取引
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
人を勝手にそっちのお家騒動に巻き込もうとか。やってみろ、カウンターぶちかますぞゴラァ、を丁寧に三重ぐらいに包み込んで伝えてもらったところ、アウデーンスさんは即座に頭を下げてきた。
自分の連れてきた手勢すら人払いした後のことだったけど。
〔貴族にしちゃ珍しいですよねー、素直にごめんなさいが言えるって〕
まーね。
シルウェステルさんに対するアーノセノウスさんの兄バカっぷりは、かなり有名なものらしいし。いくら辺境伯爵位後継者候補とはいえ、現時点ではたいした爵位を持ってないアウデーンスさんが、ルーチェットピラ魔術伯爵家総がかりで敵に回られたらかなわんと思ったのかもしれない。
ついでに言うなら、それなりの価値をあたしに認めたってこともあるのだろう。
じゃあ、その『価値』ってなんなのさ?
たしかにアウデーンスさんのお父さんである、現ボヌスヴェルトゥム辺境伯のタキトゥスさんが夢織草トラップにひっかかったことが確定されたのは、そりゃ確かにあたしがきっかけだろうさ。
だけどヴィーリの知識がなければ、使われてた草は判明しなかった。
それに、本人でもないのに救われた恩義なんて、そんなに強く感じてるかどうかは疑わしい。
依頼してきたのは王サマだ。主従関係にある王サマが動いたことには感謝するだろう。だが、あたしにそこまで感謝するだろうかね?
〔いやするでしょふつー〕
……あのさグラミィ。風邪がどんなにひどくても、医者にかかって治ったら、その後ずーっと恩になんか着ないでしょ?顔を合わせたらありがとうぐらいは言うかもしれないけど。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。むこうの世界のことわざはこっちでも有効だと思うのだ。
それも相手は貴族階級、下手すりゃ自分のために世界が回ってる、くらいの感覚でいる人間だっているでしょうよ、コークレアばーちゃんみたく。
そのくらいの警戒心は持っといた方がいいと思うよー。
〔じゃ、じゃあ、アルボーをここまで変えたんだから、自分たちのところもよろしくって話じゃ〕
それも王サマ経由の話だ。
確かに、治水工事は領地が肥沃な農地になるか不毛の荒野になるか、そのくらい大きいものではある。そりゃよろしくぐらいは声をかけるだろうさ。顔つなぎぐらいするかもしれない。
だけど、あたしはただの工事担当者にすぎんのだ。ボヌスヴェルトゥム辺境伯家のお家騒動に、現場作業員って巻き込むほど、価値があるものかね?
〔いやいやいやいや。ボニーさんの魔力量とやりかたは、非常識ですから!〕
非常識とか断言すなや。相棒のくせに。
ま、結論としては、あたしの裏読みも確かに当たってた。
どっちかっつーとアウデーンスさんの行動原理は、あたしに対する興味と、アロイスへの警戒がメインだったらしいけどね。
頭を下げてきた直後、アウデーンスさんてば、すぱっと方向転換してみせたのだよ。
こちらも腹を曝すすべきだったとね。
確かに、シルウェステルさんとの顔つなぎを奇貨として、お家騒動で有利になりたいという算段がなかったわけじゃないってことも、下手に取り繕うこともせずにばっさりぶちまけた。
このあたりのバランス感覚ってのは。やっぱりかなりのものがあると思う。
「おれは頭を下げるのが下手な男だ。だが、父上と亡くなられたミーティス兄上になら、従ってもいいと思っていた。ただの一家臣として頭を下げる己の姿に、なんら違和感も感じなかった。されど兄上がおられぬ今、おれは誰にも頭を下げる気にはなれん」
「ミーティスさまの御子にも、ですか?」
「甥御どの、というか義姉上どのと言うべきかだな。いずれにせよ兄上ではない以上、おれは従う気になれん。メトゥスごときにも同じ事が言える。だからこそ、おれも父上の跡を襲うことを考えた。それゆえ、シルウェステル師にも後ろ盾となっていただきたいと考えた。……だがな、ここまで争ってきたのは、ただの意地だ」
そう言うと、アウデーンスさんはなんとも言い難い表情で笑ってみせた。
「おかしな話だな。おれは、辺境伯領を発展させることにも、父上のように辺境伯家の繁栄のために働くことにも、それほどの熱意は持てん。そんなおれが継ぐより、もっと適任者がいるのではないかと疑いながら、骨肉の争いを続け、今なお止める気すらないとはな。だが、おれ以外の誰が辺境伯家を継ぐと決まったなら、おれは即座に家を離れるつもりでいる」
「それは、どなたかにお話をなさいましたので?」
「いや。おれの腹一つに収めたままここへ来た。下手に聞かれたならば、どう勘ぐられるかわかったもんじゃない。誰が聞いているかわからないところではしたくなかった」
「ならば、ここでならお話になってもよろしかったのではないのでは?」
ボヌスヴェルトゥム辺境伯側の人間は、アウデーンスさんが連れてきた手勢以外にはいない。彼らですら、アウデーンスさんが最初っからアロイスやあたしと話したいと言えば、多少強引にでも人払いできたはずだ。
「すまんがアロイス。おれは、シルウェステル師とサシで話してみたかったのだ」
今から言っても信じてもらえないだろうがな、とアウデーンスさんは自嘲した。それをアロイスはバッサリ切って捨てたけど。
「ええ、信じられませんね。少なくとも、今の段階では。それに、これまでわたくしは師のお言葉を忠実にアウデーンスさまへお伝えする役を果たしていたと思っております。なのに、今になってわたくしを排除する理由がわかりかねます」
「それがもう一つの理由だ。シルウェステル師の言葉をアロイスが本当に忠実に伝えてくれているのかどころか、そちらの『骸の魔術師』が真実シルウェステル・ランシピウス名誉導師でおられるのかすら、おれにはわからん。シルウェステル師の身代わりに組み上げた骸骨を相手に、アロイスが大真面目に芝居を仕立てているのではないかとすら考えたこともある」
あっけらかんと疑ってたことを明かされ、さすがのアロイスも絶句してたっけ。
魔力感知能力の低い人にとっちゃ、そりゃあ、あたしと案山子がわりに仕立てたお骨の違いもわかりづらかろう。今みたくあたしが放出魔力を制御して、一般人レベルに制御していればなおのことだ。
アウデーンスさんが、あたしの行動を全部把握していれば、そんな疑念はすぱっと晴れる。だから深夜の散策にもついてくることで、手っ取り早く真偽を確認しようと考えたということか。四六時中あたしにだけ監視の目を貼り付けとくわけにもいかんもんなー。
それはアロイスに対しても同じ事が言えるけど。
「……わたくしは魔術師ではございませんよ、アウデーンスさま」
「アロイス。おれは一点においてお前に信じていることがある。お前なら、いつ何時たりとも、どんな奇手を隠してるかわからんということをだ!」
きっぱり言いきられて、今度はアロイスが複雑な顔になった。
「それに、シルウェステル師のお身体が、本当にすべて骨なのか興味があってな」
あたしはアウデーンスさんたちがアルボーにやってきた時、最初の会談時こそ黒覆面と仮面にフードをプラスしていた。いちおう気を遣ってのことだが、とっくの昔にあたしがお骨であることを知ってると言われた上に、その上で顔を見たいといわれたので、素直に見せたげることにした。
その後は基本ローブのフードしかかぶっていない。グラミィにも見せたとおりだ。
深夜のお散歩で街中を歩くときには、それすらとっぱらう。骨ですよーとわかるようにするためだ。
つまり、あたしの頭蓋骨と顔はとっくに合わせてるんですよアウデーンスさん。なのに、全部骨だと知りたかったってどういうことかと思ったら。
「生身の部分は本当におありではないのかどうか。もしや、訳あって、幻影で顔などのみ骸骨に見せかけておられるのではないか。その辺りも余人を交えるすべのない湿原でなら明かしてもらえるかと思ってな」
バツの悪そうな顔で、アウデーンスさんは頬髭を掻いた。
……えーと。それは、つまり。
低湿地で、アロイスの言葉がホントかどうか確かめるだけじゃなくって、あたしを裸に剥いて真偽を確かめるつもりだったということですかそうですか。
そう理解して、さすがのあたしも一瞬思考が停止した。
〔へ、へんたいさんですかーっ?!〕
というか、興味の対象には猛突進かますお子さまだったーっ!
聞いたときにはあたしもアロイスも呆れんだが、その様子を笑いながら見てるんだもん、アウデーンスさんてば。
どんどん悪ガキにしか思えなくなるとかもうねー。毒気が抜かれるってああいうことだよね。
思い返せば、アウデーンスさんてば初対面の時から興味津々、プラチナに近いブロンドが目にかかるのにも関わらず、無頓着というか無遠慮なくらいにあたしのフードの中をのぞき込んでたんだよねー……。
デキムス王子並みにパーソナルスペースの狭っこい人だとは思ってたが、まさか中身まで同程度のお子さまだとは思わなかったよ。
そりゃあ、下手に権力欲持たない方が正解だわこの人。意地の張り合いで兄弟げんかでもしてる方がお似合いだ。
「『今のお言葉、タキトゥスどのにそのままお伝え申し上げても?』」
「あの雷声で怒鳴られるのは勘弁だな。……そのくらいには回復してくれてりゃあいいが」
うへえ、と肩をすくめてみせながらも笑っていたアウデーンスさんが、すっと真顔に戻った。
「シルウェステル師に真のお姿があるとしたら、拝見願いたいと思う程度に興味があるのは本当だ。だが、意に添わぬ願いを無理強いしようとは思わん。師に願いたいのは、――彼らのことだ」
アウデーンスさんは扉の向こうを見やった。席を外させた手勢のみなさんが待っている方を。
「父上は家臣や寄子をおれたちの争いに巻き込まぬようにと厳命なされたが、それでもおれのような者にすらついてきてくれるあやつらがいる。当然のことながら、辺境伯家の中で、あやつらはおれの取り巻きと見られているわけだ。彼らに対し、おれが辺境伯家を離れる時にどうしたらいいかと助言をいただきたかったのだ。海神マリアムの色持つ方の言葉ともあれば、港湾伯領にあって海に生きる者どもが聞かぬわけはない」
海神マリアムは、海に生きる者にとって、豊饒をもたらすとともに、冥界とのあわいに立つ神でもであるという。
ここの礼拝堂にある神像は、蒼い長衣のせいもあり女性とも男性ともつかない、中性的な容貌だ。その両手に構えた網とトライデントは、豊漁と死を司るとかどうとか。
なんでアウデーンスさんがあたしをその色を持つ者と呼んでるかというと、いつのまにやらあたしの服やマントが蒼く染まっていたからだ。
どうやら、深夜のお散歩でついた草の汁で染まったものらしいが、深い蒼はこのアルボーから見える海の色そのものといえる。
加えてお骨という、男であり男ではなく女であり女ではなく、何者でもあり何者でもない外見だからこそ、いっそう死神としての横顔を持つ海神マリアムの眷属じみて見えるのだろう。
アウデーンスさんの手勢のみなさんだけでなく、深夜の散策ついでにとっ捕まえてる裏稼業の皆様も、あたしに恐れではなく畏れを感じてるっぽいことも、なんとなくだけど伝わってきてる。
……微妙に評価としてはありがた迷惑なんだけどね。
なんか使い道があるかもしれないから、記憶はしとこうと思ってるけど。擦れた程度でこれだけ染まるのなら、いい染料になりそうな草があるってこともな。
それはともかくアウデーンスさんの主張は、さっくり言うなら自分の尻拭いができないから手を貸してくれということに尽きる。
たしかに、話を聞くだにかなり煮詰まりつつある跡目争いから、アウデーンスさんが手を引くと宣言してしまえば、彼だけならばなんとでもなるのだろう。これまでの対立がもとで新辺境伯に冷遇されそうだから、いち抜けたーとばかりに家から出てしまいたい、というのもわからなくもない。
だけど取り巻きの皆様だって、しがらみも血のつながりもあるだろう。アウデーンスさんみたく何もかも投げ出して、いっしょについていきます、なんて即答できるとは思えない。
彼らが港湾伯家の中に留まれば、待っているのは良くて冷や飯ぐらいの厄介者扱い、悪くて粛清の嵐、ってやつだろう。
だから、アウデーンスさんが心配するのも分からなくはないよ?
家の力を失えば彼らを助けることもできなくなるのではないかという心配も正しい。辺境伯としてのビジョンも熱意もない、自分の力不足を冷静に認められるだけの目もある。家を出てしまえば手飼いの者たちに対する縁も切れたと割り切れぬ情も甘いとは思うけど、人間としては悪くはない。
だけどね。
あたしが助言というか話をしたという事実さえ作ってしまえば、その通りに行動しますと宣言されたら、あたしにも責任を押しつけることができるということがわかってて口にしてるとしたら。
それは悪辣に過ぎるってもんだ。別の意味で甘くて甘くて甘ったるい、どうしようもない思惑が丸見えなんですけどーと突っ込みたい。
たとえば、手勢のみなさんたちの後ろ盾になってくれなさい、後は頼んだ的なやつとかがね。
もちろんお断りだ。
港湾伯家のお家騒動に、シルウェステル・ランシピウスという、ルーチェットピラ魔術伯爵家の人間が手を出したらどうなるか。
一つの家の中のことに収まんなくなっちゃうのよこれ。
下手すると、港湾伯家のお家騒動にルーチェットピラ魔術伯爵家が関与して、港湾伯家を潰すまでいかなくても家の力を落とそうと攻撃を加えた、と見られてもおかしくはない。家と家との争いに発展しちゃったらどうしてくれるのさ。
そもそも、夢織草に酔わされたタキトゥスさんとテルティウス殿下の治療にあたしが一枚噛んだのは、スクトゥム帝国対策の大きな力となる、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家と外務卿に仕事をしてほしかったからだ。
これ以上家の力を内輪揉めで落とそうとするとかバカなの死ぬの。いやどうせなら尖兵として死んでくんないかなーと小一時間正座させて説教したい。
そもそもアウデーンスさんてば、せっかく家を割らないようにというタキトゥスさんの配慮をどう考えてるのかね。
というか、とっとと後継者を決めなかったタキトゥスさんが一番悪いんだけど。
……タキトゥスさんの考えも、推測できなくはないけどね。
大貴族の当主の優劣なんてもの、領主一族として同じような教育を受け、同じような損得勘定ができるていどの能力さえあれば、実はたいした差なんてないのだよ。特にこんな身分階層構造がきっちりしてる社会では。
しょせん、一人ができることなんて、ごくごく限られたことだ。
チートがあろうが同じこと。どんだけ武勇に優れていようが、極悪魔術の知識があろうが、軍隊一つに取り囲まれて叩きのめされでもすれば、毒がしかけられでもすれば、簡単に人は死ぬ。
だからこそ、人間は集団になるのだ。一部の人間が死んだり欠けたりしたとしても、リカバリーが利く存在へなるために。
英雄譚ってやつは、確かに一人の、もしくは複数の英雄の半生や活躍について描かれているように見える。
だけど、英雄の活躍だけが描かれているわけじゃないのだよね。
英雄譚と銘打ちながらも、相対する他の英雄はもちろん、それぞれの英雄の部下とか、友人とか、上司というか所属する国という組織の上層部――王族ですとかね――英雄以外の人間に対する描写の方が膨大なんですよ、実は。
それは、記述された状況下において英雄一人にできることなんてもんは、せいぜい大局を動かす歯車の一つになることにすぎないからだ。
大きくて目立つから名前がついてても、歯車はただの歯車。そのことには変わりはない。
結論。英雄なんてもんはそこそこの能力さえあれば、誰だってなれます。人を使う能力も、人より強い力もそんなにいりません。必要なのは平穏な生活、老衰死といった長く細く生きる庶民らしさと縁を切ることのみ。
〔ボニーさんがそれ言いますか?!〕
言うよ?
人間は死ぬ。生命体である以上必ず死ぬ。
そのことは、あたしがこの骨身に沁みてよく知っている。
〔…………〕
ついでに断言しとくが、ピノース河氾濫を止めたのは、あたしの力じゃない。
もっと正確に表現するなら、あたしの力だけじゃない。
ヴィーリ、その半身である木々、種、グラミィ、マールティウスくん、魔術士隊の四人。
どれが誰が欠けても氾濫は止められなかったし、そもそもあの魔術士団長と魔術士団がアダマスピカ副伯領にいなければ、氾濫自体起きようがなかったのだ。
そしてアホンダラたちの罪を鳴らし、あれ以上事態が悪化しないよう行動した人たちがいたからこそ、あたしも魔力を使い切って消滅することもなく、アルボー水没なんて最悪の事態は起こらずに済んだのだ。
いやー、王サマに伝えてきた『アルボー壊滅』なんて予想が、現実にならなくて、ほんとよかったよかった。
〔それでも、ボニーさんがいなかったら、アルボーは水没してたじゃないですか〕
イヤイヤイヤイヤ。
あたしができたことなんて、ごくごく一部にすぎないのだよ。
過大評価は嬉し……くないこともないが、めんどくさいもんなんだぞグラミィ。
そもそもラームスやヴィーリの木々たちの助けを借りたとはいえ、単独実働なんて無茶をやらかしたのは、あたしに人を動かせる力がないからなのだよ?
なんせ組織管理なんてやったこっちゃないんですー。自分が動く以外は、せいぜいがアロイスみたく集団のリーダーとしての権限と経験を持ってる人間に仕事を割り振る、というか丸投げするぐらいしかできないんだっつーの。
話を戻すよ?
おそらく、港湾伯的には、為政者としての資質にたいした差がないのなら、後継者は誰でもよかったんじゃないかな。
能力の優劣なんて、一分野ごとの比較ならわりと短期間でできるけど、総合力なんて長期に見なけりゃわかるわけないのよ。ましてや客観的で比較的公平っぽい評価なんて、同時代になんてできない。
そのことをよく分かっていたからこそ、港湾伯さんは家の中に波風を立てないことを優先した上で、『後継者候補たちがどう動くか』をじっくり観察してから、次代のボヌスヴェルトゥム辺境伯を最終決定しようとしていたんじゃないかと思う。
おそらくは、独裁者にならない者という条件で。
ボヌスヴェルトゥム辺境伯爵家は、辺境伯という家格からもわかるように、かなりの力がある上級貴族である。
もちろんそれなりに歴史もあり、家臣団もある程度有能な人材が揃っているおうちらしい。
……貴族もあんまり時代がつきすぎると、家臣団の中でも家格とか伝統とか爵位といった、自力で獲得したわけでも、自分のもんでもない権力にあぐらをかいた、いろいろ残念な人間が増える可能性もなきにしもあらず。
だが、倒れる前のタキトゥスさんは、そのへんにはきちんと目を光らせてたようだ。
ならば、ブレインとなる家臣団さえそれなりに優秀であれば、てっぺんに据えるのがどんなアホでも、そこそこの繁栄というものは可能なのだよ。
トップがコークレアばーちゃん姉妹とか魔術士団長みたいに、無駄に実行力のあるアホだと困るけど。
後先考えない重税やハードワークを下に押しつけて、それに対する批判を、暴力と毒でぶっ潰しにかかるとか。独裁の典型でしょ。
独裁というのは、トップの好悪でなんでもできるということだ。優秀な人材を潰すことすら可能になってしまう。
だからこそ、お家騒動を港湾伯が公認したのは、無能な働き者を排除するためのふるい落としだったのだろう。
次代の港湾伯が勤勉で有能ならば最上。怠惰で有能な人間でも尻を叩く者がいればいい。無能だが怠惰で毒にも薬にもならなければ、それでも充分、家臣団の合議制のお飾りであれば務まるというもの。
あらためてアウデーンスさんを見ると、彼はどっちつかずなのだよね。
それなりに、自分の手勢のために策謀を巡らせることはできる。だけど底が浅い。無能ではないが有能とも言い難い、貴族としては凡才レベルだろう。
策謀そのものも、自分の保身に対するものではないというところは悪くないし、だからこそ、この状態でもついてくる人間がいるのかもしんない。
だがやる気はないのに、無駄なプライドがあるせいで、他の後継者候補に膝を折るのはイヤというのはねー、まことにいただけない。
ならば怠惰な愚か者なのかと思いきや、アルボーへやってきたのはアウデーンスさん本人の意思によるものらしい。気まぐれで動かれるようじゃ、勤勉なのか怠け者なのかもわからない。
わかるのは、前線突出タイプのアホで、優先順位が決めらんない人間だということだろうか。どっちも大きなマイナスだ。
怠け者結構。自分が他の人間に従うのがイヤってんなら、飾り物に徹するから支えてくれと家臣団に頭を下げればいいだけのこと。頭を下げるのが下手ならば、せいぜい下げるタイミングと相手を考えて絞ればすむ話だ。
コッシニアさんやあたしの手を額に捧げるくらいのことはできるのだ、そのくらいのことはできるだろうに。
もしそれができないというのなら、それは単なるわがままだ。
あたしたちみたく初対面の相手に対する印象操作はできても、昔からよく知ってる相手には頭を下げられないほど自分を律せないというのなら、家を飛び出たって先は暗いぞー。なにせボヌスヴェルトゥム辺境伯家の人間という箔は、家を出たらさっぱりなくなるんだもの。
そう歯に衣着せない言い方でアロイスに伝えてもらうと、アウデーンスさんは思い当たるところがあるのか、しばらく唇を噛んで黙っていた。
いい年したおっさんが辛口アドバイスをどストレートで返されたからって、落ち込むなと言いたい。しかも貴族が表情に出すなと。
〔そこまで追い込むボニーさんがどSだと思いますー〕
ほー。
グラミィ、あんたにもどSで接してあげようか?
〔すいませんでしたごめんなさい〕
……アウデーンスさんにわざと事実の厳しさをぶつけたのにも、それなりに意味はあるのだよ。
これからスクトゥム帝国に対抗することを考えたとき、先頭に立ってもらわねばならんのは、夢織草トラップにかけられたという直接被害者である、現ボヌスヴェルトゥム辺境伯タキトゥスさんと、外務卿テルティウス殿下なんだよ。
この状態でアウデーンスさんがボヌスヴェルトゥム辺境伯家を出るというのは、デメリットしかない。
そりゃまあ、後継者が誰になっても港湾伯家の中はごたごたするだろうが、アウデーンスさんが出て行けば、それだけでも港湾伯家としてはかなりの戦力ダウンになる。
話を聞くだに、メトゥスさんは文官タイプらしいし、甥っ子ちゃん、というかお兄さんの子どもを擁立してる義姉上だって、戦場じゃあ役立たずだろう。
タキトゥスさんの命令なら彼は従える。おまけに、手勢のみなさんにはちゃんと慕われてるんだ。タキトゥスさんが回復した以上、アウデーンスさんは前線司令官としてはそれなりに機能するだろう。
対して、手勢の皆さんを置いてアウデーンスさんが家の外に出てしまえば、よその家と戦時雇用契約を結べたとしても事態は悪化する。
子爵といえど、家を出れば収入はほぼゼロに落ち込む。その状態じゃあ、どんなに手勢を集めようたって、せいぜい数人の従士つき騎士が集まればいいほうだ。
下手すりゃ単騎で使い潰されるか、港湾伯家との関係悪化を恐れて戦場になんか出させてもらえない、つまり武勲も立てられない、という事態が起こりかねんのだ。
それは困る。主にあたしが。
というわけで、あたしはアウデーンスさんに取引を持ちかけた。問題の棚上げという形で。
シルウェステル・ランシピウスとしても、ルーチェットピラ魔術伯に話をしない限りは即答などできない。
という建前で、今は、アウデーンスさんが求めるような確約をすることはない。だがそれは確約しないとイコールではない。
そもそもルンピートゥルアンサ副伯爵家のごたごたが片付くまでは、お互い身動きが取れんのだ、ならばその間アウデーンスさんを遊ばせておくこたない。アルボーを直接見た人間として、責任とって報告書作って送れとね。
王都にいるタキトゥスさんだけじゃない、ボヌスヴェルトゥム辺境伯領にいるメトゥスさんと、故ミーティスさんの子というか、義姉上にもだ。
そうアロイスに伝えてもらうと、アウデーンスさんてば、書類仕事は苦手だと逃げようとした。
だが許さねぇ。
あたしは有能な働き者しか欲しくないのだ。そのあたしの力を借りたいというのなら、あたしが力を貸してもいいと思うだけの力量を見せてみろ。辺境伯家後継者の一人という立場に守られている、その立場の力以外の力をね。
それによっちゃあ、取り巻きの方々の今後の身の振り方だけじゃない。アウデーンスさんが家を出たあとのことまで面倒見てやらなくもないかもしんない、とね。
〔そんな約束しちゃっていいんですかー?〕
考えたけどだめでしたーと言ったって、嘘じゃないもんねー。
〔鬼だ、鬼がここにいまーす!〕
いいえ、ただの骨ですってば。
ま、いざとなったらルーチェットピラ魔術伯爵家とは無関係の、シルウェステル・ランシピウス個人の雇いってことにしてもいい。
アウデーンスさんもろとも、辺境伯家の代替わりの際にアルボーへ引き取ればいいだけの話だろう。
ルンピートゥルアンサ副伯爵家が取り潰された後、次に来る貴族の統治能力が高いという保証はない。ならば多少なりとも土地勘と実働能力のある人間は歓迎だ。アウデーンスさんだって辺境伯爵位後継者としての教育を受けてきたんだろうし、知識と能力をフル活用してお手伝いしてもらおうじゃないの。
もちろん、そんなことを決めるのは王サマの権限だもの、あたしは『助言』するだけ。
その『助言』通りに物事が動くかどうかなんてことも、蓋を開けてみないとわからんので、いざとなったら魔術学院に頼ることも考えてる。
まがりなりにもシルウェステルさんってば名誉導師って地位や『達人』という位をもらってるのだ。それにどれだけ権威が付与されてるかはわからんが、彼らに衣食住を提供するくらいのことはできなくもないんじゃないかなー、というくらいだけど。
〔なるほどー〕
ついでに、アウデーンスさんの書類をメトゥスさんや義姉上どのにも届けさせるのは一つの罠だ。
こんなのが来ましたーと、彼らが王都にいるタキトゥスさんのもとへ転送するだけなら、怠惰な愚か者。
送られた情報を活かして、領地防衛に力を入れるよう家臣団に働きかけるなら、そこそこ有能な働き者。
書類が来たことすら握りつぶして、領地内でアウデーンスさんが作った業績などなにもない、という形にして後継者相手を蹴落としにかかるならば……勤勉すぎる愚か者。
いずれにしても、同じ書類を他の後継者候補にも渡したと伝えたなら。タキトゥスさんの評価は変わるだろうね、いろいろと。
策謀合戦は、どうやら骨っ子に軍配が上がったようです。
ちなみに、『海神マリアムの色』のイメージは大青です。
『ガリア戦記』にも染料として出てくる植物の近縁種が、ヴィーリの木々の影響で花盛りになった低湿地に伸びてきており、それに知らずに触ってたボニーのマントなどが染まったというわけで。
ちなみに大青というのは、もともとデニムの染料に使われていたインディゴの原料でして。虫除けから毒蛇避けの効果もあったとかなかったとか。




