進化の殺し方 《side folklore》
「ドロソフィア本人は今、ここからすこーーし飛んだ所にある小さな家にいる。会えるのはあとしばらくの間だけだろう。彼女は一つの場所に留まらないからね」
アルバムRはざくざくと枯葉を踏みしめながら歩いていく。アルバムRが自らの家を離れ歩き始めてからというもの、森の木々が急速に枯れ始めていっている。
「本当にまだそこにいるの?」
「確証は持てない。だけど可能性は高いね。あの家は彼女のお気に入りだから」
「へえ、気に入るとかあるのね」
アルバムR及びフォークロア一行は、森を抜けるとふわりと飛び上がった。クリスが身体を変形させて、下半身を空飛ぶ絨毯のようにしたのだ。
遠くには、確かにポツンと一軒家のようなものが見える。
存外早く着いてしまいそうである。実際にドロソフィアとの戦闘になれば、流石にアナトやアスタルトは加勢はできないだろう。
「方法は実に単純だ。僕のこの、固定という特異性によって彼女の可変性を一時的に奪う。彼女に死の概念を与えるわけだね。あとは君たちが頑張って彼女を殺す。そうすれば、君たちの求める『暴走』が始まるだろう」
アルバムRはそう述べた。つまり、 戦わなければならないことに変わりはない。
「アナトとアスタルトは、援護に回ってくれ。正面からぶつかるのは俺とクロアが適任だ」
「……ええ、分かったわ」
「……仕方ない」
三人が打ち合わせているころ、アルバムRはフォークロアにそろりと近づいた。フォークロアはクリスを周囲に纏わせつつも、アルバムRの方を向く。
「さて、では少し話そう」
「何を?」
「この世界について、ね」
アルバムRはコバルト色の眉毛を瞬かせる。上空の空気が、いやに生ぬるい。
「この世界はね、一つの作品なんだ。作った二人が芸術家肌でね。だからコンセプトがあるんだ」
「……」
「ここは、小蠅の瓶。繁殖させ、潰し、金の蠅を探す為の実験場。そのためだけに作られた世界だ」
「何故あなた達も蠅の名前なの?」
「僕達もただの黄金の蠅さ。始まりの4匹だったに過ぎない」
「じゃあ、この世界の生き物って……」
「僕達の子孫だよ」
フォークロアは苦虫を噛み潰したような顔をした。そんな顔を尻目に、アルバムRは上空を指さした。空が黒色に染まっている。よくよく目を凝らしてみると、それらは細かいものがうぞうぞと蠢いている。
「産み落としてしまった責任というものがある。自己完結型の『進化』そのものの生命体だ。この世界の生命の方向を決めた、原初の魔物。ドロソフィアの前に立ちはだかる最後の障壁となるだろう」
黒い風。全ては蠅の集合体だった。徐々に人の形へと成っていくそれを見て、ようやくフォークロアはそれが何だったのかを思い出す。
「ドロソフィアの側近か……確か名前は、ペストだったわね」
一行は戦闘の体勢をとる。ペストは虚空をのぞき込むような眼差しで、全員を見据えている。口を開けば、気に触る喧しい羽音が風に乗って運ばれてくる。
「不定形系かしら」
「それに近いが、群生命体という表現が正しいかな」
「全部を潰すというのは、得意だ」
ベールぜヴヴヴは手を握り潰すような仕草をペストに向けて行う。魔力で編まれた重力の束が、ペストを構成する蠅の軍団を1箇所に集中させる。
「いや、違う。それでは無理だ」
アルバムRが宣言した通り、途中まではペストを縮めることができたのだが、ある瞬間を過ぎた途端に、一気に押し返されてしまった。
「言っただろう。自己完結する進化だと。あれは無限に近い多様性を持った軍団だからね。その中にわずかでも環境に適応する個体がいるのなら、その性質が他の個体へと反映されていく」
火を放てば火に強い個体が、凍らせれば低温に強い個体が、どんな攻撃を当てようとも、ペストを仕留めることは不可能に近い。
ペストは一瞬フォークロア達がたじろいだのを見逃さず、一気に波のような形となり襲いかかってきた。
アナトは自らの黒いドレスから繊維を沸き上がらせ、拳と共に振り回した。いくらかペストを削ることは出来たが、それでも勢いは収まらない。
「クリス!」
フォークロアがクリスを粘液状にして展開する。ほぼ全てのペストは粘液に引っかかり鈍い羽音を立てている。これで防ぎきれたかと思ったその瞬間、一匹のペストが粘液を抜け出した。
かなり鋭い頭部を持った個体だ。
『ビィイィィイィイ』
鋭い羽音が辺りに響く。その瞬間、全てのペストの頭部が鋭く変形し始める。このままでは、全てのペストが抜け出してきてしまう。アルバムRは、フォークロアに耳打ちする。
「……いいかい。死ぬ気でだ。覚悟を持って言うんだよ」
フォークロアは凄みのある声で、全てのペストへと命令する。
「『止まりなさい』」
そしてペストは、ピタリと停止した。だが、易々と油断できるものではない。よくよく目を凝らせば、1匹のペストの足が、わずかにぴくりと動いているように見える。このまま時間が経過すれば、再び先程と同じようにペストは襲いかかってくるだろう。
「どうする。このままではまずいぞ」
「いたちごっこね。これじゃ埒があかないわ」
フォークロアは思考を巡らせる。ドロソフィアの家はすぐそこだというのに、障壁はあまりにも厄介だ。アルバムRの方も、何か知っていそうな、分かっていそうな顔をしているが、それよりも何よりも、フォークロアを試してやろうという方が強い。
やってやろうじゃないの、とフォークロアは意気込んだ。
「ペスト……最初の魔物……ふむ」
あの様子からすると、音波で情報を交換しているというのが妥当なところだ。羽音で周波数を調整し、変化するためのデータを送り合う。
音を消してみるか? 不可能ではない。だがやはり、それだけとは考えにくい。例えば別手段で情報を交換している集団も有り得る。電波か、はたまた魔力を利用した何かか、一つ一つを潰したところで、別の手段で対抗してくるだろう。
「……うーん」
一度思考を切り替えてみる。ようは、相手をペストそのものではなく、もっと別の何かであると考えてみる。例えばアルバムRはペストを進化そのものだと形容していた。つまり今、自分が『進化』と戦っていると考えてみる。
あまりにも強大な相手である。地球において、今のところ『進化が負けたこと』は一度もなかった。
連綿と進化の系譜は続き、途絶えていない。
進化を止めるものは何か。少なくとも、一つの種族を終わらせるもの。
二つある。一つはいわゆる隕石の衝突や火山の噴火、気候の変動など、多様性の限界を超えた圧倒的な破壊。これは可能とは言い難い。ペストの限界、そしてそれを超える火力を出せるかどうか、不安なところである。フォークロア、クリス、アナト、アスタルト、ベールぜヴヴ。全員が全力を出したところで、絶滅しきれるかどうかは確信は持てない。
もう一つは……そう、例えばウイルスによる絶滅もある。多様性によって環境を乗り切る進化に対して、『多様性』によって対抗するウイルス。元を正せばウイルスもまた、進化の根源である。
「……そうね、いたちごっこをするのが、私達じゃなければいい」
フォークロアは答えを得た。クリスを近くに呼び、おでことおでこをくっつける。
「いい? クリス。今から私が伝えるものを形にして」
「……ん、分かった」
ゆらゆらと、虹色の光が二人から溢れ出す。よく見ればそれらの光は、胞子のようにふわふわと舞っている。
「……うん。そう、そのまま……」
そして最後には、ぽんっと小さな塊がクリスの頭から出てきた。虹色に輝くように見える、黒い塊である。それは徐々に形を変えていき、細かく細かく霧のようになっていく。
「さあ、行きなさい」
その時一匹のペストが、フォークロアの呪縛から逃れ飛び出してきた。他の個体も、先程と同じように連鎖的に呪縛から逃れていく。
闇のような黒い波と、光のような黒い波が衝突する。するとペストの殆どの個体が、麻痺したように動かなくなってしまう。しかしやはりそのうちの一匹には効かないようで、羽音を立てて他の個体を復活させる。
だが、今度はその生き残った個体も光のウイルスによって息絶えてしまった。
フォークロア達の上空で、無限に近い停止と開始が繰り返されている。
「これでいいでしょ?」
「……ああ、いいとも」
「じゃ、行きましょ」
そして一行は地上へと降りてゆく。目標は、ドロソフィアのいる一つの小さな家である。扉があることも気にせず、屋根を突き破って全員が家の中へと突入した。
窓際のキングサイズのチェアに、一人の少女が腰掛けている。前回は白髪のショートカットだったのがポニーテールへと変化しているが、顔は、変わっていない。
「…………派手な再会だ」
アルバムRを見て、彼女はにやりと笑った。
「くくふふくくふふ」
変化した笑い方は、変わらず不気味である。
「やあ久しぶり、諸君」
フォークロアは一瞬、ドロソフィアの身体が、笑顔が、何重にもなっているように見えた。




