策謀
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
本年も拙作をよろしくお願いいたします。
イムプルススファラリカ伯の御座船に同乗させてもらい、あたしたちはロブル河を下ってボヌスヴェルトゥム辺境伯領へと戻ってきた。
こんな厚遇は、さすがのあたしも予想すらしていなかった。
だけどアールデンスさんてば、これは港湾伯への説明をいっしょに聞きたい自分の我が儘だからって言い張ってくれたのだ。おそらくあたしたちを庇ってくれてのことだろう。
ぶっちゃけ、王命を盾に動いているあたしたちが、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家の寄子陪臣のみなさんが治める領地を歩き回ってるってだけで、王権による各領主の権限の侵略とみなされかねんもんなー……。
というか、無駄に敵意の高い反応を示していた各領主のみなさんは、魔術師への反発だけじゃなくて、そういう目でも見て警戒してたんじゃなかろうか。
だけど、どういう目を向けられても、何者だって言われても、あたしゃ骨ですよとしか言いようがないんだけどね。
本気で憎悪を向けられたら、それなりに不快にもなるし疑問にも思う、ただの骨ですよ。
〔感情がある段階で『ただの』じゃありませんって〕
いやそうなんだけど。
ともあれ、あたしたちが好き勝手し放題していると取られ続けたなら、それが港湾伯への復命のための移動だとしても、一度は説得で押さえ込んだ反発心だって無駄に燻りかねない。ならばアールデンスさんのお心遣いをありがたくお受けしとくのが無難ってもんでしょうよ。
帰途、特にトラブルらしいトラブルが発生しなかったのも、おそらくこのアールデンスさんのご配慮のたまものだろう。
さすがのペリグリーヌスピカ城伯も、ボヌスヴェルトゥム辺境伯一門筆頭のイムプルススファラリカ伯爵に正面から喧嘩を売るほど無謀じゃなかったらしい。
もしくは、そこまで張るほどの意地はなかったと見るべきか。
まあそこはどっちでもいい。あたしたちだって、無駄に波風立てて時間を浪費している暇などないのだ。
領主館に着いたのが遅かったこともあり、翌日あらためて席を設けてくれるということになった。
もちろん、包み隠さずあったことあったことまるっと報告させていただきますともタキトゥスさん!
前にご紹介いただいた寄子などのみなさん?
真冬の水上や陸上の道は、そうそう何度も往復できるわけではないので、領主館に留まってたごく一部の方々と、辺境伯家のみなさんのみの参加となるそうですが、それが正解だろう。
なにせ、ただでさえ伝えることが多すぎるんですもの。
道中、ロブル河の支流の一部に手を加えるべきと判断したのでしてきました(事後報告)とか。
でもこれイムプルススファラリカ伯爵領内のことですからー。湿原へ流入する水の量を極力変えないようにするには必要なことだったんですってば。
アールデンスさんにはちゃんと事前許可を取ってから進めてますからー……言い訳ですけどなにか?
「『陛下はランシア河上流まで大船を遡上させることもお考えなのでしょう。トゥニトゥルス魔術公爵どのも、領内の治水にたいそう熱心でございました』」
付け加えたこの一言で、口元をむずむずさせてた方々も黙りましたとも。
もちろん、嘘じゃないですよ?
レントゥスさんてば、どうもあたしたちが王都を離れるぎりぎりまで工事の詳細を詰めてたみたいだし。そこまで治水工事をあたしにさせたがるってぇのは、いったいなんででしょうか意地ですかとこっちが訊きたい。
もちろん、こんな王命以外のご用命がありましたよー、というのはアールデンスさん以外の分も洗い浚い報告しますとも。
なにせことは港湾伯家の寄子陪臣なみなさんの問題だ。アールデンスさんのご依頼分の事後報告でさえ微妙な反応が返ってくるのだ、報告しないであたしがこれ以上手出しするのは拙策だろうさ。下手すりゃ自分の配下とあたし王サマの配下が直接つながるようにタキトゥスさんに見えてもおかしかないんだもん。
……だからこそ、アールデンスさんのフライング的な工事よろしくって許可は、ボヌスヴェルトゥム辺境伯の寄子筆頭であるイムプルススファラリカ伯爵として、類似の事があればまとめて泥を全部ひっかぶることも覚悟しての采配だったのかもしれない。なんて推測はうがち過ぎかな。
ともあれ、タキトゥスさんにご意見クダサイとお伺いを立てるのは大事だと思います。
で、決めといてくださいねーとお願いしといた、肝心の『海に森を作る』件は、どうなりましたか?
「我ら只人が森を作ることなどかなわぬが、星とともに旅する方々手ずから森をお作りになるのであらば是非もない。我らがボヌスヴェルトゥム辺境伯領に方々の祝福を頂戴する機会を得ましたこと、心より感謝申し上げる。またかねてよりお望みであった、『森精の森に斧入れぬこと』、『辺境伯家ある限り森を守ること』を、この地を治めるボヌスヴェルトゥム辺境伯の名において、誓約いたす」
許可オッケーってことですな。
……すっぱり決まったのはありがたいんですが、一つ疑問が。
だったら、なんだってあんなに逡巡する必要があったんでしょうか?!
「ためらっておったわけは二つ。一つはなぜ海に森を作らねばならぬのかと。星詠む旅人がお望みとあらば、いくらでも土地を用立てましたものを」
……あー。
タキトゥスさんはタキトゥスさんで、あたしたちの腹の底が見えなかったからすぐにはうなずけなかったと。
聞いてくれりゃあ答えたのにね。この件に関しては、ヴィーリやペルたちの腹は骸骨なあたしと同じくらいまっさら空っぽですよ。
理由は主に二つ。一つはとっても簡単だ。
ボヌスヴェルトゥム辺境伯の領地に森精が森を作るということは、辺境伯領の中に森精の領地の飛び地を作るようなものだろう。別にあたしもヴィーリもペルも、タキトゥスさんから所領をもらいたいわけじゃないのだよ。
それでも、相手がタキトゥスさん個人ですむことなら、まったく問題はない。タキトゥスさんだって、御当主として自身の所領を減らすデメリットと長年森精とお近づきになれるメリットを勘案しての判断なんだから。
だけど、森精の時間と人間の時間の流れは違う。森が育つのに人の数十倍もの時間がかかるのは、この世界でも同じようだ。
数世代後になって、森精――というかあたしが――なぜそんなことを申し出、なぜそれを当主であるタキトゥスさんが受け入れたか、戦が近いというこの情勢とベーブラ港の衰退状況あっての判断であることが失伝し、さらには森精の森の必要性がわからなくなった子孫が出たとき、彼らは自分の継承する領地を削られた不愉快に思わないことがあろうかというね。
それで森精との仲が険悪になるならまだ良い方で、最悪、森精を陪臣に取り込んだとでも誤解したなら、領主権の正当性を言い立てて王権奪取に動く野心を抱かないとも限らない。
もう一つの理由はもっと簡単。
「『浅くならぬ港を置くには、森を海に作る必要がございますゆえ』」
前に魔術で仕上げた領内立体地図をもとに説明をしましょうじゃないの。
調査の旅に出る前にも、ベーブラ港再鑿だけならあたしにもできると彼らには伝えた。
ええそうなんです。川へ潜り、水底の泥を掻き上げるだけなら、あたしには十分可能なんですよそれ。
というか、労力というコストをあたしなら最小限ですませることができるってだけで、実は、ピノース河流域みたく、ヴィーリの樹杖の枝や種のネットワークが張られていれば、森精の二人にも、混沌録に接続し制御しきることができるのならば、グラミィにも、できなくはないことだ。
が、ロブル河流域にヴィーリの半身によるネットワークはまだ張っていない。ようやく樹杖が芽から若木らしく育ちつつあるペルにはなおのこと、ネットワークを張れるわけがない。
もちろんこの浚渫作業、ベーブラ港をご利用のみなさんにだってできなくはないのだ。ただしそれには人海戦術で土砂を運ぶ船と、水中から泥を掻き出すための何らかの手段が必要になる。だが、その『何らかの手段』を考案するところから始めなきゃならんのよそれ。
……もろもろの状況を考え合わせれば、現時点で再鑿ができるのは呼吸不要のあたしだけということになるだけで。
逆に言えば、空気を含まない結界で川底に沈み、砂を掘って移動させることがあたしがいなくなったら再鑿は難しい、というかほとんどアウトになるんだけどね。
だったら、今後のことを考えて、なるべくベーブラ港に土砂が溜まらないような対策を取るべきだ。
あたしならそれができる。あたしだからこそ、それができる。
あたしは、立体地図のロブル河口にあわせ、海中部分に顕界した小石を塀のように並べてみせた。
むこうの世界でも、こういったやたらと長い堤のようなものが河口からつきでてるのを見たことがある。
導流堤というんだそうな。
あたしは筋金入りまくった文系だが、理系の知り合いはちょいちょいいる。なんでそんなもんを作る必要があるのかなと疑問に思って聞いてみたりもしたんだが。
一生懸命、河口では海の波のせいで~、とか、乱水流がなんちゃら~、とか説明してくれたんだけど、……さっっっぱり理解できませんでしたよごめん。
ただし、理系の人がめっちゃ噛み砕きに砕いてくれた端っこをちゃくっとまとめると、ホースと同じ原理だと思えばいいようだ。
通常の川の流れでいうなら、河口は水中につっこんだホースの端のようなものらしい。
ホースの中で一方向に整えられていた水の流れは、ホースの外へ出てしまうと壁という流れをコントロールするものを失い、大きく乱れて渦ができ、そのせいで土砂も溜まりやすくなる、そうな。
けれど堤防を伸ばすことで、河口で溜まっていた土砂はより沖合へと運ばれる。いわばホースを延長して、ぐぐっと河口を海の中へ押し込んだような状態になるわけだ。
加えて、堤防の幅をいじれば河口の幅もコントロールすることができる。
太いホースと細いホース、同じ量の水を流したならば――溢れない限りという条件はつくが――細いホースの方が、強い水流を作り出すことができる。砂は水底への堆積を許さないほど強い流れがあれば、それに乗ってより遠くまで運ばれる。
言い換えれば、適度に狭い河口の方が広い河口に比べてより砂が堆積しづらく、そのぶん水深をキープし続けることができるというわけだ。
ベーブラ港が浅くなっていることを知り、整備をする事を王サマから命令されたとき、あたしがぼんやりと考えていたのは、この導流堤をロブル河の河口に築くことだった。
じゃあ、そんな海へ突き出る導流堤をどう作り、どう維持するかって?
ペルが鍵だ。
あたしの考えた導流堤を作る手順は簡単だ。
まずは石を想定する導流堤のラインに合わせて、二列に沈める。この石はあたしやグラミィが魔術で作るのもありだが、サクスムセッラーミナ男爵家の岩礁帯からももらってくる予定だ。
あの断崖絶壁直下は、大風に流されて航路をはずれた船がたんと沈んでる場所らしい。一度難破しちゃうと、うまく岩に這い上がれても崖上まで上れるような手がかり足がかりなんてもんはない。たまたまサクスムセッラーミナ男爵領の人たちが気づいて、ロープを投げてくれてなんとか引き上げられた、なんて運の良い人以外は、やがて何度も叩きつける大波に浚われたり、強風で海に払い落とされたりして、満足な遺体すら後には残らないらしい。
……海から近づくしかないあたしも、近づきすぎたらその人骨版になりかねん。ので、ほんとに端っこの部分だけもらってくる予定だけど。
その石列の間に、ベーブラ港や川底から浚ってきた砂をどしどし詰める。ロブル河の河口には、逆扇状地みたいな砂溜まりができていたのでちょうどいい。そのまま川の流れを遮るようなど真ん中から、ちょいと川岸のカーブに沿わせるように動かせばいいんだもん。
だがそのままでは、砂や石は水の流れに散っていくだけだ。それを止めるために、石列の間の砂地に木々を植えていく。
ヴィーリの種から芽吹いた木々を。
ペルは、自分の記憶を落とし込むデータベース、アーカイブとしての森を必要としている。森を用意するのは、彼が個体としての死を迎えるための準備でもある。
その一方で、彼の森はペルの人格を半永久的に記録する。枯れた木々は新芽に取って代わられると同時にデータの再保存が行われる。崩れる堤が自己保存に悪影響をもたらすとなれば混沌録から術式を引っ張り出してでも修復する。
ならば人間立ち入り禁止にできる方がいいだろう。森を一から作るのであれば、森精に協力してもらうので危険ですというていで仕立てることもできる。その方がボヌスヴェルトゥム辺境伯の土地ではないと主張もしやすい。迷い森の効果範囲もきっちり決まるというものだ。
そもそも樹杖はヴィーリたち森精にとっての半身なのだ、その種や枝が単なる混沌録端末、アーカイブの構成要素であるわけもない。あたしでは想像もできない価値――ひょっとしたら人間の新生児なみな――をも持っている可能性もないわけではないと思う。
だけど、森精たちが現在の人間の常識については疎いように、人間たちも森精の価値観を共有はできない。
自然に落ちた枝や葉っぱぐらいなら、薪や堆肥に使うのに持って行くのは、まあ許容範囲なのかもしれないが。
ならばとそこから、なし崩しになるのが一番怖い。
落ち葉ぐらいなら、が、木の実くらい、茸くらい、材木原料の一本や二本……と歯止めなんてとめどなくなりそうでね。
だったら最初からきっぱり、入らずの森とすべきだろう。
場所も海の中のほうが、陸続きで侵入できるような森よりもまだ安全だろうということは、森精の二人も納得してくれた。
地上の星の中にはあたしやグラミィのように、森精たちが思惑含みであると知りつつも友好的であり続ける者はあまり多くはないのかもしれない。堕ちし星たちのように、森精と見ただけで敵対心むき出しにしてくる連中もいるようだし。
いったん友好的なファーストコンタクトに成功したのなら、わざわざ敵に回さなければ、いろんな対応ができただろうにねー。
…………。
なんだろう、このひっかかり。
「いかがなされたかな、シルウェステル師」
「『失礼を、少々物思いが奈辺にか飛んでおりました』」
いかんいかん、ここは政治的な場だ、ぼーっとしてたらどうつけこまれることやら。
話を戻そう。
海に森を作る理由は説明しましたよ、タキトゥスさん?
その許可を出すのをためらってたもう一つの理由はなんですかな?
「当家の後継者が定まらぬままに、森精の方々との誓約を交わすわけにはいかぬかと」
……なるほど。それはごもっとも。
あたしは、こそっとアウデーンスさんに眼窩を向けた。
もし目玉があったら、あたしもグラミィやアールデンスさんと同じような、気の毒そうな目つきになっていたことだろう。
すっかり笑みも乾いちゃって、まあ。
これでアウデーンスさんの望みは完全に潰れてしまったわけか。
家を離れ、一人海の果てまで流離いたいという、海神マリアムに惹かれる性には豪奢な足枷にしかならぬだろう。
次期ボヌスヴェルトゥム辺境伯という重責は。
タキトゥスさんのご長男、ミーティスさんの忘れ形見であるラエトゥスくんが後を継ぐ目がなくなったのは、ひとえにそのおかーさん、クピディターサさんの暴走にある。
昨日、午後にボヌスヴェルトゥム辺境伯家に戻ってきたあと、あたしたちはうちそろってタキトゥスさんにただいまと帰還の挨拶をした。
時間が遅かったこともあり、晩餐をすませた後、あてがわれていた客間で過ごしていたところに、彼女がひっそりと訪ねてきたのだ。
通常、貴族の女性が一人で客間に忍んでくることはありえない。
だが従者用の部屋を通すことなく、クピディターサさんは自分の手で客間の扉を叩いた。
たまたま扉の近くにいたのはヴィーリだった。
「夜分遅くに申し訳ございません、森精の御方。少々お話をいたしたく。お相手、願えませんか?」
ヴィーリは困ったようだった。深々と淑女の礼をする挙措と、お相手願えませんかと疑問形で言いながら、纏った香りともども足はとっくに客間へ踏み込んでいる、その強引さはあまりにもちぐはくだった。
「シルウェステルさまは……」
「彼の方は良き宿りの主と話をしている」
「まあ!ではグラミィさまもそちらに」
ヴィーリの言葉に、クピディターサさんはあからさまにほっとした表情になった。そんなにあたしがイヤか。
……イヤだろうけどな、骨だし。
メトゥスさんなんか、あたしが頭蓋骨を見せたときからいっさい近づかなくなった。同じ部屋にいてもさっと顔を背けるようになっちゃったもんね。フードも仮面も黒覆面もちゃんとつけてるってのに。
「話とは?寄生木の花よ」
「あら」
クピディターサさんは一瞬目を見張ると、昏い熱の籠もった笑みを浮かべた。
「……わたくしを花と見てくださるとは嬉しい限りですわ、森精の御方。でしたら席すらお勧めいただけないのは少々寂しゅうございます」
「寄生木が木に宿るは当然。我ら宿りを借りる身に、なにゆえ許しを?」
「……そのようにお思いでしたか。でしたらわたくしが席をお勧めしなければなりませんでしたのね。これは失礼をいたしました。どうぞ、こちらへ」
クピディターサさんはヴィーリを長椅子に誘うと、すり寄るようにその隣へ腰を下ろした。
……うわ。なんだこれ。
ここまでどうやって隠してきたんだか。結ぶべき紐という紐を全部ゆるゆるに緩めてあるから、今にも服がずり落ちそうだよ。
上から不用意に目をやったら、……なんかもういろいろ覗けそうな格好で密着してくるとか。
つまり、これって。
「くだくだしい言葉も、思わせぶりなまなざしもすべては時に翼を生やしましょう。なれど、はきとお申し上げたら星を追う漂泊の生を過ごされる御方はいかがお思いになられましょう。その惑いがわたくしの唇に指を当て言葉を留めてなりませぬ」
……確かに十分くどいし、思わせぶりだ。
「ああ、ですがどうか森精の御方。女だてらにこのような言葉を我から差し上げるなどはしたなき所業とお思いにならないでくださいまし」
「何も実にならぬうちから、その種より萌えいづる芽をどう見よと?」
「では申し上げましょう。どうか星詠む御方の御加護をこの身に、そしてわが息子ラエトゥスにいただきとうございます」
「……梢は風をいかなる音に変えよと?」
「すべてをあからさまに、この唇から、御方の耳に注げばお聞き届けくださいますか?」
無表情ながら混乱しているヴィーリの胸に、クピディターサさんはねっとりと指を這わせた。
色仕掛けをするにしても、いったいどこでそんな仕草を学んできたものやら。
「このランシアインペトゥルスを統べる王とも親しき森精の御方。御方のお言葉でしたら、今のボヌスヴェルトゥム辺境伯もお聞き届けになることにございましょう。はやはや節くれだち、ひびの入った老木よりも、これから伸びる若木こそ、森精の御方にも好ましくうつることと存じます」
甘い口調で目をぎらぎらと燃やし、クピディターサさんはとうとう毒を言葉に代えた。
「アウデーンス、メトゥスの老木を切り倒し、次のボヌスヴェルトゥム辺境伯の大木とすべきはわが息子ラエトゥス。星詠みの御方、あなたさまの口からシルウェステルさまにそうお告げくださいませ。王命によりてこの地にまでおいでになった方の耳に入ったことであれば、わが舅父、タキトゥスもそれを軽くは扱えますまい」
「それは」
それは、森精に人間の政治に介入しろということだ。
「森精の御方。あなたさまはすでにわたくしの心情を内奥まで切り開かれ、暴かれたのです。それはこの身を暴かれたも同じ、いいえ、お望みでしたらいかようにもこの身すら差し上げましょう」
さらにその身体をすりつけながら、クピディターサさんは毒をヴィーリにしたたらせた。
「それでも足らぬと仰せでしょうや。でしたら差し上げたなどとは申しますまい。あなたさまはすでにこの身をも暴かれた。そう一族に涙を雨と降らせて告げてもよろしかろうと存じております」
いつの間にか彼女の身体はヴィーリの膝の上に乗っていた。独立した生き物のようにくねるその唇を、ヴィーリは呆然と見ていた。
「……人間とは、不思議なものだ」
「星とともに歩く方々の方がわたくしには不思議に思えます。星だけでなく、わたくしにもそのまなざしをお注ぎください。熱い吐息を重ね合い、手に手を取って、ともに夜闇に一つの夢を結びましょう」
しげしげとヴィーリは彼女の顔を見ていた。何を勘違いしたのか、陶然と目をつぶった彼女にヴィーリの目は見えなかったろう。
「すべてはわたくしと御方との密か事。御方がともに歩く星々も、闇黒月にはそっと目をお閉ざしになりましょう。御方が、そしてわたくしが唇を閉ざせば誰も聞く者はおりますまい」
「いいや。全部聞いたぞ、そなたの謀は。我が耳が、そして我が子の耳が」
聞き慣れた第三者の声にはっと目を開き、クピディターサさんは愕然とタキトゥスさんを見上げていた。
その顔が蒼白になるのに、そう時間はかからなかった。
あたしたちはあてがわれた客間を応接間風に区切って使っていた。エンリクスさんがいたときからずっとアウデーンスさんがこの客間に入り浸っていたから、奥のベッドが丸見えなのはいかんだろうという配慮だ。
あと、夜中にあたしの頭蓋骨を見て、寝惚けたグラミィたちがぎゃーとか叫んだり、驚いて魔術を顕界したりしたら迷惑でしょうが。いろいろと。
そんなわけで、グラミィが従者用の個室を、ヴィーリとペルがベッドを使い、眠ることのできないあたしは、この応接間スペースで夜があけるまで、いろいろとい寝がての闇をやり過ごす、というのがボヌスヴェルトゥム辺境伯家での夜の過ごし方になっていた。
衝立の素材がタペストリーとよく似たものだったこと、灯りを燭台一つに絞っていたことが、クピディターサさんには部屋がヴィーリ以外いないと勘違いさせる要因になったのかもしれない。
だけど、ちょうどその時、クピディターサさんにとっては間が悪いことに、衝立の奥にはグラミィとあたしとペルだけでなく、タキトゥスさんとアウデーンスさんもいたんだよね。
なんのためにかって言うと、……まあ、いろいろ?
こんな感じで明日の報告の席は進めたいんですがーとかいった相談だけじゃない。
いちおうあたしも、夢織草トラップにずっぽり嵌められたタキトゥスさんのことは心配してるのですよ。ヴィーリの話によれば、夢織草の後遺症が出るとしても精神的なもののようだが、だからと言って身体にも悪影響が出ていないとは限らない。放出魔力が不安定にでもなれば、制御を学んでいない分、魔力暴発を起こしかねないってのは前にも聞いたし。
そんなわけで、一番最初に港湾伯領に来た直後から、診察めいたことはしていた。
と言っても、不眠傾向がないかどうか、食事量は増減していないか、あと幻覚なぞ見ていないかどうかといった、問診のまねごとのようなことと、森精たちから夢織草に酔っ払った際の対処法を聞いて、それをしてはどうかと提案してみたりという簡単なものだけどね。
なお、タキトゥスさんから聞き取ったデータは、王都に戻ったらタクススさんに教えてあげるつもりです。あたしじゃなんともできないんだもん。
だが、あーだこーだとやってるところへ突入してきて、いきなり身体を投げ出しにかかるとか。
あたしたちもつくづく驚いたよあの時は。あまりにも捨て身過ぎるでしょうが。突然色仕掛けされたヴィーリが困って心話であたしに助けを呼ぶわけですよ。いきなり五感を共有するような臨場感無駄に溢れる記憶が送られてきて、あたしだって困ったけどな。
確かに森精たちは美しい。年齢はよくわからないが、ヴィーリもペルもすらりとした若枝のような身体つきをしている。透明感のある表情も、どこか別の世界を覗き込んでいるような、不思議な魅力がある。
そのヴィーリの見た目の美しさに、クピディターサさんが一目惚れしてせまったってだけなら、まだよかったのだろう。
もしそうなら、タキトゥスさんもいざとなったら咳払いの一つで第三者の存在を知らせて彼女を退散させるとかして、その場をうまくおさめてくれただろう。彼にとっては跡取りの妻とはいえ、クピディターサさんも未亡人になってから十数年になる。不快に思いこそすれ、多少の不行跡には目をつぶったか、それとも二度とすんなと脅しつける材料にしただろうか。
クピディターサさんが自分たちの後ろ盾になってくれと頼みに来たのも、……まあ、森精に対する理解がなくて誤解があるなら、わからなくもないよそりゃ。
だけど、現当主の前で、その賓客に、いきなり自分の子どもに家を継がせるのに協力してくれと言うとかヤバすぎるでしょうが。
のっとりの意図ありますと、きっぱりはっきり宣言してるようなもんじゃないですか。
おまけに襲われたーって騒いだっていいんですよ?と、自分がしかけた色仕掛けをネタに、逆に脅しにかかった事については、完璧アウトと言うしかない。
「人間というのは、不思議なものだ。実と花を同時につけるなど、じつに器用だ。そうは思わぬか、ボニー?」
「『……どうか、人間すべてがその女性のような者だと思わないではくれまいか。一つの森に生えているとはいえ、大木も灌木も、そして茸もあるようなものだと。彼女は一夜茸のようなもの。朝露にしぼむかどうか、それは露に聞くべきだろう。この宿りの主が港湾伯から優柔不断伯とその名をお変えになることはあるまいよ』」
意訳:このクピディターサさんの行動については、なんら非のないヴィーリに不利の出ないようちゃんと処置してくださいね、タキトゥスさん?でないと……。
わりと手厳しく言ったから、タキトゥスさんはこっそり泣いたかもしんない。
だがそれから彼の決断は早かった。
クピディターサさんは即刻幽閉されることになった。
処刑とまでいかないのは、ラエトゥスくんの立場をこれ以上不安定にさせないためと、クピディターサさんのご実家との関係を拗らせないための措置だろう。
だけど、お母さんが幽閉されたともなれば、ラエトゥスくんに後を継がせるというのはどうしてもやりにくくなるわけですよ。
爵位継承者から外れたこと事態は、当人喜んでたみたいだけどね。ようやくよその家に騎士になる修業をしに行けるんじゃないかってね。
たぶん無理だろうけど。
ここまで拗れた以上、ラエトゥスくんを完全によそんちへやるってわけにはいかんだろうな。せいぜいがアダマスピカ副伯領みたく、ちゃんとした武術指南役を抱えているボヌスヴェルトゥム辺境伯の寄子さんちに預ける、ということになるんじゃなかろうか。
〔ボヌスヴェルトゥム辺境伯家の跡目争いなんてどうでもいいって言ってたわりに、結構深く考えますねー〕
いやー、だってさあ。これから戦になりかねないんですよ。なるべくそうはさせないようにあたしゃ動くつもりだけど。
だけど、そんな危機迫る状況で港湾伯家がゆらぐとか、困るんですよそういうの。これが平時ならともかく、どうあってもスクトゥム帝国とはやり合わねばならないだろうって時に、ランシアインペトゥルス王国全体に影響しかねない問題勃発とか。
ただでさえ、しれっと船乗りに人攫いさんが混じってたしねー。これ以上足手まといになられてたまるかっての。
〔なんだかんだ理屈はつけてますけど。アウデーンスさんが困ったことになるのは避けたいって気持ちもあるんですよね?ずいぶんと気に入ってたみたいですし?〕
……何が言いたいのさ。
〔寄子のおじさんたちに、ボニーさんが頭蓋骨を見せた理由ですよ。ロブル河とフリーギドゥム海の水運に頼ってる領地の人たちは、どうしても海神マリアムへの信仰が強くなるんじゃないんですか?そしたら、ボニーさんを海神の眷属とみなしてもおかしくはない〕
……まあ、あれでとりあえずみなさんお黙りになったからねー。それまで王命を受けた魔術師ということになってるあたしに、さらっと暴言吐いてたのにね?どうでもよかったからほっといたけど。
〔彼らの反応を見たら、ボニーさんに敵対するのは難しい、ってのは悟ると思いますよ。だからあのお花畑おばさん……げふん、クピディターサさんは、ヴィーリさんに取り入ろうとした。ボニーさんに色仕掛けは通じないと諦めたから〕
悪手だったけど、その行動理由はわからなくもないと。それで?
〔一方、メトゥスさんは最初から焦ってたと思います。辺境伯家の中でボニーさんに一番近いのはアウデーンスさんでしょう。あたしたちがボヌスヴェルトゥム辺境伯領にくるまで、メトゥスさんが自分の派閥にどれだけ寄子や陪臣のみなさんを取り込んでたかはわかりませんけど。ボニーさんのせいでアウデーンスさんの存在が強くなってしまう。だから、アウデーンスさんの上に出ようとじたばたしていた〕
それがあの御無礼フライングや、いきなりのアウデーンスさん罵倒につながったと。
ぶっちゃけあんなんじゃあ、港湾伯家のお家騒動をばらす役にしか立たないと思うけどね。外から来た相手にあんだけ険悪な間柄を披露するとか。
だからタキトゥスさんが止めに入ったんだし。
〔でも、ボニーさんが頭蓋骨を見せてから、メトゥスさんはボニーさんに取り入ろうとはしなくなった。怖くなったんでしょうね、……ボニーさんの威圧のせいで〕
あれ、バレてた?
〔当然ですよ!あたしだって、一応魔力は感知できるんですから〕
バレちゃあしょうがない。
確かにあたしは寄子陪臣のみなさんを説得するとき、こっそり威圧してた。
敵には敵に回ることにしてるとは言っても、そうそう全部の悪意を感知することは難しい。だったら敵意を弱めるよう細工をするだけのこった。
〔だから、跡継ぎ問題を加速させたってわけですか〕
意図的にしたのは、威圧したことぐらいだけどね?
そもそも、王命を受けた一行が来たってだけで、ここまで崩れる方が悪い。
彼らは自分の思惑に足を取られて自滅した。
ちょいと威圧しただけでぺっきり折れるほど弱い心だとは思わなかった。あたしたちを利用しようと考えた策は浅すぎた。
そんな脆い人たちが、この北の海の護りについていたら。いざ戦火がせまった時、どんな大惨事が起きることやら。
〔そういえば、『もし戦が起きるとしたら、アウデーンスさんのように地元密着型人気者で統率力のある人が上にいてくれた方がありがたい』とか言ってましたね〕
まーね。有能な上にあたしたちに好意的とはいかないまでも、慣れてくれてる相手ならもっとありがたいじゃない?
たとえ、次期ボヌスヴェルトゥム辺境伯の地位を心底嫌がってようがなんだろうが、アウデーンスさんはもともと自分についてくれた人たちを見捨てがたくて、港湾伯家から出ることをためらっていたのだ。
ならば、この状況そのものが、情に厚い彼に逃げ出すことを許すまい。今は。
だったらアウデーンスさんに嫌な仕事を押しつけたんだもの、余計な火種は放置しないよう、あたしだって手の骨ぐらい打とうじゃないの。
後継者争いに負けたメトゥスさんは、アールデンスさんがしばらく預かってくれることになっている。
なにせイムプルススファラリカ伯領は、ボヌスヴェルトゥム辺境伯の寄子筆頭の領地だけあって、かなり大きい。やりがいのある仕事は山とあるだろうさ。
文官としてはそれなりに有能だというメトゥスさんなら、いじましくボヌスヴェルトゥム辺境伯爵位に持ってた未練だってぼろぼろにすり切れてなくなるくらい、アールデンスさんがこき使っても大丈夫だろうよ。
〔うわぁ……、ボニーさんてばブラックー〕
報告回でした。
そしていつもとは別方向に黒い骨っ子。




