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混沌録

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。いよいよ100話目となりました。

 予想外のことに、さすがのあたしも一瞬頭蓋骨が真っ白になった。

 いやもともと白いんですけど。骨ですから。

 それがさらに驚きの白さに、ってなボケをかましている場合ではない!


 あたしがうろたえたのはヴィーリが木々で組んだ堰を開き、ピノース河に水を導き入れられるのはグラミィだけに設定していたからだ。これを上書きするにはヴィーリ以上に木々を操る能力が必要だ。

 森精であるヴィーリ以上の木々の操り手など、想像すらできない。

 だからすっかり安心していたというのに。

 

 あたしは部屋の石壁に駆け寄ると、問答無用に結界刃で切り落とした。

 ちょっとした城壁並みに分厚い壁が瓦礫の雨となってなだれ落ちる。結界を張り、舞い立つ埃を風で払いのければ、窓のなかったこの部屋からも、直接この眼窩でピノース河を見下ろすことができた。

 ユーグラーンスの森までは見えないが、河口付近はひたひたと潮が押し寄せている。

 もうじき満潮だ。 


「突然、いかがなさいました」 

(アロイス。アダマスピカの堰が切られたそうだ)

「なんと!……そこまで魔術士団長は愚かでしたか」


 予定では最大限に潮が引いた時間帯を見計らって、堰を落とすはずだった。

 しかし、それが満潮に落とされたなら。

 貯めに貯めまくった氷と水がピノース河を流れ下り、アルボーは水に覆われる。

 どれだけの人が死に、どこまで被害が広がるかもわからない。

 アロイスがルンピートゥルアンサ元女副伯の脅しに使った『アルボー壊滅』が現実のものとなってしまうだろう。

 

「……!コッシニアさまたちは!」

 

 洪水の予兆は、ここからは見えない。まだ。

 だけどコッシニアさんたちは対岸――遠すぎる。

 彼女たちと合流し、ピノース河から遠ざかる時間があるかは微妙なところだ。低地な上に河口近くとあっては、河から多少遠ざかったとしても、身を守りきれるかはさだかではない。

 そして、仮にあたしたちだけ結界で身を守ったとしても、このままではアルボーが沈む。

 ならば、何を選び、何を守る?!どう考え、どう動く?!


 ……あたしは、覚悟を決めた。

 

(わたしが対処する。だから、アロイス。わたしの背中は任せた)

「……かしこまりました」


 即座にアロイスは団子状になった荒くれどもを、片っ端から殴って沈める単純作業を手際よく始めた。

 のんびり時間をかけて丁寧に拘束などしていられないと判断したのだろう。

 アルガはおろおろしているが、いざとなったら彼も気絶させていいから。

 いちおう杖は折ってやるなよー、あれ折られると並みの魔術師は魔術を一から覚え直さないといけないものらしいから。

 個人的には術式を刻んでいる杖を失っちゃうと、魔術が使えなくなる魔術師ってどうなんだと思わなくもない。が、情報端末に慣れすぎたあまり文字を手書きしなくなった人間が、漢字を書けなくなるようなもんなんだろうと思えば納得ができるような気がしなくもない。

 

 あたしは残ったヴィーリの種をありったけを取り出すと、魔力(マナ)を籠め、潮風に乗せて吹き飛ばした。

 半分くらいは領主館の敷地内に落下したようだ。

 そのすべてが数十年単位の成長を早回しにするようにみるみる芽吹き、伸び、くっつき、目の前まで伸びてくる。

 あたしは窓ガラス代わりに展開していた結界を消すと、その枝に飛び移った。

 そのまま幹に歩み寄ると、帯に挟めていたヴィーリの枝を取り出し、

 ――あたし自身の首に、突き立てた。


 ヴィーリの半身たる彼の樹杖は、普通の木ではない。

 杖の形をしているが、生きている植物性の魔物である。この世界の人間や森精が動物性サル系の魔物の進化した姿であるのと同じように。

 だからこそ、ヴィーリの樹杖の種は周囲の魔力を吸って急激に芽吹き、成長することが可能なのだ。

 コールナーのテリトリーや、タクススさんを保護した周辺で蒔いた種が、みるみる発芽し伸びていったのもそのせいだ。

 

 そのヴィーリの樹杖の一部である枝を、あたしとグラミィは一本ずつもらっている。

 これは『緊急時にヴィーリの樹にアクセスできる権限』の鍵のようなものだ。あたしたちにぴったりストーカー発言をしているヴィーリ専用GPSも兼用しているのかもしれないが、そこは許容範囲ですよ。


 もちろん、あたしたちにはヴィーリのようにすべての機能を利用できる権限など与えられてないから、迷い森など作れない。そもそもあれって、見る物をまどわせ見えないものを見たと錯覚させる――視覚だけじゃなく平衡感覚とかにも効くものらしいからね。複数の感覚を同時にだますことは難しいことを考えると、さらっとやってるわりにとんでもないことだ。

 だけど、あたしやグラミィでも、心話を、『声』を、同じアクセス権限を持つ者に届けることはできるようにしてもらっている。

 発動条件は、『樹に触れたまま大量の魔力を一度に与えること』。

 

 通常心話は距離によって減衰する。

 これは肉声のイメージと、体外に放出した魔力はよほど上手に制御しない限り急激に拡散することによるためではないかとあたしは推測している。魔術の顕界基点を自分自身に設定する以外の発想がない、通常の魔術師が遠くにはへろへろした火球しか飛ばせないように、顕界した術式の効果を遠距離へ及ぼすことができないのもこのためだ。

 しかし、ヴィーリの樹は――おそらく、森精が森と一体化し、すべてを知覚するためのしかけとしてだろう――心話を、『発芽した種』が存在する範囲内ならば、どれだけ離れていても伝えることができる、という力がある。あたしたちはその力の一部を使わせてもらっているわけだ。

 ただし、ヴィーリの樹を媒介とする心話は『以前に魔力を注いだことがあるモノの間』でしか通じず、なおかつ『生きたままのヴィーリの樹の一部を身につけているモノ』にしか伝わらない。

 生声と携帯のようなものだと思えばいい。

 おまけに、あくまでも緊急時のアクセスラインでしかないし、魔力を注げば注ぐほど伝えられる情報が増える鬼仕様ときている。アイテムでユーザーから課金を搾り取るゲーム構造と同じかよとつっこみたくもなるだろうが。

 それは生身のグラミィならともかく、今のあたしには存在を削る方法だ。


 だから、あたしは、以前からヴィーリの樹杖にことあるごとに魔力を注ぎ、彼自身の森を広げる手伝いをするという約定の代わりに、心話以外の権限もいくつか一回だけもらってあった。保険として。

 ただし、ヴィーリの樹そのものではなく、その『子』――あたしが道々ばらまいてきた『種』たちに対するものだ。

 

 一つは情報共有。

 あたしとグラミィの魔力を与えたヴィーリの『種』から、芽生えたすべての木々の知覚する情報をリアルタイムに受けとれるようにすること。

 一つはヴィーリの木々に特定の術式を複製、顕界することができること。

 

 ヴィーリの樹杖を見ればわかるように、ある程度成長している『親』であるなら、枝程度の一部分であっても、ある程度の力は持っている。

 しかし、魔物としては生まれたばかりの『種』たちは、どうしても地面に落ち、根を張り芽吹かなければそれなりの力を出すことができないとうネックがある。

 逆に言えば、一度地面に根を張ってしまえば文字通りその『根』が巨大なネットワークとなるのだが、そこを利用するにも魔力が必要だ。

 しかも魔力を与えるのは最寄りの『芽』だけでいいとはいえ、使っている間はずっと与え続けなければならない。そのためには触れ続けている必要がある。

 それはつまり、動けなくなることと同義。

 今のこの状態で遠くまで視線が届くというアドバンテージを手放さずに、なおかつ『心話』を含め今握っている権限すべてをあまさず使うには、どうしても高さが必要だ。

 いちおう、結界に魔力を放り込んだものを対象にぶつけることでも魔力の供給はできなくはない。闇森でヴィーリたちの仲間があたしとグラミィにやったことだ。

 が、どうしてもロスが多くなるので、効率的とはいえない。

 

 かつて魔術士たちが顕界したという、領主館が建つ岩盤すらあっさりと砂に砕いて、よじれ合わさり立ち上がるヴィーリの木々に身を預けると、あたしはヴィーリの枝と木々に、さらに魔力を与えた。

 頸骨に突き刺す勢いで突き立てた枝は瞬時に根を生やし、骨に絡みついてきている。

 魔力を吸い取られていく感覚にぞわりとするが、あたしは歯を食いしばって耐えた。

 これは自分で決めたことだ。最悪骨格が崩れるほど絡め取られることも覚悟してたけど、それはありがたいことにむこうが遠慮してくれたようだ。

 同時にヴィーリの枝が、木々、つまりヴィーリの樹の『子どもたち』にも根を絡めていく。寄生木(やどりぎ)のように。

 結びつきが強固になることで、あたしは根を張った『種』たちに触れ続けている状態を保ちつつ、この身体からの視界を維持することができる。 

 ヴィーリの枝だけでなく、『芽』たちにも魔力を与えれば与えるほど得られる情報はさらに増える。ここまできたら出し惜しみはなしだ。


 ピノース河の様子を身体の視界に捉えながら、あたしはさらなる情報を受け取っていた。

 グラミィの混乱した声とともに、切り開かれたヴィーリの樹の堰を。その堰を超え、ため池から吹き出すように流れ込む大量の水を。押さえつけられる化粧の濃い女魔術師と目をそらす魔術士団長の姿を。

 『芽』のひとつが知覚した、ビルほどもある巨大な氷塊が轟音を立てながら、ゆっくりとピノース河を下る様相を。砂粒や泥の間を縫うように音立てて伸びゆく『根』が吸収する水分の量と温度の急激な変化を。

 荒野に設置した、貯水池の口で争う魔術士たちを。

 そして、そして、そして――

 

 ふだんのあたしがドット絵レベルの画像データしか得られない、低画素なカメラ1つしかない型落ち携帯ならば、近接戦闘用に調整した情報処理レベルの上昇は、最新スマホの超高画質複数カメラを同時起動してるようなものだ。

 だが、ヴィーリのこれはケタが違う。あまりにも違いすぎる。

 さっきの例えで言うならば、送られてくる情報をリアルタイムにすべて統合する、ネットサーバーになったようなものだ。情報量はギガメガヨタペタと指数関数的に上昇し、それを流し込まれるシステムのスペックはきっと9Gをも越えている。

 ()()アカシック(世界)レコード(記憶)というものだとするのなら。これは違う。あたしが漠然と想像していたような単純な記録データではない。

 事象と感情と観念とがごたごたに入り交じったものを走馬灯レベルに圧縮した記憶に近い。むしろケイオスティック(混沌)レコード()とでも呼ぶべきだろう。

 情報過多のあまり、平衡感覚が真っ先にシャットダウンした。立っていられずに幹へとしがみつけば、視覚や聴覚に変換して理解していた疑似知覚すらオーバーフローしていたのだろう。貯水池の口が切って落とされた流れはキンと冷えた雪の匂いに、木々が天に向かい伸びゆく音がミントサイダーのような味に変換されていた。

 生身だったらとっくに脳が焼き切れているか、五感上の情報処理が追いつかないものを知覚不能とみなしているところだ。


 だけど、あたしは欲張りなんだ。

 これまでいじましく疑似感覚も生身レベルに落とし、むこうの道徳観で自身を縛ってきたのは、むこうの世界の自分、生身の人間であった自分の感覚を忘れたくないから、変わるのが怖いからだ。

 それは今も変わってはいない。

 けれども、あたしは、人間である前にあたしでいたいのだ。

 グラミィだけじゃない。

 コッシニアさんも、タクススさんも、アルベルトゥスくんも、アロイスも、――コールナーだって。

 昔のあたしを構成していたものにしがみついていた思いと同じくらい、今のあたしをあたしたらしめている他者を誰一人として失いたくはないと思う気持ちは強い。

 あれかこれかじゃない。それもこれも手放す気になどなれない。

 ならば。


 あたしはふらつく足の骨で精一杯踏ん張った。

 ……ああ、やってやんよ。

 

 認めようじゃないの。彼らを守りたいと思うのは、限りなく利己的な動機からくる単なる自己満足だと。人の命を救いたい、なんて甘っちょろいむこうの世界の倫理観なんかじゃないってことを。

 この世界で得たつながりを手放したくないという、自己中極まりないこの思いを貫くためなら。

 いいだろう。ちょっとぐらい人間だってやめてやろうじゃないの。

 もともとただの骨だったのが、さらに人外方向に一歩踏み出すだけのことでしかないんだから。


 狙うは総取り。

 これまで体験したこともない情報量がどうした、こちとら名状しがたき混沌の一つや二つ、少々体験したぐらいじゃ直葬するようなSAN値なんかじゃねーんだよ!

 これしきのことで直葬するような脆弱な精神なら、骨になった時点でとっくに壊れてる!

 

 正真正銘一回こっきりのチャンスをドブに投げ捨てるような真似などできるか。無理無茶無策無謀を押し通す正念場はここなんだ。

 こんなところで、これ以上死んでてたまるかぁっ!

 あたしの手持ちの札はまだ、尽きてない!


 あたしはさらに放出魔力を増やし、自分に身体強化を施すと同時に、クロックアップ陣を起動させた。

 

 シルウェステルさんのローブはたしかに王都に置いてきた。だからって、その知識まで全部置いてきたわけじゃない。

 クロックアップ陣は解析の際に模型を作ってある。それをしょってきたのだ。

 魔力の消費はさらに跳ね上がるが、身体強化と組み合わせればあたしの情報処理能力は多少とも上がる。相対的に時間経過を緩やかにしたぶん、できることは増えるはずだ。

 

 まずはヴィーリの樹の『こどもたち』を通じ、二つ目の権限を発動。『結界術式の複製と起動』を行う。

 ぐらりと巨大な氷塊が倒れかけ、溢れそうになるピノース河から逃げ出すアダマスピカ副伯領の人々の前で水はぴたりと止まった。

 空中高く跳ね上がった波濤は、川幅を超えることなく流れに戻っていく。

 ピノース河流域の使用権を借りる際、新アダマスピカ女副伯になったサンディーカさんに約束したのは、『可能な限り負担をかけないこと』だ。

 だから、川幅以上に水は溢れさせない。堤防の土手も決壊させやしない。そのくらいは川幅一杯に結界を防壁代わりに並べればできることだ。


 しかし、貯水池まで水を落とされているのは痛かった。

 ベーブラ河との境にヴィーリが構築した堰が切られただけならば、そしてあたしがその場にいたのならば、潮が完全に引く5時間ぐらいは、静止の魔術陣を刻んだ結界で押しとどめられたかもしれない。

 なにせ今のあたしの魔力は力技で低湿地帯を踏破し、タクススさんを救出した上に領主館を制圧したとはいえ、3000サージをちょびっと越える程度には残っている。人間を相手にするなら数百人を一度に相手取っても、局地戦的には勝てなくても負けることはない自信がある。


 だけど、今となってはその手は使えない。

 なにせ下手に堰き止めてもどんどんとさらに上流から水が押し寄せてくるのだ、ピノース河流域から水があふれ出ないように結界を積み重ねても壮大な水の塔ができるだけだ。

 それはそれで少しは位置エネルギーが加わるからあたしの目的には使いやすくなるのだが、ヴィーリの木々を媒介にしている以上、直接術式を組むより魔力消費量は増える。干潮まで維持するのは無理だろう。

 それに、満潮に大量の水をぶつけるというこのやり方で、あたしの組んだ作戦を本気でぶち壊しにかかるとしたら。

 あたしなら、たかが貯水地点を破壊したくらいで満足なんてしない。追撃としてもっと水量を増やす方向で嫌がらせにかかるね。

 ある程度の人数の魔術士がいなければできない方法だが、これをやらかした魔術士団長には約1000人の部下がついてきてるはずだ。

 ならば、あたしの考えるようなことはとっくに計算済みと見ていいだろう。

 まったく、いらんところに頭を使いおってからに。

 

 どのみち、あたしが優先すべきは、守りたいものを守ること。その上で必要以上の損害を出さないようにすること。

 

 ピノース村を通り越してユーグラーンスの森の脇へ『目』を向ければ、そこにはヴィーリが『あった』。

 魔力による疑似感覚をいつもの肉眼で直視しているレベルにまで細密に視覚化するほど、今はリソースが割けない。魔力の直接的な形を見れば、ヴィーリは若葉色の世界樹の一枝だった。

 あたしの魔力に気づいたのだろう。あたしの『目』の前で、ヴィーリとその半身である樹杖が、『種』たちと『つながった』。


(             )

(             )


 もはや、言語レベルですらない意思の疎通がそこにあった。

 ヴィーリは、森精として森を守るために残ったということ、このような事態が起きることも予測していたということ、だからこそいわば中継局として、グラミィとあたしの中間に自分の身を置いたことが、木漏れ日のように一瞬にして射し込む。

 その一方で、ユーグラーンスの森にさしかかるあたりまであたしが顕界した結界術式の展開と維持をヴィーリが引き継ぐこと、それを依頼し権限を譲渡すること、それらもすべて瞬時に葉擦れと変わる。あたしの了承や謝意すらも。

 

 これが、これこそが、森精の見ている世界なのだ。

 自己はなく他者はなく、ただ端末としての個の認識はあれども、情報処理は個にこだわることなくクラウド化され高速でやりとりされると同時に、すべて記憶として蓄積されてゆく世界。

 リアルタイムアカシックレコードの内部に平然と存在し続けることができる彼らはやっぱり、個であることに執着し、この情報のごく一部を取り込んだだけでパンクするような人間とは限りなく異質な、そして平穏な存在だ。

 彼は、彼らは、一つの閉鎖情報生態系の一部として存在している。

 だからこそ、ヴィーリは人間のバックアップを忌避したのだ。ネットワークに取り込むことのできない『異物』は不確定要因にしかならないから。

 あたしはアロイス、グラミィはマールティウスくんやカシアスのおっちゃんが背中を守ってくれている。だがヴィーリは彼の半身でもある樹杖、そしてその『子』らたちが彼を守る。それがたとえ自身で自身を守っているようなものだとしても、それが彼にとっては最も安心できるセキュリティの在り方なのだ。

 

 さらにピノース河を下り、低湿地帯に『目』を転じれば、急激に成長し、盛り上がったヴィーリの木々の根の上に、戸惑った様子のコッシニアさんたちが『あった』。

 コッシニアさんの魔力はスクエアな炎。アルベルトゥスくんは蒼銀の石、かすかながらも息づいている緑がかった琥珀色の瞬きは……タクススさんか。あたたかみのある茶褐色の小丸が四つくっついているのは馬たちのようだ。

 ……てゆーか、風除け目的でばらまいたばかりのヴィーリの種が、そこまででかくなるとは。だが彼らを守るにはむしろ好都合だ。

 彼らの近くで結界を一つ顕界してみると、アルベルトゥスくんがいち早く気がついた。


「シルウェステル師、なのですか」


 アルベルトゥスくんたちとは心話の疎通ができない。二人ともヴィーリの樹杖に魔力を注いだことはないし、そもそも心話のやり方自体教えてないからね。

 アルベルトゥスくんの会話をあたしが理解できているのは、ヴィーリの木々から伝えられている情報としての音声や心話のおかげだ。

 なので、代わりに木々の枝の一本に結界で触れる。

 頷くように縦に振るとコッシニアさんが訊いてきた。


「アロイスは。無事なのですか」


 うん。


「お二人はこちらに戻ってこれないのですか」


 うん。


「危険な状況なのですね」


 うん。


「わたくしたちに何かできることはないでしょうか?」


 いいえ。


「あの、タクススどのを連れて逃げた方がいいのでしょうか」


 いいえ。


 少し思案して、あたしは顕界してきた石壺に結界のへりで触れた。しゅるしゅると石の表面が粘土のように削れて文字になる。


『むかえに行くまで待機せよ。水がくる。身を守れ』

「!……わかりました」

 

 河の水かさが増えたら、少しでも高台へ逃げろと伝えちゃいたんだが、もうこうなっては下手に逃げてもらうより、あたしが結界で囲んだ方が守りやすい。手近な高台つったって、低湿地帯の彼らの周囲半径1㎞以内でもっとも高いのは、今彼らがいるヴィーリの木の上だろう。

 

 馬たちはどうかと思えば、不安はあるもののパニックにまではなっていない。

 そしてヴィーリの木々は、どうやら馬たちの心話すら掬い上げるようだ。さすがはケイオスティックレコードを構築するシステムの一端だけのことはある。


(森精の匂い)

(ボニーの魔力(匂い)

(水の流れ)

(やってくる)


 動物のカンというやつか、上流からの水の流れを感知しているようだ。


(逃げる?)

(待つ?)

(待つ)


 レムレの声か。


(待つ)(待つ)(警戒。待つ)

(マールム娘、不安ない)


 ……マールム娘って、コッシニアさんのことか!

 心話とともに伝わってきた赤い髪(あたたかい風)果実(おいしそうなマールム)のダブったイメージに思考がぶっとんだ。その拍子に、『目』が別の焦点につながった。


 少し細いヴィーリの木の側に、コールナーが『あった』。

 月虹の極光か焔のような美しさに思わず見とれてしまいそうになるが、今はその時じゃない。どうやらコッシニアさんたちから距離はとったものの、まだ近くにいてくれたようだ。

 あたしはさらに結界球をつくりだした。


(ボニーなのか?)


 ぽんぽんと結界球を上下させてみせる。うん、そうだよ。わかってくれて嬉しいよ。

 

(何か、起きたのか?水が騒いでいる)

 

 馬たちですらわかったのだ。霧、つまり水を操る力を持つコールナーならば、より詳しくわかるわな、そりゃ。

 あたしは結界球を腕の形に変形させると、上流を指し、指を下流へ向けて振った。


(水がここまで押し寄せてくるのか。レムレたちのところへ戻った方がいいか)


 正直、マレアキュリス廃砦の中まで水は届かないと思う。だから、コールナーに限っていうならば自身のテリトリーに戻れば安全ではある。大量の砂を含んだ濁流が押し寄せる、わずかな時間でたどり着けるのならば。

 だけどそれは難しい。彼の足でもぎりぎり間に合うかどうかといったところか。

 だったら、ここというかコッシニアさんたちと一緒にいてくれた方が、全員を結界で守りやすくはなるのだよね。

 あたしは結界で作った手でコッシニアさんたちの方を指さした。

 

(わかった。戻る)


 ありがとう。


 ……少々人間をやめなきゃ気絶していたほどの情報量にも慣れてきた。

 ヴィーリが一部の結界を受け持ってくれたこともそうだが、すべての情報を全く同じボリュームで伝達してきた木々たちも、あたしの欲する情報が氾濫警戒水域の変化と、コッシニアさんたちの身の安全をメインとしていることを読み取って、ある程度取捨選択できるようにメリハリをつけてくれるようになったこともあるのだろう。

 呼吸もないのに、ようやく息を吐ける気分になった。疑似視覚も肉眼レベルに戻ってきている。

 これだけ余裕ができたなら、最後の仕掛けが打てる。


 あたしは杖を振り上げた。

 ヴィーリの『種』から芽吹いた木々すべてに有効な、権限の最後の一つは、

 ――『歌え』と命じ従えること。


 アルボー港の壊滅と再生なんてたいそうなものをぶち上げたが、あたしは近代土木に関する技術も知識もまるでない。もともと文系なんだってば、あたしは。

 河口まで数百メートル、それを深さ数十メートルも水の染み出る軟弱地盤を掘り下げて、なおかつ数十年も保つようにできるような近代的な掘削技術なんて持ち合わせはないっての。

 あるのは貯めに貯めまくった魔力量、馬鹿力のごり押しという一つ覚え。ちょっとした自然災害規模の魔術ならば顕界できますが何か?

 

 だから、もともとは、グラミィに大量に砂を生成してもらい、ピノース河に流すことで今後数十年数百年の地盤変化を加速させることでアルボー港を干上がらせるのが計画の第一段階だった。

 ルンピートゥルアンサ副伯が使えなくなったアルボーから撤退するなり、失脚するなりして影響力を失ったのち、浅くなりつつあるピノース河にたまった土砂を沖合まで流し出して水深を下げ、港機能の再生をしよう、というのが第一次アルボー再生プロジェクトの目論見だったのだ。

 水路の発達した貿易港として発展した都市というのは、津波や大洪水の被害に見舞われていることが多い。

 以前アルボーと似ていると思ったむこうの世界の死都ブルッヘは、10キロ近く内陸にある。そこまで大きな舟が入るほどの巨大な運河も、もともとは津波の爪痕だったというね。

 ならば、ピノース河を掘り下げるのが同様の爪痕でもおかしくはないと思うのだ。その爪がつけ爪だってかまやしない。

 作ってみせよう、大洪水。

 延伸で氷混じりの巨大な水槍を生成して、海へ向けて射出するというロマン術式も一度は考えた!

 運動エネルギーを負荷するのに槍全体もドリルのように回転させるとか。氷は掘削刃の代わりにするとかね!

 けれどもそれはグラミィの砂の性質で大きく変更することになった。

 

 王猟地でグラミィに砂を作る練習をさせた時のことだ。どうしても魔力が過剰に籠もってしまうので、しょーがないからヴィーリが樹杖で、その魔力を自然物レベルにまで吸い取っていた。

 が、その結果として、ヴィーリの樹杖はグラミィの魔力の影響も多大に受けることになった。

 それは『子』である『種』も同様である。

 アダマスピカ副伯領でグラミィとヴィーリに下準備をしてもらってた時には、当然そんな魔力吸収なんて処置はしていない砂が撒かれている。

 かわりに、ヴィーリがしたのは自分の木の実を投げ込むこと。

 グラミィの魔力に親和性の高くなった『種』は魔力過剰な砂をまとわりつかせ、水と魔力をたっぷり吸って沈み、じわじわと根を出し茎を伸ばす。

 結果として、アダマスピカ副伯領からピノース河の下流域は、『グラミィの魔力で育った』ヴィーリの木々で取り囲まれているのも同様の状態になっていた。

 それゆえのプランB。

 ヴィーリの木々伝いに結界を施し、干潮を見計らって大量に水を流せば、周囲に被害はほとんど出さずにすむ。

 波が引いていくときの力もなめてはいけない。流れに舞い上げられた砂はそのまま水とともに川底を削り、素直に外海へと流れていくはずだった。

 

 だが、あの魔術士団長(アホンダラ)が満潮にぶつけるように、堰を落としやがった。

 満ちてくる潮に押し返されては河口付近、つまりアルボー周辺では土砂を流し出す勢いは予測よりはるかに弱くなってしまう。

 これでは、いくら人外レベルの広範囲結界を展開して被害を防いだとしても、その場しのぎにしかならない。一時的にピノース河の氾濫を防いだとしても、今後も氾濫しやすい状態のまま放置しなければならないのならば、成功とは言い難い。

 つまりは失敗。


 おそらくは魔術士団長も、それを目論んでこの妨害工作をしかけてきたのだろう。

 魔術士団という国の機関一つを動かした実績が失敗に終わる問題よりも、あたしたちの対応が一歩間違えばピノース河の氾濫で何千何万という人が死ぬかもしれないという被害よりも、発案者たるあたしの足の骨を引っ張ることをそこまで優先するとか。

 ばっかじゃねーの。仮にも王族と名乗ってる人間のするこっちゃないでしょうが。

 

 だが、裏を返せば魔術士団長の手に乗らなきゃ成功は近いという話でもある。

 プランCと行こうじゃないの。

 水流が弱くて川底を削りきれないというのなら、別の方法で地盤沈下させればいいんじゃない?


 ベネットねいさんが使ってみせた遮音障壁の術式から、あたしの結界の術式は派生した。

 障壁の硬度を上げて物理的な遮蔽に特化するという形で。

 しかし、障壁そのものの遮音機能を削除したわけではない。ということは、物理的な強度を持ちながら遮音機能を持つ結界というものも作ることができるはずだ。

 さらに考えを進めるならば、音を遮る、つまり空気の振動を止めることができるということは、逆に使うなら振動を増幅し、音量を増大することもできるのではないか。

 そして複数の障壁を使えば、音を共鳴させることによって広範囲に影響を与えることができるのではないだろうか。


 そう考えたあたしは、王猟地のお屋敷でいくつもの魔術実験をやらかしてきた。

 そして、あたしが今ここでそのうちの一つを使って起こすことは――大規模なシェイクサンド現象だ。


 シェイクサンド現象は別名液状化現象とも言われるが、地震などの連続した揺れで水を多く含んだ砂地盤が急激に軟弱になり、水と砂に分離する現象のことだ。その結果生じた亀裂や水脈からは砂混じりの水が噴き上がり、地盤が沈下したり、ずれたりする。

 あたしはそれを低湿地帯と川底に引き起こすことにした。 

 どの振動数がもっとも効果的か、なんてことまでは、さすがに魔術実験でも確かめきれなかったから、これも一発勝負だ。

 木々の根を媒介に音を増幅させる障壁を地面に埋め込み、土壌に直接音というか振動をたたき込む。いくつかバスドラのように骨まで響くような音を作り出し、微妙に高さを変えながら拡散、どんどん強めていくと、風もないのにヴィーリの木々の梢が震えはじめた。

 ホーミのような倍音が生じたのは……ああ、薄い葉が共振することで高音が発生しているのか。

 そしてとうとう、ピノース河めがけて水が噴出した。グラミィの生成した砂を大量に含んで。

 

 あたしとグラミィの魔力は相似性が高い。

 ということは、あたしがグラミィから譲渡してもらった魔力が他の人のものより扱いやすかったり、グラミィが顕界したものに干渉を加えやすかったりと、少しだけ恩恵があるということでもある。

 あたしは振動を発生し続ける結界を振り回し、さらに水中に舞い上がった砂を媒介にして、ピノース河の川底をぐるぐると掻き回した。浚渫で川底を攫うには、水と堆積物を混ぜて柔らかくしたものを吸い上げると聞いたことがあるからだ。

 それに確かウォータージェットも、ただの水よりも研磨剤入りの方が威力は上がったはずだ。ビバ高圧洗浄機の無駄知識!

  浚渫作業と川底の掘削作業が一度にできるのだから一石二鳥だ。より河口側を削り、上流側との高低差を少しでもつけておくのが大事なことだろう。なにせ上流からやってくる水の運動エネルギーなど、満潮の海水にぶつかれば簡単に減衰されてしまう。

 だったらなるべく上流側の流れを強め、川砂も巻き込んで外海まで流れていくように手を加えておくべきだ。

 位置エネルギーだって多少なりとも付加するよう、そして海の水が砂を上流に運んでいかないよう、水底の傾斜はきついほうがいい。

 河口付近はヴィーリの木々から遠いのがちょっとつらいが、仕方がない。

 

 低湿地帯からは地表近くから川岸に向けて斜めに、護岸の側面から砂混じりの水が噴出し続けていた。

 しっかしよく吹き出るなー……。一時的に湿地帯から「湿」の字が抜けそうな勢いだ。泥炭はそうそう保水量を変えないと思うが、砂地は素直に水を吐き出してるということかな。

 

 さて、ここで問題です。

 こうも景気よくシェイクサンド現象を引き起こしたら、アルボーの町並みはどうなるでしょう?


 答え。

 石畳も水路の石積みもがったがたに……なりません。

 あの人身売買商館は、あまりに海際にあったせいか、土台だけ難破船のように斜めに沈んでいってたけどね!


 さらに『目』を向ければ、ヴィーリの木々はアルボーの中へも水路や運河伝いに侵入していた。

 これは嬉しいおまけだった。いーい感じに根を張ってるおかげで、微細にアルボー内部の様子を知覚できるからだ。おかげでアロイスの陽動で炎上し続けてた火事現場に結界で水をかけ、ついでに発火陣を回収しておことができた。発火陣も水に漬けておけば、これ以上火事は広がらないだろう。

 根がカバーのように広がっているおかげで、石積みを崩さないようにできるばかりか運河や水路の口を止めることができる。いくら結界を張れるからといっても、ちまちまとした口すべてに少しずつ張るより、一枚でかい結界をずどーんと顕界しておいた方が楽なんだよね。魔力使うけれど。

 

 口を止めて消火活動をしているうちに、根が水を吸ったのか、消火活動で水を使いすぎたのか、水路の水が濁ってきたと思ったらみるみる干上がって……。


 ……。


 …………。


 ………………なにこれ。


 なんでこんなに人の死体がわんさと沈んでるのさ。あたしがアロイス追っかけてた水路にもしゃれこうべが泥に点在してたのか。うわー。

 ちょっと、これは見逃せないな。死体そのものだけじゃなくって、

 揺れに飛び出してきて、干上がった水路を見た人々の反応もだ。

 びっしりと一瞬固まった彼らが、見て見ぬ振りをするのはまだいい。まだ理解できる。

 だけど、棒持ってきて、さらに泥の中につつき込んで埋めようとか。何しやがりますか。


 完全な推測だが、これはアルボーの中でこれまで斬ったはったしてきた裏稼業の方々の死体がほとんどではないかな、と思うのだが。

 それをずっと見て見ぬ振りで過ごしてきました、というのがはっきりわかる彼らの行動だ。

 よほどにこのアルボーでは何かへまをやったせい裏稼業の方々が水路に浮かんだり沈んだりしているのが日常茶飯事であるようだ。海に流れていけばわかりゃしないとでも思ってんのかね。

 そりゃまあ一般人的には知らんぷりもしたくなるだろう。それは確かにその人たちの勝手だ。

 何かの騒動に巻き込まれたり、犯罪の餌食になって殺されても泣き寝入りしたりするのも許容範囲なんだろうかという疑問はあるし、治安維持にそこまで無頓着なほど、あのコークレアばーちゃんてば無能だったのかとか、いろいろ思うところはあるが。

 だけど、どうせならこの街の暗部を全部抉りだした方がいいだろうね。次の統治者的には。


 ヴィーリの木々の幹は、上層部の根っこや低い枝も持ち上げるようにしてうにうにと伸びていく。いったい成長点はどこだ。

 結果として、半分どろどろになったような人体とか、白骨になりかけ状態のものが木に引っかかっている状態は、ちょっと怖い。中にはザリガニとかシャコっぽいもんがコンニチハしたりしてて。

 それらの死体が木々の根に順送りにされていくと、……ホラーなクリスマスツリーの並木道のようになった通りからは、人の姿はあっという間に消えてしまった。

 きっとピノース河にもそういう犠牲者のお骨はたくさんあったんだろう。海際のほうの根っこにひっかかった死体は、この領主館にでも引き上げておいてもらおう。


 ようやく、身体の視界にもキラキラ光る巨大な直線立体が見えてきた。

 あちこち欠けているのは物理的なものだろう。ちょっと考えがあったので、氷塊を砕こうとしてたヴィーリには、こっちで対処すると伝えておいたし。

 これもグラミィの魔力の産物……ばかりじゃなさそうだ。それなりに仕事らしいこともやってたのね魔術士団。そのへんの建物が一街区分集まった以上に迫力のある大きさだ。


 ホントのことを言えば、最終的には必要最小限の水でこの氷塊を流し、川底にぶつけることでさらに川底を掘るつもりだったのだのだよ、あたしは。

 そりゃフィヨルドのようなV字型の深溝にはならないだろうけれど、それでかなりピノース河は深くなり、アルボーも良港になるだろうと。

 まあ水に浮いても氷の10分の9は水の中にあるというし、掘削についてはあれこれやったから数メートルはもう掘れている。さらにがりがり削りながら氷塊そのものが外海に出てしまえば、ピノース河氾濫の危険性はがくっと下がる。

 問題は、それまであたしの魔力が続くかどうかだ。

 

 以前グリグん越しに魔術を使ったのとは異なり、この広範囲結界は、あたしの意思に従ってヴィーリの木々自体が張っているものだ。あたしが与え蓄積してきた魔力だけど。

 問題は、あたしがヴィーリの枝と木々に魔力を大量に与え続けていることだ。


 枝は情報収集のアンテナ代わりに使っているとはいえ、あたしから発している意図をいち早く木々に伝え、結界操作などをタイムラグなくできるようにしてくれている。

 木々は結界を張ることでピノース河の氾濫を抑えてくれている。そのメリットは代えがたい。

 だが。

 時間の経過とともに、カウントダウンでもしているかのように残存魔力がみるみる減っていく。

 それが体感としてよくわかる。骨のくせに。

 とうとう魔力が1000サージを切った。

 まだ氷塊はアルボーの脇にさしかかったところだ。


 この状態であたしの魔力が切れるということは、ヴィーリの枝との情報共有が切れてしまうということ、ヴィーリの木々が結界を張るのを止めてしまう、ということだ。

 一瞬でも途切れたら、一回こっきり使い切りの権限はそこで終了してしまう。

 情報共有はまだしも、今結界が失われるということは、アルボーも、そしてコッシニアさんたちも氾濫したピノース河に飲み込まれてしまうということだ。

 させてたまるか、そんなこと。


 あたしは可能な限り省エネモードに移行することにした。

 まず木々の歌を止めさせる。これ以上液状化が進んだら、今度は低湿地が海水に浸かりかねんし。

 スピカ村のグラミィたちの様子も、もう『見』なくても大丈夫だろう。実行犯らしき大隊長はとっ捕まってたようだし、貯水池の口を切った連中はベネットねいさんたちがしばいていた。おまけにあそこにはマールティウスくんがいる。サンディーカさんのことなら容赦なし、アロイスも真っ青の策謀家に変化するカシアスのおっちゃんだっている。グラミィのバックアップは可能な限り構築してある。

 ヴィーリにアクセス権限の範囲的な使用終了を葉一枚の揺れで伝えれば、いくつかの種となって了承の返事が返ってきた。

 もう、アルボー上流にあたしの結界は存在しない。今後ユーグラーンスの森を覆う結界があるとすれば、ヴィーリ自身が顕界したものになるだろう。


 だけど、まだ足りない。

 じりじりと、じりじりと氷塊は海に向かっているが、まだ河口にもかからない。満ち潮が滞留しているせいだ。

 残存魔力は500サージぐらいだろうか。あと15分もこの状態を維持していたら、非物理方向寄りな存在のあたしは魔力を使い果たして消滅しかねんぞこれ。

 あたしは結界球を作り出すと巨大氷塊に上流側からぶつけてみた。これが詰まっているせいで、ピノース河の水位を下げることができないのだ。

 どんどんつき押しのように河口へと誘導するが、そのたび氷塊はぐらぐらと浮き、沈み、弾み、不規則な方向へ向かおうとしては川べりに突き立てた結界の壁にぶつかりさらなる負荷をかけてゆく。


 何か手立てはないか、何か。

 あたしはアルボーに向けた『目』も閉じようとして、……あわてて結界球を飛び回らせた。

 アロイスがばらまきにばらまいてくれた発火陣の回収のためだ。

 これにもあたしは魔力をこめてアロイスに渡した。それがまだわずかなりとも残っているのなら、術式同様に破壊してやれば魔力は放出され、あたしが再利用できる。

 急いで結界に手の骨を突っ込んだせいで手袋が焼け焦げて穴だらけになったが、そんな些事など気にしてらんない。

 

 それでも、まだ、足りない。


 残存魔力は300サージを切った。このままでは河口を氷塊が完全に抜けるか抜けないかくらいには、あたしが存在に必要な魔力すべてを消尽してしまう。

 人間から魔力をちゅーっと吸い取らせてもらうというのも、魔喰ライ恐怖症のアロイスが近くにいる以上はナシだ。

 グラミィから魔力を譲渡してもらう?

 ヴィーリの枝越しにできるかどうかはわからない。そもそもアクセスするだけで盛大に魔力を使うのだし。

 ならば、ならばどうすればいい?

 

 眼窩をかっ開いてあたしは慌ただしく領主館の敷地を見渡し、思い出した。

 再度結界球を飛ばし、三つの魔術陣を次々と回収する。

 そして、あたしはすべての魔力吸収陣を握りつぶした。


 人身売買の商館、そして領主館の転生者っぽい三人組と大広間。叩きのめした連中の間にあたしは魔力吸収陣を転がしてきた。

 なんでそんなもんを置いておいたかというと……嫌がらせに近いかもしんない。

 いや、そりゃ、これ以上手間かけないですむには、衰弱してたり気絶してたりしてくれてた方がありがたいんですもん。いくら抵抗できなくなってるからって多人数を一人で拘束するのって結構大変なんですよ。アロイスのような荒事のプロならともかく。

 あたしが置いてきた魔力吸収陣は、一時間ぐらいで普通の人間が寝たきり状態になるぐらいの吸収率に調節したものだ。いちおう魔力を吸い殺さないように条件式に残す魔力量は記述しておいたが、ほどよく消耗した彼らが最終的には動けない状態にまで弱って下手な真似はできなくなるついでに、数十人分の魔力の一部なりとも得られるのだから一石二鳥。

 

 グラミィにもらってたように生身の人間から魔力を直接吸収することもできるが、術式破壊からのコンボでもないかぎり、基本不同意の相手から魔力をもらうことは難しいのだ。

 理由は簡単、同意されてない相手から吸収した魔力って、反りが合わなくて使いづらいからだ。グラミィからもらってた魔力も最初はちょっと大変だったもの。

 だからこそ魔喰ライたちも、犠牲者を半死者状態にしてから魔力を吸収するんだろうけどね。

 もちろんあたしは魔喰ライではない。なるつもりもない。だが、ここで倒れる気もない。

 

 魔力吸収陣は、直接その魔力を術式の構築や顕界にも使用できる魔晶(マナイト)のようには使えない。そういう意味では、魔力吸収陣は魔晶のまがいものにすらならない上に、わりと無差別に周囲から魔力を吸いまくるという、それだけではあまり使い道のない魔術陣だ。

 だが、魔力を貯めることと、破壊した陣から魔力をあたしが吸収することはできるのだ。

 それも、発火などの効果を発揮する魔術陣と違って、ひたすら魔力を吸収し貯めまくることに特化しているので、吸収魔力と陣破壊時の放出魔力のロスは、他の陣とは比べものにならないほど少ない。

 おまけに直接生身の人間から魔力を吸収をするよりも、陣を破壊して吸い取った魔力の方が扱いやすくなっているのだよね。陣そのものが変圧器とか整流器みたいな働きを持つのだろうか。


 破壊した陣からすべて吸収し終わると、あたしの魔力は300サージ以上には戻っていた。その間も結界の維持に使っていたわけだから、少しはましになった方だ。

 氷塊が河口を抜けるまで、あと50mくらい……30m……20m……10m……。


 じりじりしながら見守り、氷塊が完全に海まで流れ出た瞬間。

 あたしはすべての接続を切断し、がっくりと枝の上にくずおれた。


 し、しんどかった……。まじでしんどかった。この世界に来てから痛い目怖い目いろいろ遭ってきたけど、こんなにしんどかったのは初めてだ。

 もっぺんやれと言われたら、だが断ると真顔で即答するくらいにはしんどかった。骸骨の顔だけど。

 なにせ、残存魔力なんて50残ってるかどうかだもん。

 

 だけど、やらない後悔よりやっちまった後悔の方が諦めがつく。

 達成感なんてもんは疲れ切って早退しちゃったみたいだけど、それでもやらない後悔はないのだから文句はない。


「シ……!大丈夫ですか?!」


 危ういところであたしの名前を呑み込んだアロイスに、片手の骨を上げてこたえる。

 あー。魔力切れでまじしんどいけど、ちゃんと死んでるよー。

 

 よろよろと立ち上がると、あたしは幹を感謝を込めて撫で、そして気がついた。

 領主館を取り囲むように伸びた木々もまた、奇妙な果実のように死体をぶら下げていたことに。  


 その異様な様相から、アルボーの港が、モルス・アルボー(死者のなる木)と呼称されるようになることを、そのときのあたしはまだ知らなかった。

第二章、完!(やりとげた笑み)

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