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闇黒月の夜

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 新しい領主館にも、武神アルマトゥーラの礼拝堂がちゃんとしつらえられていた。

 なかなか立派なものだが、カシアスのおっちゃんは微妙に不満そうです。


「豊饒の女神フェルティリターテ様もお祀りする必要がありますな」


 ……それは、サンディーカさんの安産祈願のためなのかね?

 村の広場に出れば、フェルティリターテの御堂が建ってるちゅうに。

 おっちゃんってば、ひょっとして浮かれまくってやしませんかね?


 もちろん、おっちゃんののろけを聞くために、わざわざ新館に来てるわけじゃないんですよあたし。

 グラミィも通訳についてきてくれようとはしたんだけど、ぶっちゃけ船酔いから完全に回復してない人間を連れ回したくありません。噴水の惨劇再びとかいやだわー。

 なので、サンディーカさんとお話しててちょうだいなとお願いした。身体を休めるのは当然、余裕があったらでいいので、ボヌスヴェルトゥム辺境伯領の寄子さんたちのことを聞いといてくれると嬉しいなーとね。

 その一方で、カシアスのおっちゃんとは男同士の話をしようということです。いやあたしゃ骨こそシルウェステルさんのものだからメンズだけどまだ女性のつもりだし、筆談での話になるわけですが、そこはおっちゃんがアダマスピカ副伯家の家宰さんにいろいろ言付けると、一抱えほどの樹皮が運ばれてきた。


火口(ほくち)に使うものですので、どうぞご存分に」


 なるほどね。燃やしてしまえば証拠隠滅にもなると。下手に砂皿抱えて歩き回るよりも、軽くておまけに使い捨てというのは便利だね。

 

 しっかし。

 いや~、推測はしてたけど。絡繰(からくり)屋敷もいいところだね、ここ。

 執務室の音が、遙かに離れた使用人エリアにある物置の壁から石を引き抜くと、丸聞こえになるようになってるとか。

 これ、アダマスピカ副伯の秘密を筒抜けにできるようにしといたとこに、いずれボヌスヴェルトゥム辺境伯あたりの紹介状を持った使用人が雇ってくださいとやってくる、って算段だったのかな。

 そうそう恩義のある人間の紹介状を持った者を無碍に扱うわけにもいかないからね、下手すりゃそのままなし崩しに情報収集され放題ですよ。

 ……ひょっとしたら、王サマがやらかすように仕組んだのかね?


 おいたはえーかげんにしなさい(意訳)とおっちゃんに署名つきで書いてもらった樹皮を一枚、引き抜けるように細工してあった石の後ろに押し込むと、あたしは伝声管の中にみっっっちりと石を顕界して詰め、ただの石壁に戻してやった。

 一度は警告してやる。それで引き下がるならいいが、なおもあがくようなら、……まあ、そのへんのことはカシアスのおっちゃんがちゃんとやるでしょうね。

 サンディーカさんに御子ができたとわかってから、おっちゃんてば視線の温度が全然違うんだもん。

 でも、その方が今はありがたい。

 

 なぜなら、カシアスのおっちゃんだけ当主たるサンディーカさんより先に、この館の仕掛けを全部知ってしまう状態というのは、ちょっと、いや、かなりやばいのよ。

 なにせ御領主様に対して思うところがあったら、いつなんどきでも情報抜いて、場合によっちゃあアダマスピカ副伯家を攻め滅ぼすくらいできちゃうんだもん。

 だけど、おっちゃんはサンディーカさんを絶対に裏切らないだろう。

 視線の熱だけじゃなくてね、放出魔力の一部が常にサンディーカさんの方へと流れてってるのがわかるくらい、真っ直ぐ気持ちが向いている。

 ひょっとして放出魔力もピンク色に染まってんじゃないかと思って見てみたが、さすがにそれはなかったけど。

 

 だからこそ、あたしは安心して、あたしの細工の全部をカシアスのおっちゃんに伝えることにした。

 たとえば、仕込まれてたのとは逆に、使用人エリアを一方的に監視できるよう、御領主さんの寝室の部屋を細工して、のぞき穴用の隠し部屋兼いざという時の脱出路を作成してみたり。

 罰当たりにもこの武神アルマトゥーラの礼拝堂に出てくるようになってた侵入孔は、侵入者『が』引っかかるように、ため池脇の小屋から通じてた入り口を中心に、おっちゃん謹製の罠をたっぷり仕掛け直しておくとか。

 ついでに礼拝堂への入り口をきっちり潰し、代わりに川の方へつなげておくとかね。

 あ、終点部分は瓦礫で埋まってる感じになってるので、侵入者さんが適当に引っこ抜くと、セルフ水責め状態になる予定です。


 楽しいお仕事に一区切りついたところで、カシアスのおっちゃんに、あらたまって頭を下げられた。


「骨どの。いえ、シルウェステル師には、いつも世話になってばかりですな」


 お世話したことになるのかなぁ。

 おっちゃんたちにグラミィの身体の人の屋敷から連れ出されない限り、この世界がどのようなものかはさっぱりわからなかっただろう。だからWin-Winの関係でよかったね、って感じなんだけど。


「それがしの忠誠は、永久にこのランシアインペトゥルス王国とサンディーカさまに捧げたもの。ですが、この赤心はシルウェステル師に、そしてグラミィどのにお捧げいたしましょう。どうか、何かありましたらお命じください。微力なりともお二方のために尽くす所存にございます」

 

 おお、味方度ランクアップかー。国とサンディーカさんより優先順位は低いにせよ、それなりにあたしたちを高く評価してくれてたのは、ちょっと嬉しい。

 でもねおっちゃん。何かあったら、じゃ遅いんだ。今みたいに、余人を挟まず密談ができるっていうのは最大のチャンスだろう。

 あたしは樹皮を取り出すと、発火の術式を構成した。ほんのちょびっと、線香の火ぐらいに顕界する。必要なのは樹皮を焦がして字を書くための、小さな熱源だ。だってペンもインクも持ってきてなかったんだもん、あたし。

 

『ヴィーア騎士団として受けた王命は、まだ効力を持つか?』

 

 不思議そうな顔でおっちゃんはうなずいた。

 もちろん、これはただの確認だ。

 だって、そうでもなけりゃ、カシアスのおっちゃんてばとっくに王都に引き上げてなけりゃいかんのよ。王命を遂行終了したはずの騎士団が、のうのうと他の貴族の領地にのさばりかえってるとか。まずありえないもんな。


 おっちゃんが受けてる『王命』の内容は、『アダマスピカ女副伯に協力し、領内の治安に貢献すること』だ。

 これ、『王命』が下された当初は、今は亡きルンピートゥルアンサ女副伯対策がメインだったのだよね。アダマスピカにのさばりかえっていたその一族もろとも一網打尽にするには、ボヌスヴェルトゥム辺境伯の寄子といった、他の貴族の領地にまで混乱を飛び火させるなよーって意味合いが強かったんだろうけど。

 だがもちろん、もともとペリグリーヌスピカ城伯を説得してサンディーカさんを離婚させたおっちゃんのことだ、またその上役のくえない王子サマの、そしてたぬきの親玉たる王サマのことだ。

 転生者帝国に対する備えとして意味が変わっても、おっちゃんたちの駐留を彼らが認めていることが、アダマスピカ副伯領の平穏そうな様子からも見て取れる。

 例年通りの収穫だったとしても、食糧が足らないほどには人間がものごっつい増えているのだ。輜重的な支援がなかったら、まず飢えるのよ。

 そういった困窮の様子が見えないというのはちょっとだけほっとすることでもある。おっちゃんたちに打ってもらえる手があるということを意味するからだ。


『今のうちに、ペリグリーヌスピカ城伯を洗ってみては?』


 あたしがさしだした樹皮の文言に、ゆっくりと、おっちゃんの口元に凄みのある笑みが湧いた。


 正直なところ、サンディーカさんの妊娠とカシアスのおっちゃんとの結婚を聞いたら、ほぼ100%ペリグリーヌスピカ城伯は、アダマスピカを攻撃してくるだろうとあたしは想定している。

 それが、政治的なものに留まるか、それとも暗殺を含めた軍事的な暴力にまで及ぶかまではさすがにわからんが。

 だけどね。それに対して専守防衛じゃなきゃいけないわけはないわな。

 先に手を出すのがだめでも、カウンター攻撃の準備ぐらいはいくつかしておいても困らないと思うのよ。


 ついでにいうと、城伯の弱みを握るのだけではなく、何らかの悪事の証拠を掴めば、それは税務や司法にもたずさわり、警察権をも行使し巡回法廷的な役割を果たすヴィーア騎士団の功績となり、おっちゃん個人の功績にもなるだろう。

 敵sageおっちゃんageが同時にできるのならば、こんなに手間の省けることはない。

 そういった行動でカシアスのおっちゃんが功績を積み上げ、男爵に、そしてサンディーカさんと同等の副伯ぐらいにまで成り上がることができたならば、もう身分の違いをどうこう言うようなやつもいずれはいなくなるだろう。

 単体でとことん噛ませ犬になってくれるなら、まだ顔も見たことない城伯の冥福を、ちょっとだけ祈ってやってもいいくらいだ。

 

 ただし。そこまであたしは言う気は欠片もない。


「これまで以上に、じっくりと言い逃れの叶わぬような証拠を掴み、陛下へと御報告申し上げればよいのですな?」


 あたしはゆっくりと首を振って、次の樹皮を差し出した。

 

『殲滅戦はこちらの被害も大きくなる悪手では。無駄に相手を追い込むようなことは正しきこととは言い難い。サンディーカどのを守るには正道を行くべきかと』


 おっちゃんは眉を寄せたが、あえてブレーキを踏みにかかるのにもわけがある。

 筋肉派か頭脳派かと言えば、カシアスのおっちゃんはまず間違いなく腕力に物を言わせるタイプだ。ただし脳筋ではない。ちゃんとその筋肉には頭脳がついている。

 だけど、おっちゃんが立てるべきは戦術や戦略であるべきなのだよ。陰謀ではない。

 

 サンディーカさんを守るために、長の年月じっくりねっちりペリグリーヌスピカ城伯の情報収集に明け暮れていたというおっちゃんが、正直なところ、城伯の尻尾をすでに何本も掴んでないわけがないのだ。

 横領と収賄、汚職のたぐいはほどほどであれば、貴族への敬意の証とばかりに無視をされるだけの話で。

 ただし、それが寄親ないし高位貴族もしくは王族にまで害が及んだとなれば話は違う。

 故元ルンピートゥルアンサ女副伯からボヌスヴェルトゥム(港湾)辺境伯()タキトゥスさんと、外務卿のテルティウス殿下へ送られた、例の夢織草の封蝋を施された書類は、ペリグリーヌスピカを通って王都へ送られているのだ。

 そのへんをうまくほじくり返せば、合わせ技一本ぐらいは、いくらでも気合いでひねり出せるだろう。

 

 だけど、おっちゃんに、それをやらせてはいけない。

 いくら筋肉に頭脳がついてるとはいえ、あくまでも頭脳はおっちゃんの本体じゃないのだよ。

 ぶっちゃけ、複雑怪奇な関係にある高位貴族と王族のガチ暗闘に発展しかねないこの案件に深く首を突っ込ませたら危険だ。おっちゃんがペリグリーヌスピカ城伯をぐうの音も出ないほど叩き潰すどころか、追い詰めすぎただけでも、逆に港湾伯に潰されかねんのよこの状況。

 

 寄子か陪臣かは知らんが、ペリグリーヌスピカ城伯は、あくまでも港湾伯の配下だ。

 そいつの犯罪をカシアスのおっちゃんがほじくり返したら、『王サマの手下がボヌスヴェルトゥム辺境伯の部下にアヤをつけた』ということになってしまう。

 これ、たとえ司法権をおっちゃんが持ってるといっても、港湾伯としては自分の政治領域を踏み荒らされた気分になるだろうなー。

 周囲に敵と言わず味方と言わず毒を撒き散らしていたような、故ルンピートゥルアンサ女副伯を封殺できた一件とは訳が違う。同様に封殺したければ、根回しは必須なのだよ。


『王都へ鳥を飛ばしたのと同様に、港湾伯にも書状をお送りするべきでは』


 焦がし書きの文字から黒いタール状の樹液が滴りかけるほど、じっくりと文面を見つめていたおっちゃんは、やがて暖炉へと樹皮を放り込んだ。 

 カシアスのおっちゃんの職務としては、ペリグリーヌスピカ城伯の悪事は、まずは王サマに報告するべき事案で、それ以上の情報漏洩は避けるべきなんだろう。

 だけど、あたしとしては事前に港湾伯に情報と恩を売るか、筋を通しておくべき案件だと思うのよこれ。

 

 サンディーカさんご懐妊の情報を王都に送った以上、王サマがペリグリーヌスピカ城伯の思考を読めないわけがない。

 ペリグリーヌスピカ城伯とアダマスピカ女副伯という港湾伯の寄子同士の衝突に、たぶんカシアスのおっちゃん(王の目)がつっこんでいくだろうってこともだ。

 だがこんな政治的にこんぐらかって解決に手のかかる事態になる前に、先手を取って港湾伯閣下が自ら動いてくれれば、この王サマすら介入しかねんという泥仕合展開自体が生じずにすむのだよ。

 ペリグリーヌスピカ城伯の悪事についての情報を手に入れた港湾伯が、城伯をいち早く裁けば、それは港湾伯の王族に対する姿勢を明確にするものとなる。

 同時に、港湾伯が臣従している者たちをよく管理しているアピールにもなるわけだ。

 むろん、情報の裏を取りに動くことも、どう裁くかも港湾伯の判断次第だが。

 それでも港湾伯にとって、自分の手元に入ってきた情報で、自分が判決を下した裁きなら納得がいくだろう。

 

 ただ、港湾伯に情報と恩を売るのは、おっちゃんとしてはできないだろうね。筋を通すのがギリギリの妥協点だろう。

 今の段階では。


 だけど、そこに、サンディーカさんの隣に立って恥をかかせない身分なんて餌を、おっちゃんの目の前にぶらさげでもしたら。

 いくらおっちゃんでも――いや、おっちゃんだからというべきか――、たぶん、判断を大きく狂わせることになりかねん。

 下手な野心を強めた結果、おっちゃんが足を踏み外すような真似をしたら、終わりだ。

 クウィントゥス殿下(王子サマ)の配下というおっちゃんのキャリアも、あたしたちとアダマスピカ副伯領との、わりと友好的なこの関係も。

 

 個人的にもあたしはカシアスのおっちゃんに、他人を蹴落とす陰謀を巡らすような真似はしてほしくない。たとえ『静謐(せいひつ)なる変幻』なんて厨二な二つ名がつくほどには、筋肉に脳味噌が見かけよりもたっぷりとついているとしてもだ。

 おっちゃんの成り上がりに他人を踏み台にするってのは似合わない。着実に自分の足下を固めて登っていく姿はいくらでもイメージできるんだけどね。


 おっちゃんは、例えるならばこのアダマスピカ副伯領に育った一本の針葉樹のようなものだ。厳寒や雪に痛めつけられながらも、北の薄日を受けてすこやかに育った、若木というには風格を身につけた樹だ。

 思いっきり私情籠めまくりだけど、過ごした星霜を感じさせるような、見事に育った樹木に毒を注ぎ、枯らさぬまでも歪めるような真似はしたくない。

 ……なんか森精っぽい表現だな、我ながら。意外とラームスやヴィーリからの影響は強いものらしい。

 だけどこれまで正々堂々、ひたすら騎士として身を律しキャリアを積んできたおっちゃんは、あたしが見る限り、実直な献身の人だ。

 騎士団長クウィントゥス殿下経由の王サマへの忠義、大恩ある御領主様への敬愛、そしてこれからは、サンディーカさんへの崇拝と熱情のためには、文字通り身も心も尽くし捧げるだろうと思うくらいには。

 だからこそ、おっちゃんの我欲を刺激するようなことを、あたしは言わない。欲は情を濁らせる。

 初恋を貫く純愛すらも。


 新館の魔改造――というか、半分改築だろこれ――には、思ったよりも時間がかかってしまった。

 旧館に戻ってきたらすっかり暗くなってんじゃん。おかげでグラミィは完全に復調したみたいだけど。

 

〔ええ、バッチリですよ!……たぶん〕


 たぶんかい。まあいいや。明日からは動けるようにしといてね。

 

 いくら夜目が利くとはいえ、さすがに深夜の水上移動はしたくないわーという口実で、一晩グラミィの逗留の許可をサンディーカさんにもらった。

 その直後、あたしは、いくつか用意してもらった荷物を持って、ロブル河へと足を向けた。

 

「シルウェステル師はいずこにお出かけでございましょうや」 

「『ユーグラーンスの森へ。夜明けまでには戻る』とのことですじゃ」

「いったい、何用にございますか」

「『ヴィーリが呼んでいる』そうな」

 

 難しい顔をしていたおっちゃんはしぶしぶうなずいた。

 ……そういや、ボヌスヴェルトゥム辺境伯へのお手紙を書かねばって言ってたっけ。その手のお仕事苦手そうだもんなぁ、おっちゃんてば。

 あたしでも頼るつもりだったのかな?

 だが断る。副官のエンリクスさんにでも頼んで、怒られながら仕事してくれなさい。


〔それはいいですけど、またあたし一人ですかー〕


 まーねー、正直サンディーカさんが殺されでもしたらアダマスピカは陥ちかねんのよ。

 だから、あたしたちがここにいる間だけでも、魔術的な最終防衛ライン担当をよろしくお願いしたい。新館だけでなく旧館の抜け穴や細工はサンディーカさんにも伝えたとおりだから。

 結界陣も作ろうかと思ってたんだけど、ちょっと条件式が決めきれなくてさ。


〔それは了解です。後味悪い状態になるのはあたしだってイヤですし。でも、ボニーさん。早く帰ってきてくださいよねー〕

 

 ……それは、状況が許せば、かな。


 スピカ村の中を戻ってきたとき、ヴィーリの樹があることに気づいたんで、ラームスに頼んで心話をつなげてもらったのだ。

 単純に、おひさしぶり。今グラミィとスピカ村まで来てるよー。この後ユーグラーンスの森の脇を通って、港湾伯領の方行くんだけど、いっしょに来る?(意訳)とね。

 ……だけど、どうしよう。けっこうな大問題発生中かもしんないな。

 ヴィーリがあたしに助けてくれ、なんて言うような事態が発生してたとは、思ってもみなかったよ。

 

 未だに見慣れぬ星空の下、あたしは一人ロブル河に結界を浮かべた。今日は闇黒月(アートルム)が満ちているというが、やっぱり夜空のどこにあるのかもよくわからんな。

 助けを求められても、どこまであたしがヴィーリの役にたつのやら。

 今んところ、あたしの残存魔力(マナ)は250サージぐらいだろう。ちょっと領主館の魔改造作業で景気よく使いすぎたかもしんない。港湾伯領の工事も、休み休みでないと無理かもな。

 グラミィ方式でわざわざスピードを出す気にもなれず、ぐてっと流れに任せて河を下っていくと、典型的な城砦が右手に見えてきた。

 ……ふーん、あれがペリグリーヌスピカ城か。

 関所の付属品に見えてしまうくらい、質素な感じの作りだ。こんなところにサンディーカさんてばずっと閉じ込められてたのかしらん。

 改めて見回せば人の気配が感じられる。灯りが見えないのは、窓を閉め切って防寒してるからかね。

 ふむ、じゃあ見張りがいるかもしれないな。


 あたしは河面に張った結界にぺたっと腹ばいになると、濃色のマントのフードを深くかぶって、その上にうすーく魔力を放出した。グリグんがやってた気配の隠蔽方法である。

 なんと、視界内に存在してても気づかれにくくなるという驚きの高性能なのだよこれ。放出魔力の範囲内に、なにも固体物がなければという条件がつくので、使える状況がめっちゃ限られるんだけど。

 ま、見咎められてなんか攻撃されたとしても、矢ぐらいなら、骨のあたしにゃ胴体狙われてもたいしたことにはならんだろう。でも石で頭蓋骨をやられたらさすがに困るか。

 一応結界の術式だけは構築しとこう。なんか飛んできたら瞬時に顕界できるように。

 

 左手、城砦の対岸より、ちょっと内陸に入ったところに見えてきた家々はロブル村だろうか。アダマスピカ副伯領で、唯一まだ行ったことのない村だ。

 茅葺き屋根の多かったピノース村と違い、木の皮かなにかで屋根を葺いているのが特徴といえば特徴だろうか。

 

 ロブル村を過ぎ、蛇行した川がユーグラーンスの森にさしかかった時のことだ。

 突然影が降ってきた。

 ……って、なんだ。ヴィーリか。驚かさんでくれなさい。ないはずの心臓が止まるかと思ったわー。


(星の子よ。待っていた。共に来てくれ)

 

 かなり焦った感じが心話からも伝わってくるが、ヴィーリの行動はそれよりせっかちだった。

 あたしの腕の骨こと荷物をまとめてひっつかんで背に負うと、身体強化を使って河面から岸へ結界を蹴って跳ね上がる。そのまま飛ぶように森を走っていく。

 ああああ、あぶ、あぶないってば!茂みに突っ込んだらあたしゃ引っかかってバラバラ事件に……

 て、え?

 なんだこれ。鬱蒼とした木立といわず茂みといわず、真っ直ぐ突っ込んでってるのに、一度も灌木に躓くこともなく、雪の積もった突き出た枝にもひっかからない。どころか物理法則無視で樹は地に這い、茂みはハリネズミのようにヴィーリの足下から飛び退いて道を空けていく。

 ……迷い森か!外から見るとこんなふうになってるんだ!


 ルンピートゥルアンサ副伯領からの侵攻を食い止めるため、ユーグラーンスの森を罠だらけにしようってカシアスのおっちゃんの案が結局採用されなかったのって、ヴィーリがユーグラーンスの森に入っちゃって、わざわざあたしやグラミィ経由で『自分がいるから人間の罠はいらない』と、おっちゃんたちに断言したからなんだよねー。

 カシアスのおっちゃんも、アロイスも、その副官のバルドゥスたちもヴィーリの迷い森の効果を知っている。

 だから任せた、になってたんだけどね。

 まさか、いくら領境で人の出入りが少ないからって、ここまでユーグラーンスの森の最奥に、ヴィーリが自分のテリトリーを広げてるとは思わなかったや。

 ひょっとして、アルボーまで来た時も、アダマスピカまで同行してくれた後に、またふらりとユーグラーンスの森に戻ってったり、ユーグラーンスの森の木を切るなと言ってきてたりしたのは、このテリトリーを守るためか。

 アルボー防衛が終わった後も、あたしたちにぴったりストーカー宣言してたヴィーリが戻ってこないのは変だよなあ、ラームスたちによって、ストーカー代行してるからかなあとか考えてはいたけど。

 だけど、なんでまたそんな真似を?


 疑問は、一目で氷解した。

 ヴィーリがようやく足を止めた空間は、頭上を木々がぎゅうっと密集した状態で覆っていて、まるで洞窟のようだった。さらに結界で覆われ、中空に燃料もなく燃え続ける炎が顕界されたままとあれば、かなりの暖かさが保たれているのだろう。あたしにゃわからないけど。

 その中央で、なんか見覚えのある、ってこれ森のくまさん(仮)の毛皮か――に、すっぽりとくるまれて、地面からの冷えが伝わらないよう、雪を落とした灌木の茂みの上に寝かされていた、もう一人の森精。

 そのぐったりとした様子と裏腹に、あたしを見つめる、というか睨みつける目は爛々と、警戒だけを示していた。

 あたしは緊張した。

 ヴィーリに比べて小柄で、黒髪黒瞳というちょっとむこうの世界を思わせる外見は、今はわりとどうでもいい。その瞳に浮かぶ色が、むこうの世界でよく見たものだということも。

 だって、この子は――


(ヴィーリ。聞いてもいいだろうか。森精(あなたたち)は、人間の数倍程度の魔力を身体に蓄積できるのか?)

「いや、星の子よ。我らとて限度を越えれば凶渦になりかねん。それはこの同胞も知っている」


 凶渦は、ヴィーリたち森精にとって、魔喰ライをさす言葉だ。

 あらゆる魔力を喰らい尽くし、草木すら生えぬ荒涼の地しか後には残らぬ災禍。


(ではなぜこれほどの状態になるまでそんな真似をさせた!一刻を争いかねん事態なのはわたしにすら分かるぞ!)

 

 そう、魔力の流れを見るあたしの眼窩には、黒い森精はその体躯に似合わないほどの魔力をため込み、そして今も吸収し続けている様子がはっきりと見えていた。

 ひょっとしてその黒ずんだ肌も、溜まりすぎた魔力のせいで身体機能に異常をきたしているからじゃないか?!


「そうせねば、ここまで生き延びることはできなかったという」

(なぜ?!ヴィーリ、あなたに魔術でかなう人がいるわけがないだろうに)


 術式の精密さと魔力の大きさというその双方においては、生身ではないあたしですら、ヴィーリの足下にも及ばないのだ。

 ならば。


(そちらの方とて人など及びもつかぬ魔術の使い手だろう?魔喰ライになりかねん危険を冒さねばならぬとは、いったいどういうわけだ)

「樹を奪われたからだという。堕ちし星に」


 ……なんだって?!


 ヴィーリの説明によれば、森精が魔術を顕界する際に重要なのが、彼らの半身たる樹杖なのだそうな。それこそ人間の魔術師が術式の構築を使い込んだ杖に依存するよりも、彼らは樹杖に依存している。はるかに強く、自分自身で術式を構築する能力すら失うほどに。

 フリック入力に慣れすぎてキーボードで言葉が綴れなくなるようなものだろうか。


 そこは納得できる。

 なにせ樹杖ってば混沌録端末だもん。この世界でこれまで森精たちが顕界してきた魔術のすべてがこの上なく精密に収められてるようなもの、頼るなって方が無理だろう。

 まあ、術式の構築能力なんてもんは、後天的にでも鍛えればつくんだろうけど。


 問題は、この世界の人間や森精の身体に貯められる魔力は、樹杖に比べりゃ髪の毛を含めても極小だってことだ。

 並みの魔術師じゃ及びもつかないほど魔力量の多いこのあたしですら、ヴィーリの行使する超強力な魔術を再現できない理由の一つでもあるのだよこれ。

 だけど、樹杖と森は相互に魔力を融通し合うこともできるが、それぞれでも相当な魔力を蓄積することができるから、普通なら森精にとって身体に蓄積できる魔力の少なさはネックにはならない。

 だが、『堕ちし星』がそれを奪ったという。

 ――つまり、転生者が。

 

 黒い森精さんは、やはりというか、人間たちが言うところのスクトゥム帝国のあたりに定住してた一族であるらしい。

 そして、森精にとって、地上の星――転生だか憑依だかしてる異世界人ですな――は監視対象であると同時に、保護対象でもあるそうな。

 そりゃそうだわな。この世界にやってきたのは当人の意思によるものではないとはいえ、この世界の常識を知らず、何をしでかすかわからん存在なんてもん、森精から見りゃほっておけないでしょうよ。

 王都で教えてもらった神話が真実の歴史を含んだものであるならば、彼らは星を詠み、この世界と民人を森から見守る、世界の管理者を自認しているはずだから。

 地上の星と共に歩き、時に彼らの成長を手助けする一方、星々(異世界人)がこの世界に悪影響を及ぼすことを防ぐための処置を施す、という役割も彼ら森精は担っているそうな。

 ……ヴィーリがあたしとグラミィにストーカー宣言したのも、そのせいか。

 王子サマや王サマみたく、自分の権力構造に組み込もうとするって方向での行動調整じゃなかったから、気づきにくかったけど。


 だが、黒い森精さんは、その仲間たちは、スクトゥム地方にやたらと増え続ける地上の星たちに対応しきれなくなっていたそうな。

 本来であれば、星に森精は一対一でつくべきらしいが――あたしとグラミィはなぜか『対極の星』として認知されているので、ひとまとめにしてヴィーリ一人が対応するという特例らしい。ラームスたちを預けられたのは、そういう理由もあってのことなのかね――、彼らは一人で何十人も対応しなきゃならん状態にあったようだ。

 やっぱりそんだけ多いのか、皇帝サマご一行は。


 黒い森精さんたちは、知らず知らずのうちに分断されていた。

 が、森精同士は樹杖経由でつながっているという安心感が、彼らの警戒を薄いものにした。

 あたしもやってる放出魔力から相手の感情を見るという方法で、皇帝サマご一行に対する自分たちの印象を常時モニタリングしてたこともあったようだ。


 多少の警戒はあるが、強く感じられるのは興味と好奇心、そして知識欲。お近づきになりたいという欲も把握はしていたが、ほとんど悪意は感じられなかった。そのはずだった。

 しかし、気づいた時には森精さんたちは彼ら転生者に樹杖を奪われ、捕らえられていたという。

 彼らを死なせないために与えた、毒草についての知識を悪用されて。

 

 黒い森精さんが幸運だったのは、たまたま樹杖の種を持っていたことだった。

 毒を盛られたと知って、彼(……といっていいのかな?性別不明だけど)は、なんとか指を動かし、種を自分の腕に埋め込んだところで――無力化され、樹杖を奪われた。


 樹杖は森精にとって魔術を顕界するための道具でもあり、魔力の外付けタンクでもあるのだろうが、それ以上に彼らの半身である。

 それを奪われるだけでなく、必死に抵抗するあまりに折られた森精もいたそうだ。彼らは錯乱のあまり自傷し、中には自死に至ったものもいたという。

 樹杖により、森の一部のように統合された自我を持つ彼らにとって、樹杖の破壊は単数でもあり複数でもある自我を、無理矢理ズタズタに引き裂くような行為だったのだろう。

 彼らがどんな苦痛を感じたことか、あたしには想像すらつかない。

 だが、黒い森精さんが声を失ったことは、けっしてその痛みと無関係ではありえないだろう。


 森精たちが錯乱に陥る様子に、皇帝サマご一行は焦ったのだろう。樹杖を奪った森精に、錯乱している者にもそうでない者にも、片っ端から毒煙を吸わせ、昏倒させたという。

 それが例の夢織草のものかまでは、黒い森精さんにもわからなかったようだ。

 あの三人組の情報が正しければ、転生者帝国には阿片やダツラに類似するモノもあるらしいし、もっと毒性の強いものかもしれない。

 

 その後、黒い森精さんの仲間達がどうなったはわからない。

 だが彼(?)は朦朧としたまま船に乗せられたようだ。

 アルボーの港近くまで来たことを知らせる船員の声に、ようやく正気を取り戻した黒い森精さんは、陸が近いことを知って――海へと飛び込んだ。


 樹杖を失えば、使える魔力量は格段に減少する。だから黒い森精さんは自分に埋め込んだ樹杖の種に、まず最初に魔力を集めるようにと命じたという。

 魔力さえあれば身体強化は可能だ。自分の身体ならば魔力を通し、把握し、操ることはたやすい。

 そう、誤って海へと転落した森精は溺死したのだろうと船乗りに思わせられるほど、息継ぎのために顔を出すことなく船から遠ざかることができるくらいには。

 凍死することなくアルボーの水路に潜み、河を遡り、ようやく目にした森――このユーグラーンスの森に身を隠すことができるくらいには。


 そこであたしたちとアルボーを目指していたヴィーリが黒い森精さんに気づき、これまで保護していたということらしい。

 同族意識があたしたちの監視という使命よりも彼の保護を優先させたということか。

 あたしたちには樹杖の『枝』と『種』を預けていたってこともあるのかもしれないが、確かに緊急性も重要性も彼の方が上だったのだろう。


 そこまで聞いて、あたしは雪の上に正座すると、黒い森精さんに向かって深々と頭を下げた。


(星を見張り警戒する者よ。同じようにこの世界に落ちてきたモノの一人として、あなたと、あなたたちの同胞に深く謝罪する。申し訳ない)


 黒い森精さんは、わずかに瞬きした。

 それとともに、懐疑がラームス越しに伝わってくる。


(確かに、わたしはあなたたちに危害を加えた者との面識は、おそらくない。同じ世界から落ちてきたのかどうかすらもわからない。また、彼らはわたしの仲間ではない。この王国に身を寄せている以上、今後敵対する可能性すらある相手だ。だが、この世界に落ちてきた存在という同じ立場すら、恥だと思うような相手だとまでは理解していなかった)

 

 ……そう。皇帝サマご一行の考え方は、かつてのあたしの世界にあった考え方とそっくりなのだ。

 なんだよこの友好的な相手すら奴隷とするやり口。相手を同じ人間として見ていないからなのか、見ていてそれなのかはわからないが、これが同じ立場にあるはずの存在の傲慢な本質だとしたら、つくづく情けない。


(わたしの不明を詫びる。もっと警戒が必要な相手と知れば、わたしはあなたたちの森がある地まで直接偵察に向かっていたかもしれない。そうすれば)


 なんとかできたのかもしれない。

 そう思えてならなかった。

 黒い森精さんたちを助けることができたのかもしれない、とまではさすがに言えない。

 それはただの自信過剰というより、皇帝サマご一行とは逆ベクトルであっても、異世界人の傲慢さの現れにしか思えなくて。


 ……しっかし監視も兼ねてとはいえ、保護してくれてた相手に感謝するどころか危害を加えるたあ、いったいどういう了見だ。

 あたしたちは、あくまでもこの世界にとっての異物でしかないというに、いったいナニサマのつもりだ。

 この世界は、あたしたちのモノ(箱庭)じゃない。蹂躙(オモチャに)していいものじゃないのだ。


 確かに、あたしとグラミィは、流れのままに流されてここにいる。シルウェステルさんの骨に入っちゃったから、大魔術師ヘイゼル様の身体に入っちゃったから、それを詐称して、状況に流され続けている。


 だけど、行動指針だけは最初から変わっていない。

 そのうちの一つが、敵には敵に、味方には味方になるということだ。


 ヴィーリはあたしたちの監視者ではあるが、その一方で保護者でもある。

 森精の使命があるからこそ、立ち位置としては中立に近いが、それによってあたしたちが不利益をこうむったことはない。むしろ契約を持ちかければ乗ってくれるし、それにより利益をあたしたちに与えてくれてもいる。

 だから、あたしもヴィーリに敵対する気はない。ラームスでつながっている、ということが影響していることもあるだろうけど、肯定的な関係は保ち続けたい相手だ。

 ヴィーリが助けてくれ、というなら、あたしゃいくらでもできることをしようじゃないの。場合によっちゃ、皇帝サマご一行殲滅だって。

 だが、まずは……。


 アダマスピカでゆずってもらってきた男性ものの服をヴィーリに渡し、あたしは懐から白銀の帯を取り出した。

 じつはこれ、アルベルトゥスくんの髪の毛で作ってあります。

 一部石化してるが生身な……というか、もとの髪の部分がばらばらになるのは困るので、一本に編み上げた両端をさくっと糸で結び止めてある。ボヌスヴェルトゥム辺境伯領へ行くというと、彼は長く伸ばしていた自分の髪を一房くれたのだ。

 石化している部分がくっついているからと、目の前でかなり根元からじょりっと自分で切り取ったのには驚いたけど。


 それをあたしは、黒い森精さんが自ら種を埋め込んだという、腕の傷の上に巻いた。

 

 黒い森精さんは、樹杖の種を埋め込む際に、周囲から魔力を集め蓄積するように命じた。

 ヴィーリが同胞を保護したときには、その命令は普通の方法では解除できなくなっていたという。あたしが一目見て警戒してしまったほどの魔力の蓄積はそのせいだ。

 もちろん、ヴィーリだって手をこまねいていたわけではない。

 迷い森に必要な魔力を樹杖に注いでもらったり、術式を構築できないことにようやく気づいた黒い森精さんの代わりに、結界などの術式を顕界してやり、そこに樹杖経由で魔力を提供してもらうことで、これまでなんとかしのいできていたそうな。

 だが、それも冬になって木々の生命活動が緩やかになり、それに伴って森や樹杖の魔力を受け入れられる量が減ってしまったこと。蓄積魔力を減らすために、ヴィーリ自身の樹杖を裂いて与えることすらして放出魔力を増やさせたが、今度はそのせいで周囲から動物が逃げ出し、ろくな食糧が手に入らなくなってきたこと。あまり放出魔力を増やすと、今度はユーグラーンスの森全体がコールナーのいる低湿地のように魔力溜まりになりかねないこと。もしそうなったら魔物が発生してしまうかもしれないこと、などなどで手詰まりになりかけていたという。

 ……なるほど、そりゃあたしに助けてというわけだわ。


 あたしはじわじわと増えてきた黒い森精さんの放出魔力の様子を見ながら、さらに魔力吸収陣を作成した。条件式に『黒い森精さんに触れているときのみ発動』という記述を入れて、そっと手のひらにのせてやる。

 驚いたように黒瞳が丸くなり、かすかな吐息が漏れた。魔力が吸い取られていくのにほっとしたのだろう。

 

 アルベルトゥスくんの石化部分は、彼の体内からの魔力を強制的に放出する、負の魔晶(マナイト)ともいうべき機能がある。

 なぜそんな機能があるのかわからんが、そこに魔力吸収陣の逆、つまりアルベルトゥスくんの体内に魔力を送り込む魔術陣を打ち込むことで、彼の放出魔力量を安定させることはできないかというお題で、本人と話し合ったものだ。グラミィの通訳でだけど。


 アルベルトゥスくんの立場は相変わらず、暗部から一時的に文章と魔術の指導役として借り出しているという不安定なものだ。

 なので、魔術学院のシルウェステルさんのお部屋が使えるようになってからは、そこに籠もってもらってた……というか、しばらくいっしょに寝泊まりしてたのだよ。彼の症状も、もう少しなんとかしてあげたかったし。

 しっかし、導師室に簡易ベッドがいつでも組み立てOKな状態で置いてあるあたり、シルウェステルさんてば、どんな生活してたんだか。


 あ、もちろん、あたしもグラミィもいないときまで、アルベルトゥスくんをシルウェステルさんのお部屋に置いとくわけにはいかないから、王都を立つときには、アロイスに暗部さんたちのとこまで連れてってもらったのだが。

 まさか、餞別として、十円ハゲができるかと思うくらい景気よく髪を根元から切ってくれるとは思わなかったけどな!


 魔術師にとって髪は長いお友達だ。キャリアを保証してくれる存在であるというのが一般的な理由だが、アルベルトゥスくんの場合には、さらに彼の特殊事情がくっついている。

 アルベルトゥスくんの身体は石化しているだけでなく、成長すら止まった状態だ。彼が時の流れから自分の身体が切り放されたわけではないことを知ったのは、唯一髪の毛だけが伸び続けていたからだという。

 なのに、石化した部分と生身部分の比較研究にも使えるでしょうからって、あんなに思い切りよく切り落とすとはねー。

 いや、そりゃ髪の毛は切っても痛覚がないし、やがては伸びる。石化した部分が減れば少しは彼もラクになるんじゃないかとは思うけどね。

 だからといって、そうそう切り取っていいもんじゃないのだよ。

 アルベルトゥスくんの身体から石化部分を減らすためという理由で、魔力タンクである髪の毛を切るのは本末転倒だから。ましてや、彼の皮膚から剥がす気なぞあたしにゃない。下手すりゃ臓器や筋肉、骨なんかと融合してる可能性もないわけじゃないんだもん。

 そもそも、合法ショタ外見の子になんて虐待だよそれってなもんだ。

 

 アルベルトゥスくんの石へと流れ、排出された黒の森精さんの魔力は、あたしが片っ端から吸い取っている。魔力を消耗してたからちょうどいい。どれだけの魔力を排出したら、アルベルトゥスくんの石化部分が耐えきれなくなるかがわかれば、彼の治療に別のアプローチが見つかるかもしんないし、一石二鳥だ。

 その一方で、魔力吸収陣もいくつか作成しておく。たっぷりと魔力を吸収した使用後の陣もあたしがもらって処理をしよう。砕けば吸収された魔力をあたしが使えることは証明済みだ。充電できない乾電池扱いも可能だろう。

 そう伝えると、ヴィーリの肩から力が抜けた。

 自分の同胞が魔喰ライになるかもしれない、止めきれるかどうかもわからないという緊張状態が続いていたのだ、

 一時しのぎとはいえ、一人で抱え込んでいた状況よりは好転する目が見えればほっとするでしょうよ。

 あ、食べ物ももらってきてるんだけど、食べられる?

 

 壺状に顕界した石の中に詰めてもらってきたのは、タラっぽい白身魚を細かくほぐして、玉葱とか大蒜っぽい根菜類といっしょにオウィスのチーズと炒め、ペースト状に練り上げたもの。原料を見せてもらったら、紫色のモーニングスターみたいな形をしててぎょっとした根菜と豆がたっぷり入った茶色いスープ。あと黒パン。

 どれも5、6人分はありそうな量だったが、二人は夢中な様子でたいらげた。

 そう、黒の森精さんも魔力吸収陣を二つ三つ取り替えたら、起き上がってスープに浸したパンを口にするくらいには動けるようになったのだ。

 絶対安静状態は、空腹だったのと、過剰な魔力を暴走させないためだったらしい。

 ……そんなスレンダーな身体のどこに入るのさと思わなくもなかったけどな。

 

 さて、落ち着いたところで真面目な話をしようじゃないの。

 黒い森精さんが魔喰ライになるかもという危険領域を取りあえず脱すれば、何か打つ手はあるはずだ。

 腕に埋め込んだという種を摘出するとか。なぜ魔力吸収命令が解除できなくなっているのか、理由を究明して、停止させるとか。

 時間さえ稼げば、樹杖の助けを借りればわかるというなら、あたしゃどんどん魔力吸収陣を作ろうじゃないの。

 幸い、魔力の使い道には困らないし。

 なんだったらヴィーリにラームスの演算能力を一時的に委譲というか、返還したっていいと思ってるですがね。

 だが助けてくれというなら、まずは黒い森精さんが何をお望みなのか、はっきり教えてくれませんかねえ?

 そうあたしが心話で伝えると、ヴィーリはお仲間と顔を見合わせ、あっさりと言った。

 

「同胞の望みは、肉を土に返すことだ」


 ……な、んですと?


 いやー、だってそりゃあ、あっさりと死ぬ、とか言われたら驚きますよ。さすがのあたしも。

 いっくら本人の意思を尊重すると言ってもねえ。


「樹のすべてが枯れる前に、病葉を取り除くことはよくあることだ。彼の心は我らが年輪に刻まれる」

 

 ……やっぱり、森精の思考経路にはついていけないと思うのはこういう時だ。

 だが、推測することはできる。

 精神的には群体である彼らにとって、個体の死亡は全体的に見れば物理的な損耗にすぎないのだろう、とか。

 混沌録に自我を記録してしまえば、個体の学習した知識や技能の継承における損耗は最低限に抑えられるのだろう、とか。


 加えて、いやな可能性を思いついてしまった。


(樹杖を奪われた。毒を浴びせられた。同胞と引き離された。海を越えて運ばれた。……ひょっとして、それ以外にも危害を加えられたのだろうか?)


 たとえば、彼らが守る使命を持つという、この世界を侵蝕するような――彼自身が汚染源とされるような可能性のあることを。

 そうでもなければ、森だけでなく、この世界の生態系そのものと一体化しているような自我の持ち主である彼らが、無駄な自死を望むことはないはずだ。


 あたしの眼窩を真っ直ぐ見つめていた黒瞳が、ややあって頷いた。

 

 ……思えば、同じ転生者ぽい存在なはずの三人組まで捨て駒にするような連中だったな。彼らをゲーム感覚にしたてている『運営』は。

 やつらに禁忌を犯すことへの罪悪感を期待する方がまちがいだったかもしれない。

 他の国を道具に、別の国を侵すような連中に、この世界への、この世界の保護者への畏敬の念なんてあるわけがない、か。

 こりゃあ、精神的にか、身体病理的にかはわからんが、本気でパンデミックを仕掛けられる可能性を心配しなけりゃならないな。

 

(わかった。わたしにできる事があれば言ってくれ。可能な限り協力する)

「ならば、森が欲しい」


 ……もり?


 ヴィーリが樹木に関する比喩に満ちた言葉で説明してくれたことを、噛み砕いて整理すると。

 まず、人格を混沌録に移すにも、黒の森精さんが半身たる樹杖を失ったこの状態では、ヴィーリが裂き与えた樹杖だけでは足りないらしい。最低限でも十数本の木々が、取りこぼしをできるだけ減らすなら森一つが記録媒体として必要なようだ。

 種を育てるに必要な魔力は、黒の森精さん自身のもので十分足りるだろうが……。

 

 正直なところ、このユーグラーンスの森でなんとかするのは無理だろう。

 ここは人間の手が入れられた森であって、原生林ではないし、それほど深い森というわけでもない。

 旧ルンピートゥルアンサ副伯領とアダマスピカ副伯領、双方からの土地開発(自然破壊)――人間目線の傲慢さがすぎて、ヤな言葉だな――がすすめば、消滅すらしかねない森だ。


 アルボーは……ヴィーリの樹の種たちがたんと芽吹いてはいるが、それでもヴィーリは足りないという。それに、下手をすると伐採されかねんもんなぁ。街中だから。

 まあ、あの木々たちなら、伐られそうになったらその前に、すったかたったと低湿地にでも逃げ出していきそうだけどね。

 あんまりそれやられると、がったがたになった石組みが緩んで、アルボーの街全体が崩壊しかねないのだけどねー。土木工事の場所が増えるのは勘弁してくれなさい。

 

 いずれにしても、森を作るには別の場所を求める必要があるのだろう。

 加えて、人格のすべてを混沌録に移し替えるには、それなりの時間がいるという。もちろんその作業中も、黒い森精さんの魔力はずっと溜まり続けるわけで、作業期間中は彼を魔喰ライにさせないような対処が必要になる、と。


 ……ふむ。


(ヴィーリ。海近くまで彼を連れて行くことは可能だろうか。そして樹杖の種たちに、塩分に強く、水気の多い土地や、風の強い砂地でも、深く強く根を張る特性を持たせるようにはできないか)


 欲しいのは防砂林に使われるような松か、マングローブのように海水の中からでも発芽できるような木々だ。双方の特性を持ち合わせた上に、寒さに強ければ、なおいい。

 

「星の子よ。いかなる風が梢を揺らした?」

(なに、ちょっとした発想の転換だ)


 あたしは骨の腕を彼らに差し出した。


(ともにベーブラまで行かないか?海の中なら、森を作っても人の手は届くまい?)

黒い森精さん(仮称)は、かなり初期からイメージしていたキャラです。ようやく出せました。

今回の異世界転生王道要素のぶち壊しは「同じ異世界転生者でも敵に回して土木工事を続けます」ってことで。

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