治水
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「陛下からの御裁可はいただいた。マールティウスどのにも許可は得た。これで文句はあるまいな、シルウェステル」
フランマランシア公爵クラールス閣下は、皮肉げな笑みを刻んで声を放った。
聖堂で土木工事にあたしを使い倒そうって話が出たときには、大司教さんに盛大な横槍をざすざす入れまくってもらったから、あれで無理強いも都合良くすっぽりと忘れてくれたらいいのになーと思っていたけどな。はかない願いでしたか。
この国の大貴族のトップともいえる二公爵が、さすがにそこまでぽんこつではなかったということを、この国の将来的に言祝ぐべきか、個人的に大いに嘆いとくべきか……。
魔術学院に泊まり込むという名目で、シルウェステルさんの部屋のある人気のない導師棟でセルフ隔離してた――三人組と接触したからね――あたしとグラミィは、アロイス経由で王宮に呼び出された。
今のところ、二人揃って精神的にも身体的にも異常も感知していないとあらば、召喚に応じないわけにもいかない。
何事よと思えば、苦虫を口いっぱいに詰め込んでじっくりゆっくり咀嚼中なご様子のアーセノウスさんとマールティウスくんが待っていた。
そこへ突っ込んできたのはクラールスさんだけではなかったが。
「『公爵のお二方に申し上げます。いかなる害にお悩みかを詳らかにおっしゃっていただけませぬと、わたくしとしましても、いかような手を施してよいやらわかりかねます』と申しております」
「なに……」
トニトゥルスランシア魔術公爵レントゥスさんの眉根がぴくりと跳ねた。
いやだけどね、これはほんとのことなんです。
治水は国家的事業とはいえ、魔術士団を自領地に踏み込ませたら、いろんなものの情報が筒抜けになる。ならば情報を漏らしかねない、口は少ない方が塞ぎようもある。
心理的退路を断って断り切れないようにする手間までかけて、あたしを自領地の治水工事に使いたいという公爵閣下たちの腹の内はそんなとこだろう。
が、川の氾濫を防げとだけ言われても、困るのはこっちだけじゃない。
面倒事を丸投げしたら、解決するまでが丸投げた相手の仕事ですって、上つ方な彼らの思考経路もわからんわけではないけどさー。
「『わたくしもアルボーにて改めて知ったことにございますが、例えるならば、山か、平地か、海際か、これだけでも川にどのような手を施すかは変わってまいります』」
いつもの砂皿がないので、さらさらっと自作をしてみる。
なに、縦横一メートルぐらいある石の皿というか、板を顕界しておいて、ざらざらと粗めにした砂で山を作っていくだけなんだが、レントゥスさんってば目を剥いて見てるよ。
そこにぷすぷすと爪楊枝サイズの小石を挿し、水をじょぼじょぼっとな。
水は山を削り、谷を作り、さらに流れを広く浅く広げながらより低いところへと広がり……ってところで手を止める。
「『ごらんの通り、山に近くば地崩れの危険がございます。崩れた山の土砂は木々を押し流し、谷を堰き止め、水の流れを止めもしましょう。降る雨の量が多ければ、堰き止められていた土砂と水はともども山を削り取り、さらに下流へと被害をもたらしうることでございましょう』」
小石の倒れまくった『谷』を指してみせる。
むこうの世界じゃ天然ダムとか言ってたっけ。土石流が発生するとその破壊力は水だけの時とは別物になる。
「『水に削られた土砂は流れが緩やかになるに従い、水底へと沈んでまいります。流れが澄むのはよろしいのですが、川底に積もった土砂は川を浅くいたします。浅い川は長ければ長いほど雨を集め、洪水を起こしかねません。河口まで運ばれた土砂は、これまた港を扱いにくいものにいたします。ただ一言で川の氾濫を防ぐと申しましても、場所によりさまざまな違いが生じることはご覧のとおり』」
「うむ」
理詰めで納得してもらうために目の前の模型を出したのよあたし。
ならば、ちょっとした思考実験をしてもらってからご要望をお聞きしようじゃありませんかね、公爵サマたち?
「『また、同じ場所におきましても、その土地柄、平民の暮らしぶりによりまして、取る手段はいくつか変わりましょう。例えばこのように浅くなりました川が閣下の領内にありましたら、どのようにいたせばよろしいのでしょう』」
「うん?」
「それはどういうことかな?」
「『川の流れが畑や集落へと流れ込まないようにするためには、流れが川幅からあふれ出さなければよいわけです』」
あたしは爪楊枝石を二本、『川』の両側に置いた。
「『方策の一つとしては、大水が出ても流れが越えないほど、高い堤防を築くことが考えられます。今ひとつは』」
あたしは爪楊枝石で、『川』の土砂を掬い上げた。
「『川底に溜まった土砂を取り除き、浅くなった川を深くすること』」
この二つの対策、じつはどっちも土砂災害を取り上げてた情報番組で説明していたことだったりする。
ただし、やるとなるとどっちにも問題が生じるのだ。
堤防を積み上げ積み上げしていくだけだと、川が浅くなるどころか、川底が周囲の土地より高いという、いわゆる天井川と称される危険な状態がすぐにできてしまう。
流れが比較的急で、土砂を海へと流し出す水の勢いが強い日本の河川ですら、この天井川はいくつも存在するのだよ。
まして、国際河川級のなが~い川なんざ……。
そういった川のある地域の、比較的海に近い国を移動してた時には、ちょっと驚くようなものも見た。
日本国内の感覚で言うと、高速の高架ぐらいの高さを、何かやけにゆっくり動いてんなーと思ったら……船だったというね。
最初はあたしも二度見三度見するくらいにはガン見したものだ。じきにそんなもんかとスルーするようになったけどな。
天井川とまでいかなくても、土砂の溜まった河川の管理というものは、行政の悩みの種になりやすい。
なぜなら、人口が集中するような都市部というのは、交通の便のいい、平地、特に水運のいい場所に自然発生的に作られやすかったりするからだ。交易都市というやつがその良い例だったりする。
いわゆる鷹の巣村と言われるような要塞集落みたく、なんらかの戦略的要因がない限り、人間は生活のしやすい所に住む。
だから都市が自然災害に弱いのは、ほかでもない、定住者が増え、都市が成立していくような、人が暮らしやすい土地ってのは、長年にわたり河川が運び続けた土砂が堆積したから平らになった場所だからというだけにすぎないのだ。
水害が起きやすい?
水運を利用しやすい立地というのは、メリットがあったらデメリットがあるのが当たり前。高潮や氾濫が起きたら真っ先に被害をこうむる立地でもあるということなのだから。
一度、ある都市の中心部が水没したところにぶつかったことがあったが、ありゃあ、ほんとにひどかった。
一階のトイレは使えない、使ったら逆流する。どうしても宿に戻るには、川とも呼べないくらい、小さな水路を渡らなければいけなかった。
危険なのはわかってたが、川幅二メートルぐらいのところにかかったちいさな橋だと覚悟を決めて渡った。
結果的に渡るのは一瞬ですんだからよかったが、その時、川から溢れんばかりの水を堰き止めてた、道路の高さよりも軽く一メートルは高いところにあったコンクリートの堤防の頭から、ぴゅーぴゅー水が吹き出ていた光景は、ちょっと忘れられない。
コンクリって、ひびがはいってなくっても、透水性と銘打ってなくても、こんなに水を通すもんなんだー……と、妙なショックを受けた覚えがある。
当然、公爵閣下たちに、あたしが提示した堤防の積み上げと浚渫という手段は、どっちも、日常生活に多大な被害が出る前に必要な河川管理ということになる。
だが、問題は、だ。
「それらの策は、どれほどの範囲に施さねばならんのだ?」
「『それはむろん』」
あたしはうやうやしく魔術師の礼を取ってグラミィに答えてもらう。
「『両閣下が被害を出してはならぬとお考えの箇所すべてに、被害を出してはならぬとお考えの歳月の間、必要なものにございます』」
そうなのだ。
河川管理が国家事業と言われる由縁ってのは、費用と労力が半端じゃなくかかるからなのだよ。
どっちも1mやったからハイおしまいじゃないの。10mとか100m単位の問題でもない。何十km、何百kmという超々広範囲にわたる問題なのだ。
めちゃめちゃ大変、なんてもんじゃない。
あたし一人になんぞできるわけがないっつーの!
山における治水工事についても、同じ事が言える。
天然ダムが決壊して土石流が発生する前に、河筋に砂防ダムを作るというのが、たしかむこうの世界における防災工学の答えの一つだったはずだ。
だけどそれだって、いつまでも機能するわけじゃない。砂防ダムなんてもんは、土砂が溜まれば『防』の字が取れてしまうのだ。
ただの土砂溜はひとたび土石流が発生したなら、その土石流に巻き込まれて、決壊するようなことになったら、それ自体が土石の供給源にしかならない。
貯水ダムなら緊急放水という手はあるが、砂防ダムの場合は、たまった土砂を取り除くのにも大きな労力がいる。
結局のところ、どこでやっても治水工事なんてもんは、ただの時間稼ぎにしかならない。
ただし、数十年単位のね。
つまり、維持するためには、こちらもあたし一人を確保したからってどうにかなるようなこっちゃないのだよ。
何世代にもわたる技術とノウハウを蓄積できるだけの体制作りが今後必要となるのだが。
……そのあたりのこと、今のやりとりでどの程度おわかりいただけたんでしょうかね、公爵閣下ズ?
ちなみに、アルボーでは、氷山での浚渫という荒っぽい手段をやったわけだが、どちらかというと、アルボーのように港を中心に栄えてる土地でより重要なのは、砂地をどう固めるかという問題だったりする。
確かマツのように樹脂を存分に含んで腐りにくい針葉樹を材に、どこどこと何千本もくい打ちすることで土台を固めてあるというのは東京駅の話だったか。
じつはこれ、向こうの世界でも有数の天井川まみれなオランダでも伝統的な工法だったはずだ。
海面より地面が低いあの国の大都市、アムステルダムやロッテルダムといった都市の名称である『ダム』はダイク、つまりくい打ちで固めた堤というか堤防の上に築かれていることを意味するんだとか。
固め締めた地盤を水流で崩されないよう、粗朶で編んだかごに石を入れて沈ませてるという工法なんざ、テトラポッドの元祖と言えるだろう。
うーぬと考え込んでいたクラールスさんが、びしっと爪楊枝石の一つを指さした。
「ならば、両方同時にはできないのだろうか。掘り上げた川土で堤防を築けば、川は深くなり、土手は高くなるだろう。労力も半分で済むのではないか」
「『半分とは申しませんが、労力は確かに減りましょう。不可能ではございません。流域の魚が絶滅しても構わぬとおっしゃられるのであれば、それも一つの手段かと存じます』」
ぺしっと固まったのは公爵閣下たちだけでなく、アーセノウスさんやマールティウスくんもだった。
だけど、これもほんとのことなんだもん。
浚渫や川底の掘り下げによるデメリットでもある。
むこうの世界にあった、ちょいと昔のいけいけどんどんな治水工事のやり方を見ると、それまで段丘のようにゆるやかに堤防部分から川岸、そして川底までつながっていたところを、川岸に矢板をがしがしと打ち込んで固め、川岸を堤防と一体化させることで流れから切り放し、水の流れで周囲が削られないようにしてあったりする。
もっと河川敷が広いところだと、それこそ重機を入れて川底を掘り下げ、人為的に固めることで、氾濫のたびに変わる川の流れを無理矢理固定しようとしたりするなんてこともあったようだ。
氾濫を起こさせない、という、その発想の方向性は理解できなくもない。
ひとたび氾濫が発生すると、後始末が大変だもんねー……。水に浸かったものは腐るし、処分に手はかかるし。
だけど、結果として、その川は周囲の生態系から切り放され、雨水を早急に海へと排出する水路に変えられた川の生態系は死にかけた。
それを知ってたからこそ、あたしはピノース河から魚卵を退避させたのだ。
あれ、川底をまるっと削り落とす予定だったから、それをしなけりゃまじでピノース河の生態系は壊滅の危険だったんだからね。
だけど……うん、いや、公爵閣下たちはご存じなくていいよ。
あれは結局、あたしがハムスター車なみに、勝手にからから空回りしてただけなんだし。魚だったら、ロブル河からだって入手できたんだしさ。
〔ボニーさん……〕
グラミィが肩ポンしようとして、目をそらした。ふんだ。
いぢけてもっふもふの毛皮にわしゃわしゃと指の骨を沈めると、巨大エンジンのそれにも似た盛大な震動が伝わってくる。
本日もご機嫌なようでなによりです、ヴェリアスちゃん。
「う゛んるるるる♪」
幸いというより幸せなことに、あたしは初対面の時から、このクラールスさんの『猫』にえらく好かれている。
〔骨だからじゃないんですかー?〕
骨に飛びつくのはわんこだと思うのだが。
ちなみに、『猫』というのは比喩表現じゃない。
星見台で密談した時も、クラールスさんはこのにゃんこを連れてきていた。
あたしも思わず眼窩をこすっちゃったが、フェリデリンクスとかいう品種らしい。
子どもの頃から育ててるというクラールスさんにはとっても従順で、温厚な性格。
グレーの濃淡で描かれた模様はソフトフォーカスした迷彩柄のようで、きらきらした蜂蜜色の目が好奇心いっぱいに輝いているのを引き立たせる。
どこぞのたぬきとは比較にすらなんない、超絶モフキュート。
ただし、この子。
人 間 サ イ ズ の 猛 獣 な ん で す。
以前襲われかけて、反射的に肉になっていただいた森のくまさん(仮)よりは小さいよそりゃあ。あれが重量級関取クラスだったら、ヴェリアスちゃんはちょいと小柄な女子中学生サイズといってもいい。
だけど、素手の人間が戦おうとしたら、まずろくな反撃もできないうちに問答無用で死ねます。
そんくらい隠密性が高い肉球装備な上に、すんごい敏捷なのだよこの子。
それに、野獣としてはいくら小柄といっても、むこうの世界における野生のオオカミよりは一回り小さいくらいはあるのだ。そのぶん力が強いのは当然のことだろう。
あたしの手の骨と同じくらいの大きさがある前足の爪も、あたしの頭蓋骨よりはちょびっと小顔なお顔にある牙も、めちゃめちゃ鋭いのだ。モフい毛に埋もれて今は見えないけど。
この子を連れているため、クラールスさんについた二つ名は『猛獣公』である。
……ひょっとして、あたしをクラールスさんがそれなりに認めて、トニトゥルスランシア魔術公爵さんにつないでくれたのは、あたしがじゃれられても平気で遊び相手になってるってこと、この子があたしに懐いてくれたってこともあるんじゃなかろうか。
なにせヴェリアスちゃんってば、星見台にも同行してくれてたクラウスさんには超警戒モードだったんだもんなー。
あたしにはほぼ無警戒で、グラミィにはちょっと警戒を示してたってことから考えると、たぶん、放出魔力を感知したからなんだろうけど。
理屈はともあれ、それでクラールスさんも警戒を解いてくれたのならば良いことずくめ。
ヴェリアスちゃんは、あたしにとっての招き猫ですなー。
いや、今も座った途端に巨大な前足で熱烈にハグをかまされ、その上に甘噛みされまくってるあたしが、骨はもちろんローブすら無傷でいられてるのは、ひとえに全身に結界張ってるおかげなんだけどね。その程度には危険です。
なにせこの子、大きいことは大きいのだが魔物ではない。純然たる動物なのだ。魔力感知能力の高さは言うまでもなく、感情も豊かでめっちゃかわいいんだけど、意思の疎通ができるほど自我は育ってないのだよ。
ちょっとどいてほしいなーと心話で伝えても、自分がイヤなら完全拒否な超マイペース。
もふもふな毛皮は気持ちいいし、幸せだけど困るー……ううう。
このあたりはやっぱりサイズと体内魔力量の問題なんだろう。
馬たちぐらいの大きさならば、そんでも簡単な意思の疎通ができるから、取引込みで多少のお願いぐらいは聞いてもらえるんだけどなー。
モフいけど重ひ。
それになにより、でかいにゃんこに抱き込まれてかじかじされてるこの状態で、真面目な話は続けにくいのだ。
ちょっとすまんがやっぱり離れてもらおうか。
結界を厚くし、そのままぐいーっと椅子の端っこまで押しのける。
あたしの型そのまんまになってる結界を、んべろんぬべろんと舐めてたヴェリアスちゃんは、しばらくして、あれ?という表情になった。
抱き込んでたはずのあたしが、いつの間にか離れてるってことに混乱してるんだろうけど、結界のこっち側から見ると、なんかこうガラス戸に顔面くっつけたせいで、オモシロ顔になってるにゃんこみたいだ。おまぬかわゆす。
ともあれ、今のうちに政治的な話は詰めとこう。
〔といっても、肝心の魔術公爵さんが口開けてこっち見てますけどー。規格外の魔術連発しすぎですよボニーさん。しかも無詠唱なんですから〕
声帯も肺も横隔膜もないから声なんで出ないんですってば、あたし。詠唱しろという方が無理というものだ。それより通訳よろ。
「『もちろん、もっとも良い対策を考えるには、その土地の実情を知らねばかないますまい。王命に従いまして、わたくしは明日にはボヌスヴェルトゥム辺境伯領に向かわねばなりませぬ。従いまして、フランマランシア公領にも、トニトゥルスランシア魔術公領にも、向かうことができますのはその後になるかと存じます。いましばらくご検討いただきましてから、工事にかかった方がよりお二方の領内の実情に即したものができるものと愚考いたしますが、いかがでしょうか?』」
ご希望の範囲が定まりましてからでしたら、報酬もお決めになりやすいかと存じます。
そうグラミィが結んでくれたら。……報酬取るのか、という顔になったのはどういうわけなんですかね、公爵閣下たち?
取りますよ、そりゃ。当たり前じゃないですか。国への協力依頼はあたし個人への直接的な見返りにはならないんですー。
てか、やだなあ。最初に金貨袋をブラックジャック代わりに、ひとの頬骨ぶん殴りに来たのはそっちじゃないですか、レントゥスさん。
ボヌスヴェルトゥム辺境伯領に行くには、ランシア河を使う予定だと伝えてもらうと、慌ただしくレントゥスさんは帰っていった。
クラウスさんが教えてくれたが、トニトゥルスランシア魔術公爵領はこの王都ディラミナムの東側、ランシア河の中流域にもかかっている。おそらくはそれだけでも早く調べてあたしに土木工事を押しつけようって腹なんだろうけど。
「まったく。レントゥスもせっかちな男だ」
うっすらと笑みを浮かべながらフランマランシア公爵は茶器に手を伸ばした。
疾風迅雷の如しというトニトゥルスランシア魔術公爵の性格も、その一言で片付けちゃいますか、クラールスさん。
「『フランマランシア公爵閣下は……』」
「クラールスでよいぞ、シルウェステル」
「『では、クラールス閣下。閣下は貴領の治水をお急ぎではないので?』」
「我が領地は山が多い。雪の積もった冬山に無理に入れとは、いくら今のそなたにも、言えぬし、言わん」
だから安心していいぞ、と、面白そうな目を向けられたアーセノウスさんとマールティウスくんは、無言で一礼した。
「それよりまずは、報酬の話をしておこうか」
「『これはお気の早い。いかなる手法を取ろうとも、大きく地形を変える必要がこざいます。おそらくわたくしの仕事も長期にわたるものとなりましょう。それも世情の動き次第では、ランシアインペトゥルス全体が落ち着きを取り戻してからになるやもしれませぬというに』」
「では、取りあえずの手付けというのはどうだ?シルウェステル、そなたが必ず我が領地の河を鎮めてくれるというなら、好きなものを望むが良い。このフランマランシア公爵クラールス、そうそうしみったれた男ではないつもりだが?」
……うわー。こういう方向から攻めてきやがりますかクラールスさん。
レントゥスさんより陽気でとっつきやすいように見えたのは本性だろうけど、その下にはしっかりばっちり大貴族らしい言葉の罠師が存在してるとか。
〔えーっと、つまり?〕
意訳:手付けは金に糸目を付けずにくれてやる。そのかわり受け取ったならば、必ず土木工事しに領地まで来い。これは契約だからな、がっぷり食いつくならばそれでいい。だが、びびって、手付けもてきとーな少額にしてお茶を濁そうとかすんなよ?いざとなったらその手付けを返して話をなかったことにしようって魂胆だったら、そんなもん最初に潰してやんよ。フランマランシア公爵クラールスの体面って名前の、超絶でっかい重量鈍器で圧殺DEATH。
〔四方八方から逃げ場をなくしにかかられてますねー……〕
イヤらしいのは、これをアーセノウスさんとマールティウスくんの前で言ってくれたってことだ。
あたしが尻込みして、いやですできませんと言い出したら、彼らにその始末をさせる気満々ですよこの公爵閣下。
そして、もしほんとにあたしが逃げたら、二人は、たぶん本気でフランマランシア公領地の開発に関わるだろう。そりゃもう無理矢理にでも。
それは何も彼らがシルウェステルさん大好きという弱点をさらけ出しちゃってて、その対象を守るためならなんとでもするから、というわけじゃない。
たぶん、それもあるだろうけど、むしろ大きいのは貴族としての面子の問題だ。ルーチェットピラ魔術伯爵家の現当主と前当主として、一門の面目がかかってるんだ、どんなことがあってもやり通すだろう。
そして残るのは、『フランマランシア公爵クラールスが、ルーチェットピラ魔術伯爵家を使役した』という事実だ。
もうそうなると、昼行灯ムーブでうまく宮廷内部で派閥抗争に巻き込まれることなくきていたアーセノウスさんも、生来の真面目さでコツコツと信頼と実績を積み重ねてそれなりの立ち位置を手に入れつつあったマールティウスくんも、フランマランシア公爵の派閥に組み込まれたと見なされてしまいかねない。
宮廷とは、火のないところに水煙が立つところだとアーセノウスさんは言った。ならば一つの事実があればそれは十にも百にも膨らんでいくのが常というもの。それが政治というものだから。
だったら、火消しは必要だ。
水煙どころか靄すら残さぬように、『シルウェステル・ランシピウス個人が、王命によりて、公爵閣下お二方の領地の治水に関わった』という話に収めなければならない。
そのためには……。
ヴェリアスちゃ~ん、た~すけてええぃっ!
(#~)
……どうやら、まだお怒りモードのようだ。ふぉんふぉんともふもふ尻尾が勢いよく真横に振られております。
……しょうがない。奥の手だ。グラミィ、よろ。
〔ああ……。あたしの一日の努力の結晶があ……〕
それはしかたがない。てか、あたしの身代わりのために作ってもらったんですがねそれ。
「『フランマランシア公爵閣下。どうか、ヴェリアスに贈り物をさせていただけないでしょうか』とのことにございます」
「ふむ?なにかな?」
おもしろそうにクラールスさんが見やる前で、グラミィが取り出したるはラグビーボールぐらいの大きさはありそうな、巨大なネズミっぽいぬいぐるみである。
目は糸だけど、それ以外はオール毛皮仕様なので、かなりリアル。
それを振ると、途端にヴェリアスちゃんの飾り毛のついた耳ともっふり尻尾がぴんと立った。
ほーら取ってこーい、とばかりにグラミィが部屋の片隅めがけて放り投げた途端、グレーの液体と化した。
ヴェリアスちゃんが固体に戻った時には、すでにざっくりとぬいぐるみの首は噛み裂かれていた。
〔し、瞬殺もいいとこじゃないですか……〕
どんまい、グラミィ。
当のヴェリアスちゃんはといえば。
(♪)
……大満足ですかそうですか。ご機嫌が戻ってなによりです。
ほら、グラミィ。プレゼントにあれだけ喜んでもらったんだから、それでいいと思っとこう。
ちなみに詰めておいたのは、ぬいぐるみの外に使ったうさぎっぽい動物の皮の切りくずだったりするのだが、一撃粉砕したのをさらにぶんぶん振り回すから……あーあ。内臓みたいにでろでろはみ出てるよ。ちょびっとグロい。
この子くらいのサイズだと、ラームス経由でなくとも心話はかろうじて通じる。
だが、伝わってくるのは感情の波ばかり。未発達な自我が見ている世界は、好きと嫌いでできている。
だからこそ、気に入ってもらえばとことん好きになってもらえるわけですが。
ちなみに、フェリデリンクスによく似たドゥオカウダリンクスとかいう魔物も、人里離れた高山には棲息しているらしいが、そっちは成体の雄ライオン以上の巨体なんだとか。物騒さも倍増ドンですな。
「『手付けとおっしゃいましたが、それはクラールス閣下から頂戴することがかなうものでしょうか』」
「それは、むろんのことだが?」
「『ならば、この子の子を手付けとして頂きたく存じます』」
「ヴェリアスの子をか?」
さすがに意表を突かれたのか、クラールスさんが目を丸くした。
うん、ヴェリアスちゃんだって、乳離れするかしないかのうちに母猫が死んでたのを、数年前にクラールスさん自身が見つけて連れ帰った、ってのはクラウスさんから教えてもらったから聞いてる。
つまり、この子の子なんて存在しないのだよ。今は。
結界を手の形に限界して、ぬいぐるみの残骸を手元に集めるとヴェリアスちゃんまで寄ってきた。
ああグラミィ、それ以上近づくんならあんたも結界張っとけよ。
あたしが抱えこまれて、この前足以上にでかそうな舌で、んべろんねべろんと舐めまくられるままになったりできるのも、結界あってこそ。
やすりですよ、こんな巨大猫の舌なんて。
皮膚があったらひと舐めで剝けるどころの騒ぎじゃない。どんな菌が口の中にいるかわからないから、傷が膿むのは確定だ。
下手に甘噛みされたら、あんたもあたしも骨まで砕けて数秒で襤褸雑巾コースですよ、グラミィ。
さっきのぬいぐるみの解体状態を通りこした、血まみれスプラッタな惨劇は見たかないぞ。
〔あたしだってそうですよ!……ああ、でももっふんもっふんの尻尾……羨ましい……〕
ノミっぽいサムシングがいるけどね。
〔そうなんですよねー……。だから、撫でるの我慢してるんですけど。ノミなんかの駆除剤って、ないんですかね。この世界〕
むこうの中世ヨーロッパ並みだったら、ないと思った方がいいんじゃない?今度ヴィーリに相談してみようか。
ともあれ、これだけ懐かれたなら、ノミ取りもどきに励んだ甲斐はあったというものだ。
そう。
最初にヴェリアスちゃんに会ったとき、あたしはさんざん虫を取ってあげたのだ。
撫でまわすついでに結界を櫛状にしてざーっと毛並みをすき、出てきたやつをば結界へイン、後ほど焼却という方法で、だけど。
それがよっぽど気持ちよかったらしい。
会うたびに撫でれ構えと全身で甘えてくれるようになったのは心話が通じるからだけじゃないのですよ。努力のたまものなんです。
「『ヴェリアスの子でなくともかまいませぬが、同じくらい人慣れしたフェリデリンクスが身近におりましたならば、ずいぶんと心なぐさむのではないかと思いましたもので』」
「それは……」
さすがのクラールスさんもこの難題には困ったようだ。
もちろん、あたしも答えのない問題をふっかけたわけじゃないのだ。
「『では、こういたしましょう。手付けはフェリデリンクスの子。ただし、クラールス閣下のお手に入った時で構いませぬ。そのかわり、手付けを頂戴できぬ限りは、わたくしはあくまでも王命に従いまして、フランマランシア公領の水難を防ぐために尽力をさせていただく、ということで』」
意訳:土木工事はちゃんとしますよ。ただし、そいつは王サマの命令によるものであって、公爵閣下、あんたの部下になったからじゃないの。手付けで釣ろうとすんのはいいけどさー。そこはき違えんなよ?
「……ほう?」
すっと、クラールスさんの目が細まった。
さすがは武人。カシアスのおっちゃんに負けない剣気というべき重圧がかかってくる。
だけどね、こっちも関係を険悪にするつもりは欠片もないのですよ?
「『代わりにと申し上げるのも面映ゆいのですが、先ほどの浅くなった川に対する策を、一つだけ申し上げましょう』」
「あの二つ以外に、まだあるのか?」
ええ、ないなんて一言も言いませんことよ?
クラールスさんだけでなく、アーセノウスさんやマールティウスくんも近づいてくるのは興味があるからだろう。
彼らの前で、あたしは模型の川脇の砂を、掘り返してみせた。
浅くなった川を、どう持続可能な状態でゆるっと管理していくか。
あたしなりの正解の一つは、溜め池による水流調整だ。むこうの世界の遊水池というのも、たしかこれに似たコンセプトで作られてたはずだ。
これならば、増水したぶんの水量をある程度ためることもでき、生態系に対する悪影響も少なくなる。
貯水している間に溜まった泥や砂は、定期的に水を干して掘り上げ、畑へすき込めば土壌を肥沃にするだろう。
雨が少ないときは、逆に池の水を農作物に使うことも可能になるし、もっと川から離れた土地へ水を送る水源にもなる。
そこまで考えに至らなかったってことは、レントゥスさんの領地は比較的水に恵まれたところにあるということなのかもしれない。川の流域にあるということは、水源に困らないということでもあるからだ。
下手に川から離れたところで水を求めようとすると、水脈にぶつかるとこまで深く井戸を掘らないといかんもんなー……。
ただし、このやり方にだって問題がないわけじゃない。
川が浅くなること自体は、実は絶対悪というわけではない。
氾濫が、肥沃な土壌を、上流から運んできてくれているという側面もないわけではないからだ。
河原――むこうで言うところの河川敷にあたる土地ですな――が十分に確保できるのならば、無理に川幅を整形したり、川底掘ったりしなくても、それ以上に川の水が増えないようにして、水に浸かったら困る集落の中心地を離れた小高い丘の上にでも置けばいいだけの話だ。
河原部分は、ある程度の氾濫リスクを視野に入れた上で畑にすればいい。雨の多い季節は川に近い畑を休めるよう転作していけば連作障害も生じず、土地を肥沃なまま維持することもできなくはない。
実際、古代エジプトはナイル川の氾濫をそうやって農耕に活かしてたわけだし。
だけど、この世界は、大航海時代以前の中世ヨーロッパに近い。
ということはだ。人間が定住して活用している土地なんてもん、すでに十数世代にわたって耕作が繰り返され、畑は可能な限り広げられている状態なのだよ。
ある意味開拓の臨界点が近い状態だ。
可能な限り使いやすい土地を――ということは、徒歩移動が楽にできる範囲内の土地を――有効活用しきっていたとすれば、河原どころかため池なんて作れるわけがないだろう。使わないまま遊ばせておく空き地なんてないんだから。
……で、グラミィさんや。その赤オレンジな八角形の結界はいったいなんだ。
〔いやー、壁、壁ってイメージしてたら、自然とこんなふうになっちゃいました〕
ヲイ。
……いや、いいけどね?
ちなみに、猛獣な巨大猫が欲しいというのにも理由がある。
むこうの世界における中世ヨーロッパでペストが蔓延したのは、ペスト菌に感染したネズミと、その血を吸ったノミのせいだと言われている。
ネズミ取り用に猫や、小型犬が飼われていたのにだ。
なのに、なぜペストが蔓延するほどネズミの数が多かったのかといえば、ネズミ、特にドブネズミの身体がでかすぎたせい説というものがあると聞いたことがある。
実際、ドブネズミってリアルにみるとでかいよマジで。下手すると大猫サイズなんだもん。
子猫が食い殺されることもあるって話も、あながち嘘には思えない。
そんな巨大ネズミ、いくらネズミ取り用に飼われてた犬猫といえど、狩るのをちょいとためらったって不思議はない。
ちっこい子ネズミならともかく、自分と同等サイズにまで成長しまくった大ネズミなんてもん、反撃されたら毎度毎度命がけの戦いになるのは目に見えている。
狩猟本能全開でも、動物だって自分の生死にはシビアだ。一回ごとの食事に命賭けててたまるかっての。勝ち目のない戦いならばなおのこと、避けて逃げてもおかしくはない。
で、こっちのネズミっぽいものが大猫サイズというか、チワワサイズだったのは、あたしが王猟地で確かめてる。
ネズミがあのサイズで、猫もむこうの世界サイズならば、まず間違いなくペストっぽい疫病の大流行は起きるだろう。
つまり、あたしが想定しているフェリデリンクスの家畜化というのは、疫病予防の防護策だったりする。
人の動きが大きいところから流行病はやってくる。検疫ってのが港や空港にあるのは理由がないこっちゃないのよ。
幸いと言うべきか、交通の要衝たるアルボーにもアダマスピカにもあたしにゃ伝手ができた。
そこに巨大にゃんこが定住してくれれば、病原体の運搬役となるネズミが入ってこようとしても、文字通り水際でシャットアウトしてくれようというものだ。
放出魔力が多い人間を本能的に警戒するというのなら、それこそ常駐してるアロイスやカシアスのおっちゃんといった騎士たちに懐かせればいいわけで。
ノミ取りの方法を教えておけば、きっと懐いてたっぷりとネズミを取ってくれるだろう。
お土産とばかり、枕元に山と大ネズミの死骸を積まれたら、さすがにおっちゃんあたりも悲鳴を上げるかもしれないが。
そこまではあたしの知ったこっちゃないのだ。
モフモフ回でした。
フェリデリンクス、イメージ的にはユキヒョウとカナダオオヤマネコを足して二で割ったものです。尻尾はユキヒョウ推し。




