縛鎖
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
パルやテネルともども術式場から下がっていこうとする下級導師さんを引き留めて、あたしは魔術試験の準備をしてもらった。
コッシニアさんに受けてもらうためだ。
手早く試験場を整えてくれたあとも、お片付けを名目に二人ほど残ってもらう。危険感知能力が低かったのか他の下級導師の人たちに生贄にされたのかは知らないが、君らもちょっと役に立ってくれなさい。
目眩まし用に、コッシニアさんは魔術師が通常使うサイズだという、身長よりちょっと小さいくらいな杖を持ってきてたので、まずはそれで的めがけて攻撃用の魔術を撃ってもらう。
……うん、火力と精度がはっきり違うね。思いっきりへたってる。アレクくんクラスとは言わんが、ベネットねいさん以下、馬鹿坊ちゃんとタメはるレベルだ。
「コッシニアどの。シルウェステルどのが『本気を出されよ』とのことですが」
「かしこまりました」
一礼すると、コッシニアさんは50㎝ほどの短杖を一本取り出した。彼女がルーチェットピラ魔術伯爵家に最初に突撃してきた時、家宰のプレシオくんに真っ先に預けた杖だ。
つまり、これも実は目眩まし用だったりする。実用性はさっきの杖よりゃ高いけど。
ちなみに、『本気を出せ』じゃなくて、『全力を出せ』と言ったら、いつもの指揮棒か鉛筆かってサイズの超短杖の組み合わせを披露してもらうというのは、事前に打ち合わせておいたことだったりする。
では、とばかりに一単語詠唱で顕界した火球は十数個。それがかなりの速度で飛んでいき、わずかな時間差で続け様に的へとすべて着弾した。氷弾、鏃と生成物の違いで魔術が難しくなるにつれ、その数は減ったがそれでもかなりのものだ。
さすがはコッシニアさん。目眩ましとはいえ、そこそこ使い慣れてる杖でなら、このくらいのことはやれて当然ってところですかね。
こんなところでいかがでしょうかと見やれば、下級導師のお二人は顎を落っことし。オクタウスくんとマクシムスさんの王族コンビは、どこか無感情なくせにやたらと熱っぽい目で見つめていた。
「見事ですね」
「魔力量と術式の精密さだけなら、上級導師にも匹敵するでしょう」
力量を判断できたら、速攻自分の陣営に組み込みたいレベルの人材だって判断しましたかそうですか。そのための手段を今は構築中ってとこですかね。
だったら、本気の本気モードにしか使われないという、例の超短杖の組み合わせを見たら、完全に上級導師認定されてましたな。そして熱い勧誘合戦にさらに拍車がかかっていたかと。
はいはいそうです。コッシニアさんはもう一段階変形を残しています。
ただ、まあ、あれは、彼女にとっても最後の切り札なのだそうで、できれば見せたくないとのことだったんだよねー。
そんなわけで、よっぽど舐められない限りは合い言葉で杖を変え、リミッターを付けた状態での『本気』を見せとこうということで、事前に話はつけてた。
そのあたりの見極めを頼まれて、どうしようかとうろたえたこともありましたが。よく考えれば放出魔力からおおまかな感情が感知できるのよねー、あたし。王族コンビの放出魔力が『感嘆』を示したところでストップをかける、という方法で対応しております。
「コッシニアどの。『貴女は早急に名誉を望まれるか』と」
「いえ。魔術師として貴院の籍に記されるだけでも望外の喜びにございます」
淑女の礼を取ると、コッシニアさんは控えめに答えた。
「ならば、まずは魔術学院に下級導師としてお迎えをいたしましょう」
「光栄に存じます、殿下」
「どうか学院長とお呼びください」
オクタウスくんがにこりと笑った。
彼も、もっふるたぬきたちに取り囲まれて、魔術師として力のある人間を味方にするのが難しい立ち位置だったらしいもんなー。これでコッシニアさん級の魔術師を魔術学院に取り込むことができれば、少しはマシになるという計算も働くよねー。
マクシムスさんも、表情だけは穏やかないい微笑なんだが。
あの、いくら負けて口惜しい花いちもんめ状態だからってさあ。かなり感情だだ漏れてますよ。放出魔力で。
コッシニアさんもいい笑顔である。実力を隠せて、しかも侮られることも悪目立ちもすることがなさげな立ち位置をオクタウスくん直々に得ることができたのだ、何よりということだろう。
〔なんでしょうね、みんな笑顔なのに見てて背筋が寒くなるって〕
いーカンしてるじゃん、グラミィ。
あ、そうそうオクタウスくんに言っといて。下級導師の人たちに口止めよろしくって。
そうしないと、またぞろ魔術公爵家が手を出してくるかもよー。
あのもっふるたぬきと馬鹿坊ちゃんの態度を見れば、下位の貴族は平民並み、ぐらいの感覚でいてもおかしくはない。コッシニアさんを取られないようにご用心。
〔ボニーさん。だったら、なんで、下級導師の人たちをわざわざ同席させたんですか?最初から立会人なら間に合ってますよね?あたしたちとか、マールティウスさんとか〕
一つは、コッシニアさんを侮らせないため。
コッシニアさんの魔術師としての腕前を見せれば、オクタウスくんなりマクシムスさんなりが取り込みを画策するだろうってことは、最初からかなり読めてた。
どっちも、信頼できてなおかつ有用な、側近にできるような人材がその地位に比べて少ないからね。魔術士団長になりたてのマクシムスさんはともかく、魔術学院長やってるオクタウスくんがあそこまで獅子身中の虫まみれとは思わなかったけど。
ちなみに、アダマスピカ副伯爵家ご令嬢として、もしコッシニアさんが話を受けるとしたら、魔術学院の方だろうなとも、その方法としてなんかしらの資格や特権を与えてくるだろうなってことも推測はついてた。
ま、オクタウスくんが、いきなり下級導師として認めるとは思わなかったけど。
ただ、与えてくるものはおそらくあたしのように目立つモノじゃない。前例がたっくさんいるはずのものだ、というとこまでは読み通りと言ってもいい。
つまり、コッシニアさんは、学院長自らのご推薦で同等の資格持ちがたんといるだろう魔術学院の中に取り込まれることになる。
同格の人間の中で、新入りってのはまずそれだけで目立つしいじられる。ましてやコッシニアさんはもういろいろ目立つ存在だ。あたしやマールティウスくんがバックにいるどころか、オクタウスくんのお声がかりともなれば、下手すると高位の魔術師を片っ端から手玉に取りまくった悪女が、宝飾品代わりの地位を求め、抜擢されたという色目で見られかねん。
一度立った悪評はすぐには消えない。むしろ悪意の拡散が起きるだろうね。コッシニアさんの足をひっぱるために。
だったら、最初に一発かましておくことは大切だ。
実力ありきと周囲を納得させれば、噂を立てることのデメリットを計算に入れたら、魔術特化型貴族の中でも、男爵や副伯爵あたりの下位貴族が自分の意思で手を出してくるとは思えない。保身は大事です。
だけどそれは、相当なでっかいバックがついているか、もしくはそのバックそのものに命令されて、ちょっかい出してくる人間はいるだろうってことでもある。これは確実に。
〔うわ。ひさびさ真っ黒ボニーさんですね〕
このくらい普通普通。むこうの世界で言えば、部長や会長が突然有能な女性を高いポジションにつけました。さて、彼女は反発とやっかみを喰らわずにすむでしょうかー、てなもんだ。
簡単な集団心理の事例でしょ。
だったら、少しは相手を篩にかけて減らしたついでに、親玉に挨拶をしておくぐらいの下工作はすべきかなと。
もう一つは、パルとテネル兄妹にちょっかいを出させないため。
さっきグラミィがもたもたしてたら、コッシニアさんが手伝ってくれて、さくっとテネルのおむつを換えてくれたでしょ。
〔どうせ手際よくなんかないですよーだ〕
すねるなグラミィ。
むしろ、あんたがもたついてくれたおかげで、コッシニアさんとあの問題児兄妹を関係づけることができたんだ、お手柄である。
コッシニアさんが下級導師として正規に学院内で指導するよう任命されたら、たぶん魔術に関するお勉強だけの指導じゃすまない。24時間ブラック体制に組み込まれるってのは、建前的にはどこまでも正しいんだもん。
でも、そしたら、コッシニアさんの性格的に、パルとテネルには優しく接する気がするんだよねー。
罪の子と呼ばれ、魔力暴発を恐れ、排斥されてきた兄妹は、当然優しくしてくれたコッシニアさんになつき慕うようになるだろう。
コッシニアさんに危害を加えようとした人間が出たら守るくらいにはね。
それはコッシニアさんも同じこと。つまり彼女たちは、互いを守りあう盾と槍を持つことになるというわけだ。
テネルも、あれだけ魔力感知能力が高いということは制御能力も早く身につくだろうし、パルの放出魔力も十分多い上、妹を守るという面ではいっぱしの矜恃をちゃんと持ってる。
近い将来、彼らがコッシニアさんの足を引っ張るとするならば、実戦経験皆無って面だけになるだろう。
そしてもう一つは、これだけの重鎮を集めるだけ、コッシニアさんが重要な魔術師だってことを下級導師の人たちに信じ込んでもらうためだったりする。
学院長であるオクタウスくんだけでなく、マクシムスさんやマールティウスくん、ついでにシルウェステルさんといった大物大集合が、コッシニアさんの試験のためだったということにしてしまえってね。
そう、アルガの目隠しのために。
中級導師のローブは濃紺だが、上級導師のローブは基本的に漆黒だ。あたしはまだ頭蓋骨に巻いた達人の輪ぐらいしかつけてないが、名誉導師になると、さらになんかごてごてと飾りがつくらしいですよ奥様(誰や)。
だけど、そんな黒っぽいローブ姿がぞろぞろと石壇の上に上ってきて、真ん中に両手を拘束した状態の人間を横たわらせてるとか。
いったい何の邪教儀式ですかという雰囲気もむべなるかな。時間もそろそろ深夜を回るし。
だけど、その場合、生贄ポジションでぶるぶる震えてるのが、いかにもなかわいらしい少女じゃなくって、貧相な薄らハゲのおっさんというところがじつに艶消しである。萎えるわー。
ま、冗談はともかくとして。
「『多少苦しいかもしれんが、アロイスが預かったそなたの命だ。悪いようにはせん』」
アルガを見下ろしてグラミィに伝えてもらうと、こわばった表情でアルガは頷いた。
「よ、よろしくお願いいたします」
「『そなたが真実を吐いたのならば、問題はあるまい。何もな』」
そう言ってやると、さすがにアルガの目が泳いだ。
それじゃあなんかやましいことがありますって大声で宣言してるようなもんだよ。
ま、真実を洗い浚い吐いたとしても、真名の再付与により魔術師としてはパル並みに戻されると思えば、恐怖しかなかろうな。
それでも、自分の命と祖国を守りたいからのったんだろう。
石壇に刻まれた術式生成装置の紋様は円形だ。
だから、じつは、真名付与の儀式の参加者は、必要な魔力さえ供給できるのならば、何人でもいいのだろう。
そうと確かめ下級導師が全員いなくなったところで、あたしはグラミィを通じて大物の皆さんにお願いをした。真名の再付与に立ち会うのではなく、儀式に参加してほしいとね。
オクタウスくんとマクシムスさんは王族として。マールティウスくんも魔術伯としての立場がある。アルガを裏切らせないようにするなら、全力を尽くしてくれることだろう。
そもそもアルガの存在は、この国と別の国との外交問題、にもならない、ただの密偵一人というにすぎない。あたしが立ち会うのは、たまたま彼を捕獲したのがあたしだから、というだけのことだ。
むこうの世界では、数字には意味があると言われてた。四が死に通じる、13は不吉な数字、なんて具合に。
もっとも、人はあらゆるものに意味を見いだす。物、色、図形。点が三つ並んでいればそれでもう顔に見えるという人間の特質は、進化過程で脳の情報処理能力を上げるために、事象に関連性を見いだすような発達が必要だったから、という説が脳科学の分野だったかであったというが本当だろうか。
数字に意味を持たせる考え方の一つに、数秘学というものがある。あたしもタロットをいじってた関係で、ちょこっと知ってるぐらいなものだが、それによれば、4という数字はスクエアを意味する。
堅牢さや確実さ、安全などを意味するそれが、親や兄弟、生まれ故郷から引き離されて情緒不安定になりやすい子どもたちに真名を付与する人数として定められていたのは何か意味があるのかどうなのか。
だが、アルガは大人であり、これから行うのは付与ではく、再付与だ。
だから、石壇に上がってもらうのは、オクタウスくん、マクシムスさん、マールティウスくん。そしてあたしとグラミィの5人である。
ちなみに数秘学で5は、停滞からの変化、経験をもとにした新たな挑戦を意味するとかそうでないとか。
おまじない程度の縁起担ぎだが、もちろん他の意味もないわけではない。
コッシニアさんに、記録係ということで、この儀式から外れてもらう必要を作るためだ。
ここまでずっとアロイスからアルガの身柄を責任持って引き受けてくれた彼女をはじき出すのにも意味がある。
なんせ、コッシニアさんがこれ以上関与したら、そのぶん責任も取らねばならんのだ。そんなもんは、国の重鎮たちに取らせておけばいいのだ。
あ、コッシニアさんの試験中は、あたしが直接預かってました。だからあたしが参加するのは無問題ですよええ。
〔あたしが参加するのは問題だと思いますー!〕
グラミィさんや。あたしの通訳を、アンタ以外にだれがしてくれるってか。
いい加減ニコイチで扱われるのを諦めてくれなさい。
〔しくしく、異世界で骸骨にブラック労働強いられるってつらいですー〕
……嘘泣きできるくらいなら大丈夫だな。うん。
横事を振り払って、あたしはグラミィともども儀式に集中した。
といっても、術式の構築自体は魔力を定められた回路に流せば生成するので、じつはそんなに難しくはない。一角にまとめて立ったあたしとグラミィが二人羽織状態で同時に魔力を流せばいいので、タイミングを合わせるだけの話だったりする。
詠唱?術式の内容に関連しないところはまるっとすっとばしてますが何か。オクタウスくんたちがちゃんとやってくれてるからいいんです。
あたしが干渉すべきは、魔力の糸に編み上げられた紋様、複数の術式の連鎖そのもの。
「汝ゲラーデのアルガ、汝が現在の真名を明らかにせよ」
マクシムスさんの声に脂汗まみれのアルガはびくりと震え、口を開く。
「我が、真名は、…ソリダートのマレアルーバ、インブルタイドゥムヘルヴァより受けしもの」
王侯貴族の三人の目が、厳しく絡み合った。
ちなみにスピカ村であたしが脅しつけた後、アルガはわりとあっさりこの自分の真名を白状している。
どうやら、真名を他国人に明かすことは禁じられていなかったようである。おそらくは、生命線たる真名をおおっぴらに明かす魔術師はおらん、てのが常識らしいこともあって、わざわざ禁則を設けるほどでもないと見られていたんじゃないかな。
だからこそアルガも、完全に降伏した証として自分の真名を差し出してきたのだろう。
あ、アルガの真名自体はこの再付与が終わり次第悪用はしないつもりです。あたしはね。だけどそこから見えてくる事実や、あたし以外の人間がどう利用するかまでは知ったこっちゃありません。
アロイスによれば、インブルタイドゥムヘルヴァとは、どうやらグラディウスファーリーにおける暗部、みたいなもののようだ。
つまりアルガが真名を自白した時点で、グラディウスファーリーの密偵だってことはすでに確定していた。
そこまではいい。
アルガにいつでも口を割らせることはできるんだよー、祖国から切られるように噂で誘導することだってできるんだよーと示してやったのは、ある意味優しさだ。
やらしさだとグラミィにはまた言われるだろうけど!
自分の真名を明かすのは、諸般の事情を考えた自分自身の自発的意思による行動だという自覚を与えることで、アルガの逆恨みをそらす狙いもあるけどね!
〔逃げ道全部塞いどいて?〕
全部なんて塞ぐわけないじゃん。あたしゃ窮鼠に噛みつかれる趣味はないんですー。
だからこそ、あたしは、アルガにも『グラディウスファーリーにスクトゥム帝国の手が及んでいる可能性』を開示したのだよ。
自分の国を護るために、あえて忠義を尽くして国を裏切る、という自己欺瞞がしやすいようにね?
〔ボニーさんってば、やっぱ鬼ですよ〕
いいえ、骨です。
「インブルタイドゥムヘルヴァより受けしその真名を書き換えん」
ゆるやかなステップを踏み続けながらも鉄板ネタを心話でやりとりしていたら、オクタウスくんが伸ばした杖で、これまで誰も触れることのなかった場所をとんと突いた。続いてマクシムスさんが、マールティウスくんが同じようにそれぞれの目の前の石壇に杖で触れる。
その先から放出された魔力が、光の線となって走りぬけ、つながりあい、これまでの真名付与の儀式では見たこともない紋様を描き出す。
見つけた。最後の鍵は、これか。
「ソリダートのマレアルーバに新しき真名を与えん」
「グラディウスファーリーに縛られし者、このランシアインペトゥルスにては未だ名指される者に新しき真名を」
「汝ゲラーデのアルガと呼ばれし者、その真の名を「『ソリダートのマレアルーバとなし、ランシアインペトゥルスの王族に、この場に臨みし者およびその係累に害を及ぼすべからず。斯くの如くランシアインペトゥルス王国に誓え、天を支うるアルマトゥーラに誓え、地の豊饒なる恵み手フェルティリターテに誓え、冥界の司たるマリアムに誓え、おのが魂に誓え』」
グラミィの声に、儀式に参加してた三人だけでなく、コッシニアさんまですごい勢いで顔を向けた。
縛られたまんまのアルガすらぱかんと顎を落っことしたが、その隙にあたしとグラミィは杖を伸ばし、新しく起動しつつある術式に魔力で干渉した。
術を受ける人間の真名、忠誠を向ける相手について追記上書きする部分に、それぞれ古典文字で『ソリダートのマレアルーバ』『立ち会いし者及びその係累、並びにランシアインペトゥルス王族』と書き込む。
表計算ソフトで数値を打ち込むのと、他のセルに入れた数値や計算式を代入する関数を入れるのとでは、どちらも表示される数値には変わりがない。
だけど、引用先を変更すれば後者はいくらでもいじることができる。それと似たことをあたしはやったのだ。
これまでのアルガの真名には『グラディウスファーリーに使役される』という制約がついていたものと思われる。これが国への忠誠を誓っているという思い込みにもつながっていたのだろうが、相当な強度で。
それを強度はそのままに、『グラディウスファーリーもランシアインペトゥルスも関係ねぇ。ただしあたしとグラミィとランシアインペトゥルスの王族とルーチェットピラ魔術伯爵家には一切の危害損害を加えられない』という制約に書き換えたのだ。
ええ、心からの忠誠なんてもんが受けられるとは最初から思ってませんとも!てか、強制した真名の誓約なんて反発くらうだけでしょうが。重圧が薄れたら、むしろ叛逆される未来しか浮かびませんて。
だからこそ、あえてゆるい条件付けをしたのだ。
アルガに頭蓋骨を頷かせてみせると、はっと気づいたようだった。
「ただしく魔術を学び正しく行いうるものとして、我に与えられし新しき真名、ソリダートのマレアルーバの名のもとに、ランシアインペトゥルス王国に忠誠を、この場に臨まれし方々へ感謝をもって危害を除くことを誓わん!」
その宣誓とともに、アルガに術式が収束し、きゅるりと吸い込まれた。
儀式は完了した。
「……シルウェステル師。ご説明を願えますかな?」
うわーい。オクタウスくんどころか、マクシムスさんやマールティウスくんまで目が据わってる。こわいよー。
〔やらかしたボニーさんのせいでしょが!〕
「『我らを信じ正しき真名を明かせし者に幾分かの慈悲を垂れてやりたきと存じたゆえのこと。他意はございませぬ』とのことにこざいます」
い、一応、言い訳をさせてもらえばだね。『アルガが自白した真名を、なるべく原形を留めたまま再付与してやる』ってのにも意味があるのだよ。
なにせ、自白が正しければ、再付与によって魔術師として最初からキャリアをやりなおすリスクと、一回死ねるレベルの苦痛という、アルガにかかる負担はゼロに近いことになる。
今後マクシムスさんがしてくれるという、真名による束縛を利した尋問すら嘘をつかなきゃいいのだから。
もちろん、白状した真名が嘘だったら、これはもう苦しむらしいけどね。
だけどそれはアルガ自身の問題だ。そこまで面倒は見きれない。真名を隠して自由を得ることができるかもしれないというわずかな確率に賭けたのだとしたら、それまでのことだ。
だけど、術式の反応を見る限りでは、どうやら自白した真名は本当のものだったようだ。よかったねー、アルガ。
おそらく三人はアルガに与える真名をまったく異なるものにした上に、ランシアインペトゥルス王国への忠誠を強制する気でいたんだろうなーと思う。
そうすれば、アルガは密偵としての自我すら半ば否定され、ランシアインペトゥルスをけして裏切ることができなくなる。そのかわり魔術師としてはほぼ死に体になるが、そのぶん密偵として裏をかかれる危険も減るというものという見立ても、正しいんだろうさ。
なにせあたしだって、まだアルガを信じることはできない。『可能な限り苦痛を与えるようなことはしたくない』って言ったのも本心だけどね!
そう、パルとテネルに一生を呪縛する術式と知りつつ真名の付与をしたのとはわけが違う。
あたしが彼らに真名を付与しなければ、下手したら彼らはランシアインペトゥルスという国に殺されていた。オクタウスくんもマクシムスさんもそこそこの魔術師ではあるが、パルのような術式抜きで物理現象を発生させるような魔力を、あたしみたいに完全に遮ることはできるかっていうと疑問なんだもん。
そして過失であろうが不可抗力であろうが、王族を平民が傷つけたら、たとえ乳幼児だって生かしておいてはくれないだろうというのが、封建社会の恐ろしさだ。
だが、アルガに真名の再付与を行ったのは、はっきり言ってあたし達が害されないためなのだ。
ま、アルガがこの国をどうこうしようとした段階で、オクタウスくんたちが黙っちゃいないだろうけどね。そしてその場合、あたしが彼らを止める気は欠片もない。
ただまあ、アルガが害を及ぼさない限り、あたしたちやランシアインペトゥルスに敵対しない限りはそうそう悪いようにはしないよーって示す布石の一つが、自白した真名の再付与による、魔術師としての能力低下を最低限にするという恩の売り方だったってだけのことなんですよ。
鞭をちらつかせられまくったところで差し出されたのが飴だったら、そのギャップが飴をいっそう甘く感じさせるってことになるかと。
〔だからってこれ、オクタウスさんとかマクシムスさんまで敵に回してすることですかー?!〕
成算はあったのよ。一応。
パルに真名を付与した時、彼が直接の命令を受け入れる対象として選んだのは、ランシアインペトゥルスという国じゃなくて、シルウェステルさんという個人だった。
そこであたしは、『国や魔術学院の命令に従え』という命令をすることで、間接的に国への忠誠を誓わせた。パルたちを守るために、だけど。
それを黙認してくれたあたり、オクタウスくんは直接命令と同じ効力が発生するなら間接命令でも問題視しない、つまり効率が良ければそれなりに納得してくれる合理主義者だということがわかった。
ならば、同じ命令で縛るにしても、苦痛を与え威圧しまくった結果、相手をかたくなで反抗的な状態にするよりも、飴でも与えて従順になるよう懐柔した方が得策だってことぐらいはわかってくれるかとね。
加えるならば、安全性をとりすぎて、使えない駒を手に入れるより、多少のリスクは恩を売ることで帳消しにして、使える状態での駒を手に入れる方がお得じゃありませんかね?
あたしがアルガを信じきれていないのと同様に、彼もあたしのことを信じてはいないだろう。なにせ噂一つで帰る国を実質失わせることができると脅したのだから、それは仕方のないことだ。
ならいっそのこと、あたしとグラミィが悪い警察官役を最初にやらかした以上、別の人間に良い警察官役をやってもらえばよかったのだろう。
だけど、マクシムスさんはスピカ村で、あっさりアルガの目の前で彼を切り捨てる発言しちゃってるんでムリ。
かといって、オクタウスくんにやってもらうと、今度はコッシニアさんに加えてアルガまで彼の持ち駒ということになってしまう。下手すると、王族間のバランスが崩れかねん。
マールティウスくんは臣下だしねー。
てなわけで、悪い警察官と良い警察官の二役をこなしたわけです。そのあたり納得していただけるとありがたいんですがねぇ、王族のお二人?
「……師には師のお考えがあったということは理解いたしました。ですが、次からは事前にお知らせいただけないでしょうか」
オクタウスくんとマクシムスさんが、ややげっそりした顔になりました。ごめんなさい。
ちなみに、あたしがやらかした噂作戦が、あまりに効果的すぎたせいで、王サマがシルウェステルさんをあの世からの帰還者として大々的に流布しているらしいじゃないですか。
って、おい!なにしてくれやがりなさますかこの王サマと聞いたときには恨んだね。
下手すりゃスクトゥム帝国にまで、目を付けられるじゃないですか。
しかもいざという時には、グラミィともどもランシアインペトゥルス王国見捨てて逃げるという最後の手段が使えなくなったじゃねーかとね。
〔だからじゃないですか?よその国にはボニーさんを渡したくないって、……えーと、ボニーさんの骨の人のお父さんの国にも示すためだったりして〕
ありえそうで嫌だなそれ。かんっぺきに詰んだじゃねえか!
つくづく王サマってば、あんな馬鹿坊ちゃんや、もっふるたぬき程度の小物じゃ太刀打ちできないどころか、相手にもしてもらえないだろう大だぬきの親玉である。
……ひょっとして、あたしがオクタウスくんに肩入れしてもっふるや馬鹿坊ちゃんの排除に動くってことまで計算してたりしてな。
これもありえそうで嫌すぎる推測ではある。
ようやくアルガに真名が再付与されました。数秘学については一応本当のことです。




