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湿原の底

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 イムプルススファラリカ伯爵領に到着して数日後、あたしたちはアールデンスさんの私室に招かれた。

 

「各領地をお回りになられていかが思われましたかな、シルウェステル師」

「『さよう、変化に富んだ風土に、さまざまな考えをお持ちの方々がおられるものだと存じました』」

「ほう?」

 

 アールデンスさんは、おもしろそうに口角を上げた。 

 ここイムプルススファラリカ伯爵領へ来るまで、あたしたちは会合で面通しをした寄子のみなさんの領地を、ロブル河を遡る一筆書きのようなルートをとり、駆け足で抜けてきた。

 イムプルススファラリカ伯爵領を一番最後にしたのは、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家寄子筆頭でもあるアールデンスさんに敬意を表するためでもある。


 道中はそりゃもういろんなことがあった。

 歓迎の宴を開きますとか言われて断ったらひどく驚かれたりとか。

 だって、接待なんていりませんよそんなもん。VIP扱いを楽しむつもりなら、港湾泊さんの領主館にずっとご厄介になってますって。

 そもそもあたしは飲み食いできませんからー。

 そうグラミィに伝えてもらったら、ようやく納得がいった顔をした人がいた。髑髏見せたのに鈍すぎるだろう。

 そうグラミィに伝えてもらっても、そんなわけがないだろう、と睨んでくる人もいた。解せぬ。

 

 あ、ペリグリーヌスピカ城伯んとこは比較的どうでもよかったんで、通らせてもらいますねーぐらいの書状を、ことわりとして出させてもらったら、黙殺されました。

 正確には、城伯のカエルレウス宛の書状を突っ返されたあげく、ノーコメントのまま使者を送り返されました。

 

 ので、黙殺し返しました。目には目を、歯には歯をのカウンターは即効性が大事だよね。

 ロブル河に網をしかけておいたのは、あたしたちがまた船を使うところまでは読んで、それなりの嫌がらせする頭と気概――というか無謀さ――はあったのねー、ぐらいには評価したげよう。

 だがそれ以外の所ではぜんぜん、まったく、ダメだ。

 対岸であるアダマスピカ副伯領にまでおそらく無断で踏み込んだのはまだいい。カシアスのおっちゃんにヴィーリの樹経由で即チクっといたから、不法侵入ってことで扱ってくれるだろうし。

 だけど、網ぐらいであたしたちが川を(さかのぼ)れなくなって泣きついてくるとでも本気で思ったのかねー。

 本気だったら、かなりアホでしょ。こっちが魔術を使えるって分かってるだろうに。

 あんまりにもばかばかしいのと、どうも近隣の漁師がロブル河で漁をする時の漁網をまきあげたんじゃないか疑惑があったので、網は破らないことにした。

 そのかわり、固定してた杭ごとすぽっと抜き取って外すと、結界球に網をまとわせたものを飛ばして、最後はアダマスピカ副伯領に放り出したった。

 この話、おつまみがわりにアールデンスさんへしたら、大笑いの後で真顔になってくれました。

 当然のことですがな。


 ボヌスヴェルトゥム()辺境()伯タキトゥスさんは、あたしたち全員に、辺境伯の名をもって、領内にいる間は協力すると言ってくれた。

 それを知っていて、あたしたちを無視するというのは、寄子のみなさんにとっては寄親、陪臣である人にとっては主君であるタキトゥスさんの意向に逆らうということなのだ。

 この場合、ペリグリーヌスピカ城伯の行動には二つの意味しかない。

 一つは、あたしたちが身分的に、行動的に、立場的に気に食わない相手だからという浅薄な理由だけで嫌がらせに出るような人間だという、短絡的な性格の暴露。

 もう一つは、寄親であり主君であるタキトゥスさんを軽視してることの表れ。

 

 つっかかってこなけりゃ、あたしたちも敵には回んないのにね?

 いや、そりゃサンディーカさんへの城伯の振る舞いはあまりにも無分別で、伝聞で知っただけの第三者であるはずのあたしたちまでイラッとさせた。顔を直接合わせたときの態度だってそりゃ褒められたもんじゃなかった。


 だけど、それはそれ、なのだ。


 あたしもまたシルウェステル・ランシピウス名誉導師という公の顔を持って行動している都合上、愛しのマイボディことシルウェステルさんが守るべきアーノセノウスさん(お兄さん)マールティウス(甥っ子)くん、そしてルーチェットピラ魔術伯爵家全体の面子を考えて行動してんのよいちおう。

 だがそれは、向こうが丁寧に出るなら、こっちもそれなりの対応をしなければならなくなるという意味でもある。

 それをむこうから放棄してくれたんだ、やれる嫌がらせはいろいろ仕込みますとも。

 最初は網で城砦ぐるぐるまきにしてやろうかとも思ったが、最終的になんの罪もない漁師さんいじめにしかならんような、みみっちいしかけで終わらせてなんかやんない。

 タキトゥスさんを軽視してるってみずから表明してくれたんですもの。実に好都合だ。

 

 このイムプルススファラリカ伯の領主館へ着いた時点で、あたしはタキトゥスさんにお手紙を送ってもらうようお願いした。

 もともとこまめに報告は送ってるんですよもちろん。治水に関する事ばっかりじゃなくて、寄子のみなさんにどんな協力を得ましたということもね。

 なにせ、今は一応王命で動いているんですあたしたち。役職名的には臨時特命大規模土木工事担当官てところですかね。説明責任があることは承知してますとも。

 書状を送ってくれたおうちが非常に協力的で助かりましたということについては丁寧に書いてあげている。些細かもしれないが、ペリグリーヌスピカ城伯の行動との対比をつけるにはいい材料だ。

 もちろん、ちゃんとがんばってくれてる寄子のみなさんのことは、きちんと評価してあげてほしいという思いもある。

 それには素早く伝えることに意味がある。と思いたい。

 だけどなー。全面協力しますって言った森精たちの、助力の対価である『海に森を作らせろ』についてもその場で決めきれなかったタキトゥスさんだからなー……。

 しょうがないから、その件についてはあたしたちの調査終了時までに決めてください、とはグラミィに言ってもらってきたけど。


〔あれって、結局だめって言われたらどうするんですか?〕


 そしたら、あたしが素直にベーブラ港を掘り返すだけのこと。そんだけ。『海に森を作る』というのは、あれ今後の備えのためなんだから。

 幸い、ペルの樹杖は順調に伸びつつある。そのおかげで生存本能を暴走させたような、猛烈な周囲からの魔力吸収と蓄積は次第に勢いを弱めている。

 このぶんだと、樹杖がペルと意思の疎通ができるほど育ったら、ペルも樹杖も魔喰ライ化するようなことにはならずにすむんじゃないかな。そしたら森を急いで作らねばならぬ要因は減ると……思いたい。懸念はゼロにはならないだろうけれども。


 もちろん、そんな物騒系ばかりをお話のネタになんてしませんとも。

 娯楽の少ないこの世界、その土地に定住している人が求める娯楽とは、その土地にはないもの、だったりする。

 たとえば、同じボヌスヴェルトゥム辺境伯家の寄子でも、ベーブラへの道筋にかかんないところはアールデンスさんも案外知らないものらしい。

 そんなわけで、あたしはアールデンスさんにこまごまと回った土地の話をしてみた。アルボーとベーブラ……というか、加えてユーグラーンスの森とに挟まれた領地の男爵家の話とか。

 

 どう見ても柱状節理ですありがとうございました、犯人が立って自白をするのに最適ですというような、その領地の海際は断崖絶壁、その下は何本も杭を打ち込んだような岩礁地帯になっていた。

 ネコルヌカペルという、角のない山羊のような動物が、荒れた波濤を見下ろして、断崖の上に広がる草原に群れなす様は、なかなか壮観だった。

 ネコルヌカペルの乳を加工したチーズ、バターといった保存食はサクスムセッラーミナ男爵領の名産品らしい。なんでも海の風に吹かれた草を食べていると、うっすら潮の香りがするものに仕上がるんだそうな。

 ほんまかいなとは思ったけどねー。食べたグラミィがほんとだというから本当のことなんだろう。

 

 おそらく、ユーグラーンスの森ができるほど三角州が中高になったのは、サクスムセッラーミナ男爵領の最北端に露出している、この岩塊があったせいなんだろう。

 そりゃあこんだけがっちりした防壁があれば砂は止まるし、水も流れを変えずにはいられない。

 おかげで肥沃な土はとどまり、ユーグラーンスの森はすくすくと育ったというわけだ。

 

 サクスムセッラーミナ男爵領も、穀物の生産量はボヌスヴェルトゥム辺境伯家の勢力圏内でもトップクラスになっただろう。水さえ十分ならば。

 だが、岩盤上に薄く土壌が乗っかったようなこの男爵領では、真水が十分手に入るのは、ユーグラーンスの森に接するわずかな地域だけなんだそうな。

 岩に水などそうそう染み入らない。蝉の声なら染み入るのかもしれないが。

 

 だいたいボヌスヴェルトゥム辺境伯領と、その寄子陪臣のみなさんの領地が広がるランシア河より下流域は、ピノース河とロブル河の流れがあるせいで、わりと水が豊富である。

 だけど、サクスムセッラーミナ男爵領は、三角州の最北端にありながら、その地盤ゆえに水不足に悩まされていた。皮肉なものだ。

 そのせいで、サクスムセッラーミナ男爵家には、その爵位に不釣り合いなほど馬がいなかった。馬は飼うのに大量の水を必要とするからだ。


 男爵としての体面も保つどころか、騎士の持つべき馬の頭数すら騎士の数より少ないほどの窮状を、魔術でどうにかなりませんか、と男爵家の御当主さんがあたしたちにふってきたのも、まあわからなくもない。

 だからあたしは選択肢を提示した。

 ひとつはこのまま、水不足でものりきれる状態を保つこと。

 もう一つは領地が海に吞まれやすくなる危険性があってもなお、水源を求めること。

 

 あたしが魔術で井戸を掘ってあげることは、たぶん、できなくはないことではある。

 男爵領は岩盤の上にある。そこに孔を開けなければ、その周辺にある水脈に手は届かない。

 それは逆に言えば、水脈の位置さえわかれば、岩盤にそこまで届く孔を開けさえすれば、念願の水を得ることができるということでもある。

 だけど、リターンにはリスクがつきものだ。規則正しい割れ目の走った岩盤に孔を開けるということは、何をどうしてもその割れ目をさらに広げることになる。下手をすれば領地を乗せたまま、石柱のように折れ砕けた岩が次々と海へ崩れ落ちる、なんてことにもなりかねない。


 さて、どうする?と悩ませておいて、もう一つ選択肢を提示したあたしのやり口は意地悪だとグラミィは言ったが、最終責任の取れないようなことはしたくないのですよあたしゃ。

 結論として、男爵は三番目の選択肢である、ロブル河から水路を一筋掘ることを選び、あたしに依頼してきた。

 そのくらいなら岩盤をどうこうするような危険を冒さずともできなくもないことなので、水路を通さねばならない領地の副伯さんとの折衝をちゃんとして、契約を固めてからまた話をよこせと言ったげた。

 報酬?内緒です。なにせあたしたちが押しつけられたのは、ロブル河の治水とベーブラ港の浚渫なんである。それ以外は勤務条件以外の労働なんですもの。高くつきまっせ。


「当領とは逆の問題が発生することもあるのですな」

「『インゲンスパルス湿原をお持ちのイムプルススファラリカ伯どのには、渇水は心配事とはなりえませぬかと』」

「そうとも言い切れぬのです。なれど、確かに氾濫の方に頭を悩ませることが多いことは否定しきれませぬが」

 

 あたしは苦笑するアールデンスさんにうなずいてみせた。領地はぐるっと見せてもらいましたから、わかってますよ、おおよそのところは。

 

 イムプルススファラリカ伯爵領についてから、到着と調査開始の挨拶をすませたあたしたちは、準備が整ったと判断したら即調査に向かった。

 土地をよく知る半漁半猟の人を案内人に借りて、特に広大な湿原を中心にね。


 イムプルススファラリカ伯爵領は、確かに水の豊かな土地だった。

 湿原にはロブル河の支流がいくつか流れ込んでいるというので、水脈のつながりを確認するため、湿原とロブル河を行ったり来たりしてみたり。

 地形と地図を一致させるのに、ペルやヴィーリにも協力してもらい、互いの樹杖との距離をn点測量で確認してみたり。

 その時、支流や湿原を深く掘り下げれば、流れの幅も変わるだろう、拓けた土地で穀物を作れば領地の生産性も上がるだろうとはあたしも思った。

 

 当たり前だが、水の流れがあればあるほど、そのぶん使える領地は削られる。

 ボヌスヴェルトゥム辺境伯領もそうだが、その寄子や陪臣のみなさんたちのところも、冬が長く夏は短く、暑さに悩むより寒さに苦しむ方が大きい土地柄である。農耕条件はあまりよろしくない。

 それでも、低湿地から『湿』の字が抜ければ農地は広がる。それに比例して家畜の数や収穫量が増えれば、不安定な漁業や狩猟に頼るよりも経済的に安定するのでは、という気持ちもわからなくはない。

 だけど、アールデンスさんに対しても、あたしはサクスムセッラーミナ男爵にしたのと同じ返事をすることしかできない。

 自然破壊をあたしがやったら、生存可能領域すら縮小しかねないのだと。

 領主としてやれることをやってから、他人に頼れと。

 唯一、イムプルススファラリカ伯爵としてのアールデンスさんへ領地発展のヒントを与えるとしたら、……それはやはり大湿原の中にあるものになるのだけれども。

 いや、領内のことだし、もう知ってることかもしれない。それでいて、まだ利用していないというのなら、その理由は――生身の人間には、手を出せない事だから、だろう。

 

 湿原を回っているうちに、生身組たちが変な臭いがする、と言い出した時にはぎょっとした。

 骨のあたしにゃ臭いはわからない。それは身の危険を感知する能力に欠けが生じているということでもある。

 急いで案内人さんに訊いてもらうと『この湿原にもたまに瘴気がたまっていることがある。その臭いだろう』とのことだった。

 それにやられると頭痛や眩暈、吐き気などが起きるとか。人によっては気絶することもあるという。


 通常、沼地のように水の多い場所で発生する悪臭は腐敗によって生じる硫化水素やアンモニア、つまり卵の腐ったようなにおいや、目鼻に刺さるようなツンとしたにおいであることが多い。

 だけど、ヴィーリに頼んで臭いの記憶を送ってもらうと、『瘴気』は、それらのいわゆる腐敗臭ではなかった。

 たとえて言うなら……う~ん、春節のチャイナタウンみたいな……。

 粘膜もないくせに、骨の身のあたしですら喉骨のあたりがいがらっぽくなるような。

 そうか、爆竹というか、あれは硫黄は硫黄でも、二酸化硫黄の臭いだ。


 それ以降、大湿原を行動するときは、野生動物たちの群れの動きに注意するよう、あたしは案内人さんにお願いした。

 動物が近づかない場所には、絶対にグラミィたち生身組も乗ってる船は寄せないようにと。

 かわりにあたしが水面を走ってって、ぽこぽこいってる気泡を水上置換で結界に集めてみたり。

 ロブル河まで出たところで、発火陣を刻んだ結界を水に沈めておいて爆発実験してみたり。

 あたし一人で動物たちの群れに接近してみたり。

 案内人さんは唖然としてたが、知るかそんなもん!


 実験はまだしも、動物たちに近づくのが怖くなかったと言えば大嘘になる。

 なにせあっちは野生動物だ。いくらあたしが心話で馬やコールナーのような魔物とも会話ができ、結界を顕界できるとはいえ、片方だけでも1m以上はある長角を持った1t近くあるボスビソーンの巨体とか、それよりもっと小柄だけど無駄にスピードのあるフェルスの牙とか、それだけで脅威だからね。

 そんな暴走トラックが群れで突進してきたら、止めきれるかっての。

 結界ごと潰されでもしたら、……もっぺん異世界転生だか憑依だかなんだかわからないもんができそうなテンプレの異世界版じゃねーか。そんなもんやらかされてたまるかい。

 結界が耐え切れたとしてもだ。この湿原の泥の中に埋め込まれでもしたら、あたし一人で抜け出せるかどうか。

 グラミィたちに助けを求める?

 そんなこたしませんとも。二次遭難を引き起こしてどうするっての。生身で野生動物がたむろってるところにつっこむのが超絶危険な行為だからこそ、あたしが単身突撃をかましてるんですから。

 いや、骨身でも危険は危険なのは十分承知してるよ?

 だけど、危険を冒してでも、どうしても確かめなければならないことがあったのだ。


 牧畜が主要産業になってた領地を回ってこなければ気づかなかったことだろう。動物がいるところには、それによって生かされる昆虫も多く存在するということを。

 真冬にもかかわらず、わずかな晴れ間を縫うように、糞に群がる蝿のような虫たち。

 そして、ネコルヌカペルや馬たちの身体にたかる、虻に似た虫たち。

 草地以外でも湿気の多い森林の中や、この大湿原のように水が豊富にあるところ、そして動物たちが集団で群れている場所というのは、昆虫、とりわけ吸血性の昆虫にとっては天国なんである。

 ピノース河脇の低湿地もそうだ。コールナーのような魔物ですらダニっぽい虫に食われていたもんなー……。


 だけど、この土地の野生動物たちには、どうやらそういった虫たちの被害が少ないように見えたのだ。

 動物たちの尻尾にはいろいろな機能がある。虫追いの道具というのもその一つだ。

 だけど、彼らの尻尾はほとんど動いていなかった。

 もしやと思って、案内人さんに以前仕留めた動物の革はないかと、グラミィに訊いてみてもらい、ボスビソーンのものを触らせてもらうことができた。

 皮膚の柔らかい関節の内側や顔のあたり――サクスムセッラーミナ男爵領で、よく家畜たちが虫にたかられてたところだ――を気をつけて、丹念に見たのだが、毛を掻き分けてみても、傷はほとんどなかった。


「ヴェナトルから『シルウェステル師に、狩り場を教えるよう命じられた』と愚痴を聞かされました」

「『イムプルススファラリカ伯にまでご迷惑をおかけしましたか。とんだ不始末を』」

「いえ。それは、何を師が見いだされ、わたくしに語ってくださるかによりましょう」


 さて。インゲンスパルス湿原にて何を見いだされましたかな、と口元は笑んだまま、アールデンスさんはフード越しにあたしの頭蓋骨を見つめた。

 顔が生身なら、あたしは軽く舌打ちしながらもたぶん笑っていただろう。

 あたしが何か見つけたってのは、断定ですかそうですか。

 まったくもって、アールデンスさんみたく勘の良い相手ってのは……悪くない。

 隙あらば交渉事の主導権を取られかねんって緊張感はあるけどな!

 

 あたしが案内人さん――ヴェナトルさんに訊いたこととは、正確には『低湿地の中でも、動物たちがしょっちゅういるような場所はないか』である。

 猟師でもある彼らにとっちゃ、狩りの獲物になりそうな野生動物たちが集まる場所、よく使う獣道なんてもんは、確かに自分の船と目で見つけた狩り場とイコールではある。いい顔なんてしてもらえないのは当然だ。

 だけど、狩りをする気はまったくないこと、これも重要な調査だということを伝えると、しぶしぶとそのうちの一つだという、湿地の中でも『動物たちがよく浸かりにくる泥場』を教えてもらうことができた。

 なんでもそこは、『臭い黒泥の湧く所』なんだとか。


 人の気配に敏感な野生動物たちを警戒させて、今後ヴェナトルさんたちの狩りの邪魔になるようなことをするのもよくなかろう、てんで、あたしはヴィーリに頼んで風下に結界と迷い森を作ってもらい、生身組にはその中にいてもらうことにした。

 ほんでもって、生身じゃ不可能なほど一時的に放出魔力(マナ)を絞ったあたしが、骨身一つで吶喊というなんちゃらの一つ覚えな戦術ですよ。

 なにせ、ヴェナトルさんの話に寄れば、その『泥場』は、いくつもの群れが使っている場所なんだとか。

 さすがにあたしも一つの群れに近づくくらいならまだしも、複数の群れの中に入り込むような真似はしたくない。

 そりゃボスビソーンは草食性だと教えてもらったけどさー。牙持ちの方は雑食性らしいし。

 喰われるような肉の持ち合わせはないけど、余計な危険は冒したくない。

 そんなわけで、あたしは群れが一つ立ち去ってったところにこそっと水面側から近づくことにした。

 お邪魔シマース。ちょっと調べたいだけなので、危害を加える気はないですし加えられる気もないですからー。


 確かに、その『泥場』はうっすらと黒ずんでいた。その表面はふつふつと沸きたっていた。『泥場』と隣接した水面はうっすらと白く気を吐き、虹色にねっとりと光を絡め取っている。

 その『黒泥』と『虹色の水』を毎度おなじみ結界球へと詰めて手元へ戻すと、あたしはさらにそれを石で顕界した小壺にそれぞれ入れ、きっちりと栓をした。

 それでも、グラミィたちの側まで戻ってみたら臭いって言われたけどね。石油臭いって。


 あたしはその小壺を取り出すと、アールデンスさんへ差し出した。


「これは?」

「『インゲンスパルス湿原でわたくしが見いだしたものにございます。こちらの水の表面が虹色に光るのは、黒泥……油によるもの。これを湿原の動物たちは己が毛皮にもちいておりました』」

「毛皮に?」

「『臭いのためか、これをつけた動物には血を吸う小虫がたからぬようにございます。また、皮膚の病、傷に効きますようで』」

「なんと!」

 

 むこうの世界でも、温泉てのはいろんなものがあった。

 中には、石油を掘るつもりで掘り当てた、なんていうものもあったと思う。実際うっすらと油が入り混じっているものもあったりして。

 そういった原油や硫黄分が含まれた温泉の効能はえてして『美肌』だったりする。

 人の体質によってあうあわないはあるものの、確かに硫黄分には殺菌効果がある。原油成分が多いものだと、油の保湿効果ってのもあるとかないとか。

 おそらく野生動物たちが『泥場』に集まったのは、原油成分が流れ込んだ水場に浸かることで、虫除けと、虫刺されから副次的に生じる皮膚炎や感染症の治療をするためなのだろう。


 そう、インゲンスパルス湿原であたしが見つけたのは油田……というにはあまりにも小規模だが、原油の獲れる場所だったのだ。

 おそらく『瘴気』とは、二酸化硫黄や天然ガスといった、揮発性の高い原油成分のことだろう。燃えるかどうか実験してみたら物の見事に爆発してくれたところを見ると、天然ガスがメインだろうか。


 さて、あたしはちゃんと調査結果を伝えたぞ。

 臭いにしかめっ面をしているアールデンスさんに、あたしは反問した。


「『それではイムプルススファラリカ伯どのは、これをいかようにお使いになりますかな?』」


 この世界に、むこうの世界にあったような石油精製技術があるわけじゃない。

 動物たちのように治療方法として使うのが一番手っ取り早く、また平和的な使い方だろう。発がん性物質も含まれるというので用法用量を確立させるまでにはかなり大変だろうけど。

 もしくは、むこうの世界の歴史にあったように、ねっとりと半固形状態に固まったアスファルトを防腐剤や接着剤にするか、原油をそのまま灯火に使うか。いいとこタールを防水のため船に塗るか。

 だけど、あたしはもう一つの使い道を知っている。兵器としてだ。


 ギリシャ火薬、なるものを東ローマ帝国は紀元前から海戦で使っていたという。古代のナパーム弾とも称されるその材料や製法の詳細は現代に至るまで不明だが、松脂などの固形油と混合した石油が使われていたという説があるのだ。

 恐ろしいことにこれ、火炎瓶みたいに何か容器に入れたものを投げつけるんじゃなくて、着火したものを相手に直接吹きつけた。らしい。なんだその火炎放射器。

 しかも粘性が高く、水をかけても火が消えないどころか、いっそう燃え広がるという厄介な代物だったらしい。


 もし、このブツを再現したとしたら。

 それは集団戦闘において大きな武器となるだろう。スクトゥム帝国との戦いが起きたなら、大きなアドバンテージを得る鍵となる。

 問題は、いくらスクトゥム帝国へ被害を出そうとも、それが『運営』に届くかは、全く別問題だということだ。

 そして問題のもう一つは、兵器としての用途を見いだしたアールデンスさんが、それをどこへ向けようとするかだ。


 小壺に栓をしたアールデンスさんは、一瞬天井を見上げて苦笑した。

 

「シルウェステル師はご存じのことかと思いますが、ジュラニツハスタの戦いでは、わたくしはアーノセノウスどのとともに戦場を駆けたものです」


 なにそれ。ぜんぜんご存じじゃありません。

 弟御のことはよく伺いました、と聞いてあたしは頭蓋骨を抑えた。

 あのシルウェステルさん大好き兄バカアーノセノウスさんが喋ることなんて限られてる。


「『……それは、(アーノセノウスさん)が大変なご面倒をおかけしたのではないでしょうか』」

「シルウェステルどの、とお呼びしても?」


 ええどうぞ、と首の骨を縦に振れば、アールデンスさんは笑った。

 

「シルウェステルどのもご自分の兄上のことをよくおわかりのようですな。仲がよろしいのですね」

 

 ははは。思わず『大変な』と強調したもんなー……。

 アーノセノウスさんてば、どんだけ兄バカっぷりを披露したんだろう。生前のシルウェステルさんも、さぞかし苦労してたんだろうなー。

 

「『ボヌスヴェルトゥム辺境伯どのと、イムプルススファラリカ伯も仲はよろしいのでは?』」

「どうかわたくしのこともアールデンスと。悪くはありませんな、確かに。ですがアクィラ()とその放ち手の仲が良いようなものですよ」


 おやん。他人のことよりそっちはどうなのよ攻撃に対するお応えとしては、意外なほど重い反応ですね。


「まれまれ、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家には、家の外へ、海神マリアムの奥津城へと心惹かれてやまぬ者が生じるのです。わたくしもその一人。それゆえ早々と父に足枷を填められましてね。ここへ婿として入れられたのですよ」


 後継者争いに積極的ではなかったから、今もボヌスヴェルトゥム辺境伯爵位への野心なんて持ってませんアピールですか……とひねた捉え方をしようにも、アーノセノウスさんの目の色はせつなすぎた。

 寄子の仲でも最有力な家への入り婿としての地位を与えられ、それでもなお海の果てに焦がれずにはおれなかったのだろう。この人は。

 

「アウデーンスもまた、わたくしの見るところ、同じ性の持ち主かと。いつ家を離れると言いだすかと、(タキトゥスさん)も心配をいたしております」


 大当たりですよ、その心配。

 いざとなったら家を出るぞ宣言、アルボーでかましてくれたもんなぁ……。アロイスともどもひきつりましたとも。


「今のこの身を振り捨てて、ここではないどこかへ行ってしまいたいという思いは激しく胸を刺すもの。ですが夢なのですよ。どれだけ焦がれようとも現実にはなり得ない」


 何かに言い聞かせるように言って、アールデンスさんはあたしの顔を見た。頭蓋骨しかないのを知っているのに。

 

 ……ああ、そうか。

 彼の中には、まだアウデーンスさんがいるのだろう。

 何かを諦め婿に入った家を継ぎ、そしてそれを足枷と呼ぶほど、自分自身が築き上げたイムプルススファラリカ伯という立場への苛立ちと未知への憧れを捨てきれないままに。

 そしてまた、彼はシルウェステルさん(あたし)の中に、もう一つの道を選んだ自分を見ているのかもしれない。

 高位貴族の家に庶子として生まれ(たことになっている)、家を飛び出し魔術学院の導師となり、ジュラニツハスタの戦いでもそれなりに力を尽くしたかと思えば、骨になっても飄々と王国の最北端にまでやってくる。

 そんな人間が、野生動物たちが自然治癒力を補うものとしての用途以外の可能性を示唆しながら差し出したものには、なにかあっても不思議ではない。

 これまで自分が築き上げてきたものを破壊されるような警戒と、すべてを振り捨てて逃げ出せるかもしれぬという魅惑を感じずにはいられない、といったところだろうか。

 そこまで隠喩を含ませた覚えはないんだけどなぁ……。


「『夢を必要としてはいけませぬかな?わたくしには今も二つほど叶えたき夢がございます』」

「拝聴しても?」

「『一つは、このような身に余るほどの大きく、されど矮小な願いにございます。生き返りたい。そう願ってやみませぬ』」


 一瞬呆気にとられた顔になったアールデンスさんは軽く吹き出した。


「いや、なんとつつましく、なんと贅沢な願いかと。失礼を」

「『いえ。……いまひとつは、戦を起こしたくはない。戦への備えを整えるために来た身では、こちらの方がもっと贅沢な望みでしょうから』」

「今、なんと?」


 アールデンスさんが唖然とするのも無理はない。でも、これは、王サマを締め上げて、スクトゥム帝国について吐かせたときから変わらぬあたしの本音でもある。


「『アールデンスどのは、ボヌスヴェルトゥム辺境伯の領主館にて起きたことをご存じでしょうか。わたくしからはあまり詳しくはお話しできませぬが、こたび、敵と見なさねばならぬ相手は、人を人とも思わぬ相手、中身を入れ替えるも生贄にするも思いのまま、敵も味方も己が益になるならば殺す、そのような輩です。守るべきもののある方々にはやりにくい相手かと存じます』」

 

 貴族や領主というのは守るべきものが多い。土地を、領民を、一族郎党を、寄親を、一門を、体面を、名誉を守らねばならない。

 だから、スクトゥム帝国の皇帝サマご一行とは絶望的なまでに相性が悪い。全身に重石をつけて対峙するようなものだ。


 土地にも人にもさほど強い愛着を持たず、己以外に重きを置かぬ堕ちし星(異世界人)たち。

 彼らがこの世界の人間に戦いを挑むとしたら、おそらくはレイド戦のように多数に見えてじつは少人数の寄せ集めで挑むか、もしくはゲリラ戦のように最初から単独もしくは少人数で襲ってくるか。

 仲間との連携に重きを置かぬ彼らが真っ先に狙ってくるものは、こちらの勢力の弱点。すなわち、この世界の人々ならば不文律として手を出さないはずの、領主たちが守るべきとみなしているものだろう。

 

「傭兵……いや、盗賊のようなものでしょうか」

「『それより悪いかと。契約による束縛など、いかなる神の名の下に誓約されたものであろうと、破約にためらわぬ者ども、領主の権威も恐れず、刑罰すら受け入れぬであろう輩ゆえ』」

  

 きっぱり言い切ってしまえるのは、あたしとグラミィが地上の星(異世界人)であるからこそ、皇帝サマご一行の思考がある程度トレースできてしまうからだ。

 この世界の権威を、スクトゥム帝国関係者は認めない。ということは、家格や身分、地位、信仰、富、それらの価値を彼らに付与し、また剥奪することで彼らの動向を操作しようとしても、ほとんど彼らには通じないということだ。金銭とか装備、美味な食事ぐらいなら欲しがるかもしれないが。

 言い換えるならば、この世界の人間に、堕ちし星たちを動かすことはまず不可能だ。自分の身や命の危険すら、彼らはのっけられたアバターの破損ぐらいにしか認識しないんじゃないかとあたしはひそかに恐れている。


 だからこそ、決着を早く付けるべきなのだ。

 かなうならば、これ以上彼ら(ガワの人)の血が流れる前に。

ちょびっと骨っ子が本音をこぼしております。

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