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シンには三つ歳下の、エマという妹がいる。
エマは花を愛でる女の子らしい一面を持つ一方で、近所の悪ガキと殴りあいの喧嘩をして帰ってくるような活発な一面も併せ持つ少女だった。ベッドで眠る前にはよくシンと一緒に両親の冒険譚を聞いて、次の日の朝には、両親から聞いた話に高鳴った胸に突き動かされるように、決まって冒険者ごっこをして遊んだ。
シンの後ろを泥だらけになって必死に追いかけ、転んでも楽しそうに笑っているような子だった。
そんなエマが二年前、『ホワイトドール症候群』という病を患った。
「ホワイトドール症候群って、たしか不治の病、じゃなかった?」
スコットが耳を疑うように尋ねると、シンは小さく頷いた。
「そう、不治の病だよ。昔は、ニコラ症候群って言われてたらしいんだ」
「ケイティ、どんな病気か知ってる?」
「本当かどうかは知らないけど、末期の姿がまるで魂が抜けた人形のようになるってそんな名前が付いたんじゃなかったっけかな」
記憶を探るように言ったケイティの説明は、その病気の末期段階である。
ホワイトドール症候群が発症するのは女性のみで、感染性も認められていない。初期段階での判別は難しく、栄養失調、ビタミン不足、過度な疲労と誤診されがちだ。しかし発症者が女性である場合、ある一定の期間、医師が出す薬がことごとく効かず、回復の兆しが見られない場合において、ホワイトドール症候群と診断される。
発症すると徐々に体力が低下し、衰弱していく。症状の進行に規則性はなく、廃人に至るまでは短いもので三年、長いものでは十年になる。次第にやせ細り、日常生活すらまともに出来なくなっていく。その過程で発症者は精神を病み、廃人へ至る前に自ら命を絶つことも多いという。末期には血の気がなくなり、言葉も話さず、痛みや目に映った物を追う等といった反射や反応も示さない『白い人形』のような姿になることから、ホワイトドール症候群という名が付けられた。
医師からは栄養剤などが出されるが、症状の進行を抑えられる訳ではない。
発症例が非常に少ないため、有効な治療法も見つかっていない奇病だった。
「なるほどね、確かに魔法書があれば、不治の病も、不治じゃなくなるか」
「この世界には、どんな病だって治す力を持った魔法書があるって聞いて」
「治癒の魔法書ね。名前くらいは聞いたことあるけど、あんたはそれを、誰から入れ知恵されたの」
「父さんと、母さん」
それを聞いて、ケイティとスコットは胸に剣を突き立てられたような険しい表情を浮かべた。
シンの両親は元々冒険家であった為に、本来であれば医者が匙を投げた段階で諦める話を、諦めきることが出来なかった。世界を知るその一家にとって、医師の判断で全ての希望が潰えたわけではなかった。
奇跡の力を宿した魔法書があれば、必ずエマの命を救えると――。
そう信じた両親は、シンとエマを一緒に暮らしていたヘンリーというお爺さんに預け、治癒の魔法書を探す旅に出た。両親が旅立ったのは二年前、旅先からは時折手紙も送られてきたが、ついにその手紙も届かなくなった。
「・・・・・・死んだの?」ケイティが訊いた。
「行方が分からなくなったのはつい最近だから、わからなくて」
異変を感じたシンはトレジャーハンターが情報の売買をしている情報屋へ赴き、両親の情報を集めてもらえるように依頼をした。両親から渡されていた生活費を上手にやりくりしていた中から、情報屋を納得させるだけの代金を支払った。
暫くして、情報屋から二人の行方が、西の方へと向かったのを最後に途絶えたことを知らされる。
それ以降はそれらしい人物を見かけたという情報もなく、行方が完全に分からなくなった。
それでもシンは、エマに両親が行方不明になったことを隠さずに伝えるしかなかった。届いていた手紙が急に途絶えれば、いくら幼いと言っても、隠し通すことは難しい。ならばしっかりと、ありのままの事実を教える方がいいと、シンは考えた。
エマはそれを聞いて今にも泣き出しそうな顔をしたが、決して涙は流さなかった。
ただ、「帰ってくるよね」と訊かれた時だけは、兄としての本心を伝えることはできなかった。
「つい、父さんと母さんを必ず見つけてくるから、兄ちゃんに任せろって言っちゃって」
シンはその時の事を思い返して、複雑そうな笑みを浮かべた。
その翌日、シンは再び情報屋の元へと赴き、トレジャーハンターになるための手続きや、必要なもの、魔法書に辿り着くには何をすればいいのか、知恵を借りた。自分のような子供が冒険者を気取って魔法書を捜しに出たところで、行き倒れるのが目に見えていた。だからこそ、確実に力を付け、かつ治癒の魔法書の情報が流れてきそうな場所で実績を積む事の方が堅実だと思えた。
しかし、回ってくる仕事は雑務ばかり。時間ばかりが過ぎていくようで、焦っていた。だから、ケイティ達が出てきたあの遺跡で、踏み込んでしまいそうになった。
「父さんと母さんの代わりに、エマを助ける。それが、俺がトレハンになった理由」
「そのエマちゃんってのは、あんたがトレハンになった本当の理由を知ってるの?」
ケイティは鋭い声音で尋ねた。
話を聞く限り、シンはエマに、魔法書を探す為とは伝えてないのだ。
シンは失笑して、首を小さく振った。
「エマには、父さんと母さんを探す為にって伝えてある。それに、仕事しないといけなかったんだ。二人が残してくれた生活費も底を尽きそうで、ヘンリーに甘えてばかりもいられないし、俺が何とかしないとって思ったら、じっとしてられなくて」
シンの話を聞いた二人は、考えるように黙り込んだ。
スコットはハンカチで涙を拭うと「僕だったら、きっと耐えられない」と胸の内を吐露した。
ケイティは面白くなさそうに鼻を鳴らすと、暫く考えるそぶりを見せて、シンを呼んだ。
「シン、もしあんたが本当に魔法書に辿り着きたいなら、今のままじゃダメ。時間がかかり過ぎる」
「・・・・・・わかってるんだけど、俺が子供過ぎて、受付のお姉さんはいっつも真剣に取り合ってくれないんだ」
シンがなるべく遺跡探査に加われるような仕事をさせて欲しいと熱心に頼んでも、受付嬢は子供が精一杯背伸びしているようにしか見えないようだった。大きくなったらお姉さんが一緒に遺跡デートしてあげるとウィンクをされる始末だ。
「ああ、受付のお姉さん、美人だよね」
鼻を啜って頷いたスコットを、ケイティが邪魔者を扱うように突き飛ばした。
「ねえシン、あたし達と組まない? もちろん、あんたが使えればの話よ。あたし達はもう遺跡に入って宝探しをしてる。あんたも早く探査を始めて、実績を積みたいでしょ。遺跡に入る事に許可も年齢もないけど、かといって実績のない人間に、組合は情報を提供してくれない。あたし達と実績と経験を積んで、魔法書のありそうな遺跡の情報を流してもらうんだ。それが出来なくても、金さえ作れれば、情報屋から直接情報を買えばいい」
「・・・・・・いいの?」
シンが願ってもないよと破顔すると、ケイティは金髪をかきむしった。
正直、魔法書にまで手を出すつもりはなかった。命がいくつあっても、きっと足りない。熟練のトレジャーハンターでさえ尻込みする。おまけに、魔法書があるかもしれないという曖昧な情報で最深部まで進むのは大きな賭けだ。
その代り、賭け金が大きい分、見返りも大きい。
「言いたくないけど。あたしらみたいな子供が身の丈に合わない大きな目的を果たすには、力を合わせるのが手っ取り早いんだよ。大人は絶対にダメ、あいつらは信用できない」
ケイティが憎しみを込めるように言った。
「何か、あったんですか?」シンが尋ねた。
「大人は、僕もあんまりいいイメージを持っていないんだ。そういう意味では、ケイティの言うことは聞いておいた方がいい」
ケイティ達はシンのように急いではいないが、できることなら成りあがりたいと考えている。
かといって、大人のトレジャーハンターにくっついていっても、シンが思っているような経験は詰めず、むしろ危険だった。トラップの囮に使われたり、最悪見捨てられる事もある。挙句、生き残っても報酬の取り合いで負ける。そういう意味でケイティ達は何度も辛酸を嘗めてきた。若いからという理由、実績が足りないからという理由で、組合は情報も回してくれない。
情報屋に頼めばいくらでも情報を引っ張り出せるだろうが、その為にはなにぶん金がいる。今回の遺跡探査でも、ケイティとスコットは自分達で金を積んで、情報屋から人の手があまり入っていない遺跡を教えてもらった。二人きりで挑んだのも、他の連中に獲物を横取りされない為だ。命を落とす危険は上がるが、命を懸けた上で、根こそぎ手柄を横取りされるよりはずっといいと考えていた。
ケイティは素直に言わないが、この提案は暗にシンを守るためだと、スコットは察していた。
ずるい大人であれば、シンのような事情を抱える人間を甘い言葉で誘惑し、囮として使い捨てる可能性は十分ある。そういう輩の肥しになるのを、或いはそういう人間を見るのを、ケイティは最も嫌う。
「どうする? 正直、あたしはあんたが断ってくれたらって、思ってるけど」
ケイティの提案に、シンはとびきりの笑顔で応え、興奮気味に立ち上がった。
「よろしくお願いします。ケイティ先輩、スコット先輩!」
「よっしゃもうヤケクソよ! そうと決まったらこのまま遺跡に出発!」
「わかりました!」
一瞬にして話が飛ぶように進んだ会話に、スコットがぎょっとした。
「ちょっと待って二人とも、シンも何わかっちゃってるの。ケイティも無茶だよ、今から遺跡なんて、ちゃんと準備してからにしないと! 今日手に入れた分の換金はどうするのさ!」
「遺跡って言っても、もう探査済みのコトリア遺跡よ。シン、あんたも聞いたことない?」
「名前、だけなら」シンは応えた。
「それを先に言ってよ。びっくりして死んじゃうところだった」
スコットはそれを聞いてほっと胸を撫で下ろした。
コトリア遺跡は、既に探査が終了している遺跡だ。トラップやガーディアンの障害もない、古い壁画だけが残された安全な遺跡だ。このグランドール大陸、ガルドラ領で発見された最古の遺跡であり、ちょっとした観光地になっている場所でもある。
シンにとっては、いつか両親が連れて行ってくれると約束したままになってしまった場所でもあった。
「連れていってくれるんですか?」
「参考にはならないけど、遺跡に入った事ないんだし、どんな感じなのか一度見ておくのがいいわ」
「そうだね、コトリア遺跡の壁画は一見の価値はあるし。僕らの住む世界の秘密そのものみたいに思えるんだ。見たことないならなおさらさ」
「行きたいです!」
「それじゃあ新しい下僕を連れて、ピクニックと洒落込みますかね」
ケイティは荷物を纏めると、もたもたしているスコットのケツを蹴っ飛ばした。シンは率先して二人の荷物を持って、後に続いた。ケイティは眠っていた子供たちと、馬に餌をやっていた男に声をかけた。
コトリア遺跡を経由して欲しいと頼むと、滞在するなら別料金だと言われた。
「遺跡まででいいわよ。帰りは歩くから、あたしたちをそこで下ろしたら、戻っていいわ」
「へいへい」
荷馬車に揺られて遺跡を目指し始めてからずっと、シンの胸は高鳴り続けた。
その胸の鼓動は、遺跡に入れる事よりも、仲間が出来た喜びのものに思えた。
コトリア遺跡に到着した頃、空は息をのむほど美しい、綺麗な茜色に染まっていた。
2016/12/20 改稿。




