初対面
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
第三章が始まりました。
「久しぶりだな、アロイス」
「永き無沙汰のお詫びを申し上げます。このようなところでお目にかかるとは思っておりませんでしたよ、アウデーンス様」
「よせよせ、格好をつけた言葉なんぞ『放浪騎士』らしくない。おれだって堅苦しい挨拶などがらじゃない。そのくらいは覚えておいてくれ」
「歳月が人を変えることもあるかと考えておりましたゆえ。しかしアウデーンス様には当てはまりませんでしたか」
アロイスの軽口にアウデーンスさんは豪快に笑った。
彼とアロイスが初めて顔を合わせたのは、アロイスが自分の騎士号授与式をブッチして『放浪騎士』となった時のことだという。
アウデーンスさんはボヌスヴェルトゥム辺境伯タキトゥス――夢織草トラップにひっかかって錯乱したという人の第二子だが、母親の身分が低いこともあり、正妻の子扱いはされていない。つまり庶子である。
だけど、そういった日陰の身というような引け目らしいものをどこにも感じさせない人だ。
アロイスの話では陽気で根っからの肉体労働派らしく、海の男たちに平気で入り交じって船を乗り回したり網を引いたりすることもあったという。
それを下賤な血ゆえと陰口を言われることもあったそうだが「ほっておけ」の一言ですませたとか。
いや、どう済ませたのかその後がとっても気になりますがね。問題フルスイングな力技で強制終了したんじゃないかなーというイメージがどうも強すぎて。
プラチナに近いブロンドを短く刈り込み、潮と陽に焼け赤く染まった肌は荒くれ船乗りのものだ。むこうの世界で言うならバイキングってこういう人だったんだろうなー、という体格をしている。角つきの兜とかこっちの世界にもあるならぜひともかぶせてみたいわー。似合いそうなんだもん。
「しかし、アルボーがこれほどの良港になっているとは思わなかった。これならかなり大型の船でも着けるだろう」
ボヌスヴェルトゥム辺境伯領のベーブラ港から船で、冬の海の荒波を勢いよく蹴立ててきたというだけあって、見るべきところはちゃんと見ているのね。
河口を抜けた後、氷塊が外海とを隔てて直線状に並んでる諸島にぶつかりながら、ごろごろと領主館のある突端を回り込むように転がってったせいで、そっちもかなり海底に大きな変化があったようだ。
予想外のおまけだが、あくまでおまけと見ておくべきだろうな。余力があったら対策しとこっと。というかまずはあたしの魔力を貯めとかないとなー。
「アロイス。こちらの美しい女性も紹介してはくれまいか」
「これは失礼を。現アダマスピカ女副伯、サンディーカ様の妹御、コッシニア様にございます」
「コッシニア・フェロウィクトーリアにございます。お目にかかれて光栄に存じます、アウデーンス様」
貴族らしいやりとりってこういうことなんだろうなー、などとあたしがひっそり傍観者スタンスでいられるのも、コッシニアさんと影武者的にアルベルトゥスくんがついてきてくれてるからだ。タクススさんはまだ寝込んでます。
「初めてお目にかかる、コッシニアどの」
アウデーンスさんは、魔術師の礼をとったコッシニアさんの手を取った。
まさか空気も読まず淑女に対する礼を取るのかと思いきや、彼は真顔になると身を折った。
「コッシニアどのの窮状、庇護を与えるべき立場にありながら無為に時を繰り延ばしたこと、このアウデーンス・ランシンペリオ、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家の一員として深く謝罪申し上げる」
自分の眉間の高さにまで相手の手を持ち上げるのは、最上級の謝罪の礼であるらしい。
「も、もったいのうございます、アウデーンス様。わたくしごときにそのような」
そりゃコッシニアさんもうろたえるわなー。
アダマスピカ副伯爵家にしてみればボヌスヴェルトゥム辺境伯家は寄親、その一員が直接ここまで誠意を見せれば、それ以上ツッコミはしづらくなるもの。
ひょっとしてそこまで計算尽くかな。やはり彼も見た目だけで判断すると痛い目を見るタイプの人か。
「当家は今後もアダマスピカ副伯爵家との良き関係を保ちたいゆえ、そう言っていただけるとまことに助かる」
ほらねー。
「それで、こちらの方がアルボーを水没の危機から救われ、しかもこのような良港へと変えた方か?」
「いえ、わたくしではなく」
困ったような顔で否定しないでおくれよ。
いくら仮面をつけてるとはいえ、ある程度は身代わりになってもらわないと困るんだが、アルベルトゥスくん?
「こちらがシルウェステル・ランシピウス名誉導師でいらっしゃいます」
様子見も許さないアロイスの紹介に、つかつかと歩み寄ってきたアウデーンスさんは、あたしの手も取ると、再び身を折った。
焦げ焦げの手袋から骨の手が垣間見えてるだろうに、眉一つ動かさないとはね。
これは……少なくとも、あたしが骨であることを知っているということ。ひいては、請願の間でのことはある程度知っていた、ということか。
耳の早い人ではあるらしい。
王都に独自の情報源があるのか、それともあの請願の間にいた誰かさんと太いパイプがあるのか。
王国の緊急時用らしい鳥便じゃなくても、早馬が使えるなら、情報が伝わっててもおかしかないか。
フードの形が明らかに変だということにも突っ込まず、黒覆面の上に仮面というかっこにも言及しないでくれるのもありがたいのだが。
「我らボヌスヴェルトゥム辺境伯家が寄子であるアダマスピカ副伯爵家、ならびにルンピートゥルアンサ副伯爵家の面目を保ってくださいましたこと、また我が父を助けていただきましたこと、衷心より感謝申し上げます。このアウデーンス、微力なりとも師の恩義にお応えいたす所存にございます。お困りのことがあらば、何なりともいつなりとも、どうぞご懸念なくお命じ下さいますよう」
……と言われてもねー。
「失礼ながら、シルウェステル師は『差し出た真似をしたのではないか』とお思いでしたようで」
「なんと!」
「アロイスどの。それはあまりにも無礼な発言ではありましょうに!」
「いや。当家のごたごたをご存じなら、そう思われてもいたしかたない」
辺境伯さんが回復して、アンタはほんとによかったの?という内容を、婉曲的表現でアロイスに伝えてもらうとアウデーンスさんの配下が剣呑にざわめいた。
が、当人は苦笑してみせた。
「確かに、頭が固い上にやり方には少々納得のいかないところもある親父殿じゃある。船縁を合わせたまま併走するような真似はできないが、それでもおれの父親であり、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家の家長であることには変わりない。さすがに突然ぽっくり逝かれても困る。……このようなところでシルウェステル師には納得していただけるだろうか。回りくどいことやちまちましたことが好きなメトゥスならどう考えてるかまではわからんが」
メトゥス?誰だっけそれ。
あたしが首の骨を傾げると、アロイスが「アウデーンス様の弟御です」と囁いてくれた。
継嗣争いをしているとかいうライバルか。やっぱり仲は悪いらしい。
ちなみにアウデーンスさんは回りくどいことは嫌いなんだそうな。おそるおそる遠回りに突っつくくらいなら、真っ正面からずばっと斬り込んだ方がいい。とは、アロイスの言である。
アウデーンスさんは手飼い――どう見ても海の男たちですな彼らも――に加え、一見していかにも騎士!という見た目の人たちもわずかながら連れてきていた。
彼らは、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家付きの騎士ではない。ルンピートゥルアンサ副伯爵家に使えている騎士たちだという。
なぜ彼らをアウデーンスさんが連れてきたのかと思ってたら、なんと、以前からルンピートゥルアンサ副伯領のキナ臭さに感づいてたアウデーンスさんが、こっそりと、少しずつ、ボヌスヴェルトゥム辺境伯領へルンピートゥルアンサ副伯爵家付きの騎士たちをいろんな口実をつけてひっこ抜いてたから、らしい。
ジェンガの上手そうな人だねー、アウデーンスさんてば。
いくら寄子の家とはいえ、他家の騎士を一時的にでもうまく自分の領内に取り込むとか。なかなか普通はできないと思うんだけど?
おかげで、アロイス無双が成立するほどこっちがラクだったのはありがたいんだが。
もともと家付きの騎士たちを疎んじる様子をコークレアばーちゃんが見せていたからこそ、アウデーンスさんの策略がうまくいったのか。それとも彼がすっかすかにしてくれたおかげで、コークレアばーちゃんはいよいよ裏の人間との癒着を強め、自滅に近い方法で自分の家が代々抱え込んできてた戦力すら失ったということになるのか。どっちだろうなー。
アダマスピカ副伯爵家へのちょっかい――なんて軽い言葉じゃ言えないような毒手を伸ばしてきただけじゃない。人身売買商館との物理的にも強いつながりといい、夢織草トラップのばらまきといい、スクトゥム帝国や裏の世界とは、ずぶずぶのぬちょぬちょに癒着してたことだけは間違いがないようだけど。
ちなみに門番さん――シンセウルスさんというお名前らしい――は、元ルンピートゥルアンサ副伯爵家騎士隊長なんだとか。
アウデーンスさんが、騎士隊長たる彼に声をかけなかったわけが、もちろん、ない。
だが、最後まで残るのが長としての責だと言い張り、姿を見せなくなった部下たちを庇ってたせいで、門番にまで格下げになってたらしいです。
門番さんと騎士さんたちが互いの姿を見てほっとした様子になってたのは、そのせいもあるのだろう。
ちなみに、アウデーンスさんが引き抜いた騎士さんたちのうち、ほんのわずかしか連れてこなかったのは船で早回りするためだったそうな。
残りの面子は騎士らしく、ちゃんと馬を連れて陸路で戻ってくるんだそうな。補給物資の輸送がてら。
ピノース河氾濫をやり過ごした後で、実は門番さんをアロイスと説得しに行ったんだよね。
もちろん門を塞いでた大岩も、石で作った手枷足枷も、砂に砕いてから丁重に頭を下げましたとも。
門番さんも、アロイスの身分――暗部系情報部隊長というやつじゃなくて、王子サマから送り込まれてた密使という、でっちあげではないんだけどコレジャナイ感がすごい表向きの方のやつね――を明かした上で、海から回り、極秘裏にルンピートゥルアンサ副伯と面談したが捕らえられそうになったため、いざという保険のために置いておいたあたしに陽動として門をぶっ壊してもらったと説明したら納得してくれた。ウソだけど。
中にいたごろつきたちは無力化したことを告げ、コークレアばーちゃんの身柄を確保していること、その上で、これ以上は国法にのっとり、そのルンピートゥルアンサ副伯爵家が従っているボヌスヴェルトゥム辺境伯家の判断をも仰ぎたいと伝えたら、門番さんは一も二もなく従ってくれた。
おとなしく協力した方がお得と思わせて、素早く丸め込んだ手際はさすがにアロイスお見事、と思ってたけど。裏事情を知ってしまうと、門番さんにとっても、あたしたちの強襲は渡りに船だったのかもしんないと、ちょっと思ってみたり。
いずれにしても無駄な敵対をせずにすんで助かったのは事実だ。
だって、元騎士隊長だっただけあって、そこそこな手練れなのだよ門番さん。
後で稽古を見せてもらったら、消耗してたらアロイスでもちょいと危ないかもしんないパワーファイターだった。お手向かいいたします、とか言われなくってほんっとうに良かった。
門番さんを味方にできたおかげで、コッシニアさんたちを低湿地から連れてくるのは楽だった。
水路に残ってた船を使わせてもらおうにも手配やらなにやかや、必要なことはみんな門番さんの顔パスあってのことだったのだ。
ちなみに、コールナーの姿を見せるのはまずかろうってんで、低湿地に着いて、かんじき代わりに足が沈まぬよう板や草を刈り取って縛り付けるところから始めている彼らをほっといて、あたしだけは足の着くところだけ結界を展開して走って先行した。そのくらいだったら、残った魔力でもまだなんとかなったし。
後で訊いたら、監視の目をはずしちゃいけないからという理由で、アロイスが帯同したまんまだったアルガが、あたしのやることなすことに盛大に顎を落っことしてたらしい。
が、んなこたーあたしの知ったこっちゃない。
コールナーには、コッシニアさんたちについててくれてありがとうとお礼を言って、氾濫の危険は去ったこと、川向こうの人間が接近していることを伝えたら、身を隠した方がいいと素直に納得してくれた。
残ったマールムをありったけ上げたら、『今度はブラシを忘れずに遊びに来い』と言って、悠然と帰ってった。
ちょっとはツンが消えたのかな?
コッシニアさんもアルベルトゥスくんも、ちょこっと話ができたと言ってたし。
人間という種が嫌いなのはしょうがないかもしれないが、それでもあたしやグラミィぐらいは知己になってやってもいいと、そう思ってくれたらいいなと思っている。
さっくり荷物をまとめてたコッシニアさんたちはまだよかった。
問題はどうやって重態のタクススさんを運ぶか、だったんだけど。『誤って捕らえられたあげくに人身売買されそうになっていた王の薬師』としてタクススさんを紹介すると――『王の薬師』というのはいちおうウソじゃないらしい――門番さんの表情も変わること変わること。
撤収作業中にはアロイスもアルガも追いついてきてたので、あたしが羽織ってたマントをあたしとアルガの杖の間にぐるぐる巻き渡して簡易担架を作成してみた。
いざ運ぶという時になって困ったけどね。
なにせアルベルトゥスくんと消耗しきったあたしじゃ非力すぎて論外。コッシニアさんはタクススさんの容態を常に見守っててもらわないと。
てなわけで、アルガと門番さんに船まで運んでもらいました。
アルガは嫌がったが『嫌なら杖を折るぞ』とアロイスに言われて降参してました。
……髪の毛むしるぞ、でも通じたかもなー。
懇切丁寧に、頭に張り付けるように、残り少ない長い髪をぐるぐる巻きにしてるのが、じつになんともあはれにいとおかしなんですよ、彼の髪型。
もちろん馬たちだって忘れちゃいない。一頭ずつ順番に船に乗せて渡したので時間がかかったけど。
問題は、アルボーに戻ってきてからだった。
街じゅうに陰気なイルミネーションチックに木々から垂れ下がっている死体だけじゃない。領主館にも海から引き上げた死体が木の枝にひっかかってたり、元ルンピートゥルアンサ女副伯であるコークレアばーちゃんが逃走する際に殺しまくった使用人の方々が雑に詰まれていたり。
あまりの死体の多さに、圧着したヴィーリの木々たちに半分呑み込まれそうな見た目になってる領主館は、現在に至るまで牢屋兼遺体安置所代わりになっております。まだ市街地にある遺体の半分も回収できてないんだけど。
気の毒がった門番さんが、門番小屋に寝泊まりしてはどうかと言ってくれた。
小屋という名前はついているけど、正門近くに立っている一軒家サイズだし、台所もついてて、三~四人ぐらいならば十分生活はできるという。
だがあたしたちの人数はその倍近い。好意は謝するに余りあれども、さすがに全員入れてもらうのは狭すぎるというので、海神マリアムの礼拝堂で寝泊まりすることになった。
寒さしのぎぐらいなら、この面子でなんとでもなるしねー。
燃料なら発火陣で十分、焚き火だって簡単な煮炊きぐらいならばできたのだもの、暖炉でできないわけがない。
コッシニアさんも魔術師としては器用な部類に入るので、保温用の結界について教えたら、早速張ってくれてたり。
体調管理大切なタクススさんを中心に、非常に暖かく過ごせているそうです。あたしにゃ温感はないも同然なんで、よくわかんないけど。
そんなわけで、領主館もアウデーンスさん達を迎え入れてるこの大広間以外は、今もあたしたちだって使えないような状態だ。お茶すら門番小屋からお湯を運んできてたりする。
行き届かない点があるのはご容赦いただきたい。
そうアロイスが伝えると、アウデーンスさんたちも納得してくれた上に、なんだかほっとしたような雰囲気があった。
ヴィーリの木々に呑み込まれそうになったり、領主の部屋が半壊したりしてる領主館の姿に、元の姿をよく知ってる騎士さんたちを筆頭に顎を落っことしてたもんね。
中にはあたしを恐怖の目で見る人もいたが、これヴィーリの種だから起きたことですからねー、あたし一人がしでかしたことじゃないんですよー。
ひょっとしたら、このわけのわからん魔力をバックに、領主館に入っておれたちが新領主だー!とアロイスあたりが告知して、ルンピートゥルアンサ副伯領全土と言わないまでもアルボーぐらいを実効支配してますからそのまま統治権をよこせ、なんて言われたらどうしよう、と思ってたのかもなー。
そんなめんどくさいこと、あたしゃするわけないでしょうに。アロイスだってやんなそうだな。
それでは、今後このルンピートゥルアンサ副伯領をどうするか、という話が当然出るのだが。
まずは、復活したボヌスヴェルトゥム辺境伯直々の命もあって、コークレアばーちゃんからルンピートゥルアンサ副伯の爵位は召し上げ、アウァールスクラッスス家が断絶ってのは確定なんだそうな。
そらまあ錯乱状態から帰ってきたら、国家への叛逆の一翼を担う形にさせられそうになっていたとか。これで危険を感じなかったら、大貴族としていろいろ間違えてると思う。ボヌスヴェルトゥム辺境伯の判断は正しい。
ただ、それに関するルンピートゥルアンサ副伯については、処理を表沙汰にはできないので、王命としてはアロイスにこの件をどう納めるかの全権を委任、という形になっている。らしい。
そんな中でも、寄親であるボヌスヴェルトゥム辺境伯家の意向については考慮いたしますとアロイスが自発的に言ってくれているので、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家としては面子は保たれる形になるそうな。
そのせいか、アウデーンスさんたちとのお話し合いも、かなり雰囲気は和やかだ。
しっかし、表に出せない話なのにそこでも対面を気にせねばならんとは。貴族ってやっぱ面倒くさいねー。
……ひょっとしたら、ボヌスヴェルトゥム辺境伯さんも王サマ側から薬で狂乱してた最中の醜態をつつかれたり、薬を抜くための協力という恩義とかもおっかぶせられてるのかもしれない。
が、その辺はただの憶測にすぎない。あたしたちが聞いているのはいろいろな裁定の結果。
つまり、元ルンピートゥルアンサ副伯領は、新しい領主が統治することになるらしいということだけだ。
寄親たるボヌスヴェルトゥム辺境伯家の紐はちょっと減り、代わりに王直々の首輪をつけられる、ということになるんだろう。
「この場だから言える事だが、コークレアの子ということになっていたアロイシウス、あれが処分されていて助かったと思うぞ。あれに家をまとめる器量など欠片もない。おまけに度し難い愚者だ」
思い出すのも嫌そうにアウデーンスさんは顔をしかめた。
寄子寄親の関係上、ボヌスヴェルトゥム辺境伯家にもアロイシウスは何度か顔を出したことがあるらしいのだが。
「『なんでこのオレが、こんなやつらに頭を下げなきゃならんのだ』という顔で、寄子の一族、しかも嫡男でもない分際で、礼儀作法もいい加減な挨拶をしてくるのだぞ。それもいやいやながらというのが丸わかりだ。あの温厚なミーティス兄上がだな、『無性にあやつを斬り殺したい気分になるのだが、何かいい口実はないものかな?』とおれに真顔で聞いてきたことがあるくらいだ」
ミーティスさんというのが、ジュラニツハスタとの戦いで亡くなった辺境伯の長男さんであるらしい。大貴族といえども、いや大貴族だからこそ、辺境伯家は辺境伯家でいろいろと苦労があるようだ。
「あのバカがアダマスピカ副伯爵家なりルンピートゥルアンサ副伯爵家なりを継ぐくらいなら、アロイス、おまえに継がせたいくらいだと兄上は言われていたぞ」
「……身に余るお言葉にございます」
「そのくらいおまえには期待しているということだ。昔も、今も。兄上も、おれもな」
そうでなければ、いかな事情があったにせよ、騎士号授与式をすっぽかした人間に、兄上ともあろうお方が紹介状なぞ書くか。
おれだって気になどかけ続けたりしなかったわと言い切られ、あのアロイスが一瞬表情を崩した。
……同じアダマスピカ副伯爵家で朋輩として過ごしたカシアスのおっちゃん以外にも、ちゃんと見てくれてる人はいたんじゃないの。よかったね、アロイス。
とはいえ、今、この状態で、こんなところで、新領主の座をアロイスにくれてやるとまでは、さすがのアウデーンスさんも言えない。言えるはずもない。
だが、アロイスに好意的な人間が、新領主の寄親にもなるだろうボヌスヴェルトゥム辺境伯家にいてくれるというのはありがたいことだ。
次に、社会的にも生物的にも近未来的には死亡が確定しているコークレアばーちゃんの処遇について話は移ったが。
アロイスの口から現状を聞いた途端、アウデーンスさんたちは呆気にとられ、次に爆笑していた。
だって今のアロイスがやってる扱いってば、ねぇ……。
まずひどかったのが、低湿地から帰ってきたときのことだった。
タクススさんの手当をコッシニアさんたちに引き続き任せて、門番さんにも捕虜の確認ってことで領主館まで来てもらったら。
すでにコークレアばーちゃんは、半裸に近い状態になっていたのだ。
イイ笑顔になってたアロイスに何をやらかしたのかと訊いたら、なんとアロイスってば、かたっぱしから殴って沈めた荒くれどもの拘束に、コークレアばーちゃんの衣服の一部をちょびっと裂いて巻き込んでおいたんだそうな。
気がついた荒くれどもが拘束をなんとかしようとじたばた暴れる→服がほころびてコークレアばーちゃん絶叫する→悲鳴にアロイスが戻ってきたらヤバいと荒くれどもが焦る、さらに暴れる、コークレアばーちゃんの服がどんどんほころびてってつんつるてんになる、という悪循環の結果としての大惨事である。
なにその精神攻撃。あの鶏ガラばーちゃんの半裸とか誰得だ。
あ、いや、アロイス的には得なのか。コークレアばーちゃんに恥をかかせるという目的を達成したという意味で、嫌がらせ大成功なんだし。
おまけに、人手が増えたからって、早速門番さんにも手伝ってもらって、拘束した連中を小分けにして、領主館の牢や空き部屋に閉じ込めるということになった時のことだ。
がんばって廊下にまでミジンコのようにじたばた這い出ていた荒くれどもはまだいい。牢に放り込んどけばいいものね。
だがアロイスってば、今度は半裸のコークレアばーちゃんを――さすがに貴族の女性同士、見かねたのだろうコッシニアさんが一枚厚手の布をかぶせてくれたけど――殺された使用人さんたちが積み上げられてる小部屋に押し込めたんだよねー。
それも、火事を起こして脱走図られると困るんで、火の気が一切ない小部屋ですよ。寒いかどうかはあたしにゃわからなかったけど、真っ暗なのはよくわかった。
さすがにそれはどうかなとつっこんだら、じゃあ師に見張りをお願いしますとか言われて。
しょうがないからつきあったけど、あれもコークレアばーちゃん的には精神的拷問だったろうなー。
真っ暗闇に、自分が殺させた使用人さんたちの死体と強制同室。
しかも正面から領主館に突撃をかまし、大人数の戦力を粉砕してきた骸骨もいっしょに、いつもの私室とは比べものにならないくらい、狭い狭い部屋に一晩閉じ込められるとか。
翌朝ひっぱりだしたらちょっと目がイっちゃってましたよ、コークレアばーちゃん。
おかげでその後の事情聴取は比較的素直に応じてくれたらしいけど。それを最初から狙ってたんだったら、悪魔と呼ぶぞ、アロイス。
このアロイスの所業、無理にあたしが止めようとしても止まんなかったろうなー。
従ってくれた可能性もごくごくわずかにオーナインレベルであったかもしれない。が、そうしなかったのは、あたしのすべきことではないからだ。
復讐するは我にはあらず。あるのはルンピートゥルアンサ女副伯とその係累に一族を毒殺され、自分も身を狙われていたコッシニアさんか、サンディーカさん。そしてアロイシウスたちに辛酸を嘗めさせられたアロイスとカシアスのおっちゃんたちだ。もちろんアダマスピカ副伯爵家に関わってた方々も石の一つぐらいは投げたって構わないと思うの。
だが、あたしにはなんら権利がない。
とは言いながら、確かにあたしは彼らの復讐に関わってしまった。局面を大きく動かした自覚も、もちろんある。
だからこそ、目の前に存在する、自分のしたことの余波を見て見ぬ振りをするのも、関わってしまった責任という意味では何かが違うと思う。
例えば、もし、アロイスが夜中にコークレアばーちゃん暗殺をしかけてきていたならば。それも王命に従い、復讐を達成しつつある彼の選択ではある。闇から闇へ葬らねばならない人間をしかるべくしたという彼の行為を止める理由はあたしにはない。人道的にも、心情的にも。
だけど、『あたしは知らなかったから止められなかった。止められないからしかたなかった、自分は人殺しに関与してない、だからあたしワルクナイ』と、砂に頭を突っ込むダチョウみたく、自分の目と耳を塞いで知らんふりをするような真似はしたくなかった。なんらかのけじめはつけておきたかった。
それが、『知った上でこれ以上手出しはしない。けれどどんなに後味が悪かろうとも、自分の行動が及ぼした結末の一つを見届ける』という消極的な形であっても。
見張り名目でおつきあいしたのもそのためだ。
ま、そんなわけで、始末に考慮が必要なコークレアばーちゃんへの対処すらこれだから、その取り巻きや手先の処遇には、さらに容赦なんてもんはないのがアロイスだ。
後腐れなく始末できそうな荒くれどもへの対処も、表向きはアウデーンスさんへの相談という名目でのお話に上がってたのだが、これまたえげつないこと天下一品。
彼らがやらかしてた悪事からして、死刑一択ってのはアウデーンスさんも納得したことだったんだけどねぇ……。
アロイスってば、せっかく不和の種を蒔いたのだから有効利用しなくては、ということで、まずはコークレアばーちゃんの取り巻き要員として、裏稼業のあちこちから送られてきてたごろつきさんたちを、生きたまま広場にさらすことを提案したのだ。
その間の治安維持担当を、アウデーンスさんが連れてきてくれた騎士さんたちと門番さんたちにお願いするという形でね。
その心はといえば、いかに自分たちがボスに誠心誠意仕えてきたのか=悪事の数々を重ねてきたのか、それにもかかわらず捨て駒として扱われ、見捨てられる不条理さを、これから処罰される彼ら自身に、口を極めてさんざんののしってもらう時間をとるためというのがねー……、実に悪辣だ。
もちろん、彼らには、それほど巧みな弁舌があるわけでも、わかりやすく民衆に訴えるだけの語彙があるわけでもない。
弱い方が、だまされる方が、使われる方が悪いという裏稼業の面々の常識を覆すには足りないのだ。このまま広場にさらしても、たまたまヘマをやった人間が吊されるだけ、という形で裏稼業の組織の皆様による下っ端使い捨て路線は変わらないだろうということは簡単に予測がつく。
そこで、アロイスは、彼らに末期の酒を与えたいと言い出した。
ほどよく舌が緩んだところで何をやったのか聞き出し、相づちを打ちながらくりかえし喋らせることで調書をさっくりまとめ、同時に酔っ払った頭にしっかりと罵倒すべき敵を刻み込む。
ついでにどう喋れば簡潔に恨み節が伝えられるか、何を言えば自分を見捨てた組織に大きくダメージを与えることができるかを教え込んでやり、組織にもう何も失うもののない個人が立ち向かう勇気ある行いとして褒めあげ、焚きつけるというね。
ある程度説得力を持たせれば、組織内では互いに誰が次に切られるか疑心暗鬼に陥るだろう。下っ端としてちょいと正業を踏み外しそうな連中も、使い捨てにされると知れば、組織がどんなにおいしい餌をぶら下げてきても、少しはためらう。
死刑の前に彼らのうちの誰かが殺されれば、組織側が口封じに動いたとしか見えない。彼らが捨て駒いにされたという信憑性も増すというもの。
生き残った彼らはますます組織を恨み、迷いなく組織をののしる。
結果、それぞれの組織をわずかなりとも揺るがし、力を削ることができるのではないかとアロイスは言った。
一石何鳥だかは知らんが、合理的といえるだろう。鬼畜だけど。
「堀に落ちた敵など、上から石を落とすも熱湯をかけるも思いのままですから」
爽やかな笑顔で言い切るなー!
そこまで使い倒すなら、せめて途中で何人かでも助けてやれよ。
何通りもの使い道を同時進行したところで、殺せばおしまい、使い切りなんですよ?
だったら使えそうな連中だけでもこっそり助けりゃいーじゃん。
命の恩が重いことをたたき込めば、何度でも使えるでしょうに。生きてる限りは。
「師の方が容赦ないではないですか」
あんたが言うな、アロイス。
「いや、どっちもどっちだと……」
アロイスの通訳を聞いたからって冷静に突っ込まんでくれなさい、アウデーンスさん。
そしてドン引きしないでいただけないでしょうか、おつきの皆様方。
アロイスってば、さらに彼らの処刑の様子を、例のスクトゥム帝国の皇帝サマ三人組に見せつける気満々なんですよ。
そっちの方がえげつないと思いませんか。どう考えても大惨事の予想しかしませんよ。
匂い、音、手触り。五感をフルに刺激して心を折る手際はあたしじゃ真似できないですよ。
なんせ嗅覚ないんですから、あたし。
最寄りの勢力の中でも、一番腰が軽くて足の速い人が到着しました。
意外とアロイスの評価は高いです。




