未遂
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
〔アルガ……さんって、あの髪がさびしい人ですよね?なにやったんですかボニーさん〕
なんでもかんでも、あたしのせいにするのはやめてくれなさいグラミィさんや。
コークレアばーちゃんたちから離反した時、最初の光速手のひら返しを見た時点で、アルガが信用ならん人間だってことであたしとアロイスの意見は一致していた。
あたしやアロイスが怖い相手だから、言うこと聞きます逆らいません敵対しませんっ、という姿勢を見せたのはわかる。
裏切り者扱いで背後から斬られる危険よりも、もろとも殲滅されるくらいなら命が大事、利益も重要。という判断も、まあわからなくはない。
だけど、『敵対しません』は『逃げません』とイコールじゃないのだよ。
守りたいものが自分以外にないのなら、わりと平気で裏切るという選択肢が出たのなら、逃げるという選択肢だって見えないわけじゃなかろうというのも、挙動不審な様子を見てればいくらでも推測はつく。
それに、彼は、もともと裏稼業の方々の一員だったのだから。
まさかアルガ本人も、元とはいえ、仲間もとい同じ穴のムジナたちに、よってたかって殺されかけるとは思ってもみなかったみたいだけど。
そう、アウデーンスさんたちがアルボーに到着したその日、アルガは領主館から逃げ出したのだ。
計ってたタイミングとしては悪くない。
アロイスや門番さんたちにしてみれば、人手が増えて無条件で治安維持がラクになるという安心感があるだろう。ならば気も少しは緩むに違いない。
その一方で、アウデーンスさんたちに即アルボーの治安維持に回ってもらったとしても、彼らには土地勘がない。地元民であるルンピートゥルアンサ副伯爵家の騎士さんたちだって、人数はわずかだし、おまけに海を移動してきた疲れも船酔いもある。
どうしたって、警備の網には穴が開いてしまう。
ならば、人一人、ちょろりと抜け出す隙ぐらいはあるだろうという読みも、いいところをついていた。
機を見るに敏というべきか。アルガは、人手が集中せざるをえない晩餐の準備が慌ただしく始まったと見るやいなや、アルボーの郊外まで街中を通り抜けて、陸路で逃げだそうとした。行動力もなかなかのものだ。
水路や海へと逃げなかったのは、泳げないし船も操れなかったからのようだ。
低湿地に連れてった時も、ピノース河を渡るだけというのに、船が揺れるたびに顔面蒼白にしてたもんねー。
スピードより安全性を取ったのもとりあえずは正しい、んだろう。
おかげで顔バレしてた裏稼業の皆様にとっ捕まった上に、裏切り者扱いされて、生け捕りから活け締めになるとこだったけどね!
はぐれの魔術師として、流れ流れてアルボーに来たアルガは、髪の毛が禿げきったらアウトという崖っぷちぶりである。魔術が使えない魔術師なんてものは、それ以外の技術がない限り使えないものの代表格だろう。
だから、アルガは、もういろいろヤバいのも承知の上で、それでも金のために裏稼業に身をやつしていたつもり、らしい。
田舎に引っ込んで暮らすにしても、それなりの金が必要だと考えたからだろう。
だけど、一度裏の組織に足を踏み込んだ以上、そこから手を引こうというのはなかなかうまくいくこっちゃない。上の人間が逃げ出させるわけがない。だからこそ、アルガは生還率の低いミッションである『コークレアばーちゃんの護衛』につけさせられたのかもしんない。
それが逃げ出してきたんだったら、いい見せしめ要員だよねぇ……?
もっとも、アロイスはそれらもろもろを見通して、アルガを囮に使ったというね。
じつにどっちもどっちの悪辣さだと思うのはあたしだけだろうか。
違うところは、アロイスの方がより視点が高く、そして発想もえげつないってとこだろう。
もともと小悪党レベルの人間一人、しかも逃げ出したがってる相手なんてもの、バルドゥスたち海千山千な配下を従え、他国にまで遠征してって、諜報活動してるアロイスには、行動を予測し生き餌代わりに動かすなんてのも小指の先を動かすよりも簡単だったようだ。
門番さんと謀って、わざと監視の目を緩めてみせたのも知らず、待望の隙と見て意気揚々と出てったアルガが、まさかアルボーの下町でひょいと路地に引き込まれてったと思ったら、隠れ家に連れ込まれて、いきなり取り囲まれて袋叩きにあってたとか。その上、喉をかっ切られそうになってるとは、あたしたちも予想外だったけど。
ほんと、こっそりおっかけててよかったよ。
慌ててアルガを救助したおかげで、タクススさんを夢織草漬けにしてた人身売買関与組織が、一つと言わず複数ぶっつぶれましたけど。夢織草も相当量回収できちゃいましたけど。
どうやらコークレアばーちゃんは、裏稼業の連中とスクトゥム帝国の手先を結びつけるハブ役となっていたようだ。
スクトゥム帝国から、ルンピートゥルアンサ副伯領の独立ないしはスクトゥム帝国の属領となった場合の特権をちらつかされて、コークレアばーちゃんは簡単に堕ちた。その手始めとして夢織草のエキスの独占権を与えられる代わりに、王国や辺境伯への目眩ましをする人員をアルボーに移住させることすら無条件で承諾するくらいには。
ボヌスヴェルトゥム辺境伯や外務卿テルティウス王弟殿下への文書の封蝋すべてに、公私を問わず夢織草のエキスを混ぜ込むというトラップを仕掛けたのもその一環だったようだ。
その一方で、コークレアばーちゃんは、夢織草を麻薬ならぬ魔薬として裏稼業の組織に流した。その見返りに後ろ暗いことに慣れた荒事要員を手に入れ、いざという時のため、アダマスピカ副伯爵家やボヌスヴェルトゥム辺境伯家へちょっかいをかけるための人員として確保するために。
コークレアばーちゃんは夢織草の権利を一手に握ったことで、裏稼業の組織すら牛耳ったつもりだったんだろうが、詰めがまだまだ甘かった。
表向きはコークレアばーちゃんお気に入りにのし上がった新興商人という体で、カバーストーリーを手に入れた以上、もはやスクトゥム帝国側がルンピートゥルアンサ副伯爵家に遠慮するわけがない。海を越えて持ち込んだ物の最上級品をコークレアばーちゃんに献上する、という代わりに輸出入の関税や立ち入り検査を免除するという名目で、アルボーの法の網をガバガバに無効化してのけたのだ。
そう簡単にルンピートゥルアンサ副伯爵家が骨抜きにされたことにも、理由らしい理由がないわけじゃない。
もともとルンピートゥルアンサ副伯爵家自体、めちゃくちゃ血のつながってる人間が少ないのだよ。
この世界、子どもの出生率は高いが成人になるまでの生存率は低い。けれども子どもが生まれないわけがないし、もちろん婚姻が結ばれないわけがない。とりわけ貴族階級はそうだ。
もちろんコークレアばーちゃんも結婚している。だがよその家からの入り婿だったとかいう旦那さんは、婚姻後五年もたたないうちに死亡しているそうな。
それでいて、あのアロイシウスがコークレアばーちゃんの『六男』を名乗ってたというのは……うん、まあ、いろいろ察していただきたい。しかもアロイシウスの『弟』も一時期は数人いたとかいないとか。
この世界の貴族の貞操観念を疑いたくなるのは、アロイシウスの実母だったプルモーとかいう、アダマスピカ副伯爵家に後妻として乗り込んでった人と実の姉妹だけはあるということだろう。
数々の問題にも関わらず、コークレアばーちゃんがルンピートゥルアンサ副伯爵位を継いでいるのは、彼女が先代副伯爵の死亡時において、その爵位継承権者の中で嫡子であり、最年長であった、その一点に尽きるようだ。
先代副伯爵には、コークレアばーちゃんたち以外に庶子や男子がいなかったわけじゃないらしいが、相次ぐ戦乱やら『病死』によって全員死亡しているというのは、以前にアロイスから聞いてドン引きした話である。
おそらくは、コークレアばーちゃんは、ルンピートゥルアンサ副伯爵位を手に入れた後も家全体を動かす権力を手に入れるために、血のつながりが濃いのも薄いのも見境なく、敵対しそうな連中を片っ端から死地に送り込んだり、毒を使ったりしてきたようだ。
もともと彼女が目的のためには手段を選ばない人間だったからこそ、スクトゥム帝国はルンピートゥルアンサ副伯爵家を使い勝手の良い手駒に選んだのか。それともスクトゥム帝国がコークレアばーちゃんたちの精神を汚染していったからこそ、ルンピートゥルアンサ副伯爵家がスクトゥム帝国の傀儡として使い勝手の良い存在になりさがってったのか、そこまではわからない。
わかっているのは、もともと毒薬遊びがお好きだったらしいコークレアばーちゃんが夢織草を入手したとおぼしき時期から、生き残っていたわずかな一族の人間の死亡率は下がり、かわりに錯乱や精神的問題ありとして、当主を蟄居させるかわりに、コークレアばーちゃんが後見人として差配するようになった傍流の家々が増えたということ。そしてマンパワーを搾取され続け、先細り、中には係累がいなくなり消えていったものもあるということだ。
代々ルンピートゥルアンサ副伯爵家に仕えてきた家宰は、諫言によってその身を滅ぼされたらしい。
かなり早い時期、それも門番さんも気づかぬうちに姿が見えなくなっていたというから、スクトゥム帝国へと売り払われたか、それとも斬られたか、沈められたか。
家宰が消えてもさしたる動揺がルンピートゥルアンサ副伯爵家に起きなかったのは、その代わりになる人間がコークレアばーちゃんのもとに送り込まれていたからのようだ。おそらくはそれもスクトゥム帝国の仕業なんじゃないのかなー。それが中身に転生者を押し込んだ人間だったのか、それとも裏稼業経由で商人のなかから引き抜いて現地調達した派遣人員の一人だったのかはわからない。
集団虐殺された使用人のみなさんの中にも、最後まで逃走に付き合ってた裏稼業連中の中にもその家宰代理さんはいなかったようだから、おそらくとっくの昔に逃げられていたのだろう。
ルンピートゥルアンサ副伯爵家は、裏から表から、そして内側からも、とっくの昔に穴だらけにされていたのだ。主に当主自身の手によって。
その一方、スクトゥム帝国はアルボーに入れた手の者たちに、コークレアばーちゃんを通さない裏稼業連中との直通ルートも着々と作らせていたようだ。
人身売買、つまり転生だか憑依だかの犠牲者を法規制にひっかかることなく集め、スクトゥムへ持ち込むためだろう。
アルボーの領主とずぶずぶの関係にあって、治外法権に近い特権持ちの相手が持ち込んできたおいしい話に、陽の当たるような場所を歩けない人間たちは飛びついた。
かくしてアルボーの闇を支配するいくつもの組織は人攫いに手を出すようになった。捕まってたタクススさんは、どうやらランシアインペトゥルス王国の目潰しのため、アルボーに常駐していたタクススさんのお仲間を手中に収めてた、スクトゥム帝国の連中にまずは拘束されていたようだ。
その段階でも夢織草トラップは使われたようだが、ロンダリング的なやり口で裏稼業の組織に彼の身柄を渡し、攫われた被害者として、最終的に帝国へ船で運び出すための人身売買商館に放り込まれるまでは、途切れ途切れながらもずっと夢織草を使われていたようだとは、ようやく意識が戻り、短時間なら会話できるようになっているタクススさんから聞いた話である。
もともと毒物への耐性をつけてたタクススさんは、夢織草にも最初こそもろに引っかかったが、その効きが悪くなってからもひたすら効いているように演技し、嘘の情報をむこうに流すついでに、可能な限り情報収集に努めていたというから恐れ入る。さすがは国の暗部の人間。
ちなみにタクススさんが捕らえられていたあの人身売買商館は、やっぱり元来は領主の隠し館の一つであり、いざという時の逃走経路隠しにもなっていたようである。
それを下賜されたという形で手に入れたスクトゥム帝国の連中にとって、コークレアばーちゃんはじつにいい神輿というか看板だったわけだ。なにせ軽くて金と権力さえちらつかせておけば、大人しくいつまでも飾られていてくれるんだもん。
それでも、いつでも下ろせるという利点を残すため、すぐに切れるような人間しかコークレアばーちゃんとの繋ぎ役にはいなかった。それはスクトゥム帝国だけでなく、地元民である裏の組織の連中も同じ事だが。
ということは、スクトゥム帝国のちょっかいをいっさい断ち切るためにも、アルボー側の組織を完全に壊滅させる必要がある。
下手に軽い神輿が出てきたら、また同じことをやられかねんからだ。
というか、直接結びついてるような連中。足下に残しておく方が怖いでしょー?
だが裏の組織も、それなりに修羅場も交渉事も場を踏んでいる。陽の当たる場所にずるずると引っ張り出して叩こうにも、結節点でぷっちんと切れてしまえば、後はたぐりようがない。
そこで、アロイスはこう考えたわけだ。
どうせなら、切ろうにも切れないところまで引っ張り出したところで殲滅すればいいじゃないかとね。
組織を頼らず、まっすぐアルボーから逃げ出すつもりでいたのに、隠れ家に連れ込まれて殺されかけてたアルガは、『お前がよく踊ってくれたおかげで、むこうの食いつきが良くなって助かった。なかなか餌としてはいい腕だったぞ』と、珍しいくらい笑顔なアロイスに褒められてた。
……話を聞くほどに目に光がなくなってたのは……、うん、なんていうかそのお疲れさまでした!
必死に頭皮を包むように均等になでつけてはあるが、むしろその頑張り具合が荒涼たる大地の広大さを感じずにはいられない禿げ具合が、それ以上進行しないようにひっそり祈っといたげよう。
〔わー……。ナチュラルに心を折りに行くとかえげつないですねー、アロイスさん。なんか、アルガさんにも、ちょびっとやさしくしてあげようという気持ちになりましたー……〕
うんまあ、そうしてあげるといいかもよ。
今のところ再度脱走する気のなくなったらしいアルガは、そりゃもうおとなしいもんだし。
ちなみに、コッシニアさんに筆談で訊いたら、アルガがあれほど怯えていた『魔術師殺し』というのは、アロイスの二つ名のうちの一つなんだそうな。『放浪騎士』ではないのかと訊いたら、他にも、『味方以外の者すべてにとっての疫病神』と呼ばれたこともあるとか。
……それは、なんつーか。アロイスがどういう戦場を駆け抜けてきたのか。訊いてみたいような訊いてみたくないような二つ名ばっかりですな……。
なお、裏の組織摘発の功労者とはいえ、逃げ出した事実は事実である。なので、アルガは杖を取り上げられて肉体労働力として働かされてます。
魔力を絞り尽くされるのとどっちがいい?と訊いたら、速攻肉体労働を選ぶとは何を想像したんだろうねー?
それまでも煙散らしとかしてもらってたけど、加えてあたしの代わりに火葬のお仕事してください、限界ギリギリまでってことだったのに。非力なくせに、ひーこら言いながら荷物運びにこき使われる方がまだマシと判断するとかねー?
あたしゃよほどのことがない限り、魔力を人からなんて吸いませんよ?今はようやく150サージくらいに戻ってるけど。
今あたしの魔力回復の中心は、深夜の散歩だったりする。
それが日課になったのは、低湿地の魔力のせいだ。
コールナーの本拠地である魔力溜まりほどではないが、低湿地帯はアルボー内部より魔力が多い。
コッシニアさんたちを防護するため周囲に蒔いたヴィーリの種が、彼ら全員どころか、馬たちやコールナーまでのっけられるほどおそろしく巨大に成長した一因でもあるようだ。
実際、あたしの魔力もタクススさんたちを連れてアルボーへ戻ってくる、その短い間だけで、一時は30ぐらいに減ってた魔力が50ぐらいに増えたのだ。通わない手はないでしょうよ。
アルベルトゥスくんの近くにいると、ヴィーリ式魔力回復方法の効果も薄いしねー。
なにせお互い魔力を周囲から盛大に吸うので、下手すると軽く魔力の欠乏空間ができてしまいかねんのだ。
日中はまだまだ大量のご遺体があるせいで、火葬のお仕事が続いている。そこでも魔力を消耗するのだが、あたしが動くのは必然的に仕事じまいの後、夜中になってしまう。
寝静まったアルボーの街中をてくてくと歩くのは、なるべく上流へ向かうためです。あと歩き回ることで、もっと土地勘を養おうかと。わずかなりとも土地勘があったおかげで、脱走してったアルガを泳がせて、追いつくのが楽になったんだし。
街中を骨であることを丸わかりな格好で歩くと、なかなかの示威行動になるという利点もある。
最初の日だけは、散歩どころかコークレアばーちゃんの見張りで夜が明けたけど。
次の日からアウデーンスさんたちが来るまで人手不足だったからねー。恐怖統制って場合によっちゃ有効なんですよ。たまーに荒くれどもが襲ってきたら、あたしがのめせばいいだけのことである。そのため疑似感覚もほんのり生身よりも近接戦闘用に寄せてあるんだけど。
次第にピリついてきてる区画があるなとか、水路浚って綺麗にしたりと、日常を取り戻そうとしている区画が活気づいてるなとか街の雰囲気が肌で分かるのもいい。あたしに肌はないけど。
郊外とを隔てる街壁近くまで行ったところで、ピノース河まで出て流れを渡る。
一人ぐらいなら、足の下に必要なぶんだけ結界張ればいいので、水の上を渡るのも簡単なんですよ。ウォータージェット方式だとそのぶん魔力を使うので、川の流れに任せて下るアメンボ方式だけど。
低湿地に上陸したあとは、ひたすら魔力を吸収、放出を繰り返しながら歩き回る。
街中や領主館で他人の放出魔力を吸収するより、低湿地を散策する方がよっぽど気晴らしになるのは、単純にヴィーリの木々が多いのと、周囲に含まれる魔力量の違いからなのか。それとも都会の空気より自然が多い環境の方を好むという、『むこうの世界のあたしの感覚』に由来するものなのか。
どっちにしても、低湿地の散策は、アルボーに来てからあたしの一番の息抜きタイムになっていたりする。
魔物の姿すら見えないようなこんな都市近郊であっても、低湿地に入ってくる人間はめったにいない。人目がないというのは気楽でいいものだ。歩く骸骨姿にぎょっとされるのもしょうがないとは思うし、それなりにメリットがないわけじゃないけど、四六時中ずーっと気味悪がられてるのもさすがに気が滅入ってくるし、それなりにうんざりもするからねー。
ちなみに、低湿地の魔力の濃さはあたしにはとても気持ちがいいものだ。だけど、魔力感知能力の低い人間にとっちゃ、四六時中周囲から微力ながらも威圧をかけられてるようなものらしい。そりゃ落ち着かんわな。
紅金と蒼銀の月明かりの下、低湿地はちょっとした草原のように見える。
だけど水で削られたせいもあって、アメンボ方式で辿り着くことの多い河口付近は特に、地盤沈下でできた水たまりと液状化現象で砂を吹いた痕跡が多い。そんなもんが草丈に隠されてあちこちにあるんである。あたしがまだ愛用している木靴ですら水が入りそうなので、結界は常時顕界がデフォルトで、深さに寄っちゃ胸元近くまで伸びている長靴のような形にしてみたり。
魔力回復を優先させている上、結界ったって、そんなに強固なものを顕界できるわけがない。いかに魔力をケチるか、どうやって脆い結界をうまく使うか、なんてところでじつはこっそり四苦八苦していたりする。
この苦労が術式制御能力の向上に結びついてくれるといいんだけどなー。
そんな魔力回復の傍ら、いろんなものを見つけるのも楽しいもんである。
潮の満ち引きにも負けない、マングローブみたいな網状の根っこに発達した木とか。
もう冬枯れしてたはずなのに、ヴィーリの木々に影響されたのか、周囲の草木も冬だというのに狂い咲きしたように勢いよく伸びてるお花畑とか。その中でもちょっと変わったおもしろい植物だとか。
植物の多いところはラームスが喜ぶんだよねー。
やっぱり植物の性質は植物を喜ぶのだろう。もちろん、低湿地全体に魔力が多いこともあるのだろうが。
だからといってたっぷり魔力吸ってもっと成長したいという主張は却下だ。盆栽にすんぞ、と脅かしたけど、この世界、植木鉢すら存在しないのだよね。
ラームスもよくわかっていなかったので、イメージを懇切丁寧に伝えたげたら、何も言わなくなった。いいことである。
〔なに脅してるんですかボニーさん〕
いや、だってやだもん、成長しすぎてリアル光背にでもなられたらさー。
下手すると馬車にも乗れなくなりそうじゃん?
その深夜の散策に、なぜかアウデーンスさんが同行したいと言い出すとか、ちょっと頭蓋骨を抱えたくなるようなことも発生してさー。
しかも、おもしろそうなことを独り占めしてるんなら、いっちょかませろ!的なニュアンスダダ漏れですよおい。
……そんなことしてていいんですかい、次期ボヌスヴェルトゥム辺境伯候補。
というかアロイス、このアウデーンスさんの暴走、スルーしていいんかい!わずかな手勢どころかアウデーンスさん一人だけでも同行したいとか言いやがりなさってるんですよ。何かあったらどうすんのさ。
そう突っ込んだら、もともとアウデーンスさんが、ほぼ毎晩深夜にお出かけするあたしに警戒心を抱いたのが発端なんだと言い訳されてしまった。
ちゃんとアロイスにだって説明したじゃん、お散歩してくるって。
それを、アウデーンスさんサイドが信じられないのもわかるけどさぁ!だからと言って自由行動時間すらアウデーンスさんたちのお相手をしろとか。時間外労働拒否すんぞコラ。いくら睡眠不要というか眠れないお骨状態だからって、疲れるのは疲れるんだぞー!ブラック労働体制はんたーい!
いや、それでもアルボーの街中だけなら同行もやぶさかじゃないのよ。それならそれで、こっちも有効活用させていただきますとも。襲ってきたちんぴらたちをあたしがしばき倒すから、拘束して領主館までお持ち帰りしていただく、素晴らしいサポートスタッフとしてね!
あたしゃ自己犠牲精神なんてもんはない。おまけに魔力も回復中だしね。
なので、アルガみたいに囮の餌になる気はない。が、サポート体制ばっちりならば、罠の一部ぐらいだったら請け負ったげてもいい、くらいの感覚だ。そのくらいには裏稼業の皆様を根絶しておきたいというアロイスの考えもわからなくはないしね。
なにせ領主館制圧後も、アルガ回収後に発生した裏組織の一部壊滅後も、裏の組織の皆様は勤勉なんですもん。未だにあたしが歩いてると、下っ端による散発的な襲撃があるとかね。
こちらとしては、飛んでくる火の粉を払う勢いで、飛んで火に入る夏の虫ライクな鉄砲玉のみなさんを撃退しているだけですが。それでも裏の組織の手勢をちょみちょみと削るのに貢献はしている。
でも、だからといって、低湿地のお散歩にまでついてきたがるってのはどうかと思うんですが。
あたしゃ遊びで歩き回ってるんじゃないんですよ。本命は魔力回復のためだ。いや、ついでに意識を取り戻したタクススさんから要望を聞いて薬草も探したり、あれこれ採集したりとか他のことでも忙しいんですがね。
タクススさんのことは、自ら危険なルンピートゥルアンサ副伯領への潜入を申し出てくれた、騎士より勇敢な薬師ですよ。王国の盾ですよとアピールしてあげたら、アウデーンスさんやその配下の人たちの見る目も変わった。
タクススさんの行為は、彼ら海の男からしたら、泳げなくても人を助けるためなら海に飛び込むくらい無謀で、しかも高潔な行いに見えるのだろう。
アロイスはなぜ行かなかったと訊かれてたが、あたしが止めてたもんねー。ちゃんとそう筆談でわざわざ説明してフォローを入れたげたというのに、なによこの仕打ち。
そう心話で突っ込んだら、アロイスめ、目をそらしおってからに。
てゆーか、同行されても身の安全なんて保証しないからねー。
勝手についてくることまでは、さすがにあたしも止めきれないですよそりゃ。だけど、あたしはあたしで河面を歩いて行けるんで、置いてくことは可能です。
アウデーンスさんたちの交通手段なんて、用意しませんよもちろん。門番さんやお世話になってた騎士さんたちが助力して、渡河用の小回りの利く船を用意してあげるというのなら、どうぞご勝手に。
だけど低湿地で流砂や泥濘にはまっても手は貸しませんよー。下手に貸したら逆にあたしの腕の骨を引っこ抜かれそうだもん。
悪いがあたしの優先順位は、今んところアウデーンスさんよりタクススさんの方が上だ。彼の容態回復のため、薬草採取を優先するのは当然です。
それに、何より。
「師は『アウデーンスどのとの意思疎通に不安を感じる』とおっしゃっておられますが、いかがいたしましょうか」
そうアロイスが伝えると、さすがのアウデーンスさんも、むうと困った顔になった。
いやだってこれ、一番大事なことでしょうが。
あたしゃ心話という意思疎通方法を広める気などさらさらないのだ。必然的に同行を希望する人との会話は筆談に限られる。
つまりそれは、あたしと会話するには、視界の確保が必要ってことなんです。
夜目の利く魔術師はともかく、アウデーンスさんたちが相手ならば灯りは必須。
街中なら、まだ火球なりで灯りを自給することもできるけどさー。
低湿地って、水は多いけど可燃物も大量にあるんですよ。泥炭とか。枯れ草とか。
そんなところで灯りをいちいち作って筆談で会話とか。やれるわけがないじゃないですか。
夜目が利く上に心話の通じるアロイスを連れ歩けば、そりゃ確かに通訳問題は解決するけどね。
だが、自分の興味の赴くまま、毎夜毎晩自分の家臣でもないアロイスを引っ張り出すわけにはいかないということは、アウデーンスさんも理解しているようだ。
てゆーか、寝不足で全員ぶっ倒れるつもりですかいと突っ込んだら。
「ならば、月の明るい夜に限り、シルウェステルどのに同行をお許し願えぬか。月明かりでもそこそこ大きな文字ならば読めんこともない。身振り手振りでも意思の疎通はある程度可能だろう。己が身を守るくらいは当然のことであろうし、おれとて数日程度の寝不足などでどうこうなるほどひ弱ではないからな」
アウデーンスさんってば、とんでもなくポジティヴだったー!
疲れた顔をしているとこ見ると、アロイスもこのごり押しにやられたようだ。
だけどさあ。もうちょっと踏ん張ってほしかったよ……。
(アロイス。アウデーンスどのにはこのように伝えよ。『そこまでおっしゃるのであれば、同行を許さぬこともない。ただし、いくつかの条件を吞んでいただく』と)
「条件とは?」
アロイスから聞いたアウデーンスさんさんは不審そうな顔になったが、なに、どれもこれも簡単なことだ。
「『わたしに決して一切の敵対行動を取らぬ事』」
ええ、あたしゃ物理攻撃耐性のない骨ですとも。結界防御はできるけどね!
「それは無論」
「『わたしは低湿地で採取する薬草などを持ち帰るつもりだが、その手伝いを願いたい事』」
「その程度のことでしたら、いくらでもいたそう」
即答したアウデーンスさんに、手勢の皆さんが目を剥いていた。
まーそりゃ気持ちはわかる。次代ボヌスヴェルトゥム辺境伯候補相手に荷物持ち頼むとか非常識だもんねー。
そんくらいなら従者の一人でも連れてきなさいよシルウェステル師って話だし。船を使うのであれば、アルベルトゥスくん一人同行すればいいだけのことだ。
だからこそ、あたしもどうせついてくるならと割り切って、婉曲的拒絶表現として条件にいれてみたんだけどね。
侮辱と取られてもおかしくはない。
なのに、アウデーンスさんはそれでも引き下がらないってことは。そういうことなんだろうね。つまり。
「『今後ボヌスヴェルトゥム辺境伯の後継者争いに、我々――わたしのみならず、わたしの連れであるウンブラーミナ準男爵、アダマスピカ副伯爵家の方々、王の薬師、その他わたしの庇護の下にある者を巻き込まないでいただきたい』とのことにございます」
そう言うと、さすがにアウデーンスさんは固まった。
「……いつからお気づきに?」
アロイスの呟きに、あたしは肩甲骨をすくめて見せた。
わりと最初っからだけど?
「師がおっしゃるには、『わざわざアルボーにアウデーンスどのがいらしたということは、辺境伯家の後継者争いにおいて、弟君より一歩先んじるための実績づくりでありましょう。ルンピートゥルアンサ副伯爵家についての始末につきましても、これ以上アウデーンスどのやタキトゥスどののご判断に容喙いたす気は、わたくしには毛頭ございません。ですが、人目のないところでわたしと同行したという事実を作り、その上にアウデーンスどのをわたしが支援しているなどという虚構を打ち立てられても、密談や密約が成立しているなどという噂を流されるのも迷惑なのですよ』とのことにございます」
ええ。脳筋っぽい武人肌の外見になんてだまされてあげませんて。
あたしはすでにカシアスのおっちゃんという、それはそれは外見を裏切る頭脳の策謀家をよく知っている。噂や情報をうまく操れば、フェイクニュースなんてもんをわざわざ作らなくても対象を追い込み、こっちが望む行動を取らせることが可能だってこともよく知っている。
「『わたしはご存じのように、一度死したる身。幽冥の彼方に記憶を置いてまいりましたゆえ、アウデーンスどののお人柄も、弟君のそれもまったくの未知と同然でございました』」
過去形にアウデーンスさんが目を見開いた。
「『このような骸骨の身に、どれだけの力があるとアウデーンスどのがお思いかは存じません。なれど、正面からご相談いただくならまだしも、このような搦め手から来られては、信用以前の問題ではないかとお思いにはなりせんでしたかな?』」
未遂に終わったのは、アルガの脱走だけでなく、アウデーンスさんの策謀も、だったり。




