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本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 タクススさんの容態が回復するのを待って、あたしたちはアルボーを発った。

 というかね、王都への早期帰還を主張したのはタクススさん本人だったのだよ。それもめっちゃ強硬に。

 一度は重態レベルに陥ったくせにと、あたしもアルベルトゥスくんもコッシニアさんも、アロイスまで自重するようにとは言ったんだけどねー……。


 いろいろ出てきた事を報告するにも、確かに一度は王都に戻らないといけないのも本当だ。

 それにはタクススさんの体調が一番の不安材料だった、というのもほんとのことなんだが。

 あいにくと、当のタクススさんより健康状態とか薬草の効果といったものに詳しい人間が、あたし達の中にはいない。

 王都への帰還に耐えられるくらいには、自分の容態は回復してますと断言されてしまうと、それ以上反対意見らしいものを出す根拠すらないんだもん。

 だから、あたしたちには、現状について報告をまとめるまでは待ちなさいとしかタクススさんには言えなかったし、そのくらいならとタクススさんも頷いた。

 

 もちろん、タクススさんの治療を手伝ってくれてたアルベルトゥスくんとコッシニアさんから、タクススさんの体調については聞き取りもしていた。タクススさんの痩せ我慢にうっかり騙されると、今度こそ王都から出られなくなっちゃうかもしれないもんねー、タクススさんの容体が。


 二人から聞き取ったタクススさんの容体は、幸いどれも快方に向かっていることを示したものだった。

 全身に負っていた傷も、どれも膿みもせず塞がりつつあることとか。

 彼が自分で煎じた発汗作用の高い薬草と白湯をたっぷりと飲み、汗をかいて新陳代謝を良くしようとしてたとか。

 デトックスについての向こうの世界のイメージからすると、おそらく体内から夢織草の毒を抜くための努力なんだろうなー。


 あたしもタクススさんの体調を少しでもよくするため、協力してあげなかったわけがない。

 お湯を作ったげて、身体を洗えるようにしてあげたりもしたしね。

 もちろん緊急時じゃないので、魔術なんか使いませんとも。

 湿地から少しずつ持ち帰ってきてた泥炭を、火葬用窯の周囲に立てかけといたのがようやく乾燥してきたので、燃料としてのテストを兼ねてのことですが。


 清潔維持は健康上とっても大切です。

 むこうの世界における中世ヨーロッパでは、患者の病気治療法として入浴があったそうだけど、それも医者の指示による医療行為だったっていうのは、ねぇ……?

 紀元前のローマ帝国を見習えと言いたいですよそこは。文明が進歩せずに後退しとるとかどういうことかと。かなりのえらいさんだって1年に数えるほどしか身体を洗わないとか!

 いや、石造りの建物の中って、基本室温が上がりにくいもんね。たしかにそりゃあ南欧みたく温暖な地域であっても、季節によっちゃ湯冷めだってするだろうし、それが風邪とか肺炎の一因にはならんとか、絶対には言い切れないけどさー。

 

 そんなわけで、タクススさんのお風呂も洗濯場でするのが定番になってました。

 なぜ洗濯場でお風呂するのかっつーと、暖かいから。


 いやあ、基本的にこの世界のお洗濯ってば『煮込み』なんですよ。

 洗濯場には井戸とでっかい竈があって、その上にそれはそれはでかい鍋があるとか。

 最初見たときはそれが浴槽かと思っちゃったもんなー。むこうの世界にあった洗濯機かドラム缶風呂かというサイズ感のせいで。五右衛門風呂よりは小さかったけど。

 そこに灰や粘土といっしょに洗濯物を投入して、長ーい棒でひたすら掻き回しながらぐつぐつ煮込むのが『洗浄作業』というね。絹とか化繊は一発アウトだろこれ。

 まあ化繊なんてこの世界にはないわけですが、それでも煮沸消毒ということを考えると、案外理にかなっているのかもしんない。

 

 人間の洗濯、もといお風呂もそんな感じだったり。

 まず最初にたっぷりのお湯をどでかい鍋に沸かすところまでは同じ。

 普通はそのお湯と木製のたらいを私室へ運んでって、行水スタイルでするもんなんだそうだけど。それじゃあお湯も冷めるし身体も冷える。風邪引いて当然だわ。

 そんなわけで、例外的措置として脇の下くらいまでは浸かれる巨大木製たらい――これは布類の洗濯で、ちょっと冷ました洗濯物を放り込んで踏み洗いしたり、すすいだりするのに使うものらしい――に投入したタクススさんを、さっと洗って、水溶性の汚れをとったところでお湯を入れ替え、その後灰と粘土をまぶしてごしごし洗いを繰り返すことになりました。綺麗になるまで。


 言葉にしちゃうと簡単だけどね。

 いやー……、途中、洗濯鍋のお湯をなんべん継ぎ足したことか。

 ガンコな汚れもすきっとさっぱり、なんて性能の良い洗剤があるわけじゃないもんなー。タクススさん本人と看護人認定されてるアルベルトゥスくんとで、ひたすらごしごし頭から足から前から後ろから身体をこすり、垢と汚れが剥げ落ちてきたところで、すすいで、またごしごし。その繰り返しですよ。


 あたしはどうしてたかって?

 しょせん身体が多孔質素材()なので、汚れを吸着しちゃわないように、井戸から水を汲んで、洗濯鍋に継ぎ足して、じゃんじゃんお湯を沸かす係をしてました。

 なんせ、最初のお風呂なんてお湯が風呂桶数倍分は必要だったんだもん。

 お湯を継ぎ足し継ぎ足しして、ようやく垢らしいものもなくなったところで水揚げ。

 茹だったのかのぼせたのか、それとも湯あたりしたのか。

 いささかぐんにゃりしてるタクススさんを湯冷めさせないよう、浴布でざっと水気を拭った後は、あたしやアルベルトゥスくんが魔術で温風乾燥というね。

 てゆーか、アルベルトゥスくん。君もびしょ濡れになってるんだから、ついでにお風呂に入っときなさい。タクススさんは水分補給しとくように。

 

 つるつるお肌になったタクススさんやアルベルトゥスくんを見て、コッシニアさんもお風呂に入ってみたいと言い出したのは予想外だった。

 でもあれは清潔維持が目的というより、美肌効果目的じゃなかろうかとあたしは睨んでる。

 髪の毛をまとめて、肌が綺麗になったせいか、ちょっと若返って見える風呂上がりのタクススさんを見る目の色がめっちゃ真剣でしたもん。

 

 ま、泥炭の量はそこそこあったので、入浴中のお湯の入れ替えとかはグラミィと交代でするかセルフでよろしくということにした。

 あたしの(からだ)はシルウェステルさんのだもんねー。お湯の準備はまだしも、さすがに女性の入浴中のお世話はムリでしょうよ。

 

 そしたら今度は、ぷりぷりたまご肌な上に髪もつやつや色鮮やかになった、お風呂上がりのコッシニアさんを見たせいで。

 アロイスたちどころか、門番さんたちアルボー勢のみなさんまで風呂に入りたがるようになった。

 まさか、アウデーンスさんたちにまでお風呂が流行ると思わなかったけど!


 ここまでお風呂が大人気になったのは、アルボー勢のみなさんたちの御家族にも領主館の洗濯場をお風呂目的で開放したせいもあると思うけどね。

 いやだって、掃除洗濯その他もろもろ、ルンピートゥルアンサ副伯爵家の領主館の維持管理を引き受けてくれてるんですもの。このくらいの融通は利かせたげたっていいだろうってのは、アロイスの発案だったし、彼らがこれを機に清潔維持に気を配ってくれるのはいいことだ。


 もっとも彼らにとっちゃ、コークレアばーちゃん没落後、これからどうなるかわかんない身の上だもんね。とりあえず手近な有力者たちには、ささやかなりとも有用性を示したり、入浴するという同じ行動を起こすことで親近感を示したりすることで、今後の地位や収入の安定性をキープしたいって算段があるのかもしれないけど。

 そのくらいの計算を働かせてくれるのならば、むしろこちらとしてもありがたい。

 終了のお知らせ寸前なルンピートゥルアンサ副伯爵家に無駄な忠義を尽くしたあげく、王家に反旗を翻すといった、自滅的なゲリラ風味の破壊行動に走る、なんて暴発はしないでくれたほうが周囲も助かるってものだ。

 あたしが何枚か洗濯板をこしらえたげたのも、そのちょっとしたお礼のつもりだったりする。


 ようやくすべての準備が終わったときには、すっかり季節は冬になっていた。

 小雪がちらつくとか寒いとか、それまでのアルボーはまだ『初冬』だったんだなーと思ったよ。

 だって雪が積もってるんですもの。

 いや、むこうの世界的にはたいしたことじゃないのよ?

 ほんの数センチぐらいの積雪なんて、冬タイヤに交換するのもばからしいレベル。溶けるのを待ちましょうってね。


 だけど、こんな少量の積雪でも、こっちの世界じゃ大問題なんですよ。

 なんせ馬車での移動がものすごく難しくなるのだ。

 そりゃそうだよねー、車輪はゴムのタイヤなんかじゃないもん、地面との摩擦係数なんて、泣きたくなるレベルでつるんつるんですともさ。

 ちなみに、馬たちは蹄の上から麦藁が滑り止めに巻かれてます。

 江戸時代頃の日本では、馬に蹄鉄を打つことはなかったそうな。

 かわりに馬用の草鞋なるものが作られてたそうで、それを履いた馬たちが箱根路といった山道も歩いてた、というけど。こんな感じだったのかねー……。

 だからといって、馬車の車輪に麦藁巻いて滑り止めというのもねぇ……?

 いや、ちょっとした悪路になら、それも有効なんだと思うけど。この雪道だと藁が水分吸っちゃって膨張するだけじゃない。車輪の設置する一点に集中した荷重で絞り出される水分が、さらなる滑りの原因になってしまうのだとか。逆効果もいいとこだ。


 そんなわけで。

 はい、あたしが先頭の馬車に乗り、やすみやすみ車輪に結界巻いて簡易ロードローラーすることになりました。

 これ、雪の厚みがあった方が、むしろうまいこと馬車のがたつきが抑えられるので、タクススさんの身体にも障らないので非常によろしいというね。

 とはいっても、念のため車輪には滑り止めとして麻縄を巻いてもらってる。耐水性が高い分、麦藁よりもないよりはまし、といったところだろうか。

 なにせあたしもまだ魔力量がもとに戻っていないのだ。あたしだけに任せられるのはちょっと困るというので、グラミィを巻き込んでみた。

 いやー。王猟地で結界の術式応用編を教えておいてよかったわー。

 

 アルベルトゥスくんとコッシニアさんもやりたいというので、グラミィとあたしで術式を教えてあげたのだが、予想外に彼らには難しかったようだ。

 いやわりと簡単な術式なんだけどね?

 車輪の一ミリ外側に巻いた結界を、そのまま道幅一杯の筒状に延長するだけ。

 滑らないように、ところどころスパイクというか棘を作っておくと、さらに効果抜群です。


〔だ・か・らー。ボニーさんは非常識なんですってば〕


 あんたにだけは、呆れたような目つきで見られたくないですグラミィ。


〔運動し続ける車輪に顕界し続けるのって、馬車の構造を知ってるだけじゃだめなんですもん、ずーっとその動きを細かく知覚してないとできないもんなんですってば。そろそろ手加減って言葉を脳に単語登録してくださいよ、この動く非常識〕


 さらっとディスんなよー。へこむぞ、おちこむぞ、いじけるぞ。あたしにゃ単語登録できるような脳もないんだぞ。

 てゆーかー、おんなじことができてるグラミィに言われたくないですー。


 ……しっかし、知覚の構造の問題か。

 そう考えると、グラミィがあたしと同等のことが限定的にであれ、できるようになった理由に推測がつかなくもない。

 

 あたしの五感――というには、味覚嗅覚、触覚の一部である温冷覚が行方不明ですが――は、魔力による疑似知覚にすぎない。

 そしてその知覚範囲は、わりといじることができる。

 具体的に言うと、木材とか石材なら透過して、反対側を『見る』こともできます。

 ま、遮蔽物がない場合より放出魔力を増やさなければいけないので消耗もするし、得られた『視界』もそんなにクリアなもんじゃない。

 磨りガラス越しみたい、というよりかはサーモグラフィーレベルと言うべきだろうな。

 そんな曖昧な『視界』であっても、あたしは馬車の車体越しでも動く車輪を『見る』ことができる。

 これが車輪をロードローラー化する術式をあたしがうまく顕界し続けられる理由だろう。


 じゃあ、なぜ生身のグラミィが、窓越しの限られた視界以上に馬車の動きを知覚できるかというと。

 その腕に懐かれてる、というか寄生されてるヴィーリの枝のせいなんじゃないか、というのがあたしの推測だ。

 かなり本人無意識だろうけど、見てると時々あたしの戦闘時みたいに、背後の動きにも反応してんのよね。

 馬たちとはまだ言語レベルで心話のやりとりができるわけじゃないから、どっちかって言うとカンが鋭くなってる、という感覚なのかもしれないけど。

 グラミィ、あんただって人間離れがますます進んでるじゃないですか。やだー。


 ちなみに、あたし単体でも人間や馬、魔物のような生命体を透過して『見る』ことはできないし、地平線の向こう側まで『見る』ことも、今のところは『できない』。

 だけど、もしまたヴィーリがその樹杖へのアクセス権限を与えてくれるようなことがあれば、おそらく今度の視界は、地平線の向こう側なんてもんじゃないくらい広がっていることだろう。

 その視界は、かつて垣間見た名状しがたき(ケイオスティック)混沌(レコード)よりも、遙かに膨大な量の情報で埋め尽くされることだろう。


 またヴィーリにアクセス権限を求めることも、あたしに寄生してるラームスに力を貸してもらうようなお願いもしてないけどね、今は。反動が怖いし。

 対価として、今度こそリアル光背サイズにまで成長させろとか言われて、吞まざるをえない状況にでも追い込まれたなら、今後ずーっと背中に枝付き物干し竿でもしょってるような状態になってしまう。

 歩くのも難しくなりそうじゃないか。なにそのあたし立像化推進計画。

 

 そんなわけで、コッシニアさんとアルベルトゥスくんには、馬車の窓から視界を確保し、数メートル前の雪面に結界を顕界する、という方法を教えてみた。

 工事現場で重機を入れる前のやわい砂地に鉄板引きます、みたいな感じだが、馬車の速度に合わせて次々結界を展開し続けなければ続かないので、こっちの方がたぶん魔力を食うと思う。


 予想通りと言うべきか、アルベルトゥスくんはちょっと試した後は一抜けたとばかりに、アルガと早々に交代した。そのアルガも、久々に杖を戻してもらって嬉しそうだったのに、ほんの数メートルで目を回してひっくり返る始末。

 コッシニアさんもうんざりしたのか、風の魔術に切り替えたと思ったら、ざーっとピノース河へと風で払い落としていた。

 地味に見えるかもしれないが、あたしはコッシニアさんの魔術のすごさに思わず舌を巻いた。実在してないけどね、あたしの舌は。


 馬に直接風が吹き付けたら、いくら防寒対策してあるといっても、今度は馬が体温を奪われて参ってしまいかねない。

 寒冷地というのは、それだけで生命体にとっては熱量を奪い疲労を倍加させる場所なのだ。

 それを理解しているのだろう。コッシニアさんは、馬車の御者台と前輪の間に風を発生させることで自分の術式の問題をクリアしていた。

 確かに御者台は車内からでも距離が測りやすい。

 だがそこまで精密な魔術を、可能な限り省エネで、そこそこの時間継続して顕界できるというのは、実にお見事と言うしかない。自分ができないことへの見切りをつけ、できることにすぱっと切り替えられる速さもさすがだ。

 魔術師としての優秀さという意味では、コッシニアさんの方があたしより上かもなー……。

 

 さすがに吹きだまりともなると、コッシニアさんのこの手法も表層の雪を払うだけで、あまり効果が見えにくくなってしまうのだが、そんな時こそあたしの出番である。

 細かい火球をたくさんばらまくだけのことなのだが、ポイントは地面と雪の接面に火球を顕界すること。

 ただし、これも時間をかけたり、その上を踏んだりすると、単なる泥とみぞれ混じりの水たまりや泥濘(ぬかるみ)をこしらえるだけになってしまう。

 なので、ぽこぽこと雪面がくぼみ、雪の下に水がたまった頃合いを見計らって、地面すれすれに生成した結界を真横に動かすと。

 はい、ピノース河へ雪を払い落とした道が綺麗に開かれます。

 真っ平らな石畳じゃないと、どうしても水分が残って滑りやすくなっちゃうやり方なんだけどね!

 

 そう、ありのままにあったことを表現すると。

 元ルンピートゥルアンサ副伯領からアダマスピカ副伯領に入ったとたん。

 それまで土を固めただけだった道が、突然真っ平らな石畳になっていたのだ。


 ……本気でわけがわからんことに遭遇すると、一瞬思考がフリーズするもんだね。

 あたしやアロイスどころか、アウデーンスさんやコッシニアさんまで、一行全員の表情を文字情報にするなら『なんじゃこりゃ』で統一されてる状態になった。


 ちなみに、王都みたいに、魔術士団レベルで大多数の魔術師を一斉動員して作った城塞都市の内部というのは、ちゃんとしてます、石畳。

 そこそこ平滑な通路じゃないと、日常生活の中で馬が足を痛めたり、荷馬車の車輪ががたがたになったりするからねー。

 だけどそれはあくまで王都の内側だけのことだ。

 一歩王都の外に出ると、土がかっちかちに踏み固められている道なら御の字という状態だ。下手すると馬の蹄や車輪の轍に荒らされて、表面だけ適当かつランダムに掘り返された状態で固まってることだって、ある。

 

 地方都市だって、複数の魔術師に土木作業だけをさせられるわけがない。

 魔術師自体が希少な人材なのだ、そんなもんちょいちょい雇えるような大貴族は数えるほどしかいない。

 まったくいないわけじゃないのが恐ろしいが、それでも魔術師一人の魔力量を考えると、そんな大規模な都市計画を少人数で完成できるわけがないのだ。

 たとえ領都であろうとも、それこそ都市の地盤を強固にするぐらいのことにしか魔術が使えないのが普通で、上物(うわもの)、つまり城壁だとか道路とか家屋なんてもんは、普通の土木工事の結果だったりする。

 某ルンピートゥルアンサ副伯爵家が、領主館周辺だけでも魔術師使って、仕込みを入れた地盤をあれだけ仕上げさせたのって、どう考えても家格以上にスペックオーバーなんだよね。交易で潤ってたから金貨袋で殴り倒し(金の暴力に物を言わせ)まくった結果じゃないのかね、あれ。


 結論。王都以外の都市内部の道は、そんなに綺麗なもんじゃない。

 アルボーだってでこぼこになった道とか多かったもんなー。ヴィーリの木々たちが根っこを伸ばす前から!

 で、そういうところは石が敷き詰められてるとこなんて、せいぜいが広場ぐらいだ。それも石畳なんて平らに加工した石なんかじゃなくて、丸い自然石に近い形のものばかり。人通りでつるつるになるほど磨かれて、歩きにくいのが当然のことだったりする。

 村レベルなら広場だって、土が剥き出しなのがわりとデフォですよ。

 

 通ってきたときのアダマスピカ副伯領の道は言わずもがな。領主館のあるスピカ村すら広場もたしか土だった、はずだ。

 それがアダマスピカ副伯領とルンピートゥルアンサ副伯領とを結ぶ街道とはいえ、村と村とを結ぶような、細くてたいした整備もされてなかったただの土の道が、いきなり魔術で舗装されてるとか。

 普通に考えたら、まずありえない。

 いったいなにごとよ?

 

 あたしたちはできる限り道を急いだ。

 といっても雪を排除しながらなのでユーグラーンスの森の脇を通り過ぎ、ピノース村まで来たところで夜になってしまった。

 強行軍でさらに進むことも考えたのだが、すでにルンピートゥルアンサ副伯領でも何泊か野営しながら来たせいで、かなり糧秣を消耗している。

 ここは休憩がてら、アダマスピカ女副伯の妹という肩書き持ちのコッシニアさんを中心に、情報収集をしてもらった方がいいだろう。

 ……つーかここ、あたしたちが湿地帯に踏み込んでったとこなんだよねー。アルボーを壊滅に追い込みかけた氷塊が、丸木橋を粉砕してったところでもある。

 ごめんよう、お詫びに橋をかけてくからさー。


「星の子よ。いまだ伸びゆく木々を傷つける気か」


 ラームスからあたしの考えを読み取ったのか、すうっと寄ってきたヴィーリがあたしの眼窩をのぞき込んできた。

 淡々とした口調なんだけど、ひしひしと責められてる感がすごい。

 自分の半身たる樹杖の『子』――『種』から成長した『木々』に限らず、それ以外の樹木もヴィーリにとっちゃ庇護対象なのかな。

 森の生態系を維持する上で、植生の多様性ってのは大事なんだろうという理解はできるし納得もするけど。


(いや、ヴィーリ。わたしは森の木を切る気はない)


 以前通ったときは、樹皮すら剥かない丸木を何本も揃えて固定したような丸木の橋だったけど、あたしが作ろうと考えていたのは『石の橋』だ。

 ここまでの道に敷かれていた石畳が、明らかに人の手による天然石の加工品じゃない、魔術によって顕界されたものだと一目でわかるものなんだもん、それにあわせてあげようというのが一つ。

 もう一つは、材木の加工なんてあたしにゃできないから、というのもある。

 いや、結界を応用してすっぱすっぱ切り落とせば、そりゃあ角材ぐらいはできるのかもしんないけどさー。

 そもそも、伐採経験なんてありません!怪我しないように木を切る方法なんて知りませんとも!

 加えて生木を切っても木材に加工するには時間がかかる。こんな道中にそこまで手間はかけられません。


 説明したらヴィーリも納得してくれた。それなりに彼もユーグラーンスの森に愛着が出たらしい。ここが彼の第二の故郷になる可能性もあるのかね?

 

 ……じつは、帰り道はアルボーからボヌスヴェルトゥム辺境伯領を通らないかという案もアウデーンスさんから出てたんだが、乗らなくて正解だった。

 そのままアウデーンスさん陣営にずるずる引きずり込まれて、そのままお家騒動に放り込まれるビジョンがくっきり見えてたから、回避したんだけどさ。

 まさかこんなにビフォーアフターが激しいとか思わないもん。スピカ村がどうなってるのか、本気で心配になるレベルとか劇的すぎでしょ?

 てゆーかここまできっちり土木工事してったんだったら、ついでに橋もかけてってくれりゃあいいのに。

 あたしみたいな素人がやっちゃってもいいのか、じつはかなり心配ですとも!

 

 見れば、対岸もけっこう削れてちょっとした崖のようになっていた。岸幅は以前の二倍くらいに広くなっただろうか。

 そのぶん橋を架けるのにも難渋するよねー。それは。

 ……ふむ。ちょっとこれはグラミィにも手伝ってもらおうかな?


(何をやらせる気ですか、ボニーさん?!)


 うん、前にもグラミィがやってたこと?


 やらかしたことはわりと簡単である。

 あたしが両岸近く、河原になっているところにできるだけ深く穴を掘る。その中間点の川底にもだ。

 そこへグラミィが魔術で顕界した石柱をどんどん差し込んでいく。電柱サイズねー、とお願いしたら理解が早くて実に助かった。

 これで橋脚は完成。

 その間に、真円アーチを描くように石板をあたしが生成し、さらにその上に向こうの川岸の上まで届く巨大な石板をグラミィが作成してのっける。

 これでいちおうは橋の完成である。


〔よくこんなの作ろうと思いましたね〕


 いやー、だってさー。グラミィだって仮橋がわりに石板作ってたって聞いたんだけど?


〔誰に?!〕


 エンリクスさんたち。

 褒めてたよー、さすがは大魔術師グラミィ様だってさ。


〔あれはっ!たまたま、川の水が少なかったからなんとかなっただけでっ!〕


 イヤイヤ。

 馬が乗っても大丈夫なくらい、きちんと作れてたらしいじゃん?!

 今回だって、ちゃんとあたしがイメージしたサイズ通りに、ちゃんと石板生成してできてたもの、誇っていいぞー。


 正面きって褒められるのに慣れてないらしいグラミィをつついて遊んでたら、ピノース村の村長さんとコッシニアさんが慌てた様子でやってきた。

 なので、流された、というか流しちゃった丸木橋の代わりに作ってみましたーとグラミィに伝えてもらったら。

 ……拝まれてしまいました。どうしよう。

 

 いちおう、今後の橋の維持に必要なものはピノース村から提供してもらえるそうなので、あとの事はお願いすることにした。

 石橋の補修とか、本格的なことはどうしようかなー、などと現実逃避しながら、あたしはいつもの黒覆面に仮面とフードの重装備で、一行が寝静まった後もピノース村周辺を歩き回っていた。

 アウデーンスさんはめざとくあたしについて来たがってたけど、さすがにそれはおつきの人たちが許さなかったようだ。


 あたしが一人で訪れたのは、ユーグラーンスの森近くにある革の(なめ)し小屋だった。

 

 正直なところ、氷塊をアルボーに流し落とすという計画を立てた段階で、ピノース河の自然環境をめちゃくちゃにしちゃうだろうな、という予測はしていた。


 この世界で自然環境をだめにしてしまうってのは、たぶん、むこうの世界における自然破壊とはわけが違う。

 地球の反対側で密林が禿げていこうが、近視眼的にはあたしの、というか当事者以外の人間には、夏の猛暑程度しかあまり関係がないように感じられてた。

 だけど、ピノース河を氷塊で掘削するというのは――そこに棲息していた生物を死滅させること、ひいてはピノース河から採れていた魚なども、ピノース河流域の人々の口には入らなくなるということでもある。

 そして、氷で土壌に圧力を加え、冷やしてしまったことが、来年どんな悪影響を及ぼすことか。

 畑だけじゃない。低湿地の植生すら悪くなってしまったら、麦も、低湿地に放牧しているというオウィスの肉も減ってしまいかねないのだ。

 つまり、それは、あたしの思いつきで、あたしのやらかしたことで、アダマスピカ副伯領も、元ルンピートゥルアンサ副伯領も関係なく、餓死する人間が出てしまう可能性がある、ということでもある。


 この世界であたしがやったことが、むこうの世界で進められている自然破壊と比べて、どんなにちっぽけな範囲で、比較にもならない小規模か、なんてそれこそ比較の意味がない。

 この世界では、原因は結果と濃厚に結びついている。

 それがどんなに微小(マクロ)に見えたとしても、あたしがやらかしてしまった(犯してしまった)こと()であるということには変わりがないのだ。

 

 アルボーを攻めるために、ピノース河を貿易拠点にするために、あたしがやったことはただの拙速だ。

 為政者の視点を持つ人間ならば、もっと回りに配慮した手を打てたのかもしれない。巻き込む人を減らす手を。

 あたしに打てたのは――アダマスピカ副伯領への負担軽減を王サマに願い出ることと、生態系の小さな欠片を守ることだけだった。


 グラミィたちがスピカ村へたどり着くまでの数日間を使って、あたしはヴィーリを巻き込んで、コッシニアさんと土木工事に励んでいた。

 その時、あたしはこっそりと、アロイス経由でコッシニアさんに頼み事をした。

 冬になって休業していた粉挽きの水車小屋や、革の鞣し小屋の設備を使わせてもらえないかと。

 水車小屋はその名の通り、付属している水車を動かすために、大量の途切れることのない水の流れを必要とする。革も鞣しの過程で水を大量に必要とするのは同じだ。

 つまり、それらの小屋は川の水を引き込むため池や泉のほとりに作られる。というか、それらは小屋の付属設備なのだ。

 コッシニアさんはおねえさん、つまりアダマスピカ女副伯であるサンディーカさんに話を伝えてくれ、あたしは首尾良く許可をもらうことができた。

 川底の掘削作業中、魚やその卵、藻のついた石を見つけるたびに、あたしは結界に放り込んだ。

 ヴィーリの組んだ水門の向こうや、川の生態環境に近いため池に移すために。


 でも、それがどれだけの意味を持つのだろう。

 たしかに、このため池の中では魚たちは生きていた。そのことにあたしは安堵した。

 だがそれはアダマスピカ副伯領の人々が飢える原因を潰せたからじゃない。

 自分の罪を償うために手を尽くしたことは無駄じゃなかったと思いたくて、その通りだと思うことができたから。とてつもなく救いようのないほど利己的な理由で、あたしは安堵したのだ。


 アウデーンスさんに、あたしは、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家のお家騒動に巻き込むなと言った。

 だがそのあたしは、無辜(むこ)の人々を最悪餓死しかねないという運命にとっくに巻き込んでいる、ただの愚か者だ。他人に巻き添えにされるのが嫌なくせに、人を平然と巻き込む卑怯者だ。

 ゆったりと水底に沈む魚たちから眼窩をそらしても。

 闇黒の月に覆われたような空には、星すら見えなかった。

ぐつぐつダシが出るほど煮詰まってます骨っ子。


普通の異世界モノだと、わりと主人公の決断が世界を救うってことがあるようなんですが、拙作では一つの決断の正負どちらもきっちり描いていこうと考えております。

異世界モノに俺TUEEEEE的爽快感を期待されている方には申し訳ありませんが、拙作のタグの一つは「アンチ異世界転生」であったりしますので、ご容赦のほどを。

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