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川下り

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 王都ディラミナムの東門を抜けたのは、雪も()み固まった早朝のことだった。

 もちろん、開門前の時間帯に、ローブの上から大きいマントで巻きたてて、フードをかぶり、ただの旅人風味にしか見えないあたしたちだけで抜けられるわけがない。レムレ()に乗ったアロイスが何やらちらつかせてくれたからこそ、あっさりと門扉についた小扉を開けて通してくれましたよ。

 国家権力ばんざい。アロイスってば、今度はいったいどんな身分を名乗ったことやら。

 いや、聞かないけどね!


 アルボーに行くときにもお世話になったコル()にまとめて乗せてもらい――断じて乗って、などという自動詞で形容されるような自発的なものではない――、あたしとグラミィは東に道をとった。最短距離でランシア河を目指すためだ。

 そこまでアロイスについて来てもらうのは、通行手形代わりってだけじゃない。コルを王都へ連れ帰ってもらう都合もあってのことだ。


 ボヌスヴェルトゥム辺境伯領へ向かう同行者を決めるときに、アロイスってばさんざんごねたのよ。ヲマエはアウデーンスさんか、それともマールティウスくんかってくらいに。

 いやね、港湾伯領へと向かうのなら自分が同行した方が土地勘もある、いろいろと折衝にも役に立てると主張し、彼が列挙した理由は確かにみんな正しいのよそりゃ。

 そもそもあたしがこの眼窩で見る限り、王サマや王子サマってば、アロイスをアルボーを含む旧ルンピートゥルアンサ副伯領の新領主に据える気満々なんじゃないかと思うふしもあるしねー。

 そうでなけりゃ、アルボー周辺の再開発でボヌスヴェルトゥム辺境伯の手勢を、身分違いもありまくりなアロイスの指揮下に、無理矢理王命ってことでつける意味はどこだというね。

 

 だけどね、今回はそうそうアロイスを連れてくわけにもいかないのだ。

 理由の一つは交通手段にある。

 そう、あたしたちはこれから結界を小舟代わりにランシア河を下るつもりなのだ。

 トニトゥルスランシア魔術公爵閣下による、領地改良依頼という名前の命令なんざ待ってられませんて。とっとと逃げるが勝ちというもの。ついでにグラミィの結界の練習もできて、移動時間短縮ができるとなれば一石二鳥どころか三鳥にもなるだろう。

 ただしこれ、ぶっちゃけ乗り心地は保証できません。

 てか、グラミィの顕界した結界が万が一にでも壊れたら、そのまんま冬の川に放り込まれること確定なのよ。

 もしそうなったとしても、自分で自分を助けられる人間に同行者を限るのはしょーがないことだと思ってくれなさい。

 あたしはなんとでもなる。グラミィだって結界を顕界できるから、たとえ川ポチャしたとしても、岸に這い上がるまではどうにかなるだろう。

 だけど、魔術が使えない上に、いつでも鎧や仕込み武器満載の格好してるアロイスはねぇ……。

 

 しかも、今回は、アルボーに向かった時とは状況が違う。

 潜入任務じゃない以上、曲がりなりにも準男爵という貴族階級の端っこに足をかけてるアロイスは、それなりに繕わなければならない体面というものが存在しちゃうのだよ。

 いや、それも大事なことなんだけどさ。通行手形代わりに機能してくれたのも、その外見あってのものだったし。

 だけども、貴族としてなら馬車か、最低限でも騎士として馬に乗らねばかっこがつかないというのは、雪道しか存在しないことを考えると、どうにも小回りがきかなすぎるのだ。

 

 いや、そりゃね?あたしも、たぶんグラミィも、アロイスと馬一頭ぐらいなら、いっしょに乗っけても問題ないくらいの結界の顕界もそこそこ長時間の維持もできちゃいますけどね?

 ただ、そのぶん魔力を大きく消耗するのは避けられない。

 これからお仕事しに行くんですあたしたち。移動時間を短縮したい理由の一つに、なるべく魔力も温存したいってこともあるのを考えると、アロイスを連れてくってのは、本末転倒に過ぎる。


 ぶっちゃけ、冬におけるあたしたちの一番の長所は、一般人にはありえない機動力の高さだろう。

 この雪に覆われた道を、並みの人間が行こうとしたら、まず体力を消耗すること間違いなし。馬があっても旅程は雪のない季節に比べたら、かなり厳しい。通常の二倍近い時間で行けたらまずまずといったところだろうか。

 おまけに日はどんどんと短くなっている。

 ……ってことは、やっぱこの世界も惑星の上にあるのなら、地軸が斜めってるんだろうなぁ……。

 いまさらな推測だけども。


 いずれにせよ、常人じゃあへたばりそうな行程でも、あたしたちなら川下りって方法を使えばかなりショートカットが効くのですよ。

 道具の準備も携行も不要でラフティング可能って、相当なアドバンテージだと思う。

 徒歩で動かねばならぬ場面の雪道だって、スキー板かスノーシュー代わりに、靴の裏に結界を展開してやれば、かなり早く移動できるはずだし。

 体力面についても、実はあんまり心配しちゃいない。グラミィだって身体強化を使い、ある程度状況を操作してやれば、じつはアロイスよりは落ちるが、へぼい騎士並みには動けなくもなくなるのだ。時間制限つきだけど。 


 そしてもう一つ、王都にアロイスを残しておくべき理由が大きいからってこともある。

 グラミィに例の三人組と接触してもらった時、じつはこっそり彼らの牢の周辺の結界陣を、アルボーから王都付近まで連行する途中にも使った結界陣に手を加えて、強化をしておいたのだ。

 そのおかげで、今頃はあの鉄格子はおろか、通気口にすら彼らは腕一本通すことはできないようになっている。はずだ。

 あ、一応、『非生命体は通過可能』という条件式を付与してあるので、物品のやりとりは可能だ。彼らが衣食住に不満はあっても不自由することはないだろう。

 これは、彼らがレトロウィルス的な何らかの病原体の運搬役(キャリア)だった場合の予防策でもある。むこうの世界のカテゴライズとは違うが、ウィルスも生命体として規定しておいたので、相変わらずあたしが警戒している、中の人の詰め替えバイオハザードだけでなく、ペスト系の致死率の高い感染症を持ち込まれていたとしても、おそらくは大丈夫だろう、というところまで対処を考えつくだけ全部やりつくしてあったりする。

 

 それでも、彼らに接触しうる人間は、真名と人格書換耐性の関連可能性から考えても、アロイスか、暗部系の限られた魔術師さんだけにしておくべきだろう。

 そして、タクススさんと連絡が密に取れて、しかも捕虜になってる人間の扱い方を心得てるのって……アロイスしかいないんだよねー、これが。

 そんなわけで、アロイスには、『三人組には余計な情報を与えない』という従来の方針に加えて、『グラミィに懐柔されたから、しぶしぶ待遇を良くしてやってる』ふりをしてもらわなければならない。

 三人組がグラミィに、それなりの権力か何かがあると思い込むようしむけるために。

 ま、アロイスのことだから、三人組に関しては苦もなくしてのけるだろうけど。

 問題は、コッシニアさんへの対応かね?


 コッシニアさんは、魔術学院長のオクタウスくん直々に『上級導師にふさわしい力量の持ち主』と認めてもらったのがすごく効いている。

 今は下級導師ってことで薄藍のローブを与えられちゃいるが、将来的には上級導師となることが確定も同然と見られてるらしく、同僚やら先輩やらから浴びせられる妬み混じりの下にも置かない扱いがなんだか落ち着かないみたいですよ。打算込みのお誘いもあるとかないとか。

 どう反応するかなと思って教えたげたら、あのアロイスが――背骨に霜柱が生えたかと思ったぞ――それはそれは切れそうなほどうっすらとした笑みを浮かべたので、慌ててコッシニアさん自身が実力行使で撃退してるらしいよということも付け加えざるをえなかった。

やっぱ、アロイスってば怖い。

  

 コッシニアさんは、一応、寄親であるボヌスヴェルトゥム辺境伯のお屋敷にも、アダマスピカ副伯爵家御令嬢としてお部屋は用意してもらってることはもらっている。らしい。

 けれどもやはり、魔術学院が活動の中心拠点になっているせいで、学院生寮にだけじゃなく、導師棟にもお部屋をもらってたりするそうな。同じ導師棟と言っても、シルウェステルさんのお部屋とは相当離れたところにあるけどね。

 下級導師認定のお祝いに、簡易的な魔力錠を二つほど作ってプレゼントしたらえらく喜ばれたものだ。

 なに、ただのかんぬきなんだけど、条件式に魔力を登録した人間なら、設置した扉の上から手を当てて動かすと、それにつれて心棒の部分が動くというものだ。部屋の外からでも開け閉めができるという点ではスマートエントリーっぽいかな。

 ちょっとしたセキュリティは必要だよね。

 

 あ、旧魔術士隊の四人組は彼女の使い走りという扱いで、学院生寮に部屋をもらってるらしい。

 彼らは相部屋だとかで、アレクくんうほうほなハーレム雑魚寝状態かと思えば、あまりの居心地の悪さに他の下級導師さんに泣きついたとか、ちょっとした仕事と引き換えに寝床をもらって、めちゃめちゃ嬉しそうな顔になっていたとかいう不憫な話を聞いた。一応南無っとこう。


 正直、旧魔術士隊とコッシニアさん本人の力量を考えれば、まず彼女たちの身に危険が及ぶようなことはない、とは言い切れないにしても、かなり少ないことは少ないとあたしも思う。

 だが、力はあればあったで、いろんな上位貴族だの王族だのに目を付けられるきっかけにもなる。そのことはあたしたちがよーっく知ってますとも。ええ。骨身に沁みて。

 だが、戦火をくぐって生きてきたコッシニアさんにも、平民テイストな旧魔術士隊にも足りないのは、おそらく政治的な思惑への対処法だ。

 アーセノウスさんとマールティウスくんにも、魔術学院での出来事は説明したあげく、王都にいないときにはよろしくと問題をぶんなげてはあるが……。

 コッシニアさんを一番理解していて、フォローができるのは、国の暗部を知るアロイスしかいないでしょうが。


 この二つの理由を突きつけたら、アロイスも苦い顔をしながら同行を諦めてくれた。

 代わりにとばかりに、諸方面への書状に怪しい荷物の数々も託されたけどね!生きた鳥とかも!


 小山のような――比喩じゃないのよこれ、よくもレムレの背中に積み上げてきたもんだ――鳥かごやらなんやらを下ろすと、アロイスはコルの手綱をレムレの馬具につないだ。

 二ケツさせてくれて、ありがとね。コル。


(外。楽しい)

(ブラシ。もっと嬉しい)


 苦笑しながらあたしは二頭の首を撫でた。

 ブラシかけは、また王都に帰ってきてからかなー。

 てか、レムレもちゃっかり希望するかね。

 

 そんなやりとりを繰り返している一方で、グラミィは船をイメージさせた結界を顕界していた。

 ……相変わらず今日も赤オレンジに発光しておりますな、おい。


〔いいじゃないですか!ちゃんと船の形になってるんですから!〕


 じゃあ、そのまま川を流れてかないように保持しててね。

 おすすめは結界の一部を長く伸ばして川底に刺しておくの。あたしもやったけど。


 身体強化と重量軽減を併用して、ひょいひょいと荷を積み込むと、あたしはアロイスを振り向いた。


(それでは、王都のことは頼んだぞ、アロイス)

「アーセノウスさまがお聞きになったら、生涯妬まれそうなお言葉ですね」

 

 心話を聞いていたグラミィが婆笑いで笑った。結界の上とはいえ一見河面に立ってるように見えるため、ちょっとシュールだ。


「バルドゥスたちにも、師の指示に従うよう命じてあります。では、道中お気を付けて」

「お見送り、感謝いたしますぞ、アロイスどの」


 そしてあたしたちは河上へ出た。

 グラミィってばさっさと船体に屋根つけちゃうんだもん、外から見れば悪天候の海でひっくり返っても大丈夫な救命ボートみたいな格好に化けたんだろうな。

 振り返ったアロイスが驚いたように眉をぴくっと上げてたよ。


〔だって思ったより風が寒い、てか痛いんですよ川の上って。石カイロじゃ限度がありますって!〕

 

 入水自殺者かって勢いで温石(おんじゃく)作って(ふところ)に入れてたくせに。

 ま、あたしにゃ寒さはわからないから、グラミィの好きにすればいいと思うよ。


 ちなみにこの一帯は、ランシア河の王都側までが王の領地、その反対側がトニトゥルスランシア魔術公爵領となっている。さすがに冬で水量が少ないとはいえ、このあたりのランシア河はゆったりとした大きな流れだ。幅は600m近くあるか、ないか。

 これだと雪解け水の流れる春になると、川幅はさらに広がることだろう。

 それに比べて、ピノース河はそんなに大きい川じゃなかった。ロブル河も、もしそれほど幅のない川だったら……そらまあ、氾濫の危険性は高いよね。ベーブラ港も浅いっていうし。

 そりゃあ、レントゥスさんも早々に治水工事をさせたくてたまらんわなー。一度洪水でも起きたら、とんでもなく被害は大きくなりそうだもん。

 だからと言って素直に受けてやらねばならん義理なぞあたしにゃ欠片もないけどな!


 何をどうすればいいかも説明してくれない上に、上から目線で細かい情報もくれないような相手は迷惑この上ない。使えない上司かっての。だったらとっとと王都から逃げ出して、離れていた方がはるかにましってもんだ。

 もちろん、ついでだから、事前調査ぐらいはしとくけどね?

 あたしは構造解析の術式を時たま顕界しつつ、放出魔力を使って川の流れや川底、周囲の様子をチェックしていったんだが……。


〔けっこうかかりますねー〕


 確かに。

 というか、飽きてきた。

 馬でぽっくりぽっくり雪道を行くよりは早いよそりゃ。だけど、馬なら道沿いに風景も少しは変わる。

 それに対し冬の川なんてもんは、川の水と両岸にこんもり盛り上がった雪ぐらいしか見えやしない。道を歩く人の姿もほとんどないしなー。

 ま、だからこそあたしたちも警戒されずにすんでるんだけど。


〔じゃあ、ちょっとスピードアップしますね〕


 って、できんのグラミィ?

 と聞き返す間もなく、ぐいんと船が急加速した。

 おおおいっ、もう少しで鳥かごに突っ込むとこだったわ!


〔がんばってどっかに捕まっててください、よ!〕


 またもや加速。続けて加速。

 ……グラミィあんた、これ、結界の一部を変形してるのか。

 にょーんと前方に伸ばした複数の細いアームの先端を川底に突き立て、瞬時に短く変形。

 それによって前に船体部分をすっとばすという、いわゆるスリングショット(パチンコ)形式で進んでいる。

 ただし本体が弾になって飛んでくんだけどな!


 グラミィの意外な器用さに、通常なら馬でも数日かかるスピカ村まで数時間で辿り着いたと知ったのは、あの悪趣味なほど豪華絢爛な新領主館のおかげだった。

 あれ、川の上からでもよく見えるのよ。

 それは良かったんだが。


「きぼちわるいです……」


 若干陽の光で緩んだ雪の上に這い上がったとたん、グラミィはへなへなとしゃがみ込んだ。


 ……えー、彼女、自分でスピード出しといて船酔い(?)しました。

 だーから、飛ばし過ぎんなと言っただろうが。あたしゃ途中で止めたぞ?あんまり加速すると、今度は毎秒間処理しなけりゃいけない情報が多くなりすぎるから、結界のコントロールにも支障が出るぞってさんざん言ったろうに。

 それにも関わらず、変なスイッチ入ったんだか、妙な高笑いしながらガンガンすっ飛ばしてたのはあんたでしょうが。完璧な自業自得だね。

 まあ、途中からは、あたしも船の内側に自分で結界張ってたけどな?


「……ゑぷぉ」


 ちょっと待てグラミィ、こっち向いて噴水作成すんなあっ!

  

 ……しばらくお待ちください。いやー、あたし史上結界の顕界最速記録更新だよ。

 ……ヤな更新のしかただな。


 結界ごと荷揚げした船の中身を、背負いやすいようにまとめなおすと、あたしは穴に雪をかぶせて――なんの穴だとか聞くでない!――証拠をもろもろ隠滅した。

 動けるかい、グラミィ?

  

〔あれで酔わないボニーさんの方が変なんですってば……〕


 んなこと言われても、三半規管もないのだよあたし。情報過多で酔うにも、あれくらいなら時速100km越えるぐらいで運転した経験があれば、十分処理しきれるレベルだしなあ。上下動は激しかったけど。

 

 ともあれ、グラミィが動けるようになったんなら、こんな雪の中でうずくまってる必要もない。あたしたちはとっとと領主館に向かうことにした。

 とは言っても、新館と旧館、はたしてどっちにいるのやら。

 たまたま薪を取りに外に出てきた使用人のおばちゃんを発見したので、グラミィが尋ねてみると、カシアスのおっちゃんも、新領主のサンディーカさんも、新しい方じゃなくて古い方にいると気持ちよく教えてくれた。

 ありがとーとあたしも腕の骨をぶんぶん振っといたが、こーゆー時にグラミィの顔パスがきくのはいいものだ。

 領主館でも家宰さんが小走りで出てきてくれたのはそのおかげだろう。


「ようこそおいでなされました、賢女様。お顔の色が優れませぬようですがいかがなされましたか」

「なに、けさがた王都を発って、つい先ほどスピカ村に着いたばかりなのでな。少々身体にこたえただけのことですじゃ」


 ……うん、嘘は言ってないけど。なんだろうねコレジャナイ感満載の大魔術師ムーブ。さっきまで自爆で半分死んでた人間とは思えないぞ。

 家宰さんもぽかんと口を開けてたが、それほどお急ぎとあらば、ってんで、早速応接間へと通してくれ、待つほどもなく、厚手の毛織りらしい地のドレスをまとったサンディーカさんがやってきた。その脇にはカシアスのおっちゃんがぴったりくっついてる。

 ……お久しぶりなのはいいんですが、なぜにおっちゃんてば、そこまでぴったりサンディーカさんに寄り添ってますかね?


 ま、ともかく先に用事を片付けよう。

 アロイスから預かってきた書状の束やら他の荷物を渡すと、早速エンリクスさんが呼ばれた。コッシニアさんからおねーさんのサンディーカさんに宛てた直筆の書状以外は、ほとんど新館の方に持って行くらしい。

 なぜかというと、暫定的におっちゃんたち、ヴィーア騎士団の詰所兼宿泊所として新館の一部を使わせてもらってるからなんだとか。

 そんでもって、サンディーカさんの執務室は、旧館の歴代領主のお部屋を使ってるんだとか。

 なんじゃそりゃ。領主館を新しくした意味はどこよ?


「これまでの所領に関する書類もかなりの量がありまして。雪があっては運ぶのも難渋するのですよ」


 加えて、魔術士団の方々が、隅々まで構築してくださったおかげで、いまいち勝手がつかめないつくりになっておりまして、とおっちゃんは付け加えたが。

 ……それ、そっちが本題じゃないのかね?

 

 サンディーカさんの意図がどれだけあの新館に反映されているかはわかんない。だけど、あのマクシムスさんの配下に収めた直後の魔術士団の連中が構築したってことは……うん、旧魔術士団長(あのアホンダラ)の影響がまだ色濃かったわけだし、いろんな思惑があってこね上げられたとみていいだろうね。

 情報漏洩がしやすいようなのぞき穴とか、物理的バックドアとか。どんな仕掛けがあるかわかったもんじゃないわな、そりゃ。

 グラミィ。


〔はいはい、翻訳しますよー〕

「『アダマスピカ副伯サンディーカどの。わたしはまだしも、同行者が少々疲れているようなので、休息を取らせてはいただけぬだろうか。代わりと言ってはなんだが、その間、あたう限りのものはわたしが見よう』とシルウェステル師はおっしゃっておられます」

「ありがとうございます」


 サンディーカさんは緩やかな礼をした。

 だけどね、最初に見なきゃいけないのは領主館じゃなくてサンディーカさん本人だと思うんだけど。


「『まずは、サンディーカどのと、お腹の御子の様子を拝察いたしましょう』と」

〔って、えええええっ?!サンディーカさん、妊娠されてるんですか?サンディーカさん自身もけっこう驚いてますけど!〕

 

 たぶん、そうだと思うよー。

 こっちの世界の妊婦さんって見たことないから、確信はできないけど。

 うっすらと、こう、腹部に別の色の魔力がかぶってる。


〔……あ、ほんとだ〕


 妊娠してると訊いた途端、おっちゃんがさらにかいがいしくなった。

 椅子にクッションをあてがったりして、ゆったりと座ってもらったサンディーカさんの魔力をさらによく見る。

 やっぱり、二重に虹がかかったみたいになってるのがすごく綺麗だ。


〔お相手は……って、聞くまでもないですよね。この状態〕

 

 カシアスのおっちゃん、あんたかい。外見に似合わず手が早いこっちゃっ!

 だが、二人で、もじもじてれてれとバックに花の代わりにキラキラと砂糖の結晶を撒き散らしそうなダダ甘い空間を構築するのは、後にしておくれ。


「『魔力を拝察した限りでは、御子も健やかにお育ちの様子。ですが少々、困ったことになるやもしれませぬ』」


 あたしが眼窩を向けると、おっちゃんの表情もさすがにひきしまった。


「それは、ペリグリーヌスピカ城伯がことですな?」


 あ、そういう名前だったんだ、サンディーカさんのバツイチ相手って。

 

〔えーと。どういうことですかボニーさん?〕


 サンディーカさんは、豊饒の女神フェルティリターテの加護がない、つまり子どもができないという理由でペリグリーヌスピカ城伯さんとの離婚をしてからアダマスピカ副伯爵になった。

 ここまではいいよね?グラミィ、あんたも一枚噛んでた、というか、噛ませられてたんだから。

 だけど、今、サンディーカさんは妊娠している。


〔それって、要は前の旦那さんが男性不妊体質だったけど、カシアスさんはそうじゃなかったってだけじゃないですか〕


 時期が悪い。

 冬になる直前まで結婚してたサンディーカさんに子どもができたとしたら、今の状況では、前の旦那さんの子どもだって言い張られてもおかしかないのよ。


「サンディーカさまの御子は当然のことながら、アダマスピカ副伯爵家の継嗣。それにペリグリーヌスピカ城伯が血のつながりありと主張されたならば……」


 あたしは重々しく頷いた。どうなるかは、そりゃあ、サンディーカさんを連れ戻すことに成功したカシアスのおっちゃんならわかるよね。 

 下手したら、このアダマスピカ副伯爵家ののっとりにかかられないとも限らないってことだ。


 なにせ、アダマスピカ副伯爵家の継承権者の父親という名乗りは、後見人としても結構な盾となる。

 そして今のカシアスのおっちゃんは準男爵。城伯を敵に回せるほどの力はない。

 たとえサンディーカさんの赤ちゃんの実の父親だと名乗り出ても、認めてもらえるかどうかは、数年経って、赤ちゃんがおっちゃんとどれだけ似てるかがはっきりするまではわからない。

 それに貴族は自分がルールなところがあるからね。最悪の場合、おっちゃんに離婚前からサンディーカさんの不倫相手だったという設定を押しつけてこないとも限らない。姦通罪とかなんかそのへんの罪を着せられたら、騎士としての名誉は剥奪、投獄から処刑もしくは密殺ルートへと放り込まれかねんのよ。

 そうなったらペリグリーヌスピカ城伯の一人勝ちが確定する。サンディーカさんを不貞の妻ってことで幽閉でもしておいて後は放置。必要なのは子どもだけなんだから、生まれた直後に取り上げて、自分の手駒になるように育てればいいんだもん。

 

 加えてまずいことに、ベーブラ港再開発の話が現在進行形になっているのが状況悪化に拍車をかけている。

 トニトゥルスランシア魔術公爵のごり押しも効いているから、上流のランシア河まで水運開発は進められることだろう。絶対あたし一人じゃやらないが。

 それはつまり、従来物流の大動脈となっていた、ランシア街道の利用が相対的に減るだろうということをも意味するのだ。


 王都から見れば、地理的に見て城伯の城はボヌスヴェルトゥム辺境伯領への玄関とも言える位置にある。ということは、関税をかける関所としても機能していると考えるべきだろう。

 が、新領主館を構築させた王サマの思惑を考えれば、おそらくは今のスピカ村を川運の関所にするつもりなんだろうなー。陸の関所までこっちにまとめるつもりかどうかはさておいて。

 そして、陸運より水運の方が物資を一度に大量輸送するのには向いている。


 王サマにとっちゃ、ベーブラ港からランシア河までの水運開発は、国内の物流がよくなるメリットばかりといってもいいが、城伯にとっちゃ、アダマスピカが関税源を持ってくデメリットしかないようなものだ。

 収入源の倍増と男性不妊の汚名返上がかかってるとなったら、口を開けてぽけっと見逃してくれるとは、欠片も思えんな。


〔どうしたらいいんですか、ボニーさん!〕


 やるべき事はわりと見えてる。

 まだ赤ちゃんが生まれてこない、どころか、存在すらほとんど知られていない今のうちに、ペリグリーヌスピカ城伯さんとやらが介入するような隙を潰せばいいだけのことだ。


〔じゃあ助言ぐらいしちゃえばいいじゃないですか!しちゃいましょうよ!〕

 

 しちゃいましょうよって、簡単に言ってくれるけどね?

 グラミィ、わかってる?

 それやっちゃうと、ボヌスヴェルトゥム辺境伯のお家騒動に頭蓋骨を突っ込む羽目になりかねんってことを。


〔え〕


 ……やっぱわかってなかったか。

 アダマスピカ副伯爵も、ペリグリーヌスピカ城伯も、ボヌスヴェルトゥム辺境伯の寄子だったり臣下だったりするのだよ。

 だからこそ、身内の結束を強くするための政略結婚として、サンディーカさんはペリグリーヌスピカ城伯に嫁いだわけだ。

 

 その婚姻関係に不備ありってことで、離婚が成立したのはいいけどさ。

 それで、以前の関係に元通りってわけにはいかないのよ。どうしたって人間同士の問題だから、いったんこじれりゃ隔意も生じる。所属してる派閥が違ってたら、派閥と派閥の間に落ちた火種になりかねん。

 この状態での、サンディーカさんの妊娠は、その火種を大火事にしかねないものなのだ。


 しかも困ったことに、あたしはボヌスヴェルトゥム辺境伯の寄子たちの間にどんな派閥ができてるか、どころか、どんな寄子がいるのかすらも全く知らない。

 転生者帝国の皇帝サマご一行を、港湾伯家総出で相手してもらわなきゃならんってのにだ。

 こんなことなら、王都ででも、アウデーンスさんやタキトゥスさんを締め上げて、いろいろ聞き出しとけばよかったよ……。

 

〔でも……でも、だからって見過ごすわけには!〕


 誰が見過ごすって言った?

 あたしは、あたしのやるべきだと思ったことをやる。

 カシアスのおっちゃんも、サンディーカさんも、あたしたちの貴重な味方であってくれる人たちだ。

 だから、たとえ依怙贔屓だろうが、必要だと思えば、彼らの有利になるように状況を作り上げてやろうじゃないのさ。


〔やっぱ信じてましたよボニーさん!〕


 ただし、その結果何が起こるか。先の先までよく考えろ、推測しろ。

 その上でどう事態が転んでも、たとえ彼ら以外の人間が大きな損害を抱え苦しむようなことがあろうと、その人たちの恨み辛み憎しみの一部なりとも向けられることになろうと、それでもいいと言い切れるだけの覚悟を決めてからやれ。

 それが、この世界にとっては異物でしかない、あたしなりの腹の括り方だ。

 そのくらいの先読み能力と覚悟ぐらいはあんたにも必要なんだよ、グラミィ?善意100%でやったことであろうとなかろうと、害悪になったら、結果がすべてなの。


〔…………〕


 落ち込むのは後にして、通訳してもらえんかなー?


「『サンディーカさまにお尋ねいたします。サンディーカさまは、ペリグリーヌスピカ城伯との婚姻を再度結び直されるおつもりか、それとも今後はルクサラーミナ準男爵カシアスどのと手をたずさえ、アダマスピカの繁栄に尽くされるおつもりでしょうか』」

「それは!」


 おっちゃんが目玉をひん剥いた。そんなに怒るなよ。

 前者をひどい結婚生活を送ったサンディーカさんが選ぶたぁ思えないが、わざと対比させたのは、後者を選びやすくして、踏ん切りを彼女自身につけてもらうために必要なことだ。


「……今のわたくしは、アダマスピカ副伯サンディーカ・フェロウィクトーリアにございます。アダマスピカの繁栄のためにこの身を尽くす所存。ですがルクサラーミナ準男爵、いえカシアスどのに、ともに道を進んでほしいと願うことはいたしかねます」

「それはなにゆえでございましょうか、サンディーカさま!」


 悲愴な表情を浮かべたおっちゃんは、サンディーカさんの前に片膝を突いた。


「どうか御身を守れとお命じください。ともに道を歩むなとおっしゃるなら、それがしは二度とサンディーカさまの横に立つことも、サンディーカさまの瞳に我が影を映すこともいたしますまい。されどせめて、前に立って敵を切り払い、後ろに立って御身を支えることだけはお許しいただきとうございます」

「ですが、それではペリグリーヌスピカ城伯がそなたを敵と見なしましょう」

「サンディーカさまにそれがしの胸の(うち)をお示し申し上げた時から、とうに覚悟はいたしております。なにとぞサンディーカさま、我が剣を、そして槍をお受けください。それがしは御領主様がアダマスピカの騎士となさいましたカシアスにございます。生涯サンディーカさまの槍となり、アダマスピカの繁栄にこの身を捧げましょう」

「カシアス……」


 ……うん、二人の相思相愛っぷりはよーっくわかった。おっちゃんが意外と口説き文句豊富だってことも。

 それはともかくとして、だ。


「『現状の不利は、サンディーカさまが御婚姻なされていないということに起因いたします。サンディーカさまがカシアスどのを伴侶となさることがおいやではないのでしたら、急ぎ王都へ、カシアスどのとサンディーカさまの御婚姻をお知らせし、陛下にお認めいただくべきでございましょう。幸い、伝書用の鳥もアロイスどのより何羽かお預かりしてまいりました』」


 二人の結婚を王サマに認めてもらえば、それが王侯貴族の間では事実であり、真実となる。

 たとえ身分違いを笑われても、事実は重く、真実は揺るぎないものとなるだろう。

 そう、その後で、いくら前の旦那さんがサンディーカさんの子は自分の子だと主張しても、負け犬の遠吠えにしか聞こえなくなるくらいには弱くなるというものだ。


 ……で、とっとと王サマにそのへんを理解してもらって、認めてもらうためには、サンディーカさんが妊娠してるってこと、あたしやグラミィがそれを確認したってことがわかるような文面にしないといけないのだが。

 

「『豊饒の女神フェルティリターテが、アダマスピカ副伯領より恵みの種をもたらされたことを、一骸骨と老婆も拝見いたしましたとでもお書き添えいただくべきでしょうな』」

〔って、た、種ってボニーさん……〕


 赤面すんなよグラミィ。これ以上の婉曲表現をどうしろと?

 あたしにゃムリっス。

婆っ子ゲロイン確定(何)。

ほのぼの回のようでいて、骨っ子の思考は相も変わらず殺伐としております。

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