暴露
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
新しく敷かれたばかりのような白い石畳は、スピカ村の中まで続いていた。
ちゅーかね。
街道だけでも石畳完備って相当だったけど、グラミィが寝泊まりしていたという豊饒の女神フェルティリターテの御廟のある広場まで、オールバリアフリーな勢いで、全部真っ平らにされた上に石畳が敷き詰め尽くされてるとか。どういうこっちゃ。
ちなみに御廟ってのは名前こそ荘厳だけど、実質的にはパン焼き釜にくっついた作業小屋に近いそうな。
毎日毎日各家庭で消費するぶんのパンが焼けるほど、薪にする木も潤沢ではないので、パンは村内の共有焼き釜で日を決めて焼く決まりなんだそうな。
当然それにくっついてる作業小屋というのも、パン生地準備したり、秋には森から獲ってきた獲物や飼ってる家畜を始末して、貴重品だという塩をたっぷり使って保存食にする場所に早変わりしたりするわけで。
滞在経験のあるグラミィによれば、ところどころに血痕が残ってたりして、ほんのり物騒物件だったそうな。あたしゃそこまでのぞいてみる時間も余裕もなかったけど。
魔術士隊の面々も、ベネットねいさんとアレクくんはまだましなほうだったらしい。小屋に染みついてた匂いに顔を顰めるのまでは抑えられなかったみたいだけど。
一方、貴族階級の端っこにかろうじてしがみついているのにじわじわ指が外れかけてるんじゃないかと思うようなエレオノーラは、血痕に気づく前に気絶した模様。ドルシッラも真っ青だったらしい。
話を聞いたときには、グラミィも似たような状態だったんじゃないかと思ったけど、本人はすぐに慣れたようだ。
……妙なところで神経ぶっといよね、元JK。
〔だってー、動物を解体した現場だったら、しっかり見せられたじゃないですか〕
……そっか。
そういや王猟地のお屋敷のお屋敷で、森のくまさん(仮)をかっさばいてもらったっけ。
しとめちゃったのはあたしだし、解体そのものはアロイスたちにやってもらったけど、解体ショーかぶりつきな場所で見てたというか見せられてたよね、グラミィも。
ちなみに豊饒の女神フェルティリターテの御廟も、石畳同様魔術で顕界したと覚しき白っぽい石材に変わってました。
半分だけね。
礼拝堂というか、フェルティリターテを祀ってある部分だけ綺麗にしたんだろうなー。作業小屋をどうしたらいいか建て直しに関わった人たちも悩んだんだろうなー、きっと。
だって、全部同じ石材で建て直したら、領主館より立派になってしまいそうなんだもん。
かつてのね。
わざわざ『かつての』とつけ加えたのは、石畳同様明らかに、魔術師謹製なでっかい建物が……河の分岐点を挟んで、ちょっと小高くなってるとこ――そこも平地だったはずなんですが――にどどーんと建っていたからだ。
……もうもう誰に何をどこからつっこんでいいやら。
下顎骨を落っことすかと思ったわ。あたしが落っことしたらシルウェステルさんの顎骨が割れてしまうので慌てて両手の骨で抑えたくらいよ?
なんだこれ。
てゆーかすごい。でかい。やばい。
〔……ボニーさんの語彙の方がやばくなってませんか?〕
おう。突っ込んでくれてありがとグラミィ。おかげでちょびっと正気に戻った気分だ。
だってさー、これまでの領主館が素朴で鄙びた疑似農村だとしたら、新しい建物は豪華最新鋭なヴェルサイユ宮殿レベルの落差なんだもん!
そりゃ少々取り乱しもしますってば!
コッシニアさんなんざ、あまりのことに眩暈起こしてるよ。ちょっとアロイス支えたげなさいや。
彼女にしてみれば一月経つか経たないかのうちに、十年近くぶりに戻ってきたはずの故郷が、面影を残らず粉砕されてんだものなー……。そりゃあ倒れたくなるのも無理もないって。
そのヴェルサイユ宮殿な領主館に通されて、あたしはまず真っ先に、アダマスピカ女副伯であるサンディーカさんに……ごめんなさいをした。
もしこの世界に土下座の作法が存在するのなら、ためらいなくするつもりだったけど。そうそう都合良く土下座が異世界にあるわけもない。
土下座がシルウェステルさんの奇行として広まるのも困るので、そこはルーチェットピラ魔術伯爵家で教えてもらったマナーの中でも最大級の謝罪ですよ!
なにせアルボー攻めに場所を借りただけじゃない。さんざん迷惑をかけたのだ。
お礼はもちろん、さらにこれくらい詫びは入れても罰は当たらんと思うのだよね。
ピノース村から戻ってくる間も、あたしは小休止の時間を使って、水車小屋とかのため池をいくつかのぞいてみたのだ。
だが、成魚がいたのは最初の鞣し小屋のため池だけ。残りは水底に沈んだ卵と、ごくごく小型の魚が数匹。
想定外の共食いでも発生したんだろうか。だが、想定外というのは自分の想定が足りなかったということでしかないのだもの。
「あの、それは……」
サンディーカさんと同じような微妙な表情になったカシアスのおっちゃんが、後を受けるように口を開いた。
「おそらくその原因は、シルウェステル師の思われることとは異なっているかと」
は?
「この領の者たちは、冬の河でも魚を獲るのですが、おそらく……ため池でも同じ事をしたのではないかと思われるのですが、こちらこそ勝手をお許しいただけますのでしょうか?」
……ひ?
「ピノース河をお使いになるというお話を伺いました直後に、わたくしは鳥を使って家宰に布令を出すよう命じました。各村、特にピノース河沿いの村には厳重に、ピノース河には許可あるまで近づいてはならぬと」
ふむ。
御領主様の対応としては実に正しいんじゃないんでしょうか。
人的被害を出さないための手段を講じてくれたんでしょう?
それはありがたいとしか思えないんですが。何か問題でも?
「ピノース河に近づけなかった者達は、河で魚を獲れなかったぶん、ため池の魚を食卓に上げていたのではないかと推察いたします」
へ?
……あー。よくよく考えてたら、ため池の使用許可はもらってた。確かに。
だけど、ため池を『何のために使うか』の説明は、たぶん行き届いてない。
あたしたちに遅れてスピカ村入りしたサンディーカさんにも、同行してたコッシニアさんにも説明はしたけど、『ため池の魚を獲るな』という布令を出してくれ、というお願いはしてないな。
……ほあー。
つまり。ため池の魚は、冬の食糧貯蔵と見られたわけですかそうですか。種籾と同じです、食べちゃいけませんなんてことは、説明しないとわかってもらえなかったと。
デスヨネー。
領民さんたちが勘違いしてもしょうがないのかそれは。
失敗は失敗。だけど、あたしが想定してた方向性とは違っていたってことだね。なんてこったい。
「あー、ならば、ロブル河側から魚を提供させればいいのではないかな」
内心絵文字状態でへこんでいるとアウデーンスさんが口を挟んできた。
「そうですね。ロブル河でもシルールスやブルトラウトはおりますし」
ロブル河はランシア河の支流の一つだ。アダマスピカ副伯領の南端でピノース河と別れてる。
下流に行くにつれこの二つの支流は離ればなれになり、ピノース河口のアルボーからロブル河までは、徒歩で数日はかかる距離がある。
そのせいで、ロブル河の存在がすぱっと脳みそから消えていた。いやあたしに脳みそないけど。
ついでにいうと、そのロブル河口のベーブラ港からは、船だと風や潮の流れにもよるが一日弱でアルボーにつく。アウデーンスさんさんからそれも聞いてた。
なんでそれをサンディーカさんが言うまですっかり忘れてたんだよぉ……。
久々ボーンヘッドやっちまった。
「もとが同じ河から分かたれた支流同士、魚が馴染むことも早いかと存じます」
地元民、カシアスのおっちゃんのお墨付きとあれば、確かな話なんだろうさ。
それは助かるし、心配してた来年の不作不漁の可能性が片方だけでも減るなら、餓死者が出てしまう可能性が減るのもありがたいと思うよ。素直に。
だけどさぁ。
あそこまでシリアスに悩んだあたしはいったいなんだったんだよぉ……。カラッカラに空回りしてんじゃん。もうやだ。泣きそう。涙腺ないのに。
〔ボニーさん。お疲れ様です〕
グラミィに肩ぽむされて、あたしはしゃがみ込みそうなほど脱力した。
てゆーか、骨なのに恥ずか死ねそうな気分だよ。
この世界はあたしのものでもない。アロイスやカシアスのおっちゃんたち以外の人たちだって背景じゃないってわかってたはずじゃないか。それぞれがそれぞれの論理で動いてる。あたしの思惑通りにこの世界は動いちゃいないんだ。
その当然のことを忘れて、自分が全部やらねば誰がやる、みたいなイキり方してたかと思うと痛すぎる。あたしゃ万能でもなけりゃチート能力なんて持ち合わせてない、どころか命すら今は持ってない、ただの無力な異世界人なのだ。
そんなこと、最初っからわかってたはずじゃないか。
「い、いや、されどロブル河の対岸はペリグリーヌスピカ城伯の差配地。取り決めがなくば、城伯側と魚の取り合いになるおそれもなきにしもあらずかと」
「でしたら卵が残っているというのは僥倖でございましょう。少なくとも争いの種は減りましょうし」
「ロブル河の工事も予定されているとか。ならばアングイッラなども今後はため池に離しておくとよいでしょうね」
うわああああん、よってたかってフォローしないでよ。
あたしのライフはもうゼロを突き抜けて、虚数域よ!
〔存在してないじゃないですかそれー。いつもどおりってことですね〕
相変わらずナチュラルにあたしの扱いがひどいなグラミィ!
さりげなく口を挟んできたのは、マクシムスさんという人だった。
王サマの面前であたしに八つ当たりでねちっこく絡んできたおにーちゃん殿下たちの醜態をフォローするように、魔術士団を王サマたちに売り込んできた副魔術士団長さんですね。
あたしは初めましてだが、グラミィは魔術士団がアダマスピカ副伯領に到着してからのおつきあいになるそうな。
黒銀の髪に糸目が印象的な柔和な顔立ちの人だ。色合いが微妙にむこうの日本人的な感じがするせいか、ローブが綿入れっぽく分厚くて大きいのをだぼっと着ている感じがあるせいか、ゆるい雰囲気があってちょっと和む。
だが政治的な立ち回りの素早さを考えると、怜悧な人なんだろうな。気をつけよっと。
実際、グラミィたちがアホンダラとその不愉快な仲間達をとっ捕まえたあと、副団長だったマクシムスさんが暫定的に魔術士団長の権限を奪い、これまで事後処理に当たってたそうだし。
……って、アダマスピカ副伯領内を魔改造したのはあんたかー!
そりゃまあ、アルボーに対する作戦が終了した後は、魔術士団って何もやることがなくなるけどさ。特に実働部隊は。
だからと言って、国の戦力である魔術士団の人間を使って、アダマスピカ副伯領内の道を綺麗に広く舗装しまくるとか。普通だったらありえんでしょー?
あ、でも罰則としては考えられるのかな。貯氷地の口を落とした連中もいたしねー。
あれは命令無視というか、前魔術士団長の暴走や大隊長の命令に何も考えずに従った結果だろうけど。
それでも下流域にどんだけ被害が及ぶか考えもしなかったんじゃないかと思うと、ありったけの魔力を振り絞って、ご迷惑をおかけした皆様方に謝罪を形で示しやがれ、という気持ちにならんでもない。たしかに。
あとは王サマの思惑がこっそり絡んでるとか。
だって、馬車一台がやっと通れるくらいのがたがたした細い土の道が、下手すると馬車がすれ違えるくらい、広くて平らな石畳に覆われた道になってるとか。交通の要衝でもない限りありえんわこれ。
ついでに言うと、このスピカ村ってばランシア河がロブル河とピノース河という二つの支流に分岐する地点であり、それに付随する街道の集約地点にもしようと思えばできるところだ。
春になって河の水量が増えたら、水運も河口から船で遡ってこれるようになったとしたら。そりゃ流通経路が大きく便利に変わるってもんだ。
だからといって、ここまでコストとニーズの不均衡をごり押しできるとしたら、それは王サマの手が回されてるとしか思えんのだもの。
ちなみに、旧ルンピートゥルアンサ副伯領内も、ボヌスヴェルトゥム辺境伯領を通る道も、復調した辺境伯の裁可を得ることができたので、後日舗装を行う予定ですと言われて、アウデーンスさんが脱力していた。
あのアウデーンスさんにすら肩を落っことさせるマクシムスさんすげえ。
そして今、そのマクシムスさんから、あたしたちは謝罪を受けている。
サンディーカさんに一室をお借りしてるのは、コッシニアさんと積もるお話もおありでしょう、と気を遣った体だが。領主を蚊帳の外に置いた話を領主館でさせてもらうとか、なかなかにひどいことしてるよね……。
でも大事なことなんだ。王族絡みのことなんでね。
マールティウスくんが同席しているのも、下手すりゃ王族VSルーチェットピラ魔術伯爵家という対立を未然に防ぐための、ルーチェットピラ魔術伯として前魔術士団長の暴走について、現魔術士団のトップからの謝罪を受け入れ和解したという姿勢を見せておくためというね。
このへんがやっぱ面倒くさいわー、貴族って。
ちなみにマクシムスさんは、四つある辺境伯家の一つに預けられていた先代王の庶子なんだそうな。
つまり、王子サマや王サマとは異母兄弟ということになる。
いろいろな政治判断のため、王族籍を持たないどころか辺境伯の養子扱いだったのだが、あのクウァルトゥスのふるまいがあまりにもひどいことから、万一の場合を想定して、王サマが打っていた駒が彼だったというね。
てゆーかそれ頂門の一針というか、ぶっとい五寸釘刺されてますねというか、心臓に杭というか……。
最初からとどめ刺す気満々な人員配置じゃありませんか。
ひょっとして、クウァルトゥスを王族から排除するタイミングを伺ってましたか王サマ。
ちなみに、なんでクウァルトゥスがあのタイミングで満潮のアルボーに氷塊を流し落としたかというと、単なる妨害工作じゃなかった。
当初推測してたような、あたしの足の骨を引っ張ってアルボー強襲とピノース河の掘削を失敗させ、政治的立場を弱めてやれというようなかわいいもんじゃない。
もっと直接的に、『あたしを殺すため』だったんだそうな。
……もうとっくの昔に骨なんですがね。あたし。
グラミィがクウァルトゥスを取り押さえた時、ヅラを禿げしくひっぺがして公開処刑してやったってのは、当人から聞いている。
ですがそれ、実はクウァルトゥスと初めて顔を合わせた請願の間で、とっくにあたしが見破ってグラミィに伝えてたことだったりする。
いやー、構造解析と隠蔽看破って、つくづく使い勝手の良い術式ですな!シルウェステルさん、ありがとー!
禿げるというのは魔術師としては致命的だ。
そんなわけでこの世界の魔術師の男性は、自分の頭髪にそりゃもうめちゃくちゃ気を遣う。むこうの世界の男性よりも頭髪ケアは熱心かもしんない。
まー、キャリアと長い友だちの喪失が同時に来るというのは転落人生の開始みたいなもんだろうし。
でも、やることがお粗末すぎるでしょうが、クウァルトゥス王弟殿下。
ヅラなんでしょ知ってますよーとは、さらーっと匂わせたけどさぁ。
そのまま流してしまえばいいものを、怒鳴り散らせば人の目を引くってわかってるでしょーに。そもそもあたしの、というかグラミィの口から出た言葉の信憑性なんて、いくらでもカウンター操作すればいいじゃん。権力者なんだから。
それを、知ってしまったあたしとグラミィを、政治的にも物理的にも口封じするために、国の政策一つ潰すとかアホだね、としか言いようがない。報復措置としてグラミィがハゲをその場で公開してやったのは、まだやさしい方じゃないですかー。あたしたちの魔力を直に見てたくせに、見通しが甘すぎるっての。あのアホンダラは。
自業自得というか自爆自滅っぽいクウァルトゥス王弟殿下の惨状は、結構な余波を産んだようだ。
まずは、最大の手駒の消滅に、傅役だったアークリピルム魔術伯トリスティス・ランシンウィディアは撃沈。
もともと彼が全力で見捨てた我が子を取り込みにかかったのも、家に残った子どもたちがどれも凡庸で、もともとぱっとしたところがなかったというのもあるようだ。
おまけに頼みの綱の殿下があのアホで、唯一の取り柄だった髪の毛すら禿げつつあったことに真っ先に気づいていたからこそ、藁にもすがる思いであがいたというのがアロイスへの熱烈ラブコールの原因だったらしい。
そりゃあ幼児期に見放したアロイスはいつのまにやら王族付きにまで自力で出世してるもんなー。恨みを持たれててもおかしくないと理解していれば、なんとか早いうちに懐柔しておきたいという焦りもわからなくはないけどさー。
結果として、逆にクウァルトゥス王弟殿下に以前より気を配ることができず、アホンダラ殿下は暴走し、勝手に恥をさらしてあたしたちを逆恨みと。
……うん、こちらもすがすがしいぐらいに自業自得ですね!
そもそもアロイスはおとなしく捕まれっぱなしでいるような、かよわい藁じゃない。どっちかっつーと茨ですとも。
情報をアークリピルム魔術伯から聞き出すだけ聞き出した後は、片っ端から伸ばされる腕をモグラ叩きな勢いで叩き落としていたようだし。
結果として魔術士団長の席はマクシムスさんが埋めることになった。
それにともない王族籍も変更になるという。
マクシムスさんが正式に王族として認められるのと入れ替わるように、クウァルトゥスさんは王子の称号も王族としての地位も剥奪され、ただの先王の子の一人、ということになっているそうな。
傅役という立場を悪用し、正式な役職もないまま魔術士団でアホンダラの金魚の糞をしていたアークリピルム魔術伯は、正式な役職がないからこそ責任追及はあまりされずにすんだらしい。
また、現当主というか元凶のトリスティスが爵位を嫡男に譲り隠居を表明したことで、魔術伯爵家としてのダメージは最低限に押さえ込めたらしい。
が、落とした評判はそうそう戻らない。
貴族は体面が命です、舐められたら負けなのだ。そこで大ちょんぼをやらかしたのだから、当代の生存中に政治に復帰できるとは思えないとは、淡々としたアロイスの報告だった。
で、ご本尊というか元凶のクウァルトゥスご一行はというと。
鳥便を受けて兄バカを暴走させたアーノセノウスさんが、王都から手勢を引き連れてスピカ村まで急行、鎮圧部隊として王サマが差し向けてきた直属っぽい騎士団の一部と協力して拘束、そのまま王都へと連行してったんだそうな。
……えらいあっさりと引き上げてったのね。またシルウェステルさんに合わずに帰れるかーとか騒ぎそうな気はするけど。
「よろしければ、王都にてクウァルトゥスどのとお話などいたされますか?」
ご希望があればいくらでも場を設けますがと、穏やかな口調で申し出てきたのはマクシムスさんだった。
ただ、その後につけたした言葉が怖い。
「寒い時期でもございます、うっかり氷におみ足を取られるようなこともないとは申しますまい」
〔……えーと。つまり?〕
意訳:ちょっとぐらいなら物理でも魔術でも仕返しOK、お目こぼししますよー。なのでお好きにご利用下さい(隣に鈍器設置)、かな?
〔わぁ……。どうします?やっちゃいます?〕
……こう伝えてよグラミィ。
「シルウェステル師は『今急いでクウァルトゥスどのとお話することもなく、陛下のご裁断の後で充分にございます』とおっしゃっておられます」
意訳:え。なんで?
その返しに、マクシムスさんは軽く目を見開いてみせた。それでようやく彼の瞳の色はブルーブラックだと気づいた。やっぱクウィントゥス王子様系の色あいなんだね。性格も似ているようだし。
〔えーと。なんで拒否るんですかボニーさん?ヅラひっぺがしたかったとか言ってましたよね?〕
確かに言ったけどねー。
今あたしがクウァルトゥスにこれ以上ちょっかい出しても、いいことなんて何もないのだよ。
ぶっちゃけ、二三発どついたところでアルボーの人間ともども殺されかけた……ってことになるのかね、一応?その恨みなんて晴れないし。
たぶん知らないでやらかしたことだろうけど、ヴィーリやコールナーを巻き込むところだったってことも許さねえ。
だが、アホンダラを、あたしが、直接、今どつくことが、どういう意味を持つかが問題だ。
マクシムスさん的には、個人攻撃に意識を向けさせることで、魔術士団という組織そのものから恨みをそらそうってことかな?
そうそう、ラームスたちとつながったせいで見えた、貯氷地に回ってた共犯者たちも王都に連行されたらしいがその後どうなったことやら。
トカゲの尻尾として切り落とし済みなのか、それとも彼らも次の手としてあたしたちに差し出すつもりかもねー。
〔……なんですかボニーさんの物の見方。ひねくれまくってるじゃないですか〕
そんなにひねくれてるかなぁ?
それじゃあ、素直に真っ正面から現在わかってる要素を取り出してみよう。
王都に護送済みとはいえ、クウァルトゥスって元魔術士団長に、王サマからの裁きは『まだ下っていない』状態なんだろう。王族籍から抜くというのもこれからの話らしいし。
つまり、現時点での彼の肩書きは、正式にはいまだに『魔術騎士団長』であり『王弟殿下』であるのだ。
てゆーことはよ?
このマクシムスさんの誘いにあたしが乗って、アホンダラをぼこぼこにどつきまくったら、最悪の場合『王弟殿下に私怨でシルウェステル・ランシピウスが手を出した』ということにされかねんのだよ。
不祥事のでっち上げはごめんです。
お目こぼしをちらつかせてどんな無理難題を押しつけられることやら。
やらかしそうな筆頭、王サマ。そしてマクシムスさんも含めた王族の方々。
……だからマクシムスさんを三度見すんなよグラミィ。彼も魔術師だ。心話に気づかれたらイヤでしょが。
いや柔和に見えてた糸目がコワくなったのはわからなくもないが。
〔納得しましたけどー……腹黒さはさすが王族、ってことでいいですか?〕
その解釈でたぶんあってると思う。
試しに、アロイスに訊いてみ?
「『アロイス。そなたならば、マクシムスどののお言葉に甘えて、何かしようと思うかな?』」
「いいえ?」
なんでそんなことしなきゃいけないの、という顔で即答ですよ。
ここは王国で、アロイスは最下級貴族、しかもなりたて。
すべては王意のままに、というのも彼がそう判断した理由の一つだろうが、もともと暗部にどっぷりつかってる彼にとって、必要だからしたことと、一時的な感情を満足させるためにしたいことはちがうのだ。
今回はたまたまその両方が重なったレアケースにすぎないし、あたしが読んだ裏なんて彼に取っちゃ常識レベルってわけ。
そもそもクウァルトゥスは、とっくに王サマ的には『許されざる者』認定されてると思うよ。
おそらく二度と宮廷で権威を振るうこともできないどころか、下手すると生きてられる時間も刻々削れていってるところだろう。
死体蹴りは必要じゃない限りしない主義なんです。あたし。必要ならするけど。というわけで別件で協力してもらおうじゃないのマクシムスさん。
「『それよりマクシムスどのには二つ、いや三つほど頼みがございます』」
「はて。何事でしょう」
「『一つは、ピノース河の橋について』」
ここスピカ村には、石畳と一体化するように、ランシア河、ロブル河、ピノース河とそれぞれにしっかりした石橋がかかってた。
だけど、スピカ村より下流にかけられていたピノース河の橋は、氷塊で削り落とされてる。
まー、ピノース村のところは、とりあえずあたしたちでかけてきたし、その下流域にかけたところで向こう岸は低湿地だ。コールナーを守るためにも不便な方がいい。それでもアダマスピカ副伯領内の橋はあたしたちがいい加減な設置をしちゃったやつも含めて必要なのだ。今後もメンテナンスをお願いしたい。
「『今ひとつは、ピノース河より水を引く水路について』」
サンディーカさんにお願いして借りてた水車小屋などのため池は、基本ピノース河から取水していた。
中には湧水池もあったけど。
そのほとんどの取水口だけじゃなく、排水口まで、街道を広げる際につぶされていたのだ。
あれ、あのままだと使えなくなってしまうのだよ。
まずは川底を掘り下げてしまった以上、取水口や排水口の位置もこれまでより下げないといけない。
少なくとも河の水面より下に開けなけりゃいけない上に、取水用の水車をしかけるとかしないと、相対的に低くなった河からうまく水を取り入れたり排水したりできなくなってしまう。湧水池も排水口を塞がれては、街道を水浸しにしかねんのだよ。
もう一つの解決方法としては、ため池を川底並みに深く掘り下げるというのもありだろう。
だけどこれも、卵が育って稚魚になるまで待ってから、残った魚を放流した後まで待ってもらう必要があるかもしんない。ええ、必要ないかもしれませんがー。
使える状態で借りた以上は、いろいろやらかしちゃったので、もっと使える状態で返したいが、知識がないので専門家である魔術士団の手をお借りしたい所存ですとグラミィに伝えてもらったところ、アウデーンスさんとマクシムスさんには驚いたような目で見られてしまった。
なんだよ。誠意には誠意を倍返し、恨みには恨みを十倍返しってのは人としての基本でしょうが。
〔いやそれ違うと思います〕
グラミィにはめっちゃ冷静な心話でつっこまれたけど、マールティウスくんは頷いてくれた。
ありがとうマールティウスくん!君がここに詰めててくれてほんとに嬉しいよ!
君の存在があたしの癒やしだ!
「なるほど、承りました。してもう一つとは?」
「『誓紙を一枚、使用方法とともにお譲り願いたく』」
きゅうっとマクシムスさんの目が細まった。
「……どのようにお使いになるおつもりか、お伺いしてもよろしゅうございますかな?」
「『王都に他国の密偵を連れ込むには、いささか鎖が必要かと存じまして』」
ぴしっと空気が凍りつき、全員の目がアルガの薄らハゲに集中した。
これまでほとんど名前だけしか出てこなかった、マクシムスさん初登場です。
生い立ち的にもけっこうひねくれていたり、アロイスと馬が合いそうだったり。
尻拭い的ポジにずーっといたせいで元魔術士団長大嫌いだったりと基本的には骨っ子たちにも好意的なんですが……好意には打算もつきものというのが王族のデフォでしょうか。




