となった人攫いの星屑(デッドコピー)たちのような犠牲者を、これ以上出してはならない。

 ペルも警戒していたのだろう。あたしが記録を取り終わったとたん、血の魔術陣は新芽に覆われた爪先をえい、と動かして、意味をなさぬ黒ずんだ砂になるまで粉砕していた。


 ペルが『見ろ』、と言ったのは血の魔術陣だけじゃない。

 彼は、苦痛に揺れながら解放の喜びを――そう、ペルは自分がこの世界に害を及ぼすおそれがなくなることを、本当に、心底喜んでいた――木々とともに『歌った』。

 それにより、樹杖の種はより大きく成長し、ペルの体を引き裂いていく。

 ……あたしの疑似視覚に限ったことではないようだが、魔力知覚では、生きている状態の身体にしかけられた魔晶(マナイト)や魔術陣は感知できないものであるらしい。生身の身体の含有魔力に覆い隠されて術式が識別できないようだ、という推測はできるが。

 だからといって、いくら本人の同意がなくして仕掛けられてた魔術陣があるかもしれないとはいえ、瀉血が催吐剤や浣腸薬と並んでむこうの世界の中世ヨーロッパでは万能治療法扱いされてたとはいえ、まさかそうそう出会った皇帝サマご一行の身体をいちいち切り開いたり、血を抜いたりして術式が仕掛けられてるかどうかを調べるわけにもいかない。

 ならばどうすればいいのか。

 答え。裂かれた肉体があるなら、そこから体内をのぞきこんで見ればいい。


 あたしは、ただ、ひたすら一つのカメラになったように見続けていた。

 血に仕込まれた術式の源泉を。ペルの身体にどれだけのおぞましい魔術陣が刻まれていたかを。

 それらもペルの魔力を失えば、発動不能になるのは同じだ。

 ペルの樹が彼の肉体を裂きながら魔力を吸っているのは、術式を発動不能にするだけでなく、魔力を含有することでようやくその構成が維持されているような、物理的には脆弱な術式をすべて消滅させるという目的もあってのことだった。

 言ってみれば間違った掛け接ぎをされたニット地や織り布に穴を開け、一度糸状に解いてから湯気に当ててくせをとり、染め直してもう一度編んだり織ったりする一連の作業にも似ている。

 あたしの記録がすむたび、ペルの肉体からその樹に流れ込んでいく魔力が、森の中へとペルの自我を再構築してゆく。

 

 ――そして、ペルの魔力が一瞬大きくはじけて消えた。

 

 ラームスとの接続を切り、あたしは見た。迷い森が発動し、細い若木ばかりが並木のようにつながる導流堤の上が、まるで黒ずむほどに深い森の中であるかのように、見通すことができなくなっていくさまを。

 それは、ペルの自我が完全に肉体から森へ遷った合図だった。

 

 グラミィに伝わらぬよう、何重かに感情の奔騰を覆い隠してから、あたしは王サマに言上してもらった。


「『森精の方のご協力により、ベーブラは幾久しく大船の入る良港となりましょう』」


 しばらくグラミィとはぎくしゃくしていたが、あたしにだって触れられたくないことはある。ことペルのことに関しては一切反論しないでいたら、ヴィーリが心の底から感謝しているということも伝わったのだろう。グラミィも王都に戻る前には、なし崩しのように、また代弁者役をこなしてくれるようになっていた。

 

「では、その報告も、今訊こう」

「『御意』」


 グラミィが報告書の包みを差し出すと、アロイスがクウィントゥス殿下へと取り次いでくれた。

 じつはその報告書、あたしの書いたもんじゃありません。

 

 アルボーの時はアロイスとタクススさんが報告書を上げるのはやってくれてたが、さすがに今回はそういうわけにもいかない。

 とはいえ、あたしにゃ正式な書式の知識もないし、シルウェステルさんと同じ筆跡で書くこともできない。書式については死んでて記憶にないですとまだごまかせるだろうが、筆跡はどうだろう。

 そっちも死んでたから文字を最初から覚え直してるんです、という言い訳はまだいくぶん効果があるかもしんない。だけどアーセノウスさんやマールティウスくんのように、生前のシルウェステルさんをあたしに見ようとしている人たちはまだしも、そろそろ公文書的に後々まで残るようなものは危険だ。

 砂皿とか極小熱源を使用しての焦がし書きとかなら、書きづらい筆記用具のせいでぎこちなくなった、という言い訳も通用する。だけどペンと紙はちょっとねー。

 シルウェステルさんの骨をお借りしている以上、指の長さとかはある程度一致しているのだろう。ならば酷似した文字を書ける可能性はあるが、それだって練習が必要だ。

 

 というわけで、今回のところは、記録していたメモをグラミィのものだ、ということにして、王都に戻ってきてからアーセノウスさんにどう報告書を書けばいいのか教えてくださいとお願いしてみたのだ。

 書式を確認してくれるだけでも御の字だと思ってたんだけどねー、まさかメモを使ってきっちり報告書を仕上げてくれるとか。

 ありがたいし感謝しかないんだが、やっぱりアーセノウスさんは兄バカの部類だと思う。

 感謝を伝えたとたんに、それはもうでれっと顔が溶けてた様子を見て、グラミィまで〔やっぱりアーセノウスさんはアーセノウスさんですねー〕なんて伝えてきてたけど。


 ちなみに、王サマへの報告と言っても、もともとベーブラからタキトゥスさんによる申告というかたちでちまちまと上げてもらってたので、文書内容的にはあまりたいしたことはない。

 強いて言うならベーブラ港の端に詰まってた砂を掘り抜いて、ロブル河口側からだけじゃなく、海側から入れるようにしたくらいなことか。

 バックドアのように見えるなと思いついたので、あたしは、そちらの出入口の前にもギザギザにした石杭を乱雑に積み上げた。

 波消しブロックの要領だが、その中心部にも、やはりアルボーからヘッドハントしてきた――文字通り、これからの成長が期待できる、若い枝先部分がメインの――苗木、それも海水平気ですという外海に面したところの枝をたっぷりと植えてある。

 もとの樹も、潮の満ち引きにも負けないだろう、マングローブみたいな網状の根っこがよく発達していたので、成長を大いに期待している。

 おまけにこちらもペルの森だ。迷い森の効果こそ平常時は発揮していないが、非常時になれば港への入り口隠しは完璧だろう。バックアップとしての位置づけは念のために近いが、リソースは多ければ多いほどいいというのはシステム構築の鉄則だったろうか。

 

 このあたりのことは図面だけ見てもよくわからんとアーセノウスさんにも言われたので、工事終了後のベーブラ港模型を運びこんで説明することにした。プレゼンは視覚的に訴える力の強い具体物があると効果的だよね。

 砂模型は何度も作っているので、あたしもすっかり手慣れたもんだ。

 深さや大きさをわかりやすくするため、ということで、(あたし)……というか、白っぽい棒人形が砂を掻き集めて導流堤を作ってる様子も作り込んでみた。海中に砂が飛んでる感じを出すのに無駄に凝ってしまったが、ジオラマとか食品サンプル職人ってこんな気持ちになるのかもな。


「これほど深く掘ったのか……」


 指を当てて港の深さを測っていたクウィントゥス殿下が呟いた。

 ええ、干潮時はあたしが飛び込んでも足の骨が底に着くほどベーブラ港が浅くなってたんですよ。

 それをあたしの身長三つ分は掘ってあるというのがわかれば、さすがに驚いてくれるわな。

 がんばったのよあたし。


「森精の森になったとのことだが、その森が潮風に枯れることはないのだろうか」

「『可能性は極めて低いと申せましょう』」


 断言できるのにもわけがある。

 アルボーで育ったヴィーリの木々は、枝振りや葉っぱの感じがむこうの世界の松によく似ている。塩分に強く、水気の多い土地や、風の強い砂地でも、深く強く根を張るように成長するうちに、いわゆる収斂進化というやつを起こしたらしい。

 特に葉っぱは針というよりむしろ五寸釘だ。堅いのは耐塩性を高めるために、セルフコーティングを施したからだろうかと思っていたが、それだけじゃなかったんだよね。

 風の強く当たるところの葉っぱが白っぽくなっていたので、あたしは登らせてもらって直接確かめることにした。強風に当たると枯れるようではベーブラに連れてけないと思ったからだ。

 だけど、驚いたことに、その白っぽいものは塩の結晶だった。グラミィにも舐めてもらったから間違いない。


 いやー、まさか葉っぱから塩を排出するとはねぇ……。

 むこうの世界でもそんな性質のある木がないわけじゃなかったが、熱帯のマングローブ林にあるものだったので、まさかこんな寒い地方の針葉樹がするとは思わなかったわ。

 

 高耐塩性の秘密はそれだけじゃなかった。

 松葉っぽいものの間に丸みを帯びたものが見えれば、思わず松ぼっくりかと錯覚する。

 だけど、そこにあったのは、まるで桃か胡桃の実のようなものだった。しかもリンゴほどもある堅いやつ。

 ヴィーリも初めて見たものらしく、見つけたときにはしばらく樹に抱きついていた。どうやらそうすることで樹の精神にダイブして、それが何かを理解するらしい。よくわかんないけど。

 で、それが何かというと貯蔵庫でした。塩分の。

 

 生物は動物でなくても塩分を摂取し排出する。だがそれも高濃度であれば生死に関わる。これは植物であろうと植物性の魔物であろうと同じだ。

 ヴィーリの木々たちは、葉っぱから塩分を排出するだけじゃ水分摂取とのバランスがとれないと判断したのだろう。塩分を集めて排出するまで蓄積するタンクとして、その実を作り出したようだ。

 じっさい、一個もらって割ってみたら、水気の多いコリッとした感触の、多肉質な実だった。ヴィーリが確かめたところ毒はないというので、アレクくんがぺろっと舐めたら、一瞬で梅干しみたいな顔になってたっけ。

 しばらく唾吐いたり水飲んだりしてたけど塩味はなかなか消えてくれなかったらしい。岩塩の欠片を口に放り込んだまま出せないような感じというから、相当なものだったんだろう。

 でも、これはすごく有用だ。

 なにせ絞れば海水の数倍濃度の塩水が取れる。ボヌスヴェルトゥム辺境伯領でフリーギドゥム海に面しているとはいえ、ランシアインペトゥルス王国では海水から塩をつくることはほとんどないらしい。山岳部の一部で岩塩の鉱脈があるのか、塩水が湧くところがあると訊くがさだかではない。

 となれば、調味料兼保存が利く食材としてまずは使えるだろう。

 もう一つ、これだけたっぷりと塩分を含んだ実だ。燃やせば――むこうの世界と元素が完全に同一であるならば――炭酸ナトリウムが取れるはずだ。何に使うんですかーとグラミィにも訊かれたが、手近なところじゃ洗濯にも使えるのだよ。強アルカリ性だからね。


「シルウェステル・ランシピウス名誉導師」


 王サマの声をあたしは魔術師の礼をとって聞いた。


「ベーブラ港再鑿という難事業をよく成し遂げた。またスクトゥム帝国からの侵入者を捕らえ、未知の術式の顕界を止めたこと。森精の協力を得て森を築き、海への備えをいっそう堅くしたことを評価する。その功績に報いようと思うが、いかなる報奨が望みか」


 あたしの望みは、最初から何一つ変わっちゃいない。

 

「『恐れながら申し上げます。陛下が先に宣言なさいましたスクトゥム帝国への糾問使を送る一件、わたくしにその任をお命じ下さいますよう、重ねてお願い申し上げます』とのことにございます」


 ええ、王サマからふられた土木工事のほとんどを、あたし一人でやらかしたのも、すべてはこのためだ。

 まだ戦争は始まっちゃいない。ならば、戦にせずに事が収まるのならば収めたいというのが、あたしの私利私欲そのもの。生きてる人は皆押しメン(含む森精)。

 ペルの同根の者たちを救うためにも、戦は起こさせない。

 

「シル。お前は、死ぬ気か。今度こそ本当に死ぬぞ」


 アーセノウスさんは震え声で呼びかけてきた。

 ……心労かけてごめん。なんかないはずの心も痛いよ。

 だけど、あたしとグラミィのいのちたいせつ。そこも最初から変わっちゃいない。


「『毛頭そのような気はございませぬ』」

「……そちだけに任せるわけにはいかぬ」

「『それは陛下の御心のままに。なれどスクトゥム帝国からの侵入者が精神を入れ替えられていた一件を鑑みましても、糾問使として帝国に送る人員につきましては、対策を講じる必要があると愚考いたします』」

「ならば、シルウェステル。そちなら、一団の人員をどう揃える」

「『まずは、一団のすべてが魔術師か、もしくはすべて真名の誓約をすませたものであるべきかと』」


 このあたりのことも報告書に入れておいた。というか、中身の入れ替えに対する対抗術式はできましたかね、オクタウスくん(魔術学院長)レントゥスさん(魔術公爵サマ)


「『中でも外交において交渉上手の方がおられましたら、魔術公爵閣下に御推挙を頂きたく』」

 

 レントゥスさんが渋い顔になったのにも理由がある。

 ぶっちゃけ、魔術師って基本的に交渉下手なのだよ。

 体内に蓄積してる魔力量も多いんだろうけど、放出魔力量は通常人の数倍はある。これが威圧になるってことは以前にも確かめたことだ。

 つまり、魔術師にとっては技巧を凝らした交渉合戦なんてあんまり経験がない。あるのは魔力による威圧で強引グマイウェイか、もしくは攻撃魔術で汚物は消毒だーとばかりに破壊にかかるか。

 アルガみたく口のうまい魔術師なんてものは、じつはとっても希少価値があるしろものなんである。彼の場合は近接戦闘能力もそれなりに備えている上に、保身についての状況判断も悪くない。

 彼ぐらい有能なのを束で寄こせとは言わんが、せめて顔と頭がほどほどに良くて、性格の悪いやつはおらんのかねえ。トラップ要員に。


 あ、それともう一つ。


「『準備も必要かと存じますが、アロイスどののご同輩、ならびにタクススどののご助力をいただきたく』」


 暗部のご協力が欲しいですーと言うと、王サマは一瞬苦い顔になった。

 

「是非に及ばず、と申した。好きにいたせ。……あ、いや待て、何をしようというのか。まずこの場で包み隠さずすべてを申せ。準備の間王都におるのであれば、報告を欠くことのなきように。アーセノウス、シルウェステルに手を貸すが良い」

「御意」


 はっはっは。

 いやだなあ、王サマ。そんなに慌ててアーセノウスさんをお目付役にしなくても、あたしゃ無鉄砲なことなんてしやしませんよ。

 あたしがやるのは『運営』の追い込みだ。ペルを、自分の肉体の消滅を心から喜ぶほどにまで追い込んでくれた連中には、存分にやり返してやるのが筋というものじゃありませんか、ねぇ?

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